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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第8部 <森>
159/245

114. <蠢きもがく死>

『余興は終りぬ。今の役者たちはすべて精霊、空気、薄い空気の中に溶け去ってしまった。

空中の楼閣とも呼ぶべき今の幻影と同じく、雲をいただく塔、豪華な宮殿、厳かな寺院も偉大なる地球、それ自体も、大地にあるものはすべて消え去る。

そして今、実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。

私たちは、夢を織りなす糸のようなもの。ささやかなその人生は、眠りによって締めくくられる』


W・シェイクスピア『テンペスト』 第4幕


1.


「『意志なき骸は怨嗟の雄たけびを、苦しむ美姫は悲しみの呻きを。諸君、ここが思案のしどころなのだ』」

「それは、なんだい?」


徐々に近づく、悪夢の顕現のようなモンスター2体を前にして、<緑衣の男>が呟く。

ユウの問いかけに苦く笑った彼は、ゆっくりと矢を番えた。


「……ちょっとした、祈りさ」


その言葉とともに打ち放たれた矢が、戦いの第二幕を開けた。


「<緑衣の男>! タクフェルを泉へ! この馬を使え! 汗血馬、頼んだ!!」


馬上からひらりと飛び降り、ユウが疾る。

弓などという悠長なものは使えない。

相手は大規模戦闘級(レイドランク)。48人の90レベル<冒険者>が戦って初めて、

互角に渡り合うことができる化け物なのだ。

<屍竜>ですらそのレベルなのだから、それと肩を並べて立つ<蠢きもがく死>に至っては

考えるのも馬鹿馬鹿しい。

ユウは手早く計算した。


レイドランク2体に対し、こちらの手勢は<古来種>一人、<冒険者>二人、<大地人>が一人。

目的は、あの2体の化け物をかわして黒い泉に飛び込むこと。

端から、真っ向勝負して勝てる相手ではないことはわかりきっている。

ならば、とユウは叫んだ。


「私とロバートでらちを開ける! 二人は先に逃げて!」

「お前たちはどうするんだ、ユウ!」

「ここで死ぬ! ロバート! 一緒に死んでくれ!」


<大地人>であるタクフェルは言うに及ばず、<緑衣の男>も<古来種>だ。

彼の命もまた、有限のただひとつでしかない。

本来ならばレベルの高いユウと<緑衣の男>が殿をするところを、彼女はそう決断して指示を放った。

覚悟を決めたのか、ロバートが続けて矢を放つ。


「<アーリースラスト>!!」


照星のような形の模様が、立て続けにモンスターたちに浮かび上がった。

<盗剣士>のお家芸とも言える、追加ダメージマーカーだ。

単純な攻撃力では同じ武器攻撃職の<暗殺者>に劣る彼らが、<暗殺者>に劣らぬダメージを叩き出すためのギミックだった。


「<クイックアサルト>……<ラウンドウインドミル>!」


続く矢は、まるで二連の流星のように飛び、<屍竜>の動きを止める。

特技がもたらしたわずかな硬直時間を、<緑衣の男>は無駄にしなかった。

背にタクフェルを乗せたまま、<緑衣の男>の駆るユウの汗血馬が黒い死竜の横を駆け抜ける。

愛馬のすぐ脇を駆け抜けながら、ユウは残るもう一体に手を伸ばした。


「<パラライジング・ブロウ>!……なに!?」


<蠢きもがく死>の動きを止めたと確信したユウが、死角から伸ばされた手に思わず飛び退った。

彼女の腕を一瞬の差でつかみ損ねた<蠢きもがく死>が、重たげなローブとは裏腹のすばやい動きで追撃する。

その手に握られるのは杖でも、剣でもなく。


「枝だと!?」


枯れかけた小さな木の枝だった。


大規模戦闘(レイドバトル)におけるボス格の敵、いわゆるレイドボスといわれるモンスターには

あるひとつの共通点がある。

それは、外見からではその奥義を判別しにくい、というものだ。

過去、ユウが立ち向かった<サンガニカ・クァラ>のボス、氷竜王。

彼が他のレイドボスと比べて比較的与しやすい、というのは何もHPだけのことではない。

氷をつかさどる竜として、戦法や弱点が想像しやすい、ということにもあるのだ。

一方で、<蠢きもがく死>のような人型のボスは、どのように攻撃してくるのか見えてこない。

ただひとつ言えるのは、まともに攻撃を受ければ即座に死ぬということ。

それだけだった。


「っちぃっ!!」


なおも振られる枝にぶら下がる葉っぱ一枚にすら当たらないように、ユウの体が翻る。

ユウが<守護戦士>であれば、あるいは<武士>であれば、己の防御力を信じて当たるのもひとつの手だ。

だが、彼女は攻撃力の代わりに防御力を捨てた<暗殺者>だった。

出来るのは、相手の攻撃をすべて避けながら、ただ相手のHPを剥ぐという、薄氷の勝負を挑むことだけだ。


音なき咆哮が上がる。

<屍竜>が<ラウンドウインドミル>で受けた<硬直>の状態異常を解いたのだ。

ブン、と振り下ろされる前足の、その風が自分の頭上に届く前に、ユウは再び飛んだ。

飛びながら叫ぶ。


「ロバート! 続け!」

「でも、ユウ!」

「いても邪魔なんだ、72レベルなんて!!」


矢を次々と放ちながら大きく迂回して叫ぶロバートに、ユウは絶叫した。


「お前がヘイトを持ったら戦況が崩れる! さっさと行け!!」


ばさ、とユウの髪の毛の端が、<蠢きもがく死>の振り回す枝に触れた。

その瞬間、髪を引きちぎられるような痛みとともに、触れた髪が一瞬で白くなり、

続けて早送りのように色あせて朽ちていく。

その光景を、ユウとロバートは驚愕とともに、<緑衣の男>はどこか悲しげに見つめた。


「ユウ! ついたぞ!」


タクフェルを馬ごと泉に放り込みながら、<緑衣の男>が叫んだ。

続いて、一人の人間が放ったとは思えないほどの数の矢が、ユウの周囲に降り注ぐ。


「<レイニー・ショット>!」


おそらくは<緑衣の男>の職業、<森の射手>固有の特技なのだろう。

まるで機銃掃射のように上空から雪崩落ちた矢は、ぶすぶすと異形の怪物たちに突き刺さる。


「いまだ!」


じくじくと頭が鈍く痛み始める中、ユウは身を翻すと、そのまま泉に向かって走った。

泉の前では、弓を休むまもなく鳴らしながら、<緑衣の男>とロバート、二人の弓使いが待っている。

ユウのために防ぎ矢をしてくれているのだ。


「<ワイド・ショット>!」

「<マルチプルデッツ>!<ブレイクトリガー>!」


特技を打ち放ちながら、ロバートがなおも叫んだ。

その叫びに応じるように、<屍竜>の全身に刻印されたダメージマーカーがはじけ飛ぶ。

死せる肉体でも痛みは感じるのか、<屍竜>は忌々しげな無音の叫びをあげた。


「早く! 早く!」

「<アトルフィブレイク>……<激痛>!」


振り向いたユウの手から必殺の毒が飛ぶ。

毒属性のモンスターであっても、かまわず毒を叩き込む、ユウの奥の手のひとつだ。

それは狙い過たず、矢の雨の中を追う<蠢きもがく死>に突き刺さった。

PK,モンスター、過去何度もユウの命を拾い上げたそれは、今度もまた狙いをはずすことなく

<蠢きもがく死>をくず折れさせるかに見えた。


「<蠢きもがく死(そいつ)>に毒は効かない!」


<緑衣の男>の警告の叫びは、遅かった。

一瞬足を緩めたユウの背中で、怪物の見えない顔がにや、と哂ったように見えた。

そして、まるで優しく撫でるように、手にした枝がユウの背中を掃く。

それだけで。


ユウは糸の切れた操り人形のように突然倒れこんだ。


「ユウ!」


叫んだロバートの横をすり抜ける人影がある。<緑衣の男>だ。


「<パルティアンショット>!」


まるで騎射のように、大きく上体をそらして撃たれた矢が、ユウに覆いかぶさろうとした<蠢きもがく死>の動きを止めた。

膨れ上がった怪物の顔が、はじめて真正面から<緑衣の男>を見る。

その後ろでは、<屍竜>が、獲物を見定めるかのように、うつろな視線をユウと<緑衣の男>に交互に向けていた。


「ロバートっ!」


片手で動かないユウの襟をつかみ上げ、後ろに放り投げながら<緑衣の男>が叫んだ。


「おれが殿を努める! お前はそいつを連れて行け!」

「あんたは!!」

「早くしろ! そいつは毒にやられてる! <毒使い>でもかなわん毒だ! 早くしないと死ぬぞ!」


叫びながら、<緑衣の男>は再び弓矢を番えた。

ざあ、という雨のような音とともに、矢が駆け下る。


「いくら<古来種>でも、そいつら二匹がかりじゃ死ぬぞ!」

「問題ない! この森ならよく知っている! ……さあ、こっちだ! 怪物ども!」


ぐずぐずするなと言わんばかりに、<緑衣の男>の矢がロバートの顔面を掠め、泉に落ちた。

高熱を発するユウを抱き上げたまま、ロバートはやむを得ず後ろから泉に飛び込む。

視界が黒い水に覆われる直前、彼は最後とばかりに叫んだ。


「早くあんたも来てくれ! 頼む! 俺たちは村に……」


ぼちゃ。


ロバートの頭が没し、泉がたぷ、と小さな波紋を残して再び静けさを取り戻す。

それを見ながら、<緑衣の男>は小さく微笑んだ。


「……マリアンを置いて、おれだけが行けるわけないだろう。

さあ、<蠢きもがく死(マリアン)>、続けようか」


無言のままの<蠢きもがく死>の顔から、膿のようなものが小さく垂れる。

それが地面に着く前に、一人の<古来種>と二匹の怪物は、再び戦いの嵐に飛び込んでいった。



2.


 彼は森の奥にいた。

木々がまるでそう設えたように組み合わさった、異形の玉座に座ったまま、

腐り果てた戦衣をその全身にまとい、目の前で解かれていく自らの封印を見つめている。


六つの紋章。

その二つまでは、いまやのたうつようにねじくれた木々に覆われ、光を失っている。

そして今、三つ目の紋章が伸びていく木々によって徐々に押さえつけられ、

ふっ、と光を失った。

あたかも、かろうじて耐えていた力が失われたかのように。


その光景をどこか満足そうに見つめ、彼はゆっくりと目を閉じた。

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