番外14. <夢見る騎士と夢見る毒使い> (後編)
後編になります。
F様、ありがとうございました。
なお、本作における夢見る弩砲騎士ほか、PKキャラたちは、
すべてF様のアイデアを頂き、作成しました。
重ねて御礼申し上げます。
2.
奇襲とは、戦術の基本である。
どれほど互いに戦力を揃えた決戦であっても、戦場のどこかで敵の意表をつかなければ勝利の確率は着実に減っていく。
戦略予備、という役割を割り振られた部隊が文字通り重要なのはそのためだ。
彼らは、敵の予想もしないところに、予想もつかない戦力を叩きつけるからこそ、古来から重んじられてきたのだ。
敵味方数十万人が入り乱れる戦いでなくても、奇襲は常に重視され続けてきた。
そして今。
5人の男たちから成るPK一行もまた、自らが成した奇襲による勝利に目がくらみ、
他の者が自分たちを奇襲するなどとは思っても見なかった。
◇
「見えたぞー」
機巧侍ののんびりした声が、遠くに見えるビル群に向けられた。
ただの廃墟にしか見えないそれは、生まれ故郷ならざる異世界にいる彼らにとって
かけがえのない塒だ。
相変わらず兜に隠れて表情の見えない弩砲騎士を除く4人の顔がほっと緩んだ。
「今日もまあまあ楽しかったね」
バラパラムの声に、弩砲騎士が頷いた。
内心で、ふと考える。
弩砲騎士は<エルダー・テイル>がゲームだった時代から、彼ら全員と付き合っていたわけではない。
ゲームだった当時の仲間たち――夢追い中毒の仲間とは、バラパラムを除いて<大災害>以降連絡も取らないままだ。
そもそも、弩砲騎士はゲーム時代からのPKではなかった。
バラパラムと清祥もそうだ。
ゲームのキャラクターに自分がなる。
その異常な事態に遭遇した弩砲騎士がまず感じたのは、寂しさでも望郷の念でもなかった。
今まで画面の中で見ていた、自分の分身、『夢見る弩砲騎士』。
騎士というより人型をした戦車のような『自分』はどれほど強いのか。
沈鬱に沈むアキバの街の片隅で、ほかの多くのプレイヤー同様、途方に暮れながらも
弩砲騎士の頭にこびりついていたのは、その一事だった。
その思いは日に日に強くなった。
90レベルである彼に、アキバ周辺のモンスターが相手になるわけもない。
<シンジュク御苑地下ダンジョン>あたりまで足を伸ばせば別だが、開けたところでの遠距離戦が得意な彼にとって、広大な地下迷宮に単身で挑む気はさすがになかった。
そんな時、ふと思ったのだ。
『強い敵』ならいくらでも周りにいるではないか、と。
旧<夢追い中毒共>で最初に合流したバラパラムと共に、
弩砲騎士は町の外に出、暴虐を働こうとした別の<冒険者>を倒した。
そのときに感じた焼けた鋼鉄の臭い、攻撃にも耐え切る強靭な肉体、何より手にした弩砲。
戦いが終わったとき、諸々のものに弩砲騎士は惑溺していた。
自分の力に。
威力に。
『強い』という、ただその一言に。
バラパラムの制止もむなしく、彼の弩砲の狙う先が、悪徳プレイヤーから一般のプレイヤーに広がるまで、さほど時間を必要としなかった。
2人で始めたPKに、同じく自分の力を歪んだ形であっても試したかった清祥が加わり、
彼らを狙って逆に叩きのめされた機巧侍とカランドリッツが加わって、
そして今の彼らになった。
◇
弩砲騎士の中の良識は、今の自分を唾棄すべきものと思う。
いくら死んでも蘇るとはいえ、相手は同じ<冒険者>――プレイヤーだ。
だが、同時に別の思いもある。
いくらリアルな五感を感じるようになったとはいえ、ここは<エルダー・テイル>の世界――ゲームだ。
ゲームの中でプレイヤーを殺すことにどうこう言っていては、たとえばFPSなど出来はしない。
いや。
世界に溢れる諸々のアクションゲームやロールプレイングゲームは、ゲーマーの夢である仮想現実が普及すると同時に滅びてしまうだろう。
人間は、所詮は猿なのだ。
同族殺しすら厭わぬ生物の裔なのだ。
ならば、この仮想現実の世界で、<冒険者>を殺そうがNPCを殺そうが関係ない。
全力を尽くして戦えれば、それでいいのだ。
そう、彼が内心で無理やりにも納得したとき、バラパラムの声が兜を通して彼の耳に届いた。
「お。出迎えですね」
見れば、一緒に暮らす<大地人>たちの何人かが、雑居ビルを出て手を振っている。
人殺しではあっても、弩砲騎士たちは彼らに取り、悪辣な<冒険者>や、<大地人>の山賊、夜盗たちから自分たちを守ってくれる存在だ。
彼らに、機巧侍が手を振り返し、5人はやや急ぎ足で家路を急ぎ始めた。
そんな中。
弩砲騎士の目が、ふと違和感を捉える。
どこがどう、というものでもない。
だが、かすかに見える<大地人>たちの表情は、やけに真剣ではないか?
振る手は、必死すぎはしないだろうか。
「……見誤りか?」
弩砲騎士がそう言った瞬間、先頭を歩いていた清祥が爆発した。
「……え」
それが<神祇官>の最期の言葉だった。
村に向かうかつての舗装道路、その一角に奇妙にコンクリートが残った一角だ。
両脇が崩壊し、まるで細い橋のごとく中央分離帯が残ったその道が、
上に立った清祥ごと根こそぎ吹き飛んだのだ。
地面を揺るがすような爆発の煙が晴れた後は、何も残っていない。
文字通り消し飛ばされたのだった。
「……な」
飄々としたいつもの態度も忘れ、カランドリッツが目を丸く開く。
その目が、村人たちの足が何かに縛られているのに気づく前に、それは現れた。
黒い影。
長い黒髪に半ば隠された目は狂的な光を宿し、4人のPKをじっと見つめている。
どこから出てきたのか。
目のいいカランドリッツすら、一瞬で地面から生えたようにしか思えない。
女だ。
<暗殺者>――そう4人が気づくより前に、その人物――ユウは冷たく告げていた。
「死ね、クソども」
◇
ユウがその日、アキバを避けて北に向かったのはまったくの偶然というわけでもない。
そもそも、普段の彼女は、どちらかというとアキバの周辺ゾーンから離れることはない。
そのあたりは狩や訓練に出かける<冒険者>も多く――必然的に諍いも多いからだった。
ある意味で、彼女は弩砲騎士以上に狂っていた。
理不尽への怒り、それが人殺しに手を染めるきっかけだったのは弩砲騎士と変わりがない。
だが、ユウはごく短期間で、その怒りを<冒険者>全体に敷衍してしまっている。
終わりなく互いに争い、<大地人>を虐げ、欲望のままに振舞う<冒険者>。
徒党を組み、数が多いレベルが高いと、くだらないことで縄張り争いを繰り返す<冒険者>。
生きる価値すらない、ゴミ溜めの中のクズ。
そんな彼女が、大砲と見紛うばかりの弩を操る<守護戦士>に率いられるPK集団の噂を聞いたのは、必然であったろう。
PK。ゴミの中のゴミ。
自分もまた同類であることを棚に上げ、ユウは彼らを探しに遠出したのだった。
◇
「襲撃!!」
バラパラムの叫びに、全員がそれぞれの武器を抜く。
最も早いのはカランドリッツだ。
怒りに任せ、剣と杖を抜いた彼に、黒衣の理不尽が走る。
「<アス……」
「<シャドウバインド>」
速度を誇るはずの<猫人族>の足が止まった。
ユウの投げつけた短剣が、彼の影を貫き、動きを封じたのだ。
わずか数秒。
だが、その数秒が彼の命運を絶った。
「ほげぶ」
長く伸びたカランドリッツの猫の髯――びよんと突き出たそれをユウがつかむと、足元の短剣を蹴り飛ばしざま、動けるようになった<付与術師>を引きずり倒す。
毛に覆われたその首筋に、ユウの刀――<堕ちたる蛇の牙>が振り下ろされた。
「<アサシネイト>」
わずかに一撃。
数時間前の<守護戦士>ユーバートさながらに、カランドリッツの首が音を立てて飛ぶ。
切断面がやけに赤いそれが、ころころ、とバラパラムの足元に落ち、彼は思わず悲鳴を飲み込んだ。
ゆっくりと立ち上がったユウが、返り血で真っ赤な姿を隠そうともせず、残る3人を見据える。
「……卑怯な!」
「貴様も十分卑怯卑劣だろう、PK野郎」
言葉を交わすや否やユウが走り、開いた口をそのままに機巧侍が弓を放った。
同時に彼もまた一気に加速する。
<電光石火>だ。
その後ろではバラパラムが呪歌を歌い始め、弩砲騎士が無言のままに弩を構えた。
「<百舌の早贄>!」
弓から刀に組み替えた機巧侍のからくり仕掛けの刃と、ユウの二本の刃が噛み合った。
瞬時に両者は駆け違い、互いにナイフを飛ばす。
その一本、ユウの投げた刃が機巧侍の鎧の継ぎ目を縫って突き刺さった。
「あがっ!?」
突如としてHPが急速に減り始めたことに、機巧侍の腰が思わず落ちた。
もともと彼は<法儀族>だ。同職の<武士>たちと比べるとHPは低い。
「機巧侍! HPにかまうな! 呪薬使え!」
「……わ、わか、わかった」
毒とわかった機巧侍が、それでも十分に早く鞄から呪薬を取り出そうとする。
その瞬間、彼はいきなり口から血の混じった泡を吹いた。
「機巧侍!?」
バラパラムの悲鳴と共に、弩砲騎士の弩が放たれる。
それを間一髪の差でよけたユウが、泡を噴きながら痙攣する機巧侍を見てぺっと唾を吐いた。
「……効果発動が遅いな。改良の余地がある」
「貴様!?」
「見ろ」
ユウがすっと伸ばした手に、つられるようにバラパラムが彼女の指す方角を見た。
立て続けに弩を放つ弩砲騎士も、兜の後ろでちらりと視線を向ける。
そこには、機巧侍がいた。
いや、そうあっていたものだ。
だが、目の前で輝きながらボコボコと波打つ肉の塊は、人ではない。
目玉を、壊れたフクロウ時計のようにグルグルと回しながら、機巧侍は涙を流して言った。
「お、おれは、どうなったんです?
旦那、あがっ、お、おれは」
砲撃が止んだ中、ユウは空中でくるりと回って痙攣する機巧侍のそばに着地すると、
その頭を容赦なく蹴り飛ばした。
血反吐を吐いて機巧侍が飛ぶ。
空気が抜けつつあるゴム毬のように、奇妙な軌跡を描いて飛んで落ちた彼を、ユウは楽しそうに見た。
「な、なにを、したんだ……」
バラパラムのカラカラに乾いた喉から、辛うじて声が漏れた。
僅かな間にかすれ切ったその音色が、彼の受けた衝撃の大きさを物語っている。
対してユウはいつもの通りだ。
「別に。毒を打ち込んでやっただけだ」
「だが!あんな体が異様にうねるなんて効果の毒、見たことがないじゃないか!」
恐慌に近い声に、心底馬鹿にし切ったユウの返事が被せられた。
「そりゃあ、そうだろう。当方オリジナルの毒だからな。<窒息>効果のある<酸素喰い>の花、それと<痙攣>の毒を、<外観再決定ポーション>で伸ばしたものだ。
<外観再決定ポーション>は自分で使ってもよかったんだが……好奇心が勝ってしまった。
今、機巧侍は低酸素状態のまま、自分の肉体すらイメージできず踊っているところさ。
途中で効果が切れなければ、最後はよくわからん肉球になるか、スライムみたいになるだろうね」
こともなげに肩をすくめたユウの、その発言の内容よりも、むしろ酷薄な口調に、
バラパラムが怯えた目を向ける。
「な……なぜ、そこまで酷いことを……」
「人殺し共だからに決まってるじゃないか」
「そんな!!」
バラパラムの爆発したような怒声が響いた。
いまだに無言のままだが、弩砲騎士もまた、殺意に満ちた視線をユウに向けている。
二つの視線を受け流し、ユウは心底楽しそうに言った。
「わざわざ望んでゴミになったくせに、掃除機の前で逆切れとは面白いヤツだ。
なに、こいつは試作品だからね。どっかの時点で戻るだろう。
そのときに元の機巧侍かどうかは保証しかねるが」
くすくすと笑う美女の後ろで、機巧侍の悲鳴が響いた。
<武士>ゆえの防御力の高さのためか、半ば酸欠に喘ぎながらも死ぬに死ねないのだ。
その顔色は青く、目から血の涙を流し、口からはとめどなく泡と吐瀉物の混じった黄色い液体が吹き零れている。
たくましかった全身は、ゴムでできた人形のようにうねり、内部にもうひとつの生き物がいるかのように膨張と収縮を繰り返していた。
「……狂人め!」
バラパラムの叫びが、わずかな対話の時間の終わりを告げた。
「弩砲騎士! 砲撃に専念してください!」
言いざま、バラパラムが前に立つ。
前衛だったカランドリッツが殺され、機巧侍が無力化された今、
バラパラムが前に出、後方から弩砲騎士が砲撃を叩き込むほかはない。
弩砲騎士には、ある意味で致命的とも言える弱点がある。
顔までも重装甲に覆われた彼には、致命的なまでに視界が狭いのだ。
バラパラムは腹をくくった。
近接戦闘の申し子とも言える<暗殺者>相手に接近戦をしつつ、
弩砲騎士に最適な砲撃先を指示する。
いわば航空機の爆撃における弾着観測班だ。
ナイフの一撃で<武士>すら昏倒させる相手に対し、それを成す。
危険極まりない行動だが、バラパラムは躊躇しなかった。
彼もまた、<夢追い中毒共>のメンバーだった。
ゲームの有利不利など考えず、ただひたすらに己の強さを磨くギルドのメンバーだった。
だからこそ、どれほど困難な闘いでも背を向けることだけはしなかった。
「<猛攻のプレリュード>!<剣速のエチュード>!」
曲を口だけで奏でながら、バラパラムは走る。
ユウや、かつての仲間であるバルタザールほどではないにせよ、彼もまた速度に特化した<吟遊詩人>だ。
後ろで煙が吹き上がった。
脚部に装着された推進補助機を弩砲騎士が起動したのだ。
両手の剣が渦を巻き、ユウの同じく両手の刀に迫った。
それをすり抜け、ユウの手から短剣が飛ぶ。
刀を一瞬離して放たれたそれを、バラパラムは首をひねってかわす。
「試射!」
バラパラムの言葉と共に、弩砲が放たれた。
やや小さいが取り回しが良く、弩砲にしては命中率も速射能力も高い。
それはかろうじて体を翻したユウの背中を飛びぬけた。
続いて放たれる短剣をよけたバラパラムの首に刃が迫った。
すぐ前で自分を見上げるユウの表情には何も――怒りも嘲笑もない。
それはあたかも、人型機械に似ていた。
あるいは、怨霊か。
続いて放たれる弩砲もユウはかわす。
その彼女に、バラパラムは最初の罠を張った。
あえて剣を小刻みに振る。威力ではない。
ユウの刀を押さえるのが目的だ。
「ふん」
鼻で笑う彼女の髪の、その血なまぐさい香りを嗅ぎながら、バラパラムは剣を離した。
飛びぬけようとするユウの足を、両手がつかみとめる。
「……なっ!?」
ユウがはじめてあせった声を出した。
まさか互いの肌を交差させるような接近戦の中で、バラパラムが武器を離すとは思わなかったのだ。
だが、彼はした。
アメフトのタックルのような姿勢でユウの両足を抱えたまま、バラパラムは叫んだ。
「弩砲騎士! 効力射!!」
3.
呪歌が響く中、弩砲騎士はそれでも冷静に、だがすばやく攻撃を整えていた。
内心には憎悪も無論あるが、ほんのかすかに喜びがある。
目の前の、名前すらまだ確認していない襲撃者は強敵だ。
速度特化の<暗殺者>に加えて正体不明の毒を操るとなれば、弩砲騎士にとっては決して相性のいい相手ではない。
それでも。
強敵と戦うということに、弩砲騎士の中のどうしようもない戦闘中毒な部分が喜びの雄たけびを上げている。
「砲身固定。射角良好。射撃位置……固定」
口早に呟きながら、弩砲騎士は目の前で仲間が必死に抑えている<暗殺者>を見た。
ユウは転びそうな体をかろうじて確保しつつ、バラパラムの腕といわず頭といわず、刀を闇雲に振り下ろしている。
肩は裂かれ、片腕はほぼ皮一枚を残してちぎれ飛び、顔面は鑢で削られたかのように切り裂かれている。
凄惨な姿だ。
HPももはやわずかしか残されていない。
おそらく後数秒で、バラパラムもまた死ぬだろう。
だが、それでも仲間が一瞬作ってくれた隙を、弩砲騎士は無駄にする気はなかった。
「装填」
鉄塊が落とされる。
「射撃よし」
弩砲騎士の一瞬が長く、遥かに長く伸びる。
そして。
「<オンスロート>!!」
バラパラムが巻き込まれることを承知の上で、弩砲騎士の放った矢は、ユウの一瞬無防備になった顔面に当たり、彼女をバラパラムと共に大きく跳ね上げていた。
その足にかろうじて繋がっていたバラパラムがかすかに呻く。
「…………<アルペジオ>」
周囲すべてを攻撃する自分を中心とした範囲型無指定攻撃。
打ち上げられたユウの頭蓋を叩き潰す勢いで、周囲に浮かび上がった音符が、ユウの全身に火花を上げたのだ。
バラパラムが選んだ<吟遊詩人>とは特殊な職業だ。
パーティのダメージソースとして期待される武器攻撃職にカテゴライズされていながら他の二職――<暗殺者>や<盗剣士>に対し、<吟遊詩人>は単純な攻撃力では大きく劣る。
敵1体に対しての攻撃力で全12職最高を誇る<暗殺者>。
強大な戦場制圧力で多数の敵を圧倒する<盗剣士>。
単独では、<吟遊詩人>は彼らに勝つことは難しい。
だが、それは<吟遊詩人>が弱いということとイコールではない。
彼らの技は、パーティ戦でこそその真価を発揮するのだ。
特に、夢見る弩砲騎士のような、攻撃力に優れたパートナーを得たとき、彼らの価値は倍加する。
武器がなくても、自分の周囲にいる敵に無差別に着弾する<アルペジオ>。
バラパラムが放ったこの特技は、無傷だったユウのHPをさらに削り落とし、赤い警告灯を脳裏に描かせていた。
鈍い音が響く。
上空数十メートルから、ユウの肉体がアスファルトに激突した音だ。
しばらくたって、ユウよりもさらに粘着質の音が響いた。
瀕死のバラパラムが、ぼろきれのように落ちた音だった。
静寂が訪れる。
文字通り爆撃された直後のように動かないユウを、照星を通して弩砲騎士は見つめていた。
なぜ、この黒衣の<暗殺者>が自分たちを襲ったのか。
彼女はいったい何者なのか。
そうした疑問は、今はどうでもいい。
だが、問答無用で砲煙弾雨に沈める前に、弩砲騎士は――きわめて珍しいことではあるが――会話をしようという気になっていた。
それは憐憫ではない。
このまま殺せば、ユウはアキバへ転送されることになる。
ということは、ユウは再び弩砲騎士たちを狙って戻ってくることになるだろう。
元来、奇襲は多くの<暗殺者>が得手とする戦法だ。
今回のように5人でまとまったときではなく、たとえば寝ている間に個別に襲われでもすれば
いかに歴戦の弩砲騎士たちとはいえ勝てるとは言いがたくなる。
だからこそ、彼女の行動指針を知り、可能であればこれ以上の襲撃を断念させねばならなかった。
PKであっても、アキバを離れようとは思わない弩砲騎士にとっては、それが最善手だったのだ。
「おい」
わずかに頭を持ち上げたユウに、弩砲騎士の冷たい声が響いた。
「お前、なぜわざわざ俺たちを攻める。PKならほかにいくらでもいるだろう」
「……<アトルフィブレイク>」
投げつけられた短剣をひょい、とかわして、弩砲騎士は辛抱強く口を開いた。
「お前は俺たちに何かの恨みでもあるのか」
「……ゴミは駆除する」
「……俺たちの村にいた<大地人>は、直接PK行為に加担していたわけじゃない。
俺たちの戦利品で何らかの利益を得ていたわけでもない。
単に俺たちを迎え入れ、寝床を提供してくれていただけだ。
お前は、彼らをなんらかの理由で動けなくさせたな」
「ゴミの仲間もゴミだ」
「……お前のことは噂で聞いていたぞ。アキバ周辺ゾーンに跳梁するネカマの<暗殺者>。
単独でどんな相手にでも挑み、凄惨に殺して去っていく。
低レベルに加担するとか、正義があるほうに加担するとかではない。
一方的に有無を言わさず断罪し、文句がある連中は切り倒し、何人もの<冒険者>にトラウマを与えているとな。
その行動に、お前は何らかの正義があるのか。
それとも復讐者気取りの快楽殺人者か」
「……何とでも、言え…」
ごろり、と仰向けになってユウはささくれた地面に寝転んだ。
いいながらも、脇にこっそりと置いていた呪薬を気づかれないように口に運ぶ。
「私は<冒険者>が大嫌いだ。
だから殺す。この世界で強くなったつもりになっている馬鹿どもに現実という奴を教え込んでやる。
お前らが、何のとりえもない、立場も能力も金も地位も家族も何もない、
人生の最底辺のゴミニートの成れの果てだと教えてやる」
「お前もそうじゃないのか、ネットゲーマーでそうでない奴なんて……いや、生きている奴でそうでない奴はいるのか?」
独善的で身勝手な、ユウの反論に弩砲騎士は舌打ちして返した。
「お前の言う『とりえのある奴』とはなんだ?
仕事や学業に精を出し、家族があって収入があって地位がある奴のことか?
そういう奴以外は全員殺すのか?
ではそれを断罪するお前は何だ? 現実の弩砲騎士を、お前は何か知っているのか?
お前は、この世界に放り込まれた理不尽を、ほかの<冒険者>に八つ当たりすることで晴らしているだけではないのか?」
なおも死に切れない機巧侍の、呪詛のような呻きが漂う中、弩砲騎士は彼にしては珍しく
長い言葉でユウに語りかけた。
「お前が俺を狙ったのはそんなことのためなのか?
いや……俺たちも殺人者だ。
お前の言葉を正義漢ぶって否定する気はない。
だがな。
俺たちは戦いたくて、殺しあいたくて殺し合いをしてきた。
その言葉に嘘はない。
お前の言葉には嘘がある。
お前は、本当は、俺たちと――俺と同じだ。
戦いたくて、殺し合いたいから殺しに来たんだろう。
なら、そう言え。
きれいごとの断罪でお茶を濁すな。
俺たちが気に入らないから、自分が殺したいから殺すと、そう言え」
「………」
返事は、じれったいほどの時間をかけて、弩砲騎士の鼓膜に戻ってきた。
「……そうだな」
4.
ユウがゆっくりと立ち上がった。
ただ一撃の弩をその身に受けただけなのに、その全身は流れる血で赤く染まっている。
だが、その下の肉体はすでに、見える場所傷ひとつなく、怪我による疲労も一見して表情からは窺えない。
「反省したよ、夢見る弩砲騎士。 確かにお前さんの言うとおりだ」
静かな口調と対照的な、ぎらぎらとした瞳が、夕暮れに近い時間の中で弩砲騎士を射抜いた。
「そうだ。お前らがゴミだろうがそうでなかろうが、どうでもいい。
お前がPKだろうがなんだろうが、どうでもいい。
言われてみれば、これは私が売った喧嘩だ。 喧嘩に理非などありはしないよね」
「そのとおりだ。 <暗殺者>のユウ。 かかってこい。殺してやる」
じりじりとユウが円を描く。それにぴたりと照準を合わせ、弩砲騎士もまたその場で向きを変える。
その二人の姿を、かすむ目でバラパラムが見つめていた。
(……あれは、まずい)
その半分つぶれ、砕けたレンズのように歪んだ視界に映るのは、弩砲騎士の雄大な姿だ。
<守護戦士>の名にふさわしい、そのどっしりとした姿に、バラパラムが抱くのは、しかし頼もしさではない。
危惧だ。
夢見る弩砲騎士というプレイヤーには、いくつもの美徳があるが、人間の常としてそれは欠点でもある。
いかなる苦境においても自らを信じて戦い抜く勇猛さ、というのは逆を言えば、退くべき時に引き際を誤る無謀さと紙一重だ。
<大災害>を経てなお、弩砲騎士のその欠点は直っていない。
いや、仲間がいれば別だ。 彼の本来の仲間――<夢追い中毒共>がそばにいれば、
彼は引き際を誤ることのない、頼れる戦士だ。
だが、仲間がいなくなってしまえば。
仲間を失った怒り、自分のすべての能力を相手にぶつける喜び、その感情に彼は容易に支配される。
バラパラムが見たところ、今の弩砲騎士は既にその境地に半分足を踏み入れているところのようだった。
(俺が、止めなければ)
そう思いながらも、バラパラムの口は動かない。
この世界になって顕在化した戦闘におけるリスク――負傷によって、顎の骨が粉砕された彼には、
既に声帯を振るわせるだけの機能が残っていないのだった。
バラパラムの焦りもむなしく、二人のPKは最後に挑発の様な言葉を交し合う。
「死ににきたことを後悔するなよ、女装野郎」
「釣られたハコフグのように生きながら炙り焼きにしてやろう、人型機械」
嘲弄の言葉が互いの耳に届くより先に、二人は走り出していた。
◇
臓腑に響く音が木霊する。
弩砲騎士の左手の弩砲が火を噴いたのだ。
だが、その鉄弾をユウは一歩、左に踏み出して避けた。
音速には届かないまでも、もはや手持ちの重砲といってもいい弩砲騎士の砲は十分に早い。
それを、発射された後に避けたのだ。
そうしながらも、ユウの手が飛ぶ。
彼女手製のさまざまな毒が塗られた短剣は十本近く飛び、そのすべてが弩砲騎士の鎧の継ぎ目を狙っていた。
「甘い!」
残像すら残す速度で、左手の砲が振るわれる。
カカカ、と短剣を叩き落したその腕の後ろから、肩に直結した別の弩砲が唸りをあげた。
「食らえ!」
「ふん、正確すぎる」
軽くジャンプだけで、その弾頭を彼女が交わした瞬間、弩砲騎士は、高速で射出された砲弾に密かにつながっていた紐を引っ張った。
ユウのそばを飛びぬけかけた砲弾が、衝撃によって破裂する。
弩砲騎士が工夫を凝らした、擬似的な散弾だ。
無数の鉄菱に背を打たれ、バランスを崩すユウに、弩砲騎士はもう片方の肩に負われた砲の照準を合わせた。
こちらに入っているのは、今までのような鉄の砲弾ではない。
小さな鉄くず、素材アイテム、それらを適当に袋に入れ、くくったものだ。
近距離であるから放物線すら描かず、衝撃で破裂したそれらがユウの前面を包み込む。
弩砲騎士は勝利を確信していた。
動きの早い獲物をしとめる欧米の猟師は、時に散弾銃を使う。
それを、個人携行武器としては対戦車砲に匹敵する大口径で発射したのだ。
いかに速度を持った<暗殺者>とはいえ、面制圧攻撃に弱いのは、
先ほどのバラパラムの<アルペジオ>でも実証されたとおりだ。
だが、ユウは同じ手を二度は食らわなかった。
鉄の食い込んだ背中を翻し、一瞬で行動の向きを90度変えたユウが掻き消える。
まるで何かの漫画のように、何も見えない地面に、すさまじい勢いで足跡だけが穿たれていく。
<ガストステップ>――ただでさえ速い<暗殺者>の身ごなしを神速の域に高める特技の効果だった。
さすがの弩砲騎士も、人間の反応速度だけではその動きに追随できない。
とはいえ、快速を誇る敵に対して弾幕を止めた砲兵は、自殺志願者の同義語だ。
弩砲騎士は次々と放っていた己の弩砲を投げ捨てる。
がこん、と彼のバックパックが開き、出てきた柄を弩砲騎士はむんずと掴んだ。
夢見る弩砲騎士は『弩砲』騎士である。
だが、彼は同時に『騎士』でもあるのだ。
「<ブーステッド・ヒュージアックス>!」
後に完全な推進装置を備えることになるそれは、一言で言えば巨大な斧だ。
ただの斧と違うように、その背には一列に並んで小さな瓶のようなものがついていた。
「起爆!」
旋風のように襲い来るユウに向かって、弩砲騎士の腰がたわんだ。
その下半身から熱風が噴き出す。
旗のように高く掲げられた斧からも、次々と爆音とともに、ジェット気流が流れ出す。
そうして得た爆発的な推力で、弩砲騎士は全身を斧のようにして突っ込んだ。
「炸裂矢! 行けい!」
足を動かさない独特の走行姿勢――一般的に言えばホバー走行――で疾駆する弩砲騎士の腰から、
火花を散らして小型の筒が飛び出した。
ユウも用いる爆薬を詰めた炸裂矢―いわゆるミサイルだ。
誘導能力すらないそれを、弩砲騎士は自らの正面に扇状にばら撒いた。
当然、自分自身もその爆風の中に突っ込むことになるが、弩砲騎士の鎧ならば耐え切れる。
視界にどんどん大きくなってくる敵を、弩砲騎士は眦を裂いて見つめていた。
◇
弩砲を用いた散弾に加えて、近づくと斧を構えて突っ込んできた。
ご丁寧にもミサイルの弾幕というおまけつきだ。
ユウは両足をリズミカルに動かしながらも、大きく横合いに跳んだ。
だが、彼女が着地する前に、弩砲騎士は体を傾けてユウへと向きを変えると、
再び大地が根こそぎ吹き飛ぶようなミサイルを発射してくる。
ユウは、内心で呆れていた。
西洋風ファンタジーを謳った<エルダー・テイル>は、同時に過去の遺跡ということで
SF的なガジェットを多く含むゲームだったが、夢見る弩砲騎士のようなプレイヤーはさすがに初めてだ。
不整地をものともせず驀進してくるそれは、人間の騎士というよりむしろ、
「ありゃ、ほとんど機動戦士だな……」
ユウが子供のころに見ていた、モノアイを光らせてビームを放つロボットを思い出す。
大きさこそ人間大だが、弩砲騎士の戦い方は人間というより兵器のそれだった。
だが、ユウは宇宙空間で戦っているわけではない。
どれほど身が軽かろうと、彼女の体は重力の縛りの中にある。
ユウは腹をくくった。
ミサイルの弾雨は隙間がないが、自分の体に直撃するものを短剣を投げては爆発させていく。
鼓膜が立て続けの轟音に麻痺し、三半規管が悲鳴をあげる中、彼女の視界で巨大な壁のような弩砲騎士の姿が聳え立つ。
自身が展開した推進器に加え、ヒュージアックスに備え付けられた火薬式の使い捨て推進器によって、ユウに劣らぬ速度を叩き出した弩砲騎士は、天から大きく斧を振り下ろした。
それは、もはや斬るというより叩き潰すという意思の現れだ。
その一撃を、ユウは体をくねらせるようにしてかわす。
大地にドカリ、と斧が食い込む寸前、腕力だけで弩砲騎士は斧の軌道を変えた。
縦斬りから、横薙ぎへ。
振り回されるその段平の上に、ユウが一瞬着地する。
「……な!?」
「終わりだ!」
弩砲騎士の弱点は狭い視界。
それを見越したユウの、一瞬の機動が、機械的なバックパックに包まれた背中を彼女の正面に見せる。
軽業のように、弩砲騎士の斧に乗って彼の後背にたどり着いたユウが、<堕ちたる蛇の牙>を振り上げたときだった。
彼女の背中に、金属が突き刺さる。
瞬時に爆発したそれは、振り下ろしたユウの刃が弩砲騎士に届くより先に、彼女の体を弾き飛ばした。
弩砲騎士が気づいたとき、そこには仰向けに倒れこむユウと、剣を投げた姿勢のままのバラパラム、
そして、ユウの背中で砕け散る、彼の双剣の一振りがあった。
「……バラパラム!!」
弩砲騎士が、自分を助けてくれた仲間に怒声を上げた。
彼は久しぶりに満足していたのだ。
自分と互角に戦えるPK、全知全能を尽くして立ち向かうべき敵との戦いに。
まだ、満足していないのだ。
夢見る弩砲騎士は、血の色の夢を見飽きていない。
だが、もはやバラパラムは答えなかった。
先ほどの一撃―武器と引き換えに大ダメージを叩き出す<ファイナルストライク>が正真正銘、
彼の最後の力だったのだろう。
力尽き、泡となって消える彼をやるせなさそうに見た弩砲騎士は、
続いて仰向けに倒れたユウを見やった。
自分たちを理不尽に襲った黒衣の襲撃者もまた、ついにHPを使い果たしたようだった。
背中で炸裂した散弾、何発か受けた炸裂矢、それに加えて<ファイナルストライク>。
弩砲の一撃を完全回復するに至らなかったユウの防御力では、その攻撃に耐え切れなかったのだ。
自分の全身が徐々に泡に変わっていく中、狂った<暗殺者>は子供のように無邪気に笑っていた。
「……何がおかしい」
といかけた弩砲騎士に、小さくかすれる声が答える。
「いや……思い出したよ」
「何を」
「この世界のことも、<冒険者>の非道も、どうでもよかったんだな、と。
私はただ、戦いたかっただけなんだ」
全身を無数の光と泡に覆われながら、ユウは心底嬉しそうに微笑んだ。
「こうやって全身全霊で戦って、勝ったり負けたりしたかったんだ。
……礼だ。 くれてやる」
ころん、と半ば透明化した手から、瓶がいくつか零れだす。
膝をつき、そのひとつを拾い上げた弩砲騎士に、ユウは告げた。
「……邪毒と解毒薬だ。使いたい時に、使え」
「ふん」
鼻を鳴らし、弩砲騎士が立ち上がる。
背を向けた彼の視界の隅に、死んだ機巧侍が残したのだろう、からくり仕掛けの弓が主をなくしてぽつんと転がっているのが見えた。
「……狂人め」
「……いい褒め言葉だ」
そう最後に言い残し、名すら名乗らないまま、<暗殺者>は消えた。
誰もいなくなった街道に、一人立つ騎士の背中に、やけに赤く巨大な夕日がゆっくりと沈む。
その光を背景に背負い、心配そうに<冒険者>たちを見ていた<大地人>に、
夢見る弩砲騎士は小さく手を上げたのだった。
◇
夢見る弩砲騎士。
彼はやがて、紆余曲折の果てに、一旦は背を向けたアキバに合流する。
かつての仲間と共に、再び夢を追い始めた夢見る弩砲騎士は、あのアキバの北で戦った<暗殺者>の行方を捜し求めた。
半分は、仕事で。 その<暗殺者>は、<D.D.D.>や<黒剣騎士団>といった名のあるギルドの放った討伐隊にも討ち取られることなく、消えたからだ。
残り半分は、純粋に再戦したいという興味からだった。
<大災害>当初に比べれば、弩砲騎士の戦闘能力は大きく拡大した。
今の彼ならば、ユウのような単独の<暗殺者>を、打撃巡洋艦じみた火力で撃破することも不可能ではない。
だが、あの女<暗殺者>であれば。
何か途轍もない方法で、自分の裏を掻きに来るかもしれない。
そう、思っていたのだ。
だが。
夢見る弩砲騎士がどれほど探しても、彼女の行方は杳として知れないままだった。




