番外15. <三人の思い出> (後編)
今回の舞台は山口県美祢市、秋芳洞です。
非常に眺めの豊かな場所で、地上もさることながら地下の鍾乳洞はLEDで綺麗にライトアップされ、幻想的な美しさです。
地上では季節によっては野焼きもあり、近くにはサファリパークで白虎を見ることが出来、さらには近くには山口随一の宿、大谷山荘があります。
お近くに寄られたときは、是非。
また、本作の最後の場面には
・オヒョウさま
『私家版 エルダー・テイルの歩き方 -ウェストランデ編-』
http://ncode.syosetu.com/n4000bx/
・佐竹三郎様
『残念職と呼ばないで。(仮)』『三匹が!』
http://ncode.syosetu.com/n3624ca/
・或未品様
『『契約の守護者』達……?』
http://ncode.syosetu.com/n0288ci/
はじめ、諸兄姉に非常なご協力を賜りました。
有難うございました。
1.
死ぬ。
自分にとってはアキバへの小旅行。
子供たちにとっては親や家族との、自分の未来との永遠の別れ。
魂は輪廻する、と古代の聖賢は言った。
死ねば良き魂は天国へ行くのだ、あるいは親が死ぬのを暗い河原で待つのだとも。
(それがどうした。死ねば、終わりだ)
かつての<冒険者>がそうだったように。
今生きる<大地人>がそうであるように。
死は、断絶なのだ。
それでもユウは死ぬ。
あまりの凄絶な姿からか、<小牙竜鬼>の攻撃は止んでいた。
いや、どうせ数秒後に死ぬのだから、今襲って殺されなくてもよい、と踏んだのか。
どちらにせよ、ユウにはもう、呪薬を取り出す力さえ残っていない。
そして、HPが尽きる。
ぼうっと泡が浮かび、ユウの体がほのかに輝くと、周囲の<小牙竜鬼>が互いの肩を叩いて喜んだ。
強敵の死、自分たちの勝利、そして健闘に、いびつな人間のカリカチュアたちが互いを讃え合う。
それをかすむ目で見ながら、ユウは意識を手放しかけた。
ふと、そんな自分が思ったより平静な気分でいることに、彼女は気付いた。
焦燥も、絶望も、もうない。
その理由を、ユウはひとつ、見出した。
(あいつらが来るからだ)
自分が<大地人>の村に置き去りにしてきた、頼もしい戦友たち。
決してゲームの花形だったわけでも、世界の有名プレイヤーたちのように名前を知られたわけでもないけれども。
それでも自分にとっては、最後に頼れる『仲間』たち。
(いつか、もしかしたら)
透き通った体が風に溶けていくのを感じながら、ユウはふと思った。
(私の、本当に最期の時、来てくれるのはあいつらかもなあ)
そうして、ユウは消えた。
◇
時間は若干遡る。
「畜生、これ以上邪魔するとエビフライにして食うぞ!!」
「クニよ、こいつらは衣付けてもまずいと思うぞ、多分」
目が退化した、洞窟限定の水棲モンスター、<ドリーネンシュリンプ>が飛び跳ねて襲ってくるのを一撃で斬り飛ばしたクニヒコに、そんな暇もなかろうにレディ・イースタルが突っ込んだ。
彼女も自らの杖を槍に変え、意外としっかりした槍捌きで別のエビを串刺しにしている。
「俺ゃやっぱり天麩羅だな。手一束といって、握ったときにちょうど頭と尻尾以外が隠れるくらいの大きさのエビを……」
「エビ談義はいいから!」
今、二人がいるのは、ユウがいる場所から数百メートルほど離れた洞窟の一角だ。
先から聞こえるざわめきは、目的地が近いことを暗示している。
そんな時、二人は多数の<ドリーネンシュリンプ>にいきなり襲われたのだった。
「うう、エビってのは小さいから気にしなかったが、こうやって見ると本当に虫だな」
「しゃべるなタルさん!」
虫嫌いのクニヒコが総毛だって怒鳴り、レディ・イースタルも「へいへい」と討伐作業に戻る。
<ドリーネンシュリンプ>は、洞窟生活に適応した、目のないエビだ。
だが、どうやって敵を認識しているのか、水の中から急に飛び跳ねては、舌のような触覚を突き出して二人を刺そうとする。
舌を刺して血を吸い尽くし、残った肉を齧るという生態なのだった。
「こんなところでミイラにされてエビの肉とか、ぞっとしねえもんだ」
白い肌にいくつか、吸血痕を残してレディ・イースタルがぼやき、炎をまとった槍がまた一匹、香ばしい臭いを周囲に撒き散らさせた。
◇
<ドリーネンシュリンプ>の群れを撃退したクニヒコたちは、さらに先へと進んでいた。
もはや、<小牙竜鬼>のざわめきは耳を覆うほどに大きく、時折斥候か、何匹かの<小牙竜鬼>が散発的に襲ってきては、クニヒコの剛剣に両断されている。
「あっちのようだな」
レディ・イースタルがそういったとき、不意に聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえた。
その叫びに、思わず<守護戦士>と<森呪遣い>は顔を見合わせ、ため息をつく。
「ユウ、また後先考えず突っ込んだな」
「あの人、前世は絶対猪か何かだろう」
「軍隊アリかもしれんぞ。連中は恐れを知らず突っ込むからな」
「もう虫の話はいいから……」
当のユウが聞いたら憤慨するような台詞を吐きながらも、二人の足が速まる。
どれほどうんざりしても、ユウは友人だ。
そして、<大地人>の子供の行方も気になる。
「……そういえばさ」
がしゃがしゃと、うるさく鎧を鳴らしながら、ふとクニヒコが言った。
「ユウさんの子供、確か娘と息子だったんだよね」
「そういや、そうだな」
「今回攫われたのも、女の子と男の子だよな」
「……なるほどな」
二言三言の会話で、頷きあう。
「……そりゃあのバカ、突っ走るわな」
「大体あの人が切れるのって、結構理不尽なのを見たときだからね。まあ本人のほうが理不尽だけど」
「あいつも若い頃から血の気が多いからなあ」
杖を片手に持ったまま、レディ・イースタルが肩をすくめた。
「しゃあねえ。今回はあいつのアホは不問に付すか」
クニヒコも苦笑して自らの大剣を肩からおろす。
「アホをするのは<エルダー・テイル>やってるおっさんプレイヤーの特権みたいなもんだしね。
ユウさんに限らず」
ははは、と苦笑が互いの喉から漏れ、そのままクニヒコは足を速めた。
「防御役が必要だし、先に行くよ」
「ああ。頼んだ……ん? おい、ユウにかぎらずって、どういう意味だ、おい、木原!!」
さりげなく馬鹿にされたことに気付いたレディ・イースタルが全力疾走に移る前に、二人の目は壮絶な光景を見ることになった。
2.
「<蜷局竜>……でけぇ」
思わず嘆息が漏れるのを抑えきれない。
毒によってHPを削られ、のたうつ亜竜は、『亜』という文字が嘘に思えるほどに巨大だった。
まさにこの<ドリーネンコルム>の主に相応しい威容だ。
そして、その顎からやや離れた場所。
壁を背に、両手を広げて立ちはだかる、黒い装束の女<暗殺者>の姿がある。
その腹部と喉からは噴水のように血が噴出し、そしてそのまま彼女はがくりと首を垂れた。
全身が虹色に光っていく。
「やべえ!死んだ!!」
クニヒコの叫びもあらばこそ。
レディ・イースタルは状況を把握する前に呪文を唱えていた。
「<ネイチャー・リバイブ>!!」
蘇生と同時に<脈動回復>をかける、<森呪遣い>のまさしく奥の手だ。
ギリギリで距離が届いたのか、泡が途絶え、薄れていた肉体が徐々にはっきりとした輪郭を形作っていく。
同時に、死によって自らの毒の効果を排除したユウのHPが、文字通り脈打つように回復していった。
「ユウ! そんな場所で寝るんじゃない!! <アーリーバードクライ>!!」
レディ・イースタルが覚醒の呪文を唱えるのと、クニヒコが<小牙竜鬼>の集団のなかに切り込むのとは一秒も違っていなかっただろう。
「<アンカー・ハウル>!!」
立て続けの挑発が、<蜷局竜>の潰れた片目を、黒衣の<守護戦士>に向けさせた。
咆哮が上がる。
その時、ユウの後ろで震える<大地人>の子供たちの姿がクニヒコの目に映った。
彼は、重鎧を着た<守護戦士>だ。
一般に速度に優れたイメージはなく、また実際に彼はユウなどに比べれば遥かに遅い。
だが、90レベルを超している彼は、<小牙竜鬼>などに比べると断然その移動速度は速かった。。
<小牙竜鬼>たちを蹴り砕き、あるいは体当たりで吹き飛ばしながら彼は大波を割るように進む。
そのまま一飛びで、ユウや子供たちがいる場所まで彼は駆け上がると、倒れる<暗殺者>の前に立った。
一瞬後ろを振り向くと、怯える子供たちににやりと笑ってみせる。
「今度は俺が君たちを守るよ。絶対に、今度は死なせん」
クニヒコの脳裏で、テイルロードで、ロカントリで救えなかった子供たちの面影と、後ろに抱える子供たちの顔が重なる。
救えなかった悔恨は決して癒されない。癒されないが、せめて今度は。
「死なせるか! タル! 援護任せたぜ!!」
クニヒコの勇壮な背中が、子供たちの眼前に壁となって立ちはだかった。
◇
「<オンスロート>!」
水平に振り抜かれた<黒翼龍の大段平>が、周囲の<小牙竜鬼>をまとめて腰斬する。
それを当然とばかりに返り血を払い、次には上への切り上げだ。
かつて多くの戦場で、名だたる怪物たちを斬り捨ててきた<黒剣騎士団>屈指の刃は、並み居る低レベルモンスターなど歯牙にもかけようとしない。
クニヒコの大剣である<黒翼龍の大段平>は、かつてのクエストで手に入れた、<幻想級>の業物だ。
特技の強化や属性変化といった、多種多彩な効果を持つ<幻想級>武具の中にあって、この剣は変わった特性もなく、属性攻撃のような特殊特技も与えない。
ただ、攻撃力と防御力、自己回復力を強化するだけだ。
強化のみ。
それだけだからこそ、<黒翼龍の大段平>は、こと正面切った殴り合いでは、無双の強さを発揮する。
一体の敵に対する瞬間的な攻撃力ではユウが上でも、多数の敵を相手取った戦いであれば全体で与えるダメージははるかに上。
それができる武器であり、それを成せるのが、元<黒剣騎士団>トップレイダー、クニヒコという男なのだった。
「タルさん! 継続的に<エリアヒール>! 強化! 集団から5mはなれて回り込め!」
「お、おう!」
「相手は高々<小牙竜鬼>と、80レベル、2小隊級の<蜷局竜>だ!恐れるな!」
「お、俺は恐れてなんか……」
「相手は俺だ! 余所見してんじゃねえ! <タウンティングブロウ>!」
そして、クニヒコの能力はそれだけではない。
アイザックやレザリック、キリーといった、指揮のプロたちには一歩譲るが、パーティ全体を見据えての状況判断もまた、クニヒコの能力のひとつだ。
戦略的、戦術的な目的は何か。
そのために手持ちの札をいかに使うか。
大規模戦闘とは、一種の詰め将棋に近い。
個々の駒が自由な意志を持った、巨大なチェスだ。
指し手の与える指示を細分化し、権限を委譲され、自らの指揮下の駒たちに伝えていく。
時には指し手の意志に反してでも、最善な状況を作り出す。
それが出来ない人間に、大規模戦闘の一員を名乗る資格はないのだった。
今の目的は何か。
(子供たちを助け出すこと……じゃない)
戦士の熱情に駆られる自分と、子供を守らねばと思う自分。
それらとは別の、冷徹な自分が、心の中で囁く。
二人の子供を守って脱出すること。
この場の<小牙竜鬼>や<蜷局竜>を全滅させること。
自分が生き残ること。
いずれも、優先順位は低い。
(このエリアの周辺の<大地人>たちの安全の度合いを高めること)
それが最大の任務だ。
クニヒコは、マナガの村の子供たちを思い出していた。
連れ去られなかった、『幸運な』子供たちだ。その数はもちろん、二人ではない。
(仮にこの場の二人を助けられなくても、より多くの子供が今後無事成人できるのであれば)
夢想だ。
さらにいえば、人によっては『命の価値に順序を付けるのか』と激昂するであろう思考でもある。
だが、クニヒコはそう考える自分をあっさりと肯定する。
そしてその為には、自分たちが<小牙竜鬼>を全滅させるだけでは足りない。
目の前で<蜷局竜>を殺し、彼らの精神をへし折っても、まだ、足りない。
もう一押し。その為に、彼は田舎芝居の役者じみた行動をとることすら、あえて行った。
「貴様ら!!」
大剣を片手で振り回し、周囲の<小牙竜鬼>を下がらせてから、彼はバッグに手を伸ばした。
そこからするすると、長い棒を取り出す。
武器ではない。
それは、小ぶりな旗竿だった。
戦国時代の武士が背中に背負っていたような、つまりは旗指物だ。
適当な麻布を継ぎ合わせて作られた布には、大きく『ク』と書かれている。
それを、自分の大剣を支えていた鞘につっこみ、背中に背負ってクニヒコは悪鬼のようににやりと笑った。
周囲を照らす松明によって、燃えているかのように見えるその旗を指差し、クニヒコは嘲った。
「俺はこの旗があるところにいる! 分かったか!?」
怒りに燃えるクニヒコの目が、手近な<小牙竜鬼>を捉えた。
亜人でも人の言葉がある程度分かるのか、その<小牙竜鬼>が思わずといった調子で頷く。
「よし!」
莞爾と笑った瞬間、クニヒコの剣先は一瞬でその<小牙竜鬼>の頭蓋を西瓜のように打ち割った。
そのまま周囲を睥睨し――無論、片手は忙しくモンスターを狩っている――その目が<蜷局竜>を向く。
状態異常効果が解除され、不遜な生物への怒りを燃やす巨大なモンスターへと。
つられて、自分たちの崇める絶対者を見た<小牙竜鬼>の一匹が、叫びを上げた。
「カ……カミ!!」
「カミ!」
「カミ!カミ! ウワザドレウ!!」
「ワド!!カミ!!」
それは先ほどまでの余裕ある叫びではない。
死からの脱出を希う、必死の絶叫だ。
そして、下僕たちの叫びに押されるように、ずるずると<蜷局竜>が近づく。
退化せず残った前足で鍾乳石の地面に楔を打ち、石筍と逃げ遅れた<小牙竜鬼>をその蛇体で押しつぶしながら。
そして最後の距離を近づくと、<蜷局竜>は発達した巨大な顎門で、クニヒコに劣らぬ怒りの轟哮を上げたのだった。
◇
大声援を背に受けながら、吼え猛る<蜷局竜>を見て、ふん、とクニヒコは鼻を鳴らした。
その横に、<小牙竜鬼>を槍先にかけ、レディ・イースタルがたどり着く。
彼女と、身じろぎして気絶から目を覚ましたユウをちらりと見、クニヒコはモンスターたちに聞こえないように言った。
「正念場だぜ、タルさん。ユウさん。二人とも変な茶々入れて混ぜっ返してくれるなよ」
「この状況で混ぜっ返せる奴がいたら、そいつはお調子者じゃない。馬鹿だ」
騎士に寄り添う凛とした美姫、という顔を崩さないまま、レディ・イースタルも答える。
彼女もまた、手製の旗指物――『ク』と書かれた、見ようによってはかなり滑稽なもの――を、背中の代わりに足元に立たせる。
逆手に持った槍でぶち抜いた岩は、まるでそう誂えたかのように旗をしっかりと支えていた。
「ユウも、分かってるか?」
「ああ。 ……古典的な戦術だ」
ユウもまた、受け取った旗指物を自らの横に突き立てた。
三本の旗が、洞窟の風に翩翻と翻る。
<蜷局竜>の後ろからそれを見つめる<小牙竜鬼>に見せ付けるように、旗を指差してクニヒコは吼えた。
「いいか! 貴様ら! この旗があるところ、どこでも俺たちは現れる!
逃げおおせたとしても絶対に生かしてはおかん!
貴様らの子供、兄弟、親子、いずれも残さぬから心しておけ!」
<小牙竜鬼>が、もはや喉も裂けよとばかりに『カミ!!』と絶叫した。
その目は、例外なく旗と<冒険者>、そして<蜷局竜>を交互に見ている。
その中で、目の前にいるにもかかわらず存在を無視された<蜷局竜>が、怒り狂って首を突き出した。
まずは最も憎むべき――そう仕向けられた――黒衣の騎士に、その牙が迫る。
「<クロス・スラッシュ>!」
次の瞬間、<蜷局竜>の顔が十文字に裂け、巨大な牙がごとりと大地に転がった。
突き出した鎌首をもたげ、痛みに<蜷局竜>が絶叫する。
だが、それよりも早く。
「まだ毒が足りないようだな! 追加してやる!!」
緑の刃が、クニヒコが開けた傷口に見事に重なって顔面を切り裂いた。
巨大な<蜷局竜>の鼻面は裂け、目の下まで肉がちぎれてぶらぶらと揺れている。
なおも激震する<蜷局竜>の胴体に、今度は穂先をビームのように光らせた槍が突き刺さった。
「<フィアースモールド>!!」
<森呪遣い>の呪文で呼び出された腐食性のカビが、堅牢な<蜷局竜>の甲殻を瞬く間に黒く染め、ぼろぼろと砂のように落としていく。
「カビよ、食え!」
レディ・イースタルが叫び、槍と化した彼女の杖、<深海の女王>がぎらりと輝いた。
ある海上大規模戦闘で手に入れた、これも<幻想級>のその杖の来歴には、こうある。
『深き海の女王は呪う。 我が魂は陸を貫くと』
まさに呪いというべきか、杖にまとわりついたカビはずるずると<蜷局竜>の表面を這い回り、そのHPを削り取っていく。
「よし」
クニヒコが頷き、再び大剣を掲げた。
<パラライジングブロウ>で<蜷局竜>の動きを強引に止めたユウも、じゃきりと刀を構えなおす。
そして杖を片手にまわし、残る片手でレディ・イースタルが印を結んだ。
「<オンスロート>!」
「<スウィーパー>!」
「<アイシクルリッパー>!!」
<幻想級>の剛剣に乗った<守護戦士>最大の攻撃と、即死効果のある二つの特技。
そのいずれが決め手だったのか。
<蜷局竜>は、残り少ないHPを一瞬で0の領域まで叩き落され、<小牙竜鬼>が絶望の眼で見据える中、どうと倒れて泡と化したのだった。
「気を抜くな! 残りも大部分、殺るぞ!!」
ボスともいえる敵を沈めた残る二人を叱咤し、クニヒコは台から駆け下りた。
3.
翌々日の夕方。
3人は、ユダの街の川原に作られた温泉で、のんびりと汗を流していた。
もはや気にしないとばかりに、ユウもレディ・イースタルも平然と布一枚だけで風呂に浸かっている。
「はぁ、ばばんがばんばんばん、と」
有名な曲を暢気に口ずさむクニヒコの横で、先ほどまで出歯亀たちに<梟熊>をけしかけて遊んでいたレディ・イースタルが「そういや」と顔を向けた。
ちなみに残る1人であるユウは、目の上に絞った布を載せて動かない。
本人は「瞑想する」などと言っていたが、完全に寝こけているのはわずかに膨らむ鼻提灯が示していた。
「あの旗のアイデア、よく思いついたな、クニヒコ」
「まあ、いつまで効果があるか分からないけどね。<ドリーネンコルム>の<小牙竜鬼>部族はあれだけじゃないだろうし」
クニヒコが鼻歌をやめて苦笑した。
内心を韜晦する癖のある友人にしては珍しい素直な賞賛がこそばゆかったのだ。
結局、あの後3人は恐慌状態に陥った<小牙竜鬼>をほとんど皆殺しにした。
残した一握りの生き残りには、散々自分たちへの恐怖と旗の印象を植え付けて逃がし、彼らはそのまま黒谷口を通って子供たちとともに脱出したのだ。
自分たちの部族を皆殺しにし、『カミ』――神たる<蜷局竜>をあっさりと滅ぼした3人の<冒険者>への恐怖は、亜人の支離滅裂な思考の中にも、深く刻まれただろう。
そして、彼らの所在を示す、『ク』の旗も。
「クニヒコの『ク』か。せめて葵の御紋とか、黒田餅とか、目立つ奴にしろよ。
クとか、笑いをこらえるのに苦労したぞ、俺は」
「連中に教えるには、分かりやすいほうがいい。それに数を作らなきゃいかんから、染料が多い旗はまずい」
案の定茶々を入れるレディ・イースタルに、打って変わってぶすっとクニヒコが答える。
結局、クニヒコが取った案は、『<小牙竜鬼>に自分たちがいるかのように見せかける』というものだった。
具体的に言えば、マナガのような<グッドタム台地>近辺の<大地人>の村に、『ク』の旗を作らせ、立てさせる。
『ク』の旗が翻る村には<冒険者>がいる。
<小牙竜鬼>たちはそう思い、恐れて襲ってこないだろう。
そこには実際は<大地人>しかいなくても。
本当にクニヒコたちが残るのもひとつの手だったのだが、一つところに長居しては、<小牙竜鬼>などよりよほど危険な敵――<Plant Hywerden>を呼び寄せることになりかねない。
だからこその策、要は『空城の計』の変形だった。
あえて<蜷局竜>を――実際にレベルが低かったとはいえ――見せ付けるように倒し、<小牙竜鬼>たちを怯えさせたのも、わずかに生き残りを作ったのも、その為だ。
旗を見たものが全員死んでしまっては旗の恐怖が伝わらないし、<蜷局竜>に苦戦しては、彼らの威圧感が薄れてしまうからだった。
「昔、戦国武将の馬印とかアッバース朝イスラムの黒旗とか、ともかく強い連中は旗だけで相手を降伏させたりしたというし、役立つ戦術だと思う」
寝ている姿勢を崩さないまま、横からユウが補足する。
「起きてたのか、おまえ」
「ユウさん、乳首見えてんぞ」
「うるさい」
揃って余計な口をたたく二人に、顔を少し赤くして答えると、そのまま彼女は続けた。
「結局、どうなるかは分からん。亜人――モンスターにとって<大地人>を襲うのは一種の本能みたいだしな。
ただ、本当に襲ってくれば今度は村人だけでも何とかするだろう……<Plant Hywerden>もいる」
クニヒコとレディ・イースタルも、最後に出てきた単語に押し黙る。
彼らにとっては、レディ・イースタルのギルドを崩壊させ、彼女自身を拉致しようとした上、メンバーを殺してもいる、紛うことなき敵なのだが、一方で西日本――神聖皇国ウェストランデを統治する組織でもあることは間違いない。
彼らがナカスにも手を伸ばしつつある以上、その進軍路にもなるこの地域を疎かにはしないはずだった。
それが分かってか、レディ・イースタルもぽつりと返した。
「まあ、ゼルデュスもユーリアスもまともな常識人――現代日本人だ。見捨てるってことはねえだろ。
それに、あんなフィールドゾーンに監視も置かないということもないだろうよ」
その言葉が願望のように聞こえたことを理解してか、3人が再び黙りこくる。
「そう、思わないと……」
◇
3人が口を開いたのは、10分はゆうに過ぎてからのことだっただろう。
空気を換えるようにお茶らけた口調で、レディ・イースタルはユウに面白がる視線を向けた。
「そういや、お前はほんとに考えなしだったな。こっちが相談中だったのに突っ走りやがって」
「……子供だったから」
<森呪遣い>の言葉が途切れる。
レディ・イースタルの努力は、他ならぬ彼女自身が地雷を踏み抜いたことであっさりと頓挫した。
「自分の子供を思い出したのか、ユウさん」
「クニヒコ……そうだ。私の子供も、姉と弟だ。年の差もあの子達くらいのものだったろう。
小さいころは仲のいい姉弟だった。
喧嘩もしていたし、おやつの取り合いもしていたが、二人揃っていたずらすると手の付けられないガキだった……」
周囲で、<冒険者>たちの会話を邪魔しないように入っていた<大地人>たちの目が、ユウのすらりとした裸体を向く。
20歳を超えるか超えないかという年齢は、<大地人>にとっては経産婦でも可笑しくない年頃だが、外見からはとても子供がいるとは思えなかったのだ。
だが、周囲の驚きを一顧だにせず、ユウは訥々と告白を続けた。
「いい父親ではなかったかも知れん。贅沢もさせてやれなかった。
だが、命と尊厳の危険にだけは逢わせたことがなかった。
あの子達の親は違う。子を奪われた時、彼らは絶望にあえいだろう。
こんな世界だ。子供を亡くすという重みは現代人とは違うかも知れん。
だが、あんな幼い子供を死なせてしまえば、親の背負う十字架は世界も何も関係がない。
あの子達を死なせたくない、と思った」
すまん、と頭を下げたユウの肩を、同じく人の親であるレディ・イースタルがぽんと叩いた。
「親ってのはそういうもんさ。
まあ、俺も新聞記者だったから、いろんな親がいるのを知っている。
親の資格もねえ親や、本当にこいつが産んだのかと聞きたくなるような親もな。
だが、まあ少なくともあいつらの親や村の大人たちは、戻った子供を泣きながら抱きしめてた。
俺たちは結果的に、そんな親に子供を返してやれたんだ。誇ろうぜ」
「そうだなあ」
クニヒコも呟く。
「俺は自分の子供がいないから分からんが、人の親っていうのはそういうものかもしれないな。
……少なくとも俺たちは、今回の冒険だと成功したと言えるんじゃないか?」
「そうだな」
目に布をかけたまま、ユウがふわりと微笑んだ。
そのまま優しげに、苦く笑うクニヒコを諭す。
「だがまあ、クニ。お前さんは先に結婚相手見つけるほうが大事だぞ」
「そうそう。ユウの言うとおりだ。相手いんのか? それともアフリカかどっかに現地妻でも作ったか?」
「お前ら! せっかくの雰囲気を台無しにするなよ!」
わははは、と温泉に年長者2人の爆笑が響き、彼女らのちょっとした冒険は、終わったのだった。
◇
「ほーん」
日記をぱらぱらとめくり終え、レディ・イースタルは奇声と共に表紙を閉じた。
相変わらず気の抜けきったような彼女に、クニヒコがいらだたしげに言う。
「どうだ? 思い出したか? あのときの話」
「ああ。そういや、こんなこともあったっけかなぁ」
「……どっかで死んで記憶なくしたか?」
心配そうな口調に切り替えた友人に、レディ・イースタルは苦笑して日記を返した。
「そんなんじゃねえよ。 たった数ヶ月前のことなのに、やけに昔に思えただけだ」
「ま、確かにな……」
当時は、アキバに戻ろうとは二人とも思っていなかった。
ウェストランデを西へ西へ、ひたすら旅したあとは、そのまま3人で海外に出て行くか、あるいはどこかの田舎に隠れ住もうかと思っていたのだ。
それが、紆余曲折を経て二人はアキバでこうやって静かな日々を過ごし、共通の友人たる女<暗殺者>は、どこか別の大地にいる。
それがどの大陸なのか、そもそもまだこの世界にいるのかすら、今のレディ・イースタルやクニヒコには分かりようがない。
ただ無事であってくれ、と願うばかりだ。
この世界は広い。
アキバという、<冒険者>同士が緊密に協力し合っている都市の中にいると分からなくなるが、この小さな列島の外の世界がどうなっているかすら、今のクニヒコたちには知る由もなかった。
まして、その中を一人旅する友人が、今どこで何をしているかも。
「ユウは今頃、何してるんだろうなあ」
「どうせどっかで誰かに激怒して、骨ぶちまけて死に掛けてるさ」
「タルさん……あのなぁ……!」
あまりの言い草に、さすがにクニヒコが腹を立てたとき。
コンコン、と控えめなノックが扉に響いた。
その音に、二人の<冒険者>がぴたりと黙る。
「……誰だ?」
「ワシや」
「儂もおるっちゃけど」
「あー、私は初対面かしらね??」
「レオ丸法師? それにエン? ……あと」
「女? 誰だ? クニ、お前のコレか?」
いやらしく指を曲げたレディ・イースタルの頭を一発――手加減したとはいえ、さすがに我慢できなかった――
殴ったクニヒコが、扉の外に声をかけた。
「鍵は開いてるよ」
「ほな、失礼して」
建付けの悪い扉をガチャリと開けて、真っ先に入ってきたのは神妙な顔をした西武蔵坊レオ丸、二人とも顔なじみの<召喚術師>だった。
続けて、クニヒコにとってはギルドの仲間でもあるエンクルマが、いつもの髑髏柄の着流しに槍を担いでのっそりと入ってくる。
だが、ぞろぞろと入ってきた残り3人を見て、クニヒコとレディ・イースタルは驚いた。
「5人? 3人じゃなかったのか?」
「こっちゃはお客さんたい。二人に話があるげな」
「……はあ」
まず入ってきたのは、腰に細剣を下げ、長い金髪を後ろに流したエルフの女性だ。
同じ金髪エルフでも、ミニスカートに動きやすい服装をし、ほっそりとした姿に凛とした雰囲気を漂わせるその女性は、レディ・イースタルとは異なるタイプの魅力を発散している。
「おお、ディードリ」
「それ以上言わないほうがいい」
「……私はイアハート。ギルド<月光>に所属する<施療神官>よ」
二人のボケツッコミを完全に無視して、イアハートと名乗った女性は事務的に二人に握手した。
後ろから現れたのは、これまた対照的な二人組だ。
クニヒコの色違いのような白銀の甲冑に身を包み、これまたクニヒコの持つ<黒翼龍の大段平>に負けず劣らずの大剣を背負っている。
その剣身は大理石のような色合いに精緻な彫刻が施され、一見しただけで<幻想級>か、それに類するとんでもない代物だと知れた。
兜をつけていない金髪の下の顔は、どこか日本人の風のあるクニヒコとは違って、純粋にコーカソイドの顔立ちだ。
「<第二軍団>の軍団長、ティトゥスだ。
クニヒコ……さんとレディ・イースタルさんだな? 会えて嬉しいよ」
彼は軽く会釈して座る。
まるでそれだけで自己紹介になるとでも言わんばかりだ。
そして最後の一人は、長旅をしてきたのだろう、ボロボロのマントの下に特徴的な意匠の鎧をまとった女戦士だった。
所属ギルドを意味する名前が書かれているはずの場所には何もない。
「……<傷ある女の修道院>から来た。 <軽騎兵>のリルルだ。 お見知りおき願う」
その女性はつっけんどんにそう答えると、クニヒコ、レオ丸、ティトゥスからやや離れた場所に腰を下ろした。
「あ、ああ……よろしく」
突然現れた見知らぬ3人と見知った2人に、クニヒコたちとしてはそう答えるよりほかに仕方がない。
困惑の表情を浮かべている二人に、一同を代表してレオ丸が口を開いた。
「……まぁ色々と疑問もあるやろうからザックリと説明するとや、こっちのお2人さん、お名前は……ティトゥスとか言う人と、リルル嬢が大神殿の前辺りで人探しをしてはってな。
たまたまエンちゃんがそれを見かけて声かけて、ってところにバッタリとワシとこちらのお嬢さん、イアハートさんが通りがかってな、誰を探してんねんと聞いたらば、あんさんやってん。
って訳で、クニヒコ君よ、お客さんをごあんな~いして来ましたで」
「はあ……俺に?」
クニヒコとしては困惑するだけだ。
何しろ目の前の白衣の騎士も、<軽騎兵>という、記憶によればロシアサーバでの<武士>にあたる職業を持った女戦士も、どちらにせよ会ったことがない。
まったくの赤の他人、それもおそらくは外国人であろう二人が、<大災害>以来、ヤマトから出たことのないクニヒコをたずねること自体、奇妙なことだった。
「すまない……俺はたぶん、あなたたちに会ったことがないのだが」
「ああ。初対面だよ」
ティトゥスが異国の大剣使いに苦笑して答える。
リルルも頷くところを見ると、事実であるらしい。
「まぁワシも、彼の方とは初対面やし」
「そうね。ついでに言えば、私にとってもレディ・イースタルさんは初対面のはずよ。
そっちのクニヒコさんにはゲーム時代、会ったことはあるかもね」
「ゲーム時代? ……あ、もしかして。<シルバーソード>の」
「ご名答」
婉然と微笑んだイアハートが頷き、事情がよく分からないレディ・イースタルにクニヒコが説明する。
「昔、彼女は<シルバーソード>にいたんだよ。……あんたは確か<大災害>早々に抜けたと聞いたけど」
「そうね。 で、今は元<シルバーソード>の仲間と別のギルドにいるってわけ。
今日は法師とたまたま会っただけなんだけど、興味深い話が聞けそうだからついてきたの」
ある程度の事情が分かったところで、クニヒコとレディ・イースタルも自己紹介する。
「クニヒコだ。<黒剣騎士団>の<守護戦士>だよ」
「レディ・イースタル。一応伯爵なんだが、実質プー太郎だ」
とりあえずの互いの紹介が終わったところで、ティトゥスがおもむろに口を開いた。
「俺は、西欧サーバの七丘都市に本拠を構えていたギルドを主宰してる。
……で、ある女にあんたらの事を聞いて、伝言を届けに来た」
「私もそう。私は北欧サーバにいた、<傷ある女の修道院>というギルド……というか集団ね。
そこの一員なの」
「西欧サーバに北欧サーバだって? また遠いところから……」
「そんな遠くからようこそ、日本へ。 ……で?」
「黒い服の女<暗殺者>、ユウ、という名を知っているか?」
「ユウだと!?」
レディ・イースタルが飛び上がり、クニヒコが目をむいたその上を、開けっ放しの窓から入り込んだ小さな虫がぶうんと飛んでいった。
「ああ。俺もこっちのリルルも、それぞれ別の場所であいつと会った。その話をしに来たのさ」
ティトゥスがそう言って、男くさい笑みを見せた。




