142. <海戦>
1.
「どけっ! 船員以外は船室に降りてろ!!」
誰かに突き飛ばされたユウがたたらを踏んだ。
突き飛ばした船員は、ユウのことなど一顧だにせず、巻かれて置かれていたロープを解いていく。
「砂ぁ、撒けぇ!」
「帆、下げぇ! 外輪駆動準備!」
「外輪駆動準備、アイ!」
ひときわ大きな怒鳴り声は、船長であるスワロウテイルのものだ。
葉巻を口にくわえ、一段高くなっている船橋から、部下たちに指示を飛ばしている。
その横では、操舵手らしい<冒険者>が、輪というより、それ以前の船にある舵棒のような細長い舵輪を必死の形相で握っていた。
「海賊船、近づく! 間違いありません! <不正規艦隊>の船です!」
「船名分かるか!!」
「トップマストはスクエア、ガフ、前帆にラティーナ二枚、後ろに広い甲板あり、煙突あり。精霊船装あり……おそらく<バーミンガム>です!」
船長に怒鳴り返した見張員の声は震えている。
(念話やギルドチャットは使わないのか?)
右往左往する船員たちの邪魔にならないよう、ひととびでマスト下部に敷かれたネットに飛びついたユウは、すぐにその理由に気がついた。
船の戦闘には、咄嗟の情報共有が不可欠だ。
わざわざチャットを介するよりも、直接怒鳴るほうが早い。
そう思って合点するユウの足元で、混乱は続く。
いまや、海賊旗を掲げた船――<バーミンガム>は、 <ジョン・ポール・ジョーンズ>に併走し、向こうの船員らしき人影の動きも見えるようになっていた。
「戦闘! 弩砲装填!」
「戦闘、弩砲装填、アイ」
「旗旒信号! 『停船せよ』揚げろ!」
「揚げます、アイ」
帆をたたんだ<ジョン・ポール・ジョーンズ>のメインマストに、するすると黄色と黒の旗が掲げられた。
だが、相手の船は止まらない。
相手の船には、いつの間にか赤白のストライプにのたうつ蛇の図案が描かれた旗がかかっていた。
ユウも知っている。それは、アメリカ海軍の戦闘旗だ。
そしてその下に、もうひとつ。
無地のその旗には、『Die Cult』という文字が染め抜かれている。
「やる気か、<バーミンガム>」
スワロウテイルが怒鳴ったそのとき、ほとんど併走した<バーミンガム>の船尾から、何かが飛び出した。
それはたちまち鮮明な竜となり、怒りの咆哮を上げる。
「竜だ!」
「こっちも艦載騎を出せ!」
どこから現れたのか、巨大な<ガルーダ>が<ジョン・ポール・ジョーンズ>の頭上で翼を広げる。
<召喚術師>によるものか、乗り手のいない天空の翼鳥は、きしるような咆哮を上げると垂直に羽ばたいた。
巻き上がる風にあちこちがはためく中、飛び出したガルーダたちが竜と巴戦に入る。
いくつかの竜の上には人が乗っているようだ。
悲鳴を上げて人影が海に落ち、たちまち泡となって波間に消えていく。
その中でも、舷側を近づけながら、星条旗と海賊旗を掲げた二隻の船は、互いに波を割る。
二隻の船腹が、まったく同時にがしゃりと開いた。
そこから突き出したものは、ユウにも見覚えがある。
かつて彼女は、人の身でありながら、それらを縦横に操る<守護戦士>と戦ったことがあるのだ。
鉄の筒。弩砲という名前ながら、それは知らない人間が見たら十中八九、『大砲』と呼ぶべきものだった。
その無機質に開いた砲口の奥には、真っ赤に熱せられたらしい不吉な何かが、飛び出す時を待っていた。
ユウは何もできない。
既に<JPJ>は戦闘の準備に入っており、いくらレベルが高かろうと一介の<暗殺者>にできることは何もない。
この、実質上特等席ともいえるネットから、海戦を見届けることくらいだ。
ふと目の端に、がたがた震える僧衣が見えた。
インヴィクタスだ。
地位の向上のために熱心に働く<冒険者>。
本来、弩砲の直撃を受けても耐えられるはずの彼は、今はただでさえ血色の薄い顔をさらに蒼白にして、戦闘準備を整えた敵船を見つめていた。
(こういう人間なのか)
本質的に、人間を戦いで見測るユウにとって、アンディたちへの態度と明らかに違うその態度は、彼への評価を下げるにあまりある。
戦えない人間がいけないのではない。
普段の物腰を戦場でも忘れずに保ち続けられる人間こそ――自分が時にそうでないことをユウ自身が知っているからこそ――そうした人間が、ユウの尊敬の対象足りえるのだった。
「戦えなければ下に降りろ!」
「だ、だが船がもし……沈……」
「それ以上言うな! おい、誰かこいつを甲板からつまみ出せ!」
スワロウテイルがインヴィクタスに怒号したとき、「戦闘準備完了!」という声が響いた。
まったく同じ響きの声が、海風を渡って敵船からも響く。
眼下で、スワロウテイルが文字通り獰猛な笑みで、唇をぺろりと舐めた。
「ようし、<ジョン・ポール・ジョーンズ>! 左舷弩砲戦! 装填しだい各個射撃!」
「全船、左舷弩砲戦。装填しだい各個射撃、アイ」
部下がすかさず応じる。それを聞くやいなや、スワロウテイルは掲げた手を敵船に振り下ろした。
「ようし、撃て!」
2.
甲板はうめき声で満たされている。
ユウもまた、なし崩しではあるが弩砲の直撃で吹き飛んだ乗組員を引きずり、船室に放り込む作業を手伝っていた。
互いに燃え盛る砲弾を叩き込みあっての戦闘は、互いにはずしようもない距離であることもあって、最初から凄惨なものとなった。
あちこちに人や、かつてそうであったものの残骸が転がる中、幸運にもぎりぎりでHPを残した乗組員たちが、<施療神官>や<癒し手>の回復呪文を受けながらも、必死で操船し、弩砲を放ち続ける。
そんな一人をユウが血まみれで抱え上げたとき、不意に右手の重さが消失した。
やや遅れて着弾の轟音。べきべきと舷側の手すりが砕け散る音。肉が燃える臭い。
見下ろせば、先ほどまであった右腕が、抱えていた<大地人>の乗組員ごと、きれいさっぱり消失している。
「うっぐ!」
遅れて神経にたどり着いた激痛にうずくまりかけるユウを、ちらりと見たスワロウテイルが怒鳴った。
「おい! 回復呪文をもらえ! ぼさっとするな! 嫌なら船室に隠れてろ!」
船同士の戦いでは、<妖術師>や<森呪使い>のような例外を除いて、一般の<冒険者>にできることはあまりない。
ユウが治療を受けている間、スワロウテイルは船橋で自ら舵輪をとりながら、ぺろと舐めた指を空にかざした。
叫ぶ。
「おおし! 外輪全速逆転! 行き足殺せ!」
「外輪全速逆転、行き足殺します、アイ!!」
「風上に出るぞ! 船が離れたら左外輪半速後進、右外輪半速前進、待機!」
風が一気に弱まり、流れていた黒煙が動きを失っていく。
帆を一部おろし、ほぼ同速度で走っていた<不正規艦隊>の帆船、<バーミンガム>が前に出る。
目標を失った弩砲が、砲撃のさなかも不思議と傷ひとつない――何か魔法を使っているのだろう――<ジョン・ポール・ジョーンズ>の前方の海面に、むなしく水柱を吹き上げた。
一気に速度を落とした<ジョン・ポール・ジョーンズ>が、大きく反転する。
先ほどまで撃ち合っていた左舷ではなく、ほぼ無傷の右舷が、<バーミンガム>の船尾を向いた。
自らの命令どおりに反転した船をいとおしむように、スワロウテイルが鮫のように微笑む。
「ようし、右舷弩砲戦、各個射撃、距離、目測、狙い次第撃て!」
消失したように、敵船の船尾楼が吹き飛ぶ。
南洋特有の深い青色の海面がうねりに揺れた。




