158. <海峡突破>(前篇)
1.
<水霊の通り道>
それがセルデシアにおけるパナマ運河の名前だ。
幅は100mもなく、堆積した砂と両岸から伸びる密林の木々が、船の通行を妨げる。
マングローブのような呼吸根は浅い水の中を縦横に伸びており、鱗木に抱かれるように無数の動植物が生存圏を主張する、それはまさしく人跡未踏の森であった。
「操舵、大丈夫か?」
「海草に舵を取られるなよ!」
<マサチューセッツ>を先頭に走る<不正規艦隊>の船の上では、艦長たちの叱咤に応じて船員たちが総出で船の進路を確保していた。
とはいえ、全員をそうした作業に駆り出せるわけではない。
「ギャアアアアアアア」
不気味に鳴き交わす声に、何人かの<妖術師>や弓使いがそれぞれの武器を構える。
飛んできたのは極楽鳥のような、鮮やかな色彩の鳥だ。
だが、小さく可憐な極楽鳥と異なり、やってきた鳥は全長8m近い巨大な翼をはばたかせ、嘴はあたかも牙のようにぎざぎざに尖っていた。
「また来たよ、<極楽鷲>」
誰かがうんざりした声を上げたのを合図に、無数の矢と呪文が極楽鷲の群れに突き刺さる。
珍しい餌を見繕いにやってきた、この中南米・オセアニアサーバ固有の鳥型モンスターは、しばらく口惜しげに頭上を旋回していたが、やがて飛び去って行った。
船の進路に全戦力を傾けられない理由がこれだ。
さすがに<冒険者>のほぼいない地域だけあって、現れるモンスターの数は北米大陸マグナリア近辺とは比較にならない。
各艦に通常以上の<冒険者>を置いているからいいとはいえ、通常の編成のままであれば、運河に侵入して早々、一、二隻は放棄せざるを得なくなっていただろう。
モンスターの波状攻撃。 尽きることを知らないマングローブと海草の水上林。
ここまで厳しいと、本当に運河がかつて同様に太平洋まで打通しているのか、疑いたくなるほどだ。
ユグルタは内心では船をすべて捨てることになっても構わない、とは思っていたが、もちろん好んでではない。
陸上からメキシコを北上するのと、船で沿岸を突っ走るのでは、スピードが雲泥の差だ。
さらに、海兵隊である彼にとっても、<不正規艦隊>の船たちは愛着の湧く存在となっていた。
それは、海軍出身であることのほうが少ない今のメンバーたちにも同様なのだろう。
時に傷を負う船をこまめに直しながら、彼らは今のところ脱落船無く航路を維持している。
極彩色の花々と動物たちが侵入者を見守る中、彼らはようやく最初の関門を突破しようとしていた。
◇
急に船の速度が上がる。
徐々に川は急な上り坂になるのに、船は気にもしないかのように流れる水流を逆走していった。
「これは!?」
「……水精霊の仕業だ。 もうすぐガトゥンを抜けるぞ」
驚く<マサチューセッツ>の艦長に、ユグルタが落ち着いて声をかける。
この奇妙な動きこそ、この場所が<水霊の通り道>と言われる所以だ。
もともとパナマ運河は、中央部の海抜が海面より20メートル以上高い。
それに船を通すため、フランスの技師レセップスは『閘門』と呼ばれるシステムを作り上げた。
それは一言でいえば、船のエレベーターだ。
カリブ海側から侵入した船は、まずガトゥン閘門により海抜26mのガトゥンダムへ運ばれる。
そこを通過したのち、ペドロミゲル、ミラフロレスの2閘門で徐々に海抜を下げながら、太平洋側の出口であるバルボアへと到達するのである。
かつては機械が行っていたその動きを今のセルデシアで代用しているのが水精霊だ。
いつ設置された魔法なのかは分からないが、今でもそれらは稼働し、船を海流とは逆の方向に進ませてくれるのである。
だが。
もうすぐガトゥンダムへ抜けようかというところで、ユグルタは海面にぽかりと浮かぶ人の頭を目ざとく発見した。
水と同じ色の、半透明の人間などいるわけもない。
「総員戦闘配置! 精霊に気をつけろ!!」
ユグルタの命令が手旗で各船にいきわたるよりも早く、艦隊の周囲にぽこりぽこりと精霊が顔を出す。
船上の<冒険者>たちが恐る恐る見守る中、彼女たちは両手を一斉に挙げ、何かに祈るように口を開いた。
その途端、一方通行だった海流が無秩序に暴れだす。
「全船!! 碇を下ろせ!! 流されたら沈むぞ!!」
渦巻き――日本人なら鳴門の大渦を連想したことだろう――があちこちに発生し、木の葉のように揺れる船は、互いがぶつからないように気を付けるのに精いっぱいだ。
もとより航行中で行き足もついている。 ユグルタは、後ろの<ミッドウェイ>が<マサチューセッツ>の船尾に激突しそうになる瞬間を見た。
精霊のきまぐれか、かろうじて<ミッドウェイ>の舳は<マサチューセッツ>を避け――筋肉を膨らませてポージングをする禿頭の男の船首像が艦尾の鐘楼すれすれを、にこやかな笑みとともに掠めていく。
ぞっとしながらも、ユグルタは周囲の<召喚術師>に叫んだ。
「精霊を静めろ! 会話はできんのか!?」
「そんなことより<オーブ・オブ・ラーヴァ>でもぶっ放したらどうです?」
「馬鹿を言え! 精霊に逃げられてみろ、入り口までまっさかさまだぞ!」
そう、彼らは水の坂を超えてはいない。
周囲で暴れまわる精霊がこの運河を維持している精霊と同じものかどうかはさておき、精霊が完全に逃げてしまえば今船を登らせている力も失われる。
そうすれば、<森呪使い>の<コールストーム>や<ヘイルウインド>といった風の呪文、あるいは召喚獣では船をその場に保たせることはできないのだ。
どこかの遊園地のアトラクションのように不規則に動く船の上で、それでも<召喚術師>や<森呪使い>が必死に舷側から語りかける。
水精霊を自分で持っている一部の<召喚術師>は、自らの精霊を水面に放って説得にあたらせていた。
ついに苛立った誰かが空に<ブレイジングライナー>を放ったところでようやく、船は無作為な回転をやめた。
ぽちゃ、ぽちゃ、と水面から精霊の頭が消える。
「……ふう」
その後、ガトゥンダムに入った時点で、各船に供えられたゴミ箱用の樽は、吐瀉物で満杯になっていた。
だが、これが苦難のすべてではない。
まだ、艦隊は道の半ばに入ったばかりなのだ。
2.
乗員たちの疲労を考え、ユグルタは少し早いがガトゥンダム――ガトゥン湖の出口前で、全員に野営を命じた。
かろうじて植物の浸食から免れた砂浜に、船からボートを下ろして船員たちが登っていく。
誰もがふらふらとした足つきなのはご愛嬌だろう。
ユグルタ自身も、地面が揺れるような感覚を味わいつつ陸上に第一歩を踏み出していた。
だが、倒れこむわけにもいかない。
すぐさま、まだ元気のあるメンバーを集めて周囲の索敵を命じ、ほかの面々には疲労度に応じてテントの設営、薪の調達、調理などを命じる。
帆船での船旅は生鮮食料品のない長期旅行だ。
地球における大航海時代の船員ほどではないにせよ、新鮮な食料は得られるときに得たほうがよい。
一通り指示を出し終え、ユグルタ自身も作業に参加しようと腰を上げた時、密林の奥から索敵班のメンバーが飛び出してきた。
「提督!! やばい連中が!!」
「報告は正確に行え……!?」
必死の形相で叫んだメンバーの後ろから、密林を文字通り撃砕し、数匹のモンスターが現れる。
その姿は、一言でいえば、奇怪な仮面をかぶった、全長5mはあろうかという巨人だ。
どことなく中米の古代文明を彷彿とさせるマスクに腰蓑だけをつけ、耳から剣をイヤリングのように垂らし、丸太のような両腕には何に使うのか、シンバルのような円状の金属をつけていた。
<イシュプル・プヴェク> レベル81、パーティランク4。
古代マヤ神話の地獄の獄卒にモチーフを得た、中米独自の巨人族モンスターだ。
それが、八体。
逃げだしてきた仲間を庇って応戦しようにも、先ほどまで揺れる船の上にいた反動で、ほとんどのメンバーは動けない。
(だが、ここで死んでは!)
ユグルタは<名誉ある兵士の鎧>をまといなおし、弓を手に取ると大きく引き絞った。
ヒョウ、と放たれた矢が、正確に一体の<イシュプル・プヴェク>の仮面の隙間に突き刺さる。
「<アトルフィブレイク>!!」
麻痺をもたらす矢を受けた<イシュプル・プヴェク>が倒れこむのを尻目に、ユグルタは大声で周囲を鼓舞した。
「立って戦え! ここで死んでは、どこの大神殿で復活するかわからんぞ!」
この周囲には大神殿を持つプレイヤータウンはない。
だが、ユグルタたちが知らないだけで、人の存在しない廃都や、知られざる町があるかもしれないのだ。
無人ならば、まだよい。
モンスターの巣窟になっていたり――最悪の場合、<教団>やPKの隠れ家になっている可能性もある。
だが、そんな危機感を持ちつつも、<不正規艦隊>のメンバーの動きはいまだに鈍い。
戦意は旺盛でも、攻撃に移れないのだ。
せめてもの抵抗が、障壁や回復呪文で仲間をカバーするだけ、というのが何とも痛々しい。
「畜生!」
怒鳴りながら、ユグルタが動く。
巨大な<イシュプル・プヴェク>の足元に滑り込み、弓をつがえて一矢。
顎を貫く矢を確認すると、弓を捨てて思いきり矢じりを殴り上げる。
べき、と矢が折れる音とともに、<イシュプル・プヴェク>の動きがびくりと止まった。
そのまま腰から短剣を引き抜き、横薙ぎに巨人の腹を薙ぐ。
溢れ出す臓物から一足飛びに離れると、その<イシュプル・プヴェク>は朽木が倒れるように消えていく。
まだ一体。
残り七体を見ながら、ユグルタは船に残ったメンバーに連絡を取った。
◇
「本当にやっていいのか、提督!」
『くどい! さっさとしろ! それともわかりやすく命令しようか? <俺たちの頭の上に糞を垂れろ!>』
浜辺では右往左往する<艦隊>のメンバーが肩を貸しあいながら波打ち際まで走っている。
最後尾、ユグルタと何人かの動けるメンバーが<イシュプル・プヴェク>と斬り合っていた。
その光景を見ながら、<マサチューセッツ>の艦長は自棄気味に命令を発した。
「主砲! 左弩砲戦! 目標の浜辺に艦砲射撃を行う! 総員、戦闘配置!」
船に残ったメンバーが船室に駆け込んで弩砲を取り出し、舷側の出窓から突き出した。
瞬く間にハリネズミのようになった片舷によって偏った重量をうまくさばきつつ、操舵手が船を砂浜と平行に向ける。
面積の問題で、射撃に参加できるのは旗艦<マサチューセッツ>と<ミッドウェイ>、<A・リンカーン>だけだが、三隻は浅瀬に乗り上げるぎりぎりまで船を寄せると、碇を下ろしてその時を待った。
後方の<ミッドウェイ>で片手でサムズアップをする<冒険者>がいる。
水棲緑鬼との戦いで乗艦<ジョンストン>を失った後<ミッドウェイ>の艦長に抜擢された、<妖術師>のエヴァンズだ。
おそらくは、<不正規艦隊>でもトップクラスの船乗りである彼の了解を得て、<マサチューセッツ>艦長は高く上げた手を大きく振り下ろした。
「目標、<イシュプル・プヴェク>! ねらえ……撃て!」
弩砲が放たれる爆音があたりに木霊する。
あまりの音に、周囲の密林から一斉に鳥たちが飛び立ち、猿でもいるのか、ギャアギャアという悲鳴が響いた。
旗艦の発砲に続くように、<ミッドウェイ>、<A・リンカーン>も続けて発砲する。
燃え盛る弩砲は、避難する陸上メンバーの頭上を飛びすぎると、狙い過たずユグルタたちと<イシュプル・プヴェク>の中央に着弾する。
「よし! 船までトライアスロンだぜ!」
武器を収め背中を向ける敵に巨人たちが威嚇の叫びをあげるものの、次々と叩き込まれる砲弾によって追いかけることもかなわない。
走りこむユグルタたちを援護するように連射される弩砲は、早くも3回目の斉射で一体の<イシュプル・プヴェク>をとらえた。
巨人の頭部が仮面ごと一瞬で弾け飛び、HPが即座にゼロの領域へ叩き込まれる。
逃げ惑う巨人たちと一緒に、揚陸していたテントや資材が吹き飛ぶものの、背に腹は代えられない。
やがて、『モンスター相手の艦砲射撃』という前代未聞の戦闘が終わった後、完全に姿を変えた浜辺には、ズタボロの資材だけが残っていた。




