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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
221/245

164. <華国>

久しぶりのキャラを描いたもので、かなり忘れていました。

1.


 目的は決して、邪なものではなかったと信じている。


 確かに環境は最悪だった。

あのアキバのように、人々は楽しい内輪もめの世界を離れて広く世界を見るべきだった。

正派だの邪派だのといった意味もないレッテルで目隠しをするのではなく、本当の対立軸を見据え、超えていくべきだった。

例え、待ち続けてもやってこない『外敵』の代わりを、誰かが務めてでも。


だが、それは苦しむ人々のことを本当に考えたことなのか。

自分を苦しめ、追い出した華国と元仲間たちへの復讐心がなかったとは言えないだろうか。


古人曰く、理を覚いその道正しからざれば徳無し。


 目的が正しくとも、その行動に邪があれば、それは正しい道ではない。

その言葉を、今のレンインは折に触れてかみ締めている。

だからこそ、自らの体が疲労で崩折れそうになっても、迂遠でも彼女はひたすら過程を重視する。

目的まで最短の道のりは、得てしてその途中に目的そのものを塗り潰す可能性があるがゆえに。


その言葉を悟るに至る為の時間を作ってくれた友が、異国で危難に遭っている。

ならば彼女のとる道は最初から決まっていたと言ってよい。

だが、それにはいくつもの問題がある、と彼女は嵩山へ向かう<(おおとり)>の背で、小さく呟いた。

やや下、後方を飛ぶ別の<鴻>には、ギャロットたち7人が乗っている。

彼女は自らが動いてよかったのかと思いながらも、じっと夕暮れの空を睨んでいた。


 ◇


 ヤマトの<毒使い>、ユウ。


その女性の名前は、いまだに一般の<冒険者>や<大地人>にとっては恐怖と憎悪の対象だ。

噂では<大地人>の母親たちは、いうことを聞かない子供に『<毒使い>が来るよ』と脅して躾けるという。

奪い、殺し、焼く。

彼女の率いた亜人の兵団がもたらした巨大な惨禍は、それだけのものだ。


 だが、レンインは無論のこと、今の<侠者>たちによる<夏>政権を支える幹部たちは、本当の罪人が誰であるかを知っている。

だからこそ、彼らに動いてもらわねばならない。

実際に戦場に出る武林の侠者たちには、あくまで本当の目的を隠したままで、だ。

そうでなければ遠征の目的が歪んでしまう。


 レンインが策を練り、ユウが実行した亜人・モンスターによる華国侵略は、確かにこの大地の<侠者>たちに一体感と仲間意識を植え付けた。

唯一の例外が、当のユウだ。 

もとより彼女が日本人であることもあって、お互い同士では消えた差別意識や憎しみは、ただ彼女一人に今も向けられている。

レンインたち幹部にとっては、数少ない日本人プレイヤーたちの尽力もあって、その憎しみが日本人全体に敷衍しないよう、あえて彼女を唯一の悪として断じざるを得なかった。

すべては華国のために。

そう思えばこそ、レンインもまた、自らの心の傷に岩塩をすり込むような結論に、同意したのだった。


「どうする。 ユウをどうやって助けるんだ」


ふわりと、後ろから毛布がかけられた。

高度数百メートルの上空の寒さは、地上の想像を絶する。

その寒さに対抗するべく毛布には、人肌のぬくもりが強く残っていた。


「わかっているわ、フーチュン」


毛布をかけてくれた信頼する副幇主にして恋人――フーチュンに、レンインはぽつりと返した。

この<鴻>の上には2人のほかに誰もいない。

<黒木崖>の留守を預かったナンベイに代わって、もう一人の仲間であるカシウスは今、アメリカ人たちの監視役として別の<天馬>に乗っている。

夜の闇が迫る華国上空で、今だけはフーチュンとレンインは私人としてのつかの間の逢瀬を味わっていた。


「挙兵そのものは可能かもしれない――少なくとも偵察という名目で一部隊は派遣できると思う。

だけど、アメリカの様子が分からない。

彼らは信用できるとしても、彼らを派遣した人々の真意が分からない」

「体のいい傭兵に使おうとしているとも考えられるな」


フーチュンとレンインはひとつの毛布に丸まって密着しながら、小さく言葉を交わし続けた。


「彼らは本当にユウを知っている。 とはいえ……一般の<侠者>だけを率いていけば、表立って彼女を助けることはできない」

「だからといって私たちだけが行っても援軍にはならないわ。

……必ず、一軍の助けが要る」

「問題は山積だな」


苦笑したフーチュンが荒っぽく恋人の髪をなでた。

幇主と副幇主である普段では、決してできない仕草だ。


「だがまあ、そのあたりは武林の先輩方にも一緒に考えてもらおうじゃないか。

なに、もしベイシアご先輩が駄目だと言えば、俺とカシウスだけで助けにいくさ」


恋人の体温を感じながら、レンインはこくりと頷いた。

そうしたまま目を閉じる。


嵩山につくのは夜になる。 おそらく会議は夜を徹することになるだろう。




2.



「いつもながら厄介ごとを持ち込むわね、レンインお嬢さん」


そういって一行を出迎えたのは、豪奢な漢服(ドレス)をまとった美貌の女侠(冒険者)だった。

髪は戦場に不似合いなほどに高く結い上げられ、端正な顔立ちにはどこか妖艶な微笑を浮かべている。

周囲にはあかあかとかがり火が焚かれ、嵩山が既に非常体制であることを如実に示す中、

レンインはひらりと鴻の背から飛び降りると、目の前の女性に丁寧に腰を折った。


「いつも申し訳ありません、公主。 御自らおいでくださるとは」

「いいのよ、事態(こと)はあの<毒巧手(どくつかい)>についてのことなのでしょう?

同じ<毒巧手>としても、一<冒険者>としても、聞き捨てにできない名前だもの。

さあレンイン、フーチュン。中に入りなさい。 皆さんがお待ちよ」


 そういってひらりと長い袖を翻したのは、メイファという名前の女性だ。

レンインの先代の<日月侠>幇主にして、今は<日月侠>に吸収されたギルド、<五毒>の幇主。

そして夏政権を統べる、二人の王の一人だった。

背を見せた彼女に従うように、フーチュンとレンインが嵩山の中心、<武林論剣堂(カンフードーム)>に入ると、数十の視線がじろりと二人を見据えた。


「来たか」


 短く言ったのは、<日月侠>ら<邪派>と戦い続けたもう一方、<正派>に属するランシャンだった。

逞しい体を道服に包み、腰に細身の剣を下げている。

彼の言葉がきっかけになったわけでもなかろうが、レンインは軽く会釈をすると、自分に与えられた席に着いた。

幇主ではないフーチュンが、その後ろに護衛の騎士よろしく立ち、メイファもまた、円形になっている一座の中央にしとやかに座る。

円卓を埋めた人々の中で、メイファの隣の席が空いていることに気づいたフーチュンが、ふと尋ねた。


「ベイシアご先輩はどこへ?」

「王は少し遅れてくる。議事は先に始めよとの仰せだ」


 答えたランシャンは、不機嫌そうな顔で円卓を一瞥すると、硬い声で話し出した。


「そこの<日月侠>幇主からの念話連絡にあったとおり、我々<夏>の<冒険者>にとっては重くはない、だが看過すべからざる事態が発生した」


全員が軽く頷いたことを確認すると、ランシャンはなおも言う。


「今から半日前、<黒木崖>にたどり着いたウェンの大地(アメリカ)の<冒険者>から、かの地で<教団>と呼ばれる勢力が拡大しつつあることが報告された。

彼らの話によれば、キリスト教を信仰する<冒険者>によって組織されたその集団は、<大地人>をゾンビに変える黒い水を操り、かの地の<大地人>の町を攻め滅ぼしたという。

さらには、かつて<エルダー・テイル>を運営していたアタルヴァ社の本社跡に建つ<盟約の石碑>を私物化し、周囲を自らの土地で固めて要塞化しているらしい。

後者はこの世界においていかなる意味があるのか、我々に分析の材料は与えられていないが、前者が事実だとすればそれはきわめて危険な兆候である。

この世界において危惧され得る、<冒険者>と<大地人>の闘争へと発展しかねない。

そこまでを前置きとし、われら正邪の各幇を率いる諸兄姉の忌憚ないご意見を伺いたい」

「まずは」


そういって手を挙げたのは、つんつんに尖った頭をし、椅子に巨大な剣を立て掛けた大男だった。


「そいつらの証言は事実なのか? 単に自分たちの権力争いに他のサーバを巻き込もうとしているだけじゃねえの?」

「現状では不明というほかはないな」


ランシャンが答える。


「都合よく我々のサーバに連中が生み出したという<敬虔な死者(パイアス・デッドマン)>とやらが来ているわけでもないし、都合よくアメリカから別の<冒険者>が来ているわけでもない。

連中を信じるか否かは、まさしく連中の言葉と手紙だけを頼りにするほかはない」

「なんだ。 じゃあこんなところで俺たちが首をそろえる必要もないだろう、ランシャン」


大男――邪派屈指の戦闘ギルド、<屠龍幇>の幇主は興味が失せたらしく、うんざりと告げた。


「きちんとした証拠が揃ってから……ついでに言えば俺たちの華国にそいつらが来てから対処すべき問題だ。

自分の国のことは自分でケツを拭けと言え」


 その場にいる男女の多くが頷く。 中には明らかに失望している者もいるらしく、話を持ち込んできたレンインを迷惑そうに眺める者もいた。

ランシャンも内心では同意らしく、レンインたちを見る目が鋭く光る。


「実際に華国(こちら)に火の粉がかかる可能性はあるのかな?」


 このままでは議論にならないと感じたのか、手を挙げたのは<紅花会>の幇主だ。

彼の質問に鼻を鳴らしたのは<屠龍幇>幇主だった。


「あるわけねえだろう。 どれだけ距離が離れていると思ってるんだ」

「だが、<妖精の輪>という手段もあるし、ゾンビであれば極端な話、海をひたすら漂流させることも可能だ」

「無意味な仮定ね。 <妖精の輪>は1時間で行き先が変わる。向こうがどれほどゾンビを準備していても、たかが1時間で来られる敵なんて物の数ではないわ」

「普通の移動ならばなおさらだ。 空を飛ぶにせよ海を渡るにせよ、途中で遭難する可能性のほうが高い。そんなものを心配するなら、それこそ『<冒険者>の新発明で世界中のどこにでもワープゲートを作る』なんて方法のほうがまだ現実的というべきだろう」

「そもそも、アメリカ大陸も広い。遠い華国に手を出すより、まだあちらを制圧するほうが優先順位は高いのではないかな」


いずれも正論だ。

発言した者もしない者も、互いに顔を見合わせてため息を見合わせる。

気が早い何人かは、次の予定を繰り上げるように、部下を呼んで耳打ちしているようだった。

そんな中、小さな手がすっと上げられた。


「発言の許可を」


レンインだ。

彼女を見る幇主(ギルドマスター)たちの視線は冷たいものだった。

ここにいる人々の中で、レンインが企てた悪行を知らぬ者はない。

それに、彼女は一度華国を捨てた人間だ。

自分たちが最も苦しかった半年間、他国でぬくぬくと屋敷に籠っていたような人間を、対等な幇主として奉るような間の抜けた人間はいない。


それでもなお、気丈にレンインは立ち上がると、静かに話し始めた。


「諸先輩方のご指摘はもっともです。 私も二つの要因がなければ、そもそも皆さんを嵩山まで呼ぶことは無かったでしょう」


二つの要因がなければ、という言葉に、メイファが面白そうな顔をして手をひらひらとかざした。


「なら、過去はどうあれ今はこの華国最大の幇を率いるあなたを動かした、二つの要因というものを説明してくださるかしら」

「ひとつは、私はすでに調査を行ったということです。

話を聞く前に、私は旗下の<召喚術師(サモナー)>たちに<幻獣憑依(ソウルポゼッション)>させ、米国に向かうと言われていた<妖精の輪>に飛び込ませました。

投入した<召喚術師>は117人。 うち即座に死んだのが27人。出発後報告前に死んだのが35人。

別のサーバに出たものが49人。 残る16人のうち、北米サーバで価値ある情報を得られなかったのが13人です」

「早く言え」


ランシャンが苛々したように促す。

その声をさらりと流して、レンインはどこか養父(ウォクシン)を髣髴とさせる、凄味のある笑みを浮かべて言った。


「残る3人のうち、実際に活動する<敬虔な死者>を見たのが2人。

うち一人は、行商人らしい<大地人>が死んで蘇るところを見たそうです。どこかの港町だそうですが。

そして残る1人は、<盟約の石碑>があった場所を空から見た」


誰もが息をのむ中、レンインの報告は続く。


「そこは、完全に町と化していたそうです。 いや、町というより我々華国の都市にみられるような、城壁を備えた要塞です。

<盟約の石碑>があった場所は建物で覆われ、中を見ることはできなかったとか。

私はこれを非常に懸念すべき事態と思っています」

「……」


メイファですら沈黙を守る中、レンインの声は『隕石が地球に迫ってくる』と発表した科学者のそれに近かった。


「この世界で我々は一応の安定を手に入れました。 ですが、本来我々が目指すべきものは、元の世界――地球への帰還です。

よしんば、この世界のほうが住みやすいのでこちらに永住するというにしても、少なくとも残された家族や友人、社会的な繋がり……そうしたものとの連絡は必須ではないでしょうか。

現時点で、我々に帰還の方法は示されていません。

ですが、手掛かりはあります。

世界で唯一、新パッチが当たったヤマトか、この世界最大の謎であるヒマラヤ――<サンガニカ・クァラ>か。

……あるいはこの世界最初の場所と言われる、<盟約の石碑>か。

それらは、個人や組織の枠を超えて、この世界に流された<冒険者>全員が共有すべき手掛かりです。

一組織――それも、きわめて偏狭なものになりやすい宗教という仕組みで動く組織が独占してよいものではない。

アメリカ人を助けるためではなく、<冒険者>全体の利益のために、<盟約の石碑>を独占する組織は、排除すべきではないでしょうか」

「だがな、実際問題として、我々は気軽に<盟約の石碑>を訪ねられるわけではないのだ。

こことウェンの大地はあまりに遠すぎる。

それに、<盟約の石碑>が地球帰還の手掛かりというのも、牽強付会にすぎん。

何よりも、サーバを超えて遠征に行くとして、その方法はどうする。

相手はどれだけの勢力なのかもわからないのだぞ」


<恒山派>幇主の言葉に付け加えるように、<天地幇>の幇主も言う。

いずれも生産職を多く抱える幇であり、実質的な戦闘力はさほど高くはない。


「今、我らが安寧を保っていられるのも、集った侠者《冒険者》たちが夏王のもと、一糸乱れず統制されているからだ。

他のサーバに遠征すれば、そもそも帰ってこられるかも分からぬ。

そうすれば、その失った戦力が蓋をしていた大小無数の敵どもが我らを脅かし、華国の安寧が破られぬとも限らぬぞ」

「然り」

「その通りだ。 そもそもそのような遠征に誰が参加する」

「まず<日月侠>で参加者を募ってみればよい。 幇主と副幇主以外参加者は零ともならぬかな」


嘲弄交じりの反論を一通り黙って聞き終えると、レンインは笑みを崩さず、


「では、軍を用いねばよい」


と言い放った。


「何を! そもそもアメリカ人どもの願いは、軍の援助であろうが!」

「そうだ! 少数だけを連れて行ってなんになるという!」

「意味がないではないか!」


飛び交う怒号を余裕の笑みで受け流し、レンインは座が静かになるのを待って静かに言った。


「おおよそ6%。 この数字の意味が分かりますか?」

「なんだ、それは」


誰かの不機嫌な問いに、レンインがあからさまにため息をついてみせる。

このあたりの交渉術はウォクシンというよりも、上座で面白そうに見守る年長の友人、メイファ譲りだ。


「我々<夏>の旗幟の元にありながら、生産や戦闘に従事したがらない者の数です。

中にはゲーム時代、名のあるプレイヤーだった者もいます。

彼らは現状において、<夏>にとっては重石に近い存在です。

ですが我々<冒険者>の6%というのは、多すぎる」


何を言っているのか分かったのだろう。ほう、という表情をランシャンと<屠龍幇>の幇主が浮かべた。

一方で論旨を把握できない一人が、戸惑ったように声をかける。


「その議題は今は関係ないのではないか」

「いいえ。関係はあります」


レンインはその彼を一言で切って捨てて続けた。


「彼らは現状の自分たちを取り巻く環境に不満があるから動かないのです。

いわく、戦いが怖い。 いわく、なんで日本人や東南アジア人と仲良くせねばならない。

いわく……なんでゲームだったはずの世界でまで人に指図されて何かをせねばならないのか。

彼らの不満の源泉は、今の我々<夏>です。

……もし、新天地でまったく自由にしてよいと言われたら、少なくともその中の何割かは、嬉々として行くのではないかしら?」

「……棄民、いや、棄兵、ですか」


沈黙を守っていた僧形の侠、<少林派>を束ねる大師ファンが、落ち着いた声音で確認する。

レンインはその言葉に大きくうなずいた。


使えない仲間を、援軍と称して別のサーバに(ほう)り捨ててしまえ。


レンインが提示した策は、一言でいえばそれだけだ。

だが、それではあまりに説明が足りないと感じたのか、レンインは続けた。


「彼らは先ほど<天地幇>のご先輩が言われた『蓋』ではありません。

残しておけば不満は高まり、いずれ爆発するでしょう。

ならば新天地で好きにさせればいい。 その何割かは<教団>か――あるいは他の悪徳ギルドに流れるでしょうが、何割かは異国で自分たちが江湖の侠であることを思い出すことでしょうから」


それはレンイン自身も異国であるヤマトで何度も感じていたことだ。

人は自らが属するコミュニティを離れれば、自分のアイデンティティを見つめなおさざるを得ない。

自分は何者なのか、という問いだ。

日本人だ、中国人だ、アメリカ人だという意識を離れた<冒険者>として華国のプレイヤーが自らを規定するとすれば、それは<江湖の義侠>という言葉に他ならない。

弱きを助け、強きをくじき、悪を憎み、善を賛美する。

その言葉こそ、華国をしてほかのサーバと比べて特異ならしめた、<侠>の文化そのものなのだから。


「もちろん、確実性のある策ではありません。ウェンの大地に華国人の悪名を広めることになる可能性もある。

ですが、皆様の言うとおり所詮は他国、対岸の火事にすぎないとも言えます。

ならば我々の対策も、対岸の火事程度でよいのではないでしょうか」

「ふむ……」


 働かない冒険者(フリーライダー)

治安が改善し豊かになり、誰もが明日を生きるために必死にならなくても良くなったからこそ生まれた疾病だ。

非難するのも弾圧するのも簡単だが、彼らの闇は根深い。

彼らを敵視し、弾圧すれば破れかぶれの反撃に出るし、鎮圧したとしても今度は次の怠け者が現れる。

それらを際限なく淘汰していけば――待っているのは組織の崩壊だ。

世間の非難を浴びる彼らこそが、社会におけるガス抜きの安全弁でもあるからだった。

こいつより俺のほうが社会に役立っている――その醜い優越感こそが、人間に明日への活力を取り戻す覚醒剤でもあるのだから。


 レンインの策は、それらの意識を逆手にとって、しかも誰にも不満をもたらさないものだった。

どのような美辞麗句であっても、働く普通の<冒険者>は、彼らが追放されたとしか見えない。

それは、自分たちの鬱憤を晴らすと同時に、適切に対処した政権への信頼に繋がるだろう。

一方で追放される側も喜ぶ。

どのような形であれ、鬱屈した現在からの解放になりえるし、『ウェンの大地で苦しむ同胞を助けてヒーローになれ』というのは、何とも聞こえのいい建前(スローガン)だ。

自分たちが侮蔑を買っていることをよく知っている彼らはむしろ、その建前を望んで信じるだろう。

自分たち自身に価値があると思いたいがゆえに。


 それでも、戦いや異国そのものを忌避して残る人間もいるかもしれない。

レンインの策の凄味は、そんな彼らのうち、不満を抱いていそうな人間は強制的に連れて行き、

半分以下はそのまま残すというものだったろう。

彼らが全員いなくなってしまえば、今度はどこか別の層が社会の不満をそらす役を担うことになる。

そうすれば、再び問題は復活してしまう。

残しておけば変わらず彼らは侮蔑のはけ口として機能するし、数が――ちらりと裏通りを見ればいる程度に――減ってしまえば、潜在的不満分子としての脅威度は大きく下がる。

活動的な存在――反権力的な動きを見せそうな存在――が減り、おとなしく気力のない羊だけが残るからだった。


「要はこの降ってわいた問題を、我々の内政に利用してしまえばよいのです。

何しろ、相手は来てくれと言っている。

せっかくだから存分に使わせてもらいましょう」

「素晴らしいわね、お嬢さん。 さすが邪派の総帥だわ」


ぱちぱちと気だるげにメイファが拍手したが、応ずるものは誰もいなかった。



 ◇


 一座は白けた顔で、幇主たちはレンインの顔を眺めていた。

効果的だ。

確かにそれは現状において、放り捨てられる人々も含めてもっとも不満の出ない方策だろう。

<夏>の人口の6%のうち、たとえば半数が応じたとしても、大規模戦闘用大隊(レイドレギオン)がいくつも同時に組めるほどの数がいる。

そのさらに半数が<不正規艦隊>に加勢しても、元々<冒険者>の数が少ないかの大地においては、かなりの戦力となるだろうことは明白だった。

事実上の棄民政策、そのだしに使われたと誰かが気付いたとしても、表立ってそれで詰るわけにもいかなくなるはずだ。

実際、詰ってきたところで今の<夏>にとっては何ほどのこともない。


誰もが効果的だと理解しつつも、諸手を挙げて賛成しないのは、ひとえに感情面からだった。


「お嬢さん。 あんたはまだ若いのに……怖い女だな」


<紅花会>の会頭の言葉が、端的に表している。

彼の言葉に、レンインは絶賛を浴びせられたかのように華やかに笑って会釈した。

もちろんのこと――その目は表情とは正反対の色をしている。


「では、決を取ろうか」


彼らの王たるベイシアがおらず、もう一人の王のメイファも黙ったままなのを見て、ランシャンが熱のない声でそう言いかけた時、ふと思い出したように彼はレンインに目を向けた。


「そういえば、要因は二つあるとか言っていたな。ひとつは今の話として、もう一つはなんだ?」

「……それは」


レンインを見ていた全員が目を見張った。

先ほどまでの軍師めいた笑みを一瞬で消し、彼女が苦しげな表情で呻いたからだ。

それは皮肉にも――この会議で最も幼く、年相応の少女に見えた。


「言え」

「……あの大地に、友人がいるからです。 私の罪を被り、断罪を受けてこの華国を去った人間が」

「!!」


事前にレンインから事情を念話で聞いていたメイファ以外の全員が今度こそ驚愕に凍りついた。

この孤高の少女が、『友人』とこの場にあって言える人間は、一人しかいない。

<屠龍幇>の幇主が思わず怒鳴り声を張り上げた。


「あの女か!!」

「ええ。 ヤマトの<毒使い>、この華国に最悪の厄をもたらした<華国最悪の冒険者>です」


レンインの告白に、今度こそ<武林論剣堂>は怒号で満たされる……とはならなかった。

この場にいるのはその全員が大手幇の幇主と、その側近だ。

レンインとユウの関係――その真実を誰もが知っている。


「……あの女は<サンガニカ・クァラ>から降りていないはずだ。ヤンガイジの報告でも、死に戻ったという話はない」

「お嬢さん、あんたの幇にいるカシウスとやらの報告では、その後西へ向かったと聞いたぞ。

なぜ東にいる」

「この世界も丸いからだろう」

「馬鹿な! 『八十日間世界一周』の世界ではないのだ!」

「……彼女は」


レンインが上げた声に、ひそひそとした議論が止む。


「彼女は、本来の目的を捨てていません。『元の世界に戻るために、手掛かりを探す』。

そのために、<盟約の石碑>を求めているのでしょう。

……正直に言えば、この場においてウェンの大地救援が否決されても私は人を募って行くつもりでした。

幇主の地位を誰かに預けてでも。

これは、私個人の思いですが……私は、彼女に大きな借りがある。

ここであなたがたと共に華国のことを考えられるのも、彼女がすべてを被ってくれたおかげです。

もし、遥か遠い異国で、彼女が苦境に陥っていたならば――私は借りを返さなければならない。

それが、ウォクシンやベイシアから、あなたがたから教わった、私の侠の道ですから」

「……『朋友の絆は金石に勝る』ですか。 侠者らしいですね、お嬢さん」


しばらくして、大師ファンが苦笑して頷いた。

<衡山派>幇主も、持ち込んでいた琴をぽろんと鳴らして賛意を示す。


「『義を以て急を救い、理を以て壮行す』だねえ。 あたしはお嬢さんに賛成するね」

「だが、偽りとはいえ華国最大の敵を助けに行くなどと……」


<武当幇>の幇主が苦り切った顔で呻くと、<全真幇>の幇主もまた、道服で顔の汗をぬぐった。


「然り。確かに彼女が悪ではないことは知っているが……」

「なら行くべきさね。 お嬢さんだけじゃない、あたしら全員が彼女に借りがあるんだから」

「借り、とは?」

「正派のあたしらと邪派のあんた。 こうやってのんびり一座で議論できているのは、彼女が敵役を全部引き受けてくれたからだろう。

彼女の苦しみと死を対価として、あたしらはここでのんびり王朝ごっこができるのさ。

そんな彼女を見捨てて、果たして武林の英雄好漢と胸を張って言えるかねえ?」


疑問形の形をとった詰問に、問いかけたある幇主は恥じるように俯いた。

ジリジリと、燈明の明かりだけが薄暗い室内で揺れる。

動かない主たちの代わりに彼らの内心を表現するように、幇主たちの影が壁にゆらゆらと揺れた。


「……なら、決まりだな」


その声は入り口からした。

幇主たちが反射的に起立し、揃って抱拳礼を入ってきた男に向ける。

おう、と抱拳を返した、着崩れた官服姿の男の袖には、この大陸(サーバ)における最高権威者――華王のみが許される五爪の龍の刺繍が、オレンジ色の明かりに見えていた。


「俺たちは王だの幇主だのの前にまず江湖の英雄豪傑だ。

侠を以て任ずる俺たちが、若い侠が『侠の道』とまで言い切った事を助けずしてなんとする?

オレは行くぞ。 なんなら、レンインお嬢のパーティメンバーとしてでもな」


男――ベイシアは男臭い笑みを向け、そう言い放ったのだった。

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