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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
203/245

146. <水底の歌>

1.


(私は、さっさと<盟約の石碑>に向かうべきだったろうか)


 汗血馬を暗闇に立て、ユウは顔の前に左手を掲げた。

どろどろとした、血ともヘドロともつかないぬめりを、そこに幻視する。


(余計なことに興味を持ったせいで、私は変なしがらみにとらわれてしまった)


だが。


目の前で<敬虔な死者(パイアス・デッドマン)>という聞いたこともない名前のモンスターに変えられた<大地人>。

それを望まない風でありながらも、それを発動した<ジョン・ポール・ジョーンズ>の船長、スワロウテイル。

それを追う<不正規艦隊>。

ヤマトへ帰る道筋を失い、彼らに協力せざるを得なくなった旧知の友人、カイとテング。


ユウの旅にとって、彼らがどうなろうがどうでもいいことといえばそれまでだ。

しかし、ユウはこれまで、周囲の人間からの有形無形の援助を得てここまで来た。

ヤマトでは、クニヒコとレディ・イースタルの。

ユウを守る装備は<アメノマ>の多々良と<黒剣騎士団>のアイザックから。

華国では、この世界に生きる<冒険者>としての心構えを、レンインから。

白銀の峻嶺に挑んだ勇気は、ティトゥスと彼の部下たちから。

この世界の悲惨さと無情さに対する怒りは、<傷ある女の修道院>と、あのグライバルトの人々から。

悲劇にあきらめないことを、<深き黒森のシャーウッド>で。


自分が襲われたことはもはやどうでもよい。犯そうと殴ろうと、どうでもいいことだ。

人殺しを続けてきた自分が、何かを人に返すことができるなどとは思いもよらぬ。

ただ。


「人が人を洗脳して、屍人(ゾンビ)に変えちゃ、やっぱ駄目だろうなあ」


ぽつり、と呟いた自分の目の前で、細い拳が強く握られた。


「そろそろだ。出るぞ。後ろで<敬虔な死者>を操っている連中を一気に打つ」


<不正規艦隊>の頭目、ユグルタが自らの<麒麟>の鞍上から囁いた。

彼の率いる、臨時の騎馬隊の数は96人。

奇しくも、それは大隊規模戦闘(レギオンレイド)の人数と同じだ。

武者震いか、あるいは恐怖かに震えるもの。

怒りに髪や耳、尻尾を逆立てるもの。

その中に、ユウとカイ、そしてテングもいる。


「……大丈夫か?」


自分の握り締めた手を見つめ続けるユウに、横から声をかけてきた人間がいる。

<暗殺者>というより、イスラム騎兵のような甲冑をまとい、長い長剣を腰に挿しているのは、ギルド<エスピノザ>の<暗殺者>、テングだ。

気遣うようなその視線に、ユウは思わず微笑した。


「な、なんだよ?」

「いや、あの時のゲロ吐いてたガキが、一人前の口を利けるようになったじゃないか」


初めて出会ったゴブリンキャンプで、<緑小鬼(ゴブリン)>たちの異臭と、殺戮の酸鼻な光景に痛めつけられ、戦場から逃げた少年はもういない。

そこにいるのは、自分の義務を心得た、一人の頼れる<冒険者>だ。


「あんたも……その、なんていうか。なんか綺麗になったと思う」

「こら、口説くのは戦ってからにしろ。というか、ユウはお前の親父さん世代の元『男』だぞ」


 後ろからゴツリとテングの頭をはたき、カイがしかつめらしく口を挟んだ。


「え……え!? ……そういや確かに前は声が…」

「よし、みんな。行くぞ」


戸惑うテングの向こうで、ユグルタが片手を挙げた。

ユウは応じるように軽く手綱を打つと、汗血馬をゆっくりと歩かせ、音もなく進む一行に続く。


「お、おい。あんたほんとに男だったのか?」

「ああ、そうさ。声を忘れたか? 悪かったな。ま、さっさと戦ってから積もる話でもしようじゃないか」


ユウはそう言い捨てると、振り返りもせず馬を並足から速歩へと移らせる。

髪をなびかせて駆け去る彼女を、テングは「ぼやっとするな!」という<不正規艦隊>の<冒険者>の声がかかるまで、黙って見送っていた。



 ◇


 騎兵の足音というのはよく響く。

銃が戦場の覇権を握るまで、騎兵が花形兵種だったのも、轟音と、それによる恐怖による所が大きい。

体重が500kg近い生物が、ちょっとした車ほどの速度で自分に向かって突進してくるという恐怖は、

古来、多くの歴戦の歩兵を、死へと叩き落してきた。

だが、ユグルタは今回、その利点をあっさりと捨てた。

馬にはみを噛ませ、蹄には何重にも布を巻きつけ、俄か作りの騎兵隊は粛々と進む。

当然だ。相手の兵士の多くは恐怖を知らない屍人(ゾンビ)だし、残る一部は奇襲すべき相手だ。

音を立て、自らの戦意を誇示するのは、敵が逃げ切れなくなった直前でいい。


 先行する<暗殺者>から念話がユグルタの耳に届いた。


指揮官(コマンダー)。連中、薄く広がっている。一見して誰が<敬虔な死者>の操り手かわからん。

もしかしたら複数がそうなのかもしれない』

「一番敵が分厚そうなところは?」

『あんたの進撃開始地点から10時の方角、距離は目測500m』

「了解」


(相手は軍人じゃないな)


 ユグルタは内心でほくそ笑んだ。

スワロウテイルのように、きちんとした軍人が<教団>には少なからず在籍している。

神と合衆国への忠誠を誓った彼ら米軍の兵士にとって、教会はきわめて優先順位は低いにせよ、従うべき相手である。

何より、彼らは教会と、それをまとめる人々の良識を無意識の下では信じていた。

<教団>が自衛のため、そうした元軍人のプレイヤーを徴募していたことも理由ではある。


(だが、実態はカルトだ。スワロウテイルたちは、そいつらに踊らされて本来銃を向けるべきではない相手に銃を向けた)


 笑いながらも、ユグルタの内心に苛立ちが募る。


(実態を知ったなら内部から叩き潰せ。一刻も早く、狂信者たちから離れるのが本来の軍人のあり方ではないか)


 ユグルタ自身、この混乱に巻き込まれるまで、それほど深い忠誠心を軍に対して抱いたわけではなかった。

彼自身、プエルトリコからの移民の息子だ。

幸いにしてアメリカで生まれたため、彼は合衆国の国民として育つことができた。

しかし、彼には1日十数ドルの食費しかない親のためには、軍に入って給料を貰う事が先決だった。

だから彼は神と合衆国に忠誠宣言をし、合衆国軍人となったのだ。


だが、身過ぎ世過ぎの手段であった軍という場所は、彼にとって思ったより居心地の良いものだったらしい。

異世界に仮想の体で放り出されても、自らのアイデンティティを支える柱になりえるほどに。


「ようし、各人前進。『バイオハザードごっこ』で浮かれている連中の頭を冷ましてやろう」



 ◇


 疾走するユウの揺れる視界に、明らかに<敬虔な死者>とは異なる動きの人影が見えた。


「接敵! 前進するぞ。 ……まさか俺が先祖と同じ騎兵突撃をする羽目になるとはなあ」

「小隊長。あんたの先祖は騎兵だったのか?」


 走りながら軽口をたたいたユウを、ちらりと見て小隊長の<冒険者>が笑う。

彼女への組織立っての反感も、戦場を前にした高揚感で忘れているらしいその男は、敵との距離をちらりと測って返事をした。


「ああ。フランス帝国軍、デヌエットの近衛軽騎兵師団第1連隊。ワーテルローで死んだのさ。

……願わくば、俺たちのユグルタがミシェル・ネイ元帥ではないことを祈るよ。

19世紀のフランス軍元帥と、21世紀のアメリカ海兵隊少佐じゃあ、格が違うだろうけどな」


無駄口は終わりだ、行くぞ。


そういって彼が手持ちの槍を前方に突き出すのと同じく、ユウも借りた槍を向ける。

<魔法級>のものだが、もとよりユウはこれに大して依存するつもりはない。


Getsome(ぶっころせ)!」


 小隊長が叫び、ユウも汗血馬の腰に拍車を当てた。

もとより、空を舞う種族を除けば、ユウの駆る汗血馬の速度とスタミナは騎乗生物の中でも一級品だ。

ダン、と後ろ足がたわみ、馬が乗り手のお株を奪うように宙に舞う。

舞い降りた時、それはよたよたと歩いていた農民らしい<敬虔な死者>の頭蓋骨を、粉のように撃砕していた。


「敵襲!!」

「遅い」


ユウが警告の叫びをあげた<教団>側の<妖術師>、その喉笛を貫く。

ヒュウ、と空気の漏れる音を発しながらも、手で何かの呪文を発動させようとした彼の頭を槍先にかけて引きずり、梃子のように跳ね飛ばすと、面白いようにその男の体が宙を舞った。


「カイ。テング。しっかり私を見張っていろよ」


後ろに来ていた二人の<冒険者>に、振り返りもせず言い捨てると、ユウの姿が加速する。

周囲は徐々に戦闘の混乱に支配されようとしていた。



 殺しというのは慣れれば作業のように感じるものだ。

右手の灌木の脇から絶叫と歓声が上がる。

同時に目の端を通り過ぎる、虹色の泡。

誰かが殺し、誰かが僅かな間だけの死者の列に入ったことをそれは示していた。


「テング! 離れるなよ!」


前を駆けるユウに遅れないように、両手もちの大剣を片手で振るいながら、カイは真後ろに従う仲間に叫んだ。


「周りは真っ暗だ! はぐれたら合流できないぞ!」

「そうはいっても、ユウが速すぎる!」


両足で狂奔する馬を御しながら、忙しく周囲の敵に刀を振るうテングが悲鳴を上げた。

彼らが乗っているのは、中レベルで乗れる程度のごく一般的な騎乗用の馬だ。

汗血馬とはスピードもスタミナも、あらゆるところが劣る。

それでいてユウに何とかついていけているのだから、彼らの馬術も相当なものだった。


「異教徒め!」

「知るか! こっちは先祖代々真言宗だ!」


十字架の飾りを握りしめ、<オーブ・オブ・ラーヴァ>を放ってきた敵に怒鳴り返し、カイの大剣が雪崩落ちる。

一撃で頭を粉砕とまではいかないものの、ぐらりとよろけたその男に、カイは思い切り馬を叩き付けた。


「う、ぐお、う、あああ!!」


足元からべきぼきと嫌な音がするが、それにかかずらう暇は今のカイにはない。


「ユウはどこだ!」


思わず叫んだ彼の耳に、すさまじい悲鳴が轟いた。


「あっぎゃああああああアアアア!!」


最後はもはや獣の叫びだ。 何事かと周囲の<不正規艦隊>や、知性を持たぬはずの<敬虔な死者>さえ振り返った、その視線の先で、一人の男の顔面が文字通り溶けていく。

もとは<守護戦士>だったらしい、白銀の豪奢な鎧をまとったその男がうずくまり、その姿勢のまま泡と化した。

カイの背筋に寒気が走る。

それを裏付けるように、男の前でゆっくりと身を起こしたのは、いつの間に下馬したのか、徒歩で本来の武器(かたな)を構えたユウだった。


彼女は周囲の視線と沈黙に気付いたのか、ゆっくりと周囲を見回すと、ぞわりと嗤う。

その表情は、なまじ顔立ちが整っているだけに、凄艶を通り越して妖艶といってもよいほどだ。


「本陣はあっちのようだ。 行こう。 ……カルト狩りの時間だな」


 身をひるがえし、駆け去る彼女に誰かが思わず「神様(ジーザス)」と呟いた。



2.


 リンティアは帰還呪文の準備を進めていた。

本陣代わりの天幕(ティピ)、その中にまき散らされた書類や地図、略奪品を部下とともにあくせくと集め、ろくに名前(ネーム)も見ないままに片っ端から<魔法の鞄>に詰めていく。


「早くして!」


 必死で手を動かす部下たちに絶叫しながらも、彼女は天幕の外の音に耳を澄ませていた。


(大丈夫。まだ、遠い)


心の中で安堵する。

敢えて目立つ天幕には<敬虔な死者>と僅かな<大地人>兵を置き、自分たちは兵士用の天幕にいたこともあって、暗闇から襲撃してきた<不正規艦隊>はまだ彼女たちの存在には気付いていないようだった。


「大丈夫! 時間はあるわ。落ち着いて、<教団(わたしたち)>の証拠は残さないのよ!」


彼女と、二十人近い仲間の術者が率いるこの<敬虔な死者>たちの軍勢は、今回、<不正規艦隊>の本拠地、マグナリアを攻めるにあたって、わずか300人ほどでしかない。

そのほとんどは屍人(ゾンビ)であり、同規模の<冒険者>どころか、中隊規模(フルレイド)であっても磨り潰されてしまうだろう。

だが、彼女は別にそれでもいいと思っていた。

<大地人>は無限ではないにせよ、<星条旗特急>で日々かき集められており、<敬虔な死者>の素材には事欠かない。

そして、別に彼女の率いる屍人たちは街攻めの主役ではないからだった。

彼女は、いわば見届け人なのだ。


団長(マム)! <水棲緑鬼(サファギン)>ども、無事上陸を開始したようです!』

「よろしい」


先行させていた偵察役からの念話に、つかの間彼女は普段の鷹揚な態度を取り戻した。


「連中のお宝があるとなれば、あの半魚人どももやりますなあ」

「そうね……無駄口をたたくのはいいけど、手を動かしながらにして頂戴」


 側近に釘を刺しながらも、彼女はほくそ笑む。


(15年も前のクエストなんて、知ってる連中も少ないし)


『<マグナリアを防衛せよ>』という古いクエストにおいて、<冒険者>が<水棲緑鬼>から奪い取った彼らの宝物が、マグナリアにあったことなど、誰がおぼえているだろうか。

しかもそのアイテムは既にない。 当時のクエストクリアの報酬として、一人の<冒険者>の手に渡ったのだ。

その宝物が今もセルデシアのどこかで眠っているのか、それとも報酬を得た<冒険者(プレイヤー)>の引退とともにデータの海に沈んだのか、そんなことはリンティアにも、彼女に指示を下した<教団>にもどうでもよいことだった。

重要なのは、今も<水棲緑鬼>がその宝物を必死で探しており、そのためにマグナリアを攻めているということだけだ。


「<不正規艦隊(れんちゅう)>の船はどれだけ残りますかね」

「……さてね。<水棲緑鬼>は全員がプロのダイバーで戦士よ。鈍重な帆船がまともに生き延びられるとは思わないけど」

「……団長(マム)! 準備、そろそろ終わります!」

「なら、私たちもさっさと逃げるとしましょう」

「あの、外で戦っている仲間や<大地人>の同志たちは?」

「あら」


 年のころは10代半ばほどだろうか、戸惑うように自分に声をかけた若い<教団>員に、リンティアはサディスティックな笑みを向けた。

その顔を見た<教団>員の顔が一瞬で強張る。


「なに? 助けに行きたいの? 勝手にするといいけど、私はごめんだわ」

「ですが……仲間ですし」

「仲間?」


リンティアの笑みが深くなる。


「<冒険者(なかま)>ならここで死んでも甦るのは大聖堂の中だわ。別に無理して助けに行くことないじゃない。

それとも、あなたが言っているのはあの可哀そうで健気な<大地人(でくのぼう)>たちのこと?

あんな元異教徒、どうだっていいじゃない。どうせ死ねばゾンビになるし、代わりは一山いくら。

……こんなくだらない解説を私にさせるために、あんたは私を呼んだのかしら?」

「すみません、後で始末させますので」


側近の男が、笑みの裏で主が激怒したことを察し、割って入る。


「おい! 何度も説明しただろう。<大地人>なんて人間じゃない。教主と<教団(オレたち)>のための道具だと! 何度説明したらわかるんだ!」

「すみません……隊長」

「帰ったら告解を受けるんだぞ。お前ももういい年なんだから、言っていいことと悪いことの区別くらいつけろ。あんなゾンビ未満に変な感情を抱くんじゃない」

「暖かいお叱りは本部でね。 ……じゃあ、みなさん、お先に。片付いた人から順に帰ってらっしゃい」


 リンティアがふう、とため息をついて<帰還呪文>を唱えようとした矢先、不意に天幕が開けられ、何かがリンティアの足元めがけて放たれた。


「……! なに、これ! 動かない」

「<シャドウバインド>。 どうやらここが本命のようだな」


するりと天幕のうちに入ってきた、野獣のような雰囲気の黒衣の女は、そういって全員を見回し、ぺろりと唇をなめた。



 ◇


 ユウは純粋に喜んでいた。

ここ最近、まともに戦っていない鬱屈が、捩れた縄が解けるように消えていく。

その感情がもはや『鈴木雄一(じぶん)』なのか、『ユウ(じぶん)』なのかもわからない。

ただ一つ言えること。


自分が殺せる(あそべる)人間が、これだけ溜まっていることだった。


「な、貴様、て……」


敵か、という暇すら与えず、一人の首を跳ね飛ばす。

ぐちゅ、と肉が倒れる音と同時に、別の女が叫ぼうとした口を耳元まで斬り割られた。


「踊れよ」


狭い室内だ。

まだ散乱する書類を前にうまく動けない男女に対し、ユウが飛ぶ。

一人の首に緩やかに手を巻きつけると同時に首をごきりと折り、着地した時は別の一人の目を刀の柄で眼底ごと砕いていた。


「うわ、うわあああ!」

「きゃあああ!」


 リンティアが、いつの間にか<シャドウバインド>が解けたことにも気づかず呆けているうちに、目の前では惨劇というのも烏滸がましいほどの惨殺が繰り広げられる。

脛を蹴り折られた男が吐瀉物を撒いて転げまわる。

別の場所では、両目を潰され、顎を貫かれた女がびくびくと断末魔の痙攣をしていた。


「<盟約の石碑>までの地図を持っている奴は誰だ? おとなしく渡せば楽に殺してやるぞ」


全身から死臭を漂わせ、ユウが朗らかにいう間にも、一人の男――先ほどリンティアにものを尋ねた少年<教団>員――が、濃硫酸のような液体を浴び、半身を溶け崩して絶叫する。


本来、彼らも<冒険者>だ。天幕を吹き飛ばすこともできれば、数を頼んで押し包むこともできただろう。

しかし、指揮官(マム)であるリンティアはじめ、全員が<帰還呪文>で帰ることしか頭になかった瞬間の奇襲だ。

戦慣れした兵士でも、逃げる算段を整えた瞬間に戦うのは難しい。

それも、対個人の攻撃力では<エルダー・テイル>最強と名高い<暗殺者>を前にしては。


だが、例外もいる。


団長(マム)! お逃げください! ここはオレが!」


巨大な戦槌を振り回し、先ほどまでリンティアと話をしていた側近の男が叫んだ。

頷き、震える手で自分にしか見えないステータス画面のボタンを押そうとするリンティアの手は、だが震えて動かない。


「団長! お早く!!」


鼠のように飛び回る<暗殺者(ユウ)>を近づけさせまいと、右左に戦槌を振るう男が絶叫する。


(分かってるわよ! 分かってるけど、だけど!)


<召喚術師(サモナー)>であるリンティアは、武器を振るって前線に立った経験はほとんどない。

事情があって、彼女が本来持つべき召喚獣も、今の彼女は一匹も持ってはいない。

残すのは、召喚獣なしでも効果があるいくばくかの呪文と、そして。


「うごかなあいいいいい!!!!」


部下と同じく、<強酸>の毒を頭からぶちまけられて、魂切るような断末魔を上げながら側近の男が消えていく光景を目にしながら、リンティアは喉もかれよと絶叫したのだった。



 ◇


 東の空が薄く青みがかって行く。

夜明けの前兆だ。

戦闘時間は約30分。既に仲間たちは生きた敵を殺し、あるいは捕縛した後、薄く広がる<敬虔な死者>たちの掃討に移っている。

ユグルタは小高い丘に馬を立て、馬上であちこちの部下と念話で話しながら、状況把握を行っている最中だった。


『マルセル隊、城門を確保しました! このまま防衛に移ります!』

『ジュリアス隊、とりあえず援軍は見当たらないようですね。このまま索敵行動に入ります』

「よし、ジュリアス、猫の子一匹見逃すな。 ……ああ、俺だ、オスカー。お前は街をぐるりと回りながら残敵を掃討しろ。ランディとゼフェルも連れて行け。

……オリヴィエ。港側が心配だ。クラヴィスと一緒に城内に戻って加勢しろ。

俺の護衛はルヴァの部隊(タスクフォース)だけで構わん」

「ユグルタ!」


 念話での指示が一段落し、ふう、と一息ついたユグルタに、丘のふもとから声がかけられた。

そのまま近づく鎧姿の異邦人に、ふっと彼の顔がほころぶ。


「おお、カイ。戻ったか。テングも無事か?」

「ああ。そっちの守備はどうだ?」

「今回は勝利だったようだな。……連中の親玉を見つけられなかったことが悔やまれるが。

急ぐぞ。 マグナリアの敵はあいつらだけじゃない」


一瞬で元の厳しい顔に戻った総大将(ユグルタ)に、カイは笑いながら後ろを親指で指した。


「……なんだ? ああ……あの女か」


カイの指差す方角を見て、温度のない声で答えたユグルタは、徒歩のユウが引きずる何かを見て、目を細める。


「……あれは? ジャガイモなら間に合ってるぞ」

「あいにく、そんな茹でたらうまいものじゃないよ」


肩をすくめるカイの後ろで、今度はテングの馬に数珠つなぎにされ、それこそ屍人(ゾンビ)よろしく歩く人々が見えた。

その腕や顔は、遠目に見てもところどころ欠損している。


「……確かに。ジャガイモより料理のし甲斐がありそうだ」

「だろ? あれがユウの赦免状代わりだ」


意地悪く笑うカイの後ろに進み出たユウが、無表情に引きずっていた荷物を放り出した。

逮捕術の専門家なら憤慨するほどに雑に巻かれたロープの端からは、膨れ上がりすぎて男女はおろか、人間かどうかすらわからないほどの顔が覗いている。


「……はぅふ……ひゃひゅ……へへ」

「逃げ出そうとしたところを捕まえた。 おそらく敵の総大将だ」


無様に転がったハムのような肉――リンティアの耳を無造作に蹴り飛ばし、ユウは落ち着いた声音で告げた。



 ◇


「生き残った連中は弩砲を撃て! いいか、一匹でも多く、水棲緑鬼(サファギン)を倒すんだ!

奴らを少しでも陸へ上がらせるな!!」


 あちこちで爆発と火災が起きる中、小型帆船(コルベット)、<ジョンストン>の艦長、エバンズは嗄れた声で叫んだ。

既に彼の指揮する<ジョンストン>は竜骨も折れ、満身創痍だ。

水棲緑鬼の潜水兵(サファギン・ダイバー)によって喫水線下に穴をあけられ、沈没する前に、エヴァンズが無理やり砂浜に乗り上げさせたからだった。


「お前ら! 亜人に後れを取るな! 英国海軍(ロイヤルネイビー)にも、アルジェ海賊(バルバリア)にも、ドイツ海軍(ハイシーフリート)にも、日本海軍(インペリアルフリート)にも勝った、俺たちアメリカ海軍の意地を見せろ!!」

「おう!」

「……俺は海兵隊(マリーン)だよ」


エバンズは、指揮杖代わりの剣を振り回し、手近な水棲緑鬼(サファギン)を殴りつけた。

殴られた亜人が反撃を試みる前に、横合いからの剣がその水棲緑鬼を泡に還す。


「艦長! 敵が!」

「……なんてこった」


 エバンズが呆然と眺める先で、海から上がった無数の水棲緑鬼が、続々と砂浜に足跡を印していく。

さらにその後ろには、海を埋め尽くすようなサファギンが


「ここはノルマンディーか、はたまたイオージマか。 冗談じゃないぞ」


思わずつぶやいた彼は、手近な一人を差し招く。

不思議そうに上官に近づいたその<冒険者>に、エバンズは覚悟を決めたような顔で言った。


「お前は陸上に上がれ。<帰還呪文>を使って。

そしてユグルタに念話で連絡を取れ。 ……海上を護衛していた艦は全滅、残るは退避した船だけだと。

俺たちはここで一時でも長く敵を食い止める。陸上の防備を頼む、最悪街を捨てるかもしれないから、<大地人>を頼むとな。 いいか? よし、行け」


バシン、と肩をたたかれたその<冒険者>が大神殿へと消えるのを尻目に、エバンズは獰猛に微笑んだ。

死がこの世界では天国への道ではないことは知っているが、恐怖はある。

記憶をいくつか、無くしてもいる。

だが。


「ここで逃げ出して<大地人>が死にでもしたら、その記憶は一生消えない」


先祖であるネイティブアメリカンの祈りのような姿で、エバンズは天を仰ぎ、視線を落とした。


「さあ。夜明けまでに何匹殺せるかな」


主の滾る戦意に呼応するように、無生物のはずの<ジョンストン>が震えた。


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