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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
222/245

165.<援軍>

1.


「すげぇな……」


 ここは嵩山、山麓を見渡す望楼の上。

ギャロットは、山道を長く伸びて進む騎影たちを見下ろして思わず慨嘆した。


「やっぱり<エルダー・テイル>といえば人数集めた大規模戦闘(レイド)よねぇ……」


傍らのヴァネッサも、眼下の無数の人影に、リーダーと同じ口調のため息を出すほかはない。



 華国(チャイナ)の<冒険者>、その過半数を従えるベイシアの決定は絶対的なものだった。

意見を求められれば議論をするが、いったん決まれば各人がそれぞれの義務を果たす。

そのさまは、ひとつの機械が歯車を回し始めたかのようだ。


「これが……華国か」


下を除き見る仲間たちから一歩はなれた場所で、この大地の住人だったジーヨウがぽつりと、そう呟いた。


 ◇


 結局、ベイシアの下した結論は、レンインの策に修正を加えたものだった。

彼は、全<冒険者>の6%に当たるという、働こうとしない人々――レンインが切り捨てるべきとした人々を可能な限り嵩山<大神殿>前に集め、率直に自分たちの意図と情報を開示したのである。

ギャロットたちのもたらした情報や、レンインの部下たちが集めてきた情報、わかる限りすべてだ。

その上で、自分たちが一種の棄民政策を取ろうとしていること、そのための言わば片道切符の義勇兵として、彼らを送ろうとしていることも、他ならぬ――賓客扱いだったギャロットたちも含めた――幹部全員が居並ぶ前で告げたのである。


 当然ながら、反発はすさまじいものだった。

<衛兵>システムのない嵩山らしく、激昂した<妖術師>の呪文も飛んできたほどだ。

だが、ベイシアは怯まなかった。

その気迫に押されてか、聴衆たちは徐々に静まっていき、やがて小さな理解が彼らの中に生まれ出る。


「君たちは、不満や恐怖にこれまで燻っていたことと思う。

なぜ自分たちが追放されねばならないのか、なぜゲームの世界で苦しまねばならないのか――悩んでいる者もいるかもしれない。

中には、私やここにいる幇主たちがこの華国の混乱の元凶でありながら……こうしてのうのうと上に立っていることに嫌悪や憎悪を持つものもいることだろう。

その怒りや憎しみは、ある意味正当だ」


 自分たちの存在意義を否定するかのようなベイシアの言葉に、ギャロットたちは思わず目を見開いた。

そんな彼らに振り向くことなく、鎧をまとわない平服姿の彼は、剣をしまって演台から降りていく。


「おい、いいのか、あれ」

「……あれでいいんだ」


異邦人たちの隣にたたずむフーチュンは、尊敬する<侠客>の姿を目に焼き付けるように、じっと見つめている。

誰もが息を呑む中、群集と同じ高さに立ったベイシアは叫んだ。


「恨みがあるなら私を殺せ! 見てのとおりだ、装備も特技も何もない!

君たちの恨みを私で晴らせ!

だが、遠くウェンの大地では、同じ<冒険者>や、普通に生きていたはずの<大地人>が奪われ、殺され、虐げられている!

君たちも華国の侠であるならば! 彼らを助けるために行ってはくれないか!

虫のいい願いだと嘲るならば、その鬱憤を私を殺すことで晴らしてからでいい!」

「おい、本当に殺されるぞ!」


<冒険者>たちに流れる不穏な空気に、マイヤーが叫ぶが、壇上の幇主たちは誰も動かない。

誰もが、自らが王と仰ぐ<冒険者>を見ているだけだ。

やがて。


「……なら、お望みどおりにしてやるよ、侠王」


一人の<暗殺者>が進み出ると、ベイシアはまるで旧友に再会したように顔をほころばせる。


「君は、ジャーシュアだったな? <武当幇>にいた」


その返事に、房のついた二本の虎頭鉤を手にした男は、やや鼻白んだようだった。


「……天下の大侠にお声を掛けていただけるとは光栄だな。だが、俺は許せねえ。

俺たち下っ端の言葉も無視して勝手に正派だ邪派だと殺し合ったと思えば勝手に仲直りして上に居座りやがって。

……しかも、今度は俺たちにアメリカに行って帰ってくるなだと!?

殺されたいなら望みどおり殺してやらあ!! 死ね、ベイシア!!!」


言うや否や、鉤がひらめく。 それは一瞬でベイシアの喉と顔の肉をちぎり取り、彼のHPの3割を奪っていた。

だが、ジャーシュアと呼ばれた<暗殺者>は止まらない。

<デッドリーダンス>、<アサシネイト>であっという間に無防備なベイシアを地に這わせる。


「俺たちを馬鹿にするのも、いい加減にしやがれッ!!」


最後は頭蓋を踏み潰し、ジャーシュアは消えていくベイシアを息を荒げて見つめていた。

しわぶきひとつ聞こえない中――やがて<大神殿>の入り口から声が聞こえる。


「……さあ、次は誰だ!?」



 ◇


「いいのか、止めなくて……」



 ジーヨウが発した声に、こたえる幇主(ギルドマスター)はいない。

眼下は、すでに凄惨な殺人現場と化していた。

加害者は、数百人を越える<冒険者>。 被害者は、たった一人だ。


「かまわん。 ……大侠の指示だ」


ランシャンが抜き身のままの剣を提げ、苦渋に満ちた声で言う。


「だが、あのままじゃ終わらんぞ! 何百回、彼を死なせるんだ!」


 ギャロットも船上刀(カトラス)を抜いたまま叫ぶが、答えはない。

少なくとも彼が数える限りでは、ベイシアは既に30回以上死んでいる。

最初は意を決した何人かの攻撃のみであったが、それは瞬く間に絶え間ない虐殺へと変わった。

象の群れに踏み潰されるようにベイシアは死に――再び<大神殿>から戻ってくる。

そして殺される。


いまや、ベイシアは破れた雑巾のように、一言も言えず殺されるだけだ。


ランシャンやファン大師のような、演台の上にたたずむ幇主たちにも、無論群集の殺意は向かっている。

彼らの元に暴徒が殺到しないのはひとえに<夏>の<冒険者>による衛兵たちが彼らを守っているからだった。

無防備なベイシアは殺せても、<幻想>級や<秘宝>級の武具で身を固めた幇主たちは殺せない、と全員が思っているのだ。

だが、その分――ベイシアに与えられる暴力は、陰惨なものとなった。

首をはねられる。

目を抉られる。

手足を数人がかりで引きちぎられ、達磨のように転がされてはサッカーボールのように蹴り飛ばされる。

盾で潰され、斧で割られ、棍棒で原型をとどめなくなるほどに毀たれる。

およそ、人が人に与えることのできるあらゆる暴力が、ベイシアという一人の人間に対し向けられていた。

それでも幇主たちは動かない。


「……大侠は、本来われらに与えられるべき報復を――一人で受けておられるのです」


ファンの陰鬱な声の横で、思わず顔を背ける影がある。 レンインだ。


「レンイン!! よく見なさい!!」


静かに、だが万乗の怒りをこめてそれを叱咤したのはもう一人の王、メイファだった。


「あなたは、ユウを身代わりにしてあの暴力から逃れた! そして今は、大侠を身代わりにして逃れている!

あなたが彼を見続けるのは義務よ! あの姿を見続けることのできない者は、ベイシアに暴力を振るう男たち以上に、この華国にも、セルデシアにも必要ないわ! 見なさい! ……見ろ!!!」


二十歳にもなるかならぬかの少女には余りに過酷なその叱責に、だがレンインは頬を張られたように顔を戻した。

今にも号泣しそうな彼女に、口調を僅かに柔らかく変えてメイファは言う。


「あなたがあの場にいないのは、あなたが女性だからという理由だからでしかないわ。

だけどね。 レンイン……私たちも同罪なの。

あなたは数ヶ月前、<大地人>も国土も何もかも犠牲にして<冒険者>だけを助ける策を立てた。

だけど、<冒険者(じぶんたち)>のことしか考えなかったのは私たちも同じ。

私たちが争いあう間、モンスターに殺される<大地人>も、虐げられる<冒険者>も考えていなかった。

あなただけが罪人なんじゃない。

ベイシアも含めて、私たち全員が罪人なのよ。

だからベイシアは、ああやって殺され続けているの。

それが……彼らの向かう大地にいる、あの<毒巧手(どくつかい)>への私たちの謝罪でもある」

「私たちみんなの……罪」


レンインの呟きに、メイファは「それに、見なさい」と毒針でかなたを指差した。

殺戮に狂奔する一部の<冒険者>たちの後ろ、広場の奥では、より多くの<冒険者>たちが惨殺劇をじっと見守っている。

6%の<冒険者>の過半数、そしてその他の――普通に<夏>に従っている――<冒険者>や<大地人>たちだ。

静かな沈黙とともに立ち尽くしている男女を見ながら、メイファは小さく目を伏せた。


「ベイシアをいたぶっていない彼らにも、<(わたしたち)>への不満はある。

でも……彼らも考えているの。 だからああして、止めることも殺しに参加することもせずにいるのよ」


 その時、本当の意味でレンインはこの世界の自分たちについて把握したと言っていいだろう。

同時に、自分たちがどれだけ薄い膜の上で『幇主(ギルドマスター)』を名乗っているのかも。

この世界で人を率い、組織を統治する者として、初めてレンインはそれに気がついた。


ヤマトで、レンインから見ればとんとん拍子に治安を回復させたであろう日本の<冒険者>たち。

彼らを率いる人々も、こうした恐れと日々戦っているのだろうか。

終わることのない虐殺を見ながらも、レンインはじっと奥歯を噛み締めていた。




2.


「もう……やめようぜ」


 殺戮は、始まったときと同様、波が引くような唐突さで終わった。

轢死体のような酸鼻な姿で横たわるベイシアに剣を振り下ろそうとした腕を、別の腕が止める。

後ろの群集からも、徐々にざわめく声が聞こえている。

そのほとんどは「それくらいにしろ」というものだった。


「だがよ! せめてこいつをもう少し痛めつけないと、気がすまねえ!」

「もう十分痛めつけただろう」


振りほどこうとする男――最初にベイシアを殺したジャーシュアだった――に、止めた男が静かに言う。

激昂して、今度は虎頭鉤を目の前の男に向けようとしたジャーシュアは、後ろから止めた別の腕を忌々しげに睨み――自分がベイシアに武器を向ける最後の男だったことに気づくや、鼻を鳴らして腕を下ろした。

そして、自分たちを見下ろす幇主たちに叫ぶ。


「……で、王を生贄にしたお前らは、そこでのうのうと見物かよ」

「王の痛みはわれらの痛みだ」


立っている<嵩山派>幇主、ランシャンが返す。

彼が毒――メイファ特製の<激痛>の邪毒を呷っていることに、果たして何人が気づいたか。


「すまぬが、すべては華国のため、セルデシアのため、ウェンの大地の人々のためと割り切って、どうか赴いてはくれぬだろうか」


そのランシャンの深々とした礼に、今度はその男が呆気に取られる番だった。


「ふうん。<嵩山派>に居た頃もいけすかねえ奴だと思っていたがね。

どの面提げてそんな美辞麗句をほざくんだか。

まあ、いいや。 気が済んじゃいねえが、チャラにしてやる。

このクソ忌々しい華国から出て行けというなら、そうしてやるさ」

「深謝する」


ジャーシュアの言葉が、いまだざわめきの収まらない彼らを動かす契機だった。


「こんな国なんてどうでもいい。貰えるものを貰ってさっさと出て行こうぜ」


そういう声が上がるかと思えば、


「こんな所に居ても何もできず腐るだけだ。 それより美国(アメリカ)の連中を助けに行こう」


そういう、前向きな叫びも飛び出す。

その場の空気につられてか、無気力だった群衆も、今度は徐々に別の熱気に包まれていく。


「おうし! やるぞ!」

「武林の英雄豪傑がどれほどのものか、ヤンキーどもに見せ付けてやる!」

「……こうなることを、あんたたちは分かっていたのか」


いまや熱狂に包まれた<冒険者>たちを見下ろして、元<教団>のアンディは思わず呟いた。

ランシャンと同じく毒を呷っていたらしい各幇の幇主たちの中、顔色の悪いメイファが苦しそうに微笑む。


「まさか。 そんなことができるなら、毛沢東にでもなっているわ。

……すべては最初から仕込んでいたのよ、筋書き通りにね」


その言葉に、アンディたち7人とレンイン、フーチュンが驚きに目を見開く。


「じ、じゃあ、まさか……」

「そう。 あのジャーシュアも、止めた彼も私たちの部下(サクラ)よ。ほかにも何人も居る」

「でも、あのジャーシュアって人、一番ひどくベイシア王を……」

「肉を(さいな)みて策を成す。 ……苦肉の計という奴ね」


 自らの毒の激痛に苛まれながらも、メイファの微笑が凄艶さを増した。


「彼らはいわば導火線にいつ火がつくかわからない爆弾だわ。

その爆弾の向く先が私たちであれば、この<夏>なんてちっぽけな組織はあっという間に潰れる。

だからああやって、彼らの怒りの方向を変えたのよ。

もちろん……私たちが彼らに償わなければならないというのも本当だわ。 だからこうして、毒を呑んだ」

「メイファさん……」


 リアラの震える声が届く前に、メイファはがくりと崩れ落ちる。

幇主たちの異変に気づいたのだろう、どよめく群集たちに、メイファはそれでも立ち上がった。

駆け寄ったレンインの肩を借りた彼女の声は、死に掛けた人間のそれとは思えないほどに朗々と響いた。


「……皆には言葉に言い尽くせないほど苦しみを掛けてしまった。 ベイシアの率いた正派、私やウォクシンの率いた邪派、いずれに属する侠者でもね。

恨みを忘れろとは、口が裂けてもいえない。 呪ってくれても構わない。

だから……お願いします。 ベイシアの姿と、私たちが毒を呷って苦しんで死ぬことで、僅かに溜飲を下げて、どうかウェンの大地に行ってください」


懇願というより哀願に近いその声に返ったのは、怒りの咆哮でも、戦意に満ちた歓声でもない。

静かな沈黙だ。

その沈黙に僅かに満足そうな笑みを浮かべるメイファに、果たして彼らが身を翻す足音が聞こえたかどうか。

慟哭するレンインの腕の中で泡となって消えたメイファの顔には、最後まであるかなきかの笑みが浮かんでいたのだった。


そして数時間後。


 望楼の上からギャロットたちが見下ろす中、<冒険者>たちは出撃していく。

その数は、数百人にも上るだろうか。

追放を言い渡された人々だけではない。 

自らの意思で、少なからぬ<冒険者>がおそらくは二度と戻ることのない嵩山(ホームタウン)の道を下っていた。

彼らは、ここからいくつかの<妖精の輪>を経由して、ウェンの大地に向かうのだ。

<妖精の輪>はどこに飛ぶか分からない代物だが、ともにプレイヤーの多い米国サーバと中国サーバには、ほとんど直通といってよいほどに繋がった<輪>がいくつか存在する。

とはいえ、そのほとんどは『二つのサーバのどこかに飛ぶ』というだけであり、<輪>の中には、それこそ人里離れたアオルソイのような秘境に飛ばされるものもあるのだが。


援軍として赴く、その最後の男の背をじっと見守るギャロットたちの後ろから、玲瓏な中にもどこか凄みを増した声が掛けられた。


「……彼らに遅れてはなりません。 私たちも行きましょう」


その声はレンインだった。道服の裾を切り詰めたような動きやすい服をまとい、手には巨大な扇を持っている。

その腕に、どうみても<道姑(ソーサラー)>用ではない、無骨な篭手がはめられているのを見て、ヴァネッサが思わず尋ねた。


「その、篭手は?」

「<吸星の篭手>。私の義父の装備です」

「それって……」


彼らも華国に来て、自分たちも知る黒衣の<暗殺者>が深く関与した一連の事件のあらましは聞いている。

その中で、目の前の篭手がどのような陰惨な役割を果たしたかも。

だが、アメリカ人たちの無言の問いに、レンインは決然と告げた。


「この篭手は<道姑>である私には何の役にも立たない、ただの飾りです。

ですが……私はこの篭手とともに行きます。 ウォクシンの代わりに」


思いつめたような、それでいて悲しげなレンインの言葉に、7人は何も返すことはできなかった。

こうして、2週間足らずの彼らの旅は終わりを告げたのだった。



だが、彼らは知らない。


彼らの話題の共通項になったヤマトの<暗殺者>が、この時点から1週間以上も前に不可逆の変貌を遂げていたことなど。

これで華国編は終わりです。

ありがとうございました。

次回はユウに視点を戻します。

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