134. <保安官たち>
本当はジョーダンも出したかったのですが。
1.
その酒場は、ウェンの大陸の東部方面、小さな村の片隅にあった。
開拓民の村らしく、その建物は質素なものだ。
だが、史実でのアメリカ文化を反映しているのか、どの家の壁も綺麗に白く塗られ、
煉瓦積みの煙突を備えているあたりが面白い。
『大草原の小さな家』や『若草物語』――そうしたアメリカの古典小説に出てきそうな村だった。
その一角。
普段であれば、村人たちの憩いの場であろう酒場は、ここ数ヶ月間、奇妙な毎日を過ごしている。
「おおい、酒ぇ。味のある奴ね」
「早くしてくれよ。こっちはゲーム中なんだから」
「ほい、ツーペア」
「へへ、フォーカードだ。今回は俺の勝ちか?」
酒場の壁際、もっとも日当たりのいい一角を占拠している4人に、着古したジャケットの酒場の店主は、あわてて新しい酒を持ってきた。
東部の大都市、ビッグアップルから、とんでもない値段で仕入れた、琥珀色の蒸留酒だ。
店主も含め、<大地人>が買おうとすればひと瓶で家計を傾けるレベルのその酒を、
そこでカードに興じる4人は気にする風もなく飲み干していく。
「はい、どうぞ」
「ありがとさん」
おそるおそる置かれた新しい瓶を受け取った男に、慇懃に礼をすると、店主はカウンターの奥に戻ってグラスを拭く作業に戻る。
目の前の4人は決して暴力的でも無慈悲でもない。
が、それでも店主は猛獣に対するような態度を崩そうとは、毛ほども考えなかった。
酒場には、荒くれた牧童はじめ、剣を下げた常連が何人もいるが、
その彼らですら、体格に劣る4人組に声をかけようとする命知らずはいない。
何しろ、彼らは<冒険者>なのだ。
<冒険者>。
<大地人>がどれほど束になっても適わない能力と、まったく異質な価値観を持ち、
さらにはこの一年、<ウェンの大地>を散々に荒らしまわった恐るべき隣人たち。
たとえ目の前の4人がどれほど気安く接してきても、<大地人>側から親懇することなど、彼らには考えられもしなかった。
では追い出せばいいかというと、そういう訳にもいかない。
彼らの胸にぞんざいに縫い付けられた略章は、黒髪の女性のシルエットと交差する剣と本。
それは、この村、そして周辺地域の治安を預かる、保安執行騎士職にある証だ。
<冒険者>たちがこの村にいる理由だった。
「はぁ……」
楽しげな<冒険者>たちの会話を聞きながら、もう癖になってしまったため息を、店主が再びついたときのことだ。
「おい! 大変だ!」
ウェン大陸でも東部に近いこのあたりでは、入り口は西部劇によく見られる押し開け式の扉ではない。
きちんとノブがついた、普通の扉だ。
それを蹴りあける勢いで、一人の牧童が飛び込んでくる。
「どうした、モタ」
はあはあ、と息を切らせている若い牧童に水を出しながら、店主が問いかける。
目の前のモタという男は、若いがそれなりに落ち着いた男だ。
軽はずみに酒場に飛び込むということをするような人物ではない。
訝しそうな店主、そして酒場の人々を前に、モタは水を一気飲みすると、口を開いた。
「<冒険者>だ! 黒髪の女が一人、ジョルオさんの農場に来て、揉めている!
最初に話したクラヴィのアホのせいで、一触即発だ。
保安執行騎士のみなさんがこないと、収まりそうにない!」
「それは、腐れ林檎かどこかからの流れ者か?」
いつの間にか、ポーカーを止めていた<冒険者>の一人が、モタのすぐ後ろにやってきていた。
船の提督のような上着に三角帽をつけたその姿は、<エルダー・テイル>12職のひとつ、<海賊>特有の装備だ。
腰の大振りの船上剣がベルトにあたり、がちゃり、と不吉な音が響く。
「わ、わかりません、でも早く行ってもらわないと」
「……報告は正確にな」
<海賊>は鋭い眼光で、冷や汗を流すモタを見下ろすと、おもむろに後ろを振り向いた。
「……で、どうする」
「<辺境巡視>でもないのに、わかるわけねえだろ」
カードをぽいと放り投げ、貴族のような洒落た服の青年が両手を挙げた。
横のローブを着た女性<森呪遣い>も苦笑する。
「とりあえず、行ってみたら? オズバーンは巡回中だし、他の<冒険者>がいないか聞いてみるわ。
1人なら、やばそうなら呼んでよ」
「あいよ。もう酒は飲むなよ、3人とも」
やる気のなさそうな仲間に苦笑すると、その<海賊>は開けっ放しの扉に足を向けたのだった。
◇
時間は少し遡る。
「うーみゆかーばー、みーづーくー、かーばーねー、やーあぁま、ゆーぅぅかーば」
ここがアメリカ大陸であることを考えれば若干歌うことに問題がある歌を放吟しながら、荒野を行く一騎があった。
太陽熱を避けるため、いつもの黒装束の上からマントを羽織り、刀を両腰に提げ、靡く黒髪を雑に帽子でまとめているのは、いわずと知れたユウだ。
その為か、豊満な胸も、細い腰も隠れており、ぱっと見た目には女性には見えない。
そもそも、ウェンの大地は現在のところ、伝え聞く限り治安は0だ。
どこかの世紀末救世主伝説ではあるまいし、そんな場所で女性の肉体を見せびらかして利益など何一つない。
それでも声を出していればあまり意味がないのではあるが。
結局、暢気に西へ進んだユウが柵に包まれた麦畑という、人間の痕跡を見つけたのはその日の昼下がりにかかろうかという時間だった。
「お、麦秋麦秋。今年は豊作かね」
まだ実をつけるには早いものの、健やかに伸びている麦の穂を眺めて、ユウは咥えた煙草から煙をひとつ、吐き出した。
その目が、麦の間で腰をかがめて働く人影を目にする。
一心不乱に作業しているらしいその服装は、<冒険者>の華やかなそれと比べれば当然だが質素だ。
ユウは目を凝らした。
忙しそうに立ち働く女性――ユウが見つけたのは女性だった――のステータス画面を見たのだ。
ローズマリー。
レベル23、<妖術師>。
94に至ったユウからすれば遥かに低いが、そのレベルは一介の農婦にしては高すぎる。
「まさか……」
ユウは柵の間際まで近寄ると、馬上から女性――ローズマリーに声をかけた。
「おおい、ローズマリーさん!」
「……はい?」
汗と土でどろどろになった顔を汚れた手ぬぐいでぬぐい、顔を上げた彼女にユウが声をかける。
「あなた、冒険者か?」
「……ええ、そうでしたけど」
見知らぬ、異民族風の<冒険者>に、どこか胡乱な視線でローズマリーが答えを返した。
その返答に、ユウは彼女が特に感情を出していないことを確認し、言葉を続けた。
「ここはあなたの畑なのか? ずいぶん実ってるなあ、すごいねえ」
「え……あ、いや」
ローズマリーは、ユウの声に困ったように辺りを見回すと、何事かを返そうとした。
そのときだ。
「おい! 休憩時間はまだ先だぞ!」
ローズマリーの後ろから怒声が響いた。
2.
「あ、はい、すみません、監督」
やってきたのは、ローズマリーと同じくらいみすぼらしい服装の、一人の農夫だ。
ただ、威圧のつもりなのか、腰には剣と鞭を下げている。
じゃあ、と身を翻したローズマリーに代わって、その男はユウの前まで来ると、馬上の彼女を上から下まで眺め渡した。
一方のユウも、何とはなしに不愉快な気分で、目の前の男を見下ろす。
名前はクラヴィ、と読めた。
レベルは19。職業は<農夫>。見たところは30歳になっていないだろう。
見た感じでは、どう見ても単なる<大地人>の農民だ。
クラヴィは、不機嫌な口調でちょいちょい、と手招きをし、ユウが無反応と見るやいきなり怒鳴った。
「ひとの家の使用人に怠けさせておいて、馬から下りて挨拶も出来ないのか!!
さっさと降りろ!!」
「なんだ、お前」
ユウが答え、クラヴィの額に青筋が浮かんだとき、不意にユウの汗血馬がぶるり、と震えて彼女を落とした。
転げ落ちる主人を申し訳なさそうに見て、汗血馬が走り去る。
召喚時間を過ぎたのだった。
「う、わ、わ」
いきなりの落馬に、ユウはどしん、と正面の柵にぶつかった。
倒れそうな上半身を、呆気にとられたクラヴィが支える。
たくましい男の腕に、柵を介してもたれかかるようにして、ユウは何とか転げずにすんだ。
「馬のほうが道理をわきまえているな」
「なんだと」
挑発的な男の声にカチンときたユウが言い返そうとすると、不意にユウの上半身を支えている物体が、変な感触を伝えてきた。
「ほう、女か。それもなかなかの……いやこれは」
策に上半身をもたせかけた形の彼女を支えているのは、ユウが握っている柵の上――そして柵から手を突き出したクラヴィの腕。
その腕は、戦闘以外で異性の手が触れたことが(少なくとも彼女の意識の上では)ない、
ユウの大きく膨らんだふたつの胸を下から握っている。
そして――案の定というべきか――クラヴィの鼻の下はだらんと伸びきり、胸を持ち上げるようにしたその手は、しっかりとユウの体にはりついていた。
「………離せ」
「え?」
「離さないか、この変態が!!」
「っひ!?」
クラヴィは不意に自分の視界に膨れ上がった黒いもの――それがユウの短剣であることに気づいた。
「な、なんだ!! 物騒な!!」
身を離して喚けただけ、彼は幸運であっただろう。
一年前のユウであれば、彼の眼球は躊躇いなく貫かれていただろうから。
心なしか服を巻き込むように片手で握り締め、ユウが激怒そのものの顔で唸った。
「初対面の相手に、ずいぶんと下品なことをしてくれたじゃないか、ええ?
……首を出せ。 無礼打ちにしてくれる」
ユウのおどろおどろしい声が周囲に響き、クラヴィがさっと顔を青ざめさせた。
それでも、元からプライドの高い性格なのか、それとも事の発端はユウだと思っているからなのか、
彼女の刃が届かない距離で、クラヴィは喚き散らす。
「何を!! 元はといえばお前がうちの奴隷の邪魔をしたからだろうが!
それに、こっちはお前が転げるのを助けてやったんだぞ! 流れ者の分際で偉そうに!!」
「……奴隷、だと? <冒険者>を?」
離れた場所から、二人のやり取りを見ているローズマリーに目を移したユウの声が、一層凄みを増した。
見れば、ローズマリーの周囲には、同じような格好の男女が鎌を手にして顔を見せている。
彼らの中には<大地人>もいたが、半数近くはローズマリーとさしてレベルの違わない者――<冒険者>だった。
それらを一瞥したユウの視線が、再びクラヴィに固定する。
その目は、ぞっとするほど冷ややかだ。
「お前らは奴隷を使っているのか? それも<冒険者>までも?」
「みんな!! 強盗だ! 早く来てくれえ!!」
敵意を通り越し、殺意のこもった凝視を受けたクラヴィが、あたりに響く声で絶叫した。
◇
そして時間は現在に戻る。
柵をはさんで、ユウと相対しているのは、農場の主人、ジョルオを始め、自由民であるクラヴィたち農夫。
そして、ジョルオの資産であるローズマリーら、奴隷たちだ。
この時点で、ユウが94レベルであるということは、<大地人>側も知っていた。
その表情は一様に固く、不安そうな中に敵意も含まれている。
そして、後ろに下がったクラヴィの代わりに、今はユウとジョルオがとげとげしい会話を交わしていた。
「奴隷といえど、むやみに働かせているわけではない。それに雇用契約も結んでいる。
奴隷という言い方が悪ければ、使用人と言っても間違いではない。
そもそも流れ者にいちいち口出しされる筋合いはない」
「では給料は? 自由は? 休みは与えているのか? なぜ奴隷として買い入れる」
「きちんとした斡旋業者から買ったものだ、奴隷狩りなどではないし、なぜ彼らが奴隷に落ちたかなど、私の知った話ではない!」
契約書のひとつらしい紙をかざしてジョルオが怒鳴り、そのまま「執行騎士殿はまだか!」と後方の執事らしい老人に顔を向けた。
対するユウも一歩も引こうとしない。
人が人を買う。
ヤマトや他の地域でも見られたそれは、雇用契約という美名での人身売買契約に他ならない。
互いの会話は平行線をたどり、苛立ちが互いの神経をささくれ立たせる。
執行騎士の職位を持つ<海賊>の男が現れたのは、そんな時だった。
◇
「94レベル!?」
他の地域の多くの人々同様、ユウを見た男の第一声はそれだ。
ユウのステータスのアルファベットと、アラビア数字でレベルと職業を確認した<海賊>は、あわてて双方をなだめると、柵越しにユウに向かい合った。
「……いささか不幸な行き違いがあったと聞いている。俺はギルド<ファラリス>のギャロットだ。
この地域の保安執行騎士をしている」
「保安官助手?」
男の英語を同時通訳で理解したユウが首をひねった。
西部劇を見ていた彼女にとって、保安官助手という言葉の意味は理解できる。
ジョン・ウェインなど、往年の西部劇スターの役どころとして最も多いもののひとつだろう。
首をひねるユウに、ギャロットと名乗った<海賊>は落ち着けとばかりに手を振った。
「状況はおおむね聞いている。仕事の邪魔をされたクラヴィが怒るのも最もだが、言い方がまずかった。
そのあたりは謝罪しよう。
……あんたの名前は? どこから来た? ニューヨークからか?」
「その前に」
穏便に、とばかりの表情の彼に、ユウは殺意のこもった視線を向けた。
「奴隷がいるそうだな。お前はアメリカ人か?」
「……ああ」
頷くギャロットに、ユウはこれ以上ない侮蔑と嘲弄の声を突き刺した。
「ほう、私の知るアメリカ人というのは、自由と正義が大好きで、独裁者やら奴隷やらが大嫌いで、民主主義と平等のためなら他の国を叩き潰しても気にもならない連中だったが。
貴様はじめ、この世界のアメリカ人というのはずいぶん先祖がえりした考えをしているんだな。
『奴隷解放宣言』も、合衆国憲法修正第13条も度忘れしたらしい。
奴隷制度を復活させるのも自由とは、さすが自由の国だ。
自分の国で奴隷を使えないからって、東南アジアやアフリカで○ッキー人形を奴隷に作らせているだけのことはある」
「……言いたい放題だな」
さすがにムッとした表情のギャロットが、ユウの長広舌を遮る。
「わかっているさ。俺も個人的には奴隷制度には反対だ。
……だが、それを言い出してどうする? お前はこの大陸の状況を知らないんだろうな」
ギャロットの固い声が、周囲で黙って聞くジョルオたち<大地人>や、ローズマリーや奴隷の立場の<冒険者>たちに響いた。
3.
「まず、議論する前に、お前の名前とやってきた場所を教えてもらおうか。
場合によっては、言葉の前に剣を向けなければならん」
硬化した声に、罵倒を止めたユウが渋々とこたえる。
「ユウ、94レベルだ。日本からヨーロッパを回ってここに来た」
「ユウ、ね。よろしく。 ……で、あんたは他の場所を回ってきたんだろう?
日本や他の土地では、奴隷はいなくなっていたか?」
「……いた。ヤマトではごく一部を除いていなくなったし、ヨーロッパではそうした連中が逃げて集まった集団も存在したがね」
「ほう、ならここよりはまだマシなわけか」
ギャロットは「座れよ」と、ユウの足元の石を指差した。
不満そうにユウが腰を下ろすのを見届けて、彼もまた、地面に座る。
片手を振って、ジョルオたちを散らしてから、ギャロットは再びユウに向き直った。
「こっちは生憎と、そうも言っていられないんだ。
もともと、ゲーム時代からこの大陸の一部には奴隷が存在した。
そうした奴隷の救出や開放が、クエストになってもいたからな。
だが、あの<五月>以来、この大陸の状況はより悪くなった」
そう言ってギャロットが語った話は、おおむねユウが仕入れてきた噂と一致していた。
混乱する<冒険者>によって、既存の社会秩序が混乱の極にあったのは、
全世界と同じく、この北米サーバも同じだった。
ただ、北米サーバは日本、韓国、中国、欧州と並んでプレイヤー人口の多い地域でもあり、
<エルダー・テイル>最古のサーバとして、活躍するギルドや個人の歴史も古い。
ヤマトのように、そうしたギルドが主導権を取り、部分的にだが秩序を取り戻すのも、
不可能ではなかっただろう。
……<大災害>の発生時間が昼間でさえなければ。
時差である。
日本と米国との時差は約17~14時間だ。
ヤマト、東南アジア、中国といったアジア各国が、いわゆるナイトタイム――プレイヤーが最も集まる時間帯で<大災害>を迎えたのに対し、
北米サーバはもっともアジアに近い太平洋地域でも、早朝7時という時間に<大災害>を迎えた。
稼動開始から20年を経たゲームである<エルダー・テイル>のプレイヤー層は比較的高く、
そうした人々は当然ながら、その時間は寝ているか、起きて仕事に出ているか、
いずれにしても、午前中が仕事時間ではない一部の職業を除いて、ほぼ巻き込まれることはなかった。
結果として、北米サーバからセルデシアに流されたプレイヤーは、本当の意味での廃人か、
あるいは時間の自由が利きやすい学生――若者が大多数を占めていたのだった。
彼らは、2018年6月1日の<6.1.食糧暴動>をひとつのピークとした一連の秩序崩壊を、組織の力で押しとどめることができないまま、ずるずると状況に流され――法と道徳はどこかにほうり捨てられたまま、
一年を過ぎたのだった。
「ビッグアップルには入ったか?」
「いや」
ヒバリの声が聞こえる昼下がりの農場で、柵をはさんで質問するギャロットは、
ぶつり、と手元の草を引き抜いた。
しおれたそれをぽいと投げ捨て、自嘲気味に言い放つ。
「あっちは本当に危険だ――あんたみたいな別サーバからの女の一人旅じゃなおさらにな。
今じゃどこのギルドもやりたい放題で、それを嫌がった連中はさっさと逃げ出したよ。
あんたはさっき、俺に自由だ平等だ、奴隷開放宣言だ、とずいぶん意気盛んに言ってくれたが、
あっちの連中に同じことを言ってみろ、半殺しにされて奴隷送りか、よく言っても鼻で笑われるくらいのものだろうぜ。
ここの農場の連中も、ほとんどがそうして『仕入れられた』奴隷ばかりさ。
ひどい奴になると一年近く奴隷暮らしで、鞭を打たれ、夜は犯され、昼は暴力を振るわれる生活を送っている。
……もう、自分が自由な市民として生まれたことも、忘れかけている奴もいるだろうな」
「そんなことが」
ぞっとするユウの顔を見て、ギャロットはくすくすと笑った。
「俺もしたことはないが、奴隷というのは案外快適らしいぞ。
戦わなくてもいいし、ご主人様の顔色だけを窺っていればいい。犬のように尻尾を振れば、餌の食いっぱぐれは無いときた。
<冒険者>は男女問わず美形が多いからな、さぞかし」
「そこまでにしておけよ」
ふん、と鼻を鳴らすギャロットの顔を、心底軽蔑する顔でユウは見た。
そのまま言う。
「人の尊厳も、自由な意思も投げ捨てて仕える? ご主人様にかわいがってもらう為だけに生きる?
そんな人生なんて真っ平だね。
私の意志は私のものだ。ほかの誰にも、自由にさせはしない」
誇り高いその言葉に、ギャロットはため息をついて応じた。
「あんたはそりゃ、94レベルだ……噂に聞く<ノウアスフィアの開墾>のパッチが当たったんだろう。
それほど強けりゃ、そりゃ自由さ。
だがね、世の中そんなにレベルが高くもなければ、幸運でもない連中もいるのさ」
落ちていた枯れ枝を、ギャロットは無造作に足で踏み折った。
その瞬間、彼の顔が怒りに歪むのを、ユウの目は確かに見ていた。
◇
「大丈夫か!?」
会話が途絶えて数分後、駆けつけてきた仲間たちに、ギャロットは「心配ない」と肩をすくめた。
既にジョルオも去り、ローズマリーやクラヴィたちは午後の仕事に戻っている。
のろのろと、ゾンビのように働く彼女たち『奴隷』の姿は、やけに鮮明にユウの虹彩に届いていた。
互いに戦闘の気配が無いことで、安心したのだろう。
やってきたギャロットの仲間たちは、ユウが想像したよりも友好的な態度で握手を交わす。
「<施療神官>のマイヤーだ。よろしくな」
「ヴァネッサよ、<森呪遣い>で<交易商人>」
「オズバーンだ。見たところあんたとご同業だな」
「ジーヨウ。<召喚術師>」
「私はユウ。<暗殺者>だ。……ジーヨウ? あんた、もしかして」
会釈したユウの視線が、暗色のローブを着込んだ背の高い青年に向けられる。
視線を迎えたその男は、苦笑して頷いた。
「ああ。中国サーバ出身で、アメリカ在住だよ。九幽だ。よろしく」
「それはまた。もしかしてベイシアやレンインのことを知っているか?」
ユウが知った名前を挙げると、ジーヨウは複雑な顔で頷いた。
「ああ。噂には聞いた。華国……中国サーバを立て直したとか何とか。
正直、あんな戦争屋たちに、そんなことができるとは思えなかったが……
乱世を平らげるのはやはり武力、なんだろうな」
「さて」
ギャロットは一通り互いの紹介を終えたところで、腰を上げた。
「まあ、いつまでもここで立ち話というのもなんだ。
もしよければ、宿まで案内する。その時に色々と聞かせてくれ」




