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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第8部 <森>
173/245

126. <死と眠り>

1.


「やれる!」


 誰かの叫びが毒々しい色の鳥を一斉に飛び立たせた。

<冒険者>たちの前の<屍竜>が四肢を折り痙攣する横を、次々と呪文と矢が覆い尽くす。

時折首をもたげて吐く<竜の吐息>も、最前線に立つグローリーハース以外には当たることなく、

そしてその威力は、すべてエルの<デボーション>によって<屍竜>自身に跳ね返っていた。

さらにはユウの毒だ。

既に腐った竜の肉体を、早送りのように土に還しながら、緑色に染まったHPバーは容赦なく零点へとにじり寄っていく。


「油断するな!DPS上げろっ!!」


何度目かのエルの叫びに、それでも<冒険者>は動く。

エルの少女らしい甲高い声は既に枯れ、ユウにはそれがまるで男の声のように聞こえていた。

勇壮に戦槌(メイス)を掲げる彼女に応えるように、肉屋(ミートチョッパー)たちの動きが加速する。


()れるか。


既に赤色が支配する、<屍竜>のステータス画面を見ながら、誰もがそう思ったときだった。


肉が()ぜた。

<屍竜>を構成していた腕、足、尻尾といった肉が、何の攻撃を受けたわけでもなくばらばらにちぎれ飛ぶ。

それだけではない。

ひとつひとつの肉塊は、まるで獲物を狙う誘導弾頭(ホーミング)よろしく、すばやい動きで<冒険者>一人ひとりに付着する。

そして湧き上がったのは悲鳴だ。

顔に腐肉を張り付かせた<暗殺者>が、自分の顔をかきむしりながら倒れこむ。

びくびくと痙攣する彼の横では、足に腐肉を受けた<修道騎士>が、みるみる肉が陥没し、黒く色を変えていく自らの下半身を見ながら混乱して叫んでいた。


「なんなの、なんなの!! これ!! 痛い、痛い、痛い!!」

「何なんだ、この攻撃!! 状態異常(バッドステータス)が!」


毒、激痛、混乱、腐食。

おおよそありとあらゆる、精神と肉体を痛めつける異常効果が、容赦なく動きを止めた<冒険者>に襲い掛かる。

それは、指揮を執っていたエルすら例外ではない。


「この攻撃!! 自爆か」

「……<屍竜(こいつ)>の本当の奥の手か!」


周囲と自分に解毒と回復呪文を打ち込みながら、エルは呻く誰かに応じた。

減り続けるHPに、回復が間に合わない。

<屍竜>自身もまた、半ば白骨になりながらも、いまだに動いている。


(……後、一撃。だけど……)



 付着する腐肉が与えてくるのは継続ダメージだ。

毒とダメージを同時に敵に入れてくる攻撃には、エルの口伝である<デボーション>も無意味。

彼女は視力をなくしつつある、霞む目で周囲を見回した。

24人の中、7人が既に倒れた。

襲い掛かる激痛は、<聖戦士>や回復職の特技を使うだけの暇を与えなかったのだ。

しかし、それでも。


「まだやれる」


<ディバインフェイバー>。

わずかに十数秒、自分にかけられた状態異常効果を先送りする特技によって、エルの全身に力が戻る。

無慈悲なカウントダウンを脳内に響かせつつ、彼女は叫んだ。


「<ニュートラライズ・ポイズン>!」


続けて、別の呪文を唱える。


「<主よ憐み給え(キリエエレイソン)>!」


前者は解毒の、後者はダメージによって起動する反応起動回復の解毒版だ。

<屍竜>の毒は、複数の状態異常効果を呼び出すとはいえ、原理的には邪毒に分類される攻撃である。

それで自らと、前線に立つグローリーハースの状態異常を一時的に抑えると、エルはその時点でもっとも攻撃力を残した人間に目を向けて怒鳴った。


「止めをさせ、ロバート!」


 ◇



 声を向けられたほうは、自分に襲い掛かってくる腐肉を必死で射落としながらもしっかりとその声を聞いた。

射撃速度を跳ね上げる<緑衣の男>のイチイの大弓を持っているがゆえに、

腐肉の飛び来る速度に負けず、結果としてダメージをまったく受けていなかった<盗剣士>は、

『なにが』だの『俺にできるのか』などといった余計な逡巡は一切はさまなかった。

無論、葛藤はある。

いまだにレベルが70台である彼が全力を傾けても、わずか1mmにも満たない<屍竜>のHPを削りきれるか、どうか。

周囲では<冒険者>たちが次々と無念の形相で果てていた。

既に戦闘中隊(フルレイド)は壊滅しかけている。

一旦退くのも戦術のうちだ、とロバートの心が囁きかける。


だが同時に、彼の目には肉をほとんど失いながらも、いまだに竜としての容貌を残す<屍竜>、その砕かれた頭蓋骨の間を正確に見据えていた。


ここで逃げれば削ってきたHPが無駄になる。

わずか一瞬にも満たない間、ロバートは仲間たちを見、その向こうのユウを見た。

最前線に近かったためか、多くの腐肉にまとわりつかれながらも、彼女は倒れてはいない。

それが<毒使い>の持つ毒への高抵抗力のためなのか、それとも<ミダス王の左手>のためなのかはわからないが、鮮やかな瞳を爛々と輝かせ、ひたすらに前を見据えている。


それは、ロバートがもっともそうありたいと望んだ、<冒険者>の姿だった。


エルの声が遠ざかる。

視界が無限に広がっていく。

無駄なものから目の焦点が外れ、狙うべき一点だけが鮮やかに網膜に焼きついた。


ロバートは動きを止めた。

好機と見て襲ってくる肉塊すら、今の彼には見えていない。

手にしたイチイの大弓が、自然と動いていく。

ぴんと張られた弦が、きりきりと引き絞られていく。


心臓の鼓動が邪魔だ。

呼吸すら、必要ない。

射界を遮るあらゆるものを透かして、小刻みに揺れ動く<屍竜>をロバートは見た。


『やわらかく構えろ』

『殺気を表に出すな』


脳内に聞こえる父の声が、ふと<緑衣の男>の声に重なった。

普段の弓とはサイズも威力も異なるイチイの弓は、自らを操っていた本来の持ち手の技を再現するように、美しい曲線を空間に描いた。


『柔らかな羽根が、大地にふわりと落ちるように』

『『撃て』』


「<ダンスマカブル>」


囁いた一瞬後、放たれたロバートの矢は、狙い過たず<屍竜>の頭蓋の隙間を縫い、腐りかけた脳を打ち抜き。

そして、死せる竜のHPを0に落とし込んだのだった。



 ◇


 ユウは見た。

まさに一瞬の間に、ロバートが弓を構え、引き、そして撃ったのを。

歴史上のどんな熟練した弓兵でも、手放しに賞賛したであろうその一矢が、なおも腐肉を撒き散らす<屍竜>を地面に打ち倒したのを。


それと同時に、自らの脳裏に割れ鐘のように鳴り響く声が、不意に遠ざかる。


『食え』

『喰らえ』

『吸収しろ』

『厄と為せ』


目覚めてからずっと、ひっきりなしに響いていた声は、ユウの全身から<蛇刀・毒薙>の光が消えていくとともに、徐々にかすれ、小さくなっていった。

だが、それは消えてはいない。

それが<毒使い>としても、通常の<冒険者>から半歩踏み出してしまった自分の厄だと、彼女は気づいていた。

だが、それは今はどうでもいい。


ユウは両手の刀を掲げ、弓兵に無言の賛辞を送る。

周囲でも、生き残った<冒険者>たちが、それぞれなりの方法で彼に敬意を捧げていた。

あるものは、武器を振り。

あるものは敬礼をし、あるものは勢いを失った腐肉を強引に自らから引き剥がす。


弓を放った体勢のまま放心する<盗剣士(ロバート)>は、音の消えた空間の中に立っている。

ふわり、と粉のような黄金の光がそんな彼の肩に落ち、消えた。




2.


「生き残りは16人か」


 エルは泡と消えた<屍竜>のいた辺りを見ながら、小さく舌打ちをした。

レイドの指揮官であるグローリーハースはここにはいない。

エルの回復と援護を受けてなお、もっとも<屍竜>に接近して戦い続けた<守護戦士>は、無数の腐肉の渦に耐え切れなかったのだ。

それだけではない。


回復専門職(ハイヒーラー)魔法職(メイジ)が壊滅したのが痛いな……」


かろうじて腐肉の攻撃を耐え切った<妖術師>である肉屋が呻く。

防御力に劣り、また前線にあまり出ないためにダメージを受けることも比較的少ない彼らは、

腐肉のもたらすダメージや激甚な痛み、何よりじわじわと殺される恐怖によって

本来の能力を十分に発揮することなく斃れていた。


 もちろん、彼らの復活ポイントは<緑衣の男>やマリアンのいる<小さな安息地(セーフゾーン)>だ。

戦線復帰は不可能ではない。

実際、既に念話を通じて、予備の戦力を含めて8人がレイドゾーンに入ったことも確認していた。

だが、エルたちがいるのはボスエリア、<蝕地王の墳墓>だ。

つまり、いつ<蝕地王>本人が出てくるかもわからない。


さらには再出現(リポップ)の問題もある。

通常、ボスクラスのモンスターは一旦倒されるとレイドが終わるまでは再び出現しない。

<蝕地王の侵攻>もまた、そうしたクエストの有り様をはずしてはいなかった。

だが、ここは<エルダー・テイル>の世界ではないのだ。

ユウ、エル、ロバートの3人は言わずもがなとして、残る<冒険者>も、1年を通して見れば

決して多くの大規模戦闘(レイド)を踏破したわけではない。

<大災害>以来、大規模戦闘の経験を豊富につんできたのは、それこそ七丘都市(セブンヒル)大都(ダァドン)、そしてアキバやミナミといった都市に割拠する、トップギルドのメンバーだけだろう。


だからこそ彼らはここで撤退、とは決められなかった。

<屍竜>の再出現があるのかないのか、それすらわからない状況において、一旦戦線を立て直すという選択はあまりにもリスクが高すぎるように思われたのだ。


ふと、エルがユウを見た。


「ユウ」

「なんだよ」

「お前が知る中で、ゲーム時代に<蝕地王>を倒したパーティは、どんな風に戦っていた?」


それが、ユウがうろ覚えに覚えている歌のことを指すのだと、彼女も悟る。


「……『森の射手は弓をば回し、魔術師たちは杖を掲げる。狼は吼え、死姫は微笑む。

<冒険者>は8、敵は1。骸の王は剣を振り、毒を吹いては生を罵る……』」


ユウが途切れ途切れに唄い終えた歌から叙事詩的な光景を排し、エルは顎に手を当てて考え込んだ。


「要は<屍竜>と同じ、遠距離戦か。ああいう状態異常をもたらす相手には、<施療神官(わたし)>や<神祇官(メディウム)>で味方をカバーしつつ、相手を可能な限り弱らせるのがセオリーだが、

それに忠実に従ったらしい」

「前衛は少なくてもいい、ということか?」

「8人で味方の強化(バフ)と敵の弱体化(デバフ)をやりきったんだ。

もちろん武器攻撃職や戦士職もいただろうが、たぶん攻撃は後衛に任せたはずだ」


<屍竜>は、近づく敵に無差別にダメージと毒を与える効果を持っていた。

先遣隊が一戦したとはいえ、<蝕地王>の手の内をすべて見切ったと言い切れるほど、エルも自信家ではない。

また、ゲーム時代にクリアした人々とエルたちの違いはもうひとつある。

<緑衣の男>とマリアンの不在だ。

敵に止めをさせないとはいえ、圧倒的な攻撃力を持っていた<緑衣の男>、

そして一人で<施療神官>と<癒し手>の能力を兼ね備えたマリアン。

二人がいれば、たとえ<蝕地王>の前に立ったのがたった1パーティ、6人だったとはいえ、

その戦力は大幅に底上げされている。

今、エルたちは16人、4パーティいるが、彼らはいないだけでなく、回復職や魔法攻撃職といった、攻防の要となる職業(クラス)が大幅に減らされていた。

これでは相手の放ってくる毒に対抗できない。


「……やむを、得ないか」


どう転んでも、状況はゲーム時代のレイドクエストよりも不利だ。

そう思って、エルが撤退を命じようとした瞬間。


三度(みたび)、空気が生臭く澱んだ。


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