番外4 <証明>
標本にするんですか。
いや、証明するに要るんだ。
ぼくらからみると、ここは厚い立派な地層で、
百二十万年ぐらい前にできたという証拠もいろいろあがるけれども、
ぼくらとちがったやつからみてもやっぱりこんな地層に見えるかどうか、
あるいは風か水やがらんとした空かに見えやしないかということなのだ。
1.
青々とした、よく手入れされた田んぼの畦道に竜胆が青白い蕾をつけている。
群生することなく、野原にひとつ、またひとつと咲く青い花は、秋の到来を静かに告げる使者だ。
その固く閉じられた花弁に、ユウはふと外套を通り越し、秋の風が全身を吹き抜けた気がした。
勿論、錯覚である。
大気は夏の熱気に満ちており、
それは風となって肉体を叩くものの、一瞬感じた清涼感には程遠い。
「どうした?」
先を走っていた騎士が訝しげに振り向いた。
「いや、もう秋なんだな」
◇
かつて、江戸を中心にした五街道のひとつを構成していた道が中山道である。
江戸から武蔵国を北上し、上州、信州、濃州を経て京都に向かう街道だ。
両脇には急峻な山々が連なっている。
左に駒ヶ岳、右手に御嶽山を迎え、
川をつないで辿る道はまるで小さな糸のようだった。
「今どのあたりだ?」
「ハダノ、山を抜けてグランムーン、スワ湖畔市……ええいもとの地名で言うぞ、そこから木曽川沿いに下っているところだ。」
「ふうん。まだミナミは遠いな。周囲にモンスターはいないか?」
「見たところいないが……<辺境巡視>のサブ職業にしておくべきだった」
二人がアキバを出発してから随分経った。
ハダノで、クニヒコが呆れるほどに煙草を買い込んだ二人は、ボクスルトの手前から大きく折れ、霊峰フジを掠めるように北上し、かつての中山道の跡に入った。
このような変な経路を辿ったのは、何もたいした理由があってのことではない。
「折角の旅なんだから道々温泉に入ろうぜ、ユウさん」
「そうだな。馬なんて腰を痛める乗り物に乗ってるんだから、年よりは自分の体を労わらないと」
そんな会話があったからである。
自分たちを遠くテイルロードで待つレディ・イースタルが聞けば激怒するであろう勝手な結論を出した二人は、無理に先を急がず、街道筋の温泉をめぐるようにゆっくりと進んでいた。
中山道は温泉の宝庫である。
とはいっても、きちんとした温泉宿など望むべくもない。
かつての日本ならともかく、今のヤマトにおいてこの地域は<鋼尾翼竜>の潜む魔境と化したレッドストーン山地をはじめ、凶暴な魔物の闊歩する危険地帯だ。
軒を連ね、提灯を掲げた宿場町などは「襲ってください」と言っているようなもの。
人々は<緑小鬼>や<蛙人間>の注意を引かないよう、わずかな平地に田畑を作り、しがみつくように暮らしている。
必然、ユウたちの旅は、そうした<大地人>の村々を辿り、時には一握りの金貨、時にはモンスター狩りと引き換えにして温泉を使う、というずいぶんとゆっくりしたものとなった。
「いや、今日も疲れた疲れた」
タオル代わりの布地で顔を拭き、温泉に浸かっているクニヒコはうーん、と伸びをした。
ユウも頷く。
「法師は秋が恋ひしきと 夜雨に濡るる ひとり旅 粗朶焚く煙 うすうすと
なさけにくもる炉のたぎ里」
「それはなんだ?」
「鈴木比呂志という詩人の、温泉を歌った歌だ。この温泉じゃないがね」
クニヒコがへえ、という顔をするのも構わずユウは陶然とした表情で煙草を詰め直した。
二人がいるのは川べりに、地元の<大地人>たちが石を積んで作った簡易的な露天風呂である。
湯、といっても川の水と同じ成分なので、水色は透明だ。
温度は程よく適温。効能なんて何もかかれてはいないが、体の芯に凝っていた疲労が汗と共に溶け出すようだ。
時間は、まだ夕方ではなく午後である。といっても、早朝から働いていた農夫達は、帰宅前の一服の体で、温泉のそこかしこでゆっくりと湯を楽しんでいた。
「布、巻きなおしておけよ」
「あ、こりゃ失礼した」
いつの間にか体に巻いていたタオル代わりの布が完全にはだけていたユウが、あわてて胸を締めなおしたとき、二人の横から声がかかった。
「<冒険者>のお二方。どこからきなすった」
老人である。
長年の農作業のためか、渋紙のように日焼けした細身の体をゆったりと湯に沈め、
片手にはユウのものとやや異なったつくりの細工の入った煙管を握っていた。
「アキバから来ました」
一瞬、仲間と互いに顔を見交わしてから答えた騎士らしい男に対し、
老人はゆっくりとした手つきで煙草に火を近づけながら問いかけた。
「遠いですな。なぜこんな山奥にまで来なさった」
「ミナミまで用事がありましてね」
「これはまた遠くまで。しかし<冒険者>の方々には、一瞬で遠くの町を結ぶ魔法の門があると聞いておりましたが、使わんのですかな」
口ぶりからして<妖精の輪>ではなく、都市間ワープポータルのことだろう。
五大プレイヤータウンから遠く離れた村の老<大地人>にしては博識だ。
「色々ありましてね。今は馬で通ってます」
「わしが子供のころに見た<冒険者>とは随分違うのう。あやつだけが変わり者かと思っておったが」
「あやつ?」
「うむ。ちょっと前にミナミから流れてきたというエルフの<冒険者>じゃよ。
確か、もうすぐここに来るはずじゃ」
老人が言葉を終えたタイミングを見計らったかのように、至極のんびりとした声が3人の頭上から降ってきた。
「やあ村長、こんばんは。今日もいい天気でしたねえ」
「おお、太郎どん。ちょうどよいところに来たわい」
丸い目をくりくりと光らせた少年のようなエルフの男が、驚くユウとクニヒコを見て、
ん?と言うように小首をかしげてそこに立っていた。
◇
エルフとは、長い耳が特徴的な森の民である。
一般的にはヨーロッパの妖精を源流とする空想の種族であり、物語によっては長寿であったり、森を自らの住処とする自然主義的な文化を持っていたりする。
物語のエルフには人間を見下していたり、敵対していたりもする為、人間と融和的なエルフ、というのはいささかの違和感を持って語られる言葉だ。
しかし他はいざしらず、<エルダー・テイル>におけるエルフは、人と融和し、人間世界に遍く広がる種族としてデザインされていた。
そのため、<大地人>の村に、エルフが一緒に暮らしているのは特に目を引く異常ではない。
ユウたちが驚いたのはエルフが住んでいるということではなかった。
「あんたは……<冒険者>か」
「おや、珍しい。あなた方は」
訝しそうなエルフの目が見開かれ、クニヒコが驚いたように呟いた。
エルフのレベルは90。<古来種>ではない一般の<大地人>には存在しない高レベルだ。
「ちょうどよいところに来てくれたのう、太郎どん。
こっちはミナミに行くという<冒険者>だそうな。同じ立場同士、話してやってくれんか」
「ええ、いいですよ」
太郎どんと呼ばれたエルフがほんわりと頷く。
村長と<大地人>たちが話しながら温泉から去り、<冒険者>だけになったところで、3人はのんびりと、自然の湯船に体を預けた。
エルフは鼻歌を歌いながら湯で顔を洗っている。歌は一昔前のポップスのようだったが、スローなテンポとあいまって、どこか異世界の音楽のような不思議な音調に満ちていた。
クニヒコは上せてか、半身を湯から出して堂々たる上体を夕暮れの風にさらし、
ユウはというと、村長たちが出て行った先を、視線だけでも人を殺せそうな目で睨みすえていた。
「あのジジイ、湯から上がるとき、さりげなくわたしのケツを触っていきやがった。
いい年をして小学生みたいなことをしやがって」
ぶつくさと言うユウに、思わず男二人が噴き出す。
その笑いに気を楽にしたのか、エルフは鼻歌を止めてにこやかに二人を見た。
「まあ、気にせんでください。あの村長、周りの村にも助平で有名な人でしてね。
増して私たち<冒険者>の顔は基本的に美形ですから。
私も最初にここで会ったときはいきなり触られて『なんじゃ、男か』と言われました」
「セクハラもいいところだな、いいのかあんな村長……」
ようやく諦めたのか、顔を正面に向けてぼやくユウに、笑い声が重なる。
夏も終わりとはいえ、夕暮れという雰囲気はまだない。
しかし、徐々に涼しくなってきた風と、天空に青い影を投げかける月が、日暮れの到来が近いことを告げていた。
月を見上げたまま、エルフはのんびりと自己紹介を始めた。
「私は<召喚術師>のソロプレイヤー、長谷川と言います。ここの近くの村はずれに住んでいます。
お二人はミナミへ行く、と言われましたが?」
「ええ、友人がいまして。私は<守護戦士>のクニヒコ、こっちは<暗殺者>のユウ。どちらもギルドには入っていませんが、アキバから来ました」
「ほう、それはそれは」
感心したような調子の長谷川に、ユウは思わずたずねた。
「長谷川……さん?すまないがステータス画面ではあなた『しっぽく旨太郎』さんじゃ……」
「そんなふざけた名前、名乗る気になれます?」
「……愚問でした」
苦笑いを返した『しっぽく旨太郎』こと長谷川に、ユウは思わず謝った。
どういうつもりでつけた名前かはわからないが、名前のふざけ具合では、以前会った『黒翼天使☆聖』という<妖術師>といい勝負だ。
こちらも苦笑したクニヒコが言葉を続ける。
「それにしても、あなたこそ何でこんな場所に?こういっては失礼だが、<召喚術師>がソロでこんな危険な地域に住んでいるというのは、何か理由があるのですか?」
「いえ。私はミナミから逃げてきたのです」
肌寒い風が吹き始めた。
あがりましょうか、と逃亡者たるエルフは静かに言った。
2.
ぷうん、と山菜独特の苦味が混じった香りが居間に漂い流れた。
茸と野菜の白和え。
茄子と水菜の酢締。
夏蜜柑と、陳皮。
山菜と山で取れたであろう草蹄鹿の肉を薄くそぎ切りにし、油で焼き上げたステーキ。
茸をふんだんにあしらった澄汁と、茶碗に盛られた白米。
そして、ユウたち日本人には見慣れた素焼きの壷に入った無色透明な酒。
ユウたちは長谷川の家で、隣に住む老婆が作ってくれたという夕食に舌鼓を打っていた。
聞けば、仕事で家を空けがちな長谷川は、家政婦、兼炊事婦として老婆を雇っているのだという。
家も長く空き家だったものを改装したらしく、狭い男の一人所帯にしてはすっきりと整頓されていた。
「まあ、まずは同胞に会えたことに感謝して。乾杯」
率先して杯に口をつけたエルフの青年に続いて、クニヒコとユウも出されたこれも素焼きの杯を唇に流す。
その目がこれ以上なく見開かれたのを見て、長谷川はにこりと笑った。
「これは?!」
「日本酒ですよ。少し歩いたら<醸造職人>がいます」
玄人が飲めば不満な点も出てくるのかもしれないが、
半年近く日本酒を飲まなかったクニヒコとユウにとっては些細なことなどどうでもよかった。
さながら天上の甘露の如く夢中で飲む。
八寸代わりの川魚の昆布締めもなかなかだ。
うまく酒が進むよう、考え抜かれて味をつけられていた。
「私も色々好きなものはありますがね。日本酒があったのは驚いた。
だから、というわけでもないのですが、毎日これが楽しみで仕事をしているようなものでしてね」
ちびちびと、味わうように酒を舐めながら長谷川が言う。
実際に、大量生産も保存も不可能なこの世界で、旨い酒というのはそれだけで貴重だ。
江戸時代、酒飲みたちは新酒が出回る秋を今か今かと待ち望みながら、安酒を舐めていたという。
清酒よりも安価に造られる濁酒や、現代では調味料として使われる味醂も古来は貴重な酒だった。
本来、清酒が最も貴重となる晩夏の時期に、壷ひとつを開けてくれたことに感謝しながら
二人は同じく貴重な酒をゆっくりと味わった。
「しかし、味のない酒ばかりだと思っていましたが、長谷川さんが作り方を教えたのですか?」
「いえ、もともとあったのですよ。我々が知らなかっただけで、一部の<大地人>は手作りの作り方を伝えていたのです。
といっても、ここまで豪勢な料理やうまい日本酒は最近のようですね」
「へえ」
白和えを口に運びながらユウも驚く。
ほのかな胡麻の香りが食欲をそそり、肉汁したたるステーキの濃厚な味を日本酒で流す。
現代では食用に供されることはまずない陳皮(蜜柑の皮)もすばらしい。
農薬の混ざっていない陳皮の自然の苦味が、料理の後味を爽やかに消し去ってくれた。
「一人暮らしなんでね。食べ物に困ることはないので、どんどんおかわりしてください」
あっという間に空になったクニヒコの茶碗に手ずから飯櫃の飯をよそいながら長谷川が言った。
「いやあ、ご馳走様でした。うまかった」
「お粗末さまでした」
クニヒコの礼に長谷川も軽く頭を下げる。
食事が一段落して後、3人は焼酎のような味の蒸留酒を飲みながらゆっくりと座っていた。
部屋の奥では老婆が食器を拭き、片付けている。
ユウとクニヒコの礼に、はにかむように笑った顔が印象的な女性だった。
「さて」
ゆったりと座りなおし、長谷川が二人を見る。
その顔はそれまでと同じく茫洋としていたが、どこか雰囲気が強張ったのをユウは感じた。
「お二人はミナミに行かれるということですが、ミナミの状況はわかっていますか?」
「ある程度は」
こちらもやや硬い表情でクニヒコが頷いた。
それでは、と長谷川が話し始める。
ミナミは現在、<Plant hwyaden>という単一の巨大ギルドに支配されているということ。
元からいた<ハウリング>などの名だたるギルドを併合しただけでなく、<大地人>の国家、神聖皇国ウェストランデとも繋がっており、ミナミはおろか、西日本全体で彼らに逆らえる<冒険者>や<大地人>はほぼ皆無であること。
訪問、あるいはただ単に町に立ち寄っただけの<冒険者>でさえ、有無を言わさずギルドへの加入か、あるいは死かを選ばされること。
ミナミの<大神殿>の所有権は既に<Plant hwyaden>にあり、彼らと敵対し、殺された<冒険者>がどこで復活できるのか、誰も知らないこと。
「わたしももちろん参加を要請されましたがね、逃げましたよ。
こんな世界にまで来て縛られるのはまっぴらだったもので。
強く忠告しますが、もし<Plant hwyaden>に参加する気がないのなら、ミナミには絶対に立ち寄らないほうがいい。
丹波路から西へ抜けるか、サカイから船を使うか、いずれにしてもあの町に入ったら最後です」
そういって話を締めくくると、ぬるくなった酒を静かに呷る。
ユウはアキバで出会った元<ハウリング>の武士であるテイルザーンから、断片的な事情は聞いていたが、実際にミナミで<Plant hwyaden>の発展を見てきた長谷川の言は、有無を言わせない重みをもって
彼女の心に影を落とした。
ふと、笑顔に隠れるように鋭く自分を見つめる長谷川の眼差しに気づく。
その目を見ているうちに彼女は気がついた。
彼は警戒しているのだ。
二人がギルド未所属であることはステータスを見ればわかる。
だが、逃亡者である自分の警戒を解くために、あえてギルドから出ただけではないか?
この二人の<冒険者>がアキバから来たというのは嘘で、実はミナミからの追っ手ではないか?
そう、疑っているのだった。
同じことに気がついたのだろう。クニヒコがごそごそと手を伸ばし、足元に置いた<ダザネックの魔法の鞄>から小さなギルドタグを取り出した。
彼がこの間まで所属していた<黒剣騎士団>の認識票だ。
有名な剣の紋章を見て、ほっと長谷川が息をつく。
「これは……拾い物でなければすごいですね。そういえば、<黒剣騎士団>のクニヒコといえば、大規模戦闘関連サイトでも名前があったような」
「ええ。ついこの間まで所属していましたから。<召喚術師>のしっぽく旨太郎という人のことも聞いたことがあります。<ラダマンテュスの王座>のとき、<D.D.D.>のレギオンにいませんでしたか?」
「ええ。あまり役には立ちませんでしたが」
「もし我々をミナミからの追っ手とお疑いなら、<D.D.D.>の誰かに連絡を取ってみてください。
それで疑いは晴れますよ」
「では、失礼ですが」
片耳を当てて長谷川が目を閉じる。
小声でしばらく誰かと会話した後、目を開けた彼は憂いを解いたのか、晴々とした顔をしていた。
「いや、申し訳ありません。やはり追っ手は怖いもので。不愉快な思いをさせてしまいました」
「いえ、当然だと思います」
ユウが言う。
「それにしてもザントリーフに進軍したゴブリンを強襲した先発部隊にいた人たちだったとは。
驚きました。それにしてもなぜわざわざギルドを抜けてまでミナミへ?」
先ほどと逆の問いかけに、クニヒコが答えた。
友人がミナミで苦境にあること。
<Plant hwyaden>から逃れたその友人は、今ミナミから西のテイルロードという町にいること。
できればギルドごとアキバに連れ帰る、あるいはその算段をする為に西へ向かうことなど。
ふんふんと頷きながら聞いていた長谷川は、口を閉じた目の前の<守護戦士>に申し訳なさそうに言った。
「事情はわかりましたが、<黒剣騎士団>ごと向かっているならともかく、二人だけだとまず無理ですよ。
相手は<大災害>当時のミナミ周辺の<冒険者>のほぼ全員です。
私の知る限り、彼らの手を逃れて脱出できた<冒険者>は、彼らがまだ町を完全に支配下に置く前に逃げたプレイヤーだけです。私自身を含めてね。
私がここに来てから数ヶ月、今の<Plant hwyaden>では……」
言外に無理だろう、という言葉を忍ばせ、長谷川は手元のグラスを軽く叩きながら顔をしかめた。
チン、チン、という音がストップウォッチのように、静寂の支配した部屋に響く。
いつの間に家事を終えたのか、老婆が心配そうに談笑の止んだ部屋を振り向いた。
「やるしかないんです」
静寂を破ったのはユウだった。
「私たちの考えがうまくいくかどうかはわかりませんが、行ってみないとはじまりませんから」
「まあ、そうですがね……」
長谷川も渋々といった調子で頷く。
彼には、目の前の二人の<冒険者>が成功する想像がどうしてもできなかった。
うまく逃げられればまだよい。
<Plant hwyaden>に共感し、参加することになりでもすれば、すなわちそれは彼の破滅を意味する。
ミナミから逃れる際にすべてのフレンドリストを切った彼にとって、情報は皆無に近い。
もう一度この二人が現れたとき、長谷川にとって彼らが敵でない保証はないのだ。
本来それほど人を疑わない性格の長谷川だったが、数ヶ月の逃亡生活はそうした彼本来の性格を覆い隠すほどに恐怖の日々でもあった。
重い空気を吹き払うように、クニヒコは話題を変えて明るく尋ねた。
「それはそうと、あなたはここで何を?さっき仕事、と仰いましたけど」
「ああ」
愁眉を開いた長谷川は、気分を変えるように深呼吸をした。
「私は地球では大学で助手をやっていましてね。
専門は考古学、もう少し言えば歴史考古学、という分野です。
この世界に来て、われわれ<冒険者>はここが異世界なのか、それともゲームである<エルダー・テイル>の世界なのか、わからない不安に襲われました。
私は自分の得意分野を通じて、その疑問にアプローチしているんですよ」
「ほう……?」
ユウたちが要領を得ない顔で頷くのに焦れてか、長谷川は説明を続けようとし、ふと思い立って言った。
「じゃあ、百聞は一見にしかずということで、明日仕事場を見学しますか?
ご友人も一日くらいなら許してくださるでしょうし」
「ああ、じゃあ、まあ、よければ……」
満足そうに酒を飲む長谷川を見ながら、ユウとクニヒコは目と目を見交わした。
どこかで、夜烏が鳴いている。
◇
「ここです」
足場の悪い岩場をひょいひょいと跳び越し、現れた広場で長谷川は両手を広げた。
だが軽装で山歩きに慣れている長谷川はともかく、ユウとクニヒコは予想以上のアップダウンに荒い息をつき、彼の手の示す先を見ることもできない。
特にひどいのはクニヒコだ。
いくら<冒険者>の体力が底なしとはいえ、金属の全身鎧姿は致命的なまでに山歩きには向いていない。
ことあるごとに谷底へ滑り落ちそうになる体をユウが支えたことも一度や二度ではなかった。
「鎧脱いでくればいいのに」
そういうユウは、軽装の鎧だけをまとった姿だ。
彼女の<上忍の忍び装束>は防御力はそれほどでもないが、着用者の速度を大幅に底上げする。
ゲーム時代は移動や攻撃の速度が底上げされるだけだったが、こちらに来てからは身のこなし全体の速度を常人の数割増しに高めていた。
その身の軽さは、崖でバランスを崩しても危なげなく飛び上がれるほどだ。
「そうはいってもこんな山奥で鎧なしとか、パーティランクの高レベルモンスターに出会ったらおしまいじゃないか」
ようやく疲れが取れたのか、クニヒコが返す。
「ははは、この時期にはめったに出ませんよ。それよりこちらを見てください」
長谷川が示した先には、さして広くもない広場の中央に幕が張られ、何人かの<大地人>が鑿や鋤鍬を手にして忙しそうに立ち働いていた。
農作業ではない。
その独特の空気を、ユウもクニヒコもテレビで見たことがあった。
「これは……発掘現場ですか?」
「ええ」
長谷川が得たりとばかりに頷いた。
働く<大地人>たちに休憩を指示してから、長谷川は二人をちょっとした木立の影に連れて行った。
車座に座り、老婆が持たせてくれたパンと冷製肉のサンドイッチを齧る。
「あの人たちはここの近くの村人です。彼らの通る道を来てもよかったのですが、2時間以上歩くのでね」
「まあ、<大地人>は通れないでしょうね……」
道とは名ばかりの、崖と獣道の複合体を思い出してユウは思わずすっぱいものがこみ上げるのを感じた。
隣では滑落の恐怖を思い出したのか、クニヒコが食欲のうせた顔でサンドイッチを食べている。
高いところが苦ではない二人ですらそうなのだ。
高所恐怖症の<冒険者>であれば、一生のトラウマとなるほどの道だった。
暗い顔の二人を気にもせず、サンドイッチをぱくつきながら長谷川は説明を始めた。
「ここは面白い場所でしてね。
古代―ああ、我々の地球における古代です―ここは古墳だったようです。
被葬者はアキツトベだかアキツヌシだか、ともかく地元の首長だったそうです。
トベとかヌシというのは古代の王に特有の、まあ称号ですね。
で、このあたりにはその彼だか彼女だかを祭る神社があった。
時代は下って中世、神仏習合もあってここには寺も建てられた。
寺は室町時代から戦国時代にかけて、この地方にいた豪族のいわば菩提寺になって栄えたと聞いています。
中世の寺というのはいざというときの軍事拠点も兼ねていましたから、割合記録が残りやすいんです。
江戸時代になってその豪族は主君に従ってここを離れ、その後は寂れていたらしいんですが
我々の住む現代、ある仏教系の新興宗教がここの地所を買い取り、お寺兼修行場みたいなのを建てた。
そういうわけでこの場所は古代以来、色々な建造物が建っていたわけです。」
「へえ……」
歴史に詳しくない二人が適当に相槌を打つのを気にせず、長谷川は腕を振って力説を続ける。
「しかも!ここからが面白いんですが、このあたりの<大地人>に聞いたらひとつの伝承がありました。
神代の時代から下ってアルヴの時代、このあたりには非道な君主がいて、人間やエルフを虐げていたそうなんですが、彼の居城もこのあたりだったと。
しかし、あまりの非道についにユーララの天罰が下り、すさまじい地震が起きて一夜で城は壊滅、その城主は下敷きになって死んだというんですよ。
まあ城主の非道云々は昔話によくある因果応報譚ですから信憑性はないとして、
私がこの場所を発掘してみたところ、地震があったことを示す地層のズレと、私たちがゲーム時代に見たアルヴ時代のアイテム、それらによく似た器物を発見したんです。
面白い話でしょう」
「え、ええ……」
何が面白いのかさっぱりわからなかったが、黙るのも失礼とクニヒコが頷くと
わが意を得たりとばかりに長谷川は頷いた。
「もし、この世界が<エルダー・テイル>のサーバ内世界だとすれば、どんなクエストにも出てこない『地震で埋まった領主の城』なんて代物が実装されていると思いますか?
いえ、そんなヒマなことはしないでしょう。だってアタルヴァ社も仕事なんですから。
こんな場所に無意味なアイテムを置くはずがない」
「でも、<ノウアスフィアの開墾>で新たに実装されたクエストの場所かもしれませんよ」
クニヒコが指摘する。
もし誰も挑んでいないクエストの場所がここであれば、クニヒコたちはまだ見たことのない冒険に挑むことになる。
その期待が、それまでの無気力な表情に少しずつ力を与えていた。
ユウも同じだ。
遺跡発掘にさほど興味はないが、新たなクエストともなればわくわくする気持ちが抑えられない。
だが、そんな彼女らの期待を折るように、長谷川は離れたところで食事する<大地人>の一人を呼んだ。
やってきた作業員は、朴訥な農夫らしい顔を不思議そうにかしげて尋ねる。
「先生、どうしたね?」
「すまないが向こうの小屋の棚の一番上から首飾りを持ってきてくれないか」
「ええよ」
のっそりと答えて取りに行った彼が戻ってきたとき、その手にはユウたち日本人には見慣れた『首飾り』があった。
「これは……」
「……数珠ですか」
作業員の手を覗き込む二人に意気揚々と長谷川が答える。
「ええ。ここのくぼみを見てください。ほとんど薄れて見分けがつきませんが、これは梵字です。
糸も普通の糸ではない。これは見る限り化学繊維です。炭素繊維か何かでしょう。
合成繊維の中でも気候変化に強いですから。
少なくともアルヴの技術にはないものです」
房や飾りは落ちているが、紛れもなくそれは仏教で使う数珠だった。
休憩を終えて働き始めた<大地人>たちを横目に見ながら、しげしげと眺めるユウに長谷川が続ける。
「しかもこの数珠はアルヴの遺構より古代の地層から出てきていました。
ということはアルヴの時代より昔に、この数珠が地面に埋まったことを意味します。
アキバやミナミなど各地にある現代文明の遺跡なら、アタルヴァ社がそういうデザインをした、と取ることも可能ですが、これはとてもそうは思えない!」
長谷川は夢見るように、あるいは天上の神々に誓うかのように空を仰いで吼える。
「私はね。
考古学者である自分がこの世界に来たのは、ある意味で運命だと思っています。
この世界が仮想世界なのか異世界なのか、ここをずっと掘っていけばわかります。
古代の古墳や神社や寺はともかく、ここに道場を建てていた新興宗教とやらは金を持っていたようですから、コンクリートの建物であったはずです。
宗教的に厳しいアタルヴァ社が日本の、それも一新興宗教の建物なんかをデザインするわけがない。
ということは、そうした遺跡が出てくればここは架空の世界でも幻でも妄想でもなく、
実際の世界であるということが証明されるわけです。
まあ、半分はこの数珠のおかげで証明されたようなものですが」
「なるほど」
ユウたちは感心していた。
<エルダー・テイル>にはさまざまなプレイヤーがおり、<大災害>以降はそれぞれがそれぞれの方法でこの世界とは何なのかを模索している。
その中で、「アタルヴァ社が絶対にデザインしていないであろう遺跡を発掘することでこの世界の実在性を証明する」という長谷川の考えは、おそらく他に考えている人間はいないのではないか。
ついゲーム時代から引き継いだ戦闘力や人間関係を基準に考えてしまいがちなプレイヤーの中にあって、長谷川のようにキャラクターとしての自分を考慮せず、自分なりの考えで進むプレイヤーは、
異質ながら好ましいものと二人には捉えられた。
「すごいですね」
これまでのおざなりな相槌ではなく、本当に驚いた感情をあらわにクニヒコが言う。
率直な賛辞に、長谷川はあからさまに照れた姿を見せた。
そして何か言おうとした瞬間、後ろからのんびりとした問いかけが聞こえた。
「先生さんよ、なんか箱を見つけたよ」
「え?ちょ、ちょっと!見せてくれ!むやみに触ったり壊さないでくださいよ」
「いや、なんかガタガタいうとるし壊れそうだで」
「え!?」
3人が立ち上がる。
視線を上げた先には、装飾の施された朽ちかけた木製の箱があった。
周囲の<大地人>たちは、ガタガタと揺れているそれを気味悪そうに遠巻きに見ている。
彼らはその箱が何を収めているものなのか知らなかった。
彼らは死ぬと泡となって肉体は消えていくがゆえに。
その箱―ちょうど大人一人が横になって入るくらいの大きさのその箱は、
一般的に言えば、「棺」と呼ばれるべきものだった。
3.
「みんな!どこでもいい!逃げて離れろ!はやく!」
長谷川が叫び、木に立てかけていた杖をひったくるように手にする。
だが、切迫した声の長谷川を<大地人>たちは困ったように見るばかりだ。
「だけども、先生が掘り出したものは目を離すな、先生が来るまで全部見張ってろというもんだから」
「その指示は今だけ取り下げるから早く!死ぬぞ!」
走り寄りながら長谷川が叫び、<大地人>たちがのろのろと動く。
しかし、そんな彼らをあざ笑うかのように、ゆれていた棺の蓋が爆発したように砕け散る。
ここまでくればユウたちにも分かった。
掘り出された棺の主が、尋常ではない膂力で自らの埋葬された蓋を蹴り飛ばしたのだ。
聞くだけで悪夢を見そうなほどの低い声があたりに響き渡り、
暑い晩夏の昼下がりだったはずなのに、気温が一気に低下したように肌が粟立った。
青白い色の指が棺の縁に手をかける。
ミイラ化したかつての死者が、おぞましいほどに変わり果てた姿を晒そうとしているのだ。
「クニヒコ!」
「おう!<アンカー・ハウル>!」
朗々とした叫びが、目に異様な青い光を宿したミイラに放たれた。
「UUUUOOOOOOOOO」
誰を自らの墓所へ引きずり込もうかと<大地人>たちをねめ回していた視線が、黒衣の騎士を捉えた。
その笑っているかのような顔が、それでも怒りで歪んだようにユウたちには見えた。
「な……89レベル、パーティランク6!?」
ステータス画面を睨んだ長谷川が驚愕の叫びを上げた。
<黄泉返りし悪王テレンティウス>
レベル89。
ランク<パーティ×6>
つまり、89レベルの6人で互角に戦えるというレベル。
ユウのレベルは92、クニヒコは93、長谷川は90。
レベルこそ目の前のミイラより高いが、そもそも3人である。
しかも回復職がいない。
強敵を前にして、自らのポーションと、長谷川が持つ召喚獣の<エレメンタルヒール>のみを頼りに戦わなければならないのだ。
「長谷川さん!何でもいいから召喚!できれば炎系!それとカーバンクルかユニコーン!」
「わ、わかった!」
クニヒコの指示にあわてて長谷川が空中に指を走らせる。
<大災害>以降、まともに戦っていない彼は半ば腰を抜かしながらも、必死で空中のショートカットキーを押す。
そんな彼を追い越したのはクニヒコだ。
ひととびで駆け抜けた相棒を追い、算を乱して逃げ惑う<大地人>に叫ぶ。
「向こうの連中はユウが助ける!あんたらは俺の後ろに!
ぼやぼやすると死ぬぞ!」
GUGAGAGAAGUGAGAGAGA。
おぞましい濁音の笑い声とともに、完全に姿を現したミイラ―<黄泉返りし悪王>が手にした剣を振り上げた。
一閃。
怒涛のような衝撃波を、かろうじて逃げる<大地人>の前に立ったクニヒコは大剣を構えて受け止めた。
「なっ!?」
一撃で、全身鎧のクニヒコのHPが7割近く吹き飛ぶ。
「ははっ!さすがパーティランク!ぬるいぜ!」
うろたえて叫んだ長谷川の眼前で、しかし黒衣の<守護戦士>は楽しそうに笑ってみせた。
その勇壮たる背中は、信じがたい剛撃を受け止めて小揺るぎもしない。
「ボヤボヤすんな!<エレメンタルヒール>!」
その背中に思わず見とれた長谷川に叱咤が飛ぶ。
あわててショートカットを押し、彼の横に出現していたユニコーンがいなないた。
クニヒコのHPがゆっくりとではあるが徐々に青色を取り戻していく。
「<レジリアンス>!さあ、まだまだ!<アンカー・ハウル>!」
自己回復、さらに続けてのタウンティングに悪王がのしのしと歩みを進めた。
アルヴ様式の、かつては壮麗であったろうボロボロの鎧をまとってなお、その威厳はあたりを覆うかのようだ。
しかし、クニヒコは下がらない。
守るべき<大地人>を背にした<守護戦士>は、愛用の<幻想級>の大剣、<黒翼龍の大段平>を構え、近づく雄敵を迎え撃たんと全身に力をこめた。
「<エレメンタルレイ>!」
突如、悪王の横から炎の線が伸びた。
長谷川が契約したサラマンダーによる火属性の攻撃だ。
一般的に、アンデッドは火に弱い。
90レベル召喚術師の一撃は、たとえ格上の相手であっても痛撃を与えるはずだった。
「ダメージが……ほとんどない!?」
長谷川が叫ぶ。その表情は恐慌寸前だ。
ふん、とせせら笑うかのように鼻を鳴らして悪王はへたりこむ<召喚術師>を無視してクニヒコに迫った。
「GUUUUUUUUUUURURUURUUUUUUUUUUUU」
「甘いぜ」
「GU?」
大剣で全身をカバーするように構えながら、クニヒコは目の前のミイラに不敵に笑った。
表情を失った顔から訝しげな声をあげた悪王は一瞬足を止め―そして激痛をつかさどる神経があるはずもないのに、顔を歪めて叫んだ。
「GUAAAAAAAAAAA!!??」
いつの間にか、その鎧の隙間から一本の刃が伸びている。
「<フェイタルアンブッシュ>」
呟くように技の名前を告げた暗殺者が、崩れかけた悪王を背中から蹴って飛び離れた。
クニヒコのそばにいなかった<大地人>たちを逃がし、再び戦場に戻ってきたのだ。
「やはり毒はきかないか……いや、効いてるか?」
到着前に自らの刀、<堕ちたる蛇の牙>にたっぷりと塗りこめたオリジナルの毒、<激痛>の瓶を見下ろしてユウが一人ごちる。
その彼女を悪王が振り向いて追おうとするが、今度はその背中に大剣が振り落ちた。
「<クロス・スラッシュ>!<アーマークラッシュ>!」
十字の二連撃からの強撃が、王のひび割れた鎧を砕いた。
あわてて向き直った悪王に今度はユウの刀が走る。
「山手線通過いたしまーす……<アクセルファング>!」
めまぐるしい速度でユウが悪王の前後を駆け巡る。
かつて多くのプレイヤーが「上下線運行中」「快速列車」「国電○ンチ」と称した連続攻撃が、立て続けに悪王のHPを削っていく。
クニヒコも負けていない。
ユウを追う悪王の目をかいくぐり、<オンスロート>や<タウンティングブロウ>といった攻撃で悪王のヘイトを稼ぐ。
重装備のクニヒコでさえ7割のHPを失った先ほどの攻撃がユウに当たれば即死は免れない。
そして、<黄泉返りし悪王テレンティウス>という目の前のモンスターの情報はかつてのゲームではどこにもなく、彼がいつ先ほどの攻撃をしてくるか誰も知らないのだ。
立て続けのヒールにクニヒコのHPが再び青一色に戻った。
それを見越したかのように、ユウからバッグが投げ渡される。
<魔法の鞄>から鞄ごと放り投げられたそれには、MP回復ポーションがぎっしりと詰まっている。
<黒剣騎士団>の<妖術師>、ジュランたちの餞別だった。
「ありがとう!」
「ヒール絶やすな!クニヒコのHPバーを見ててくれ!」
礼を叫ぶ長谷川にユウの指示が飛ぶ。
もはや悪王は翻弄されるばかりだ。
すばやいユウの攻撃と、重いクニヒコの一撃。
激痛のバッドステータス表示が悪王のHPバーに輝き、その動きを鈍らせる。
しかし、嵐のような攻撃の中で、突如悪王は歯茎を失った歯を歪めた。
悪意に満ちた笑いに取れる、その表情に3人の顔色が変わる。
悪王が両手を広げ、何かに祈るかのように顔を天に向けた。
「まずい!下がれ!」
クニヒコの叫びも間に合えばこそ。
悪王の全身から白い光が輝き、二人の<冒険者>を飲み込んでいた。
実際、アンデッドを目の前で見たら普通の人は戦おうという気にはなれませんよね。




