139. <教団と海>
1.
招かれた家は、とても人が住んでいるとは思えないボロ家だった。
「雨風が凌げれば、<冒険者>は生きていけますから」
アンディと名乗った、黒いローブの男<冒険者>は、そういって笑う。
隣に控える女性――彼女はリアラと名乗った――も、そういう相棒の言葉ににこやかに頷いた。
だが、老保安騎士の家と比べても、その荒廃は群を抜いている。
屋根はあちこちが破れ、壁はほとんどが崩れ落ち、残った箇所を布で張り合わせて防風にしていた。
間取りも粗末なものだ。
聞けば、ルフェブルがもう少しまともな家に、と紹介しても、アンディたちは応じなかったという。
「我々、神の教えを伝える者が、人より豪奢な生活をしていては、誰も聞いてくれませんから」
そういって微笑むアンディの顔は、<冒険者>という優れた能力を持つ人類の一員であるという意識は欠片もない。
いわゆる宣教師――異世界で神の教えを迷いなく奉じる者だけが持つ、哀憫を伴う真剣さ――そうしたものだけがあった。
ユウには、すべてが理解できなかった。
彼らの心情、行動もそうだし、彼らと自分を引き合わせたルフェブルの気持ちもそうだ。
同じ<冒険者>だから引き合わせたのか――そう思ったが、この<クレセント・シティ>には他にも何人も<冒険者>はいる。
彼女の内心の疑問に、黙って水をすすっていたルフェブルが答えた。
「お前さん、<星条旗特急>について知りたいのじゃろう。ここにいればわかる」
「……!」
ユウが緊張する。
奴隷たちを西へと連れ去る、謎の特急。
星条旗を誇らしげに掲げているところから、<冒険者>に関係があることは疑いない。
そして、それを追っていた謎の半透明の人々、ワイルドハント。
すべてが謎で、それでいてゲームの<エルダー・テイル>とは明らかに違う。
この<ウェンの大地>で何が起きているのか。
自分の旅に、どう関係してくるのか。
それが、ユウの目下の心配事だ。
特に気にもせず、西へ向かえばいいのかもしれない、とも彼女自身は思うのだが。
ユウは、そうした内心と、厄介ごとにかかわりつつあるという心配事を心の中で天秤にかけながら、
つとめて平静な口調に聞こえるように尋ねた。
「……どういうことだ?」
その問いかけに、アンディが何かを答えかけたとき。
トントン、と、かろうじて残っていた家の扉が慎ましく叩かれた。
◇
「おや、お客さんですか」
「牧師」
扉を開けたアンディに正対したのは、彼と同じく黒いローブ――僧衣をつけた男性だった。
彼もまた<冒険者>であることは、そのレベルから知れたが、ユウは彼を見た瞬間、言いようもない怖気が全身に走るのを感じた。
ユウも、これまで各地の<冒険者>を何人も見てきた。
凶暴な人間、何かを企む人間、信念を持って進む人間、悪徳しか考えていない人間。
「どうも、私はアンディやリアラの同僚、インヴィクタスです」
この男の気持ち悪さは、目だ。
蛇のような、どこを見ているかわからない視線が、<冒険者>特有の端正な顔立ちとあいまって、どこか人間ではないような印象を与えている。
ぬるりと冷たい、握手の感触が、なおさらユウにそれを伝えていた。
「ユウさん……ですか。その名前からして、アジアの方ですね」
やや甲高い、独特の声音に、ユウは黙って頷く。
その反応も気にならないのか、インヴィクタスはそっぽを向いて水をすするルフェブルに軽く会釈すると、アンディから袋をひとつ、受け取った。
じゃら、と鳴る音が、中に入っているものが何なのかを明確に伝えている。
「……今日は少ないですね」
「誰もが忙しくて」
アンディの申し訳なさそうな言葉に、やや首をかしげてインヴィクタスが虚空を見ていたが、
しばらくたってから、不意に笑顔になった。
「いえ。信仰の道は常に険しいもの。これからも、よろしくお願いしますよ」
「微力を尽くします」
「よろしく。 ……では、私はこれで」
きびすを返したインヴィクタスが、突然振り向いた。
無機質な視線が、ユウを射抜く。
「……なんです?」
「あなたは、キリストを信じる者ですか?」
それは、ある意味でユウにとっては予想していた質問だった。
だからこそ、ユウも躊躇いなく用意していた返答を返す。
「あいにく、日本人なんでね。寺と神社に参ってるよ」
「それは、それは」
ユウの返答に何らかの変化を顔に表すことなく、インヴィクタスは扉を閉める。
その、存外に巨大な背中が消えてしばらくして、ユウはふう、と息をついた。
「……なんだ、あいつは」
「このルイジアナ管区の主席牧師です」
答えたのはアンディだった。
先ほどまでの落ち着いた物腰はそのとおりだが、どこかに沈んだ色が見え隠れしている。
思えば、インヴィクタスが来る前から、目の前の二人の<冒険者>はどこか悄然とした雰囲気を持っていた。
それが無性に気になり、ユウは改めて座りなおすと、目の前に端座した二人の<冒険者>を見た。
「ところで、あんたたちは何をしてるんだ? さっきの男との関係は?」
「私たちは宣教師です。……この世界に神の教えを広めようとしています」
「それは分かるが……ここはセルデシアだよ? なんでまた」
酔狂な、とでも言いたげなユウに、苦笑してアンディは問い返した。
「日本は、あの災害以来、どうでしたか?」
「……まあ、酷いものだったね」
ユウがぼそっと返す。自分もその『酷い』一員であったことに対する痛みは内心でじくじくと膿んでいたが。
アンディとリアラは、そんなユウの返事に、顔を見合わせて苦く笑った。
「確か日本サーバは、午前0時に災害があったと聞きました。
たぶん、それなりのプレイヤーもおり、秩序も戻ったのでしょう。
危機に対する日本人の力は、我々も知っています」
「でも……ウェンの大地は、そうじゃなかったんです」
リアラが、アコーディオンを解体しながら言った。
「米国サーバのトッププレイヤーたちの多くが、この災害に巻き込まれませんでした。
いたのは、何らかの偶然でログインしていた人々だけ。
国土の広さに比べて、入っていた<冒険者>の数はあまりに少なかったんです」
アメリカサーバの一年間を、二人が説明しようとしていることに気づいたユウは、黙って彼らの話を聞く。
横で、ルフェブルもまた、神妙な顔で彼らの話に聞き入っていた。
「最初は、混乱でした。そしてそれは無秩序に変わった。
味のある食料がなく、モンスターと戦わねばならず、家族とは離れ離れになってしまった。
一部のプレイヤーは、それでも秩序を守ろうとした。
夜勤明けの軍人で構成される<大陸軍>や、<フリーダムライダーズ>といったギルドが当初は活躍しました。
ですが、彼らの力はあまりに小さかった」
アンディは訥々と語った。
<大災害>から1ヶ月目、6月1日に起きた<ビッグアップル>市の食糧暴動が、混沌への動きを決定的にしたのだという。
既存のギルドは多くがメンバーの不在で崩壊し、新たに出来たギルドは半ば公然と、他者への殺戮や略奪を掲げるようになった。
心あるプレイヤーは、ある者は<妖精の輪>を潜って別のサーバに去り、またある者は<冒険者>から逃れ田舎の村へと身を寄せた。
そして、そのほかの多くのプレイヤーは。
「……統計を取っていませんが、災害時、ウェンの大地全体でも<冒険者>は数万人……おそらく十万人には達していなかったでしょう。
そのほとんどが、人間性をあっさりと捨てた。殺戮、略奪、暴力、強姦、奴隷貿易……我々は三千年を経て、もう一度ペリシテ人に戻ってしまった。
いまやビッグアップルは古のソドムとゴモラです。
おそらく、銀貨が十三枚といわず、一枚でも金になるのであれば、彼らは平気で友人も売るでしょう。
……我々のいる大陸は、そのような場所なのです」
「……だが、この<クレセント・シティ>は秩序があるように思えるが」
「それは、この街の<冒険者>のおかげじゃな」
口を挟んだのはルフェブルだ。
「わしらも半年ほど前までは、度々そういった<冒険者>の被害に晒されておった。
改善されたのは、この街に少数じゃがまともな<冒険者>が着たからじゃ。このアンディやリアラのように」
「ありがたいことに、ウェンの大地は半分であっても広かった。
ここまで遠征する<冒険者>は少なく、私たちでも対処できた。
ですが、やはり傷跡はあります。 ここの家は、<妖術師>の呪文で吹き飛ばされた<大地人>の家のあとです」
◇
話を終えたユウとルフェブルは、アンディたちの家を出ていた。
いつの間に夜になったのか、空には星がきらめくように瞬いている。
「この世界の星は、綺麗だな……」
びゅう、と吹いた夜風に髪を嬲らせ、ぼそりと呟いたユウに、ルフェブルがふわりと微笑んだ。
「世界の星は、どこでも綺麗じゃよ。ま、見慣れてしまうとどうでもよくなるがの」
そう言い、背を向けた老騎士が再び口を開いたのは、家に近くなった頃だった。
「……この世界に寄る辺のない異端者。異界からの漂流者。それが<冒険者>じゃという。
あのアンディたちは、わしらがウェニアや神々に祈るように、あやつらの神に祈り、縋った。
あの男は、元の世界では教会になど、数えるほどしかいっておらなんだそうじゃ」
大災害。
それは、故郷との物理的な断絶だけではない。
精神的な断絶による衝撃は、特に一神教を奉じる人々にとっては、より大きかったことだろう。
ユウは、ふと故郷の知り合いたちを思い出した。
バイカル、西武蔵坊レオ丸。 現実で宗教者だった彼らもまた、この世界に来てゲームの職業ではなく、現実の職業を選んだ男たちだ。
快活で剛毅、迷いなど微塵も見せないような彼らもまた、この世界に漂流されて、自分と神仏について深く考えた時期があったのではないか。
彼らは、その果てに何かを見つけたのだろう。
だが、あの青年宣教師と楽師の少女は、そうではないのだろう。
「……神はいずこ、か」
何を思い、宣教師として街頭に立つようになったのか。
そういえば、彼の説明はなんとなくたどたどしかった。専門の訓練を受けていないのだろう。
ユウがそう思って何とはなしに嫌な気分になった時、再び唐突にルフェブルが言った。
「……おまえさんはあいつらの仲間になれ」
「……はあ?」
2.
翌日。
ユウはあからさまに気乗りしない様子で、アンディたちが街路樹の横に演台を作るのを手伝っていた。
横では、いつもの<冒険者>に加え、明らかに異人種と分かる美女が手伝っているということで、まだ説教前にもかかわらず、そこそこの人だかりが出来ている。
やがて、リアラが物悲しくアコーディオンを鳴らすと、人々からまばらな拍手が沸き起こった。
演台に向かい合う最前列で、何人かの<大地人>と一緒に座り込みながら、ユウもあわせる。
むなしい気分にとらわれながら、ユウは昨夜のルフェブルの言葉を思い出していた。
『あのアンディらは<教団>という組織に属しておる。このウェンの大地や、噂では他の大陸にも仲間がおるようじゃ。
そして、あの<星条旗特急>の資金主ではないか、という噂があるのじゃ』
教団と聞いて、あからさまに胡散臭そうな顔をするユウに、ルフェブルは言った。
『表向きは、あやつらは無害じゃ。人も襲わんし、贅沢もせん。
街の危機になれば、剣をとって立ち上がってくれる。無償の執行騎士じゃな。
じゃが、わしも、他の<大地人>もそれ以上のことは知らん。
秘密主義なのじゃ。
わしとて、アンディや他の何人かの下っ端以外では、インヴィクタスくらいしか知らんし、そもそもあの男がどこに住み、何を普段しておるのかも知らん』
秘密めかして明かすルフェブルの目は、異様なほど爛々と輝いている。
『……要は密偵になれ、ということか』
『そういうことじゃ』
即答した老人は、さすがに保安騎士の長といった威厳を見せ、ユウに告げた。
『わしら<大地人>は危険視しておる。……奴隷貿易を妨げるからではないぞ。
個人的にはわしも奴隷を喜ばないからの。
じゃが、正体が不明で、目的も不明。そんな連中を野放しには出来ん』
『わたしはいいのか?』
『<ファラリス>の連中の目は、節穴ではないよ』
彼は皮肉げなユウにそう答えると、小さなイヤリングを取り出した。
そこには小さな水晶が揺れている。
『……これは?』
『お前さんら<冒険者>の念話に近いものじゃ。使えばわしに繋がる。
何でもよい、情報を取ってきてくれ。
無論、期間はいつまででもよいし、最悪では露見してもかまわぬ。わしらは治安組織として、連中を確認するだけなのじゃからの』
そう言いきったルフェブルに、意地悪くユウは問いかけた。
『で、報酬は?』
『<星条旗特急>の情報が報酬じゃ……といいたいが、もうひとつ。
この<クレセント・シティ>は港町じゃが、あやつらが来た頃から見慣れぬ船が一隻、来るようになった。
<JPJ>という船じゃ。
わしは、それが<教団>と関係するかもしれぬと思っておる』
(JPJ……何かの略か? 日本ジョーク連盟ではないだろうし、ね)
どこか必死な、アンディの演説を聴きながら、ユウは眠気に襲われかけた頭に、そう埒もない想像を浮かべたのだった。




