141. <船長の忠告>
1.
<ジョン・ポール・ジョーンズ>は、早朝に三日月の町を出航した。
かつてメキシコ湾と呼ばれた海の風は穏やかで、上空を見送りのように、何羽かのカモメが飛んでいる。
古今東西、いかなる船乗りでも頷くであろう、静かな晴天の朝だ。
船に合わせて外輪がゆっくりと動き、張った帆に風を受け、<教団>の連絡船は港を抜ける。
綱で曳<大地人>の曳船が、手旗を振りながら離れると、それまで外輪による動力と、<召喚術師>による風乙女の風を受けて進んでいた船は、海を渡る風に大きく帆を張った。
海が好きな人間なら、思わずわくわくする瞬間だ。
ユウもまた、海か山かといわれれば海、と答える程度には好きであり、彼女がもしこの光景を目にしたならば、様々な懊悩や疑問も忘れ、遠ざかる<クレセント・シティ>を見つめ続けていたことだろう。
だが彼女は残念ながら、そんな権利をこの船の上で持たされてはいなかった。
「どうですか、一杯」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
答えるユウの目の前で、インヴィクタスは実に美味そうに蒸留酒らしき酒を呷った。
ふは、と息をつくと、そのまなざしがユウを下から見上げる形になった。
「……それにしても、特例ですよ。あなたを乗船させるなど」
念を押しているわけでもないのだろうが、どこか押し付けがましくインヴィクタスの唇が動く。
出航前から自室に篭り、酒をとめどなく飲み続けるこの男と顔を付き合わせ続けるという状況を、かれこれ2時間近く、ユウは我慢していた。
当然、不満は大きい。
<冒険者>らしい整った顔立ちも、怜悧というより狡猾そうな細い目と、粘着的な言動のおかげで魅力を損なう方向にしか働いていない。
だが、この場にあって彼女は教団にも所属していない余所者で、インヴィクタスは幹部だ。
つとめて不満そうに見えないよう、ユウは目を伏せ、小さな声で演技した。
「アンディ師のお手紙のたまものと理解しています。インヴィクタス師も、ありがとうございました」
「アンディ? あんな若造の手紙など、何の意味もありませんね」
酩酊してきたのか、僧衣をまとったその<冒険者>は、そういってはん、と鼻を鳴らす。
そして、まるで出来の悪い教え子に我慢強く教える教師のような口調で告げた。
「思い出してみなさい。あなたは船長に下ろされかけていた。それを口添えしたのはアンディではなく、私だ。
あなたが感謝するならば、まず私にすべきですよ、ユウ」
「……ありがとうございました」
一言も抗弁しなかったことに気をよくし、インヴィクタスは豪放に聞こえる笑い声を上げた。
そのまま馴れ馴れしくユウの肩を叩く。
その手が空中で一瞬止まるのを、彼女は確かに見た。
ためしに軽く身をよじると、かすかにびくりとしてインヴィクタスが手を引っ込める。
ちらりと見たその目は、酔漢特有のそれではない。妙におどおどとしているような、鬱屈した目だった。
「ところでユウ」
「……少し、散歩をしてきます。船室だけですと酔ってしまうかもしれませんので」
いつのまにか足に来るまで酩酊していたらしいインヴィクタスを置いて船室を出たユウは、周囲をちらりと見回し、自然な仕草で歩き出した。
◇
連絡船<ジョン・ポール・ジョーンズ>の大きさは、現代のちょっとした貨物船ほどもあるだろうか。
喫水は高く、それでも問題ないように両側には巨大な外輪が回って水を繰り出している。
午前中とあって、船内のあちらこちらに付けられた灯は取り払われており、薄暗い闇が、船の甲板下を朧に覆っていた。
(思ったより広いな)
実際、外輪を持つとはいえ帆船である<JPJ>は、同サイズの地球の船と比較しても明らかに大きい。
インヴィクタスとユウがいた一等船室は他に数室あり、そのうちのひとつがユウの寝床だ。
そして、彼女が気づいたことは後二つある。
連絡船でありながら、船窓がほとんどないこと。
……そして、人間が異様に少ないことだった。
「おい、貴様、何をしている!」
甲板への出口を探していたユウに、後ろから声がかけられた。
見れば、動きやすそうな服に船上刀を提げた男がじっと見つめている。
ユウの姿を詳細に捉えた時、疑わしげだった彼は、いきなり直立不動になった。
「申し訳ありません! 客人殿!」
「あ……いや。 甲板への出口はどっちですか?」
「はい! こちらになります!」
きびきびと歩くその男が<大地人>であることに、ユウは気づいた。
同時に、彼の所属にも目を向ける。
「あなたも<教団>に?」
「はい」
はしごを下ろす彼は、そういってほんの微かに笑った。
「<冒険者>様の門には、<大地人>は入れないと思っていましたけど。
教主様や司教様は、『神の慈愛に区別はない』と仰ってくださったんです。
そうして誓いの紙に自分の名前を書いて、私も教団の一員になれたんですよ」
緊張も解けてきたのだろう、彼は最初の仕草からは考えられないほどに饒舌にそこまで喋ると、はにかんだように笑った。
その笑みはどこか誇らしげだ。
「私も、恋人と一緒に入信したんです。このろくでもない世の中でも、教団なら変えてくださると思って。噂じゃ、教団の<冒険者>様たちが協力して、奴隷を解放しているとか。
こんな船を作れる人たちなんですから、当然だと思いますけどね」
最後にぱた、と出口を開け、ひょいとはしごから飛び降りたその<大地人>船員は、ユウを見て何の邪気もない笑みを零した。
「じゃあ、あなたの旅にも、どうか神のご加護がありますように」
◇
(やっぱり教団は普通の組織なのか?)
ユウは甲板の片隅で風に当たりながら、流れていく雲を見上げていた。
速度が出ているのか、帆はぴんと張り詰め、マストに掲げられた星条旗が勢い良く前にはためいている。
(奴隷を助け、アンディたちを助けて慈善事業をさせ、<大地人>もギルドに加えて……本当に教団は単なるモラリストの集まりなのだろうか)
ユウが考え込んでいるのは、教団の正体についてだった。
<冒険者>を中心に、<大地人>と融和し秩序を再構築する。
技術を再開発し、この世界のシステム―魔法や特技―と組み合わせ、発展させる。
ヤマトでは、ゲーム時代のギルドがその主軸を担っていた機能だ。
いわゆるコアタイム――ゲームにおける真昼間――に<大災害>が起きたヤマトや華国においては、
ゲーム時代の繋がりと人間関係がそのまま連続的に推移し、結果としてうまくいった。
<大災害>から二月足らずで奇跡的に秩序の再構築ができたアキバ<円卓会議>やミナミ<Plant hwyaden>はいうに及ばず、それから半年遅れて秩序を打ち立てた華国は、その恩恵にあずかれたといっていいだろう。
ユウが直接詳しく目にしたわけではないが、ヨーロッパもそういう意味では幸運だった。
七丘都市や花の都市は17時、霧の都市は16時。
社会人にとっては働く時間であったが、時間差勤務やそもそも仕事が時間に縛られない人々にとっては、夕暮れ前の娯楽のひと時でもある。
結果として、少なからぬ<冒険者>がギルドの仲間とともに<大災害>を生きることとなり、ギルド単位での再建が可能となった。
そういう意味で、もっとも不運だったのが、アメリカサーバ――つまり、<ウェンの大地>だ。
アタルヴァ社のお膝元として、本来中国・日本に次ぐプレイ人口を持ちながら、彼らの多くは<大災害>を不幸にも――あるいは幸運にも――免れた。
結果として、既存のギルドは一部を除き、ほぼ壊滅状態だ。
そのためか、ゲーム時代のギルドや人のつながりは、他の地域に比べ大きく薄い。
そんな中。
残された<冒険者>たちの最後のよりどころになったのが、信仰であり、あるいはアメリカ人としての意識だったに違いない。
ゲーム時代は意識しなかったそうした考えが、孤独のまま世界に放り出された人々にとっての最後のよりどころだとしたならば。
(ギルドを作って集まり、星条旗を掲げるというのも、わかる気がする)
次々に形を変える雲を見ながら、ユウはそう思った。
さらに考える。
ヤマトであればアキバやミナミ。
華国であれば<嵩山>や<黒木崖>、そして<大都>。
欧州ならばセブンヒル。
そうした位置づけにあり、秩序を志向する<冒険者>をまとめるべきプレイヤータウンが、ウェンの大地にはないことを。
現実世界でのニューヨークに当たるビッグアップルは、うわさを聞く限り完全な無法の都だ。
なまじ巨大都市であるがゆえに、都市全体をまとめきれるようなギルドは、ついに現れなかった。
西の都、現実世界でのロサンゼルスにまたがるサウスエンジェルの都もまた、似たようなものだろう。
となれば、残された<冒険者>が身を隠し、新天地を求めることは理解できる。
<大災害>後のこの世界のシステムでは、<冒険者>は対価を支払えば、あるゾーンを所有することができる。
そこにおいては、入場制限や特定人物の排除といった行為が可能だ。
もし、そうしたゾーン、あるいはその周辺のゾーンを保有する勢力がおり、彼らが<大地人>を招いて家――おそらくはゾーン制限に引っかからない程度の家――を一定数建築したとするならば。
それは、本当の意味での<冒険者の街>であると言えないだろうか。
ゲーム時代、ユウはそうして道なき場所に人々が集まっていた光景を、何度か見たことがある。
もし、<教団>がそういった動きをする過程で、悪徳<冒険者>に嗅ぎ付けられないよう注意を払っているとしたら。
彼らが、末端のアンディやリアラにまで厳しい緘口令を敷いているのも、わからなくもない。
思えば、<教団>に接触したのも、<星条旗特急>に興味を抱いたのも、ユウ本来の目的である故郷への帰還方法の探索――そのための目的地である<盟約の石碑>に、彼らが本拠を構えている可能性があったからだ。
だが、ユウが落ち着いて考えれば、もし<盟約の石碑>に何らかの秘密があるのならば、先に<教団>が気づいていなければおかしい。
多くの米国の<冒険者>にとって、ここは新世界でも新天地でもなく、無法の牢獄に過ぎないだろうからだった。
ユウは、つとめて考えなかったその思いを、ここにきて初めて正面から見据えた。
自分の旅が、間違っているとは思わない。
だが、まったく無意味なものだったと気づかされる時が来るのであれば……
「客人。酔ったかね」
そこまで考えたユウの後ろから、落ち着いた低音の声がした。
2.
「ユウといったな。94レベルの客人。顔が白いぞ」
振り向いたユウが見上げたのは、髭の大男だった。
あの、<ファラリス>のギャロットに似た紺色の提督服は、きちんとボタンが締められ、プレスされたようにしわひとつない袖からは、腕にくくりつけたナイフがかすかに見える。
ざんばらの長髪の上から三角帽をつけたその男に、ユウは見覚えがあった。
自分が手渡したアンディの書状を読み、インヴィクタスと話をして彼女に乗船の許可を出した男だ。
レベルは90、いかにも海の男らしい風貌の上で、存外に優しそうな目が煌いていた。
そして、男のステータス画面、ギルドタグらしき場所には、アンディやインヴィクタスと同じ文字が躍っている。
「船長……さんですか」
「艦長と呼んでいいのは部下だけだ。スワロウテイルと呼んでくれ」
「よろしく、スワロウテイルさん」
男――スワロウテイルは、許しも得ずどかりと座ると、隣で居心地悪そうな<暗殺者>に笑みを向けた。
「どうした。あまり甲板にいると日焼けするぞ。――<冒険者>が焼けるとは聞いたことがないがな。差し詰め、インヴィクタスから逃げてでもきたか?」
ユウの内心の一面をずばりと言い当てると、スワロウテイルは豪放な笑い声を上げた。
インヴィクタスとは異なる、本当の豪快な笑い声だ。
船長がサボって客人の女に話しかけているのをなんとも言えない目で見ていた船員たちも、その声を聞いて互いに顔を見合わせ、苦笑する。
「だろうな。ま、あの男は酒は好きだが、女には晩熟だ。たとえばあんたが目の前で裸になっても、あの男は手も出せまいよ。安心していい」
「はあ……」
「で。なぜ教団に入ろうとした? 日本の<冒険者>が」
なんでもない口調で、だが呼吸を計って放たれたその質問に、自分の意識に目が向いていたユウは咄嗟に反応できなかった。
数瞬後、何を言われたか気づいて慌てて取り繕おうとする。
だが、すでに遅かった。
「……だと思ったよ。あんたみたいな長旅をしてきただろう<冒険者>が、わざわざ教団にすがろうとするものか。
本当の目的は何だ? ヤマトの密偵か? それともビッグアップルかどこかから金で雇われでもしたか」
鋭く言い放つと、小声で付け加える。
「ここはもう外洋だ。船はめったに通らない。水棲緑鬼の鮫騎兵に出会える確率のほうが高いぞ。
そしてこの船はひとつのゾーンとなっていて、俺はその運用権を<教団>から任されている。
……その意味は、もちろん分かるな?」
明白な脅しに、ユウは黙って頷いた。
つまり、目の前の男はやろうとすれば、ユウを一瞬で海に放り込むことができると言うわけだ。
男は、目だけを敵意に燃やし、口調はあくまでも朗らかに言った。
「で、だ。そこまで理解したうえでもう一度聞こう。お前の目的は何だ」
「……<盟約の石碑>に行くことだ」
ユウは、かぶっていた『敬虔な入信希望者』の仮面をはずした。
どのみち、目の前の男――船長スワロウテイルにはすでにばれているのだ。
さらにいえば、おそらく<教団>でもかなり重要なはずの外輪船を預かっている以上、この男はもしかするとインヴィクタスより遥かに<教団>内で重要な地位を占めているのかもしれない。
であれば、下手に偽るよりも、むしろあけっぴろげに言ったほうがよい。
現時点では、ユウは必ずしも<教団>と敵対しているわけではないのだから。
ユウがそう思ったとき、あっけにとられたようにスワロウテイルが尋ねた。
「なんでまた<盟約の石碑>に? 何かヤマト人が気にするようなところがあるのか?」
「この世界をデザインしたアタルヴァ社の本社があった場所だ。何もないと思わないほうが不思議だろう」
「ほう。じゃあ日本人たちは、故郷への帰還をあきらめていないと言うことか」
「<教団>は諦めている……ってことか?」
今度切り込んだのはユウの側だった。
すかさず問い返された質問に、今度はスワロウテイルが目を泳がせる。
答えが返ってきたのは、しばらくしての後だった。
「……まあ、諦めてはいない。だが、<盟約の石碑>が何かのトリガーになると思っているとしたら、それはずいぶん愉快な勘違いだと言えるだろうな」
「<石碑>に意味はないと?」
「ない」
今度の答えは即座だった。
その、一点の曇りもない返答に、ユウが思わず唇を噛む。
その表情を見越したスワロウテイルは、敵意一辺倒だった目になんとも言えない色をたたえて、愕然としている<暗殺者>を見た。
「……悪いことは言わないから、ヤマトへ帰ったらどうだ? 適当な陸地に下ろしてやるから、<妖精の輪>を探せ。
<教団>に入り、<盟約の石碑>にたどり着いても、期待することは何もないぞ」
それは彼なりに、異国から来た同じ<冒険者>への気遣いであろう。
分かってはいたが、ユウはそれでも頷くことはできなかった。
ユウが小さく首を左右に振ったことに、スワロウテイルは一瞬立ち上がりかけたが、やがて苦笑して座りなおした。
「まあ、そうだろうな。あんたに任務を課した人間は、こんな言葉ひとつじゃ納得しないだろうな。
だが、部外者であるあんたに敢えて言うが、<教団>に入っても、あんたのような人間じゃ難しいぜ」
スワロウテイルはごそごそと懐を探り、枯葉色の小さな棒を取り出し、火をつける。
紫煙が海風にたなびき、ユウは思わず指差した。
「それ……葉巻か?」
「なんだ? 要るのか? ほれ」
渡された葉巻に、ゆっくりと火をつけ、口をつける。
口の中にたなびく香りは、かつて地球で味わったものより若干荒々しいものの、紛れもなく葉巻だ。
一年以上味わっていなかった懐かしい味に、ユウの混乱しかけていた思考がクリアになる。
「これは、高級葉巻か?」
隣でうまそうに煙を吐き出したスワロウテイルが、先ほどまでの敵意はどこへやら、楽しそうに頷いた。
「ああ。安物じゃないぜ。 まあこの世界で高級も安物もないがね。一応、作ってるハヴァナの<大地人>の話じゃ五年ものってぇことだが、話半分だな。
ついでにいえば湿度もなにもないから、味は勘弁しろよ」
ユウとスワロウテイルは黙って葉巻を燻らせる。
そうしながらも、船長は中断されていた話題に改めて触れた。
「……お前が<教団>にとって害悪でないことを、お前は証明しなければならん。
そうしなければ、<教団>はお前の前に現れることはないだろう。
だが、俺が止めたのはそれだけじゃない。 ……お前のレベルだよ、94レベル。
そのレベル、ヤマトにだけ<ノウアスフィアの開墾>が適用されたと言う噂は本当だな」
「……おそらくね。 少なくともヤマト以外のサーバにいた<冒険者>で、91レベル以上の者はいなかった」
「あくまで、俺の個人的な独り言だ。 聞かないでくれ」
スワロウテイルは、伸びた灰を無造作に甲板に落としながら、水平線を見つめた。
「<教団>にはいくつかの目的がある。 信仰の布教や、奴隷の解放もそのひとつだ。
その他、今回俺たちが漂流する原因になった新規アップデート――<ノウアスフィアの開墾>の研究と解明もまた、<教団>の目的だ」
あくまでユウに目線を向けないまま、スワロウテイルは小声で言った。
「すでに<教団>は、幾人かのヤマト出身の<冒険者>と接触している。
数は少ないが、<教団>に加わった者もいると聞く。
自発的に加わった者はどうか知らないが、そうでない者に待っているのは……分析と調査の対象としての生活だ」
「実験動物……ということか?」
「詳しくは知らない。知りたくもないがね」
スワロウテイルの声は苦渋に満ちていた。
「……この世界に来た<冒険者>はどのようなことができるのか。特に<ノウアスフィアの開墾>をアップデートされた<冒険者>は、そうでない<冒険者>と比べて何ができるのか。できないのか。
それが、この世界の謎を解き明かす方法だと……信じているものは、いる」
「……」
「殺し合わさせる。大規模戦闘の敵や、イベントボスと戦わせる。勝たせたり、わざと負けさせたり。
……あるいはいろんな方法で殺してみて、復活や回復の状況を比較する。
拷問もすると聞いた。
そして、精神を追い詰めたり、……元の世界であればできることをさせてみて、経過を観察したり」
「……元の世界でできること?」
その意味することを薄々察しながらも、ユウは聞く。
急にひんやりとした風が流れ、彼女の白い肌にぞわっと鳥肌を立たせていた。
「……自殺。わざと不具にする。性別や姿を変えさせたり、手術で内臓を取り去ったり。あるいは、交配実験で妊娠するかどうか、妊娠させられるかどうか、などだ」
ユウははっきりと理解した。
自分が<教団>に接触して、待ち受けている未来が何なのか。
ユウは激昂しそうになる自分をかろうじて抑えて、低く告げた。
「まさか……奴隷を集める意味は」
「労働力の確保と言う意味合い『も』ある……と答えれば、答えになるだろう」
「……結果は出たのか」
「出ていれば、<教団>での地位を上げることに熱心なインヴィクタスが、無理を言ってお前を乗せるものか。俺もお前に乗船許可を出したりはしない。
……言っておくが、クレセント・シティの下っ端――あのアンディとか言う奴は、おそらく何も知らん。この事実は、末端の連中には知らされていないからな」
「船長ーっ! また船だぜ!」
辛そうにユウにそう告げたスワロウテイルに、頭上から声がした。
見張員らしい船員が、横に風乙女を従えて、望遠鏡を覗いている。
スワロウテイルは、ほっとしたように小さく息をつくと、自らも望遠鏡を構えた。
<遠見の望遠鏡>――各地で愛用されている、製作級アイテムだ。
いやな話を打ち切ることができた喜びを隠すように、過剰に訝しそうな口調で彼は一人ごちた。
「あの船……出港の直後にも見たな……」
ユウも、<暗殺者>の視力で<望遠鏡>の向いた先を見るが、船らしきものは遠くに黒い豆粒のように見えるだけだ。
だが、丈高いマストの先にかすかに赤白の何かがはためくのが、かろうじて彼女にも見えた。
「星条旗か? なら同僚の船か?」
「いや……分からん。俺も別に全部を知っているわけじゃない」
スワロウテイルはユウの疑問にそう答えると、「念のため戻るか」と立ち上がった。
去ろうとする彼を、ユウは呼び止める。
不審そうなスワロウテイルに、ユウは燃え尽きた葉巻を海に投げながら問いかけた。
「私を放り出さなくていいのか? それに……なんで私にそこまで独り言を言った?
あんたは<教団>の幹部だろう」
ユウの疑問に、スワロウテイルは呆気にとられ、ついでにやりと微笑んだ。
「一つ目の答えは、さっきの話を聞けば分かるだろう。本来の俺の任務は、連絡や交易だけじゃないってことだ。
そして……二つ目の理由は、そうだな。 むさくるしい部下や、辛気臭い坊さんばかり見てきたからな。
たまにはあんたみたいな美女にお礼を言われるのも悪くない、と思っただけさ」
スワロウテイルが去った後、ユウは彼の与えてくれた情報を咀嚼しようとする。
そんな彼女に、豆粒のようだった水平線の船が、ぐんぐんと大きくなってくるのが、ふと見えた。
その帆桁には、見間違いようもない星条旗が掲げられている。
不意に、その旗がするすると降ろされた。
代わりに黒い何かが揚がる。
その意味は、異国人であるユウにも、明瞭に理解できた。
黒字に金で縁取られた十字架をバックにしているが、その前に白く染め抜かれた髑髏に、交差する骨の紋章は、世界的に絶大な知名度がある。
思わず立ち止まったユウの頭の上から、見張員の切羽詰ったような叫びが聞こえた。
「海賊だぁっ!! <不正規艦隊>が来たぞ!!」
<ジョン・ポール・ジョーンズ>のずんぐりとした船体を、不意に雲の影が覆った。




