137. <トワイライト・エクスプレス>
1.
「またな」
手を振るユウが地平線に消えていく。
小さな豆粒のようなその騎影の向こうには、目を疑うほどに巨大な夕日が沈もうとしていた。
何度見ても慣れることはない、現代世界ではとても見ることのできない壮大な夕暮れだ。
「……あいつ、なんだったんだろうな」
手を振った時のまま固めて、オズバーンが言った。
「さあね。なんにせよ、よくわからない奴だったわね」
ヴァネッサが返し、心配そうに自分たちのリーダーを振り向いた。
「ねえ、まさかとは思うけどあいつ、<星条旗特急>に何かするつもりじゃないでしょうね」
「事実奴隷たちを助けているんだ。奴隷労働を見ていきなり喧嘩を売ったほどの奴だし、何かするとは思えないが……」
口を濁すようにギャロットが答える。
めいめい馬に乗りながらも、彼らは疑惑が頭の中で渦巻くのを感じていた。
あながち杞憂とも言い切れない。
彼らは誰一人知らないが、ユウがジョルオに言った言葉はある面では彼女の内心が、決して奴隷という存在に否定的ではないことを表しているからだ。
確かにそういう点では、ユウはギャロットが危惧したように、明確に価値観の異なる人間だった。
村へと帰りながら、いつしか<ファラリス>の5人の口数は減っていく。
ユウの今後についての危惧とは別に、ユウが図らずも問答で曝け出したもうひとつの疑問が、彼らの頭の中を占めているからだった。
そう。<星条旗特急>は誰が、何のために運行しているのか? という問いを。
だが、彼らは知らない。
おそらくは二度と会うことはないだろう、と思っていた黒髪の女<暗殺者>に再会する日が、思ったより早くに現れることを。
◇
2日間の騎行の後、ユウがたどり着いたのは比較的大きな<大地人>の街だった。
<三日月の街>。銀行や、驚くべきことに<大神殿>まである、この地方の中心地だ。
いつものぼろぼろのマントをまとったユウは、偽装で背負った豆の袋を背中に背負い、さも近隣から豆を売りに来たように城門に並んだ。
変な顔をする門番の<大地人>兵士に、できるだけしわがれた声で答える。
顔は見せない。
<冒険者>のように整っている顔をした<大地人>は稀であるからだ。
「おい! あんた、<冒険者>か?」
「……そうだよ」
であれば、見つかるのもやむをえないと言えた。
<冒険者>と聞いて周囲の行列が一歩下がり、逆に衛兵が飛び出してくる。
中世ファンタジーというにはやや装飾過剰な、金と紫と緑の華やかな上着をまとい、槍を構えた衛兵は、躊躇なく槍衾を作った。
その後ろから、隊長らしき男がユウに殺気立って誰何する。
「どこから来た! 名前と所属を言え!」
「北の村から。ユウ、所属はない」
「嘘をつくな! ビッグアップルから来たんだろう!」
「違う」
「ええい、嘘をつくな!」
ユウがうんざりして答えたことに苛立ったのか、青筋を立てた兵士の一人が槍を突っかける。
「<大地人>と侮ったか、林檎野郎!」
「……人が優しく問答に応じてやっていれば…!」
もとより、さほど忍耐力のないユウだったが、今回も特に変わらない。
欠伸が出そうなほどにとろとろと突き出される――無論、ユウの主観においてだが――槍を、ユウは思い切り蹴り上げた。
マントで隠れていた足が露になり、兵士たちが「女だと!?」とどよめく。
蹴り飛ばされた槍は、あっさりと持ち主の手を離れ、宙にくるくると舞って、落ちた。
徒手になった自らの手を呆然と見つめる、槍で突いてきた兵士の襟首を、つかつかと近づいたユウが掴みあげた。
周囲から沸き起こる悲鳴も無視して、彼女はその兵士というより、後ろの隊長に向かって凄む。
「おい。いきなり人を槍で突くのが、この街の礼儀かね? 姿かたちは人でも、頭の中はゴブリンかそれ以下だな。いっそ<クレセントシティ>なんて人間らしい名前なんてやめて、<クレセント・ゴブリンキャンプ>とでも改名したらどうだ? あ?」
恐怖のあまり腰が砕けたその兵士に、間近から殺気立った目を向けたユウに、隊長が怒鳴った。
「な……何を! お前たち<冒険者>がこの一年、何をしてきたかわかっているのか!
こっちは被害を受けた側なんだ! お前たちが……!」
「ビッグアップルやサウスエンジェルの猿どもが何をしていようと、私の知ったことか」
ある意味で無責任の極みにも聞こえる発言に、周囲の怒りのボルテージが上昇するのも無視して、ユウはふん、と襟を掴んでいた兵士を投げつけた。
槍衾があわてて崩れ、同僚たちの中にその兵士が倒れこむ。
彼がいた場所に、小さな水溜りと異臭が残っているのを見て、ユウはこれ見よがしに嘲った。
「こっちは単に用事があって立ち寄っただけなのに、いきなり武器を突きつけるとはずいぶんふざけた連中だ。
そっちがお望みなら、全員を死んだほうがマシと心から思えるまでにしてやる。
さあ、最初は誰だ? それとも、全員まとめてかかってくるか?」
「その辺にしてくれないかね」
兵士たちの後ろから声がした。
やがて、ひょこひょこと現れたのは、ぱっと見ても相当に老齢であることがわかる、一人のドワーフだ。
かつては逞しかったであろう腕も、老いに負けてか細く、弛んでいる。
頭髪のほとんどない頭の中で、申し訳程度に鬢にのみ白い髪が残っていた。
服装も、美麗にすら思える兵士たちと比べると、ずいぶんとみすぼらしい。
麻の手織りと思える服は擦り切れ、あちこちに接ぎ当てがかかっており、一見して乞食か、あるいはよほどに貧乏した老人だと思えた。
だが、唯一、胸につけたワッペンだけが、老人の本当の地位を表している。
「保安騎士か?」
「いかにも」
鷹揚に頷いたその老人は、目だけをぎらりと光らせ、隊長に告げた。
「わしが雇った執行騎士から既に話は聞いておる。この者はわしの客人じゃ。
わしの権限で通すぞ」
「し、しかし……この女は衛兵に暴力を」
「わしが見ておらぬと思ったか?」
凄みを利かせた口調で隊長を黙らせた老人は、そのまま犬を追い払うように男たちに手を振った。
殺気と恐怖で凄まじい目つきのまま、兵士たちが黙って脇に退ける。
「では、案内しようか。わしはルフェブルじゃ。お前さんは」
「ユウ」
短く答えたユウ、ルフェブルと名乗った老保安官は、楽しそうに手招きした。
遠い地平線に、ユウが見た何度目かの夕日が沈もうとしている。
2.
音楽が鳴り響く。
街の辻を彩る街灯は、不思議と暖かい気分になる炎のオレンジ色の明かりを、明度の低いガラス越しに石畳の街路へ向けていた。
カタカタと、馬車の鳴らす車輪の音が、街に独特のリズムを与えていた。
目抜き通りなのだろう。
石造りの通り沿いの家のほとんどは、宿屋か酒場、あるいは何かの店であるようだ。
最近高い建物を見ていなかったユウにとって、三階建ての植民地様式に似た建築物が立ち並ぶ<クレセントシティ>は、まるで別世界のようだった。
「華やかだな」
「これでも昔に比べれば、ずいぶん人も減ったわい」
後ろを歩くユウが迷わないように、ちらりちらりと振り向きながらルフェブルは答えた。
ふんふんと相槌を打つユウが、ふと耳に聞こえてきた音楽に立ち止まる。
「この音楽は……<冒険者>の?」
「うむ。この街……彼らの元の世界にあるこの街に生まれ育った者が伝えてくれた。
わしらにとっては、まさしく奇跡のようじゃったよ。
<大地人>は、昔から伝えられてきた四十二を演奏することはできたが、音に別の組み合わせがあるなど、思いもよらぬことであったから」
「故郷への道か……」
流れてきた、どこか哀切な響きの音を、ユウは目を閉じて聞く。
既に思い出せないことのほうが多い、故郷だ。
ユウは自らが編み出した<口伝>の代償を、しっかりと理解していた。
故郷を求める旅の中で、いつしか故郷が失われていく。
もはや、ユウが元の世界に戻り、愛していた妻に会っても、子供たちに会っても、
今の彼女にはその顔はわからない。
声も、雰囲気も、子供たちが幼いころの思い出さえも。
<冒険者>として一歩以上はみだした力を振るった、それが代償だった。
音は続く。
故郷へ、故郷へ、と誰かの歌声がリフレインする。
ユウは、顔も知らぬ歌い手を心から羨望している自分に気づいた。
きっとまだ、その歌い手は心の中に故郷を持っているのであろうから。
「……急ぐ話でもない。聞いていかれるとよい」
いつしか、人目をはばからず泣き出したユウに、ルフェブルは静かにそう言った。
◇
やがて、どこかの酒場から流れる歌声は消えた。
<大地人>か、あるいは<冒険者>か。
歌い手に贈られる万雷の拍手が響き、そしてそれは徐々にざわめきに取って代わる。
「気が済まれたかの」
「……ええ。申し訳ない」
涙を拭いたユウは、ふと自分の記憶を容赦なく奪っていった誰かに、感謝したくなった。
まだ、故郷を想って涙を流すだけの記憶を遺してくれていたことに。
<ファラリス>の5人は、それぞれ名前に元ネタがあったりします。




