135. <星条旗特急>
1.
なにぶん、小さな村のことで、噂はあっという間に広まった。
東から、素性の知れない<冒険者>がやってきた。
そいつは、来て早々農場主であり名士の一人であるジョルオに喧嘩を売ったという。
どうもそいつは女、それも黒髪のとびきりの女らしい。
保安執行騎士たちが、連行していったようだ。
一連のやり取りを見聞きしたものから、その話はあっという間に尾ひれをつけて村中を駆け回った。
ならず者ではないか、と不安な顔をする女たちの後ろで、男たちは絶世の美女だというその女の顔を想像してはにやけ、妻たちに次々と成敗されていく、そんな光景が村のあちこちで見られる。
だから、というわけでもないだろうが。
「……おい。ギャロット。あんた宿だと言ったよな?」
「ああ、寝泊りするところ、と言ったつもりだ。どうも翻訳機能もガタがきているようだな」
「嘘をつけ。……ここはどう見ても牢屋だろうが!」
鉄格子の向こうで怒り狂うユウに、椅子に座ったギャロットがしれっとして答える。
「どうせやろうと思えばそんな鉄棒、あっという間にぶち抜けるだろうが。
それにこの村に宿屋はないし、どこか別の場所に泊まってみろ、夜這いの男で交通渋滞が起きるぞ。
ヴァネッサもそんなことがあって、当面そこに入ってたんだ、ま、貞操のために我慢するんだな」
「理不尽だ……」
湿っぽい牢屋に座り込み、ユウは呻く。
とはいえ、本当に捕まえるつもりが無いことは、牢に鍵をかけていないことでも明らかだ。
ここは執行騎士の駐屯所。
よりありていに言えば、保安官事務所である。
「そういや、あんた、保安官助手といったが、正規の保安官もいるのか?」
「ああ、いるよ」
暇なのか両足を机に投げ出し、カットラスを磨き始めたギャロットは、適当な口調で答えた。
「一応、この大陸にも国みたいなものはあってね。
といっても、旧大陸みたいに貴族がでかい顔をしているというわけでもないが。
この村みたいな小さい村じゃ、近隣の貴族に頼んで騎士を派遣してもらったり、
互いで選挙したりして、保安騎士長を決めてるのさ。
俺たち執行騎士ってのは、その騎士長に雇われた、まあアルバイトだな」
「へえ」
ユウが軽く驚くと、ギャロットはちらりと横目で彼女を見た。
彼の仲間はここにはいない。
村の周囲を巡回しているか、あるいはいつものように酒場で飲んでいるのだ。
「ちょっとしたモンスターなら<大地人>の保安騎士でも何とかなるが、ちょっとしていない奴はお手上げだ。
俺たちはそうした連中の討伐や喧嘩の仲裁をして、飯を食わせてもらってるのさ。
……だからまあ、気に食わなくてもさっきのジョルオみたいな連中の言うことも聞かなきゃならんし
同じアメリカ市民が奴隷としてすぐ近くで酷い目にあっていても見てみぬ振りをしなきゃならん。
胃に来る仕事だよ、まったく。……まあ、やられっぱなしでもないけどな」
そこまで言うと、ギャロットは唐突に立ち上がった。
そのまま牢の近くに顔を寄せると、誰が聞いている風でもないのにことさらにひそひそ声で話す。
「ユウ。あんた、俺たちが奴隷開放宣言を忘れたのか、と言ったな。
正直に答えてやる。 ノーだ。 俺たちは先祖が命を賭けて勝ち取った正義を、無駄にするつもりはない。
今日はこのまま寝ろ、そして夜中に起きだして、俺たちの後をこっそりとつけてみるんだ。
……アメリカ人が腑抜けばかりじゃないところを、見せてやろう」
◇
深夜。
ユウはゆっくりと、布団代わりの寝藁から起き上がった。
既に夜は更けきり、真っ暗な事務所の中は不気味なほどの静寂に覆われている。
手元の<暗殺者の石>に仕舞っておいた刀を、音を立てないようにしっかりと腰に結びつけると、
ユウはキイ、とかすかな音を立てて開いた扉から、牢の外に歩き出した。
小さな村に、当然ながら明かりは無い。
これが大きなプレイヤータウンなら、松明や<魔法の灯り>を用いた常夜燈が夜道を照らしてくれるが、そうした明かりがなくても、<暗殺者>の目は、十分にユウに夜目を与えてくれていた。
ユウは音も無く歩く。
おそらくは、彼女が道に迷わないためだろう。
ギャロットは、小さな石を規則的に道に置いていてくれた。
それをひとつずつどこかに放り、痕跡を消しながら歩いていたユウが歩みを止めたのは
村の門を出てしばらくした広い荒野だった。
シルエットだけだが、4人の姿が見える。
その格好から、彼らがギャロットたちギルド<ファラリス>の面々だとユウは気づいた。
ホーウ。
低い、フクロウの声が聞こえた。
見上げると、森も無いのに一羽の梟が旋回している。
その梟が、再び低く鳴き声を上げた。
ホーウ。
そのとき、ユウは新しいことに気がついた。
何人もの人影が、村の方角から小走りにかけてくる。
寝間着のような服装が、ぼろぼろのシャツやはだけた下着のようなものであることで、ユウは彼らの正体に感付いた。
あれは、奴隷だ。
よく目を凝らせば、その中にはあのローズマリーもいた。
扇情的な服装に似合わぬ必死の形相で、彼女は夜道に時々転びかけながらも、仲間に肩を支えられて走ってくる。
ユウが見ている間に、彼らはギャロットたちの元へ歩み寄り、一言二言、何か言葉を交わした。
ギャロットらしい人影が頷き、荒野の向こうを指差す。
つられてユウもそちらに目を向け―――思わず声が漏れそうになるのを、あわてて口で抑えた。
それは、ユウも写真や博物館でしか見たことの無いものだった。
本来ならば盛大な騒音を立て、煙を吐きながら進むはずのそれは、今は音も無くすべるように、地平線の彼方から近づいてきている。
客車を引っ張る先頭の物体、その中央に据えられた煙突からは、石炭を炊くことで生まれる酸化炭素の黒い煙の代わりに、魔法かなにかで動力を作っているためなのか、幻想のような虹色の煙を吐き上げていた。
蒸気機関車だった。
このファンタジー世界には本来存在しないものだ。
夢のように現実感の無い光景だった。
ユウですらそう思うのだから、裸足にろくな装備も無く集まった奴隷の<冒険者>や<大地人>――ステータス画面を見ることで知れた――は尚更のことだろう。
ある<大地人>奴隷は思わず叫ぼうとして、口を隣の奴隷に塞がれていた。
滑り込むように、機関車がギャロットたちの傍に停車する。
一瞬だが光が灯され、それはとっさに身を伏せたユウの頭上を通り過ぎて、ギャロットたちを順に照らし出した。
やがて、がちゃりと扉の開く音とともに、運転士席から誰かが顔を出す。
昔の車掌のような、分厚いコートをまとった、猫人族らしき人物だ。
その口が何か動いているのを見て、ユウはつとめて耳をそばだたせた。
「……奴隷農場発、エリシオン行きの星条旗特急、深夜運行便、定刻どおりに到着。……乗客は集まりましたか」
「ああ。<冒険者>が16人、<大地人>が7人。事前連絡どおりだ。よろしく頼む」
「……では、後ろの客車へどうぞ」
運転士の声に応じて、奴隷たちが次々と客車に乗り込んでいく。
おっかなびっくりという風情の彼らの背を、<ファラリス>の4人がやさしく押していた。
最後に、ローズマリーが何度も頭を下げながら乗り込み、がちゃり、と扉が閉められる。
見送る<ファラリス>メンバーの前で、汽笛を鳴らすように煙突から虹色の蒸気を再び吹き上げると、星条旗特急は走り始めた。
大きくぐるりと旋回し、来た方角とは別の方向へと駆け去っていく。
旋回する瞬間、ユウの目の前を巨大な列車が通り過ぎる。
線路も無い場所を、車輪を回して転回する、幻想のような列車だ。
ユウはふと興味から、運転席を覗き見ようとした。
ここまで来ると、ユウにも大体の事情は見えてきている。
要はこれは、<エルダー・テイル>版の地下鉄道結社なのだ。
歴史的には19世紀中盤から後半にかけて、奴隷制に反対するアメリカ人たちは国家による奴隷解放を待つことなく、きわめてアメリカ人らしい抵抗活動を行った。
それが地下鉄道、叙情的な言い方で言えば深夜特急だ。
奴隷解放とは、絵物語のような牧歌的な勧善懲悪の歴史ではなく、また『解放』された黒人たちは、時にプランテーションのほうがマシとも言えるような悲惨な差別にも遭遇したものの、
それは近代奴隷制度という忌むべき先祖の所業に対する、アメリカ人のひとつの答えであった。
その先祖たちと同じことを、セルデシアに流されたアメリカ人たちもしていたのだ。
生きた人間のすることである以上、唾棄すべき事情も裏にはあるだろう。
とはいえ、深夜に荒野を走り、奴隷農場を回っては協力者とともに奴隷を助けていく。
それが危険な活動であることには変わりが無い。
それをしているということは、並々ならない勇気と使命感を持っている、ということだ。
その顔を見てみたい。
そう思い、ユウは見上げたのだった。
だが、ユウが目に付かないようなぎりぎりの距離まで顔を上げても、深く帽子を被った運転士の顔は見えなかった。
ただ。
ぎらぎらとした目の光だけが、一瞬で後ろに流れたユウの瞼の裏に強く焼きついていた。
煙突の後ろに、その名のとおり星条旗――アメリカ国旗をなびかせて、列車は地平線の向こうへ消えていく。
ホーウ。ホーウ。
旅立ちを祝うように、大きく鳴いた梟が飛び去っていった。
◇
「来ていたか」
「ああ」
「どうだ? 俺たちもまだ、捨てたものじゃないだろう」
牢に戻ったユウを待っていたらしいギャロットが、心なしか得意そうにいった。
隣のヴァネッサも、緊張からか、どこか疲れた顔で笑う。
外はいつの間にか、しとしとと雨が降っていた。
遠くにアパラチア山脈の、おそらくは南端らしき山並みが、うっすらと夜雲に煙って見えている。
「この、雨も?」
「ええ。呼んだの」
短く答え、ヴァネッサはどさりと椅子に座ると、持っていた水筒の蓋を開ける。
うまそうに水を飲み始めた彼女を尻目に、ユウはギャロットに尋ねた。
「しかし、いいのか? あれだけ一斉に奴隷が離れては、明日大騒ぎになると思うが」
「なるだろうね」
肩をすくめたギャロットは、しかしな、と悪戯っぽく笑った。
「俺たちは昨日、昼間から飲んでいたのでぐでんぐでんに酔い潰れている……はずだ。
そしてこんなことをしでかしそうな容疑者は牢にぶち込まれて寝ている。
あのジョルオも、あからさまに疑いは向けないだろうよ」
その言葉に、ユウは合点が言ったように頷いた。
「じゃあ、私をわざわざ牢に入れたのも」
「いや、狙われるってのは事実だぞ。嘘だと思うならヴァネッサに聞け」
「猿の調教には手を焼いたわ。 あんたみたいに短気そうな人だと、調教の前に殺しちゃうかもね」
「……だ、そうだ」
「……なるほどね」
憮然としてユウが頷く。
こと自分の性格だ。間違えるわけもない。
元の世界にあった――いまやほとんど覚えていないが――性転換を題材にした小説のように、精神的に女性化していればまだしも、今のユウが女性なのは本当に外見上のことだけだ。
「……で」
「ああ。それに、あいつの家にはまだ何十人もの奴隷がいる。忠誠心が高かったり、代々奴隷だったり、
あのクラヴィのように密告しかねないような連中だ。
そいつらには今夜のことは話もしていないし、そいつらがいれば農場は回るだろう。
ついでに言えば、あの<星条旗特急>は東部の奴隷主たちの間じゃ、結構噂になっているようだ。
<冒険者>が絡んでいるのも分かるだろうし、むやみに詮索したりはしないだろうよ」
「ならよかった」
いつの間にか外は徐々に暁の光が滲み出るように生まれている。
その光を見ながら、ギャロットは言った。
「あんた、どこか目的地があるのか」
「ああ。 <盟約の石碑>のところまで行こうと思う」
「目的はあるのか?」
「元の世界に帰還する方法を探したいんだ」
「……」
ギャロットも、興味ない風で聞いていたヴァネッサも、手を止めた。
カチャ、カチャ、とギャロットが腰のベルトをいじる音が響く。
「……俺たちはこの町の執行騎士だ。役割が与えられている以上、それを蔑ろにはできない。
あの<石碑>に何があるのか、俺たちも噂ですら知らない。
あの近くには何人も<冒険者>がいて、<西天使の都>も程近いというのにだ。
……だが、ひとつ、噂を聞いている」
やがて、ぽつりとギャロットが口を開いたのは、しばらくしてからのことだ。
彼は逡巡するように何度か顔を振ると、小さくため息をついて言った。
「さっきお前が見た、<星条旗特急>だが」
「……」
「……あの鉄道、実は行き先を誰も知らない」
「なんだと?」
驚いたユウが思わず大声で尋ねた。
「行き先も知らんのに、彼女たちを託したのか?!」
責めるような口調のユウに、ギャロットは小さく目を伏せながら答える。
「已むをえん。……乗客に念話で聞いた限りでは、『すばらしい場所だ。自由だ』と。
……一ヶ月以上前にあの列車に乗った奴からは、そう聞いた。
だが、具体的にどこにいるのか、俺たちは知らない。噂でも聞いたことがない。
エリシオン、という名前のプレイヤータウンもギルドも、耳にしたことはない。
さっき運転士と話をしたが、そいつのギルドタグは、<五月>に入っている奴がいなさ過ぎて、空中分解したといわれていた、とある大手ギルドの名前だった。
……何もかも分からないことだらけだ。
だが、こんなど田舎の奴隷農場でも、決められたやり方で連絡を取れば彼らは来る。
そして、奴隷を助けて去っていく。
誰がやっているか知らないが、国旗を掲げて奴隷を助けるあいつらを、俺は疑いたくはない……というのが本音のところだ。
俺たちにはできなかった、アメリカ人としての当然の行動を、連中はしているのだから」
ギャロットの返事に、ユウはううん、と唸って腕を組んだ。
「……で、その<星条旗特急>ってのが、<盟約の石碑>と何のかかわりがあるんだ?」
「噂だが。連中は西へ向かうという。その目的地は、<盟約の石碑>じゃないか、と言われているんだ」
先ほどまで、まるで映画のように華やかに見えた<星条旗特急>。
それが、どす黒い疑念に覆われていくのを、ユウは感じていた。
おもむろに、ユウは立ち上がった。
どうせ当て所もない旅と思えば、この話は手がかりかもしれない。
だから、彼女は決然とギャロットに言った。
「……ギャロット。あの<星条旗特急>を呼ぶ方法を、教えてくれ」
個人的に、奴隷解放運動というのは素晴らしいことだと思います。
と同時に、同時期に迫害されていたアイルランド人の復権運動や、すぐ後の時代の反アジア運動。
リベリア共和国や、自由民となった黒人への迫害。
さらには、『(彼らの信じる)正義の為には介入も当然』という価値観ができたこと。
それが現代のシーシェパードや、アラブの春の顛末、禁煙運動などに繋がっているというのは、なかなか歴史の皮肉でもあります。




