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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第8部 <森>
170/245

123. <もがくもの>

1.


「なんだぁ……ありゃあ」


誰かが怖気に満ちた呻きを漏らす。

森から現れた<蠢きもがく死>は、それほどまでに生理的な恐怖感を覚えさせるものだった。

どこを見ているかわからない、ぶくぶくに膨れ上がった顔。

黒いなめし皮で覆われたかのような全身。

ボロボロの<施療神官>のローブ。

手にした、小さな毒々しい枯れ枝。

まるで安っぽいホラー映画のようだ。


だが、その姿が軽やかに走り出した瞬間、36人はあわてて陣形を組んだ。


「<武闘家(モンク)>! 前衛に立て!」


それまで戦線を構築していた<守護戦士>の間から、軽装の戦士たちが進み出る。

<蠢きもがく死>の邪毒は一撃必殺。

防御ではなく回避で相手を止める彼らが、この怪物の相手には最適だ。


それだけではない。


「<ヒール>!!」


エルの掛け声にあわせるように、回復職たちがおのおの回復を飛ばす。

光に打たれた<蠢きもがく死>の肌が拭われたように白さを取り戻し、すぐさま黒く染まる。

それだけで怪物は奇妙にひずんだ悲鳴を上げて倒れこんだ。

そんな怪物に、次々と矢が突き立つ。

<レイニーアロー>で、機関砲のように矢を浴びせかけた<緑衣の男>は、やるせなさそうに目を伏せた。


「せめて……せめて」


もう安らかに眠ってくれ。

そんな、彼とタクフェルの無言の祈りは、いきなり叫んだアブシンベルによって遮られた。


「見えたか!」

「もう一度!」


武器攻撃職ながら、圧倒的な回避力を武器に前衛に立つユウが怒鳴り返す。

その声に応じるように、四方から回復呪文が<蠢きもがく死>に突き刺さった。

彼女の全身が白く染まっていく。

黒い肌は雪のような白さを。

泥のこびりついた髪は、輝くばかりの金髪(ブロンド)へと。


「……ア」


かさかさだった唇が潤いを取り戻し、怪物の喉が小さく鳴る。

だが、次の瞬間。


「アアアアアアアアっ!!」


ユウは見た。

手にした小さな枝が、身震いするかのように脈動するのを。

葉脈のように紫色の線がその枝から伸び、瞬く間に全身を覆いつくすのを。


「見えたっ!」


ユウが飛びしさり、叫んだ。

同時にエルが後方で叫ぶ。


「<蠢きもがく死(あいつ)>には回復が効く! そいつの枝を落とせ!」


ゲーム時代であれば。

<アーマークラッシュ>などの特技を用いて、相手の武器の耐久度を落とす方法はあった。

だがそれは、気が遠くなるほどの接戦をかいくぐってできる技だ。

だが、今なら。

軽く女の腕で握っているだけのその枝ならば。


<蠢きもがく死>がいやいやをするように枝を胸に引き寄せる。

その姿に、<冒険者>たちは気を新たにせざるを得なかった。

枝を落とさせて回復魔法を当てる。

それだけに、どれほどの労力と血をささげなければならないのかと。



 ◇



 <冒険者>たちは疲労の極地にあった。

セーフゾーンで闘っているために本当の全力――<緑衣の男>を入れて37人がかりで戦っているにもかかわらず、いまだ<蠢きもがく死>のHPバーは青い部分が3割はある。

防御力やHPというより、攻撃力が桁違いすぎるのだ。

何秒たっても、このボスは広範囲攻撃をしてくることはなかったが、元<古来種>ならではのすばやい動きで時に戦線をかき乱し、後方の味方に毒を叩き込む。

その毒は致死だ。

もはやエルたちも、そうして毒を受けた仲間を回復しようとはしなかった。

非情な決断に見えるが、どのみち蘇生も回復も間に合わないのだ。

ならば、崩れたログハウスの裏で復活してくるのを待ったほうが早い。

そのエルやユウさえ、一再となく斃れている。

さすがにレベルは落ちていないものの、失った経験値は計り知れない。

そして、櫛の歯が抜け落ちるように倒れていく仲間たちがいるために、

<冒険者>たちは、決してHPが多いわけではないだろう、このボスを倒しきることができないでいた。


「<ナイトメア・スフィア>!」


<付与術師>の呪文が放たれ、怪物の動きが止まる。

だが、好機と見て突進した何人かの<冒険者>の全身が、不意に虹色の泡に包まれた。


「……これは……っ!!」


先頭を走っていた<守護戦士>のグローリーハースが、自分を押し包む泡を見て呻く。

回復を受け、真っ青になっていた彼のHPバーが、嘘のように消えた。

減ったのではない。 消えたのだ。


「……この、技は」


倒れることすら許されず、死んでいく彼らの輝きに照らされ、黒くかさついた怪物の唇がかすかに吊り上った。


「<オーロラヒール>……いや、だがあれは……」

「90レベルの<守護戦士>が一撃だと!?」


仲間たちにざわめきが浮かぶ。

それは、<蝕地王>の大規模戦闘(レイド)を知る者であっても変わらない。


「ぼさっとするんじゃない!! 戦線立て直せ!! 前衛!」


エルの叱咤に、ようやく遅れて<冒険者>たちがはっとする。

だが、もう遅い。

たたた、と駆け寄った<蠢きもがく死>の枝の一振りで、マナコントローラーたる<付与術師>のエセムが崩折れる。

続いて放たれた、おそらくは<反応起動回復(リアクティブヒール)>を元にデザインされたであろう邪毒の衝撃波が、<修道騎士(テンプラー)>のヘルミオネーを腐臭を放つ残骸に変えた。


「おのれ!!」


呪文を放ってわずかに硬直した<蠢きもがく死>に、<聖騎士(パラディン)>のジュートが斧を振り下ろす。

しかし、それは怪物に直撃する瞬間、硬質の音を立てて弾かれていた。


「<障壁>だと!?」


驚く間もあらばこそ、ジュートもまた、枝に首を撫でられて口から血を吹き上げた。


 戦局は、大きく傾いていた。

<蠢きもがく死>、たった一体のレイドボスの側にだ。

ダメージが一定量を超えると、行動パターンを大きく変えるボスは多い。

だが、その特殊な出自ゆえに、<蠢きもがく死>は、<蝕地王の侵攻>クエストには現れていなかった。

彼女は、レイドが終わった後に、悲劇に終わった戦場に咲いた徒花のように、人も来なくなったレイドエリアを彷徨っていたボスなのだ。

それでも、いいアイテムをドロップするとか、経験値がたまるようなボスであったなら、人の口にも上り、戦う<冒険者(プレイヤー)>も多く現れたことだろう。


しかし、彼女はそうではなかった。

<蝕地王の侵攻>に参加した者は、<蠢きもがく死>の悲惨な出自を知っていたし、

顧客(プレイヤー)から散々に不評を浴びたこのクエストを、運営も忘れたかったのだろうか、

特段のてこ入れも何もされることなく、ただ無人のエリアを徘徊するボスだったのだ。

だからこそ、彼女の戦い方を、この場の誰もが知らなかった。

そして、その事こそが、この場における最大の罠となる。

いつ<妖精王の都(プラークリー)>から追っ手がかかるか知れたものではないグローリーハースや肉屋たちにとって、普段の大規模戦闘のように、何日もかけて悠長に戦術を練りこむ時間などないのだ。


だからこそ。


「戦術変えるなっ!! 第1パーティ、壁だっ! 押し戻せ! 回復! 切らせるな!

半数は<蠢きもがく死(やつ)>への回復呪文を緩めるな!」


矢継ぎ早の指示がエルの口から飛ぶ。

彼女自身、戦槌(メイス)を構えて盾を体の前に突き出し、最前線に立っていた。


「第2! 盾の援護! ヘイト回せっ! あいつを回せっ!」


時間差を置いた挑発特技(タウンティング)が、生き残りの戦士職から放たれる。

それによってくるくると変わる敵意の向け先(ターゲット)に、<蠢きもがく死>が踏鞴を踏んだ。


「よし、い……」


誰かが叫ぼうとした、その瞬間だった。

<蠢きもがく死>が両手を突き出す。

その掌の向かう先は、崩れかけた戦線を声を枯らして立て直すエル。

彼女の目が見開かれ、刹那、戦槌が突き出された。


「……」

「<ジャッジメント・レイ>!!」


白と黒の光条が交差する。


元は同じ技だった、聖なる光と邪毒の結晶が、互いを食まんと襲い来る。


「<守護天使の加護(しほうはい)>!」


間一髪。

エルを飲み込みかけた黒い輝きは、すんでのところで仲間の<退魔師(エクソシスト)>――<神祇官>の絶技によってさえぎられた。

代わりに、MPをほとんど失ったその<退魔師>が、息をあえがせながら言う。


「もう回復がないと呪文を使えん……すまない」

「……助かった」


かろうじてエルはそれだけを言うと、再び前衛と死の舞踏を始めた<蠢きもがく死>を恐ろしげに見た。


「ヘイトの有無じゃなく、指揮官を狙うって、そんなことまで……」

「お前さんと一緒に戦った連中も、私たちの言葉を理解していただろ」


危険なまでに装備の耐久度を減らしながら、それでも生きていたユウの言葉に、挑むような目つきでエルが頷く。

ユウの低い声は、戦う<冒険者>たちの耳に残る奇妙な響きをもって戦場に流れた。


「もう<蠢きもがく死(あいつ)>……いや、モンスターの多くは知恵を持っている。

無秩序に暴れまわる、ゲームの敵役じゃない。

知識と知能を持った、敵だ」


言いながらユウが飛ぶ。

<蠢きもがく死>の周囲を取り囲むように爆薬を投げながら、ユウは叫んだ。


「エル!! こいつに知能があるなら、その裏をかけ!

回復で白くなるってことは、こいつはまだ『死んではいない』! なら……!」


毒を受けてよろめくユウの背中を見ながら、叫びを聞いたエルに不意に閃いたものがあった。

身を翻し、弓を放ち続けるロバートたち後衛の下へと走りこむ。


「あ、あんた……」


訝る仲間に「防げ!」と叫び、エルは戦場の最後尾にいた、目的の人物の元へとたどり着いた。


「エル……」


もはやMPもほとんどなく、ただ弓矢を鳴らし続ける<緑衣の男>に一顧だに向けず、

エルは目の前の老人――タクフェルに、思いのほか静かな口調で言った。


「……なんじゃ、<冒険者>」

「あんたは娘を死に追いやったとあの森で泣いた。

なら、今こそ過去の失敗を取り返せ」

「っな!? タクフェルは<大地人>だぞ! 今の<蠢きもがく死>、いや、マリアンさんの前に出たら」

「ならお前が守ってみせろ」


抗議するロバートに冷たく言い捨て、エルはタクフェルを目だけで促す。


「おい! タクフェル! 死にに行く気か!!」

「……わしはもう後悔せん。どうせ海の藻屑になったはずの命よ」


目に光を宿し、タクフェルがつぶやいた言葉に、エルは小さく、ほんのわずかだが微笑んだ。


「行こう。あそこで戦っている、どっかの誰かの親父やお袋に、この世界の父親がどんなものか、見せてやれ」



2.


 今からの戦術は、邪道だ。


エルは隣を走るタクフェルの顔をちらりと見て、そう思った。

これが<エルダー・テイル(ゲーム)>であれば、エルの思いついた戦術は何の役にも立たない。

あの暴れまわる<癒し手>の残骸――<蠢きもがく死>が本当に死んだ<古来種>を使っただけの不死者(アンデッド)であっても、同じことだ。

回復魔法がダメージになるのは、不死者でも同じ。

ユウの『<蠢きもがく死>は生きている』という叫びは、死に掛けた<冒険者>の、同情とセンチメントに満ち溢れた寝言かもしれない。


だが。


かつて<冒険者>を見限り、不死者に身を投じた<施療神官>は思う。


この世界(セルデシア)に来て、多くのものに裏切られ、多くのものを裏切った。

失望し、憎み、かつては眼前で戦う黒髪の女<暗殺者>とも死闘を演じた。

ならばこそ。


自分で選んだ悲劇ならいい。

自分のせいで自分がひどい目にあうならいい。


「仕組まれた悲劇なんて許さない」


小さな呟きは、勇壮な豪哮に打ち消された。


「前衛! 挑発(タウンティング)止めな! 回復呪文、使えるやつは抑えろ! 肉屋(ミートチョッパー)!」

「心得たっ!!」


<妖術師>の周囲の魔力が渦を巻く。

それは巨大な六芒星を瞬時にくみ上げた。


「<スペルマキシマイズ>! <ロバストバッテリー>!!」


<蠢きもがく死>の手が振り上げられた。

叩きつけられるヘイトを無視し、彼女の膨れ上がった目が、この場においてもっとも危険な(ミートチョッパー)に向けられる。

だが、呪文を放とうとする怪物の横から、グローリーハースが体当たりをし、<蠢きもがく死>はごろごろと転がりながら地面の草を掘り返す。


「もう……<カバーリング>も使えねえや」


そういい残して事切れるグローリーハースの次に飛び込んだのは別の<武闘家(モンク)>だ。


「<ワイバーンキック>!」


吹き飛びかけるのを、両手で地面を押さえて<蠢きもがく死>が耐える。

地上の死闘を無視するように、空をぶくぶくと変に膨れた梟が飛び過ぎた。

その瞬間。


「マリアンっ!!」


タクフェルが叫ぶ。

一瞬、すべてが止まった。

肉屋の上で無情に時を刻む数字が流れる中、<蠢きもがく死(てき)>も<冒険者(みかた)>も、誰もが止まる。

タクフェルの横で矢をいつでも放てるように番えた<緑衣の男>とロバート――二人の『ロビン』もまた、止まった。

誰もが分かっていたのだ。

この後に何が始まるのか。


「マリアン! おぬしの父親じゃ! おぬしを毒の沼へと走らせた父親じゃ!

わしがあの場にいなければ、おぬしは!」


すべての騒々しいざわめきを止めた森に向かい合って、かつてNPCだった老人は叫んだ。


「おぬしが現世が憎いなら、わしをまず殺せ! 子供のころに抱き上げてもやれず、

<古来種>となってからは会おうともせず、百年を無駄に過ごしたこのわしを殺せ!

おぬしが森で苦しみながら彷徨うのを、何もできずに震えて見ていた臆病者を殺せ!」


「……<蠢きもがく死>が、止まった」


アブシンベルが装備を構えなおしながら言った。

怪物に動きはない。

タクフェルの声が聞こえているのか、それとも単に意表を突かれただけか。

あっさりと死んで復活したユウもまた、そんな彼女をじっと見つめている。


「マリアン!!」


タクフェルの再びの叫びに、緩やかに時が動き出す。

先ほどまでの軽やかな動きとは正反対の、まるで錘をつけているかのような動きで、<蠢きもがく死>がゆっくりと腕を上げていく。

その手に握られたのは、あの枝。


時間にして数秒あったかどうか。


すべては爆発するかのように動き出した。



「マリアン!!」


<蠢きもがく死>の伸びた手から波動が放たれる。

その、毒に歪んだ<反応起動回復>だったモノを、ロバートよりも、<緑衣の男>よりも先に、エルが体で受け止めた。


「うっぐぉ……!!」


毒が体を蝕む。エルは回復呪文があろうがなかろうが、自分の命があと数秒だと知った。

だが、それで十分だ。


「<ライトニングチャンバー>!!」


1秒後、長い溜め時間を受けて威力が層倍に上がった肉屋(ミートチョッパー)の呪文が炸裂した。

放たれた電光の檻が<蠢きもがく死>を取り囲み、HPをすさまじい勢いで削っていく。

ほぼ同時に放たれたであろう<蠢きもがく死>自身の<障壁>は、まさに一瞬で砕け散った。

<蠢きもがく死>に残されたHPは、あとわずか。


「娘ならぁっ!! 親父の声くらい、聞けぇっ!!」


肉屋が叫び、全身を痙攣させるかのように震わせて、雷の檻から開放された怪物が膝をつきかけた。

だが、その手はまだ下におりてはいない。

レイドボスならば、まだ二の手がある。


「その二の手、出させん!」


この場に立っている全員の中でもっとも速い<暗殺者>が走る。


「<ガストステップ>!!」


数人分の間隔を、一瞬で詰め。


「<アサシネイト>!!」


枝を持っていた細い腕の、その肘の関節を狙って緑の刃がリィン、と鳴る。

だが、落ちない。

かつて<古来種>であったレイドボスは、その耐久力を存分に見せ付けるかのように、

ユウの最大の攻撃を無防備に受けながら、肘の中ほどでその刃を止めた。

それどころか、ぞわりと滴る毒液が、刃をしゅうしゅうと溶かし、触手のように緑の光と絡み合う。

だが、それが<蛇刀・毒薙>を握るユウの手に届く前に、彼女は動いていた。


「くらえ!」


ねじ込むように奇妙な色の短剣が、<蠢きもがく死>の開いた肉に突き刺さる。

そして残る一刀が、肉ごとそれに激突した。


爆発は存外小さなものだった。

だが、生身でそれを受けたユウと<蠢きもがく死>にはたまったものではない。

爆炎でユウの顔が後ろにはじけ飛び、熱波ででろりと剥けた顔の皮が千切れ飛ぶ。

爆風をまともに受けた左腕も無傷ではない。

ユウの腕は刀ごとほぼもがれ、噴き出す前に蒸発した血が、怪物の毒液と混ざって奇妙なモザイクの霧を作った。

だが、その甲斐あって。


ぽん、と不思議と長閑なスピードで、枝をつかんだままの腕が飛ぶ。

ぽとり、とそれが地面に落ちたとき、すかさずエルの指令が飛んだ。


「回復呪文!!」


言いながらも、残り少ない時間をすべて呪文につぎ込んで、エルの魔法が完成する。


「<ヒール>!!」


敵味方を識別する広範囲回復呪文(オーロラヒール)では無駄だ。

かといって、反応起動回復では回復に時間がかかる。

死に行くエルが選んだのは、<施療神官(クレリック)>が最初に学ぶ、もっとも初歩の呪文だった。

仰向けに倒れこむエルの視界に、生き残った回復職たちが同じく<ヒール>をかけていくのが見える。


「……頼む」


(せめてお願い、といったほうが女っぽかったな)


そう思いながら、エルは何度目かの仮初の死に向かって再び歩いていった。



 ◇


 <蠢きもがく死>が倒れこむ。

いや、痙攣するその姿は、もはや<蠢きもがく死(レイドボス)>には見えない。

髪は、プラチナにも似た輝くような金髪に。

膿と瘡蓋で膨れ上がっていた顔は元通りの端正な、それでいて少年のような卵型に。

全身を覆っていた痘痕は、邪毒の紫の輝きごとぬぐい去られ、白い細腕を――ただし片方だけだが――露にしている。

ボロボロのローブに隠れたほかの肉体も、元の<古来種>としての美しさを取り戻す。

痙攣をやめ、ぴくりと動かないその姿は、服装と腕を抜きにすれば深窓の美姫というより、活発な少女を思い出させた。

その体が不意にかすかな光を帯びる。


「やばい!死ぬ!!」


<蠢きもがく死>として彼女(マリアン)はHPをすべて削られた。

誰かの叫びとともに、生き残りの<リザレクション>や<ソウルリヴァイヴ>が飛ぶ。

<古来種>であっても元は<大地人>だ。

膨れ上がりそうになる光を抑えこむかのように、<冒険者>たちは必死で呪文を唱えていた。

誰もが、虚脱したように膝をついているタクフェルと、弓を杖にして、荒い息を吐く<緑衣の男>を視界に捕らえている。


<古来種>が蘇生するのか。

いや、そもそも彼女は今もって<古来種>なのか。

毒の沼に落ちると一言で言うが、彼女も呼吸する人間である以上、沼に頭から嵌れば死ぬしかない。

ゲーム時代もそうだ。

いくつかの致死トラップに嵌れば、それは有象無象誰の区別もなく死ぬ。

死なないのは、ただ『イベントでそう決められているから』でしかない。

だが、今はイベントではない。

誰もが、甘い期待と、より多くの絶望に満ちて怪物だった女性を見る中、ユウもまた、ギリギリのHPをかろうじて動く手で握る呪薬で抑えながら、同じ光景を見ていた。


光が収まる。

<蠢きもがく死>――マリアンの体が、風に煽られてではなく小さく震えた。


その時。

昼下がりでもまだ尚暗い大地に身を隠すように、細く伸びる小さな光をユウは見た。

その光の目指すもの。

それは、マリアンだ。

そして光は、地面にほうり捨てられていた朽ちた枝から伸びていた。


その時、ユウは唐突に理解した。



 ◇


 ブーイングの嵐を巻き起こしたイベントが終わり、運営会社は頭を抱えたのだろう。

悲劇は美しい。

だが、誰も彼もが忙しい現実の合間に見る夢に、そんなものは要らなかったのだ。

彼ら(レッドブランチ)は考えた。

いまさら盛大に殺したマリアンを生き返らせることはできない。

かといって、殺したままだと困る。

窮した運営会社の誰かが思いつく。

そうだ。実際は死んでいないことにしよう。

お前は何を言っているんだ。 

同僚たちは言う。

もうマリアンを流用した<蠢きもがく死(レイドボス)>のデータもあるんだぞ。

なら、それをほんの少し、改造すればいい。

データを作り変えるのではなく、『マリアン』のデータに『<蠢きもがく死>』を上書きする。

トリガーがあれば、<蠢きもがく死(カバー)>は外れ、マリアン(なかみ)が出る。

それをどうやって説明する。

持ち手を操る武器(ポゼッションタイプ)の装備を持たせればいい。

執念深い憑依者(ポゼッショナー)だ。

武器を破壊するか何かしない限り、絶対に生贄からは離れない。

それなら、<蝕地王>の皮肉も使えるし、倒されたボスの装備も流用できる。

そりゃあいい。

そうしよう。

だけど、どうする? またクエスト起こして、プレイヤーに知らせるか?


ほっとけ。

あのクエストをやって、それで文句つけて終わるようなプレイヤーならどうでもいい。

どうしようもなくあの結末を嫌がって、何とかしたいと思うプレイヤーが勝手に見つけりゃいいさ。


 ◇


 ユウは無論、そんな会話があったことなど知る由もない。

いや、思い浮かんだ情景も、ユウの抱いた妄想に過ぎない。

だが、ちらりと見た枝のフレーバーテキストが、それが真実か、

少なくとも真実にかなり近いものだと教えている。


『ミダス王の左手』

『王の右手は金を生み、その左手は毒を生む。怨嗟を糧とし、優しさを贄とし、持ち手の体と心を盗んで怪物へと向かわせる』


そして、枝――『ミダス王の左手』は動き出したのだ。

自分の手から零れ落ちた伴侶(いけにえ)を再び取り戻すべく。


ユウはもはや考えなかった。

自らの<蛇刀・毒薙>を握り締め、満身創痍とは思えない速度で飛び起きる。


(『蛇の呪いと人の恨みを転じて、毒と厄が<毒使い>を護る』……なら!)


誰もが気づかないうちに、倒れ伏すマリアンに忍び寄る毒の触手を断ち切るように

ユウは一瞬で枝の元に駆け寄った。


「もう娘は奪わせん! お前が毒なら、私の厄となれ!!」


その瞬間、誰もがユウを見た。

彼女は左手に<毒薙>、右手にはほうり捨てた<疾刀・風切丸>の代わりに<ミダス王の左手>を握り締めている。

新しい身体(にえ)を得た枝が嬉しげに揺れ、ユウの半身がたちまち紫色の触手に覆われた。

あちこちから肉が弾け、瘡蓋のように毒々しい粘液が包んでいく。

だが、ユウの左手は別だ。

あたり一帯を照らすような輝きで、ユウの持つ<蛇刀・毒薙>が緑に光る。

あたかも主を守るように、その光は敵ではなく、ユウの半身を包んでいた。

緑と紫、東洋と西洋の毒がユウの全身を舞台にせめぎあう。


「ユウ!!」


エルの声だ。

その彼女に答えるように、ユウは叫んだ。


「私は、<毒使い>だ! どんな毒だろうが、私のものだ!」


周囲からは、ユウのステータスは異様なものに見えていた。

HPとMPが赤と青、そして緑を瞬時に変えていく。

あまりの速度に、左右の端を除いた部分が紫に見えるほどだ。

それは奇妙にも、ユウの周囲を駆け巡る光に似ていた。

画面には無数の状態異常効果(バッドステータス)が点滅信号のように瞬き、

名前欄すら、『ユウ』と『<蠢きもがく死>』でくるくると変わる。


その異常な光景を見つめていたグローリーハースが呻いた。


「か、回復を……」


だが、その声にこたえる声はない。


「<冒険者>が……レイドボスになる??」


呟いたのはロバートだった。

察しのよい彼もまた、<蠢きもがく死>というモンスターを構成していた本当の中心が、タクフェルの腕の中で気絶したままのマリアンではなく、ユウが握るあの奇妙に平凡な枯れ枝だと気づいている。

それがマリアンにとりつき、怪物にしたのだと。

ならば、それがユウに取り付けばどうなるのか。

怯える彼はその時、自分と真逆の感情を込めた叫び声を耳にした。


「ふざけんな!!」


日本語で叫んだエルを、マリアンを除くその場の全員が振り向く。


「てめえ、せっかくハッピーエンドで締めようとしたところで変なことしやがって!!

そのままモンスターになって勝ち逃げか!?

許さんぞ!!

あんたには、<不死の王>を殺した報いを食らわせてないんだ!!

どうせ死ぬなら、私の手にかかってその枝ごと死ね!!」


それまでの指揮官ぶりが嘘のように喚き散らし、エルは不意に戦槌と盾をほうり捨てた。

ガシャ、と重い音を立ててそれらが落ちる横で、背に負っていた青い長剣を彼女はすらりと抜き放つ。


「てめえは前もここでも、自己満足の勝手な道化(ピエロ)だ!

何が毒と厄だ、これでちったあ、頭の中をまともな形に混ぜなおしやがれ!!」


最初に見た<蠢きもがく死>そのままに、全身を奇妙に跳ねさせ、踊るように痙攣するユウに、ドワーフの剛力で投げられた青く光る長剣が飛ぶ。

それはまったくの偶然から、ユウの左手ではしゃぐように振り回される枝ごと、彼女の紫に染まった腕を貫き、肩に突き刺さった。


青い光が、紫の光を追い散らす。


かつて吸血鬼の一族を率いる王が腰に佩いていた剣が、断末魔のように震える枝を貫いたまま、勝ち誇ったようにビィン、と震えた。


ユウの全身が緑色に染め上げられる。

その中でゆっくりと、『ミダス王の左手』が溶けて<毒薙>に吸い込まれていくのを、その場の全員はなんともいえない感覚のまま、確かに目撃したのだった。

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