122. <大規模戦闘>
1.
ゲーム時代、ユウは大規模戦闘コンテンツにほとんど興味を示さなかった。
いや、望んで避けていたといってもよい。
かなり早い時期からログイン時間が減り、その時間のほとんどを一人で対人戦に費やしていたユウのようなプレイヤーにとって、時間もかかれば仲間も必要なレイドバトルはそもそも敷居が高かったし、よく言えば個人技が得意、ありていに言えば仲間への気遣いが足りない彼女をメンバーに迎えようとするギルドもいなかった。
結局、20年近い彼女のプレイ歴の中でも、そうした高難易度コンテンツに挑んだ経験はわずかに4回。
そのうち2回は無残な敗北に終わっている。
そんなぱっとしない戦歴で、<アサシネイト>と<ヴェノムストライク>、二つの特技を秘伝レベルに上げているところは彼女の幸運としか言いようがない。
そんな彼女にとって、ザントリーフ戦役とも異なり、24人――より正確に言えば6人パーティ4つのレイドというのは、実質上、初めての経験だった。
「思ったより難しい、なっ!!」
<灰斑犬鬼>を切り裂きながらユウは思わずぼやいた。
特技も何もない一撃だ。
今までユウが刃を合わせてきた相手――数多くの高レベルモンスターからしてみれば、
他愛ないほどの脆さで<灰斑犬鬼>が大地へと還ってゆく。
そんなユウをちらりと見て、隣にいた同じパーティの<妖術師>、肉屋がくすりと笑った。
「だろ?」
そんな彼のレベルは90。前方に密集する<灰斑犬鬼>を一掃できるレベルにもかかわらず
彼は呼び出した<オーブ・オブ・ラーヴァ>でちまちまと犬の顔の敵を松明に変えている。
ルシウスのギルドは決して大規模戦闘に特化していたわけではないが、
それでも人数の多さから大規模戦闘へは頻繁に参加していたらしい。
肉屋も、仲間たちの動きも決して凄まじいというほどではないが、危なげのないものだった。
「大規模戦闘じゃそれぞれに役割があるんだ。
使える武器があって、倒せる敵がいれば無作為に叩いていいわけじゃない。
自分のパーティ、仲間のパーティ、指揮官の役割、それらをよくわきまえて行動しなきゃならん」
また別の<灰斑犬鬼>を泡へと変えながら、肉屋はそういってユウに笑いかけた。
◇
ユウが参加しているのは第4パーティだ。
一概に言えるものではないが、おおむね中隊規模戦闘に参加する4パーティにはそれぞれ役割がある。
第1パーティの任務は24人の防壁だ。
<守護戦士>や<聖騎士>のような、防御力に優れた職業をメインにすえたこのパーティは、敵を倒すというよりもむしろ敵のヘイトを集め、耐えることに主眼を置く。
第2パーティは遊撃要員だ。
ここはもっともバランスのいいメンバーで組まれ、第1パーティの援護で盾にもなれば、
第3以下のパーティとともに殲滅役にもなる。
いわば軍団における予備兵力だ。
おおむねだが、全体を指揮する指揮官や、最も腕のいいメンバーが配置されることが多い。
第3、第4パーティは決戦兵力。
第1パーティの集めた敵を瞬時に殲滅していく彼らに求められるものはただ火力、それのみ。
純粋な攻撃力でいえば24人の中でもトップクラスであろうユウがそこに加わったのもそのためだ。
なお、エルは第2パーティにいる。
リーダーではないが、豊富なレイド経験を買われ、中隊の指揮官である<守護戦士>、グローリーハースの補佐をする形で指揮を執っているはずだった。
今回のレイドの場合、さらに後方にはロバートを含む12人が待機し、脱落したパーティに代わって適宜交代する手筈になっている。
敵が毒を用いるモンスターばかりということもあり、いずれのパーティにも通常より大目の回復職が置かれ、解毒薬などのアイテムにも不足はない。
この36人で、ユウたちは<蝕地王>を文字通り沈めるつもりだった。
そして、その策は、不死者や<灰斑犬鬼>で溢れた砦を2つまで防衛する間、
特段の破綻も見せないまま有効に動いていた。
2つ目の砦を制圧したところで、全員に大休止が言い渡された。
食事を取るもの、仮眠をするもの、友人と他愛ないことをしゃべるもの、さまざまだ。
もとより彼らはホームタウンである<妖精王の都>に還るつもりなどない。
グローリーハースたちのひそかな念話により、今頃は彼らと同じく脱出を決意した<冒険者>たちが、ひそかに続々と海を渡っているはずだ。
それを知っているのか、座り込んでアイテムの整理をする肉屋にも、特段の焦りは見受けられなかった。
それが不思議で、横で寝転がっていたユウは思わずたずねた。
「いいのか?」
「何が?」
「いや、あんたらの町のことだ。追手とか、今後のスケジュールとか仲間で決めなくていいのか?」
「そんなもの、レイドが終わってから話せばいいことだ」
平然と答え、鞄にアイテムを仕舞いながら肉屋は言った。
「レイドの最中にしちゃいけないことはな、余計なことを考えることだ。
特に今回は余りのんびり時間をかけてもいられないし、あんたたちみたいな新顔もいる。
今はレイドに集中するのが結果的に一番効率的なんだよ」
その声に険しい風は微塵もなかったが、どこかに責めるような色を感じ、ユウは寝たまま軽く頭を下げた。
「そうか。埒もないことを聞いたね」
「いや、心配してくれるのはありがたい。ソロプレイヤーというから、仲間への気遣いがまったくできない人間なのかと、心配していた」
「そりゃ、間違っちゃいないけどね」
ははは、と笑ったユウに、ふと真顔で肉屋が問いかけた。
「俺たちが回りくどいことをしている……そんな風に思うか?」
「さあ……」
ユウは言葉を濁したが、正直に言えばそのとおりだ。
ユウを含め、第4パーティ6人は<森呪使い>のディムジムと<修道騎士>のアレックスを除く4人は全員が攻撃力に長けたパーティだ。
広域制圧能力も高い。
本気を出せば、眼前の、少なくとも<灰斑犬鬼>は極めて短時間に一掃できるはずだった。
「確かに俺たちや、アブシンベルの率いる第3パーティが本気を出せば、きわめて短期間に低レベルの敵は皆殺しにできるだろう。
あんただけでもかなりできるはずだ。何しろ本当か嘘か、一人で<神峰>デヴギリを落としたんだからな」
ユウの冒険のあらましを聞いている彼は、「だが」と口を開いた。
「確かに俺たち1人1人だけでもある程度の制圧は不可能じゃない。
個人やパーティ単位での効率を考えたらそれがいいと思う。
だが、あくまで俺たちは中隊なんだ。
全体の最適をために個人がどう動くか、を考えるのが仕事なのさ」
「そんなものなのかな」
結局は、そんなものなのだ。
再び整理に戻った肉屋を横目に、ユウはふと考えた。
ユウのようなソロプレイヤーにとって、ヘイト管理とははっきりいえばどうでもいい要素に近い。
できるだけ個人で効率を考えれば、処理できる範囲の敵は積極的に倒していくのが普通だ。
特に、社会人として年数を重ねるにつれ、余暇に使える時間が減っていったユウのようなプレイヤーにとっては、戦場に飛び込むや否や最大火力で押し通り、MPや回復アイテムを使い切ったら撤退、という戦い方が徐々に主流になっていく。
そんなところに、継戦能力などは何の意味も持たない。
だが、肉屋たちは違う。
そこには派手な火力戦もなければ、ユウが得意とするような奇策もない。
ただそれぞれが持ち場で全力を尽くし、当たり前に倒していく。
その先にボスが待っていれば、それに対しても当たり前に倒していくのがレイダーの戦闘なのだ。
あるのは、徹底した自分と仲間のHP、MP、そして敵愾心の管理。
感性ではなく、緻密な計算の上に確実に勝つのが彼らの戦いなのだった。
「その辺理解して、戦ってくれよな」
最後に小さくそう言うと、肉屋はユウに背を向けて横になった。
2.
「DPS上げていくぞ! 第3、第4は第1とスイッチしろ!」
長めの長剣を手にした<守護戦士>が叫ぶ。
おお、と下がる戦士職たちに代わって、肉屋がぽん、とユウの肩を叩いた。
「さあ、出番だ。連中を一掃するぞ。斉射のあとに突っ込んでくれ」
「わかった」
ユウもうなずき、刀を構える。
とはいえ、いつものように敵陣奥深く突出するのが今回の役割ではない。
あくまで、目の前の一団を殲滅すること。
その次に、奥で控えているであろう集団は、回復や解毒を終えた第1パーティが再びヘイトマネジメントで『釣り上げる』のだ。
「なるほど、釣り野伏せ、か」
森の奥では障害物が多いとはいえ、数において圧倒的に勝る敵と正面衝突するのは良策ではない。
そのために、一団ずつ薄皮を剥がすように倒していく。
そのペースを上げていけば、モンスターの再出現よりも早く制圧できるのだ。
前衛たちが下がってくる。
彼らの盾や鎧にしがみつくように、<灰斑犬鬼>たちが群がって押し寄せてきた。
「<ライトニングネビュラ>!」
肉屋、ステッセルなど<妖術師>たちの放った高電圧の雷撃に、人形劇の人形のように<灰斑犬鬼>たちが全身を奇妙に踊らせた。
それで倒されていく<灰斑犬鬼>も多いが、全てではない。
その生き残りたちの中に、ユウは飛び込む。
ちらりと横目で見た先に、いつもの青い長剣を背中に背負い、戦槌と盾という、本来の彼女の武器に持ち替えたエルが見えた。
周囲の仲間と口早にやり取りをしていた彼女の目が、走るユウをちらりと捉える。
『半年経って腕がなまったか、見てやる』
その挑戦的な視線は、そう言っているようにユウには見えた。
(ならば、見せてやる)
あの廃工場で戦ってから約半年。
その間ユウにもいろいろとあった。
だが、腕をなまらせたつもりは微塵もない。
ユウは余所見を辞め、体を正面に向けた。
直線距離、10メートルもないところに、全身から煙を上げる一匹の<灰斑犬鬼>が見える。
(まず、こいつ)
ユウは思うと同時に、一気に飛び込んでその<灰斑犬鬼>を袈裟切りに切り捨てていた。
消え行くその肉体をジャンプ台に、斜め後ろに飛ぶ。
高速戦闘特有の、脳から血がざあっと引いていく感覚が、ユウの精神を研ぎ澄ませていく。
もっと敵を。
もっと。
いつの間にか獣のように笑いながら、ユウは次の<灰斑犬鬼>の喉元に突き刺した刃をぐりぐりとねじりまわした。
◇
一団の殲滅に要した時間は約3分。
一人、パーティに入らず、フルレイドの人数制限にも数えられない<古来種>である<緑衣の男>が口笛を吹いて、<冒険者>たちに揶揄交じりの賛嘆を向けた。
「さすがだね。動きがいい」
「どこかで予備パーティと半分をスイッチする。砦を6つ、制圧してからボスに向かう」
「それまでに<蝕地王>や他2体が着たらどうする?」
グローリーハースに確認したのはエルだ。
息の合った主将と副将のような二人の言葉は必要十分なだけの短さだった。
「<屍龍>ならその場で沈める。<蠢きもがく死>はおびき寄せる」
「了解、36人がかりだね」
エルの言葉は、<緑衣の男>たちの隠れ家だったセーフゾーンまで追い込むという意味だ。
そのゾーンであれば、<冒険者>の戦力は単純に考えて1.5倍になる。
つまり、<屍龍>よりもグローリーハースは<蠢きもがく死>のほうを強敵と捉えているということだった。
「まずは雑魚を一掃する。ボス以外は一匹残らず皆殺しにするぞ」
グローリーハースの雄たけびに、全員が拳を上げて答えたとき、不気味な風が森に吹いた。
騒がしかった鳥や小動物の声が一斉にやむ。
散発的に襲い掛かっていた低レベルモンスター、<吸血蝙蝠>やその亜種もまた、潮が引くように去っていく。
「なんだ……この生ぬるい風…」
「決まっている」
片手を風向きを調べるように上げた一人の<武闘家>に答えたのは<緑衣の男>だった。
「何かが、来るのだ」
かさ。
その足音は、森から聞こえた。
「誰だ?」
誰何の声に返す音はない。
仲間は25人全員がこの場にそろっている。
やがて現れた黒い人影は、全員の悪い予測を見事に的中させたのを誇るかのように、
小さく会釈するように首を傾げた。
「<蠢きもがく死>!!」
「前衛! スイッチ! 対毒強化! 状態異常効果!」
俊敏に走り出した<蠢きもがく死>に対し、エルが叫ぶ。
すでにユウとロバートが遭遇した際の状況は、全員に周知されている。
動きがすばやく、手の枝に触れられたら即座に最高級の邪毒に侵される。
それが通常攻撃なのか、特技に類するものなのかはわからないが、
わざわざ触って確かめる必要は、今はない。
「<妖術師>は打ちながら下がれ! 交互に走って集中攻撃! 足を止めろ!」
<蠢きもがく死>の足がよろめいた。
<付与術師>の呪文のひとつ、<アストラルヒュプノ>だ。
その動きに射線が通った<妖術師>の手から氷、炎、雷といった属性攻撃が走る。
呪文を放ったのはこの場にいる魔法職の約半数。
残る半数の魔法使いたちは何人かの戦士職に護衛されながら走った。
交互に走り、戦線の後方を下げているのだ。
単位時間当たりのダメージは全員が一斉に攻撃した場合の半分に落ちるが、
半分が走っているときも残る半分は呪文を放てるため、結果として間断なく呪文を打ち続けることができる。
そんな魔法使いたちを護衛するように、戦士や武器攻撃職――ユウを含む前衛たちが立ちふさがる。
「<アンカー・ハウル>!」
グローリーハースの雄たけびとともに、<蠢きもがく死>の見えない視線が彼をしっかりと捉えた。
にらみ合う怪物と<守護戦士>の後ろで<緑衣の男>が弓を構える。
「タクフェルに見せるのは……酷だが」
イチイの弓がうなりを上げ、放たれた矢は<蠢きもがく死>の眉間に突き立った。
無論、HPはわずかに赤が顔を覗かせただけだ。
その彼もまた、別の<冒険者>に肩を叩かれ、戦場に背を向ける。
そうして、徐々に一人減り、二人減る。
最後に残ったのは、第1パーティと第2パーティに属する何人かだ。
間断なく打ち合いながらも、必ず手にした枝の一撃だけは避けながら、エルはふと思い立った。
「<リアクティブヒール>!」
撃つ相手は味方ではなく、<蠢きもがく死>だ。
一部のアンデッドモンスターだけだが、回復魔法が弱点という特性を持つモンスターがいる。
<蠢きもがく死>がそうであるかはわからなかったが、どのみちモンスターに<冒険者>の回復呪文は通用しないのだ。
ほんの試しに使ってみた呪文は、しかし、思わぬ効果を発揮した。
呪文の光が当たった箇所を中心に、脈動する光が<蠢きもがく死>を包み込む。
その黒く染まった肌が、一瞬ではあるが、白く変わった。
女性らしい、白くたおやかな肌だ。
だが、それは一瞬で周囲の黒に再び塗りつぶされ、<蠢きもがく死>は激痛に苛まれるように身を捩じらせた。
ゲーム時代には見たこともなかったエフェクトだ。
それはまるで、普通の人間のように回復し、直後に再び毒に侵された様だった。
仲間とともに走りながら、エルはそのことを隣を走るグローリーハースに告げた。
彼の眉間に皺が寄る。
「……回復魔法をもう一度、みんなの前でかけてみてくれ」
しばらくの沈黙の後、かえって来たのはそのような指示だった。
エルはうなずいて走る速度を速めた。
セーフゾーンまで彼女の足では、もう少しかかる。
<蠢きもがく死>が追いつくのは、さらにしばらくの後になるだろう。
◇
「来たぞ!」
セーフゾーンは活気に溢れていた。
予備戦力として待機していた<冒険者>も、ボス相手とあってその表情に曇りはない。
その中で一人突出してレベルの低いロバートもまた、愛用の弓を手に森の奥を見据えていた。
レベルの差がありすぎる彼は、1人だけどのパーティにも加わっていなかった。
あのルシウスやアルバの仲間、ということで、このレイドチームそのものにも隔意がある。
何しろ、交渉次第では殺されるどころか、軽侮と罵倒を一身に受けて幽閉、までありえたのだ。
だが、今はそのあたりを考えるのは辞めよう、と彼は思っていた。
たった一人のパーティである彼に任された役割は、タクフェルの護衛。
だが、既に念話で敵が<蠢きもがく死>であるとわかった以上、その任務は思っていたよりもかなり難易度の高いものとなるだろう。
後ろのタクフェルは、決然とした顔で正面を見据えている。
両手には武器ではなく呪薬が握られていたが、その視線はまさしく戦士――<海賊>のものだ。
呪薬は回復用でもあるが、もうひとつ。
エルの行った実験の結果は、既にロバートやタクフェルにも知らされている。
さらに、ユウの言葉だ。
「レイドボスになっても会話のできる敵もいる」
その情報が、全員に、一人残らず既に知るこのレイドコンテンツのほろ苦い結末……それを覆すことへのかすかな、本当にかすかな希望を抱かせていた。
ロバートもまた、その一人だ。
彼は前方で闇を見つめるユウの、黒髪に包まれた背中を追いながら、
ふと今朝の<封印の森>での出来事を思い出していた。
◇
タクフェルとロバートが、レイドに参加することを決めた<冒険者>たちと共にユウたちと合流したのは、深夜も明け方に近い時間だった。
既に先行組は全員眠っていたが、足音に気づいたのか、聞きなれた異国語の誰何が森に響く。
「……味方ならロバートが答えろ」
「俺だ、ユウ。無事だ」
「……よし」
目覚めたばかりとは思えない俊敏さでユウが立ち上がると同時に、そのあたりで雑魚寝をしていた<冒険者>たちが起き出す。
その一人、ルシウス配下の<冒険者>たちのとりまとめをする肉屋がやってきた<冒険者>の一人に声をかけた。
「うまくやっただろうな」
「ああ。ルシウスの命令といえば、仕方なさそうだった。
ただ本当のところはわからない。ルシウスと念話が通じないことを訝る奴も出るだろう。
半分には真相を話したから、味方に回るだろうが、アルバやスカサハのギルドの連中は敵だ。
村に残った連中は、とりあえず警戒を怠らないよう言っておいた」
「それしかなかろうな……」
今のところ、<妖精王の都>に残ったスカサハとアルバ、二人のギルドマスターは互いににらみ合っているから動けないだけに過ぎない。
だが、ルシウスだけ得をすることは二人とも望んでいないことは明白だ。
少しでも不審に思えば、彼らは即座に対立に手打ちをかけてやってくることは目に見えていた。
そんな中で利点は、<妖精王の都>とこの<深き黒森のシャーウッド>との距離だ。
ただでさえ<海魔獣>などが曳航することができる大型船は軒並みルシウスが徴発してしまった上、ロバートがわざと到着地点をずらしたため、通常以上の時間がかかっている。
会議からわずか2日で村までたどり着いたルシウスに比べ、アルバもスカサハもより時間がかかることは違いなかった。
だが、相手は<冒険者>だ。
<飛翔天馬>のような空を飛べる騎乗生物に乗れるメンバーだけを率い、先行してくる可能性も絶無ではない。
どちらにせよ、急造のこの中隊にとって、時間が最大の敵であることには違いなかった。
とはいえ、肉屋も、レイドの総指揮を執るグローリーハースも、拙速に攻め込もうとはしなかった。
まずは情報交換が先だ。
まずは<冒険者>同士、<緑衣の男>とタクフェルを気にしながらもレイドの情報を交換する。
それなりにプレイ歴が長い<冒険者>であれば、時期も比較的新しく、エンディングも独特だったこのレイドに参加していたり、参加していなくても攻略サイトなどで見た者は多かった。
彼らの情報と、ユウやエルが知る情報を組み合わせ、攻略法を探る。
「つまり、砦を防衛すればするほどにボスは弱まるってこと?」
「みたいだな。既にやられた砦の奪還は意味あるか?」
「わからん……正直無意味と見たほうがいいかも知れん」
「私の知る限り、奪還を試みたパーティもいたけど、意味なかったよ。
砦の中の宝玉がキイになってて、それを壊されたら終わりだったはず」
「何だ、じゃあもうフル装備の<蝕地王>とやるしかねえってことか」
一行の議論が白熱したところで、今度は<緑衣の男>が口を開いた。
「すまないが、俺たちからも話させてもらえるか?」
その言葉に、一座の声がしんと止む。
このクエストを少しでも知るものならば、<古来種>である彼のことを知らないことはない。
彼と恋人、そして恋人の父―――<蠢きもがく死>とタクフェルの因縁もまた、しかりだ。
水を打ったように静まり返った森の中で、<緑衣の男>は静かに言葉を織り成した。
「ありがとう。この大規模戦闘……いや、戦いに参加してくれて」
そういって頭を下げた彼の背中を、隣にいたディムジムがぽん、と叩いた。
その無言の激励に目だけで礼を返し、姿勢を戻した<緑衣の男>が言う。
「君たちにとっては遊び半分の戦いだったかもしれない。かつては。
だが、今は違うと信じている。 この中で亡霊の王と戦うという意味を知っていると信じる。
その上で話そう。そしてどうか、助けてほしい。
俺とタクフェル、そして<蠢きもがく死>――いや、マリアンを」
<緑衣の男>は語った。
自分がかつてロバートという名前――奇しくも<盗剣士>のロバートと同じ――だったこと。
通称として自ら『ロビン』を名乗っていたこと。
彼がまだ、『赤枝の騎士団』にいたころ、そこにやってきた黒髪の女性、マリアンと出会ったこと。
「あいつは高いレベルを仲間に忌避されて、父親とも別れて一人、<古来種>を尋ねてきた。
それまでは修道院で学問をしていただけの、平凡な女の子だったよ」
<古来種>であることが確かめられると、マリアンは他の<古来種>仲間に生活や心構えを学びながら、赤枝の騎士団で暮らし始めた。
その中で彼もまた、マリアンを教え導く役割を何度も果たした。
まじめな少女と、軽妙洒脱な弓兵。
共に貴族でもなく、王族や貴族出身の<古来種>も多い中、どこかしら親近感を感じた彼らはいつしか常に二人でいるようになり、そしてその感情は簡単に仲間同士の友情のレベルを転げ落ちた。
「俺たち<古来種>は知っての通り、寿命がなくなる。
子供は作れないし、作れたとしても俺たちより先に必ず死ぬ。
俺たちには互いしかいなかった。そしてタクフェルもな」
タクフェルは<海賊>だった。
騎士剣同盟に所属する私掠船の船長だったのだ。
海にいる間、修道院に預けていた娘が<古来種>として姿を消したと知り、彼は潔く海を捨てた。
趣味であった薬草や呪薬つくりで生計を立て、暮らすようになった。
それが、ロバートやユウたちのいた村だ。
とはいえ、100年近く前の話であったが。
「そして、タクフェルからの手紙が騎士団に届くようになった。
だが、俺たち<古来種>は特定の<大地人>と深く付き合うことは許されていない。
エリアスは融通の利くいい奴だったが、それでもその掟には常に厳格だった。
時折、手紙を読んでは泣くマリアンを、俺は慰めるだけだった。
そんな中、この森の異変が知らされたのさ」
そのころには、世慣れていなかった少女は騎士団でも屈指の<施療神官>として名をはせるようになった。
能力だけではない。
何より患者には献身的に看護し、回復を自分のことのように喜び、目の前で傷ついた仲間がいれば悲しむ。
その心が、何よりマリアンを一流の癒し手たらしめていたのだ。
「俺とマリアンは急いで派遣に立候補した。
父親に会いに行くことは許されていないが、冒険の合間に<大地人>と会うことは問題ない。
エリアスの苦笑を背に、俺とマリアンは意気揚々と出発した。
……俺は馬鹿だった。 あんなやさしい、敵であるモンスターが傷つくのも悲しむような奴を
戦場に連れて行くべきじゃなかったんだ。
しかも……<蝕地王>みたいな奴の前へ……」
相槌の声は聞こえない。
誰もが黙り、唇をかみ締める者もいる。
<緑衣の男>――ロビンの声が途切れると、押し殺したような誰かのかすかな嗚咽が漏れた。
そんな彼の代わりに、タクフェルの口が開く。
「……当時、わしはそれまでの経歴を買われて、村の自警団長のようなことをしていた。
娘に会えて嬉しくなかったはずがない。
じゃが、わしは危険だと思った。
村の古老から、<蝕地王>の伝説は聞いておったからの。
あれは単なる悪のモンスターではない。
人を救おうとして果たせず、裏切りに傷ついて、人に背を向け、封印されたのだから」
その声に、エルがかすかに俯くのをロバートは見た。
そして、そんなエルをかすかに、同様に悲しい顔をしたユウが見るのも。
「再会したわしを、マリアン……あの子は父と呼んでくれた。
嬉しかったわい。 わしは半生を海で人殺しや略奪で過ごした男じゃったからの。
じゃが、必ず何かあるとも思った。
ユーララはやさしいが公平な神じゃ。
わしの罪に対して、必ず何かの報いがあるであろうとの。
それは、事実じゃった」
そしてタクフェルは淡々と語った。
いつしか、暁の光がかすかに森に届いている。
だが、<冒険者>たちは誰もそれに気づかないまま、黙って二人のセルデシア人の言葉を聴いていた。
「わしは止めたが、あの子はどうしても行くといって聞かなかった。
<古来種>である自分の任務じゃとな。
そしてこのロビンもそばにおる、こいつがおれば傷ひとつ負わないと。
そんな娘の、愛する男を信じる姿を見て、どこの父親が止められよう。
わしはせめて、足手まといにならぬよう、<深き黒森のシャーウッド>にいることを選んだ。
やってくる<冒険者>に呪薬を売り、道案内をし、少しでもあの子が危険から遠ざけられるように」
「そういう経緯で、あの森で道具屋をしてたのか……」
アブシンベルが呟く。
彼は小さく首を振り、誰にともなく呟いた。
「俺たちにはダンジョンに配置されたNPCでしかなかったが、そんなことを考えていたんだな……」
「わしは祈った。
早く<蝕地王>が去るように、何よりマリアンとロビンが生きて戻るように、とな。
だが、どんな<冒険者>が何度挑もうと、あの王は封じられることはなかった。
この森では時間が外界よりも遅く進む。あの王の魔力のせいじゃ。
わしが<黒森>に篭っているうちに、外では一年経ち、二年経っていった。
わしは焦った。
自分が受け入れられた村、という居場所がなくなると。
それが思えば、邪念じゃったんじゃろう。
そんな時、焦るわしの前に現れたのが、彼らじゃ。
異形の<冒険者>。
ルー・ガルーと名乗った一団の長は、<人狼>。
副将の7thと名乗った男は<吸血鬼>じゃった。
自ら<怪物たち>と名乗った彼らを、最初は敵かと思うたよ。
じゃが、彼らは誇り高く、また腕のいい<冒険者>じゃった。
瞬く間に砦を全て守り抜き、<蝕地王>の元へ行ったのじゃ。
わしは、彼らと共に戦場に向かうロビンとマリアンに、そのとき初めて頼んだ。
共に連れて行けとな。
断る連中を説き伏せ、わしはついていった。
告白するが、そのときは娘を守ろうとか、そんな気持ちからではなかった。
ただ、一刻も早く<黒森>から出たい、村に還りたい、という思いからじゃった」
ぼそぼそとしゃべっていたタクフェルの声が、不意に裏返った。
激情を堪えられないように、顔を抑えた指の隙間からぼろぼろと涙が落ちる。
風すら吹かない<封印の森>の、無機物のような下草に、彼の涙がぼたり、ぼたりと跳ね返った。
「わしが行かねば、わしが足手まといになりさえしなければ……<怪物たち>は<蝕地王>を落とせていたはずじゃ。
じゃが。
わしが<蝕地王>の毒を受け、瀕死になったとき、マリアンはわしを助けに駆けつけ、
戦いの風向きがわずかに変わってしまった。
体制を立て直した<蝕地王>は、しかし勝てるとは思わなかったのじゃろう。
自分の受けてきた悲劇を言い立て、泣き落としにかかったのじゃ。
<冒険者>も、ロビンも、そんな声など気にもしなかった。
じゃが、唯一。
マリアンだけが、その声を聞いて決意してしまったのじゃ」
「『あなたのぬぐいがたい傷を癒すため、私は<施療神官>としての全てを賭けましょう。
あなたが永遠に苦しむというなら、私が永遠に癒しましょう。
<古来種>として生を受けた私が癒しの技を磨いたのは、この時のためなのだから』」
誰かが囁き、タクフェルの号泣が響いた。
「わしが! わしがいなければ! わしがいつものように小屋で待っておったなら!
そんな世迷言など言わせず、<蝕地王>は滅び、マリアンは帰ってきておった!
わしが身の程も知らず戦いについていき、目の前で毒を受けなければ!!」
「……そして、あいつは<蝕地王>と共に封じられ――<蠢きもがく死>となった。
俺は名前を捨て、タクフェルは村を捨て、共に森に封じられた……ってわけさ」
イチイの弓をぴんと弾き、ロビン――<緑衣の男>が言うと、誰もが無言のまま、静かな時間が流れた。
いや、静かではない。
<冒険者>たちの嗚咽が響いている。
単なるクエストのはずだった。
単なる暇つぶしのゲームの、ちょっとしたイベントのはずだった。
GMに用意された、ちょっとビターなエンディングのクエストのはずだった。
何がほろ苦いだ。
これは間違いなく悲劇だ。
ロバートは、自分と同じ名前の飄々とした<古来種>の目に浮かぶ涙を見て思った。
こんなイベントを作り上げた運営スタッフに叫びたかった。
襟をつかみ上げ、ライフルを口に突きつけて謝罪させたかった。
こんなものが、催し物であってたまるか。
いや。
俺が、こんなエンディング、覆してやる。
そう、叫ぼうとした刹那。
深い、とても深い水底から響くようなアルトの声が、黙る<冒険者>の上に響いた。
「覆す」
エルだ。
「<蝕地王>の気持ちは、私には痛いほど分かる。それでも」
贖罪のために。
ロバートは、エルが音にしないまま、そう唇を動かすのを、朝の光の中に確かに見た。
続けて声がする。ユウの声だ。
「……この中で娘がいる奴はいるか?」
殺気を隠そうともしないその声に、一人残らずおきていた<冒険者>からぱらぱらと声が上がる。
「俺だ。今年で1歳」
「私も。今年10歳になるわ」
「娘はいないが、兄貴の娘が3歳だ」
「息子ならいるぜ」
その一人、肉屋に、ユウが噴火直前のマグマのような声で問いかける。
「私にも12歳の娘がいる。 ……肉屋。あんた、目の前で娘を悪党に奪われて、苦しめられ続けているとしたら、どうする」
「決まっている」
肉屋の声もまた、吹き零れそうになる激情をかろうじて抑えているといった風だった。
「ブチ殺す。娘を取り返して、あいつが苦しんだ分だけ叩きのめす。
泣こうがわめこうが、絶対に許さん」
「OK。 ……じゃあ子供がいない連中は、自分の親父がこういう風に泣いているとすれば、どうだ」
「今のこの異世界漂流が、まさにそんな感じだが」
ディムジムの苦笑したような声は、次の瞬間真剣なものに変わった。
「なんとしてでも親父の下に戻るね。 俺の親父は厳しかった。人前で泣くことなんてない。
タクフェルみたいな親父だった。
そんな親父にいつまでも、泣きっ面させていられるか。
俺は、親父の子なんだ」
「なら、私たちのやるべきことは決まったな」
ユウの声に、<冒険者>が一人残らず頷いた。
「このろくでもない結末のクエストの後始末をしに行くぞ。
みんな、クエストの最後はめでたしめでたしで終わらせないとな。
……できる限りは」
全員が、もちろん黙って聞いていたロバートも分かっている。
一旦<蠢きもがく死>というモンスターとして出現した今、マリアンをそのまま取り戻すことなど、不可能に近いことを。
たとえ<古来種>であっても元は<大地人>である以上、不死性などはないことを。
それでも。
「やろうぜ!」
拳を突き上げた仲間――このとき始めてロバートは周囲の<妖精王の都>の<冒険者>を仲間だと思った――と共に、我知らず彼もまた、叫びを上げていた。
◇
回想は唐突に途切れる。
森のうじゃうじゃとうねくる木々を掻き分けて、不気味な色合いの枝を持った異形の人影が現れようとしていた。
<蠢きもがく死>。
あんたを、父親と恋人の下へ、たとえ一瞬であっても取り戻す。
そう固く誓ったロバートの奥歯が、ぎり、とかみ合わされた。




