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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
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157. <迎え>

1.


 パナマ運河は、かつて20世紀に作られた、東西わずか100km足らずのパナマ地峡を横断する運河だ。

この運河の開削により、太平洋と大西洋は大陸を周回することなく、最短経路で繋がった。

ガトゥン、ペドロミゲル、ミラフロレスの3つの閘門(こうもん)から成る『水の階段』は、軍事・物流の要衝として、あるいは世界に冠たる奇景として、多くの人々に利益をもたらしてきた。


 人類が科学技術を自らの手から取り落として久しいセルデシア――<エルダー・テイル>の世界でも、この運河は維持されていた。

機械仕掛けの閘門ではなくウンディーネの自動運用によって水を逆流させているのだ。

誰が作り上げたのかは――アタルヴァ社だという身も蓋もない答えを除けば――知られていない。

古代の<召喚術師(サモナー)>や<森呪使い(ドルイド)>らによる、巨大な魔法儀式――アキバの言い方でいえば<大陸級(コンティネンタルクラス)>の魔法だとも言われている。


ともあれ、かつての大運河は、維持する人もいないまま、規則的に両洋を繋ぎ続けていた。

そして、そんな運河のカリブ海側に、数十隻の帆船がやって来たのは、<大災害>が起きて14ヶ月目の、ある朝のことだった。


 ◇


「さすがにでけぇな……」


 <不正規艦隊>遠征艦隊の旗艦たる大型ガレオン、<マサチューセッツ>の甲板上で、ユグルタは思わず呟いた。

セルデシアは<半分の地球(ハーフガイア)>。 その運河なのだから、幅も長さもかつての2分の1になっているはずだが、それでも彼らの船から見ると凄まじく広い河口に見える。

当たり前だ。 元は戦艦ですら通行できるサイズの運河なのだから。

彼の周囲でも、乗組員たちが思わず作業の手を止めて見入っている。

中米特有のうねるような密林にぽっかりと開いた運河の河口は、それほどまでに奇観だった。


「……事前の計画に変更はないな」


ややあって、我に返ったユグルタの問いかけに、<マサチューセッツ>の船長が答える。


「ええ。現時点では問題はありません。 各船に<召喚術師>と<森呪使い>を配しておりますし、何か水がおかしな動きをすれば察知できるようにしています」

「よし」


部下の明快な返答に、ようやくユグルタは頷いた。

彼が片手を挙げると、<マサチューセッツ>から手旗信号があがり、後続の船が次々と応答信号を挙げる。

旗がすべての艦から揚がると、約半数は帆を半開にしてゆるゆると前進し、本来のユグルタの旗艦である大型戦列艦、<ユナイテッド・ステーツ>を含む残り半数は、舵を大きく切って背を向けた。

マグナリアに代わり主錨地となった、中米・ヴェラクルスに戻るのだった。


 これは参謀長の立案によるものだ。

そもそも、カリブ海を縦断し、パナマ運河を通り、太平洋を北上して<聖域>を窺う。

作戦のいずれの海域も彼らにとっては未知であり、無事に帰れる保証はない。

そんな彼らにとり、艦隊のすべてを遠征に用いるというリスクの高い賭けは取れるわけもなかった。

参謀長の案とは、現状では<艦隊>で最も強力な船である旗艦<ユナイテッド・ステーツ>をはじめ、比較的速度の遅く、大型の船を軒並み残していくというものだった。

特に精霊動力を備えた<U.S.(ユナイテッドステーツ)>は、<教団>唯一の海上戦力である<JPJ(ジョンポールジョーンズ)>と正面から殴り合える、おそらくは唯一の船であるだけに、喪失するわけにはいかない。

ユグルタはその案を採り、結果、遠征艦隊は比較的小型高速の船を中心とした15隻となった。

隻数はいささか心もとないが、その分乗員の数を増やし、戦闘力には遜色ない。

特に各船に1人以上配置されている<召喚術師>と<森呪使い>そして<癒し手>の存在は、船の継戦能力を大きく引き上げることを期待されている。


「ようし、全艦、半速前進(ハーフアヘッド)。 ……運河を抜けるぞ」


<冒険者>達を乗せた異世界の船は、恐る恐るという形容詞が適切な速度で、ゆっくりと密林に分け入っていった。




2.


『こちら、遠征艦隊。 ただいまパナマ運河、ガトゥン湖に向けて前進中』

「了解。 ……タイムスケジュールに遅れはない。よろしく頼む」

「中尉。 艦隊は無事運河に到達しましたか」

「ああ。 ……だが、これからだ。 あの運河を通った人間は、おそらく<大災害>以降、<不正規艦隊(われわれ)>が初めてだからな」


 上官が念話を終えたのを見計らって声をかけてきた部下に答えながら、参謀長はゆっくりと周囲を見回した。

あたりは一面の岩石砂漠だ。

時折サボテンらしい影が見えるが、どれだけの酷暑に晒されてきたのかいずれも萎び、枯れている。

彼らは僅かな見張りを残したマグナリアから出て、一路北西へと進んでいた。

国道10号線――テキサスと西部を繋ぐ幹線道路(オート・トレイル)の跡だ。

かつて幌馬車や駅馬車が行きかい、後には自動車が通ったかつての道は、今はアスファルトというのもおこがましい残骸がかろうじて点在する、単なる荒野に過ぎない。


「……もうすぐサンアントニオです。今日はそこで野宿ということになりそうですな」


地図をにらむ部下に参謀長はちらりと笑みを見せ、彼にしては珍しく冗談を叩いた。


「なるほど、サンアントニオ(アラモ)か。奇しくもお前が会議の時に言ったとおりになるかもしれんぞ、コーマック」

「やめてくださいよ」


かつてマグナリア防衛戦の時に、自分たちを決死隊(アラモ)に例えた部下(コーマック)が、恥ずかしそうに答える。

その表情に笑いながら、参謀長は後ろを振り向くと堂々と叫んだ。


「ようし! 全員! サンアントニオ跡で小休止だ! 無理をするな、ゆっくりと行くぞ!」



 ◇


 その日の夜。

参謀長と何人かの幹部たちは、<魔法の明かり(バグズライト)>に照らされた地図に見入っていた。

そこには、記憶にある限りの、アメリカ南西部の道路や<エルダー・テイル>時代のダンジョン、危険な野外ゾーンなどが書き込まれている。

かつてサンアントニオという名前の町であった場所は今は通る人もいない、寂れた廃墟となっていた。

現代風の廃ビルが崩れかけた屍を晒す、その中央にこれも崩れかけた煉瓦造りの砦が残っており、参謀長たちはそこを仮の宿にしているのだった。


「で、このまま進んで問題はないな?」

「ええ。 国道10号線(ルート・テン)がこのまま続いていることは斥候からの報告で確認済です。

明日からは速度を上げますから、おおよそ1週間で目的の場所にたどり着けるでしょう」


一人の言葉に、全員が地図の一点を見た。

単なる砂漠の一角にしか思われないそこには、大きく二重丸が描かれ、英語で地名が表されている。

<Roswell>――ロズウェル、と。

トントン、と指で地名を叩きながら、参謀長は周囲を見回して苦笑した。


「それにしても、<エルダー・テイル>でロズウェルに行くとは思わなかったよ。

……この中にゲーム時代、あそこに行ったことがある者は?」


ぱらぱらと手が挙がる。

その一人が、おずおずと立ち上がった。


「あの場所はゲーム時代、いくつかのイベントの舞台になっていました。

詳細は違いますが、あのゾーンに出てくる敵は基本的に一緒です。機械系――<時計仕掛け(クロックワークス)>です。

確か、2年ほど前のイベントでは、<時計仕掛けの怪物(クロックワーク・ミュータント)>の大量発生があったと記憶しています」

「そうだな。 ……そして今回われわれが目指すのは、それだ」


参謀長の合図に、別の一人が作戦の説明を始める。


「<時計仕掛け>の敵の一部には、きわめて興味深い特徴がある。

それが、『本拠地のスイッチで行動を限定される』というものだ。

イベントによっては操ることも可能だ――そして今回われわれが狙うのも、それだ」

「……うまくいくでしょうか」

「正直、不明だ。 だが、うまくいかなければ撤退する。

元より、リスクの高い作戦だからね。 ただ……相手は何らかの手段で、<大地人>を不死者(アンデッド)に変えて戦力に加えている。

こちらも短期的な戦力倍増要素を加えないと、差は開くばかりだ。

……少なくとも、挑戦する価値は十分にあると思える」

「先に<教団>が手をつけているかも」


誰かのおびえた声に、参謀長はにやりと笑った。


「それはない」

「なぜです?」

「もしロズウェルの<時計仕掛けの怪物>を手駒にできていたならば、我々(マグナリア)に襲い掛かってこないわけがないからさ。

そしてもし、<時計仕掛け>どもが戦力にならずとも、<教団>によって目覚めさせられていたならば。

我々はさっさとその場所を退去して、本来の目的地に向かえばいい」


どちらに転んでも損はない。

そして――注意深く挑めば、<時計仕掛けの怪物>も決して敵ではない。

そう思えばこその、参謀長の言葉だった。



 ◇


「おい、起きろ」


 カイのささやき声に、テングはゆっくりと眠りから浮上した。

何か、とても懐かしい夢を見ていた気がするが、覚醒とともにそれらは砂が零れるように記憶から消えていく。

目を開けたテングが見たのは、満天の星空だった。


遮るもののない北米の荒野の上を、まるで煌くビロードを敷いたような星の海が輝いている。

ふと横目を見れば、少し離れた場所に、体をかき抱くように丸まって眠るユウの姿があった。

まるで砂から掘り出されたばかりの乾燥死体(ミイラ)のように、その肉体は微動だにしない。


テングはいつものようにやるせない気分で道連れ(ユウ)から目を離すと、自分を揺り起こした仲間(カイ)に上体を起こして問いかけた。


「……どうした?」

「何か変だ」

「変?」


そこまで聞いて、テングの五感が普段の鋭さを取り戻す。

動物のいない荒野は無音の世界だ。 

あるのは星の光と暗闇の大地が奏でる、無音の協奏曲だけ。

……そのはずなのに。


「……星が、地平線に、ある!?」


テングが見た西方、そこには天空の同属を圧するほどの巨大な光があった。

心なしかそれは……徐々に大きくなっているようだ。

いや、心なしか、ではない。

確かに、大きくなっている。


 カイとテングはあわてて焚き火を消すと、武装を整えた。

眠るユウを起こそうとして――互いに顔を見合わせ、手を止める。

今の彼女では起こしたところで意味はないし、むしろ動かないでいてくれたほうが守りやすい。

最悪のケースを想定して、いつでも逃げられるように馬に彼女を乗せたとき、光は輪郭を持って彼らの元へ現れた。


それは、カイたちがよく見知った形のものだった。

線路もない荒野に来るはずのないもの。

星条旗を翩翻とはためかせてそれは星夜の中を進み、当たり前のように三人の前で停止する。

蒸気の代わりに、どこか作り物めいた五色の煙が、パイプのように膨らんだ煙突からぽんとたなびいた。


星条旗(ユニオンフラッグ)……特急(エクスプレス)


 かたりと開けられたコンパートメントの入り口、そこからローブらしき衣服をまとった長身の人影が現れる。

その男が奇妙に歪んだ言葉で『むかエに、きマシた』と告げるのを、カイたちは夢の続きのような奇妙な感覚に包まれたまま、黙って見守っていた。

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