154. <クレセント・シティ> (後編)
遅くなって申し訳ありません。
1.
ぎらぎらと照りつける太陽の下、暖められた熱砂に陽炎が立つ。
揺らめく単調な風景の中で踊るのは、4人の男女だ。
<施療神官>のマイヤー。
<海賊>のギャロット。
<森呪遣い>のヴァネッサ。
<召喚術師>のジーヨウ。
彼らが地を埋め尽くすほどの不死者――<敬虔な死者>の群れに対し、逃げながらも群れ全体をひきつけるという、困難な撤退戦を始めて約1日。
もう一人の仲間である<暗殺者>オズバーンから、一部の反対者を除き、全員が<クレセント・シティ>まで到着した、という知らせが入って3時間。
陽光を遮る影すらない、灌木が続く荒野での全力運動に息をあえがせながらも、彼らはいまだ戦っていた。
「ちぃっ! うじゃうじゃ出てきやがる!」
最前線で舌打ちをするのはギルド<ファラリス>のマスターにして、元<保安執行騎士>、ギャロットだ。
彼が間断なく振り回す船上刀を掻い潜り、一体の<敬虔な死者>が爪を振り上げる。
死せる肉体は周囲の高熱と乾燥によって水分を失い、干からびた眼窩の奥の虚ろな目がギャロットをぎろりと見据えた。
「取った……と思ったか? 悪いな、兄さん」
だが、死者の爪は突き立つことがなかった。
煙を伴う砲門が、<敬虔な死者>の眼前に突きつけられたからだ。
そして、轟音。
小柄な筒から打ち出された小さな金属弾はしかし、サイズに不釣合いなほどの轟音を共に突き進むと、至近距離にあった死者の顔面を打ち抜いた。
小型とはいえ、その衝撃力だけで哀れな死者の頭は文字通り消し飛び、後ろに屯している何体かの<敬虔な死者>を打ち抜いて進む。
最後の衝撃ははるか彼方、陽炎に揺れる<敬虔な死者>の頭脳が熟れた石榴のように弾けたことで分かった。
ギャロットはヒュウ、と口笛を吹き、片手だけで器用に弾頭ごと銃の中央部を取り替える。
そんなリーダーを見て、副将格のマイヤーが片眉を上げて口の端を吊り上げた。
「五匹ほどぶち抜いてようやく頭が石榴か。相変わらずとんでもないな、それ」
評しながらも、手にした槍を振り回す。
マイヤーは多芸な男で、<施療神官>という職業であるにもかかわらず、様々な武器で戦場に立つことを好む、ある意味武器コレクターのような男だ。
無論、<秘宝>級や<幻想>級といった優れたアイテムではないが、そうでなくとも彼のレベルと腕前ならば、並みの敵など物の数ではない。
「<ホーリーヒット>!」
槍の石突で砕かれた頭蓋から、かつて<敬虔な死者>が用いていたであろう干からびた脳髄がでろりと垂れ落ちた。
その横をすり抜ける小柄な影は、たくましい灰色狼の姿となって怪物たちに噛み付いた。
「いきなさい!バディ! バスター!」
<森呪遣い>のヴァネッサの従える二匹の従者だ。<双子狼>というこの中級モンスターは、2匹で1匹扱いという、変わったモンスターだ。
単独の強さではそれほどでもないが、連携攻撃を用いることが多く手数も多いので、<森呪遣い>の中には愛用する人間も多い。
余談だが、ヴァネッサの従者は彼女が地球で実際に飼っていた犬の名前ということもあってありきたりだが、双子の狼にまつわる神話は世界各地に多いためか、各地で名前がかぶることが多いのもまた、この従者の特徴のひとつだ。
西欧サーバなら『ロムルスとレムス』、日本では『火星と土星』、北欧なら『スコルとハティ』と言うように、人気の名前を付けられた彼らが同名の仲間とじゃれあっているのもまた、珍しい光景ではない。
ともあれ、二匹がかりで彼らは<敬虔な死者>の首に噛み付き、引きずり倒すと、アオンと一声、高らかに鳴いた。
「オッケー。離れなさい!」
そんな従者の戦果に、ギャロットと同じ拳銃型弩砲をかざしたヴァネッサの手先から轟音が響き、打ち倒された死者たちを前に、得意げに彼女は帽子の庇を指で跳ね上げた。
「ギャロットもヴァネッサも、調子に乗って遣いすぎないでくれよ。 暴発でもしたらことだ」
全員の後ろで、ジーヨウが麒麟の背に乗ったまま、得意げな二人の仲間に口を挟んだ。
昨日は<幻獣憑依>していた召喚獣ごと死人に食われるという不覚を取った彼だが、現在は少なくともそのショックは薄れているようだ。
青白い顔色も、恐怖と言うよりは疲労による。
そんな彼の頭上には、彼の操る不死鳥――四海王が勇壮に羽ばたいては、時折死人を火柱に変えていた。
「大丈夫だって」
「大丈夫なもんか。それは戦力の要なんだ。修理も出来ないんだから、ここぞという時まで残すんだ」
ジーヨウの強い口調に、渋々ながら二人の弩砲遣いは銃を懐に仕舞った。
残る2人がほっと息をつく。
それには、以下のような訳がある。
ギャロットとヴァネッサが持っているのは外見こそは古風な拳銃だが、実質は違う。
鈍色に光る無骨な外見から得体の知れぬ魔力を放つそれは、拳銃サイズまで落とし込んだ弩砲だ。
歴史的に剣よりも銃砲に対する愛着の強いウェンの大地では、『西部劇好き』と呼ばれる人々を中心に、弩砲の人気は根強かった。
<大災害>以降、そうした人々が混乱の中、魔法と技術とアイデアを結集させて作ったのが、この拳銃型弩砲だ。
<ファラリス>は、いくつかの試作品を含め、知り合いの元技術者である<冒険者>に、これらの拳銃型弩砲を渡されているのだ。
<大災害>の後の混乱がもう少しマシだったら、というのが、彼らの僅かな心残りではある。
混乱に覆いつくされたウェンの大地においては悠長なアイテム改良など、夢のまた夢。
改良の意欲と技術がある<冒険者>は数少なく、その彼らにしても、人里離れた場所で密かに物置研究室を置いているのがせいぜいだ。
見つけようとして見つけられるものではない。
ギャロット自身、この拳銃型弩砲の開発者を追って他のサーバーまで遠征したが、全くの無駄足であった。
ただ――同じく無法地帯だった華国から、紅王という人物率いるギルドに追われていたジーヨウを助け、仲間に迎えることが出来たのだから、思えば悪い話ばかりでもない。
彼の操る高位召喚獣とくれば、並みの<冒険者>数人分にも匹敵しよう。
ただ、現状ではこの拳銃型弩砲、使い辛いことおびただしい。
サイズこそ拳銃大に落とし込めたものの、衝撃と威力はそのまま。
威力がそのままと言うと良いようにも思えるが、要するに携帯武器としては過剰にすぎるのだ。
そして、全身で衝撃を支える通常の弩砲と異なり、拳銃型であるために手首から腕だけで衝撃を支える必要がある。
最近、ようやく上手く力を配分できるようになったが、それまでは手製の銃床をつけていたほどだった。
しかもちょっとした歪みや修理ならともかく、根本的な修理となればギャロットにも出来ない。
継続使用もできない、奥の手。
それがギャロットたちの拳銃型弩砲なのだ。
彼らは敵の波が一段落したのを見るや否や、呼び出した愛馬にまたがった。
向かう先は、<クレセント・シティ>の逆方向だ。
怪物たちを、そのまま街へ雪崩れ込ませてしまえば、すべてが終わる。
数の暴力の前では、逃げ道が海にしかないクレセント・シティは一瞬で屠殺場と成り果てることは目に見えていた。
駆け去る彼らの後ろを無数のゾンビたちが追う。
着かず離れず、そんな距離を保ちながら彼らが向かった先は、草に覆われた墳丘が点在する草原だった。
◇
「みなさん! 落ち着いてください! 救援の船は必ず来ます! 港へ退避して!」
混乱する人々が我先に走る<クレセント・シティ>の大通りで、人の波に逆らうようにアンディは走っていた。
後ろには彼の体を防壁に、リアラが小さな体を縮こまらせている。
誰も彼らの叫びなど気にも留めない。 むしろ邪魔だとばかりに殴りつけられ、<冒険者>であるアンディも頬を無残に腫れ上がらせていた。
それでも彼は諦めない。
大通りから逸れ、小さな路地に入っては、逃げ遅れた人々に港への道を指し示す。
その多くは動けない老人であったり、親に置き去りにされた子供達だ。
孤児も多い。
ストリート・チルドレンという存在は、この異世界のアメリカでも決して少なくはないのだった。
「おれたち、しぬのか?」
まだ舌足らずな口調で問いかけた子供は、5歳になっているか、どうか。
ぼさぼさの髪、異臭を放つ体は、産まれてこの方身奇麗にした事などないかのようだ。
だが。
「大丈夫、死なない、大丈夫。 絶対にみんな助かる」
それでも抱きしめるのが、リアラだ。
その横で、アンディが腰を屈め、少年に問いかける。
「そうだ。<教団>のアンディから聞いた、といって港に行きなさい。
それから保安騎士長のルフェブル氏を訪ねなさい。 それで大丈夫だから」
頷く少年――幼児の顔に生気が満ちる。
その時初めて、二人は目の前の幼子がそれまでどれほど生気のない顔をしていたか、気づいた。
大丈夫、と頭を撫でるリアラの前で、彼は初めて年相応の泣き顔を浮かべると、震える手で路地の奥を指差した。
「あっち……あっちに、まだともだちがいる」
「あっち? 路地の奥かい?」
「うん。トッドと、ラバン。 トッドは目が見えなくて、ラバンは足がわるいんだ。
おやじさんに殴られて怪我をしてて、それで……」
「わかった」
二人の<教団>信徒は頷きあうと、胸に下げた十字架――自分達のアイデンティティたる<教団>の紋章を同時に握り締めた。
「リアラ、いいな!?」
「うん、急ごう」
大通りに顔を出し、親切そうな――それでも殺気立っていたが――老人に少年を託すと、彼らは再び走り出した。
まだ逃げられていない、<大地人>たちを探して。
◇
港はごった返していた。
先日のマグナリアは亜人によって足の踏み場もないまでに置かれていたが、今度は人間だ。
時折断末魔の悲鳴が上がるのは、他人に踏み潰される不運な犠牲者の声だろうか。
そんな喧騒の中を、ルフェブルは必死に指図し、統制を取ろうと足掻き続けている。
この老ドワーフが任命した保安執行騎士、その一人がもたらした知らせは、まさに青天の霹靂だった。
すさまじい数の不死者が迫りつつある。
彼、オズバーンがもたらした情報を一笑に付す無能者は、<大災害>から一年を経たこの街の為政者の中には誰もいない。
<冒険者>が日々こなすクエストが中断された今、周囲で沸き起こる危険の度合いは加速度的に倍化する。
(じゃが、せめてわしが引退してからにしてもらいたかったわい)
ルフェブルは内心でぶつくさと不満を漏らしながらも、部下の騎士たちを総動員して人々の安全を確保していく。
集団に秩序を与え、食料と衣服を配り、病人には薬草を与え、喧嘩が起これば仲裁する。
いつ果てるとも知れない労苦を、この老ドワーフは凛とした態度でこなし続けていた。
「騎士長どの!」
「おお、議員閣下。 何事か」
やってきた小太りの男は、喘ぐ息を落ち着かせもせず、一気に言い切った。
「先程こちらの<冒険者>に連絡があった。 ……不死者を町の中で見かけたそうだ」
その言葉に、ルフェブルの顔が一瞬で青ざめる。
「……本当か?」
「ああ。 ……交戦はしていないが、ステータスを確認したそうだ。 数は単独。他のゾンビは近くにいない」
「奴らめ、一体どこから」
苦々しげに呻くルフェブルに、やってきた議員が首を振る。
「……皆目見当もつかぬ。 とりあえず避難を急がせよう。 近隣を航行していた船が集まりつつある。
連中に住民を脱出させるのだ」
「どこに行かせる。 議会は何か目算があるのか」
「……マグナリアが良いと思っている」
それは、同じ海沿いに存在する都市の名前だった。
クレセント・シティの住民は多い。 全員を収容できるとするならば、近隣の町ではそこだけだ。
だが、とルフェブルは議員に声を低めて尋ねた。
「……連中からの受け入れの承諾はあったのか?」
「まだだ。 ……連中も何かの襲撃を受けたらしい。混乱していたよ。 検討はするといわれたが、正直分からないな」
「最悪、船を沖に浮かべて、食料を配給してもらえば良いか……」
ルフェブルも唸る。
どっちみち、クレセント・シティからマグナリアまでは数日の航海を要する。
とりあえず出航し、モンスターが来ないような場所で待っていても良いのだ。
<敬虔な死者>は、海に出られない。
「まさか私たちの代で、街が滅ぶ様を見ることになろうとはな」
首を振り振り、踵を返そうとする議員に、ルフェブルはにやりと笑ってみせた。
「何、まだそうとは決まっておらん。 <冒険者>が門外に出て迎撃をしつつあるし、中にも何人かの<冒険者>がおるからの」
それが虚勢に過ぎないことを、他ならぬルフェブルこそが知りながら。
2.
「ここは?」
「そうか、ジーヨウは知らないのか」
一つの丘の麓に座り、簡単な休憩を取りながら、ギャロットは周囲を見回すジーヨウに笑いかけた。
いかな強健を誇る<冒険者>とはいえ、丸一日戦い続けているというのはかなりの疲労だ。
マイヤーとヴァネッサは既に眠り込んでいる。
しばらくすれば、今度は見張りをギャロットとジーヨウから代わるつもりなのだ。
周囲は、奇妙に人工的な丘が並ぶ、不思議な草原だった。
何より不思議なのは、この丘が奇妙なキラキラとした緑の光で包まれていることだ。
ジーヨウはふと――今となってははるか昔に思える――数日前に出会った同じアジア人の女が持っていた倭刀を思い出した。
だが、その刀のどこか粘性な光に対し、丘から届く光はあくまでも清冽だ。
それは、まるで。
「翡翠……?」
「いや、翠玉さ。 翠玉の丘。 それがここの名前だ」
「エメラルド・マウンド……? どんな場所なんだ?」
周囲から出てくる光は、鮮やかなのにどこか穏やかだ。
どこからでているのだろう、と不思議に思ったジーヨウは、やがて光が草の隙間、マウンドそのものの中から出てきていることに、驚きの声を上げた。
不思議な光景に見とれる彼に、横合いから眠そうなギャロットの解説が入った。
「ここはこの大陸に今の住民がやってくる前――つまり、アルヴ以前の時代にここらあたりに住んでいた住民の遺跡とも、聖域とも言われる特殊なエリアだ。
イベントの際はダンジョンになることもあるが、基本的に野外モンスターは存在しないし、この光は微弱だがHPとMPを回復する効果がある」
「……へぇ」
のろのろと、自分のMPが溜まっていくのを見るジーヨウに、「それだけじゃないぜ」とギャロットは言葉を続けた。
「ここは過去のイベントから、いくつかの特殊な加護があることが知られている。
一つは、対アンデッドの特攻効果だな。
マウンドというのは一般的に言えば墓の事なんだが、だからなのか、アンデッドを嫌うって訳だ。
もうひとつが<森呪遣い>に対する加護だ。特に森系、風系、水系の呪文の効果が増大する。
……まあ、モチーフになったのが北米先住民の聖地だからな、無理も無い。
そういう意味で、あのゾンビどもを蹴散らすには丁度良い場所、ってことだ」
「なるほどな」
遠く目をやれば、地平線にかすかな砂埃が見える。
僅かずつではあるが大きくなっているそれは、間違いなく<敬虔な死者>だ。
ゆっくりだが確実に近づく怪物たちを見て、ジーヨウは恐怖と共に、ほんの僅かな安堵を抱いた。
まだ、囮になるという自分達の役割は失われてはいないらしい。
「……おはよ」
「まだ少し時間があるぜ。 夜になるまで少し眠ろう」
ヴァネッサが起き出し、口臭を気にしてか口を濯ぎに行く横で、ギャロットはジーヨウにそれだけを言うと、ごろりと横になりさっさと寝息を立て始めた。
◇
マウンドとは、ネイティブアメリカンの先史時代文化の遺跡をモチーフにデザインされた、神秘的な自然遺跡である。
そこは時にイベントの舞台となり、神秘と恐怖を<冒険者>にもたらしてきた。
ギャロットとジーヨウがエメラルド・マウンドで英気を養いつつある、その同時刻。
緑の墳丘から遠く離れた、元のアメリカ大陸で言うならばイーストセントルイス市の、丁度中心部。
そこには、エメラルド・マウンドを凌ぐ広さの巨大なマウンドがある。
<ガイザー・マウンド>と呼ばれるそこは、緑の光に包まれた草原であるエメラルドマウンドとは対照的に、時折巨大な水を垂直に噴き上げる、水のマウンドであった。
清冽な水は、マウンドの横を流れる川に注ぎ込まれ、蛇行を繰り返しながらやがて海に至る。
その川が海に出る、河口近くに築かれた都市がクレセント・シティなのだ。
そのマウンドの周囲に、三十人ほどの人影があった。
よく見れば、てきぱきと動いているのは数人だけで、他は何をするでもなくゆらゆらと佇んでいる。
まるで案山子が風に吹かれているかのような、その生気の無い仕草は、それだけで彼らの正体を見たものに気づかせるだろう。
しかし、午後の日差しがようやく和らぐこの時間帯に、彼らをゆっくりと見ることが出来る部外者は、<冒険者>と<大地人>とを問わず、誰もいなかった。
「水よ、水よ、汝は何故美しいか~♪」
マウンドの中央、湿った大地に膝をつき、活発に動いている人影の一人が暢気に歌っていた。
「トーマス先生、真面目にやってください」
部下らしき、側に立つ男性が不機嫌な声でたしなめるものの、歌声は全く収まらない。
「先生!」
「あ、うん? ごめんごめん。 何しろ僕は元オタク上がりなんだ。 フィールドワークなんて柄じゃない。
楽しい歌でも歌っていなきゃ、やってられないよ」
「ですが、先生、急ぎませんと」
「大丈夫だよ、はい、終わった」
部下の困ったような声に、トーマス先生と呼ばれた男は立ち上がった。
このファンタジー世界に全く不釣合いな格好だ。
ゆるい開襟シャツにスラックス、肘には関節が痛くならないようにか、サポーターを付けている。
適当に撫で付けた金髪の下にはこれまた適当に選んだかのようなサイズ違いの眼鏡がかけられ、青年のどこか間の抜けた雰囲気を補強している。
だが、部下の男はそんな上司の、眼鏡の奥の目をちらりと見やって、思わず直立不動になった。
あわせてさっきまでの会話が相手に不快を覚えさせていないか、脳を最大に回転させて反省する。
それほどの、目だ。
暢気な田舎の青年にしか見えない彼の、その眼光だけは、全く違う。
狂的な光を分厚いレンズに封じ込めると、トーマスはぱんぱんと手を払って立った。
恐縮している部下を一瞬、何の感情も無いガラスのような目でせせら笑い、やおらパチン、と指を鳴らす。
その瞬間、彼らが立っているマウンドから、巨大な水柱が吹き上がった。
「トーマス先生!? これは……成功なんですか!!」
マウンドを揺らす地鳴りとどこか黒い色の混ざった不気味な水柱が注ぐかつてのミシシッピ川、その川面がどす黒く染まる光景に戦く部下に、トーマスはひらひらと手を振った。
「勿論。水は『水』を運ぶ。 これで<クレセント・シティ>はおしまいさ。
果たしてこんな間接的なやり方でも『水』は広まるのか。敬虔な信徒は増えるのか。
それを確かめるにはもってこいの実験だ」
実験。
トーマスはそう言い切った。
確かに、水を操るマウンドを上流に置き、下流に都市を控えるミシシッピ川は、トーマスの言う実験に最適だ。
事実、トーマスやその仲間達――つまり<教団>の幹部達は、自分たちが『水』と暗示しているこの能力の更なる機能拡大の為だけに、今回の騒動を計画したのである。
だがそれは、どれほどの酷薄さがあればなしえる事であるのか。
ただの<冒険者>の勝手な実験の為だけに、わざわざ街をひとつ滅ぼすなど。
その時、恐怖と彼自身意識の下にあった反感から、部下の男は余計なことを口走った。
「……ですが、<クレセント・シティ>には多くの<大地人>がおります。 何人か<教団>のメンバーも住んでおりますし、それに……<ジョン・ポール・ジョーンズ>の大事な寄港地でも」
そこまで言った瞬間、部下は自分が致命的な過ちをしてしまったことに気がついた。
「……す、すみません! お願いします!! 申し訳ありませんでした! 心から謝ります、余計なことを、どうか……うぎゃあっ!!」
いつの間にか、泥濘にびちゃびちゃとした足音を残して、<敬虔な死者>たちがマウンドを登ってきていたのだ。
彼らは、間抜けなその男に次々としがみつくと、ねちゃりと粘液が滴るその口をぽっかりと開けた。
「や、やめろ、おまえら……あぎゃあああああ!!!」
がじゅ、がじ、ぐちゃ、ぐちゃ。
聞くに堪えない悲鳴と輻輳するように、淫靡ささえ感じられるような粘ついた咀嚼音が響いた。
「や、やめてください、おねがいしま、あ、おねがいします! どうか、どうか!!」
許しを求める声は、すぐに先程までの凜とした調子を失い、嗚咽交じりの哀願へと変わる。
その口調は徐々に必死になり、生きながら貪り食われる激痛へと変わっていった。
「ドンネル、お前、俺が奴隷から助けたろ、助けてくれよ、助けて、お願いだ、お願いだ……やめろ、死にたくないよ、俺はゾンビになんて……ああああああああ」
泣き叫ぶ声が意味を失い、ヒュウウ、という笛のような音になったのを確認して、トーマスはゆっくりとマウンドを降りた。
かつて部下だった男が、狼に食われた子牛のような姿で絶命したのも、<冒険者>が死んだにも関わらず、死体が泡と消えずにのそりと起き上がった光景にも、振り返って見もしない。
トーマスとその仲間達にとってそれは至極当然のことだった。
そう。 人が死ねば腐る、という程度には『当たり前』のことだったのだ。
「どうせあいつも脳筋だしなあ。 今度はもう少し頭の回る奴をチームにもらおう」
トーマスは、口の中でぶつぶつと呟きながら、西日の差すマウンドを足早に歩いていった。
◇
「トッド! ラバン! いるなら返事を!!」
「おねがい!」
クレセント・シティの中央には広大な川が流れている。
かつてのミシシッピ川だ。
今は名もなく、ただ単に『川』と呼ばれるあたりの、その城門に比較的近い一帯は、違法建築スレスレの建物でごった返す、城壁沿いと並ぶもう一つのスラムだった。
その中はまるで迷路のようで、通路かと思えば行き止まり、人の庭かと思えば通路、という状況に、いつしかアンディとリアラは道に迷ってしまっていた。
時刻は既に夕暮れ時だ。
人々が付けっぱなしの明かりがオレンジ色に揺れ、どこか万聖節の飾り付けのような、幻想的でどこか不気味な雰囲気を街に醸し出している。
「……っく、こんな場所だとは思わなかった」
「このあたりにも説法に来ておけばよかったね……」
アンディとリアラの今の職業は、<教団>の宣教師だ。 キリスト教が広まった歴史的経緯を踏まえても、貧民街で宣教するのは当たり前とすら言える。
だが、宣教師である以前に、リアラは少女でもある。 アンディはそんな彼女を危険地域へ連れて行くのを躊躇ったのだった。
まさに人の心も知らないでと言うべきか、リアラの言葉に無意識に眉根を寄せたアンディは、その時通りの向こう側に佇む何人かの人影を見かけた。
「おおい! この近くで逃げ遅れた子供を見ませんでしたか!!」
立っているのは、何人かの男女だ。 恰幅のよさそうな男性を中心に、痩身の男性、ふわりと膨らんだスカートにエプロン――おそらくメイドの衣装だろう――をまとった女性。
彼らはこの混乱の中で逃げるでもなく、ただぼうっと立ち尽くしている。
「おおい! 聞こえないのか??」
叫びかけつつ、足早に近づくアンディは、ふと違和感を感じた。
近づくにつれ、彼らが妙に小奇麗な格好をしていることに気がついたのだ。
ここは貧民街だ。 下手に綺麗な装束をした<大地人>が入り込むような場所ではないし、入ったら最後、下手をすれば命の保障は無い。
今が混乱にあり、住人の多くも脱出していることを差し置いても、こんな中途半端な場所で混乱が収まるのを待っているというのは、何とも不自然だ。
何より。
明らかに声が届く距離に来ても、彼らはアンディのほうを見ようとすらしない!!
「……リアラ。 変だ。注意して」
二人の<冒険者>の足が止まり、アンディが片手でリアラを下がらせる。
それに気がついたかのように男女――アンディは知らないが、かつてジョルオという名で呼ばれていた<大地人>とその従者達――は、ゆっくりと二人のほうを向いた。
「きゃあああああっ!!」
その目が、白くどろりと濁っていることに気がつき、アンディが剣を抜き放ち、リアラは恐怖に絶叫した。
「叫ぶな、リアラ! 不死者だ! ルフェブル騎士長に連絡を!!」
言いながら、よたよたと近づくメイドのゾンビに一太刀を浴びせる。
ホーリーヒット、と、頭蓋を砕かれて倒れこんだゾンビに吐き捨てた。
彼は<施療神官>――その中でも、攻防に渡って強力な<神官戦士>型の構成なのだ。
後ろでリアラがルフェブルと水晶で連絡を取っているのを確認して、アンディは地を駆けた。
執事だったらしい老人のゾンビを蹴り飛ばし、別のメイドのゾンビ、続いて牧夫らしき逞しい身体のゾンビを切り捨てる。
(近在の住人か……逃げ遅れたのか)
アンデッドの中には、たまに殺した相手を同じアンデッドにする、という能力を持つモンスターがいる。
<敬虔な死者>という冒涜的な名前のこのゾンビは、どうやらその類だったらしい。
「せめて……眠れっ!!」
最後に残った太ったゾンビが、よたよたと逃げ出そうとするのに追いついたアンディが、じゃきりと剣を下段に構えた。
一閃、すぱりと肉を断った刃は、すぐにモンスターが消える時の虹色の泡で包まれる。
ふう、と息をついたアンディに、横合いから声がかけられた。
「そんな所にいて、何をしているんです? アンディ師」
「……インヴィクタス牧師?」
◇
夜を迎えたギャロットたち<ファラリス>の面々は、マウンドを取り囲み、登ろうとする<敬虔な死者>たちを見下ろしていた。
4対無数。 しかもこれからは夜で、それは闇を苦にしない不死者たちの時間だ。
でありながらも、<冒険者>たちの顔に絶望も、恐怖の色も最早無い。
眠りと言うのは便利なもので、眠らないでいれば発想は悲観的になっていくし、良く眠れば疲れが取れて楽観的になるものだ。
勿論、彼らは何の根拠もなく不敵な顔をしているわけではなかった。
ジーヨウが<剣の乙女>を呼び出し、待機させる。
続いて彼の手からいくつかの光球が放たれ、それはマウンドの四隅にくっついて周囲を煌々と照らし出した。
<魔法の明かり>だ。
「さて、ヴァネッサ、頼むぜ」
「OK,任せておいて。 ……本当にこれで大丈夫なんでしょうね?」
「多分ね」
このエメラルドマウンドは、中心部に位置するひときわ巨大なマウンドを中心に、いくつかのマウンドが集まって出来ている。
最も緑の輝きの濃い中央のマウンドの上には、さらにいくつものマウンドが築かれており――ヴァネッサは、その中でも中央やや後ろ寄り――ひときわ高く、荘厳な雰囲気を醸し出すマウンドの前に座っている。
「これは、<森呪遣い>しか出来ない、つまり<森呪遣い>なら出来るはずなんだ。
……頼むぜ、ヴァネッサ」
「ならしっかり守ってて」
その言葉に、銃を構えたジーヨウは、<剣の乙女>――彼の相棒、<幻戦娘>をマウンドから駆け下りさせた。
高レベル召喚獣である彼女は、敵中に孤立しても問題ない。
さらにダメ出しとばかりに、彼はもう一匹の主力――鳳凰、<四海王>を呼び出す。
エメラルドの輝きが多少焦げるかもしれないので彼としては気が進まなかったが、環境保護より生き残るのが先だ。
暗くなる視界の中で<四海王>の姿は眩しい。
普段なら目がくらむ自分の代わりに梟の目で空から戦況を視察するのだが――梟はどこかのゾンビの胃袋の中だ。
「さすがに召喚獣だな」
マイヤーが呆れたような、どこか安堵したような声で呟いた時、離れた場所のギャロットに念話が届いた。
もう一人の仲間、オズバーンからだ。
話をしていたギャロットの顔が一瞬で引き締まる。
その表情に、残る3人は黙って、近づくゾンビたちと厳しい顔のギルドマスターを交互に見た。
「……オズバーンから連絡だ。 <クレセントシティ>にゾンビが出た。
今は街に残った<冒険者>が掃討中とのことだが、既に街は全員を海に出すことに決定したそうだ。
オズバーンたち門外に出た<冒険者>の任務も、防衛から突破に変わったとのことだ」
その報に、全員がはっと息を呑む。
「……クレセント・シティのルフェブル騎士長たちが無事脱出することを祈るばかりだ。
彼は律儀な人だ。 街を脱出するとしたら、自分が最後だろう。
そして脱出すれば、俺達外の<冒険者>に連絡を寄越してくるはずだ。
……それを待とう」
そして、戦闘が始まった。
当初は円を描くようにマウンドを回っていた<幻戦娘>と<四海王>だったが、徐々に敵の密度が増えていくにつれ、足を止めることが多くなり――ついには一箇所に貼り付けられてしまった。
不死鳥たる<四海王>はそれでも飛び立っては広範囲を焼き尽くしていくが、燃え尽きた<敬虔な死者たち>の後はすぐさま次の死者たちで埋められてしまい、逆の意味だが――焼け石に水だ。
二匹の召喚獣による第一次防衛線が抜かれれば、次は第二次――ギャロットたちだった。
マウンドの、やや急な斜面を四方から登ってくるゾンビたちを前に、それぞれの斜面でマイヤー、ジーヨウは手にした銃と――手を向けた。
手を向けても意味が無いギャロットだけは、両手に銃型弩砲を構えている。
ゾンビが怨嗟の声を上げながら這い上がり。
その不気味な死面がはっきりと魔法の明かりに照らし出された時。
「発砲!!」
3人、4発の銃型弩砲、そして<エレメンタルレイ>と<ジャッジメントレイ>が火を噴いた。
「続けろ!」
がご、とそれぞれの銃の中央部が落ち、代わりに次の弾倉がじゃき、という硬質の音と共に接続される。
高レベル<鍛冶師>の一品にふさわしい、まるで後を感じさせない接合面を介して銃が再び輝きを取り戻し――再び発砲。
だが、そこまでだった。
魔法と銃で、あわせて10体以上のゾンビを倒しただろう。
だが、その時点でギャロットの銃はぎりぎりという異音を上げ、残る二人の呪文も打ちどまる。
そして――彼らが見逃した<敬虔な死者>が、『おおおお』という不気味な声と共にマウンドの上にたどり着いた。
「ジーヨウ! 召喚獣を呼び戻せ! マイヤー!ジーヨウと共にヴァネッサにつけ!
俺は前に出る!」
ギャロットが叫びと共に飛び出す。 その手にあるのは銃ではなく、船上刀だ。
マイヤーも槍を構えて、いまだ集中するヴァネッサの側に近づく。
その横を、銃を両手に握り締めたジーヨウが続いた。
「もう少しだな」
ヴァネッサの刻一刻と減るMPを見て、そうマイヤーは嘯いた。
このマウンドには、特殊な能力がある。
風系統の呪文に長けた<森呪遣い>がMPをささげて、初めて可能になる巨大な儀式魔法。
かつて、このマウンドを築いた人々が、モンスターに対抗した力。
<大地人>にとっては数十人がかりの大魔法も、<冒険者>ならば一人で全ての魔力を購うことも可能だ。
そして。
ふわり、と<ファラリス>の足元を風が舞う。
優しげな、まるで伝承の風乙女が息を吹きかけたかのようなそよ風は――一瞬で巨大な暴風と化した。
それは、ヴァネッサとその仲間である3人だけを器用に避けながら、マウンドの上、続いてマウンドの周囲を円を描くように暴れ狂う。
「やった!」
「……行くわよ!!」
瞑目していたヴァネッサがぎり、と目を見開いた。
「『釘の脳みそ、絹の心臓、偽りの勇気、緑のスープ。銀の靴』……<エメラルド・ヘイル・ウインド>!!」
それはこのエリア、このマウンドにおいてのみ使うことの出来る一時的な魔力増幅だった。
威力、効果、ヴィジュアル、ゲーム時代ではそれらにくわえて一定以下のレベルの敵に即死効果をもたらす、魔の暴風だ。
そして――アンデッド特攻と言うゾーンの特性上、アンデッドに対する即死効果は絶大。
「吹き飛びなさい、偽りの国までも!! おうちが一番と言うまでね!!」
やがて無作為に暴れまわる暴風は渦を巻き、巨大な竜巻となって天に昇る。
そして風が収まった時――地を埋め尽くすほどにいたはずの<敬虔な死者>たちの群れは、一体残らず消えていたのだった。
「……勝った、のか」
「ああ」
ジーヨウとマイヤーが囁き交わす横で、ヴァネッサがふらりと倒れこむ。
そのMPは完全な0だ。
MP切れと言う状況が、一時的にヴァネッサを朦朧とさせたのだった。
「大丈夫か。 ……少し回復したら街へ行くぞ。 ルフェブルさんやオズバーンたちのことが心配だ」
ヴァネッサを抱きとめたギャロットの予感は、だが、当たってしまった。
エメラルド・マウンドからクレセント・シティに向かう道中でオズバーンや生き残りの<冒険者>と合流し、そこから帰還呪文でクレセント・シティの<大神殿>に帰った彼らが見たもの。
それは、無数のゾンビと死体が折り重なるように倒れている、変わり果てたクレセント・シティの姿だった。
……そして彼らがそんな地獄から門を抜け、脱出するまで、ルフェブルからの連絡は一度たりともなかった。




