番外14. <夢見る騎士と夢見る毒使い>
また番外になってしまいます。
拙作の現章のアイデアは、別の方にいただいたもの(御礼はそのときに)ですが、今度はF様にアイデアをもらいました。
『夢追い中毒共の冒険』(http://ncode.syosetu.com/n2875ci/)
の主人公、『夢見る弩砲騎士』が作者のFさまいわくPKだったころの話です。
F様、ありがとうございました。
1.
2018年6月。
それはいつものように始まり、終わる日々のはずだった。
学生ならば中間試験、社会人ならば四半期の、あるいは半期の終わり。
いつものようにテレビはくだらない話題に終始し、周辺国との諍いに一喜一憂し、
2年後に迫った東京オリンピックに向けての話題がそこここで聞こえる。
そんな一ヶ月を、ある者は期待と共に、またある者は恐怖感と共に待ち受けている、はずだった。
◇
アキバからやや離れた、廃ビルの点在する荒野。
遥か昔は赤羽と呼ばれたそのエリア――普段は静寂に包まれた<クリムゾンウイングの廃街>には
その日、危険な音が交差していた。
まるで統制の取れた狼の群れのように、危険な集団が散開する。
対するは子供を守る草食動物の群れのように、互いに緊密な円陣を組む、ある<冒険者>パーティだ。
<守護戦士>、<武士>、<暗殺者>、<神祇官>、<妖術師>、<施療神官>。
よく言えばバランスのいい、ありていに言えば平凡な構成の彼らの中央には、難民らしい<狼牙族>――<大地人>の家族が、互いの肩を抱きしめるように震えていた。
「PK!!」
<施療神官>の女性の放つ鋭い叫びが周囲に木霊するが、答える声はない。
いや、小さく。
扇状に散開しつつある敵の一人が、ぬちゃり、と粘着質な笑みを浮かべた。
奇妙な、巨大な機械――からくりを背負った<武士>だ。
相手の<施療神官>に叫び返すように、その<武士>は声を張り上げた。
「そうさあ! PKだよ、運がなかったな、そなたら!」
「カルテ!<禊の障壁>だ! 一撃耐えて突破するぞ!」
リーダーらしい守備側の<武士>――古風な大太刀を正眼に構えた男の声に合わせ、
<神祇官>の少女が武器らしい扇を天に掲げた。
だが、彼らの顔は、<冒険者>特有の若々しい顔立ちを差し引いても、なお幼いといっていいほどに若い。
精気のみなぎりわたったその顔には、しかし勇気ではなく恐怖が強く張り付いていた。
「バラパラム!<剣速のエチュード>! 清祥!<護法の障壁>!
カランドリッツ! 状態特性効果付与って、斬り込め!
旦那の効力射に巻き込まれるなよ!」
「おう! 機巧侍、お前はどうするよ!」
「二番槍は任せておけい!」
PKたちの動きが変わる。
放射状に直進していた個々のメンバーの軌道が、ぐいと曲げられたのだ。
その手馴れた仕草は、彼らの理不尽な殺戮が始めてのものではないことを如実に示していた。
相手が、熟練の人殺しであることを見て取った、守備側の<武士>の顔がさらに青ざめる。
彼らも、安全なアキバを出て、<大災害>から一ヶ月というこの時期に、野外フィールドゾーンで<大地人>の護衛を請け負うほどのパーティだ。
いまだにアキバの自室に引きこもっている連中よりも、腕も勇気も勝っている、という自信はあった。
だがそれでも。
<武士>にはこの戦いを切り抜けるイメージが、全く湧かなかった。
「<武士の挑戦>!」
敵のヘイトを集めるというよりも、むしろ自分たちを鼓舞するように、タウンティングの声が響いた。
その声に乗るように、風を切って斬りかかった人影がある。
猫に似た顔立ちに、虎のような獰猛な表情を浮かべ、杖を左手に、剣を右手に掲げて、
<猫人族>の<付与術師>にして、PK一行の切り込み役であるカランドリッツは突っ込んだ。
「はっはぁ!!」
「<付与術師>ごときが前線に出られると思うなぁっ!<クロス・スラッシュ>!」
「遅い!<アストラル・ヒュプノ>!」
唸りを上げた<守護戦士>の長剣を、まさしく猫のようにかわしてカランドリッツの杖が光る。
敵にごくわずかの間、強制的に睡眠をもたらす<付与術師>の呪文だ。
一行の盾となるべく、一人突出した<守護戦士>の膝が落ちる横を、フィギュアスケートの選手のように回りこみ、次の呪文が炸裂する。
「<ナイトメア・スフィア>!」
「うっぐ……っ!」
眠気覚ましとばかりに後ろから首を斬りつけられ、ぶしゃ、と血を噴きながらその<守護戦士>は呻いた。
足が動かない。
実に移動力の80%以上を瞬時に奪い去られ、地面に縫いとめられたのだ。
しかも短時間に大量の出血を強いられた肉体は、まるで貝の肉のように頼りない。
おもわず両手をついた<守護戦士>の頭上が翳った。
「お、<オーラ……」
「はい、お疲れさん」
機巧侍の、からくり仕掛けの巨大な槍が、一瞬後に<守護戦士>の首を落としていた。
◇
「ユーバートが!!」
「落ち着け、まだ負けたわけじゃない!!」
パーティの主力であった<守護戦士>のユーバートが、回復も間に合わず文字通り一瞬で首を刎ねられたのを見て、<神祇官>のカルテが悲鳴を上げた。
それを叱り付けるように叫んだ<武士>の切っ先も震えている。
「なんとしても、あの人たちを!」
切実に見る目は、後方の<狼牙族>の一家に向けられている。
父親と、母親と、息子。
遥か北から、マイハマを目指しはるばる旅をしてきた難民だ。
なんとしても、守り抜く。
その決意が、非情に崩れ落ちるまで、あと数分しかないことを、彼はまだ知らない。
「清祥!」
「ほいよ。<剣の神呪>」
清祥と呼ばれた<神祇官>が両手を掲げると、頭上から無数の剣がなだれ落ちる。
戦っている相手の<武士>たちは知る由もないが、実は清祥は<神祇官>の中でも障壁系の呪文に特化した、いわば<施療神官>で言うハイヒーラーに似た回復特化型だ。
当然、攻撃型呪文である<剣の神呪>――低レベル即死効果を持つ範囲型呪文――の威力もそれほどではない。
だが、それはすべてが数値であったゲーム上でのことだ。
呪文による幻影のようなものとはいえ、上空から刃物がなだれ落ちてくるという恐怖に、
守備側の<冒険者>たちは思わず頭を手で覆っていた。
「雑魚っち」
「同感だねえ」
「……すまないが」
そんな、戦闘を放棄したとしか思えない敵を嘲弄しつつ、2人の斬り込み役、機巧侍、カランドリッツが笑い、若干目を曇らせつつも無言で<剣速のエチュード>を奏でていた<吟遊詩人>のバラパラムが縦横に剣を振るった。
杖で状態補強と状態異常の呪文を組み合わせつつ、片手の剣を突き刺すように振るうカランドリッツ。
重厚な槍と、同じくからくり仕掛けの弓を持ち替えながらHPを削る機巧侍。
そして、もはや呪歌ももったいないとばかりに打ち切って両手に一本ずつ持った剣を舞わせるバラパラム。
最初に倒れたのは、切り刻まれる恐怖にうずくまった<神祇官>のカルテだった。
彼女の全身が泡となって消えたのが、まるで何かのきっかけであったかのように、
<妖術師>が、<暗殺者>が倒れ伏す。
<暗殺者>は最後の最後まで<狼牙族>を守ろうとしたのだろう、
一家を背中に庇うように両手を広げ、バラパラムの双剣を心臓に受けていた。
そして、最後の<天使のささやき>――天から羽毛を降り注がせ、敵にダメージを、味方に回復効果を与える攻防一体の呪文――を唱えて、力尽きたように<施療神官>も倒れこんだ。
残るは、ただ一人残された<武士>だけだ。
その太刀はなおも鋭さを保っているものの、全身につけられた傷でもはや立つのもおぼつかない。
<大災害>によって変わったのは、数字のついたものだけではない。
出血という、いわばゲームのフレーバーのような状態異常効果がもたらす肉体的、精神的な疲労。
『心が折れる』という言葉に集約される絶望。
それが、今の彼を地面に打ち倒しかけているものだった。
だが、それでも。
自分を取り囲む殺戮者たちに向かって、彼は最後の力を振るう。
「さ。お前もいい加減死」
「……<虎口破り>!」
からかうように口を開いた<猫人族>が吹き飛んだ。
<武士>の特技の一つ、大ダメージを与える突進攻撃だ。
ごろごろと無様に転がるカランドリッツを、続けての乱刃が襲った。
<火車の太刀>、文字通り火車のごとく振り回される刃に、ただでさえ薄い<付与術師>のHPががりがりと削れる。
「清祥!」
「<護法の障壁>!」
突如、太刀が不可視の壁にはじかれる。
<神祇官>の障壁型特技――味方のHPを回復するのではなく、相手の攻撃を無効化させる防御特技だった。
だが、満身創痍の<武士>は止まらない。
狙うは自分を見上げる<付与術師>ではなかった。
PK一行の5人の中で、ただ一人戦闘に参加せず、後方で腕を組む全身鎧の戦士。
本来最前線に立つべき<守護戦士>でありながら、最後衛で仲間たちを指揮する、顔すら定かではない鉄化面。
「夢見る弩砲騎士……貴様がPKの頭目か」
<武士>の全身から青い光が走った。
仲間を助けんと、後ろから剣を振るったバラパラムと機巧侍が一瞬ひるむ。
「<電光……石火>!!」
全身に雷光をたなびかせ、<武士>は走った。
特技によってもたらされた神速が、すべてを置き去りにして彼の体を前進させる。
血に赤く染まった視界の中で、肩から<守護戦士>が何かを下ろすのが見えた。
◇
「敵接近。警戒。中距離砲戦準備」
無感情な声が小さく周囲に漂った。
「射線固定。目標補足。装填」
がご、と構えた鉄の筒――もはやそうとしか見えないもの――に鉄塊が落ちる。
これが弓――弩砲だと、一瞬で理解できる人間はそうはいないだろう。
どうみてもどこかの戦車か自走砲から取り外してきた主砲にしか見えない。
よく見れば、鎧のあちこちにもギアや機械的な儀装が見える。
剣と魔法の西洋風ファンタジーを謳うこの<エルダー・テイル>にあって、
どこをどう見ても異質にしか見えない存在だ。
呟かれる言葉もまた、全くもって機械的だった。
「射角よし。打方用意」
照星の向こう側に、雷を纏う<武士>がいる。
太刀を大上段に振りかぶり、最後の一撃を与えんと。
ギアが唸る。砲身が震えを止めた。
そして。
「……正射」
「<刹那の見切り>!」
鉄の塊がすさまじい圧力を受け、変形しながらも放たれた。
◇
長遠距離砲撃型<守護戦士>。
PK一味のリーダーであり、ダメージソースでもあるPK、『夢見る弩砲騎士』とはそういうキャラクターだ。
前衛における盾という役目を潔く放棄したその戦闘形式は、決して主流ではないが皆無でもない。
攻撃力に特化しているという意味では、<黒剣>のアイザックや<狂戦士>クラスティと似ているといえる。
だからこそ、目の前の筒から何かが打ち放たれたと感じるや否や、一人残されたその<武士>は彼の奥の手、そのひとつを放っていた。
<刹那の見切り>。あらゆる攻撃を短時間だけ完全回避する、<武士>の絶技のひとつである。
<守護戦士>の<キャッスル・オブ・ストーン>があらゆる攻撃からの完全防御とするならば、
<刹那の見切り>は完全回避。
<武士>の視界が奇妙なパノラマ写真のように伸ばされる。
頬を渡る風の動きも、空気の粒子が体に当たるそのひとつひとつすら感じられるほどに
知覚が鋭く、研ぎ澄まされていく。
肩のすぐ上を、鋼の砲弾が駆け抜けるのを感じながら、<武士>は小さな勝利を予感した。
弩砲の欠点は、再装填に時間がかかることだ。
もはや互いの距離は十メートル足らず、彼の足ならば次の弩砲が放たれる前に、刃を振り下ろすことができる。
仲間の敵。
PK。
うまくこの夢見る弩砲騎士を潰せば、混乱に乗じて<狼牙族>を守って脱出できるかもしれない。
少なくとも、彼らが脱出するわずかな時間を作れるかも。
その想いは咆哮となって放たれる。
「<一刀……両断>!!」
「側面防御」
<武士>は一瞬忘れていた。
目の前の男が、遠距離攻撃職ながらも、<守護戦士>であることを。
がぎん、と異音が響く。
弩砲騎士の鎧と、<武士>の大太刀が真っ向から噛み合った音だ。
<武士>の絶技を、弩砲騎士はなんと自らの鎧の防御力だけで耐え切ったのだ。
防御力向上の特技である<アイアンバウンス>すら使っていない。
一瞬呆けた<武士>の顔面に、先ほどよりやや小ぶりの筒が突きつけられる。
叫びは同時だった。
「<マーシレスストライク>」
「……<叢雲の太刀>!」
技は一瞬遅かった。
<武士>があと一呼吸、いや半呼吸早く特技を放っていれば、弩砲騎士の弩は、あらゆる攻撃を無効化する<武士>の絶技によって消し飛ばされ、
吹き飛んだのは弩砲騎士のほうであったろう。
だが、現実は。
胸に大きな穴を開け、上半身の鎧を粉々に砕かれて、吹き飛んだのは<武士>だった。
先ほどの<猫人族>――カランドリッツの焼き直しのように、<武士>が地面に顔面から落ちるや否や、朽ち果てたコンクリートを削りながらごろごろと転がる。
HPはついに青い部分が見えなくなった。
<武士>は勝てなかったのだ。
「旦那、さすがだぜ」
機巧侍の賛辞も聞こえぬ風で、弩砲騎士はゆっくりと歩き出した。
PKたちも、護衛が全滅して震えるばかりの<大地人>一家も、誰も動かない中、
地面を一歩一歩踏みしめるように、弩砲騎士が瀕死の<武士>の前に立つ。
右手に構えた弩砲をゆっくりとその頭に向けて、無感情に騎士は言った。
「戦闘能力剥奪を確認。 ……何か言い残すことはあるか」
「……せめて、<狼牙族>だけは殺さないでくれ…」
「バーカ。NPCなんて殺そうがどうでも……」
「……了解した」
「え? 旦那?」
カランドリッツの不審な声に、ギギギときしむ音を立てて弩砲騎士が<付与術師>に視線を投げた。
兜の間庇の奥から覗く冷たい目に、人殺したちの言葉がぱたりと止む。
「……俺が戦っているのは、自分の力を確かめたい、それだけだ。
弱いことがわかりきっているNPCを殺しても無意味」
そのまま、何の予兆もなく砲門が火を噴く。
文字通り頭を消し飛ばされ、<武士>は下半身だけになった肉体をばたりと倒れさせた。
その体が瞬時に泡となって消えていく。
それをちらりと見て、弩砲騎士は再び視線を転じた。
無言の命令に気づいた<狼牙族>の一家が脱兎のごとく逃げていく。
「あーあ。これで終わりか」
「詰まらん戦いだったが、最後だけは面白かったな」
「……弩砲騎士。どうします? 戻りますか」
仲間たちの声に軽く頷くと、弩砲騎士はがしゃりと音を立てて弩砲を背負いなおした。
彼らのアジトである、<大地人>の村――実態は単に廃墟と化した雑居ビル――に戻るのだ。
「最近骨のある<冒険者>に会ってねえなあ」
「うむ。噂に聞く<D.D.D.>や<黒剣>の懲罰部隊とやらに遭遇してみたいぞ」
「俺は嫌だよ」
「……戻るぞ」
めいめい勝手なことをいいながら、無言で身を翻した弩砲騎士にPKたちが続く。
だが、彼らは知らなかった。
ある意味で弩砲騎士と同じか、それ以上に<大災害>で人格を変えてしまったPKが、
彼らの背をじっと見つめていることを。




