173. <暴走>
1.
「ユウ! やめろ! やめてくれ!!」
テングは、文字通り悲鳴そのものの叫びを上げながら、前を歩く女<暗殺者>に呼びかけていた。
背中にいまだ目覚めぬカイ――彼の遊離していた<亡霊>が肉体に戻ったことは確認していた――を背負いながらも彼がついていけているのは、ひとえに<冒険者>としての膂力、次いでユウがことさらゆっくりと歩いているからに過ぎない。
「ユウ!!」
そんな彼の目の前にいるユウは。
たとえていえば、夢遊病者のようなものであった。
起き上がり、足を床に置き、歩く。
ただそれだけであるのに、周囲に巨大な破壊を撒き散らしている。
彼女の全身は空色に輝き、黒い<上忍の忍び装束>は内側からほとばしる光に押されて紺色に輝いていた。
そんな彼女は今、生ける暴風と化していた。
「<サモン・ディゼスター>」
甘い睦言のような囁きが口から漏れるたびに、その全身から光が迸る。
それは、古の怪獣映画の光線のごとく、指向した場所を生命、非生命を問わず吹き飛ばしていた。
そこに意思はなく、悪意もない。
呼吸するかのような自然さで、彼女は破壊を撒き散らし、止めに来た<教団>のメンバーを<冒険者>と<大地人>とを問わず、すべて消し炭に変えていた。
「ユウっ!!」
がくがくと揺さぶるテングの腕によって、ユウの顔が揺れる。
そのたびごとに、破壊の奔流は無作為に周囲を打ちのめし、あとは悲鳴と断末魔だけが残っていた。
「ユウ! 頼む! 正気に戻ってくれ! あんたの役目は、このエリアを焦土に変えることだったのか?!」
必死の呼びかけも無視されるだけだ。
「ええい、怪物め! <ダンスマカブル>!」
「削り倒せ! <フリージングライナー>!」
飛翔で飛んできた<妖術師>が氷の波を打ち放つが、それも無駄だ。
「……<サモン・ディゼスター>」
水色の波が一瞬で<フリージングライナー>の氷濤をかき消し、絶望的な叫びを上げたその<妖術師>を飲み込んだ。
後に残るのは<妖術師>だった物――その足首の先だけだ。
靴がぽろりと落ちるように、泡と化して崩れながら哀れな死骸は落下していく。
「相手は怪物だ! 防衛線を構築しろ!」
「流せ!」
立ち向かう<教団>側にとって有利だったのは、ユウの行動に意思がなかったことであったろう。
彼女にもし意思があれば、己の破壊力を頼みに<聖域>の中心部に向かって侵攻していたはずだ。
だが実際は、<冒険者>の波に押されるように徐々に<聖域>のはずれに向かっている。
(これじゃ、まずい)
テング自身も、無理やりユウの歩く方向を変えたり、首を曲げたりといろいろな方法で彼女の攻撃を中心に向かわせようとしているが、間に合わない。
ユウたちのいる場所を周辺ごとまとめて吹き飛ばそうとするかのような攻撃に、テング自身も防戦一方になりつつあるのだ。
<守護戦士>であるカイならともかく、テング自身は防御力の低い<暗殺者>に過ぎない。
無数の敵を前のヘイトコントロールを完璧に行うには、経験と――何より能力が足りなかった。
「くっ!」
破れかぶれで、テングは尚も光を全身から放つユウに後ろから覆いかぶさった。
その拍子に光の焦点が外れ、周囲の<冒険者>たちが煙を立ち上らせて膝をつく。
彼らとて防戦一方ではないが、何しろユウの攻撃速度は群を抜いている。
あらゆる特技に均一に存在する再使用規制時間――それがないのだ。
よく見れば、彼女の光線の中にはさまざまな生物のシルエットがあることが確認できるだろう。
<サモン・ディゼスター>とは溜め込んだ厄を開放する技だ。
その厄はそれぞれ異なるがゆえに、それぞれの<サモン・ディゼスター>は言わば別の特技といえ――結果的に、その攻撃に間断はない。
「ユウ! 脱出するぞ!!」
無理やりユウを横抱きにして、テングは叫んだ。
すでに自分たちがおびき寄せられている事には気がついている。
あの恐るべきトーマスの差し金であれば、待っているのは恐らく、覆しようもない敗北だ。
だが、今なら。
今ならば。
残念ながらテングの決断は、今回遅きに失していた。
◇
そこは、周囲を木造の建物に囲まれた、小さな広場だった。
周囲の建物は住宅か、あるいは倉庫として作られたのであろう。
小さな木の桶や、藁を集めるためのフォークが無造作に置かれている。
広場には小さな壇が置かれ、その後ろには同じく木造の十字架がかかっていた。
察するに、この地域周辺におけるちょっとした集会所だったのではないだろうか。
だが、質素な十字架はユウの放つ光によって一瞬でちぎれ飛び、周辺の建物も大なり小なり被害を受けている。
煮炊きでもしていたのか、ある建物からは轟々と炎が上がっていた。
その広場の中央で、ユウとテング、そして目覚めたカイは背中合わせに立っていた。
周囲は、やや間隔を広げて<教団>の<冒険者>がにじり寄っている。
囲まれた。
テングが唇をかんだ瞬間、ふと何かの音が聞こえた。
刃を打ち合い、呪文が着弾するセルデシアにおける戦場音楽以外の音だ。
それは。
「<エルダー・テイル>のダンジョンBGM……?」
幻想的でありながらどこか緊張感を湛えた旋律。
戦意を沸き立たせ、集中力を研ぎ澄ませるよう、<冒険者>に強いるかのような低音のメロディは、確かにゲーム時代に幾度も聞いたBGMに違いない。
「だが、なぜ今BGMが……!?」
「注意しろ、テング」
背中を接するカイが、小さく呟いた。
「連中は一気呵成に攻め込んでこない。 おそらく連中には何か秘策がある。
どういうものであれ、気をつけて、己をしっかりと持っていろ」
そのアドバイスにテングが頷いた時、不意にBGMが大きく鳴り響いた。
「福音だ!」
「神よ、救い主よ! <教主>の元に在れ給えかし!」
歌う。
謡う。
謳う。
<語り部>が物語を紡ぐように、DJが熱狂に身を任せるように、上体を揺らし、武器を打ち鳴らして<冒険者>が歌う。
その異様な光景に、2人は呆気に取られて立ち竦んだ。
「な……なんだ!?」
そのとき、空気が変わった。
2.
平時と戦時の空気は違う。
戦争や災害の場でなくとも、何事もなく歩く道と、物盗りややくざ者に囲まれた道では、自ずから放つ雰囲気が異なる。
ユウたちが歩いてきたのは言わば戦場であり、無論平時の道ではないが、それでも先ほどまで存在したわずかな余裕が一瞬で失われたことを、テングとカイは悟った。
ここは、死地だ。
目と目を見交わし、カイとテングが同時に地を蹴る。
左右の敵を誘い、混戦状態に持ち込むのが狙いだ。
どのような罠を張っているか分からなくても、敵味方が入り乱れる戦場であれば凌ぎようはある。
あのトーマスであれば、味方が効果範囲にいたとしても平気で撃つかもしれないが――そこは賭けだ。
どくん。
不意にテングが転げた。
「な、あ?」
自分が転げたことを、地面に頭が当たって始めて気づいたのか、彼がすかさず起き上がろうとする。
その顔が、自分の横にちらりと見えたステータス画面を見て、一気に蒼白になった。
テング。 <暗殺者>。 92レベル。
そのサブ職業と、ギルド<エスピノザ>という文字列が、奇妙にゆがみ、滲んで消えていくではないか。
そして代わりに現れたのは。
「<敬虔な人>……だ、と!?」
それは、恐るべきサブ職業だった。
多くの<大地人>が<聖域>に到着して付与されていったサブ職業だ。
それが――あの忌まわしい<敬虔な死者>になる前段階だということを、テングは知っている。
「な、なんで!?」
狼狽える彼のステータス画面が再び変わっていく。
ギルド表示は空白になり、『ギルドを脱退しました』というシステムメッセージが脳裏に浮かぶ。
そして、92であったはずのレベルはじわじわと経験値欄を落とし――91になるぎりぎりで止まった。
「カイ!」
振り向いた彼が見たのは、盾を取り落とすカイの姿だった。
カイの盾は<幻想>級には程遠いものの優れた盾で、装備可能レベルは90に達する。
それを、取り落としたということは。
カイ。<守護戦士>。 <敬虔な人> 87レベル。 ギルド所属なし。
「カイーっ!!」
身を守るべき盾を失った彼が、<冒険者>の人波に飲み込まれていくのを見ながら、自らも肩を地面に肩を押さえつけられたテングは絶叫した。
◇
『<魂魄処理装置>、正常に稼動しました。現在照射継続中』
「ふん」
トーマスは念話の報告を聞きながら、小さく鼻を鳴らした。
彼がいる会議室には、彼ともう一人以外誰もいない。
そこに集うべき幹部の全員が、何かしらの役割を与えられて出払っているからだ。
無人の円卓に一人座している彼は、幹部の一人というより、さながら王のようだった。
「どうせ不具合が出ているはずだ。 無力化したらさっさと打ち切れ」
『捕らえた2名はどうしましょうか』
「2名だと?」
余裕を見せたトーマスが、ふと眉根を寄せた。
後ろに立つ人物は動きを見せない。
「2名とはどういうことだ。あの呆けた女<暗殺者>に残り2人ではないのか」
『は、その、それが……』
報告者の声が急激にしぼみ、途切れがちになる。
トーマスの形のよい眉が急角度に吊り上り、代わりに静かな声が彼の口から漏れた。
「どうした。 報告してください。 ……正確な報告は常に重んじられるべきだ」
『その……女<暗殺者>だけは逃亡しました。 ……仲間を見捨てて。
それまでは光線を撒き散らす怪獣みたいに暴れておきながら、なぜか……』
「……魂魄処理装置は効果を発揮したのか」
『それも……照射後すぐに脱出したため、しかとは……』
「……グズどもめ」
ばちり、と勢い良く念話を閉じたトーマスは、ややあって後ろの人影に振り向いた。
「物語ならば面白い展開になりそうなものですがね。 我らが老女は、無事脱出したらしい。
ともあれ、あなたも大変興味深いことになるかと思いますよ?
……スワロウテイル船長。 ……いや……<典災>たる新たな<教主>どの?」
後ろの人影――生気をまったくといってよいほどに失ったかつての海軍軍人、スワロウテイルは、うつろな目を正面に向けたままだった。




