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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
213/245

156.  <作戦>

1.


 なにもない。


 楽しかった思い出も、悲しかった思い出も。

悔し涙を流したことも、絶望に途方に暮れたことも。

全身を焦がす怒りも、誰かを助けたときの喜びも。

決意も、寂しさも、愛情も……なにもかも。


何かとても、遠いところを旅していたような気がする。


何かを狂おしいほどに求め、何かに狂おしいほどに焦がれ、それでも歩き続けていた気がする。

時にそれらを忘れたことはあっても、今まではその思いは自分の体の奥底に眠り続けていた。

まるでほんの僅か、誰かが別の生き方という夢を見せてくれたかのように。


 それも、もう無い。

何かを失ってしまったことは理解しても、それが何であるのか、わからない。


唯一思い出すのは、あの遠い浜辺。

夢か現かも分からぬ、青と銀の浜辺だけだ。

あの浜辺で、何かを自分は捨てた――いや、捧げた気がする。


その場所に行けば、何かを思い出せるのだろうか。


そして……その時、自分は自分に戻れるのだろうか。





2.


「ユウ!」


目の前で倒れこんだ女性を、カイは咄嗟に抱きとめた。

改めて彼女の軽さに驚く。

この、武器も装備も傷に塗れた女<暗殺者>は、ここまでも軽かったのか。

いかなる傷も癒し、死んでも五体満足で蘇るのが<冒険者>だ。

そんな彼らにとって傷と(おり)は肉体に蓄積されるのではない。

その魂に、それらは徐々に(よど)み、溜まっていく。

カイやテングも泡沫の夢のように覚えている、あの月の浜辺は、そうした滓を記憶とともに流し、癒される場所ではなかったか。


腕の中で小さな息を吐くユウを見下ろしながら、カイはふと思った。


「カイ……もうユウは旅ができる状態じゃない」

「テング」


後ろから追いついた若い同行者が、かすかに震えたユウの手を握りながら、そう告げた。


 ここは、マグナリアから数日の距離にある、小さな砂漠だ。

本来のユウであれば、早ければ一日で踏破してしまうだろう距離。

それを彼女たちは、1週間近くかかって、まだ抜けられていない。

その事実こそが、ユウがもはや<冒険者>としては機能できないことを、2人に如実に教えていた。


 彼女はもはや、風をも追い越す速度で走ることはできない。

相手の裏をかき、強敵を圧倒することもない。

ただ、よろよろと北へ向かって歩くことだけだ。

まともな会話もできず、自分たちのことも思い出せず――敵か味方か判別することもできない彼女に、それでもカイたちは黙って付き合っていた。


ユウがたとえマグナリアに戻っても、通常の生活はできないだろう。

ならばせめて、行きたかった場所へ連れて行くべきだ。

そして望みをかなえてやるべきだ。 たとえ、その望みすら、彼女が失っていたとしても。


そう思っての、辛い旅路だった。




「……どこかの村に連れて行こう。彼女を眠らせて。そしてヤマトへの<妖精の輪>を見つけて戻すんだ。

……せめて、ヤマトの地で彼女を休ませたい」

「テング……」


 真摯に問いかけるテングの表情は、悲痛だ。

彼にとっては、<大災害>後、恐怖に押しつぶされかけた時に救ってくれた恩人だ。

だからこそ、今はただ休ませてやりたい。

そんな仲間の内心と、カイのそれはまったく同じだ。

これから彼女が向かおうとしているのは<盟約の石碑>。ウェンの大地(アメリカサーバ)に築かれた、かつてのアタルヴァ社の本社の跡地。

そこには今、<教団>と名乗る危険な存在が割拠している。

そんな場所に、戦えないユウが行って、無事に帰ることができるとは思えない。


だが。


何度目になるか分からないテングの懇願に、今度もまた、カイは首を横に振った。


「だめだ」

「何でだよ! あんたもユウの状況は見えるだろう! 彼女は限界だ、戦うどころか、会話すらできていない! 剣を振るうことも、特技を使うこともできないんだ!

こんな状況で、あんたはゾンビを操る<教団>の本拠地に飛び込んで、ユウをどんな目にあわせたいんだ!」

「彼女がまだ、目的地に向かっているから、だ」


テングが「でも!」と叫ぶのを抑えて、カイは眠り始めたユウの瞼をそっと押さえた。


「彼女は確かに失った。戦う能力も、記憶も何もかも……おそらくはな。

だが、彼女は今までどんな目にあっても、目標を達成しないことは無かった。

今もまた、彼女は諦めていない。

ならばそのサポートをするのが俺たちの役目だと、思う」

「……それが目的といえるのか。 行って為すべきことを失っても、それでも行くのが」

「それでも、彼女は行こうとしている」


カイの断言が、テングからこれ以上の言葉を奪う。


 まだ、ユウが記憶を失う前、彼女はぽつりぽつりと、自分のしてきた旅を二人に話していた。

そのいずれでも、彼女は為すべきことを為していた。


 このウェニアの名を冠した大陸で、彼女が為すべきことが<盟約の石碑>の到達であれば、それは果たされねばならない。


無言のままにカイが語るその言葉を、テングはしっかりと理解する。

彼の視線がちらりと、眠るユウの顔に移った。


「……そうだな」


ユウが戦えないなら俺が代わりに戦う。


そう静かに言い切った青年<暗殺者>を、ユウを抱いたままカイはどこか満足そうに見つめていた。




 ◇



 その場所は、戦場と見まがうばかりの喧騒に支配されていた。

いや、事実そこは戦場だった。

<水棲緑鬼>に破壊されたマグナリア・シティ。

篭城時の指揮所だった<大神殿>から程近い貴族の邸宅だ。

主だった貴族は亜人の手で殺され、荒れ果てていたその場所は、今は<冒険者>――<不正規艦隊>の臨時ギルドハウスとなっていた。


「資料まだか!」


どなった一人の<吟遊詩人>に、走りこんできた<盗剣士>が書類を差し出す。

<吟遊詩人>はひったくるようにそれを受け取ると、読みながら傍らの地図にメモを書き出した。

同時に念話をはじめる。 話す相手は、全米各地に散っている<不正規艦隊>の仲間たちだ。


<不正規艦隊>は変わった。


今までのどこか浮ついた雰囲気は影を潜め、きびきびとした言動はさながら野戦展開した部隊の司令部だ。

ユグルタの告白と、裏切者や風紀を乱した者の粛清は、彼らに確実に影響を及ぼしていた。

それも良いほうにだ。

いまや、自分たちを<冒険者>――死んでも蘇る超人と思い込んでいる人間は、少なくともこの司令部の中には居ない。

かつて彼らが経験した、いかなる過酷な戦場にも勝る最前線――そこに取り残された独立部隊。

撤退も、援軍もなく、孤立したまま敵と戦わねばならない、わずか一個大隊に満たない兵士たち。


それが今の彼らだ。


その中央に座し、ユグルタは次々と送られる報告を聞いては指示を与えていた。


「報告します! 海上で<クレセントシティ>からの難民船と<サラトガ>、<ヨークタウン>が遭遇!

護衛任務に付きます」

「よし。残る艦艇は<インディアナ>を旗艦として引き続き偵察に当たれ。上陸部隊の情報は?」

「こちらから報告します」


別の<冒険者>がぴっと敬礼したことに答礼を返し、ユグルタは報告に耳を傾ける。


「生存者はなし。ゾンビどもは街のあちこちにうろついていましたが組織的な抵抗はありません。

ただ……生き残った議員からの報告にあるより数が少ないようです。

街を無作為に出て行ったか、あるいは」

「誰かに指揮されて転進したか、ということだな。 ご苦労だった」

「はっ」


ユグルタの隣に立つ参謀長が注釈を入れ、報告した<冒険者>は敬礼を返すときびすを返した。

その背中を見送りながら、ユグルタが信頼する部下に問いかける。


「……どう思う?」

「十中八九、連中が撤退させたのでしょう。 連中がクレセント・シティを襲った理由は分かりませんが、行き先は分かります」

「ここ、だな」


野生の鮫のような笑みを浮かべてユグルタが笑う。

そこにいるのは以前のように精神的に脆く、泣き言や傲慢さを胸に隠していた「王」ではない。

参謀長はそんな上官に満足そうに笑みを浮かべると、軽く腰をかがめた。


「そこで、提督に承認いただきたい作戦があります」


言って出したのは、4枚の羊皮紙の束だ。

それぞれ『アルファ』『ベータ』『チャーリー』『デルタ』と書かれている。

ちらりと紙束に目をやって、ユグルタが面白そうに笑みを深めた。


「4つもか。艦隊の手に余るのではないか?」

「手に余るならば、余らぬように手を足せばよいのです」


謎めいた言葉に、ユグルタは今度こそははは、と哄笑した。


「そうだな。……我々には手を足せばよい。 1時間くれ。 検討する」



 ◇


 その日の夕方、マグナリアにいる<不正規艦隊>のうち見張りを除く全員、そして<大地人>の主だった人々が町の広場に集められた。

中央にある演台にはかがり火が焚かれ、声がよく通るようにいくつかのアイテムが置かれている。

元々は<シュリーカーエコー>の効果範囲を広げるための設置型アイテム、<木霊の鏡(ミラーオブエコー)>だ。

ざわざわと落ち着かない<大地人>たちとは対照的に、<冒険者>たちは黙々と設置作業を行っている。

海上にある艦隊や、各地のメンバーには念話が繋がり、全員が情報を即座に共有できるようしつらえられていた。

夕日が西へ沈むころ、演台に登ったのはユグルタだ。

彼は目の前に集まった人々を一瞥すると、朗々とした声で話し始めた。


「諸君! まずは参集に礼を言う。 まだ<水棲緑鬼(サファギン)>の襲来によって受けた傷が癒えぬ中、それでも来てくれたことに深く感謝を捧げたい。

その上で、我ら<不正規艦隊>の最後の作戦について、説明をしたいと思い、この場を設けた次第である」


最後の作戦、という言葉にざわめきが広がる。

だが、その声を無視するように、彼は続けて声を張り上げた。


「これより我々、<不正規艦隊(ガルフイレギュラーズ)>は三つの作戦を遂行する!

いずれも困難極まりない作戦だ。 成功は神のみぞ知ると言って良い!

だが、我々は成功せねばならない! そうしなければこの街が、いや――この大陸が混乱に陥る可能性があるからだ!

そのために諸君らの助力を期待したい!」


そこまで言って、ユグルタははあ、と息を吐く。

そして、やや口調を変えて言った。


「諸君らのうちにも知っている者もいるだろうが、今から7日前、東方の盟友たる<クレセント・シティ>が壊滅した。

<教団>の操る不死者(アンデッド)に襲われ、全滅したのだ。

生き残った人々は今、我が艦隊の<サラトガ>、<ヨークタウン>が護衛し、この街へと向かっている」


その情報に、喧騒が爆発的に広がった。

<大地人>たちは口々に「本当なのか」「<教団>だと!?」「まさか」と言い合っている。


「それは真実だ。すでにクレセントシティを脱出した生き残りの<冒険者>とも連絡が取れた。

<大地人>諸君。 諸君が我々<冒険者>をかつて英雄とたたえていたのは知ってのとおりだ。

それはかつては真実であった。 一年前からは過去の栄光となった。

だが、<教団>はその中でも、苦しむ奴隷を救い、西の新天地に連れて行く、希望の光であった筈だった。

だが! 彼らはその栄光を自ら剥ぎ取ったのだ!

<大地人>を不死者と変え、何も敵対していなかった街を滅ぼしつくすことによって!

今、この時! 彼らは諸君らの敵となった! (ウェニア)の、この大地の、敵となった!

我々はまだ栄光を捨てていない。 <不正規艦隊>は諸君らとともにある!

だからこそ、作戦の内容を聞いてほしい!」


ユグルタが目配せし、参謀長が広場の<大地人>達に見えないように小さくうなずく。

<教団>の息がかかったと思われる人間は全員マークし、隔離した――その合図だ。


「まず第一に! クレセントシティで諸君らの同胞が変えられた不死者――<敬虔な死者>たちの次の狙いは、この街である可能性が非常に高い!

そのために、まず我々は第一の作戦、君たちの脱出作戦を発令する!

諸君らはこの町、この北米を離れ、我らの主力艦隊と共に南を目指してくれ!

南――メヒコには我々の宿営地だった開拓地がある!

<教団>を滅ぼすまではそこに逃げ延びてほしい! 作戦開始時刻は2日後の朝だ!」


ざわめきが大きくなり、群衆の中から声がした。


「俺たちの町を見捨てろというのか!? 畑も牧場も、なにもかも!」

「資材はある! <教団>を壊滅させる、それまでの辛抱だ!」

「だが!」

「君達を死なせたくないのだ!!」


ユグルタの叫びに、群衆の声が徐々にやんでいく。

誰もが顔を見合わせ――だが、それは徐々に同意の声に変わっていった。

それを確認しほっと息をついたユグルタは、次の作戦の説明に移った。


「次は、<大地人>諸君が離れている間に我々がおこなう作戦だ。

<教団>の本拠地――奴らが<聖域>と呼ぶ場所への、侵攻作戦。 それが第二の作戦だ。

詳細は、すまないが告げることはできない。

ただ、必ず勝つということだけは約束させてもらおう」


返ってきたのは、今度は歓声だ。

<大地人>の誰もがユグルタたち<不正規艦隊>が自分たちを守ってくれたことを知っている。

その信頼が、今度も必ず勝つというユグルタの言葉に、大歓声で答えたのだった。

それを両手で押さえ、ユグルタは静かに話を続けた。


「そして最後――これは別の大地(サーバ)との連携だ。 <教団>は強い。

だが、他国にも我々同様、<大地人>と志を共にする<冒険者>はいる。

彼らの助力で、我々は勝つ。

……諸君。 しばらく苦労をかける。財産も捨てろと言っているに等しい。

だが、今一度、我々を信じてくれ。 以上だ」



立ち去るユグルタを、先ほどに倍する歓声が見送った。




 ◇


「何とかうまくいったな」

「今までの信頼の結果です」


ギルドハウスに戻ったユグルタは、大広間の真ん中に座り込み、小さく微笑んだ。

答える参謀長の顔も明るい。

少なくともこれで、マグナリアの住民を更なる死の危険から遠ざけることができる。

艦隊が宿営地を置いている場所は、かつてヴェラクルスと呼ばれた街の近隣だ。

熱帯雨林が密生し、危険なモンスターも多く存在する場所だが、そこにユグルタたちはレベルの比較的低いメンバーを護衛に置くつもりだった。

そして。


「本当の作戦を伝える」


サンフランシスコの南、ネバダ砂漠の真ん中、そしてパナマ。

三つの点が書かれた地図を見下ろし、ユグルタは集まった<冒険者>たち――そして念話で聞いているメンバーに告げた。


第二(ベータ)作戦。<大地人>を護衛した艦隊主力は、水棲モンスターの巣であるパナマ廃峡を抜け、太平洋に出る。

そして、サンディエゴの南に係留されているかつての米軍(おれたち)の誇り――<時計仕掛けの戦艦(クロックワーク・バトルシップ)>を取り戻せ。

それを操り、<聖域>に艦砲射撃をする。 この作戦は俺が直卒する。

次は第三(チャーリー)作戦、陸軍部隊(アーミー)だ。 諸君はネバダ砂漠を通り、そこにある<時計の迷宮>を攻略し、眠っている魔道戦車の軍団を手に入れろ。

……<教団>に立ち向かうには、それが必要だ。 そちらの指揮は参謀長、お前に任せる」

「了解」

「各地のメンバーはそれぞれ<妖精の輪>から飛べ。 行き先の情報は分かる限り伝える。

各サーバに散らばり、援軍を呼べ。

欧州、中国、どこにも<冒険者>はいる」


いずれも過酷な作戦だ。

失敗する可能性も高い。

だが、それでも。


「作戦期間は一ヶ月とする。各部隊は本部との連絡が途絶したら、作戦目的に沿う形で独自行動を許す。

……行くぞ。 これが<不正規艦隊(おれたち)>の、正真正銘最後の作戦だ。

<教団>を滅ぼし、全員で元の世界に帰るんだ」



ユグルタの言葉に、全員が無言で頷いた。

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