147. <水際の戦線>
すみません。なんか新しいモンスターを出してしまいました。
でも、ゴブリンに将軍がいるんだから、サファギンに似たようなのがいてもいい……と、勝手に思っています。
TRPG等で、既に出ていましたらご指摘をお願いいたします。
1.
「動ける人間は、周囲を助けて北門に逃げろ!」
「余計な荷物を持つな!」
「たっ、助けて!」
黎明のマグナリア。
海から湧き出す<水棲緑鬼>による攻勢は、陸の<敬虔な死者>のそれが遊びに見えるほどのものだった。
一匹一匹は、単なる<水棲緑鬼>に過ぎない。
だが、それが百を超え、千にも達しようかというほどであれば。
狂騒の巷を騎馬で駆けながら、ユウの内心は先ほどまでとは打って変わって静謐だった。
自分を虐待した<不正規艦隊>とその援助者たちの町が攻められているからでは、無論ない。
奇妙に静まる鼓動の奥で滾る喜びを一言で言い表すならば、それは。
(今度は、守れる)
というものであったろう。
ユウの旅路は、決して平安だったわけではない。
ゲームの勇者のように、助けを求める人々を余さず救ってこられたわけではないのだ。
ユウが目にしてきたのは、無数の苦痛と悲嘆だった。
いや、彼女自身、時にはそれに加担し、積極的に拡大しさえしてきた。
そうでなくても、瀬戸内海の小さな町のように、たどり着いたときには悲嘆する人々すら残っていなかった場合もある。
自分は、セルデシアで、<エルダー・テイル>で、常に助けを求める手に間に合わない異端児。
時にそうした手があることすら気づくことなく、それらを業火にくべてきた虐殺者。
ユウはそういう人間であった。
だが、今は。
ユグルタの防備の指示のおかげで、まだ<大地人>にほとんど被害が出ていない、今だけは。
「守れる」
前方に小さな十字路があり、そこに何人かの人影を見るや否や、ユウは鞍から飛び出した。
馬上から飛んだ勢いのままにくるりと空中で一回転し、いままさに<水棲緑鬼>が迫る家族連れの前に立つ。
(私は<暗殺者>だ。 だが今は、あいつのように)
常に剛毅な背中で弱者を守ってきた、友人たる黒騎士クニヒコのように。
立つ。
「大丈夫か? ここは任せておけよ」
着地ざまに<水棲緑鬼>を一匹切り捨てて、ユウは震える親子に振り向いた。
着の身着のままで飛び出したのだろう、あちこち擦り切れた衣服に、パンパンに張った足。
父親は幼子を抱きしめ、母親は別の二人の子供の手を引いている。
「このまま北へ向かえ。<冒険者>が防衛線を張っている。 私が食い止める間に、逃げるんだ」
「おねえさん、ひとりでだいじょうぶなの?」
幼いながらに男なのか、気遣わしげに声をかけてきた子供の一人にユウは笑って力瘤を作る。
「ああ。あんなのにいくら殴られても気にもならない。手助けは要らない。其虚其邪、気をつけてな」
意味のわからない返事に不思議そうな顔をしながらも、少年が両親に手を引かれて走り去る。
その足音が遠ざかるのを聞きながら、ユウは小さく苦笑した。
「ここでタルならちょっと笑わせるジョークくらい言えるだろうけど。あいつは存在自体がジョークだからな」
内心で酷いことを呟き、向き直る。
いつの間に増えたのか、数匹だった<水棲緑鬼>はいまや、ユウのいる十字路を三方から包み込むように敵意を向けていた。
そんな中、ユウは舞踏のステップを踏み出すように、静かに足を突き出した。
転瞬。
ユウの姿が掻き消える。
「『前を望めば剣なり』」
暴風のごとく振るわれる二本の刀が、左右の<水棲緑鬼>を撫で斬る。
「『右も左もみな剣』」
前蹴りで一匹を吹き飛ばし、上から飛び掛る別の<水棲緑鬼>を串刺しに。
「『剣の山に登らんは』」
呟く声は、古い歌だ。
ユウがまだ鈴木雄一だった頃、遠い昔に祖父に教えられた歌。
「『後生のことと聞きつるに』」
バックステップで突き出された槍をかわし、斬り飛ばされたその穂先が、右手の<水棲緑鬼>の顔面に当たる。
そのまま飛び上がった彼女は、向けられた槍衾のなかに落下し、腕力に任せて強引に刀を振り回した。
魚に似た外見の上半身が斬り割られ、ユウの周囲をまるで靄のように、絶命の泡が舞う。
「『この世において目の当たり 剣の山に登るのも わが身の成せる罪業を 滅ぼすためにあらずして』」
鬼か化け物か。
一歩も引かず戦う一人の<暗殺者>には無数のヘイトが向けられ、渦巻く敵意と殺意が熱気のようにユウの肌を焼く。
その中で、奇妙に響く旋律に、芸術を解さぬはずの<水棲緑鬼>たちすら、思わず歩みを止めた。
「『賊を征伐するがため 剣の山もなんのその』」
ユウの瞳が水色に輝く。
両手の刀から放たれる緑と青、二つの光が渦を巻き、水色の輝きとなって<水棲緑鬼>の目を眩かせた。
それは、彼女が得た口伝。
巨大なモンスターすら消し飛ばす、文字通りの必殺技が発動した証だった。
「<サモン・ディゼスター>!!」
ユウの体が閃光の中に消える。
人の身をした黒衣が消え、代わりに現れたのは、無数の半透明の野獣たちだ。
驚く<水棲緑鬼>たちを踏み砕き、蹂躙し、幻想の獣の群れが駆け抜ける。
そして、その後。
半透明の剣を引っさげた騎士が、巨馬を駆って躍り出る。
弓を手挟んだ射手が、矢を番えて飛び出す。
乗馬用のドレスを着て、馬に横乗りした貴婦人は、手に持った扇子を優雅に打たせ、瞳孔のない瞳でぎろりと怪物たちを睨みまわした。
北欧の大神オーディンに率いられるとうたわれ、冬の嵐の夜を駆け抜ける<神々の狩人達>が駆け去った後には、文字通り何も残ってはいなかった。
その中。
パキパキと、刀がひび割れる音を背景音楽に、瞳を黒に戻したユウが、囁くように歌う。
「『敵の滅ぶるそれまでは 進めや進め諸共に 玉散る剣抜きつれて 死ぬる覚悟ですすむべし』……」
ゆっくりと膝をつく<暗殺者>の体に、後続の<水棲緑鬼>たちが迫る振動が届いた。
まだ、戦いは序盤にすら、入っていない。
◇
尋問は、あとだ。
ユグルタは、重傷といってもいい<教団>の生き残り――リンティア以下の俘虜を、死ぬ半歩手前まで痛めつけると、そのまま雁字搦めに縛り上げ、部下たちの戦う街に向かって走っていた。
前方に見える北の門は今、完全に開け放たれている。
周囲には何人かの<不正規艦隊>の<冒険者>が並び、不慮の襲撃に備えていた。
きびきびとしたその動きに、ユグルタは一人、かすかに笑った。
(思ったより戦えている)
このことだ。
北に<教団>という巨大な敵を抱える組織の長として、ユグルタは用意を怠ったつもりはない。
<大地人>有力者との協議の結果、市政を預かった<冒険者>集団として、ユグルタは非戦闘員にもしっかりと訓練を施していた。
生産系のメンバーには、軍隊仕込の積極的な戦闘訓練を。
<大地人>の衛兵や保安騎士たちには、いざというときのバリケード作りと避難誘導の訓練を。
そして民間人には、短時間での避難の訓練を。
もともとの想定では北からの侵攻に対して船に乗って逃げるというものであったが、ユグルタとその仲間たちは軍人らしく、想定できるあらゆるケースでの訓練を彼らに施している。
そして、今回の襲撃は可能性は少なかったとはいえ、その想定の範囲内だ。
「<大地人>たちの損害はッ!」
「港地区の一部を除き、順調に避難中! 逃げ遅れた組も<冒険者>が護衛に向かってます!」
「いざとなったら<冒険者>は命を惜しむな! 死んで止めろ!!」
「アイ、サー!」
死守命令。それは非情ではあるが合理的だ。
事実、<ジョンストン>のエバンズをはじめ、港地区で防戦していた面々は文字通り玉砕している。
そしてユグルタの部下たちは、普段の素行にどれほど問題があろうとも、いざというときの覚悟だけは持ち続けているメンバーばかりであった。
「防衛線の状況を報告しろ!」
「港地区、アルファ、ブラボー、フォックストロット地区は放棄! アルギー卿の屋敷を防衛線にしていましたが、1分前に通信途絶! 生き残りはチャーリー地区に集結しています!」
「よし、<大神殿>を要に防衛線を構築しろ!」
指示を飛ばす指揮官の周囲で、通信班である何人ものメンバーが念話を各小隊に向けていく。
それにユグルタが満足そうに笑みを漏らした瞬間、遠くで巨大な地響きと悲鳴が聞こえた。
「なんだ!?」
「ブラボー地区です! 状況不明!」
「召喚獣飛ばせ!」
「飛ばします! ……一帯の<水棲緑鬼>、消滅しています! 状況不明!」
「何が起きた! 全力召喚でもやったのか!」
「あの地区には<召喚術師>はいません! 周囲の<水棲緑鬼>、進撃をやめました! ……十字路に人影、あれは……女!?」
「簡潔かつ詳細に報告しろ! 何年歩兵やってんだ、てめえ!」
<幻獣憑依>で空中から偵察する<召喚術師>に怒鳴りつけた男――参謀長が、ユグルタに向き直った。
「状況は掴めませんが、ブラボー地区で戦闘が継続している模様です。その場の<冒険者>は女が一人。
正体はわかっておりません」
「あの女だ」
ユグルタが苦々しげに、それでいてどこか嬉しそうに呻いた。
主の短い言葉だけで、その意味を理解した参謀長が首をひねる。
「ユウ……ですか? しかし……彼女は<暗殺者>です。魔法職や<盗剣士>ならまだしも」
「いいや、あの女だろう。 ちょうどいい。偵察続けろ。あの女をマークしておけ」
「撤退させましょう。あの地域にはもう<冒険者>も<大地人>もおりません。
そのままあの場所を保持させても意味がない。
それよりこちらの管制下に置き、防衛線を強化させたほうがいい!」
「いや、参謀長。 あいつは好きにさせておけ」
ユグルタのにべもない返事に、普段は穏やかな参謀長も思わずカッとなった。
「ボブ! あんた、いつまで殴られたのを根に持ってるんだ! 今は非常時だ! あいつを戻して、戦力に使え!
あいつが<教団>の回し者じゃないことは十分証明できただろうが!!」
「そうじゃない」
既に馬上に戻ったユグルタが、立ったままの参謀長に上体を傾ける。
その目は揺らめくように動き、彼の内心を悟らせない。
「あいつの技。ありゃ<エルダー・テイル>のものじゃない。 自由にさせておけ。そして調べるんだ。
<暗殺者>でありながら、多数の敵を一撃で滅ぼす技……あれを手に入れられれば、俺たちは圧倒的な優位に立てる」
「ボブ!」
「ここじゃ俺はユグルタだ。 あんたもそうだろう? ビーベリ中尉」
「……では、せめて彼女に指示を。あのままあの地域で戦わせても彼女はただの遊兵です。
撤退させないのであれば、適切な攻撃指示を」
「好きにしろ」
ユグルタが市内、<大神殿>の方角へと駆け去っていく。
それを見ることもせず、参謀長は彼の幕僚たちに忙しく指示を飛ばし始めた。
◇
『ユウ! <暗殺者>のユウ! 聞こえるか?』
「……もしもし。いきなり念話を飛ばして、誰だ貴様」
今まさに一匹の<水棲緑鬼>を回し蹴りで蹴り飛ばしたユウは、唐突に鳴った念話要請に、鬱陶しそうに応じた。
体の芯に鈍い痛みがある。
口伝を使った後特有の偏頭痛に似た疼痛も治まってはいない。
それでも、ユウの心は陶酔感に近い甘い痺れに酔いしれていた。
それは、彼女が殺人嗜好症に――少なくともその萌芽に目覚めつつあることを示していたが、彼女にとってそんなことはどうでもよかった。
先ほどの守りたいという思考すら、今はない。
ただ、殺したい。
愛する異性に睦言を囁くのと同じ重さで、敵に刀を叩きつける。
相手が甘言に答えるのと、血反吐を吐いて斃れるのとは、ユウの中ではなんら変わらない喜びを感じる反応だった。
それを、その快楽の時間を、邪魔した。
念話の向こうにいる<不正規艦隊>の通信手をいきなり罵倒しなかっただけ、ユウも分別を保っていたといえるだろう。
「何か用か」
『ユウ。 お前のいる場所に、既に仲間も<大地人>もいない。 そこで戦っていても無意味だ』
「敵がいる。 それで十分だ。切るぞ」
『ちょ、ちょっと待ってくれ!!』
念話の声が慌てる。 まだ彼は伝えるべき言葉を伝えていないのだ。
『上空を見てくれ。 鷲が一匹飛んでいるはずだ。 見えるか? 見えなければ呪薬で煙を出す』
既に空は明るい。
抜けるような空に転々と浮かぶ雲の合間、そこに大鷲が一羽、奇妙な軌道を描いて羽ばたくのが見えた。
「……見えた。さっきから変な動きをしている鳥が一羽。 あいつだな」
『そいつは仲間の<召喚術師>だ。 敵の密集している場所まで案内する。ついていってくれ』
「わかった」
ユウの返事が伝わったのか、今まで上空を旋回していた鷲が、一方向に翼を向けた。
それは、港のある方角だ。
『これだけの<水棲緑鬼>の攻撃だ。 どこかに酋長がいる。 そいつを叩いてほしい』
「一人でか? 相変わらず非人道的だな、お前ら」
嘲笑を込めた返事に返ってきたのは、意外にも真摯な声だった。
『違う。 あんたは<教団>の連中を生け捕りにしてくれた。
連中がどうやって、ゲーム時代にはプレイヤーができなかった<大地人>のゾンビ化ができるようになったのか、その手がかりを与えてくれたんだ。
感謝こそすれ、使い潰す気は俺たちには無い』
「じゃあ、何で私一人に行かせる? 死ねば<大神殿>で蘇ってくるからか?」
『それもある。 俺たちが<大神殿>を確保している限り、負けは無い。
だが、守っているだけじゃ戦いにならん。 <敬虔な死者>相手にそうしたように、矛が必要だ。
あんたはその矛なんだ。 俺たちが守ってる間に、親玉を探してぶっ潰してくれ。……頼む』
念話が切れる。
全身に疲労を覆い隠す何かが湧き上がり、あれほど楽しんでいたはずの殺戮の喜びすら塗り替えていく。
<不正規艦隊>に従ういわれはないし、好きか嫌いかでいえば、明確に嫌いだ。
それでも、ユウは走り出した。 鷲の示す方角に向かって。
2.
亜人というのは、誤解を恐れず言うならば、族長制の政治形態を持っている。
政治的指導者、祭祀的――宗教的指導者、軍事的指導者が不可分となった形態だ。
無論場所や種族で差異はあるし、セルデシアが元々ゲームの世界だったことを重ねて考えるならば、
必ずしもそうした類型にあてはまるわけではない。
ただ、唯一共通するものがある。
ある程度以上の規模の集団を組んだ亜人には、必ずそうした指導者がいることだ。
「……現在のところ、<水棲緑鬼>の群れにおける指導者は確認できていません。
ですが、推測はできます」
臨時の総司令部と化したマグナリアの<大神殿>――プレイヤータウンでないためか、アキバやその他の大都市に比べると質素で、どちらかというと村の聖堂というほうが相応しい――の広間。
広げられたマグナリアの地図を指でなぞりながら、参謀長はその場の人々に告げた。
「彼らの指揮通信網は拙劣ですので、まとまって動く集団には必ず頭目がいます。
彼らの背後、港近辺で動かない集団。 総司令官はそこにいる可能性が高いかと」
「囮ならどうする?」
声を上げた誰かに、参謀長が小さく頷いて答える。
「現状で囮に戦力を割く意味はない。既に港の一部を除き、<冒険者>はいないからだ。
彼らが本気で町の制圧を目指すなら、集まっている余剰戦力を投入するほうが早い」
「戦略予備ということは考えられないか? 例えば前衛の<水棲緑鬼>が俺たちと混戦に持ち込む。
その時に連中が突入してくれば、これは一種の飽和攻撃になるぞ」
「敵の程度にもよるが難しいだろう。 ほかの亜人と違い、<水棲緑鬼>は特に集団行動が苦手だ。
好奇心が強すぎ、残虐に過ぎる。 秩序だっての参戦はまず不可能と見るべきだ。
それならば逐次投入のほうがまだ使いでがある」
「なるほど。 じゃあ連中の目的は予備隊というよりも、護衛――いや、近衛兵と看做したほうがいい、ということだな」
その言葉に参謀長が頷いた瞬間、大神殿の外からわあ、という歓声が上がった。
既に彼らがいる場所は後方の安全な指揮所ではない。
<大神殿>からわずか一ブロックも離れていない場所で、<不正規艦隊>の<冒険者>たちはバリケードを盾に攻防を続けているのだった。
「アラモだな、まるで。 ……いや、二重に失言だったかもしれん、すまん」
誰かが言い、即座に謝罪する。
上座に座るユグルタも、苦笑してその幕僚を窘めた。
「ああ。 失言だな、コーマック。まず俺たちの敵は話し合いの通じる敵手じゃない。
そして、俺たちはトラヴィスにもクロケットになるつもりもない。
……さて。
<水棲緑鬼>の動きからして、参謀長の示した場所が敵の中心部、少なくともその可能性が高い場所ということはわかった。
問題は戦闘の終わらせ方だ。 三通りあると俺は思っている。
一つ目は、町に侵入した<水棲緑鬼>、湾内にいるであろう無数の<水棲緑鬼>を皆殺しにすること」
「非現実的だな、少佐」
名前ではなく階級で呼ばれたユグルタが頷く。
「ああ。非現実的だ。やってやれなくはないだろうが、長い掃討戦になる。
しかも奴らの戦力が今マグナリアにいるだけで全てかも分からん。
次だ。
連中がわざわざこれだけの兵力で仕掛けてきた以上、何かの目的があると見るべきだ。
連中と交渉し、妥協点を見つけて兵を引かせる」
ユグルタがパチン、と指を鳴らすと、一人の<冒険者>が縄で縛られた人影を引きずって――折れた手足ごと縛り上げたせいで自力で動けないのだ――広間に入ってきた。
「さて、リンティア女史。 ご気分はどうかな?」
引き据えられた<教団>の幹部、リンティアが恐怖に満ちた目で周囲を見回す。
屠殺される家畜のようなその目を見た参謀長が、苦々しげに口を挟んだ。
「ユグルタ。 まさか、ユウと同じような目には」
「安心しろ。 さすがにこの格好だ。手は出さん……しばらく置いておけばどうなるかは知らんがな」
後半は参謀長ではなく、リンティアに向けた言葉だ。
<教団>の高慢な女幹部は、その言葉に青白い顔をさらに青ざめさせ、怯えるように言った。
「ああ……神様、お願いです、助けて……」
「それはあんたのこれからの発言しだいだ。 言え。それ次第では助けてやる」
「教主を裏切ることは……」
「既に裏切ったも同然だな。 俺たちに捕まった時点で、お前のところの司教さまたちはそう判断していることだろうよ。
対拷問も、洗脳も訓練していない人間が、職業軍人を相手にして意地を張り通せると思っているのか?」
ユウはその意地を張り通したが、それは彼女の経験と精神状態によるものだ。
本質的には単なるゲーム・プレイヤーに過ぎないリンティアが陥落したのは、その直後のことだった。
「……昔のイベントアイテムの奪還、ね。 それを焚きつけて襲わせたわけだ。
そして肝心のアイテムは行方不明。 念のためだが、全員に情報を回してくれ。
万が一、それを持ってる奴がいれば儲けものだが」
ユグルタの言葉に、のろのろと何人かが応じて虚空に語りかけ始める。
職業柄、彼らの中に長く<エルダー・テイル>をやっている人間はほとんどいない。
しかもサーバにひとつだけのアイテムとなれば、探すほうが無謀というべきだった。
「……では最後の対策だな。 連中の酋長と話し、場合によっては殺して兵を引かせる。
最悪、総指揮官を殺されて壊乱する連中を叩く。
ちまちまと削っていくよりはまだ早いだろう。 ……誰が行く?」
誰もが我知らず俯いた。
レベルは高くても50未満、高レベルの<冒険者>ならば恐れる相手ではないとはいえ、数が数だ。
その中で、手をあげたのは参謀長だった。
「適任を向かわせています」
「誰だ。ルヴァか? 威勢だけはいいガストンか?」
「ユウです」
そのまま誰にも何かを言わせることなく、参謀長は言い切った。
「彼女は現状で最も敵の中央軍集団に近い場所にいます。
そして彼女が単独で<水棲緑鬼>の群れとやりあえるのは、敵の真ん中で孤立してもなお生き残っていることが証明になりましょう。
そして、彼女は集団を相手にする技も持っている。
<暗殺者>という職業適性からも、暗殺任務には向いていると思われます。
……独断で既に彼女を向かわせました。 彼女は現在、アルファ・ツー・ポイントを進撃中です」
「当てになるのか、中尉。 あいつは<ジョン・ポール・ジョーンズ>の」
「そこにいるリンティアを捕まえたのが誰か分かっての発言であれば、私は貴様を許さん」
声を上げた一人が、睨みすえられて黙るのを見て、参謀長はユグルタに向き直った。
「我々が目の前の敵をひきつける間に、彼女を使って敵の頭目を狙うべきです。ユグルタ!」
「……よし。 参謀長の意見を採用する。だが予備隊も投入しておけ。
艦隊のメンバーでもない、たった一人の<暗殺者>だけに託すわけにはいかん」
「了解」
軍議は決した。
動き始める幕僚たちの中、リンティアが再び引きずり出されていく。
彼女は、あまりの衝撃に精神のどこかの螺子が飛んだのか、狂ったように笑い出していた。
「がんばって! せいぜいがんばって! 私を脅したお強い軍人さんたちが、魚くさい死体に変わるさまを見届けてやる!
その<暗殺者>にしたってそう! もがれた首を見れないのが、とても悲しいわ!
……何よ、背教者! 異端! 異教徒!!
教主様に対してはなにもできない連中が、せいぜい強がるといいわ!」
「……殺すな。それ以外は何をしてもかまわん」
ヒステリックに叫ぶリンティアを、蛇蝎を見る目で見下ろすユグルタを、今度は参謀長も強いて止めようとはしなかった。
◇
ユウは音も無く飛んでいた。
マグナリアの港地区、コロニアル様式を髣髴とさせる白い町並み、その屋根の上だ。
廃墟に近い状態まで<水棲緑鬼>が壊していながら、張り出した破風と高い屋根は、亜人たちの視界を遮ってくれる。
もとより、自分の視界の上に目を向ける者は多くはない。 魚眼レンズのような、どこを見ているか分からない<水棲緑鬼>とて似たようなものだ。
ただ、そうした環境による援護を受けられるのも、普段なら魚市場が立つ港の広場にたどり着くまでのことだった。
「<ハイディングエントリー>」
屋根から家の隙間の影に飛び降りたユウが呟く。
既に日の高い時間にはむしろ目立つ黒衣がすっと掻き消え、ユウは軽く周囲を見回すと走り出した。
混雑時の埼京線もかくやという人ごみ……<水棲緑鬼>ごみの中を、すり抜けるようにユウは進む。
自分自身を完全に透明化する<ハイディングエントリー>の効果時間はわずか10分だ。
のんきに避けている時間はない。
より<水棲緑鬼>の密集している場所へと、ユウの足がばねのように跳ねる。
そして9分後。
ぎりぎりに近い時間に、ユウは目的のものを発見した。
あの<緑小鬼>の将軍が用いていた部族風戦車を髣髴とさせる、舟形の輿だ。
<緑小鬼>のそれが、鳥の羽やけばけばしい色合いの木で飾り立てられていたのに対し、こちらは海の種族らしく、珊瑚や真珠、貝殻といったもので飾られている。
(人魚姫の御簾かっての)
ユウがそんな印象を持ったほど、それは<水棲緑鬼>の造作にしては不思議なほどに瀟洒に見えた。
だが、その奥にかすかに見えるのは、下半身が魚の美女などではもちろん、ない。
並みの<水棲緑鬼>よりふた周りは大きいであろう手足と、紺色と銀色に光る肌。
そして丸太ほどもある三又の槍だ。
海神の獲物のようなそれを握る手も、太く節くれだっている。
そろり、と近づこうとしたユウの肩を、不意に誰かがつかんだ。
同時に横合いから槍が突き出される。
その時、ユウは<水棲緑鬼の航海長>を観察するあまり、自らの特技のタイムリミットが来ていたことに、ようやく気がついた。
周囲の<水棲緑鬼>が揃って叫ぶ。
輿の奥の<水棲緑鬼の航海長>が、キキキキキ、と甲高い叫びを上げ、のそりと姿を現した。
ユウもまた、刀を抜き放って周囲の敵を斬り倒す。
「マグロみたいな顔しやがって! 寿司にしてくれる!」
自分にトライデントを突きつけた<水棲緑鬼の航海長>に対する、それがユウの宣戦布告だった。




