120. <エルの口伝>
1.
「<ヒーリングフォージ>!」
優美な声色に反してどこか荒々しい、少女の声が響いた。
荒ぶる猪のように突進したエルの手に握られた長剣が、魔剣特有の粘りを帯びた輝きを放ちながら<蝕地王>の胸に激突する。
蹈鞴を踏んだ彼に重ねての一撃。頭上から打ち下ろす<フェイスフルブレード>だ。
もともと主武器が剣ではなかった上、溜め時間も短いとあって、この技が本来持つ威力には遠く及ばなかったが、それでもその刃は、頭なき<王>の首の肉をざくりと断ち割り、よろめかせる。
「ほら、さっさと戻りなさい!!」
そうして得たわずかな時間の合間に、エルはふらふらするユウを片手で引きずりあげると、
そのまま後ろに思い切り放り投げた。
彼女が<緑衣の男>がとっさに突き出した両腕で抱きとめられるのを見て、
エルは正面に向き直って不敵に笑う。
「さて……中隊ではないにせよ、3対1だけど」
『すべては歩き去る影に過ぎぬ。何人来ようと、同じこと……それに』
「エル!」
後方で<緑衣の男>が切羽詰った叫びを上げるのを聞きながら、今度は<蝕地王>がうそりと嗤った。
『こちらも手勢が来たようだ。その女<暗殺者>、戯れに遊んでやろうと思っていたが』
声無き咆哮が轟く。
それが自分自身を除いた<蝕地王>の切り札のひとつ、<屍竜>の声であることを、
一昼夜以上に渡ってぎりぎりの追撃戦を重ねてきた<緑衣の男>はよく知っていた。
そしてその傍らには、かつての恋人にして相棒、今は<蝕地王>自身すら超える毒の怪物と化した
かつての<古来種>がいることも。
悪意を湛えた笑みのまま、エルは小さく肩をすくめた。
「まあ、これまでね。こっちも今のところ<蝕地王>とやりあう気は無いし。
せいぜい、その洗い易くなった首をしっかり拭いて待っておくことね」
『不遜な物言い、だが賢者は己の愚かさを知るという。二度と会わぬことを期待する』
「それはどうかな。だってわたしは、愚者だから」
そういい捨てて森の奥に去る3人を見送って、<蝕地王>は小さく折られたままの剣を差し上げた。
追撃しようとした<蠢きもがく死>と<屍竜>、そしてあちらこちらから虚ろな目つきで現れる死者たちの動きが、その手の一振りでぴたりと止まる。
そうして、森は静寂に包まれた。
まるで最初から、そこに命あるものは誰もいなかったかのように。
◇
「エル……なぜ、貴様が」
毒でどこか呂律の回らない口で、かろうじてユウはそれだけを言った。
そこはすでに<深き黒森のシャーウッド>の入り口近く、かつて<緑衣の男>がタクフェル老人とともに住んでいた草庵の近くだ。
無論、堅固なログハウスだったそれは、<灰斑犬鬼>やゾンビによって、まさしく踏み潰されて無残な姿をさらしている。
その、ばらばらな丸太の塊のようなそこで小さく息をつく<緑衣の男>の背から降り、
九死に一生を得た黒衣の<暗殺者>は、どこかぼやけた視点で自分を助けた二人組を見上げる。
黙って弓の手入れをし始めた<緑衣の男>に代わり、身の丈に合わない青い長剣――かつてユウ自身が止めを刺したボスモンスターの遺品――を担いだエルはふん、と鼻で笑った。
「貴様が、なに? 何でこんなイギリスの片田舎にいるのか?
なんで宿敵のあんたを助けたか? それともなんで<古来種>と一緒にいるのか、ってこと?」
「……どれもだ、答えろ、『吸血鬼の愛人』」
「……おまえ、この場で死にてえのか」
仮初の余裕すらあっさりと失い、エルがドスの利いた声で呟く。
ほかの装備と比べてやけに華やかな、鷲頭獅子の彫りこまれた金色の手甲が、
ユウの顔すれすれに突きつけられた。
ほんの一瞬で<施療神官>たるエル必殺の<ジャッジメント・レイ>を打ち込める体勢だ。
ユウも片手をさりげなく腰の近くに回す。
残った短剣で、エルの露になっている顔面を狙うつもりなのだ。
だが、そんな殺し合い一歩手前の雰囲気を、不意にビン、という音がかき乱した。
「エルといい、ユウといい、最近の<冒険者>ってのはずいぶん変わったんだな。
どうも頭に血の代わりに火酒でも入っているらしい」
弓弦の音で場の雰囲気を静めた<古来種>の男は、いがみ合う二人の女を見もせずに言い放つ。
興を殺がれたか、ユウは片手を短剣の傍から離し、エルもまた、ごつい腕を下ろした。
そのまま言う。
「まあ、お友達……ってわけじゃないからね。
むしろ殺しあうほうが自然な仲だったから」
「同意するのも忌々しいが、まあそんな感じだね」
「……まあ、何があるのかは知らないが、ここはまだ敵地なんだぜ。
喧嘩はすべておさまってからにするといい」
<緑衣の男>があきれたようにそういうと、人間とドワーフ、二人の女性はまったく同時に「ふん」と鼻を鳴らした。
◇
エルは、ヤマトサーバ、ナカスの<冒険者>だ。
つまりはユウと同じ日本人である。
アキバに『漂着』したユウと、エルとの接点は、現実で言う山口県中央部、
フォーリンパインの村で起きた吸血鬼騒ぎの時だった。
<冒険者>の姿をした<吸血鬼>が暴れている。
そんな出来事に巻き込まれたユウと当時の仲間たちの前に現れたのが、ナカスでも有名な――だが、活動実態としては既に休止して久しい――ギルドの名前を背負ったエルだった。
有能な癒し手にして歴戦の大規模戦闘要員だったエルは、
ユウたちと協力して村の周囲から吸血鬼を掃討し、本拠地である廃工場に攻め入った。
だが、それはすべて彼女の擬態でしかなかった。
ナカスで苦しむ<冒険者>を救おうとし、失敗し――絶望に満ちた彼女は、自分を癒してくれた<吸血鬼>の王の側につき、ユウたちを罠に嵌めたのだ。
彼――そう、エルもユウと同じく、本来は男性だった――を愛してくれた<不死の王>の命じるままに。
結局、エルは援軍の来ない朽ちた廃船の上にユウたちをおびき寄せ、殺そうとした。
そしてユウと仲間たちによって船を沈められ、愛する<不死の王>を一族の吸血鬼もろとも殺されて、
自らもまた、死ぬ一歩寸前まで追い込まれたのだった。
どれほど好意的に見ても、友好にあふれたとは言いがたい関係だ。
だが現在、エルはそんなユウを、地球の反対側の地で助けている。
「……で、何でだ」
事情をよく知らない<緑衣の男>に簡単に自分とエルの出会い――より一般的に言えば因縁――を伝えた後、ユウは改めてエルに尋ねた。
問いかけられたドワーフの少女は、そっぽを向いたまま答える。
「……あんたに<不死の王>を殺されて、私は何もかもどうでもよくなった。
ヤマトにも居たくなかったし、ナカスにもミナミにもアキバにも行きたくなかった。
だから最初に目に付いた<妖精の輪>に躊躇い無く飛び込んだの。
着いた先は中東サーバ……私たちが言うイラク北部ね。
そこで私は<大地人>の遊牧民の手伝いをして、この一年のほとんどを過ごしてきた」
「……」
「そのままそこで暮らして、いつか死んでもよかった。
というより、私はそうしたかった。
もう<冒険者>もモンスターもこりごりだったから」
淡々としゃべるエルの声が不意に苦味を帯びる。
「事情が変わったのは年が明けてからよ。
そいつらは商隊に偽装してやって来た。
<冒険者>がいることに気がついたあいつらは、私を仲間に引き入れようとした。
回復役……たぶん、心身ともに、という意味でね」
「そいつら?」
<緑衣の男>が問い返す。
その言葉に、エルは吐き捨てるように返した。
「<冒険者>よ」
◇
小さな焚き火すらない闇の中で、3人の男女がうずくまっている。
<緑衣の男>は闇を見通す緑の瞳で周囲を警戒しながら。
ユウは毛布に包まりながら。
そして、エルは膝を抱えて座り込んだまま。
「……連中がどこから来たのか知らないわ。白人キャラが多かったから、西欧サーバかもしれない。
でもそんなことはどうでもよかった。
連中の目的は金目のものや素材を奪い、男を殺して女を犯して別の場所に行くことだけだった。
私は急に怖くなった。
自分で望んで得た女の肉体が連中にどう映るか、理解したから。
でも砂漠の真ん中で逃げ道はないし、帰還呪文を唱えればヤマトに戻ってしまう。
だから戦ったの。
暗闇で、こっそりと、お世話になった<大地人>家族を逃がしてからね。
連中が本性を見せるのは夜明け前だということを、私は小耳に挟んでいたから
深夜に私は行動を始めた。
でも連中はさすがに、私がいるところで油断なんてしていなかった。
あっさり殺されかけ、わたしは祈った。
誰でも、何でもいいからこの場に勝てる方法を教えてくださいって。
その時閃いたの。
<デボーション>を」
「<デボーション>?」
ユウが思わず口を挟んだ。
その名前は閃くどころか、<施療神官>の特技の名前だ。
あらかじめ仲間を指定しておき、その仲間が受けたダメージを<施療神官>自身に移し変える。
攻撃に伴う追加効果こそ無効化するものの、ダメージそのものは軽減されずに<施療神官>に来るため、
なまじ防御力に劣ったキャラでは大ダメージで戦線離脱もありえるという、諸刃の特技だ。
エルのような前線で戦闘もできる<施療神官>――いわゆる殴り神官には使いでがいいものの、取り立てて特筆すべきものではない。
しかも、話の中でエルには仲間はいない。
仲間のダメージを肩代わりするのが<デボーション>なのだから、エルの置かれた状況下では無意味を通り越して、使うことすらできない特技のはずだった。
<緑衣の男>も相棒―<蠢きもがく死>――が<施療神官>だったことから知っているのだろうが、
こちらは事情を知っているのか、しれっとした表情で腰の水袋から葡萄酒を飲んでいる。
一人、腑に落ちない顔のユウを見て、エルはかすかに笑うと、小さく指を上げた。
「……<デボーション>。ユウ、あんたちょっとわたしを斬ってみて」
「は?」
「小さく」
疑問符を浮かべながらも、短剣を取り出したユウが身を起こし、エルを小さく切る。
しかし、「痛」と小さく叫んだのはエルではなく、ユウ自身だった。
見ると、ユウが切ったはずのエルの指には傷ひとつ無く、ユウの指のまったく同じ箇所がすぱりと切れている。
「これは……?」
「<口伝>か」
「そう」
ユウに、エルは小さく頷いた。
<口伝>。
<初伝><中伝><奥伝><秘伝>とある、<エルダー・テイル>の特技習熟システムのさらに先にあるといわれる技だ。
その正体は杳として知れず、どのようなものか、いや、本当にあるのかどうかさえ分からない。
どのようなものなのかも、当然知られていないままだ。
世界各地でそうした<既存の技を超える技>の噂は流れていたが、実物を見た人間はほとんどおらず、
ただ、世界各地で名を馳せる強者や、アキバやミナミのトッププレイヤーたちの強さを称して
『あれは<口伝>を極めたからだ』
と言われているに過ぎない。
噂では、<ノウアスフィアの開墾>で開放された新たなレイドダンジョンをクリアしたものだけの栄誉だと言う。
あるいは既存のそれをはるかに超える難易度のレシピを作り上げたもののみが手にできるとも。
無論、ユウもそのようなものは持っていない。
だが、ユウは2回だけ、<口伝>の片鱗ともいえるものを目にしたことがある。
一度目はほかならぬエルとの戦いの時だ。
あの時、ユウは自分の周囲にあった素材を目の前で混ぜ合わせ、周囲の火に放り込むことで、
瞬時に<強酸>の毒を作り上げた。
ただし、ユウ自身はあれを<口伝>だとは思っていない。単なる工夫だ。
だが、ゲーム時代ではできない行動だったことは事実だった。
二度目が冬のアキバで、少女たちの戦闘を見ていた時だ。
あの時、殺人鬼と対峙した小柄で勇敢な少女<暗殺者>は、一瞬ではあるがゲーム時代には無い技を使って見せた。
原理どころか、どんな技だったかも分からないものの、それは確かに別の技だった。
目の前のエルの、『自分の傷を相手に移す』<デボーション>と同じように。
「エル……その技を、どうやって」
「知らない。いつの間にか使えるようになった」
あっさりと肩をすくめると、エルは続きを語りだした。
「暗闇で不意に、私以外の誰かに攻撃される。
彼らはそれだけで混乱した。
<大地人>たちを無事に逃がすと、私もそのまま逃げた。
逃げて、逃げた先で<鷲獅子王の手甲>を手に入れて。
私のような人間でも迎えてくれた女の人たちと少し一緒にいて。
それからここに来たの。
この<深き黒森のシャーウッド>に来たのは偶然よ。
もう『枯れた』ダンジョンだし、訓練代わりに<灰斑犬鬼>を狩りに来ただけ……だったんだけどね」
苦笑するところを見ると、本当に単なる散歩代わりだったのだろう。
レイドダンジョンに散歩と言うのも変な話だが、クエストが終わったダンジョンは、総じてボス以外の敵が残っていることが多い。
しかもダンジョンということで出口もはっきりしているため、かえって行動パターンも構築しやすく、腕試しとばかりにそうしたダンジョンにもぐる<冒険者>の話はユウも聞いたことがあった。
実際、ゲーム時代でも10年以上前のハイエンドクエストの舞台が、初心者訓練の場だったりすることはままあるのだ。
だが、今回は運が悪いとしか言いようが無い。
彼女がどのタイミングで<深き黒森のシャーウッド>に潜ったのかは分からないものの、
結局彼女はどこかのタイミングで、一人逃走を続ける<緑衣の男>と合流していたのだ。
「助かったよ。彼女のこの技は攻撃力の高い敵と相性がいい。
王自身の攻撃で、あいつの動きを止められたから、何とか逃げられたのさ」
水袋から口を離し、そういって<緑衣の男>が肩をすくめて、話は終わった。
2.
「……さて。これからどうする」
「今のうちに一旦地上に出たほうがいいだろう」
答えたのはユウだ。
少し休んで精神的な疲労感も抜けたのか、いつものふてぶてしい表情に戻っている。
そんな彼女に頷いたのはエルだった。
彼女も、これまでのことを簡単ながらに話したからか、当初の殺気立った表情は既に無い。
いや、むしろ彼女の顔に見えるのは自信だ。
<エルダー・テイル>のプレイヤー――その中に少なからずいる<施療神官>たちに先駆けて口伝を得たことが、彼女の中でひとつのアイデンティティになっているのだろう。
それが、彼女を報われぬ復讐鬼から、かつての『彼』――有能で冷静なレイダーへと戻らせている。
「そうね。……いくら90レベルオーバーの<冒険者>が二人に<古来種>がいるとはいえ、
3人だけでレイドボスと中ボス2匹を相手にするのは危険すぎる。
ましてその全部が毒もちとなれば、回復も間に合わない。
……地上に戻ったとして、二人とも援軍の当てはある?」
「残念ながら、僕には無いね。<赤枝の騎士団>はもういないし、タクフェルは<大地人>だし。
ロバートはレベルが低い」
「うまくロバートが仲間を呼んでくれればいいんだけども……後は北欧サーバには知り合いがいるけど、北ドイツだからね……」
「……とりあえず戻ろう。少なくともここでは安眠もできそうに無い」
エルががしゃりと鎧をきしませて立ち上がると、二人もそろって立ち上がる。
先ほどから森の奥にかすかに揺れる光がある。
<灰斑犬鬼>だ。
一匹二匹は問題ではないが、数を頼んでこられると先日の二の舞になりかねなかった。
「戻って、それから考えよう。<蝕地王>も中規模のレイドクエストのボスだ。
決して絶対に倒せない相手じゃない」
◇
コーンウォールの小さな村は、空前の出来事に遭遇していたと言ってよいだろう。
黒い森に住むタクフェルが逃げてきた時は、どういうことかと村人一同で不安な顔を見合わせたが、
それから半日もしないうちに、思いもよらない人々がやってきたのだ。
<冒険者>。
<鷲頭獅子>や<天馬>など、空中を移動できる騎乗生物に乗った部隊を先触れに、<魔海獣>に曳かせた無数の船で百人規模の<冒険者>が村に上陸したのだ。
<封印の森>と海とによって、外界と半ば隔絶していたこの村にとって、<冒険者>はロバートとユウを除けば、ほとんど伝承か神話の生き物に等しい。
その多くがエルフであり、華麗な装飾の武器を持ち、流麗な文様を描いた鎧をまとっているとなればなおさらのことだ。
土下座せんばかりにまろびでた村長に対し、一団の長――<妖精王の都>の有力者であるルシウス――は高圧的に食事と宿の提供を命じたが、<冒険者>たちの放つきらめくような輝きに気おされた<大地人>たちには不満の持ちようも無い。
<冒険者>たちの片隅で所在なげにしていたロバートに声をかける村人もいなかった。
同じ<冒険者>に囲まれたロバートは、いつもの『気のいい狩人のロビン』ではなく、『英雄』の一人なのだ。
「……もしや皆様、あの<黒森>の化け物を退治に?」
「そういうことだ」
おそるおそる問いかけた村長にどうでもよさそうに答えながらも、ルシウスは慌てず村のあちこちに視線を走らせた。
それだけでなく、すかさず歩哨を立てて、村に来る人間を警戒している。
すべてはロバートが語った、『94レベルの<毒使い>』を誰よりも――共に来ているスカサハやアルバのギルドのメンバーよりも――早く見つけるためだ。
ルシウスは当たり前のことながら、手に入れた情報をスカサハにもアルバにも、会議に出なかったマナナンにも渡すつもりは無い。
いや、極論を言えば自分以外の誰にも渡すつもりなど無かった。
レベルが絶対的な指標であるこの世界において、90レベルの壁を突破するのがどのようなものか。
それによって得られる恩恵は計り知れないのだ。
そんな中、彼の耳に念話が届く。部下の一人からだ。
『街道から人影。3人です。見たところ、女が二人、ドワーフと人間。男が一人、緑の服の男です』
「それだ……すぐに接触しろ。その場を動かせるな。私もすぐに行く」
口の端だけでほくそ笑むと、まだ何かを訴えていた村長をあっさり無視して、ルシウスはマントを翻した。
3.
ルシウスがその場にたどり着いた時、彼の部下はやって来た3人と押し問答をしているところだった。
その、決して友好的でない雰囲気に、部下の無能を感じたルシウスの額に青筋が浮かぶ。
だが、次の瞬間にはそれは消えていた。
よくない雰囲気と言うことは、この部下は目の前の<古来種>たちからまともな情報は得ていないだろう。
「やあ、異国の<冒険者>どの。よくぞ戻ってこられた」
「……はあ?」
両手を掲げたルシウスの友好的な笑みを無視し、真っ先に目をやった黒髪の女<暗殺者>が胡乱な視線を向ける。
その無礼への不快感を押し殺し、ルシウスは笑みを絶やさないまま言葉を続けた。
「ご不審も無理は無い。私はルシウス。<妖精王の都>でギルド<光の矢>を率いています。
あなたがたのご友人、ロバート氏の救援要請に応じ、レイド攻略のためにかけつけた次第で」
「ああ……それは」
<暗殺者>が愁眉を開いた。ほかの二人も安心したように名前を名乗る。
ルシウスが率いてきた<冒険者>が100人近いと聞いて、その表情はますます緩んだ。
「いや、<古来種>にヤマトから来た94レベルに、93レベルの<冒険者>とは。頼もしい。
一緒にレイドを攻略しましょう。なに、古い中隊規模戦闘のボスなど、簡単なものです」
ルシウスが大言壮語を吐いている横で、ふとユウが耳に手をやった。
「……あ、失礼。念話です」
片手を挙げた彼女に鷹揚に手を振りながら、ルシウスはすかさず自らもこっそりと念話を繋げた。
つなげる相手は無論、ロバートを常時監視している部下へだ。
「……ロバートはどうしている」
『さっきトイレと言って』
「馬鹿!余計なことを吹き込まれる前に取り押さえろ! すぐにだ! 行け!」
は、はい、と答える部下の声が終わる前に念話をきると、こっそりとユウを見る。
彼女の表情はさほど変わっていないが、小さく首を振ると近づいてきた。
「どうなされた?」
「いや……ロバートからの念話だったのですが、何か言う前に切れてしまって」
「彼も疲れたのでしょう、われわれを先導してくれたのですからね。
今は休んでいるはずですよ。あとで会いに行かれるとよい」
「そうですか……」
どこか腑に落ちない表情のユウにいいかぶせるように、ルシウスが言った。
「状況は流動的ですが、レイドは放置してよくなることはない。
もしよければ、我々で先行し、<封印の森>でキャンプしようではありませんか。
私のギルドも疲れているので、明日合流して攻め落としましょう」
ユウ、エル、<緑衣の男>が曖昧な表情で頷くのを見て、ルシウスはにんまりと笑みがこぼれるのを感じた。
一昼夜の時間がある。
<古来種>はともかく、ロバートの友人という――嘘に満ちた――立場をうまく使って秘密を喋らせるには十分な時間だ。
それに、なまじ真意がもれても問題ない。
どうせ中隊規模戦闘には、何をどうあがいても、ルシウスと彼の率いる大隊の協力は不可欠なのだから。
◇
夢の中で、誰かが戦っている。
中心で周囲の仲間に檄を飛ばしているのは、ひときわ雄偉な体格の<冒険者>だ。
戦陣で鍛え抜かれたかのような硬質な声が、仲間たちを鼓舞している。
「前衛抑えろ!<屍竜>の攻撃は状態異常特性効果で凌げ!」
「おうっ!」
「DPSまわして掃討急げ!25秒だ!」
「任せなさい!」
「<吟遊詩人>!」
狼牙族を通り越し、狼そのものの頭をした男が吼え、どこかあの、西武蔵坊レオ丸の従者に似た妖艶で顔色の悪い女性が、鎧に包まれた黒いゴシックドレスをひらめかせて走る。
そして、<吟遊詩人>と呼ばれた男は、幻想的な意匠のチェロをどかりと大地に刺した。
「走れ、異形の勇者たち!さんざめく星の無き黒い森を、古の王と騎士たちを救うため……!」
叫びが歌になり、歌が力になる。
まるで神話の時代の一場面のようなその場所で、砂色の髪が揺れる。
呪歌は、魔法だ。
それは、<冒険者>ではなく<人間>が放ち、<人間>の心を奮い立たせる、魔法なのだ。
「<毒血の杯>! 来るぞ! 前衛!!」
ユウ自身も味わった無数の状態異常付与攻撃が一団を襲う。
だが、それらに耐え抜いた彼らの目に、光を失ったものはひとつも無い。
隣で矢を射はなしていた緑の服の弓兵と、黒い髪の<施療神官>が小さく驚きの声を上げた。
その声にこたえるように、ひときわ雄雄しい声が上がる。
「さあ、レイドはこれからだ! 俺たち<怪物たち>の真骨頂はこれからだぜ!
砦は守った、もう連中は恐れることは無い!」
◇
目覚めは、夕暮れの光の中だった。
逆行の中で自分を見つめるルシウスの輝くようなエルフの美貌に、ユウはなぜか、背筋を冷たいものが這い登るのを感じた。




