番外15. <三人の思い出> (中編2)
1.
<グッドタム台地>は、あちこちに石灰質の岩が立ち並ぶ、巨大な台地形のゾーンだ。
ヤマト地方に生息する種族のみならず、世界各地の野獣型モンスターが雑多に生息しているのは、モチーフに動物園、というよりサファリパークを用いたからであろう。
また同時に、ここはゾーンそのものもきわめて危険だった。
脆い石灰岩で出来た大地は、鎧を纏った<冒険者>の重量に耐え切れず、ゲーム時代は特定の場所で、<大災害後>となっては無作為に、薄い膜を突き抜けて地下に広がる巨大洞窟――<ドリーネンコルム>への口を開けてくる。
そこで待っているのは……日本最大級をうたわれる巨大な迷路だ。
実際、<大災害>が起きてより半年間で、<Planthywerden>をはじめとする多くのギルドがこの迷宮の探索を行ったが、踏破したものはいなかった。
<グッドタム台地>とは、それそのものは起伏のあるただの野外ゾーンに過ぎないながら、実際は文字通り『一枚下は地獄』なのだった。
そして、地獄はそれだけではない。
「あっち、あっち、あっち、あっち、あっちちっちちちちち!!」
マントに火がついたクニヒコが、尻を押さえてのた打ち回る。
「水くれ、水! なんか魔法で!」
「ええと……そうだな。<ウォーターブリージング>!」
「そんなものなんの役に立つんだ!! あんたそれ、水ってついてるからって適当に唱えたろ!?」
たまたま近くにいた気の毒な<紅玉獣>―れっきとしたモンスターだ――が尻の下で泡と化すのを申し訳なさそうに見ながら、起き上がったクニヒコが鬱陶しそうに周囲を見た。
「……敵は動物だけかと思ったら、山火事とはな」
彼が威嚇するように振り抜いた<黒翼竜の大段平>に、周囲で燃え盛る火に紛れるように近づいた精霊系モンスター、<赤帽子>が怯えて後ずさる。
周囲は、燃え盛る火の渦だった。
<グッドタム台地>における時間指定イベント、<赤帽子の野焼き>だ。
ゲーム時代は継続ダメージを与えるだけだったペナルティイベントだが、<大災害>以降は文字通り台地すべてを焼き尽くす。
それだけではない。
植物や、逃げ遅れた動物、モンスターが焼ける臭い。
生きたまま火葬されていく生き物たちの必死の叫び。
その中で踊る<赤帽子>や<火蜥蜴>の歓喜の笑い声。
立ち上る煙は視界を覆いつくし、大気に混じる一酸化炭素はクニヒコとレディ・イースタルの気道を徐々にふさいでいく。
「これじゃ、ユウがどこに行ったのかもわからんぞ。あのアホ、忍者を気取ってんのかその辺に適当にアイテムを置いていきやがって。
それで場所を教えてるつもりなんだろうが、このイベントのこと分かってなかったんだろうな」
「あの人の爆薬にこの火が燃え移ったら場所が分かるよ」
ユウの目印――と思しき耐久度の減ったナイフ――を蹴飛ばして吐き捨てるレディ・イースタルの目に、
傍らのクニヒコが変な行動を取り始めるのが見えた。
「……草を切り始めて、なにやってんだお前」
「知らないか? 草原で野火にあった時は、草を切って火をつけて迎え火にするんだよ」
「日本神話だな。 ……だがな」
せっせと草を切り払うクニヒコの横で、にやにやと笑いながら一匹の<赤帽子>が草に手を触れた。
瞬時に燃え上がったそれは、切った人間の意図に反して、火勢をいびつに伸ばして二人の<冒険者>に食らいつこうとする。
「そりゃ、ただの火の場合だ、このアホ!! 中に<火蜥蜴>やら<赤帽子>がいるってのに、火がこっちのいうこと聞くかよ!!」
「……そりゃそうだ」
なおもレディ・イースタルが何かを叫ぼうとした瞬間、その足元が崩れ落ちる。
火によって焼き尽くされた植物が、かろうじて支えていた薄い天井を、二人の人間の体重が破ったのだ。
うお、ともなんだ、とも言う前に、彼らは果て無き地下へと落ちていった。
◇
明るい炎から、暗い闇へ。
頬を焦げさせる熱気の巷から、肌寒い地下の水の元へ。
文字通り墜落した二人が目を覚ましたのは、主観的にはずいぶん時間が経過してからのことだった。
「……畜生、いてえ、寒い、関節がバキバキする」
「その前に上から早くどけろ」
ぼやきながらレディ・イースタルが目を覚まし、その下に敷かれたクニヒコが半分水に漬かりながら呻いた。
起き上がるとそこは、滑らかな曲面を見せる銀色の床の上に、さらさらと水が流れている。
あちこちにそそり立つ石筍の鋭さは、よく当たらなかったと思わず安堵するほどのものだ。
頭上にはダモクレスの剣さながらの鍾乳石が、まるで落ちる時を待っているかのように鋭い切っ先を地面に向けていた。
音はない。
一切が無音の世界に、二人の中年<冒険者>は居た。
「……どうする」
自分たちが落ちてきたらしい穴を遠くに眺めながらクニヒコが言う。
答えるレディ・イースタルも首をかしげた。
「……どうする、っつったってなあ……念話でユウの居場所は分かるにせよ、この洞窟内部じゃ合流は難しいぜ」
お手上げ、のしぐさをする友人に、クニヒコは深いため息を漏らす。
「一般的に言って、<黒剣騎士団>も大概なところだったが、あんたら二人に付き合うほうがよほど大変だよ……」
レディ・イースタルがばつの悪そうな顔をするが、顔芸ひとつで状況が打開されるわけもない。
実際、感情に任せて突撃した友人その一と、茶々を入れることが自分の任務だといわんばかりの友人その二に対して、彼は心底うんざりしていた。
(そろそろこいつらと絶交するべきかな……)
「お?」
そんな時、レディ・イースタルが視界の片隅に目を留めた。
花がある。
この洞窟の片隅で奇跡的に発芽したものか、百合に見えるその花は、洞窟を緩やかに渡る風に小さく震えながらも、しっかりと花を咲かせていた。
それを見たレディ・イースタルは、もちろんその美しさを愛でたわけではない。
「<ナチュラルトーク>」
呪文とともに、ふわりと彼女の周囲に魔力が放たれる。
たゆたう魔力の流れに導かれるように、彼女はしずしずと歩き――1回滑って転んだが――花の近くに歩み寄ると、膝を折った。
自然の魔力をつかさどる、レディ・イースタルのメイン職業、<森呪遣い>の呪文のひとつ、
自然物と意思を交わすという特技だ。
しばらく、植物の声を聞く高貴なるエルフというより、風呂屋で無駄話をするおっさんのような格好で聞いていたレディ・イースタルは、しばらくして立ち上がると、ぴしりと洞窟の片隅を指差した。
「よし、わかった! <小牙竜鬼>の巣は、こっちだ!」
「……根拠を教えてくれ」
「百合の花が教えてくれた。でかいおおきいのが、もっとちいさなおおきいのをつれてたくさんそっちへ行った、ってな」
「でかいおおきいの……またアバウトな指示だな」
「まあ、植物だしな」
言いながらも、二人は手早く装備をチェックし、足元を、火をつけた松明で照らした。
どれだけ気絶していたのかも分からないし、そもそも<小牙竜鬼>が攫った<大地人>の幼児を殺すまでにたどり着けるかも分からない。
口喧嘩はともかく、現在は急ぐべきだった。
松明を照らすと、周囲の光景があらわになった。
真っ先に見えたのは、巨大な黄金色の流れだ。
「……滝!?」
「……いや、石だ。なるほど、分かったぞ」
驚くクニヒコの横で、新聞記者として名所に詳しいレディ・イースタルが頷く。
「ここは黄金柱だ。秋芳洞で最も有名なスポットだよ」
「場所が分かったってことか!?」
「ああ。多分な」
言いながらも彼女はフレンドリストを開き、一つの名前をクリックする。
「ユウ。ユウ? 聞こえるか?」
『ああ。よく聞こえるよ』
単身先行したはずの友人の、鈴を転がすような声がレディ・イースタルの耳に響いた。
◇
『ユウ、この突撃馬鹿のアホめ。怒るのは分かるがパーティプレイを何だと思ってんだ。
何が悲しくて一人で危険地帯に突っ込むんだ。アキバに引きずり戻されたいのか!?』
「……すまない」
友人の怒声に、ユウは殊勝な声を上げた。
『昨今、中学生だってもう少しパーティだとか連携だとか考えるぞ。お前の20年近いプレイ経験は、そんなことすらまともに出来ないのか?
お前のその人相の変わった頭の中に詰まってるのは脳みそか? それとも西京味噌か何かか!?』
「……面目ない」
バリエーション豊かな罵倒に律儀に謝罪を返しながら、ユウは踊っている。
後ろから突っ込んできた<小牙竜鬼>をステップでかわし、横殴りに槌を振るう<大牙竜鬼>の頭に<堕ちたる蛇の牙>を叩き込む。
その合間にも、ユウの足場にせっせと罠を張ろうとする<小牙竜鬼の罠匠>をナイフで狙撃。
もんどりうって倒れる<罠匠>が泡となるのを見る前に、<猛猪>の突撃に紙一重で刀を突き込み、その喉を抉った。
周囲は、すべて敵。
ユウのいる、この<ドリーネンコルム>の一角は、まさしく雲霞のような<小牙竜鬼>や<大牙竜鬼>、そして彼らが使役するモンスターで埋め尽くされているのだった。
広い場所であれば、文字通り踏み潰されていたであろう数だ。
幸いにして彼女の居る場所は幅が狭く、足元が滑りやすい床であることもあって、身軽なユウは互角以上に戦えている。
だが、昨夜からほぼ不眠不休で馬を駆り続け、さらにはいくつもの<小牙竜鬼>の砦を抜いては中の敵を殺戮し、挙句にこの数の前に突っ込んだユウの全身には、重い疲労感がのしかかっていた。
(こりゃ、まずいな……)
耳元でがなるレディ・イースタルの罵詈雑言を聞き流し、全身をフルに使って土石流のような敵をいなしながら、ユウはふと自分自身に問いかけた。
(なんだ、私は……こんなに好戦的だったか? こんな後先考えない無鉄砲だったか!?)
ユウ――かつて鈴木雄一だった<冒険者>は、刃毀れした刀に突き刺さって抜けない<小牙竜鬼>を足で蹴りはがしながら思う。
ゲーム時代、彼女が得意とし、生業と言ってよいほどに熟達した対人戦の世界でのユウは、明確にそうではなかったと言い切れる。
対人戦とは、互いの肉体を操るプレイヤー同士の腹の読みあい、探り合いであり、
単なる猪武者が勝てるような生ぬるい遊びではない。
では<大災害>後は?
<悪徳の暗殺者>と言われるろくでもない人殺し、その一角を担ったころのユウは、確かに精神的には追い詰められていた。
だが、それによって戦術が粗雑になるかというと、そうではない。
むしろたった一人でできるだけ効率的に、多くの<冒険者>を殺すため、戦い方はより洗練され、容赦も慈悲もなくなり、時にはより多くの<冒険者>を殺すため、彼らによる別の<冒険者>への虐殺を黙ってみていたこともあったほどだ。
そのころのユウが今の戦い方をしていれば、彼女はとうにアキバの<大神殿>とフィールドを往復するだけの生活になっていたことだろう。
(そのころと今とで、何が違う?)
現実に帰りたいという狂おしいほどの焦りはもう諦念に取って代わった。
<冒険者>として、無法の世界で生きられるのかという不安や恐怖も消えた。
今の体には既に馴染み、元の体と同様、いや、それ以上に思い通りに動いている。
それでいて、心はあの頃より、確実に追い詰められているのだ。
女でいることへの嫌悪や恐怖か?
この、法も平和もない世界への忌避感か?
自分よりはるかに若い<冒険者>たちが前に進もうとする中、一人無節操にさまよい続けることへの自嘲か?
それとも。
ユウが己の中にあるものに気付きかけた瞬間、耳元で黒板を爪で引っかくような絶叫が響いた。
『てめえ!! 寝てんのか!!!』
耳がキーンと響き、その瞬間、<大牙竜鬼>の一撃がユウの顔面を砕いた。
鼻血が鼻骨と共に飛び散り、片目がぐちゃり、と潰れる。
均衡が、破れたのだ。
吹き飛ばされながらも、ユウはかろうじて、自分の位置を示す言葉を一言、言い切った。
◇
ダンジョンゾーン、<ドリーネンコルム>は、現実の秋芳洞より、二回りほど巨大にデザインされている。
周囲の大小無数の洞窟とも連結され、全体では非常に複雑な迷路だ。
だが、きわめて幸運なことに、レディ・イースタルとクニヒコは、その巨大な迷路を大きく貫く大道――かつての秋芳洞のメインルートの一角に落ちることができた。
これがよく分からない側道のどこかに落ちていれば、脱出するだけできわめて時間がかかったことだろう。
だが、そうした自分たちの幸運に思いを馳せられたのはクニヒコだけで、レディ・イースタルは念話を切ってからもしばらくぷりぷりと怒っていた。
「あいつ、頭殴られすぎて脳に損傷が行ったのかな。人の話を聞きゃしねえ」
「ユウさんはユウさんで忙しかったのかもしれないぜ」
気休め代わりのクニヒコの言葉は実は正鵠を射ていたのだが、当然二人とも知るはずもない。
「で、ユウさんの居場所は分かったのか?」
「ああ。ここだ」
やわらかい土が露出している部分に器用に秋芳洞の略図を描くと、レディ・イースタルはその一部、幅が大きく窄まるあたりを指差した。
「俺たちが居るのがここ。黄金柱からちょっと行ったところだな。現実じゃ数分ってところだが、こっちは結構な距離だった。
……で、あいつがいるのがここらへんだ」
窄んだ道をしばらく行った先を、レディ・イースタルの細い指が指し示す。
「……それは確かなのか? 目印はあるのか?」
「間違いない。あいつは『仏像みたいなのがある』といった。周りが狭い、ともな。
仏像と見間違えるようなものといや、マリア観音しかねえ。
そこに、あいつはいる」
「運がいい、と言っていいものかな。この<ドリーネンコルム>は現実の鍾乳洞じゃないんだぞ」
「もうひとつ思い出したんだ」
女伯爵は、にやりと凄みのある笑いを浮かべた。
「あのあたりは、<小牙竜鬼>の巣があるのさ、確かな」
2.
<大地人>として産まれ、生きる。
それは無残に死ぬ可能性がある運命を背負うことと同義だ。
人では到底太刀打ちできない、強大な怪物が跋扈するこの世の中では、どこかのモンスターの口の中で一生を終える<大地人>は、決して少なくはない。
だが、こんな幼い子供がそんな目にあうなんて。
アーノルトという名前の子供は、まだ1歳になるかならないかだろう。
ふくふくした体を懸命に縮こまらせ、周囲で騒ぐ<小牙竜鬼>たちから身を隠そうとしている。
その前に立つ娘――エレインは、4歳か、5歳くらいだろうか。
幼いながらに従弟を守ろうとしているのか、泣きながらもしっかりと両手を広げて立っている。
だが、その健気な姿すら、亜人たちには嘲笑の対象でしかないようであった。
ユウは周囲のモンスターに蹴られ、踏み潰されながらも、捕まった子供たちを目に捉えていた。
いつの間にか追い抜いてしまったらしい。
ユウが顔に一撃を受け、昏倒しかけた瞬間、子供たちを抱えあげた<小牙竜鬼>たちが彼女の視界に入ってきたのだった。
<小牙竜鬼>たちから歓声が上がる。
騒々しいとしか思えないその声は、彼らを亜人ではなく野蛮人と評するに足るほどの、醜悪さを秘めていた。
無秩序な叫びが、徐々に統制だったものへと変わっていく。
それはまるで、石器時代の祈りのようだ。
いや、まさしく祈りだったのだろう。
突然周囲が暗くなった。
巨大な岩肌に穿たれた穴――ユウがもう少し詳しければ、それが現実世界でもそのままの名前、即ち<竜の抜け穴>と呼ばれていたことに気付いていただろう――から、何かがずるりと顔を出す。
「……<蜷局竜>」
文字通りとぐろを巻きながら現れたのは、ゲーム時代にも見たことがある、亜竜種のモンスターだ。
ただし、大きい。
その巨大さは、ゲームの頃の二倍はあるだろうか。
<小牙竜鬼>たちの叫びがますます大きくなり、それは邪魔だとばかりに一匹の<大牙竜鬼>の胴体が無造作にねじ切られた瞬間、さらに高まった。
「「カミ、カミ」」
異様な興奮に包まれる<小牙竜鬼>の声が、そんな単語となってユウの耳を打つ。
「カミ……神、か?」
幸いにして、執念深い猛猪以外は、ユウから注意をはずしたようだ。
その隙に回復をしながらも、ユウは内心で危険信号が強くともるのを感じた。
マナガの村を出て、どれだけ過ぎた?
そして目の前の<蜷局竜>、こいつはなぜこの場に居る?
二人の幼児、エレインとアーノルトがいる場所は、水が大地を磨いて出来た、小さな台状の岩の上だ。
それはまるで、王の食卓のように見えた。
◇
<小牙竜鬼>の大合唱が響く中、<蜷局竜>がのたうつ体を伸ばし、<大地人>を見た。
その目は、紛れもなく供物を見定める王の目だ。
舌なめずりをするようにちろちろと蠢く竜の舌に、アーノルトがついに火がついたように泣き出し、エレインもまた、気丈に睨んでいた顔を歪めた。
泣きながらアーノルトを抱きしめ、「ころさないで」と泣き叫ぶ。
それを見た<小牙竜鬼>たちは、武器を叩き、素手のものは手を叩いて喝采を送った。
亜人を人間同様の知的生物として認めるべき、という誰かの意見は、ある意味で正しい。
他者の苦しみ、絶望に歪む顔を見て笑うその姿は、まさしく知的生物しかなし得ない残酷さに満ちているのだから。
ユウはふと、さっきの自問自答の答えにたどり着いた。
目の前で泣く、縁もゆかりもない<大地人>の子供。
NPC、だった者。
ゲーム時代なら目の前で死んでも「ああ、胸糞悪いな」で済んだはずの命。
だが、目の前の子供たちの姿が、ふと地球に残した自分の子供たちの幼時と重なった。
両親の愛情に包まれて育つべき時間を、目の前で未来ごと奪われつつある子供たち。
子供。
その瞬間、ユウはすべてを忘れた。
「うおおおおおおっっ!!」
突如上がった雄たけびに、<小牙竜鬼>も、<蜷局竜>すらも、ユウを見た。
だがその時には、ユウの姿はそこにはない。
「<ガストステップ>!」
一匹の<小牙竜鬼>の頭を爪先で砕き、その勢いのままにユウが飛ぶ。
邪魔な鍾乳石が一刀の元に切り落とされ、落下したそれをまともに受けた別の<小牙竜鬼>が串刺しとなって消えうせる。
刃を振るったユウの足の下には、蛇のような動きで新たな敵に牙を向ける<蜷局竜>の、爬虫類特有の瞳孔があった。
「<アトルフィブレイク>! ……<ヴェノムストライク>!!」
投げつけたナイフが、開いた口に突き刺さるのと、ユウの<堕ちたる蛇の牙>が<蜷局竜>の片目を抉り抜くのとは同時だった。
咆哮が上がる。
小癪な小動物に与えられた激痛に、まだ<竜の抜け穴>から完全に出ていなかった尻尾が暴れ狂い、
洞窟に不吉な振動が走る。
その合間に、ユウは子供たちの前に飛び降りると、一瞬二人を抱きしめてから、モンスターたちに向き直った。
ユウが今まで経験した、どんな発表にも勝るほどの大量の視線が、熱気と殺意と共に叩き付けられる。
その中で、ユウは自分でも信じられないほどの余裕で、フン、と不敵に笑って見せた。
抜き放った二つの刀、それをかざし、子供たちの前で両手を広げ、立ちはだかる。
視線のひとつすら、後ろの幼児に向かわせないかのごとく、彼女は仁王立ちのまま、笑みを深めた。
「子供を殺すと?」
<小牙竜鬼>たちの叫びが、その<暗殺者>の声で止まった。
<蜷局竜>が悶える声だけを背景に、ユウの視線が睥睨する。
「私の前で、子供をこの<蜷局竜>に食わせる気だったようだが」
固形化したような殺意を滾らせ、ユウは宣言した。
「ぶっ殺す。一匹残らず。子供を殺すというなら、この子らの親に代わって、私が皆殺しにしてやる。
……死ね、<ラピッド・ショット>!」
<小牙竜鬼>たちが、傲慢な敵対者に対し、揃って怒りの咆哮を上げた。
◇
「隠れてろ」
後ろのくぼみに子供たちを押し込み、ユウはその前に立ちはだかった。
目の前の三方向から襲い掛かってくる<小牙竜鬼>を、刀とナイフで迎え撃つ。
そもそもが、レベルの差がある相手だ。
ユウが毒を使うまでもなく、攻撃を受けてばたばたと倒れ伏す。
だが、数が多い。
ユウは普段の戦い方とはまったく別に、しっかりと大地を踏みしめ、その代わり両手をめまぐるしく動かしていた。
一匹の<小牙竜鬼>の目に突き刺したナイフを、別の<小牙竜鬼>に投げつける。
耐久がある<大牙竜鬼>に対しては、刀の一撃か、特技を用いる。
突進してくる猛猪には、その蹄がユウを吹き飛ばす瞬間に<シャドウバインド>。
一瞬にして突撃衝力を失った猪は、すでにユウの前では無力な肉の塊に過ぎない。
皮肉なことに、先日の戦いで敵として戦ったある<冒険者>によって、元の耐久度を取り戻した刀は、時代劇の殺陣のシーンもかくやというほどの酷使にも、輝きを失わず耐え抜いている。
「どうしたどうした<小牙竜鬼>ども、無力な子供はいたぶれても、女一人沈められないのか!?」
また一匹、<小牙竜鬼>を泡と化し、ユウが嗤った。
(子供か)
もう会えないかもしれない、わが子。
後ろで震える子供と同じ年恰好だった時代、父親としてユウも、怪獣の真似事をして遊んだこともある。
そんなわが子と同年代の幼児が、本物の怪物に襲われようとしている。
ユウが後先考えず飛び出した理由は、それだったのだ。
(この子達を、親の元へ帰す)
そのためなら、死んでもかまうものか。
その時、ユウは自分が<盗剣士>や<守護戦士>、あるいは<施療神官>でも<妖術師>でもないことを、少しだけ悔やんだ。
その一瞬が油断だった。
「ぐ……!?」
自らの脇腹から、染み出すように広がる激痛に、ユウは下を見た。
見覚えのあるナイフを手にした、小さな<小牙竜鬼>が、震える手で自分の腹にそれを突き刺している。
亜人の顔は分からないが、それは周囲の<小牙竜鬼>と比較しても小さく、あどけなく見えた。
そして、その<小牙竜鬼>の持つナイフは間違いない。
自分が投げた、<激痛>の毒をつけたナイフだ。
「……<小牙竜鬼>の、子供か」
親なのだろうか。別の<小牙竜鬼>が半狂乱になって掴みかかろうとしてくる。
それを片足で蹴り飛ばし、自らに深手を負わせた小さな<小牙竜鬼>を、ユウはじっと見つめた。
「子供は……戦場に出るな」
それだけを言い、その小さな<小牙竜鬼>を押し返そうとする。
その瞬間、<小牙竜鬼>の隠し持っていたもうひとつのナイフが、ユウの喉笛を裂いた。
ヒュウ、と濡れた風切音が響く。
レベルの差があったとしても、ここは肉体同士がぶつかり合う戦場だ。
弱点たる部分を狙われれば、いかに強い相手でも死から免れることはできない。
がくりと膝を突きかけたユウの視線の先で、小躍りしながらその小さな<小牙竜鬼>が走っていくのが見えた。
向かう先には、一族なのだろうか、彼を迎える何匹かの<小牙竜鬼>がいる。
ばしゃり、と水音が響いた。
ユウが血を吐いた音だ。
皮肉にも、全身を苛み、HPを削るのは自ら作った自作の毒だ。
ユウは、掻き消えそうになる心とHPを呪薬で凌ごうとし――無駄だと悟った。
自分の毒の強力さは、自分が何より知っている。
そして、この場において少しでも有利になるため、用いる毒は造った中でもとっておきの強烈な効果を持つものばかりだ。
毒への抵抗値が高い<毒使い>だからこそ、まだ立っていられるのだった。
だが、あと十秒。
それで、ユウの意識は途絶え、肉体は消えうせるだろう。
今はまだ痛みに苦しんでいる<蜷局竜>も、そうなれば復讐に燃えて襲ってくる。
その時、子供たちを守るものは、もうないのだ。
「……畜生」
ユウは最後にナイフを投げ、手近な<大牙竜鬼>を沈めると、ついに膝を突いた。
無力さ、惨めさ、焦燥、怒り。
それらすべてが、血の不足したユウの脳裏を支配する。
それでもなお、ユウは震える足で立ち上がり、再び両手を広げた。
今度は威嚇でも恫喝でもない。
最後に、<大地人>を守るために、ユウは血まみれで立ちはだかったのだった。




