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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
219/245

162. <影の言葉>

1.


「ようこそ、聖域(エリシオン)へ」


 そういって握手を求めてきた女性は、自らをジェニーと名乗った。

どこで仕立てたのか、元の世界のOLのようなぱりっとしたスーツに身を固め、眼鏡をかけたその姿は、彼女の職業である<守護戦士>というよりは、文字通りどこかの企業の社員のようだ。


 カイたちが通されたのは、聖域でもやや奥まった場所にある、小さなビルの二階だ。

元はアキバのような廃ビルであったのだろうが、よほどに念を入れて手入れをしたのか、やや什器が古めかしいことを除けば、どこにでもあるようなオフィスビルに形を変えていた。


「珍しい? 一応私たちも現代のアメリカ人だから、欧州(ヨーロッパ)の貴族風の調度より、こっちのほうが性に合うのよ」


 珍しげに見回していたテングが面白かったのか、小さく笑みを浮かべてジェニーが解説する。

だが、眼鏡の奥の瞳はまったくと言っていいほど笑っていない。

その表情に、やはりここは敵地なのだ、とテングは改めて気合を入れなおした。


「……まずは迎えてくれたことに礼を言う」


 硬い声で返す彼に、ジェニーは軽く肩をすくめて答えた。


マグナリア(ヒューストン)では仲間がお世話になったようだけど、あなた方が私たちの脅威でないことは理解しているわ。

この世界に流された<冒険者>仲間として、私たちもあなた方には同胞意識を持っているもの」


 口調こそ柔らかいが、要は3人が<不正規艦隊>に協力していたこと、<教団>と戦っていたことを知っているぞ、と告げている。

端的にいえば、脅迫だ。

その上で、と彼女は腰を下ろしていた椅子に背を預けた。

ほとんど家具のない殺風景な部屋の天井に吊るされた<魔法の明かり>と思しき蛍光灯によって、彼女の影が小さく揺れる。


「その上で、だけど」


 眼鏡の奥の青色の目が、向かって座った3人の顔を順番に見る。


「あなた方はこの<聖域>に、何の目的を持って来たのかしら?

知っていると思うけど、私たちにも目的があるの。 あまりお互いの邪魔はしたくないわね」


 足を組みなおすジェニーを見ながら、テングはちらりと隣のカイとユウを見た。

ユウはいつものように起きているのか眠っているのか、動きはほとんどない。

カイもまた、ここ最近よくしているように、瞑目するように腕を組み、沈黙を保っている。

見た限りでは、彼もまたジェニーに答えるつもりはないようだった。


テングは思う。

このジェニーという女のところまで連れてきた<盗剣士>もその他の<教団>の面々も、あからさまに腰に下げた3人の武器を奪うことはしなかった。

それだけを見れば、友好的な話し合い――あるいは歓迎のようにも見える。

――だが、これは友好的な雰囲気を演出してはいるが、紛れもなく尋問だ。

下手な態度を取れば、彼らは容赦なく拷問に移行することだろう。

あるいは、拷問をする価値もないと思われれば。


だからこそ、一行で最年少ではあったが、テングは必死に向かい合うジェニーを観察する。

目の動き――揺れはない。 今のところ大人しく自分たちの話を聞くつもりのようだった。

表情にも変わりはない。 息遣いも正常で、見る限り汗もかいていない。

嫌になるほどに余裕綽綽といった風だ。


「どうしたの? 言えないのかしら?」


だが、机ごしに小さく見える彼女の細い指が、ほんのわずか、屈伸している。

それを見たテングは、あえてカマをかけてみることに決めた。


「俺たちはヤマトのプレイヤータウン、アキバを統治する<円卓会議>に属する者だ」


 かすかにジェニーのまぶたが震えた。

その動きは一瞬で収まり、余裕じみた薄い笑みが彼女の口に広がった。


「だから?」

「俺たちは<円卓会議>の指示を受けて海外サーバの調査をしている」


 もう一度。今度は大きく、まぶたがわずかに見開かれる。

その反応に、テングは内心の推測が当たっていたことを確信した。


「……で? 太平洋の向こう側のプレイヤータウンは、何を持ってあなたたちを寄越したのかしらね?

見たところ、まだ若い<暗殺者>に<守護戦士>、そしてそちらのお嬢さんは眠っているようだけど」

「……アキバは去年の6月に秩序を取り戻した。 知っているだろうが、日本サーバでこの<大災害>が起きたのは深夜0時――コアタイムだ。

<エルダー・テイル>をプレイする多くのプレイヤー――サーバでも名を知られたプレイヤーも多くこの世界に流されている」


 自分の質問に答えていないにもかかわらず、ジェニーは黙ったまま何も言わない。

そのことが、彼女の内心を如実にあらわしていた。


「俺たちは『去年の6月から』<冒険者>として秩序を取り戻していた。 クエストをこなし、大規模戦闘(レイド)をクリアし、この世界を探索していた」

「……何が言いたいの?」


場の主導権は握った。

テングは内心でにんまりとしながら、あくまで表情には出さずに続ける。


「この世界で見たことのないモンスター。変わってしまったイベント。ある筈のない特技(・・・・・・・・)

そうしたものを調査し、元の世界に帰るための情報を得るのが、俺たちに与えられた任務だ」

「……アキバは我が<教団>との間に、どんな関係をお望みかしら? 友好? それとも」

「日本は74年前に、他国に過剰に干渉することをやめたんだが、知っているか?」


 今度はテングの番だ。

言葉の中身とは真逆の表情を浮かべ、彼は能面のような顔になったジェニーに向かって言い放った。


「それにアメリカは俺が知る限り、日本の同盟国だったと思う。行きがかり上(・・・・・・)、その一部と争うことがあっても、全体としてアメリカは友人だろう?

ここに来たのも、目的があってのことだ」

「…………」

「……<盟約の石碑>を見せてくれ」


 テングはずばりと言った。

ジェニーは答えない。 いや、口元がごくわずか、動いている。

念話だ。

おそらく彼女の上司だろう。 だが、悠長に相談する暇を与えるつもりは今の彼には無い。


「すまないが、こちらも急いでいる。 サーバ間で通信する方法が無いわけじゃないことくらい、知っているんじゃないか?」


駄目押しの一言に、ジェニーはかすかに全身を震わせた。

サーバ間通信については完全なはったりだったが、彼女の反応を見る限り、本当に無いわけでもないらしい。

テングの『俺たちの後ろ盾はアキバだ』という言外の宣言に、今度はジェニーが俯く番だった。



 ◇



 ジェニーとのやり取りの後、しばらくして彼らは外に連れ出された。

案内に立ってくれた彼女の話では、見学の許可が下りたという。

聞けば、<盟約の石碑>はこのシリコンバレー――<聖域>の中心であり、最も重要な場所とのことだ。

その見学の許可が下りたことで、テング自身も気がついたことがある。


『<教団>もアキバを敵に回すことを望んでいない』ということだ。


実際には――数千人単位の<冒険者>、特にその精鋭はゲーム時代からの大規模戦闘専門職(レイダー)ということに脅威を感じているのかもしれなかった。

<不正規艦隊>を見てもそうだが、このウェンの大地の<冒険者>は思ったより戦いに慣れていない。

それは、マグナリアに攻め込んできた<教団>幹部、リンティアの行動からも推測できることだ。


 おそらくは――<大災害>当時ログインしていたプレイヤー層に問題があると見るべきだった。

早朝から午前という時間帯にログインしていた人々。

それは、寝食を忘れてゲームに没頭していた廃人か、あるいは夜勤明けや休日でゲームをつけていた層か。

日本のような連休ではないアメリカでは、日中の仕事がある人々は当然、仕事をしていたはずだ。

米国の<エルダー・テイル>の多くのプレイヤーもそうだろう。

毎日遊んで暮らせるほど裕福で暇な人間はそう多くないし――彼らの多くは夜型だ。

寝落ちしている間にセルデシアに放り込まれた不運な人間が皆無とは言わないが。


 ウェンの大地が秩序を取り戻す事が出来ないのも、そうした環境によるものだとテングも気づいている。

今彼の目の前を歩くジェニー自身、ギルド名のあるべき場所には何の文字も浮かんでいない。

それは<教団>がギルドではないという意味のほかに、彼らがゲーム時代の繋がりを保てていないことを表しているように思えた。

確かに、ヤマトサーバでも<大災害>をきっかけに、既存のギルドではなく現実世界における宗教的・政治的繋がり――平たく言えば現実における宗教にすがってしまった人々も多くいる。

各地の教祖や幹部が見れば喜ぶだろう事に、現代日本でも有名な宗教団体の旗を掲げて救済を説くようになった人々を、テングも何人も見てきた。

それが顕著になったのがこの<教団>だろう、と彼は考えていた。

欧米人には、キリスト教というひとつの共有する価値観がある。

過去のモルモン教や修道会のように、それが極めて閉鎖的な環境で頼るべき唯一の指針となったとき。


(<教団(ここ)>みたいになるのかもな)


 内心でそう、テングは吐き捨てた。



 ◇


「この向こうよ」


 小さな十字架のかかった家の前で、ジェニーは立ち止まった。


「あんたは行かないのか?」

「私はこの向こうに行くことは許されていない」


 カイの問いかけに、小さく肩をすくめる。


「この向こうにいけるのは、司教以上の立場の人間だけ」

「あいにく、案内人もなしに他人の大事な場所に立ち入るほど失礼になったつもりはない。

あんたが来るか、別の案内人を寄越してもらいたい」

「<教団>も人手不足なのよ。 あなたたちの街(アキバ)のように何千人も<冒険者>がいるわけじゃないわ。

悪いけど、自分たちで入ってもらえないかしら? 

もちろんあなたたちの邪魔をするようなメンバーはいないから」


そう言うジェニーは、本当にもう案内する気が無いようだ。


「ぐずぐずしていると、見学の許可がなくなるけどいいの?」

「……わかった」


 答えたのは、意外なことにユウだった。

それまでの彷徨うような雰囲気を捨て、以前の彼女のようにしっかりとジェニーを見つめて彼女は続けた。


「ここまでの道案内に礼を言う。 では、入らせてもらう」

「おい、ユウ……」

「どうした、来ないのか? 二人とも」


 きびきびと答えるユウの目には、鬼火のような青い光が宿っていた。

突然の変貌に驚きながらも、カイとテングは建物に入る彼女のあとを追う。

そんな3人の背中が扉の向こうに消えるまで、ジェニーは無表情に見つめていた。



 そこは何もない場所だった。

外は何の変哲もない、木造平屋建ての建物のように見えたが、思ったよりも内部は広い。

明かりひとつない暗闇に、テングがあわてて<ダザネックの魔法の鞄>からランタンを取り出そうとする。


 その手をつかんだのは、驚くほどひんやりとした手だ。

思わず叫びかけた彼に、「俺だよ」とユウの声が囁いた。

暗闇の中で、その空色の目の光だけが、文字通り鬼火(ウィスプ)のように揺れている。


「ユウ! 正気に戻ったのか?」


その声はカイのものだ。 だが、闇の中で青い光が左右に揺らめいた。


「悪いが、本物(わたし)はいまだに夢の中だ。 消えていく記憶を必死につなぎとめようと、無駄な努力をしているさ。

あいつの心の中は地獄だ。

本人も、すでに何を守ろうとしていたか覚えちゃいない。

一秒ごとに薄れていく記憶で、もうあいつの頭の中は灰色の渦巻きさ」

「……じゃあ、今俺たちと話しているお前は誰だ」


 敵意をわずかに見せるテングの声に、返事をしたのは小さな笑いだけだった。

答えの代わりの反問が問いかけた<暗殺者>の耳を打つ。


「……お前らはわたし(・・・)の友人のようだが、なんでこうなったか、知っているか?」


 記憶をなくした当の本人に、記憶がなくなった理由を聞かれると言う奇妙な経験に、だがテングはしばし黙想して答える。


「……死にすぎた、とか」

「口伝だな」


 断言したのは隣にいたカイだった。

彼は歩きながら言葉を続ける。


「<D.D.D.>や<西風の旅団>といった大手ギルドの幹部たちが、ゲーム時代になかった技を使っている、という噂はあった。 ……俺も直接見たことはないが、恐らくは事実なのだろう。

もとよりあの<星条旗特急>にせよ、アキバの発明品にせよ、ユウ、あんたの毒にせよ。

既に今のセルデシアには、<エルダー・テイル>時代にはなかったものが溢れている。

俺には見当もつかないが、既存の技を超える技があったとしてもおかしくない。

だが、ゲーム時代になかった技が、何のペナルティもなしに使えるとは思えないが」

「ご名答だ」


 どこまで続くかもわからない闇の中を歩きながら、くすくすとユウの姿をしたものは笑った。


「まあ、正確に言えばどこまでが口伝でどこからがそうでないのかは、当人もわかっちゃいないだろう。

だが、『わたし』がこうなった原因は分かる。 この刀さ」


すらり、と刃が滑る音がして、ぼう、と緑の光が3人の顔を照らし出す。

その禍々しい輝きに、カイとテングは思わず足を止めて見入った。


「本人も気づいてはいなかったが、この刀は素材になった元の刀にはない特徴がある。

斬った相手の魂の欠片――それを『厄』として取り込むんだ。

こいつはちょっと前に華国で、似たような特徴の篭手を持った<冒険者>とやりあったが、そいつは取り込んだ相手の魂に押しつぶされて、自分では動くことも出来ない廃人に成り果てていた。

……今のユウ(わたし)のようにね」


ちゃき、と刀を納めて、再び青色の瞳が動き出す。

つられるように二人の男も奥へと歩き出した。


「この刀はそれに比べればずっとマシだ。 奪い取るのはあくまで魂の欠片でしかないからな。

生前の技や姿を幻として呼び出したりするのが関の山で、自我を根こそぎ奪い取られるようなものじゃない。

……ものじゃなかった。 『あいつ』が来るまではな」

「あいつ?」


 もはやカイもテングも、歩く先にあるであろう<盟約の石碑>のことは頭に残っていない。

今、このユウの姿をした何者かは、重要な秘密を伝えようとしている。

なぜ、ユウだけが廃人のようになってしまったのか、その秘密を。


「そいつは欧州から来た。 何かを追ってな。 だが、そいつはちょっと特殊な奴で、特定の条件でしか現れることが出来ない。

だからそいつはユウを利用したんだ。

わざと殺されて、厄になることで目指すべき敵の元へたどり着けるように。

そいつは、俺のように死んだ時に望んで取り込まれたのでもない。 別の奴のように、ボロボロにされて殺されたわけでもない。

そいつだけは、ユウにとって本当の『厄』だったんだろうぜ。 上に災いって文字がつくような、な」

「……そいつを取り込んだことで、ユウがおかしくなった、ということか?」

「正確に言えば、取り込んだそいつの力を使ってしまったことで、だ。

こいつの口伝――<サモン・ディゼスター>は取り込んだ厄を開放して攻撃に回す特技だ。

使い方次第では、今の俺のように攻撃じゃなくて肉体の操作を任すことも出来る。

……時間制限はあるけどな。

俺たちなら、解放するといっても所詮は負けて死んだ連中だ。

元の能力をそのまま使えるわけでもないし、そもそも出来ない。

だが、そいつだけは別だ。 元から巨大なモンスター、それも生前の力を残した奴だ。

それで一気に口伝の弊害が出た、と言う訳だよ」


 際限なく続く暗闇の中で、テングはぞっとしながら『ユウ』の話を聞いていた。

遠くにかすかに明かりが見える。

暗闇が永遠に続くわけではないことにかすかに安堵しながら、テングは聞きたかった事を聞いた。


「じゃあ、もしその『厄』を追い出すか、その刀を壊したりすれば、ユウは元に戻るのか?」


だが、返ってきたのは無情な言葉だった。


「無理だろうな」


 ご丁寧にもはぁ、とため息つきだ。


「何でだ!? そいつがいなくなれば、ユウの精神を壊す原因もなくなるんだろう?」

「そいつはユウの記憶を『押さえつけてる』わけじゃないぜ。 意図的に消したわけでもないだろう。

単に、こいつ(ユウ)の精神じゃ、俺たちを抱えてさらにそいつを抱え込むことが出来なかったってだけだ。

テング……だったか。 お前はまだ、どこか勘違いをしているようだな。

こいつの精神は、たとえて言えば水を入れた杯みたいなもんだ。

一滴の水なら入る。 ひとさじの湯も入るだろう。 だが、鍋一杯の水は入らない」

「ユウは……元に戻らないのか」

「混ざった水は分けられない。 その水を捨てても、杯が空っぽになるだけさ」


 絶望的な言葉を、やけに明るく『ユウ』は語り――そして、大きくなりつつある光を指差した。


「……さて。 俺もそろそろ限界だ。 戻らせてもらう。

悪いが、その後のこいつの手を引っ張っていってやってくれ。

もう覚えちゃいないだろうが、こいつが最後に行きたがってた場所だ。

そして、多分……こいつの終焉の場所さ」


 不意に青い輝きが消えた。

同時にどさりと音がする。

それが倒れこんだユウの立てた音だと気づいたときには、テングは彼女の体を抱き起こしていた。


「……み、さ、き」


 まるで<敬虔な死者>のように冷たい女<暗殺者>、その小さな唇から、そんな単語がかすかに漏れた。



2.



 ミシシッピ川は、北米大陸最大の流域面積を持つ川である。

ここで古代文明が花開かなかったことが嘘のように、そこは本来、豊穣な大河であった。

だが。


 豊かな清水をたたえているはずのその川は今、どす黒くにごっている。

土砂などの自然災害では、漆黒とすら言えるような色にはならない。

大自然に対し、そのような変異を可能にするのは、いつの時代も人の手によるものだ。

そして、それを元の清らかさに戻そうとするのもまた、いつの時代も人間なのである。


 ユグルタの命を受け、ギャロットたちギルド<ファラリス>の面々と、そしてあの地獄の<クレセントシティ>で彼らに助けられた元<教団>の二人――アンディとリアラの2人は、それぞれの騎馬にまたがり、一路黒い川の上流を目指していた。



「ここか……」


 川に沿う形で転々と連なる、かつてのウェンの大地の原住民たちの遺跡――マウンド。

そこの一つにたどり着いた時のことだった。

まるで基地を守る衛兵のように、マウンドの周りを群れを成して彷徨う<敬虔な死者(パイアス・デッドマン)>の群れ。

<エルダー・テイル>であればどこにでもある、しかしゲーム時代にはあり得なかったモンスターたち。

それが人の悪意の結果だと、その場の7人は理解している。


「じゃあ、行きましょうか」


モンスターたちの屯する、ひときわ大きなマウンドを望み、<森呪遣い>のヴァネッサが好戦的にほほ笑んだ。

手にしたトマホークは、奪い取るべき仮初の命を期待してか、かすかに震えている。

だが、それは全員が同じことだ。

ジーヨウはもっとも信頼を置く<剣の乙女(ソードプリンセス)>を呼び出し、マイヤーは盾と剣を構える。

オズバーンも短槍(スピア)を握りしめ、アンディはギャロットの予備の剣を借りて、燃えるような瞳でかつての仲間たちが作り出した怪物たちを見据えていた。

リアラですら、いつでも呪文を唱えられるよう集中しながら、小さく仲間たちに頷いた。


彼らを率いるギャロットは――<海賊>らしく、ジャケットに三角帽(トリコーン)をあみだに被ったいつもの姿だ。

だが、その目は誰よりも復讐にぎらぎらと輝いていた。

手にした拳銃型弩砲と船上刀(カトラス)は、しっかりとマウンドの頂点に向けられていた。


「ああ。 ……クレセント・シティの仇。 あそこや俺たちの村の<大地人>たちの仇」


 ゆっくりと、穏やかにすら聞こえる声に、仲間たちが一人一人頷く。


「ただ平和に生きていた人たちの仇。 保安騎士長(シェリフ)のルフェブル爺さんの仇。

爺さんの部下たちの仇。 市民たちを守って散ったにもかかわらず、死体すら冒涜された奴らの仇だ。

……俺は許せねえ。

同じアメリカ人が、そんなことをしでかすなんて、絶対にな。

まずはこのマウンドを奪い取る。 ミシシッピを<大地人(にんげん)>の手に取り戻す」


 頷いてつづけたのはマイヤーだ。

いつもは<ファラリス>の副将格として、暴走しがちなギャロットをとどめる参謀を持って任じる彼だが、今は普段の言動も忘れたように、煮えたぎるような怒りを口に乗せる。


「OK。 なら、命令してくれよ、保安執行騎士(コンスタブル)隊長」

「お願いします……俺たちも、絶対に許せない」


マイヤーと、アンディの声に、ギャロットは船上刀を高々と掲げた。


「じゃあ、行こうぜ。 <ファラリス>! ゾンビどもを解放して、飼い主どもをぶちのめす!!

野郎ども(ガイズ)! ロックンロール!!」



 ギャロットが騎乗していた野生馬(ムスタング)の馬腹を蹴り飛ばし、全員は一丸となって飛び出した。

先頭に<海賊>のギャロット、その左右に<施療神官>であるマイヤーとアンディが固め、後ろを<森呪遣い>のヴァネッサと<暗殺者>のオズバーンが支える。

<召喚術師>のジーヨウと<吟遊詩人>のリアラという支援職二人を中央に置いた、楔のような突撃陣形だ。

侵入者に気付いた<敬虔な死者>たちを跳ね飛ばし、踏み潰して、一本の矢のように彼らは走る。


「<リアクティブエリアヒール>!」


柔らかな光が<冒険者>たちの周囲を取り巻く中、先頭のギャロットが弩砲を放つ。

正面で身構えた<敬虔な死者>の頭蓋骨が瞬時に爆発し、倒れこむその死者を踏み潰してなおも、前へ。


「こりゃゴツいぜ」


オズバーンが口笛を吹く。

周囲からわらわらと集まる<敬虔な死者>の数は見る限りで百体以上。

わずか7人で突っ込むのは無謀を通り越す暴挙だ。

だが、彼らは止まらない。 そしてモンスターたちも彼らを止められない。

アンディの剣が、ルフェブルの戦斧(バトルアックス)のようにゾンビの偽りの命を絶つ。

ギャロットの船上刀が縦横に舞う。

上空から降りてきたジーヨウの鳳凰(フェニックス)が前方の怪物たちをなぎ倒す。


老驥伏櫪(しゅんきれきにふすも) 志有千里(こころはせんりにあり)……!」


 ジーヨウが叫んだ。

彼が守れなかった人々のことが、逃げた故国で苦しんでいた人々の顔に重なるのだ。

<冒険者>でありながら、彼は一度苦難から逃げ出した。

苦しむ人々の声に背を向け、自らの安全だけを望んで!!


逃げた先でも、再び彼は助けを求める人々を守れなかった。

二度の過ちは、もはや許せるものではない。だからせめて、三度目は!


烈士暮年(れっしとしくれるとも) 壮心不已(そうしんやまず)! 幻戦娘!!」

「我が心は主と共に」


二振りの剣を翻し、<剣の乙女>、幻戦娘が主君を見上げた。

徒歩で疾駆する馬に併走しながら、召喚獣に過ぎないはずの彼女の目がジーヨウの目と絡み合う。

その目に映るのは、同じ怒り。

だからこそ、ジーヨウはためらいなく命じた。


「行け、幻戦娘! 不甲斐ない主のもとで髀肉の嘆を(かこ)ったお前の力を見せてくれ!」

「承知!」


抱拳は一瞬、幻戦娘はひととびでギャロットの正面に着地すると、両手の剣を水平に構えた。

そのまま殺到する<敬虔な死者>に斬り込む。

踊るように、一切の躊躇なく振るわれる刃は、嘘のように周囲のゾンビを切り倒し、彼女を中心に怪物たちの波が割れた。

古の聖人が海を割ったがごとく、左右に割れた怪物たちの間を7騎が駆け抜ける。

そのまま斜面を駆け上がった彼らの向かう先は、巨大なマウンドの中央に坐する、黒い水を際限なく吐き出し続ける巨大な構造物(モニュメント)だ。

その周囲には、<敬虔な死者>たちとは一線を画す装備の男女が6人、突撃する彼らを見据えている。


「散れ!」


突然ギャロットが叫んだ。

その瞬間には、全員は馬首を返し、矢じりが網となって広がるように散開する。

巨大な扇の要に位置する<海賊>の横を巨大な火球が飛び過ぎた。

<妖術師>の呪文――<オーブ・オブ・ラーヴァ>だ。

マウンドの上部に陣取る<教団>の<冒険者>たちが発射したそれを見送ったのは一瞬、ますます好戦的な笑みがギャロットの野性的な美貌を彩る。


 元来、ギャロットと彼のギルド、<ファラリス>は、<エルダー・テイル>のどこの地域にもいるような零細の<冒険者>ギルドだった。

だが、偶然ながら集まったメンバーがそろって生産より冒険が好きだったこともあって、十人に満たない小規模ながら、踏破したダンジョンはゲーム時代、500を超える。

<大災害>ではかろうじて空中分解を免れた彼らだが、その彼らにしてもこの一年は、数の暴力や変化した世界に対応する為、ゲーム時代の恐れ知らずの行動が嘘に聞こえるほどに逼塞して生きてきた。

だが、それでも本来の彼らはまだ見ぬ冒険、まだ見ぬ強敵との戦いに胸を躍らせる、本当の意味での<冒険者>だ。

町のヒーローになりたいわけではない。 道なき道を突破する、それが自由を掲げるギルド、<ファラリス>なのだった。


そして今、彼らの前にあるのは紛うことなき、未知の冒険だ。

客観的にはきわめて分の悪い賭けに自らの命というチップを載せながら、彼らはあくまで快活だった。



 ◇


「……防げ! 敵はたかが7人に過ぎん!」


 マウンドの上で一人の筋骨たくましい黒人が吼えている。

男の名前はガンマ。 <守護戦士>である彼は、普段聖域で着ているラフなシャツではなく、今は禍々しいデザインの黒い全身鎧を纏っていた。


「ガンマ司教! 今のうちに撤退を」


<教団>の上級幹部――階級で言えばこの作戦の総指揮を任されたトーマスと同格である彼を逃がそうと叫んだ、部下の女性の言葉に、しかしガンマは首を横に振った。


「たかが7人のはぐれ<冒険者>に怯えて俺に逃げろというのか?

貴様の上司のトーマスなら平気で逃げていくだろうがな、あいにくと俺は違う」


鎧と一揃いになっていると思しき真っ黒な大槍をしごいて、ガンマは浅黒い顔に猛々しい笑顔を浮かべた。


「あのトーマスの尻拭いとはふざけた任務もあったものだが、それでも今この場を任されたのは俺だ。

教主の為にも、あの連中くらい撃退してみせる。 撤退はその後だ」


ガンマの目に、馬の鬣に伏せるようにしながら駆けてくる敵の<海賊>が見えた。

その顔の表情が見えるほどに、すでに距離は近い。

<海賊>の手が動いた。

握り締められた黒い物体が、明確に自分を指向する。

同時にガンマも手持ちの拳銃――その形をしただけの手持ち弩砲を敵将に向けた。


発砲は同時。


<冒険者>の正確な手先の動きによって、互いが放った砲弾は空中で偶然にもぶつかり合い、衝撃が両者を揺らす。


「フン」


ガンマは打ち終えた弩砲を投げ捨てると、改めて大槍を男に向けた。

それが、このマウンドを巡る攻防戦の後半の始まりだった。



3.


「貴様がここのリーダーかっ!!」

「語る舌など元より持たんっ!!」


 馬上から振り下ろされた船上刀のきらめきを、黒い大槍がはじき返す。

くるりと回転した槍の石突が狙うのは、<海賊>――ギャロットの脇腹だ。

だがその攻撃は、ギャロットの手綱を放した左拳の殴打によって軌道を逸らされる。

同じ戦士職とはいえ、<守護戦士>の自分の体重を乗せた剛撃をいともたやすく弾いたギャロットに、ガンマの顔が一瞬驚きに揺れた。

だがその一瞬で、ギャロットは一気に強敵の横を駆け抜ける。


「待てっ!!」


振り向いたガンマは、槍の距離から離れたとみるや、躊躇なく自らの槍を投げ放った。

狙い過たず、その穂先はギャロットの愛馬の尻から一気に脳天までを貫き通す。

一瞬で命を絶たれた馬から、ギャロットは振り落とされ――なかった。

馬が倒れこむ一瞬前に、彼は大きく背を蹴って飛び上がると、別の拳銃型弩砲を取り出す。


「吹っ飛べようっ!」


 ユウ――あの異郷から来た<暗殺者>に分けて貰った、秘蔵の爆薬をこめた弾丸だ。

それは際限なく黒い水を噴出し続ける不気味な噴水――それをマウンドの上に置かれた台座ごと吹き飛ばした。

半壊した噴水から、吹き上がる水はそれまでの一本線から徐々にばらばらになり、周囲に小雨のような水滴を振りかける。

その勢いが徐々に弱くなっていくのを見て、ギャロットは着地しざま、ガッツポーズを入れた。


そのころには仲間たちもたどり着く。

一撃で噴水を破壊されたことに思わず動きが止まった<教団>の<冒険者>の隙を、黙って見逃すような人々ではない。


「死ね、悪党(ヴィラン)どもがッ!」


オズバーンの槍に込められた<アサシネイト>が足元をふらつかせた<妖術師>の頭を貫通した。

HPが尽きなかった彼を、既に馬を下りたオズバーンが容赦なく蹴り飛ばす。

離れた場所ではヴァネッサが<武闘家>と渡り合っている。


「チッ! こいつ、<森呪遣い>の癖に……!」

「回復屋だと思って甘く見るんじゃないよっ!」


破れかぶれで突き出された<ライトニングストレート>、その拳をヴァネッサのトマホークが断ち割った。

割られた拳をもう1つの手で庇い、ひるんだその<武闘家>の目に、下馬したヴァネッサの乗馬が見える。


(なぜ、消えていない!?)


一角馬(ユニコーン)! 吹き飛ばせ!!」

「あぐば」


馬ではなく従者の<一角獣>だと気づいた瞬間には、その<武闘家>の腹膜は鋭い角に貫かれていた。



 ◇


「ちぃ!」


 状況は不利だ。

ヴァネッサとオズバーンだけではない。 攻め込んできた<冒険者>たちは個々でも恐ろしく手練れだった。

呻いたガンマは周囲を見回す。

元はあまり前線に出ないトーマスの部下だけあって、今周囲にいる男女はどちらかというと技術者肌の人間が多い。

この世界に着てから多少の戦闘はこなしているが、経験が圧倒的に足りていない。

特に互いが体をぶつけ合うような肉弾戦になってからは、連携どころか麓の<敬虔な死者>たちへの命令すらまともに出来ていないのだ。


(所詮は技術屋かっ!)


 ここでしばらく持ちこたえさえすれば、あとは上ってきた<敬虔な死者>たちに踏み潰させれば終わりだというのに。

焦ってか、帰還呪文を唱えようとして切り倒された一人の<施療神官>を見て、ガンマは忌々しげに唾を吐き捨てた。


(今のところはこれ以上の破壊を止める! その後は……知るか! こんな腰抜けどもを置いたトーマスが悪いのだ!)


重装備とは思えないような走りで打ち捨てられた自らの槍に駆け寄り、手に取ったところで――ガンマは不意に、自分をじっと見ている二対の瞳に気がついた。


「……ガンマ司教、だな」

「ああ、そうだが…………!!」


首から提げた<教団>の十字架で、その男女が味方だと思ったのが彼の失策だった。

どかんと、マウンドの地面を吹き飛ばして踏み込まれた足と、剣の一撃。

それをガンマは正面から受けてしまう。

血を吹いて転がった彼を、見下ろす青年は悲しげに見つめた。


「……よかった。あんたはまだ普通の<冒険者>と同じだ」

「貴様……裏切るか!?」

「先に裏切ったのはあんたたちのほうだ。 何でこんなことをする! 

なんで<大地人>をゾンビにするんだ!!」


青年――アンディが絶叫した。 その後ろでリアラが楽器に指を這わせる。

呪歌で強化された<施療神官>の攻撃を、ごろごろと転がりながらガンマはすんでのところでかわし続ける。


「貴様も<教団>の一員だろうに! 司教の俺に刃を向けるとは!」

「人々を助けない<教団>などいていい存在じゃない!」


背後でなおも噴水に攻撃を続けるギャロットに焦りを感じつつも、続けざまに振り下ろすアンディの剣を、ガンマはジャックナイフの要領で足を跳ね上げて蹴り飛ばした。

たたらを踏むアンディに、ようやく立ち上がったガンマは、しかしいまだに素手だ。

頼みの槍はリアラの背後で転がっている。

悪魔のねじれた角のような肩当で口元の血を拭うと、ガンマは戦況を分析した。


 他の<教団>員の救助はおそらく無理だろう。

敵と武器を打ち合っていない連中にも、頭上の鳳凰が間断なく炎を浴びせかけている。

自らが始終火炎放射器に狙われて、平静を保てる人間は少ない。

何より、自分たちが防御側であり、しかも高地に陣取り敵を事前に発見していたにもかかわらず、ここまで押し込まれるような状況では、とてもではないが戦況を覆せるとは思えない。

かといって、自分ひとりで逃げ出すのも拙い手というべきだった。

この場は何とかなっても、<聖域>に戻った後、自分の地位は大きく失墜していることだろう。


結果としては、この場において少なくとも何人かの敵を倒し、その功で罪を濯ぐほかはない。

その、倒すべき敵は。


「<ダークキス>!! 来い!」


手を掲げてガンマが叫んだ。

その太い腕に呼ばれるように、リアラの後ろで槍が震える。

だが、彼女はそのことに気づくことが出来なかった。


「……か、は……!?」


 突然、リアラが崩れ落ちた。

その細い身体の中央には巨大な穴が開き、とめどなく血が噴出している。

それが、後ろにあった槍が自分を貫いたのだと気づく前に、彼女は痙攣して倒れこんでいた。


「リアラっ!!」


反応起動回復(リアクティブヒール)。彼女にかけられていた回復呪文が、彼女をかろうじて死の淵から引きずり戻すが、内臓を貫通されたことによる痛みとショックは彼女から消えない。

呪歌が途切れ、アンディはこともあろうに彼女の方を振り向いていた。

その決定的な隙を、見逃すようなガンマではない。

それでも、叩きつけられた槍をかろうじて盾で止めたのは、アンディの反射神経が<冒険者>としても優れていたことを示していた。


「すべては<教主>の命だ! それに従えぬなら十字架を外せ!」

「くっ……!」


体格に勝るガンマに押し込まれながらも、アンディの盾がわずかに槍の衝撃を逸らす。

そこで崩れたバランスに、アンディの片足が跳ね上がり、ガンマの向う脛を蹴った。

ほんの少し、ガンマの力が抜ける。

それで自由になった右手の剣をガンマに突き刺しながら、アンディは叫んだ。


「<ホーリーヒット>!」

「ふん!」


ガツン、と言う音とともにアンディの剣から刃が毀れる。

元よりアンディの武器とガンマの鎧では、圧倒的にガンマのほうが上だ。

銅の剣が青銅を破れないように、アンディの斬撃はガンマの身体に届かない。

だが、そこまでもまた、アンディの計算のうちだった。


「<スーズマインド>」


ふわり、と何かがアンディの手から離れた。

ナイフか、と一瞬ながらガンマの視線が追う。

それが敵の視界を一瞬奪う<施療神官>の特技だと、気づいたときには遅かった。


「<ジャッジメントレイ>!」

「ふぐっ・・・・・・っ!?」



白い極光がガンマの視界を灼く。

元より<幻想>級の鎧、<闇の口付け(ダークキス)>を纏った<守護戦士>である彼が沈むような攻撃ではないが、彼はアンディの最大奥義であろうそれの役割が、攻撃ではなく目くらましだと言うことに気がついていた。


「ええいっ!」


白熱した視界の中、勢いに任せて振るった槍が肉を断つ感触を捉える。

90レベルとはいえ、<幻想>級の一撃をまともに受けて無事に済むわけもない。

彼の全身を焼いていた光が途絶え、その向こうには腹から内臓をはみ出させて倒れこむ<施療神官(アンディ)>の姿が見えた。


――それと同時に、自分に向けられた拳銃型弩砲の銃口も。


「うがぁっ!!?」


 今度こそ、ガンマは文字通り打ち倒された。

鉛か何かで出来ているのか、防具に守られていないガンマの額に命中した砲弾はべちゃりと張り付くように歪み――その衝撃を彼の頭蓋に直接叩き込んだのだ。

ばきり、と頭蓋骨が粉砕される音が不吉に響き、彼の目、鼻、口、耳から血潮が飛び出る。

内耳が血で満たされたのか、奇妙に音が遠い感覚を味わいながらも、彼は真っ赤になった視覚でなおも踏みとどまろうとした。

まだ、HPは尽きていない。

自己回復能力を高める特技、<レジリアンス>を用いて、防御に徹すれば……


だが、彼の意に反して、口からはとめどなく鮮血が溢れるだけだ。

立ち上がることも出来ず、ひくひくと痙攣する彼の胸に、何かの衝撃が当たった。

それが自分を撃った<海賊>――ギャロットのブーツだと気づいた彼が怒りを感じるより早く、奇妙に平板な声で<海賊>が問う。


「なあ……なんでこんなことをした? 何か意味があるのか?」

「意味など……俺が考える必要は……ない……」


チッ、という音とともに、べちゃりと何かが顔に当たる。

唾を吐いたギャロットは、文字通り唾棄すべき目の前の<守護戦士>になおも問いかけた。


「お前らは。 自分でやったことの意味も考えずに<クレセントシティ>を滅ぼして。

多くの<大地人>をゾンビに変えたというのか?」

「行動の……意味は。 教主が……ご存知だ。 俺は……考えなくていい」

「……だとさ。 聞いて驚け。 こいつは自分の考えを放棄した、ただのゾンビらしいぜ」

「……<教団>は、そういうものです」


 マイヤーに回復を受けながら、アンディが悔しそうに呟く。

隣では、周囲の<教団>員を殺戮し尽くしたヴァネッサが、心底軽蔑した眼差しでガンマを見ていた。


「こいつ、ガンマだわ。 ゲーム時代じゃ大手の大規模戦闘ギルドを主宰していた奴よ。

まともな判断が出来るプレイヤーだって評判だったけど、こんな奴だったとはね」

「どうやら宗教にはまりすぎた挙句、人民寺院の信徒みたいになっちまったらしいな」


 隣でオズバーンも口笛を吹く。

彼の言う人民寺院とは、かつてアメリカ全土を驚愕で埋め尽くした、あるカルトの名前だ。

教団の内部で乱倫と独裁をした挙句、教祖自ら信徒を巻き込んで集団自殺を遂げた。

信徒たちは、自ら信じる教祖に従い、この世のすべての関係を絶って従容と殉死したという。

何よりも独立と誇りを重んじる一般のアメリカ人にとっては、思い出すのもおぞましい歴史的記憶だった。


「殺すなら……早く殺せ」

「嫌だね」


ガンマの声に、ギャロットはそう言ってブーツで一蹴り、ガンマの体を蹴り飛ばした。

マウンドの斜面からごろごろとその雄偉な体が落ちていく。


「せいぜい苦しんで考えて死ね。 お前が自分で考えることを辞めたせいで、どれだけの人間が望まない死を強制されたかをな。

そんなお前に望んだ死など呉れてやるつもりもない。

だが……そこで自己回復されても困る」


 ドガン、ともう一発。

更なる激痛にガンマは喘ぐが、喘ぐべき肺に風穴を開けられたことに気づき、彼は窒息しかける体で呻いた。


「……きさ、ガッ!」

「特技は使わせんぜ。 自分の血におぼれて死ね。ついでにこれもくれてやる」


続いて、肩に何かが突き刺さる。


「ユウに貰った。 <激痛>の状態異常効果(バッドステータス)がつくんだそうだ。

それで特技も唱えられまい」


既にガンマに答えるすべはない。

元の世界(地球)の自分が頭と胸を粉砕されたときがあるならば、その時をも超えるであろう激痛に、HPが尽きるまでもだえ苦しむだけだ。

その姿にようやく溜飲が下がったのか、ギャロットは再び唾を吐き捨てて弩砲を懐にしまいこんだのだった。



 そうして、黒い水を際限なく吐き出し続ける噴水――その奥にはよく分からない札があったが、彼らは正体を調べるより先にマウンドごと掘り返して吹き飛ばした――を破壊した後、一休みしていた7人の下に来訪者が現れたのは、それからしばらくしてのことだった。

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