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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第9章 <エリシオン>
188/245

136. <奴隷主> (後編)

1.


 日に焼けたことがないような、やや黄色みがかった白い肌。

銀の冠をつけたような、艶のある長い黒髪。

まるでそう設えた神々の似せ絵のように、完璧な配置に施された容貌。

ほっそりとした、それでいてメリハリのきいた身体。

よく見れば、異なる民族であることが明白な顔立ちも、むしろ異国的(エキゾチック)だ。


それは、ジョルオが見たことがある中で、トップクラスの美女だった。

<冒険者>に美人が多いのはジョルオも知っており、若いころは狂おしいほどに憧れたこともある。

若い無作為な情熱は、老いて心を客観視できる冷徹さに取って代わっていたが、それでも忘れたわけではない。

その<冒険者>が、彼の目の前で酔い潰れてぐったりとロッキングチェアにもたれている。

まったくの、無防備な姿で。


 ジョルオは舌なめずりが止まらない。

ユウに対する先ほどまでのどこか愛嬌のある態度は、もちろんだが演技だった。

真摯な言葉は、彼の内心のごく一部の顕現ではあったが、それらも含め、すべては彼一流の欺瞞(ブラフ)に過ぎない。

目の前の女は、たかが片田舎の<大地人>と侮っていたのかも知れないが、人が生きる場所はすべて政治の場所でもある。

そんな小さくも深刻な世界で、長年名士として生きてきたジョルオにとって、

相手が何を求め、何を望んでいるか見通し、そのとおりに振舞うことなど、彼にとっては児戯にも等しいことだった。


(ローズマリーやウィニフレッドはまあまあだったが、この女はどうかな)


ユウが感じた『かわいらしさ』など微塵も思い浮かばないような表情で、ジョルオは落ちかかっていたパイプを彼女の手からもぎ離した。

ついでにその手を嫌らしく摩る。

先ほど味わったが、異国の白磁のような肌のきめ細かさは、村の畑仕事で荒れた手の<大地人>女とはやはり比べ物にならない。

いまだ少女の面影を強く残していた奴隷の<冒険者>とも大違いだ。

成長しきった肉体が持つ豊満なみずみずしさを、眠れるユウの身体は十分に持っていた。


もはや誰の目もなく、欲望を露骨に表したジョルオの脳裏で、ふと先ほどの会話が蘇った。


『あんたたち<大地人>が多種多様であるように、私達<冒険者>も多種多様なんだ』

「……ふん。わしらからみれば<冒険者>など単なる役立つ天災、こうやって寝ている間はいい人形に過ぎんわ」


一人ごちた自らの声は、自分で思っていたより言い訳じみて聞こえた。


「……<冒険者>が多種多様というならば、あれだけ揃いも揃って、非道な暴力と略奪に明け暮れるものか。

多様性を冠する組織にもかかわらず自浄もできなければ、軒並み悪と断じられても何の問題もないではないか。

そもそも、お前とて、奴隷を使うわしを事情も知らないまま、無条件に悪と断じたではないか。

人に話を聞いてほしいならば、まず誠意を見せろ、その身体で」


唸りながら身をよじるユウにかけられた毛布を剥ぎ取り、あらわになったネグリジェのような服の胸元に手をかけながら、

最後通告のようにジョルオは言う。

そのまま引っ張り、びり、と破れた布の隙間から、ユウの身体が露になった。


「……ふん、小娘が。ちょっと話をあわせてやれば、のんきに寝おって。

これだから<冒険者>は扱いやすい」


そうして、扇情的な格好のユウに、さらに服を剥ごうとジョルオがのしかかったときだった。

酔いと興奮でドクドクと流れる血で鳴る彼の首、その表面で、かすかな痒みが走り。

窓の外を、夜中にもかかわらず鮮やかな光が駆け抜けた。



 ◇



 ユウは、夢を見ていた。


 <大災害>当初、彼女の見る夢は現実の家族のそれに限られていたが、離れ離れになって一年を越えた今、彼女の脳裏を去来するのは多くが旅の夢だ。


あの、遠く離れてしまったアキバの町の片隅や、小さな半島の中にある村。

友人であるレディ・イースタルを助けにヤマトの西部、神聖皇国ウェストランデを横断した旅の風景。

水墨画のような華国の幻想的な山河。

はるか西域で見た、星が降る峠と天に届くような炎の山。

たった一人挑んだ、白銀の地獄。

北欧の小さな島と、そこにいた逃亡者たち。

ある<冒険者>の怨念と、古のアルヴの悲しみを埋葬した、死者の地下都市。

名を捨てた弓使いが庵を結んだ、古い毒の森。

まるで走馬灯が切り替わっていくように、ユウは夢の中でセルデシアを歩く。

そして、夢に出てくるのは景色ばかりではない。

友人と3人で旅した日々のこと。

大軍を率い、華国を南下する自分。

命を削るような登攀。

岬から遠い海の彼方を見つめながら、自ら封じた記憶に悩んでいた日々。

そして、戦い。


 夢の中で、ユウは戦う。

現実で出会った様々な敵、まだ出会っていない敵。

不思議と、夢の中では現実で感じた怒りや憎しみといった感情は浮かんでこない。

ただ、前に出てくる敵を切り捨て続ける。

旅で見た色々な景色の中で、ユウはひたすら戦い続けていた。

そしてその夜、ユウはあの懐かしい<鏡像(ドッペルゲンガー)>と正対していた。


 ◇


 互いに刀を構える。 静寂は一瞬だ。

次の瞬間には、ユウの<毒薙(ぶすなぎ)>と鏡像の<風切丸(かざきりまる)>が硬質の音を立てて噛み合っていた。

一瞬で駆けすぎる、その手から同時に紫の瓶が飛ぶ。

音もなく周囲を爆風で包み込む爆薬を、二人のユウはこれも同時に駆け抜ける。

そして、ユウは目を、<鏡像>は足を狙い、緑と青の刃が奔った。


(足など!)


ユウは自らの片足で、瞬速で迫る刀を蹴り落とした。

刃に当たった足の甲から先が切り落とされるが、奇妙にどろりと落ちる血と肉とを引き換えに、

<鏡像>のバランスがほんのわずか、崩れる。

それによって首を上げた<鏡像>の、その喉笛に<毒薙>が食い込み、野菜の(へた)を斬るように、その首が落ちた。

どの戦場かもわからない荒野に、<鏡像>の首はころころと転がり、そしてユウを見てにやりと笑った。


「いつの間にかお前も変わったな、本物」

「何のことだ」

「自分の身体を見てみろよ、間抜け」


ふと見下ろすと、まとっていたはずの<上忍の忍び装束>がない。

自分が全裸になっている、という光景に夢のユウが目を丸くすると、その姿を<鏡像>は眺め、

さも面白そうにくっくと嘲笑した。


「何を驚いていやがる。その身体を選んだのはてめえだろ」

「だが、それはゲームのキャラだったからだ、好き好んでこんな姿になりたいものか。

私は男でいたいんだ」

「もう、残念だが手遅れだぜ」

「なんだと」


断言する<鏡像>の生首を、思わずユウは半分切断された自分の足で踏みつけた。

流れ出る血で真っ赤になりながら、<鏡像>は言う。


「まあ、正確に言えば手遅れ一歩手前だな。もう少し貴様は自分がゲームのキャラではなく、肉の塊だって理解しておいたほうがいいだろうよ。

……まあいい。 こんな成り行きも何かの縁だ。 手伝ってやらあ。腕、借りるぜ」


不意に、ユウの右腕が強烈な痺れに襲われた。

同時に、彼女の意識が遠くなっていく。

遥か遠い場所から、<鏡像>が最後の言葉をかけるのが見えた。


「もうすぐだ。……もうすぐ、貴様の旅も終わる。 もう少しで。

……だからせめて、それまではその身体、守ってやるよ」


ぷつりと意識が途切れる瞬間、<鏡像>がそう言い残すのを、ユウは虚ろな意識の切れ切れに、聞いた。



2.


 いつの間にか眠ってしまったらしい。

与えられたふかふかのベッドで、ギャロットが飛び起きたとき、窓は光に包まれていた。


「朝か!?」


手はずによれば、襲われたユウが金切り声を上げ、屋敷の使用人が全員飛び起きたところで

同じく飛び起きたふりをしてユウの寝所に向かうはずだった。

そこで、シーツを抱えて震えるユウと、素っ裸のジョルオを発見できれば、それでいい。


ギャロットは、当初こそ大人気ない提案にうんざりしたものの、そうでもないなと考え直していた。

思えば、これはジョルオにとって致命的とは言わないまでも十分な醜聞(スキャンダル)だ。

客として招いた女性を襲い、なおかつそれに失敗したとあれば、客人を招く機会も多い名士としては外聞が悪いどころではない。

さらに、いくら<冒険者>とはいえ、女、それも酔って眠って油断した女一人に撃退された、というのは、

変なところでアメリカらしさが残るこのウェンの大地の強い男(マッチョ)の価値観から見ても弁明はし難い。

相手は<冒険者>だったから、というのは何の言い訳にもならない。

男たるもの、強い女でも魅力で言うことを聞かせるべき。

そういった、現代の普通の女性ならカンカンに怒るような価値観もまた、弱肉強食のこの世界では死んだわけではないのだから。


(うまくすりゃ、このうるさい野郎を黙らせられる)


そう思ったのであったが。


あわててガウンを羽織ったギャロットは、不意に外の光の正体に気づいた。

これは、陽光ではない。

何か光るものが飛んでいるのだ。


村の上空を乱舞する何かが動くたび、周囲に光の粉が落ちる。

その生物をギャロットは北欧サーバで見たことがあった。


「巨大な……鹿だと!?」


間違いない。モンスターだ。

そう思ったとき、彼はつけっぱなしだったギルドチャットに向かって怒鳴った。


「ヴァネッサ! オズバーン! マイヤー! ジーヨウ! モンスターの襲撃だ!!」


扉を蹴り開け、何事かとやってきた使用人に『家の外に出るな、扉を閉めろ』と保安執行騎士として厳命してから、応答する仲間たちに同じことを叫ぶ。

もはや、悪戯がどうのこうのという状況ではない。

ガウンを脱ぎ捨て、一瞬でいつもの海賊スタイルに戻ると、腰のカトラスをがちゃがちゃ鳴らしながら、ギャロットはユウの部屋の扉を開け放った。


「ユウ!モンスターだ! ……ユウ!?」


そこには誰もいない。

寝具が使われた形跡すらなかった。

であればと、最後にユウを見た談話室へと向かう。

この場にいない以上、次にいる可能性が高いのはジョルオの寝室だが、あいにく彼はその場所を知らない。

使用人を起こすために走るついでに、念のため談話室を確認しようとしたのだった。


「ユウ! どこだ!」


重厚な談話室の扉、そこを思い切り開けた彼は思わずびくっとした。

あまりに異様な光景だったからだ。


煌々と燃えていた談話室の暖炉は消え、室内は真っ暗な闇に閉ざされている。

カーテンの向こう側を乱舞する鹿やウサギたち、半透明の動物型のモンスターの放つ光だけが、室内をぼうっと照らしていた。


「ユ……ユウ」


その中で、ぼうっと立っているのは、ユウだ。

服はびりびりに破れ、時と場所が違えばギャロットも魅了していただろう上半身が露になっている。

露になった胸の上から髪の毛がなだらかに落ち、かろうじて人目を避けていた。

その、足元に倒れこんでいる人影がある。

たくましいがやや太った肉体、正面をはだけているものの豪奢な服装は、館の主、ジョルオに他ならない。


「ユウ……おまえ、まさか、」


殺したのか。


口には出せず、問いかけられた疑問に、喪心したように立っていたユウがふらりと振り向いた。

幽鬼のような姿の、目の奥に揺らめくのは、空色の炎だ。

そのためか、黒いはずのユウの瞳がどこか高い空に通じているように、ギャロットには見えた。


 思わず腰のカトラスと、もうひとつの武器に手が伸びる。

少なくとも、昼間のユウではない。

そう思ったギャロットが戦闘態勢に移ろうとしたとき、ユウの口が動いた。


「安心しろ」


同時通訳を介しているギャロットには、ユウの普段の中性的な口調が、男のような荒々しい口調に変わっていることに気づけない。

ただ、彼は目の前のユウの姿をした何者かに向かって、硬い声を上げた。


「お前は……誰だ。 ユウじゃないな?」

「俺は、ユウさ」


だらりと両手を下げたまま、『ユウ』がくっく、と嗤った。

そのまま、表情も変えずに足元のジョルオを蹴って転がす。

前をはだけ、無様な姿で仰向けになった農場主を見もせず、彼女は嗤い続ける。


こいつ(ユウ)は心が狭くて気が短くて暴力的なくせに、肝心なところでお人よしだからな。

このジジイの甘い言葉にころりとだまされてあっさり酔い潰されたよ。

俺には関係ねえし、ほっといても良かったんだが、さすがに借家人としちゃ、大家が真上でアンアン啼くのは御免でね。

安心しな。 殺しちゃいねえよ。ちょいと眠ってもらっただけだ。朝になりゃ起きるだろ」


よく見れば、ジョルオの胸は規則正しく上下している。

かすかな鼾も聞こえてきていた。

だが、あくまで警戒を崩さず、ギャロットは問い詰める。

カーテン越しに光が舞う、見ようによっては幻想的な光景の中で、<海賊>と<暗殺者>の姿をした何者かは、互いの視線を真正面から見返した。


「……答えろ。 お前は、誰だ」

「ふん。俺は影さ。こいつの旅に同行するもの。こいつが死ぬまで、共に居るモノ。

肉体は天に、魂は浜辺に還り、再び命の輪廻に戻っても、最後に残った妄念の残骸。

こいつの(ディゼスター)、死神にして先導者、こいつの旅の果てに居るもの。

それが、『俺たち』だよ」

「……何を言っている、貴様」


流れるように告げられた不気味な声に、ギャロットは全身が総毛立つ気分を味わいながらも、考える。

外の異変、そしてユウの変貌。

これに何か、関連性があるとすれば。


そう思ったギャロットが何かを言う前に、『ユウ』は急にがくりと膝を落とした。


「……しゃあねえなあ。もう少し居たかったが、返してやるぜ。起きな、ユウ」


意味のわからない言葉を言うと同時に、ユウの目から空色の炎がふっ、と消えた。


「……あれ?」


それまでと1オクターブ高い声は、紛れもなくいつものユウだ。

どこか茫洋とした表情で、ユウは部屋を見回し、足元のジョルオを見て、呆然と見ていたギャロットを見て、己の身体に目を移し――唐突に絶叫した。


「うわあああぁ!! 見るな、デバガメがぁっ!!」


<暗殺者>の変貌に棒立ちになっていたギャロットが、音波と同時に飛んできたユウの短剣――恐ろしいことに、この状況にあってもその切っ先は正確に彼の眉間を狙っていた――を避けられたのは、ちょっとした奇跡であったろう。



 ◇


 ユウの叫びで飛び起きたジョルオの妻をはじめ<大地人>たちに、扉を固く閉ざすよう改めて言い置き、ギャロットと普段の服装に着替えたユウが屋敷を飛び出したのは、深夜というよりもむしろ夜明けに近い時間だった。


もちろん、すでにオズバーンたち仲間は駐屯所を飛び出し、個々に戦闘に入っている。

とはいえ、相手は空を自由自在に飛び回る敵だ。

他の敵のように接敵は出来ないはずだが、<ファラリス>の面々の顔はまだ余裕がある。


「ギャロット、ユウ! 来たか!」

「ああ、マイヤー、待たせた」

「おう、<グレイスフルガーデン>!」


金色の結界が広がり、6人の<冒険者>を包み込んだ。

その中で、<暗殺者>の二人が弓を手に空を仰ぐ。

そこは、幻想的な光景に包まれていた。


それは、まるで銀河のようだった。

星の輝きを圧するように、鹿や熊、兎や狐といった、動物たちが駆けていく。

それはまるで、何かに追われているかのようだ。

地平線から別の地平線まで、ひとつの川のように半透明の何かが天空を走り、

彼らの全身から立ち上る朧な光が、川岸にかかる水しぶきのように地上に落ちてくる。


「待て、行くな!」


ジーヨウが、そういって自らの召喚獣、飛び立とうとする<フェニックス>を抑えた。

そして目をギャロットたちに向ける。


「華国にいた俺は、こんなモンスターの群れは見たことがない。見る限り、亡霊のようにも見えるが……

知っているか、みんな」

「……<荒れ狂う狩猟団(ワイルドハント)>……その先触れに、似てるわ」


不意に、ぽつりとヴァネッサが呟いた。

オズバーンがそんな彼女を振り返って焦ったように叫ぶ。


「馬鹿な! あれはスノウフェル……クリスマス限定のレイドエネミーのはずだ!

それも、北欧サーバのはず! こんな場所、こんな時期にいるはずがない!」

「じゃあ、なんだってのよ!! あんな空を翔る動物、ワイルドハントでないと見たことないわよ!」


怒鳴りあう二人を、あわててマイヤーがなだめる。


「落ち着け、二人とも!! 言い合っててもしょうがないだろう、現に連中はいるんだ!

それに、今のところ連中は天を通っているだけだ! 俺たちやこの村を襲う様子はない!

もう少し状況を見よう!」


仲間の叱責に、二人もようやく言い合いを辞める。

それを尻目に、ジーヨウは落ち着いてギャロットに問いただしていた。


「ギャロット。連中は襲ってこないのか?」

「……大規模戦闘(レイド)におけるワイルドハントなら、答えは否だ。今見える動物たちは狩人の獲物で、先触れでもある。

本当に恐ろしいのはこの後に来る狩猟団(イェーガー)だ。連中は動物を狩るついでに、俺たちを襲う」

「……なら、今のうちに」

「やめておけ。ゲームに採用されたワイルドハントの本来の伝承では、連中の獲物に手を出したものは取り殺されるまで追いかけられる。

あれは神々の大いなる狩なんだ」


そこまで言って、ギャロットは一人呟いた。


「だが……モンスターがサーバをまたいで出現するケースはあると聞くが、期間限定のイベントクエストのボスが、なぜこんな、数千キロも離れた場所にいる。

……何が起こっているんだ…?」


行列は続く。

やがて、地平線の向こうの影が、別の形を象った。

東から駆けてくるそれは、動物ではない。

馬に乗って弓を構えた、半透明の人影だ。

それが見えた瞬間、ギャロットの顔がさっと青ざめた。


「本体だ……!」


ワイルドハント、あるいはナハトイェーガーというモンスターは、群体のように見えて単体である。

無数の狩人の姿をした冬の亡霊は、天から地上に降りては、進路上にいる者を誰彼かまわず踏み潰していく。

それは、そういうモンスターであった。


<森呪遣い>のヴァネッサが再び従者を召喚し、ジーヨウの横でフェニックスが高く啼いた。

まるで早く解き放て、と命ずるかのようだ。

ユウとオズバーンは弓に矢を番え、マイヤーはいつでも<リアクティブヒール>が放てるように、一行の中心で構えた。

そして、ギャロット。

彼は、獲物のカトラスを抜かず、腰に吊り下げられていたものを手にしていた。

<魔法の鞄>から何かを取り出し、その口から入れる。


「それは」


ユウはそのしぐさを横目で見て驚いた。

サイズこそ一回り違うが、それはこの世界ではなく、元の世界で写真で見たものだったからだ。


「俺のサブ職業は<機工師(マシーナリ)>だよ、ユウ」


鉄の塊――元の世界で言えば大型の拳銃に相当するものを夜空に向け、ギャロットは小さく笑った。

よく見れば、彼の胸には同じものがいくつも吊り下げられている。


「火薬じゃなくて、あんたのような爆薬を使っているので威力はお察しだがね。まあ、少なくとも使い物にはなるさ」


現実の海賊のように、拳銃を二丁構えに構えて、そう<海賊>は嘯いたのだった。



3.


 謎の行列を、<冒険者>たちは意を決して待ち続けた。

すでに、地上を一顧だにせず駆ける半透明の動物たちは駆け過ぎようとしている。

地平線から、ユウたちの頭上に向かって駆けてくる人影の顔すら、はっきりと見えるようになっていた。


(いつ、撃つ)


誰もが、そう思い、じりじりとした時間をすごしている。

距離が大きく離れている人影たちのステータス画面を、ギャロットたちは見ることは出来ない。

よしんば見えても、英語が不得意なユウでは彼らが本当にスノウフェル限定のレイドエネミーなのか、それとも何か別のものなのか、それを判別することは容易ではない。

光が徐々に近づき、やがてあたりは先ほど動物たちの群れが駆けて来た時とは比較にならないほどの光に満たされた。

まるで、それは天の川が人の姿を取り、地上に降りてきたかのようだった。


「……まだ、撃つな」


撃鉄に指をかけたまま、ギャロットが囁く。

三角帽(トリコーン)から除く目は、戦意と疑念、そしてごくわずかの畏怖を湛えて頭上を睨みあげていた。


ヨーロッパ文化を知らないユウにとって、<ワイルドハント>あるいは<ナハトイェーガー>といわれてもぴんとこない。

せいぜい、子供時代にやったロボットゲームのロボットの名前か何かか、くらいに思うだけだ。

見れば、ジーヨウも同様の感想らしく、その目には戦い直前の強い緊張はあっても、それ以外の感情は浮かんでいなかった。


だが、他の4人は違う。

偉大なる隻眼の王、北欧の神が率いる英雄たちの軍団。

セルデシアにあったのはその外見だけを模した複製物(コピー)でしかない、と分かっていても、

子供のころからクリスマスがくるたびに聞かされてきた亡霊の狩人たちの伝説は、彼ら英語圏の人間の間に深く刻まれているのだ。

狩人たちの先頭、馬に鞭を当てている豪奢な鎧の戦士が、半透明の髪をなびかせ、ちらりと地上を見下ろした。

と同時に、手綱が引かれ、馬首がその向きを変える。


地上に。


「来るぞ!」

「まだだ!撃つな!!オズバーン!!」


焦るオズバーンに、ギャロットが銃口を駆け下りてくる人影に向けながらも怒鳴った。

有無を言わせぬと、オズバーンが怒鳴り返す。


「何を待ってる!! 今のうちに削るんだ!」

「待つんだ!! 他の連中は降りていない!!」


よく見れば、地上へ向かっているのは先頭の人影だけで、いまやユウの頭上を駆けているほかの人影はその向きを変えていない。

まるで眼下に何もないとばかりに、獲物を追って一目散に地平線に向かっていた。

本来の<ワイルドハント>であれば、それはありえない。

彼らは単体のボスであり、一騎が向きを変えれば全員がその方向を向くものだからだ。

それを目ざとく見つけたギャロットの声が、ぎりぎりのところで仲間たちの理性を踏みとどまらせる。

何しろ、相手は<大規模戦闘級の敵(レイドクラスエネミー)>なのだ。

たかが6人、1パーティの<冒険者>では、劣勢に回って勝てるわけがない。


<冒険者>たちの混乱を尻目に、豪奢な甲冑をまとい、手に弓を持った男は、愛馬とともに地上に降りると、ゆっくりと彼らの元へと近づいた。

その半透明の顔には、あたかも彫像であるかのように何の表情も浮かんでいない。

それは、まるで先ほどのユウのようだった。


男の顔がゆっくりと動き、不意に声がした。


『星の旗はいずこ』

「はあ?」


ジーヨウが声を上げるのも気にせず、男は淡々と続ける。


『星の旗はいずこ』


その目がまっすぐ自分を見ていることに、ユウは気づいた。


「……どういう意味だ。お前は<ワイルドハント>ではないのか!?」

『星の旗はいずこ』


同じことしか言わない男に、焦れたようにオズバーンが矢を向け、その手をギャロットが抑える。


「……あんたはワイルドハントか。そしてなぜその旗を求める。

それを答えてくれれば、われわれも知る限りにおいてあんたの質問に答えよう」

『……』


男が黙り、弓を持ち上げた。

はっと緊張し、6人が武器を構えなおす。

男は腰に下げた矢櫃から矢を抜き取ると、ゆっくりと番えた。

その上で、言う。


『星の旗はいずこ』


そのとき、ふとユウが前に進み出た。



 ◇


 ユウは気づいていた。

星の旗、という言葉。それは、文字通り星を象った旗だ。

少なくとも、ユウが知る限り、星を象る旗といえば、あの謎の機関車が掲げていた、


「……星条旗」

「ユウ!」


ギャロットが叫ぶ。

彼にとって、疑念はあれど<星条旗特急>は、奴隷として苦しむ<冒険者>や<大地人>を救う存在だ。

目の前の男のような、不気味な存在に教えてよいものではない。

だが、ユウはアメリカ人ではない。

かつての敵国だった国、星条旗を掲げた国に文字通り焼き払われた国の出身だ。

元の世界にいたころから、ギャロットは直接日本人と接したことはないが、それだけに彼の頭の中ではいまだに日本人は星条旗、ひいてはアメリカという国と理念に対し冷淡だという意識が残っている。


「ユウ、やめろ!」

「星の旗なら、知っている」


ギャロットの静止もむなしく、男の正面に立ったユウは、頭二つは高いところにあるその半透明の目をしっかりと見上げて、言った。


男が弓を下ろす。

そして告げた。


『ならば、それはいずこ』

「知らない」


あっさりと答えたユウに、男の表情がピクリと動く。

次の瞬間、抜剣した男の刃は、ユウの首すれすれで止まっていた。


『星の旗はいずこ』

「だが、私もあいつらを追う」


ユウが一言、告げた。

そして同時に、彼女の刀が男の眉間を貫く。

緑色の光が渦を巻き、男の顔を覆った。


「だから、おとなしく付いてこい。私の厄になって」

「ステータス画面が」


後ろにいたヴァネッサが叫んだ。

先ほどから彼女たちは、目の前の男のステータス画面を見ていたのだ。

だが、本来あるべき名前も、レベルも、ぐちゃぐちゃのコードのような文字化けに覆われて、見えていなかった。

だが唯一。

ユウが剣を突き刺した瞬間、そのHPが緑色に覆われ、がくりと落ちるように減る。


「なんで……亡霊に毒が」


後ろの声も無視して、ユウが抜き放った<風切丸>を突き刺す。

それは、男のHPを一気に赤色に叩き込んだ。

男がくず折れ、倒れこむ。

同時に、上空の人影も一斉に薄れるように消えていった。

泡となって消えることもなく、緑の光に包まれ、男が消えていく。

男の体が完全に見えなくなってから、ユウは振り向いた。

その目は、ギャロットが部屋で見たのと同じ、空色の光に包まれていた。


「……ということだ。ギャロット、あの特急を追う方法を教えてくれ。

あいつは西へ向かっていた。

……そして目的地は、私と同じなのだろう?」


先ほどの男同様、何の表情も浮かべないまま、<暗殺者>は告げた。


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