128. <残された謎と貴族の少女> (後編)
申し訳ありません。
調子に乗って<典災>をもうひとつだしてしまいました。
最近は二次創作の各作品やリプレイ等、<典災>を書いておられるところも多く、
被っていないかと心配です。
もし、『被っているぞ』と思われたら、どうかご一報をなにとぞ。
当方は最近、あまりほかの二次創作や作品を読めておらず、あからさまに被っていたら悪意云々ではなく、単純に読み落としたためです。
申し訳ない。
1.
エリシールの内心は、激浪の中にあったと言ってよい。
父と領土を援けてくれた名も知らぬ男。
自分を危地から救い出してくれた3人の<冒険者>。
本来、手を取り合ってダンバトンの為に祝詞を授けてくれるはずの二者が、かたや瞬時に刀を抜いて斬りかかり、かたやその鋭刃を無防備に見える細い腕で受け止めたのだ。
いずれも<大地人>――人の技ではない。
エイレヌスと呼ばれたフードの男のみならず、伯爵家の令嬢とはいえ、少女に過ぎない自分を暖かく労わってくれた男女も、今の彼女の目には自領を再び黒々と蔽う暗雲の化身のように見えた。
「場が悪い!」
後転して距離をとったユウが逆手で<風切丸>を持って叫んだ。
ここはダンバトンの街の大通りとも言うべき大道だ。
当然、小さな街であっても人家は比較的密集しており、その密度は緊やかだ。
まして、時期も悪かった。
伯爵、ならびに夫人をはじめ、ダンバトンの政治勢力の中心とも言うべき人々がユウと怪物の周囲には屯し、その外側には状況がよくわかっていない民衆が無秩序に広がっている。
幸いにしてユウたちはいずれも広域ではなく、点と点の攻撃を得意とする一行であったから、彼女たちが攻撃の巻き添えに<大地人>を殺傷する可能性は低い。
だが、相手は別だ。
「……<典災>……だと!? そんなモンスターなんて聞いたことが……それに」
「ステータスが…ぼやけている」
ロビンとエルが目を見開く。
それに応じるようにエイレヌスはフードを自ら取り去った。
瞑目したままの、この世のものではないかのような美しい顔立ちが、なにで捕らえたのか、<冒険者>たちをしっかりと見据える。
やがて、閉じられたままの口を一筋たりとも動かすことなく、見知らぬモンスターは言った。
「共感子ヲ受ケ取リニ来タ」
「それは何だ」
相手は言葉が通じる。
ユウの一太刀を受けてなお、目の前の怪物がまだ声を発しているのを見て、エルはわずかな可能性に掛ける気になった。
相手はモンスターだ。いつ無差別攻撃に転じるかはわからない。
だが、モンスターであっても決して常に敵対するわけではないことをエルは身にしみて知っている。
だからこそ、エルは敢えて戦槌の構えを解いてたずねた。
同時に、唇をほとんど動かさないままにロビンに頼み、伯爵にここから逃げるよう伝える。
必死な声に異常を確信したのか、伯爵が手を振り、騎士たちが主君を守るように広がった。
だが、民衆の動きは遅い。
これが<冒険者>による何かのパフォーマンスだと思っているのか、無邪気に声援をあげる老人までいる。
彼らをできるだけすばやく、この場から離さなければならないと同時に、それが恐慌状態による逃走ではあってはならない。
この場にいる多くの子供や足弱の老人、細い女性たち――彼ら彼女らの安全のためにも。
エルの質問に、エイレヌスは手をかざしたまま、わずかな間を空けて言った。
「ソレハ、我ラガ欲スルモノナリ。<共感子>ヲ譲渡スルナラバ応諾セヨ」
「私たちはそのエンパシオムとやらが何を意味しているか分からない。譲渡契約の前にどんなものか説明しないと、渡すものも渡せない」
「譲渡セヨ」
(話が通じていない)
エルは叫びだしたい気持ちを抑えながら内心で叫んだ。
<蝕地王>との攻防から、敵対するモンスターとも会話が可能だ、とどこかで思っていたエルにとって、目の前の怪人の頑迷さに目がくらみそうになる。
いや、頑迷というよりも。
(この言葉しか入力されていないプログラムのようだ……ゲーム時代のクエストボスのように)
そう、あまりにエイレヌスは『ゲーム的』だった。
<不死王>や<蝕地王>とは違う。<蠢きもがく死>のような、話すらしないモンスターとも違う。
明確な意思を持ち、交渉――脅迫をしてきていながら、彼の機械音声のような声には異様なまでに抑揚がない。
(相手の意思が見えない)
「選択セヨ。<共感子>ヲ譲渡スルカ。
アルイハ生奪サラレルカヲ」
「……渡して何の問題もなければ渡すも吝かではないが……それを失ったら私たちはどうなる?」
「……」
ぴたりと黙ったエイレヌスが、不意に小さく手を振った。
「……え?」
それは、誰もが動けないほどの刹那の時間だった。
「エリシール!?」
投げたのが小さな針――本当にそうであったのかは分からないが……だったと、
警戒していたエルも、ロビンも、ユウですらも気づく前に。
「あれ? 私」
ふしゃ、という奇妙に爽やかな音とともに、エリシールの貫かれた首から血が噴水のように舞った。
◇
「蘇生だ!!」
ぴくぴくと痙攣する、小さな肉体。
その表情は、自分がどうなったのか分からないままの、無邪気そうな困惑に満ちていて。
すっとHPバーが赤く変わるとともに、その瞳孔が開く。
死んだ。
気丈さも、貴族の誇りも、何もかも未発達のまま、エリシールの人生は終わった。
エルは、自分が呆けていることに気づかなかった。
エリシールの父の伯爵も、母の夫人も、兄姉たちも、家臣たち、領民も、何が起きたのか分からないままに立ち尽くす。
ただひとり。
弓を構えて叫んだ<盗剣士>を除いては。
「エル!!」
矢が自分の頬を貫いた。
ロビンが躊躇なく、至近距離のエルの顔を撃ったのだ。
いきなりの射撃に、周囲が徐々に混乱する中、一秒でも惜しいとばかりに彼は叫ぶ。
「エル!! 蘇生だ!!」
「そ、<ソウルリヴァイヴ>!!」
光がエルの両手に灯り、動かないエリシールに注がれていく。
傷が一瞬で癒え、尽き果てていたHPが脈動して青さを取り戻す。
間一髪。あと数秒、エルの自失が長ければ、エリシールは助からなかっただろう。
だが。
「ソウナル。ソシテ再ビ我ハ実行ス」
「……<共感子>ヲ渡セ」
「き、きゃあああああ!!」
誰かの甲高い叫びが空気を劈いた。
はっと気がついたのか、周囲の<大地人>たちが恐れ戸惑い、逃げ始める。
「人殺しだ!!」
「姫様が!!」
その混乱は、騎士たちとて例外ではない。
武勇をもって主君に仕える身でありながら、目の前で蘇るとはいえ姫を殺されたのだ。
普段の鍛錬を忘れ、彼らも剣を抜くことすらせずに恐慌の渦に飲み込まれかけていた。
「エル!!」
エイレヌスの手から、再び針が襲う。
それは再び、正確にエリシールを狙っていた。
キン。
高い音とともに、それを短剣で打ち落としたユウが叫ぶ。
エルはとっさに自分のすべきことを了解した。
倒れたままのエリシールを庇うように、彼女の褐色の肉体が少女の前に立つ。
たとえ針がどれほど来ようと、自らの体で食い止めるつもりだ。
その横で敵愾心を稼ぐべく、ロビンが弓を向けた。
だが、歴戦を経た弓使いであっても、その手に掴まれた矢を放せない。
混乱によって人から獣に戻った人々が逃げ惑っている。
彼らがどこから射線に飛び出すか分からない以上、下手に撃てばそれこそ即死だ。
エルの頬が自分の目線より下だからといって、彼女の頬を射抜いたときとは違う。
彼には<ターキーターゲット>のように、無理やりヘイトを自分に向ける特技も持っていたが、
この混乱した状況で使えばよりひどい状況になるであろうことは明らかだった。
「エル!!」
エイレヌスの前に立ちふさがり、ユウが切羽詰った声で叫んだ。
その声が求めるものを、エルも理解する。
そして放たれた咆哮は、先ほどまで呆けていた者とは思えないほどの力に満ちていた。
「みな、止まれ!!!」
黙る。
誰もが、耳を引き裂くような大声に黙りこくった。
唯一、エイレヌスだけが、無機質な声で小さく返した。
「……ツヅケヨ」
「黙れ!!」
再度の咆哮は、面白がるようなエイレヌスの声にか、それともなおも泣き叫ぶ<大地人>へか。
「伯爵!!」
「あ、ああ」
「全員連れて逃げろ!!騎士ども! 民衆を率いて離れろ!」
「は、はい」
「急ぐな!! こいつにとってお前らなんてどうでもいい存在だ!!
あせって逃げると死ぬぞ!!」
その声は少なくとも、反感よりも恐怖よりも、確かな指示だった。
牧羊犬に命じられた羊のように従順に人々が動く。
それは相変わらず無秩序ではあったが、少なくとも狂乱ではなかった。
だが。
敵は、それを黙って待っているほどに悠長ではなかった。
「<共感子>ヲワタセ」
どん。
近くに押し出された主婦が小さくよろめく。
その頭が突然、爆ぜた。
「……!?」
手刀の一撃で人一人の頭蓋骨を撃砕したエイレヌスが、それでも無表情に言う。
「蘇生を!!」
「……遠い!」
エルが走り出すが、小走りに逃げる人々の集団に阻まれる。
彼女の代わりにエリシールを抱き上げたロビンの目の前で、エルが<リザレクション>の射程に死んだ主婦を収める遥か前に、その不幸な主婦は天に帰っていく。
「次」
エイレヌスが呟き、一人が肩を砕かれる。
「次」
別の一人が鷲づかみにされた首を一瞬でねじ切られ、びちゃ、と上下に分断された。
「<リザレクション>!!」
それだけでは足りない。蘇生の呪薬を次々と使い、エルは蘇生を試みるが、
エルが蘇らせる間にも次々と民衆は殺戮されていく。
まして蘇生直後は動けない。そうした人々を、エイレヌスは虫を潰すように殺戮し続けた。
「やめろぉっ!!」
そんな地獄絵図の中、近くの騎士が剣を振りかぶって突進した。
別の少年――貧しいためか痩せており、うまく走れなかったのだ――を守ろうとしたその騎士が剣を振り下ろす。
それは奇妙にすぱりとエイレヌスのローブを裂き、現れたギリシア彫刻のような肉体に傷をつけた。
「民衆に手を……うがっ!?」
返す刀で剣を突き刺そうとした騎士の礼装が、突如裂けた。
その肉体に深々と刻み込まれているのは、エイレヌスが受けたのと寸分たがわぬ形、大きさの剣傷だ。
「な、なぜ……がは」
そういって事切れた騎士のガラス球のような眼窩が、うずくまる少年のすぐそばに落ちた。
無念そうな表情に、「ひぃっ!!」とその少年が悲鳴を上げる。
「無駄ナ」
エイレヌスが呟き、片足を振り上げた。
踏み潰される恐怖に少年が失禁する中、ようやくユウが接敵する。
満員電車もかくやというほどもみくちゃにされていた彼女だが、彼女は極めて彼女らしい行動をした。
わずかな隙間が周囲にできるや否や飛び上がり、<大地人>たちの頭を踏み台にして駆けたのだ。
「面白ヤ」
それを奇妙な余興とすらも感じていないのだろうか、一瞬の躊躇もなくエイレヌスの足が少年の頭上に振り下ろされる。
優男なのか美女なのか、判然としない白い足だ。
そのサンダルに包まれた肉体が巨獣に等しい膂力を持っていることを、ユウは既に知っている。
「モンスターがっ!!」
叫ぶ間もあらばこそ、ユウ渾身の<アサシネイト>がエイレヌスの足に走った。
太腿が綺麗に飛ぶ。
斬られたというより、最初からそこになかったように、怪物の足は一瞬で切断されていた。
その瞬間。
ユウの右足に赤い線と激痛が走る。
冗談のように減っていくHP。
それは、無傷のはずの彼女にとって信じがたい光景であると同時に、奇妙な納得をもたらしてもいた。
先ほどの騎士はどうやって死んだ。
それを考えるなら。
「反射型か!!」
ユウの機動についていけず、機械が部品を離脱させるように、ユウの白い足が本体から離れる。
その瞬間、彼女は<暗殺者の石>から引き抜いた呪薬を、掴みしめた自分の足にぶちまけた。
ただの呪薬ではない。
<傷ある女の修道院>やグライバルト、そしてあのタクフェルの、誰からもらったかは判然としないが
いずれも一流の<調合師>や<薬師>の手によるものだ。
傷がふさがり、肉が繋がっていく。
転げまわりたいほどの激痛を無視して着地したユウの正面に、エイレヌスはいつのまに繋いだのか、無事な両足で向きを変えた。
「ヘイトを稼げたか」
エルが後ろで<オーロラヒール>をに続いて<リアクティブエリアヒール>を掛けながら言った。
ユウの傷のためだけではない。転んだり、骨を折ったり。混乱する<大地人>のための呪文だ。
傷と痛みから回復した彼らが遠ざかり、一気に人口密度が薄くなった大通りで、
ユウたち3人とエイレヌスは向かい合った。
「た、頼むぞ!」
そういって伯爵もまた、背を向ける。
家族を先に逃がし、彼は数人の騎士とともにその場に残っていたのだ。
愚劣であるかもしれないが、それもまた、貴族としての彼の矜持だった。
民より先に逃げることはできない。
自分のあとを継ぐべき長男を、人々の先導として先に逃がした打算と同時に、
伯爵はそうすることができる男であった。
そんな伯爵と同時に、ちらりとロビンは、父親に抱えあげられて離れていくエリシールを見た。
HPは既に通常だ。
おそらく、痛みと衝撃で失神しているだけだろう。
親子を含む<大地人>をいつでもカバーできるように、常にエイレヌスとエリシールの中間点に立ちながらも、ロビンはすさまじい激怒が全身を覆うのを感じた。
あの<蝕地王>も恐ろしい敵だったが、彼にはロビンは怒りをもっても、憎しみは持っていない。
だが、何の躊躇いもなく、ただ、よく分からないものを自分たちから取り上げるためだけに虐殺をしたエイレヌスを、ロビンは心底憎んだ。
同時に、ふと察する。
ユウとエルが言っていた貴族の義務についてだ。
自分も恐怖に押し包まれていただろうが、それでも最後に戦場を去った伯爵の姿。
それと対照的に、躊躇いなく<大地人>を殺戮したエイレヌス。
その違いは、彼に何事かを告げていた。
2.
嵐のような時間は終わった。
大通りには<冒険者>とモンスター以外、誰もいない。
近くの家で震えているのか、それとも騎士たちの先導の下逃げているのか分からないが
少なくともエイレヌスに虫けらのように殺される運命から、群集は逃れられたのだ。
「面白ヤ。良イ<共感子>ガ得ラレル」
エイレヌスの白皙の顔は、相変わらず微動だにしていない。
傷やダメージもあるはずだが、一見するだけではその影響はどこにもなさそうに見えた。
「こっちも礼を言わないとね」
ユウがにやりと笑みを浮かべた。
「礼」
「そうさ。貴様が本物の<召喚術師>でなくて助かった。
もしお前が<召喚術師>なら、被害は今回の数十倍になっていただろうよ」
「……我カラモ礼アリ」
ぽつりと、エイレヌスが呟いた。
「は?」
「汝ノ刃ニ過去ノ<共感子>アリ。黒鎧ノ<守護戦士>ナル男ト緑ノ<森呪遣イ>ナリ」
「……まさか」
ユウの顔色がさっと変わり、緑の光の中にかすかに髪の毛が揺らめいた。
黒い<守護戦士>と緑の<森呪遣い>。
セルデシア広しと言えども、ユウにとってその特徴が指し示す相手はそれぞれ一人しかいない。
「まさか、貴様」
「ユウ、突出するな! 相手は反射のうりょ……畜生、聞いてない!!」
後ろでエルが叫ぶ声がするが、ユウは既に耳に一声も入っていなかった。
「貴様、クニヒコとタルをどうした!?」
「……」
「……言えぇ!!」
叫びざま、緑の閃光と化したユウの脚力に耐え切れず、石畳が砂のように噴きあがった。
エイレヌス。
80レベル、ノーマルランク。
<典災>。
疾走するユウに、もはやそんな文字は何の意味も持っていなかった。
そのステータス表記が日本語である違和感にも、何の注意も払わない。
ユウの突撃に、余裕を持ってエイレヌスが手を掲げる。
その手が消失した。
「<アクセル・ファング>!!」
抜き放たれた八連撃の最初の二発で、<典災>の腕が落ちたのだ。
無論、エイレヌスの能力により、それは即座にユウの体に跳ね返される。
ふわりと斬られて浮かびかけたユウの両腕が、光に繋ぎとめられた。
エルの<反応起動回復>だ。
大規模戦闘で鍛えた腕は伊達ではない。
自らの回復を、呪文を立て続けに唱えるエルに任せ、ユウの手からぱらぱらと何かが零れ落ちる。
爆薬だ。
落下の衝撃で起爆したそれらの風に、腕を失ったエイレヌスがよろめいた。
もとより、ダメージだけが目的ではない。
真の目的は、目の前の<典災>の姿勢を崩すこと。
よろけたエイレヌスの白い首筋に、全身を青緑に煌かせたユウの刃が降る。
その速度は、速度で大きく劣るエイレヌスの首筋を深々と断ち割った。
「<デボーション>!!」
すかさずエルの呪文が飛ぶ。口伝と化したその技は、ユウの一撃を反射したエイレヌスの攻撃を、さらに反射してみせた。
ユウが受けるはずだったユウ自身の攻撃を、さらに重ねて受け、ついに奇妙に赤黒い血がエイレヌスの喉元から噴きあがった。
<ヴェノムストライク>二発分の攻撃が、エイレヌスの首を襲ったのだ。
これでは、いくら<幻想級>の一撃にすら耐えるエイレヌスの肌であってもひとたまりもない。
首の皮、まさしく一枚でつながった怪物は、それでもゴボゴボと唸る。
「<共感子>ヲ」
「<アーリースラスト>!!」
そんなエイレヌスの全身に突如、奇妙な紋様が浮かび上がった。
<盗剣士>固有の特技、追加ダメージマーカーだ。
それは、まるで細菌が宿主を押し包むように、エイレヌスの全身を瞬く間に覆う。
「ユウ、いまだ!!!」
「クニヒコとタルを、どうしたぁぁっ!!」
声だけは問いかけだが、もはや問答は無用とばかりにユウの全身が輝く。
緑と青が混ざり合った鮮やかな色が、彼女の全身を発火したように包み込む。
これだけの攻撃を受けながら、まだ40%ほどが残るエイレヌスだが、その挙動にはわずかに余裕がない。
「<フェイタルアンブッシュ>!!」
「<ブレイクトリガー>!!」
ユウの刀が突き抜けたのと、全身の追加ダメージマーカーが一斉に発火したのは、同時だった。
◇
「なんだと!?」
ユウは思わず叫んでいた。
予想された反射が、来ない。
それは、エイレヌスが死んだからか。ユウの心に一瞬歓喜が湧き上がる。
だが、答えは違った。
「あはは、あはは、あはははははは。だめだよ<陰王>、だめじゃないか<破壊>、君だけが破壊されちゃあ。あははははは」
「……誰だ、貴様」
一瞬にしてエイレヌスを抱きかかえ、瞬時を超える速度のユウの刃から彼を逃した『少年』が笑う。
奇妙に裾の短い服を着た少年だ。
一見すると<大地人>にも見える。
だが、その奇矯な笑い声と、ユウの一撃を避けきった腕前は、ただの<大地人>であろうはずもない。
何より、そのステータス画面が、痙攣するエイレヌスを抱きかかえたその少年の正体を如実に現していた。
「貴様も<典災>か」
「あはは、あはは。やはり奇妙だ、君たちは奇妙だ。あはははは。エイレヌス。だめだよもっと気をつけないと。君の仮想体は崩壊寸前じゃないか。プログラムの欠損が激しいね。あはははは」
「<典災>……アゼフなのかアゼーフなのか知らないが、その馬鹿笑いもあと数十秒だ。
今のうちに笑っておけ」
もはやエイレヌスに負けず劣らず無感動な声になったユウが呟く。
ロビンには背中しか見えないが、それでもユウの『スイッチが入った』ことは良く分かった。
ああなったユウは修羅だ。
だが、そんな特大の殺気を真正面から受け止めて、少年の姿の<典災>はそれでも嗤った。
「あははは。アゼウフだよ。アゼウフ。君たちは面白い。また来るよ」
「待て!!」
「あははははは」
最後はひときわ甲高い哄笑だけを残し、アゼウフとエイレヌスの体が光に包まれる。
それはまるで、<冒険者>が用いる帰還呪文のようだった。
ユウが疾走し、その刀が届かないと見るや何かが投げ打たれた。
エイレヌスがひときわ大きく痙攣し、ぐったりとアゼウフにもたれかかる。
「あれ? エイレヌスのプログラムももうダメかな? まあいいや。あっはははは」
それだけを残し、謎の敵は謎のままに消えた。
◇
戦いが終わって。
人気のない街路で、ユウは小さく呻いていた。
「クニヒコ……タル」
ふと視界が奇妙にぶれていることに気づいたユウは、自分が泣いていることに気がついた。
ロビンもエルも、察してかユウのそばに近づいてこようとはしない。
<冒険者>は死なない。
アキバにいるなら、どこで死のうと戻るのはアキバの<大神殿>だ。
仮に二人がエイレヌスに討たれたとしても、それは彼らの消滅を意味しない。
だが。
それでも。
ああ、私はいつの間にか、あの二人の存在がここまで大きなものになっていたのか。
ユウはそれをはじめて自覚しながら、小さく泣き続けた。
◇
夜が近づく頃になり、徐々に人々が姿を見せ始めた。
戦いの音が絶えて半日近くたっても戻らなかったのは、それだけ衝撃が大きかったからだろう。
だが、立ち尽くす<冒険者>に敵の有無の確認以外に最初に声をかけた人物は、伯爵でも騎士の誰かでもなかった。
「……泣いているんですか?」
「あ、ぐ、エリシール。危ないよ、ここは」
「でももう、あの怪物は倒したんでしょ?」
自分の顔をいきなり覗き込んだ、伯爵令嬢を見てユウは柄にもなく狼狽した。
とっさに言葉が出てこない中、ちょっと前まで戦場だったところに娘を連れ出すとはどういう了見だ、と伯爵に理不尽な怒りが湧く。
「……ユウさん?」
「あ、ああ。いや、すまない。倒した……と思うけど、仲間が来てつれて逃げたんだ。
危ないよ、すぐ戻りなさい」
嗚咽しながらも言うユウに、エリシールは小さく首を振った。
ふと見ると、彼女は朝のドレスではなく、比較的動きやすい服を着ており、手には水薬らしき瓶をつめた鞄を持っている。
「お父様からいわれたんです。おかあさまやお姉さまたちと一緒に、町の人を看病しろって」
「だが君はまだ小さい」
「いえ、義務だと思います」
にこ、と笑った彼女の周囲に殺気だった騎士たちが立っていることに、ユウはようやく気づく。
その一人が、ユウに対して決然と頷いた。
いざとなれば盾になっても令嬢を助ける。
その目がユウに、はっきりと彼の覚悟を伝えている。
であれば、ユウにはエリシールに告げることはない。
彼女は今から彼女の戦場へ向かうのだ。
「とてもかなしそう」
ふとエリシールが囁いた。
その瞬間、ユウはひざから崩れ落ちるとエリシールの小さな、温かい体を抱きしめて号泣していた。
◇
「私たちはあのエイレヌスと同じだったんだ」
恥も外聞もなく泣くユウを見ながら、エルがポツリと呟いた言葉が、自分に向けられたものだと気づくまで、ロビンはしばしの時間を必要とした。
二人は今、大通りの一角にある縁石に腰を下ろし、静かに座っている。
「どういう意味だ?」
「文字通りの意味だよ」
エルの口調はユウに負けず劣らず暗い。
ロビンはふと思った。よく考えれば、ユウとエルのことについて、ロビンはまだ詳しく知らない。
長い旅をしてきたのも、嫌なことに散々あってきたのも知っているが、
それでもエルが呟き、ユウがさまざまな意味を持っているであろう涙を流しているのを察知するには
ロビンはまだ無知すぎた。
「わたしたちはエイレヌスと同じだったんだ。自分のために人を――<冒険者>や<大地人>を殺した。
私はナカスで。あいつは……ほかの場所で。
エイレヌスが怪物なら、私たちも、もしかしたらエイレヌスよりもよほど怪物なんだ」
「……まさか」
ロビンは一笑に付そうとして、見事に失敗した。
ロビンの知るユウは冷静で精悍な攻撃役、エルは時折弱みを見せるものの頼れる指揮役だ。
彼には理解しがたい決断を下すこともあるものの、それ以外では信頼に足る戦友といっていい。
あのルシウスや<妖精王の都>の一部のように、私利私欲で動くとは思えなかった。
だが、そんなロビンの感想に、エルは首を振り、やるせなさそうに苦く笑った。
「ちょうどいい。あいつが泣き止むまで、昔話をしよう。
長い話さ。私にも、あいつにもね。
私たちが、人としてこの世界に漂流されて、いかにして化け物に成り果てたか、をね」
その声は陰惨というより、絶望に溢れたものだった。
今回出した<典災>は下記の二体になります。
・偶像の破壊を支配する三時のゲニウス、エイレヌス。
・子供の殺戮を支配する十時のゲニウス、アゼウフ。




