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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第8部 <森>
157/245

112. <森の住人たち>

1.


 森の中というものは、そこがどれほど熱帯にあろうと不思議なほどに涼しいものだ。

当たり前のことで、繁茂する木々が日光の暴力的な熱を受け止め、緩和し、影を作って地面に冷気を作り出す。

樹木を潤す水は大地に流れ、土壌を豊かに肥えさせるとともに、土の下から地面を冷やすからだ。

それにゆえに、森は寒い。


だが今だけは森のほうがまだしも暖かいだろう、とロバートは思った。


暖かな色彩の調度で整えられた、小さなログハウスの中。

暖炉には今は火が入っていないが、代わりというように、小さなカンテラが天井のない屋根からロープでつるされている。

食糧庫代わりなのだろう、部屋の片隅に置かれた樽や袋からは、小麦を失敬に来た小さな野鼠(ぬすっと)が、

不思議そうに同じ空間にいる別種族たちを眺めている。


「……で」


その中の一人、鎧を脱ぎ、緑色の短衣(チュニック)のみになった身軽そうな男が、

手の中の短剣をくるくると器用に回しながら口火を切った。


「遠方の友が作ってくれた、せっかくの歌だ。最後まで歌ってくれよ」

「断る」


応じたのは男と対照的に黒ずくめの女だった。

金色にも見える明るい砂色の髪の男とは対照的に、髪は漆黒でつややかに背中に流れている。

微動だにしない仕草も男の軽やかさに対して、あくまで沈毅だ。

答えた言葉も印象そのままに重く、短い。


「なんでだい?」

「これを作った知り合いは、歌を聴いて悲しむ者がいることは想定していただろう。

だが、聞いた人間が怒り、憎むことは是とするまい。

歌は聞く者が喜び、悲しみ、意志を新たにするためのものだ。

人を傷つけ、憎しみを煽るものは歌ではなく、そのような歌は歌うべきではない」

「はん」


男が顎を突き出し、軽く唸った。

その挑発的な仕草に、ロバートもようやく気付く。

目の前の緑の服の男は、黒衣の女――ユウを労わって招き入れたのではない。

今は壁際で残る3人を無視し、何かの作業に没頭しているタクフェル老人と同程度か、

あるいはそれ以上に怒り狂っているのだと。


「それは随分と高尚な信念だ。ならば君は、この場でその歌を歌う意味を知ってなお、

それをタクフェルに聞かせた、というわけか?」

「それについては言い訳のしようもない。申し訳なかった」


ユウが深々と頭を下げる。

その仕草を、舌打ちしそうな顔で睨み下ろした男は、ふと振り返ってタクフェルを見た。


「……だとよ、タクフェル。このお嬢さんは、自分が迂闊で間抜けな馬鹿だと認めたぜ」

「……わしは知らん。お前の客だ、お前が話せ」

「とは言ってもなあ」


ぽりぽりと頭を掻くと、男は頭を下げたままのユウに視線を戻した。


「……まあ、いいや。事情はある程度聞いているようだが、その調子じゃ細かくは知らねえだろう。

初対面だし、見たところこの国の(もん)じゃなさそうだし、

これでチャラにしてやるよ。

俺たちも村からの食料品が途絶えたら困るしな。

……ただ、言っておく。あんたは二度とこの森に来るな。来たら殺す。

まあ、来てもいいけどな。どうせ<冒険者(プレイヤー)>が俺に勝てるわけもない」

「……ほう?」


一瞬で、室温がさらに落ちた。

それを理解したのか、タクフェルがちらりとこちらを見、

緑の男は短剣を弄んでいた手をぴたりと止める。


「……あんたらの怒りは正当だ。自分の古傷をよそ者に抉り回されれば怒りもしよう。

謝罪への罵倒は甘んじて受けるつもりでいた……が、最後の言葉はいただけないな。

勝てるわけもない? お前が私に?」

「……おまえ」


それまでの飄々とした口調から一転、地を這うような声を出した緑の男の目を

ユウはしっかりと見返す。

その視線は怒りと、何よりどす黒い嘲笑に染まっていた。


「こんな森に引きこもった土人ごときが、何を偉そうに抜かすのやら。

私を簡単に殺せる? 私の故郷でそういう大口をなんと言うか、冥途の土産に教えてやろう。

『井の中の蛙大海を知らず』というのだ。 勉強になったかね?

私がお前に勝てないだと? お前ごときよりも大きく、強く、多い敵を倒してきた私が?

戯言もここまでくれば滑稽だよ」

「待て、ユウ、そいつは<古来種>だぞ!」

「だからどうした」


一言も言葉を発しなくなった男の代わりに、ロバートが叫んだ。

部屋の中に、一旦は沈静しつつあった敵意と殺意が膨れ上がっていく。

目を閉じた緑色の男に対し、タクフェルは今度こそ殺意を秘めた目でユウを睨み付けていた。


「<古来種>だと? 知るか。こんな身の程知らずのバカには現実を教育してやらないとね」

「……<冒険者>にも色々といるものだ」


ふう、と男がため息をついたのと、その手の短剣がひらめいたのは同時だった。

わずかに避けたユウの耳元を短剣が飛び過ぎ、カン、と音を立てて壁に跳ね返る。

緑衣と黒衣、二つの影が消えたのは音の響きと同時だった。


 ◇


(やっぱりこうなった、こうなると思ったんだ、やっぱり!!)


 タクフェルを抱えるようにログハウスの外に飛び出したロバートは、

開きっぱなしの扉の奥から響く金属音を忌々しげに眺めて呻いた。


よくよく考えれば、<封印の森>を抜けてきた見知らぬ異国の<冒険者>を、

昨今目にしていない美人だったから、とむやみに信用したのが間違いだった。

日本からわざわざ英国までやって来た<冒険者>なんて、大体碌な奴ではないのだ。

無作法を謝ったかと思えばいきなり挑発して戦いだすなど、まともな人間のすることではない。


暴れるタクフェルを背負い、なおも家から離れようとしたとき、後ろから轟音が響いた。


「!?」

「扉が……!」


目を丸くする二人の目の前で、妙にスローな動きで蹴り飛ばされたらしい窓が宙を舞い、

小動物たちを押しつぶして地面に転がる。

そこから黒い影のようなものが飛び出した。

ユウだ。

その後ろから、今度は緑色の風が追いかけ、二人の化け物は薬草園の傍の小さな広場で対峙した。

互いに短剣を持ち、あちこちには切り傷が小さな血の染みを形作っている。


やがて、緑の男が小さく言った。


「……強いな」

「あんたも」


ユウも応じる。二人の視線は互いを見据えて微動だにしない。


「その腰の変わった剣を抜けよ。家の中だから使えなかったんだろう?」

「ならお前も獲物と鎧を出すといい、<古来種>」

「言われずとも出そう、無礼者」


そう言って、男は手の短剣をくるりと回して手品のように仕舞った。

代わりに、どこから取り出したのか大ぶりの弓が現れる。

さらに<冒険者>同様、一瞬で皮鎧を着こむと、兜代わりの帽子に付けられた羽がふわりと震えた。

ユウもまた、両腰の刀を引き抜く。

日が徐々に傾く中、二人の戦士は互いのもっとも得意とする獲物を突きつけあうと、最後に言葉を交わした。


「……名乗っていなかったね。私はユウ。<毒使い>のユウ。覚えておけ」

「こちらも名乗ろう。訳あって名は捨てた。今は<緑衣の男>と呼ばれている。

お察しの通り、<古来種>だよ、<冒険者(プレイヤー)>のユウ」


男――<緑衣の男>の言葉に、ユウがふと眉根を寄せた。


「あんた……」

「じゃあ、やろうか。ユウ。……教えておこう。私の職業(クラス)は、<森の射手(フッドシューター)>だ」


ユウが何かをこたえようとする前に、<緑衣の男>の手がひらめく。

直後、ユウのいた場所を無数の矢が貫いた。それらは土を抉り、頭上に消し飛ばす。

その土を蹴り分け、ユウが飛んだ。


「<ラピッド・ショット>」


<緑衣の男>の囁きと共に、ありえないほどの速さで二発目の矢が飛ぶ。

それは狙い過たず、空中のユウを捉えるかに見えた。


「<ガストステップ>!」


ユウが掻き消える。すかさず次の矢を<緑衣の男>が構えた時には、ユウは掘り返された地面をだんと蹴り、刀を突きの形にして彼の目の前にいた。


「その首貰った!」

「<ユニコーンジャンプ>! ……<ユニコーンシュート>!」


刀が首を薙ぐ刹那、今度は<緑衣の男>が大きく飛んだ。

飛びながら体を半回転、引き絞られた弓がひゅん、と音を立てる。

伝説の一角獣(ユニコーン)の角のように、螺旋を描いて飛ぶ矢が、ばきりと音を立てて斬り割られた。

矢が地面に跳ねた瞬間には、すでに二人ともその場にいない。


「<パラライジングブロウ>!」

「<ワイドショット>!」

「<デッドリーダンス>!」

「<パルティアンショット>!」


弓という武器の特性を最大に使うべく、間合いを広げようとする<緑衣の男>と、

自らの刃が届く範囲まで追い詰めようとするユウ。

二人のいつ終わるともない戦いを、タクフェルとともにロバートは呆然と見入っていた。


特に彼が目に映すのはユウではなく、<緑衣の男>だ。

幼いころから父に教わった銃を扱い、この世界に来てからはそれは弓矢に変わった。

だが、いずれにしても自分を射手(シューター)と規定しているロバートにとって、

目の前で<緑衣の男>が繰り広げる戦いは、自分のひとつの理想形だ。

距離を詰められてもものともせず、多彩な特技でユウの一撃を許さない。


「……すごい、ですね」


思わず漏れた声は、隣で同じく戦いを見詰めるタクフェルの視線をちらと向けさせる。

だが、ロバートはそれに気づかないまま、うっとりと呟いた。


「あれが…<古来種>。あれが本当の、弓兵(アーチャー)……」

「……お前の連れてきたあの小娘も、よくやる」

「は?」


振り向いたロバートに視線を向けないまま、タクフェルはぼそっと呟いた。


「レベルも90を越えているから……というわけでもないだろうが。

あの男の矢をあれほど凌いだ<冒険者>はほかに知らぬ」

「ユウが」


ロバートは再び戦場に目を移した。

互いが互いの首を狙い、刀と弓を閃かす。

取り回しの重いはずのイチイの弓は<緑衣の男>の手の中で踊るように回り、

その射線を時に皮一枚でかわしながらユウは黒い影のようについていく。

ふと、その均衡が乱れた。

互いの足と、<緑衣の男>の矢によって掘り返された土に、緑のズボンを履いた足がほんのわずか、引っかかったのだ。

時間にして一瞬の数分の一の、そのわずかな隙を、ユウは見逃さなかった。

飛び込んだ黒髪が宙に舞う間に、彼女は姿勢を落として踵で<緑衣の男>の足を払う。

それを男が避けた瞬間、ユウは大きく伸びあがりざまに青い刃で男の顔面を狙った。


過去、同じ方法で何人の目を抉ってきたか分からない、ユウの得意技のひとつだ。

だが。


「……っ!」


<風切丸>が大根でも切るように切り落としたのは男の目ではなかった。

右腕だ。

激痛にうめく男が、それでも残された腕でイチイの弓を振り、ユウの顔面に叩き付けた。


「……っぐ!!」


自分自身の両目をしたたかに鞭打たれ、思わずのけぞりかけたユウが地面に打ち倒される。

振り上げられた<緑衣の男>の足が、ユウの胸にかけられ、踏みつぶされたのだ。


ロバートは、もうもうと上がった土煙が晴れるのを待った。

視界が元に戻った時、そこには二人が微動だにせず、互いを見つめていた。

<緑衣の男>は残った片腕で弓を持ち、口で弓弦を引いて矢をユウの喉元に定めている。

その彼の首筋には、半ばめり込むように<蛇刀・毒薙>の毒々しい刃が突きつけられていた。


互いに動けない。

HPはまだお互いに残っているとはいえ、それぞれがおそらくはもっとも強力な特技を残しての膠着だった。

ロバートが駆け寄ろうとした時、弓弦を咥えたままの<緑衣の男>が器用に口を開いた。


「簡単に殺せる、とは見誤りだった」

「……たかが土人ごときと侮って不覚を取ったか」


敵意に満ちたやり取りの後、どちらからともなく武器を引く。


「……あの<吟遊詩人(バード)>は元気か」

「……多分な。<大災害>以降、会ってはいないが」

「<大災害>ね。……ふん」


弓を下した<緑衣の男>が座り込み、不意に大声を上げた。


「タクフェル!! 傷薬を持ってきてくれ、一番いいやつだ! 腕を繋げなきゃならん!」

「……待っておれ」


荒らされつくした広場の横にあって、不思議と柵一本壊れていなかった薬草園から、

タクフェルがのそのそと半壊した家に入っていく。

それを横目に、ロバートも起き上がったユウの前に歩いて行った。


「目茶苦茶をしたもんだな、あんた」

「私の不注意を責めることと、私を侮ることとは別問題だよ」

「……日本人ってやっぱり理解できん」


そういいながらも、ロバートはより重傷な<緑衣の男>に血止め代わりに呪薬(ポーション)を渡すと、

続いてユウの体に呪薬を振りかけていく。


「思ったより傷がないな」

「避けた」


あちこちにかぎ裂きやささくれこそ出来ているが、ユウの黒衣――<上忍の忍び装束>にもさしたる傷はない。

レベルだけではないだろう。

多くの敵と袖が触れ合うほどの戦いを経て、ユウが手に入れた技術によるものだ。

ロバートは嘆息しながらも、文句が口をついて出るのを止められなかった。


「……あんたなあ!! いくら腹が立ったからって<古来種>と戦うなんて、正気の沙汰じゃないぞ!

考えてもみろよ、<冒険者>が<古来種>と戦って、無事に済むはずがないだろうが!

それに<古来種>は全員正義のヒーローなんだぞ! 敵に回してどうするつもりだったんだ!」

「いや……」


反論したのは、ユウではなかった。

<緑衣の男>だ。

彼は切り落とされた腕を繋げ、タクフェルが持ってきた薬をふりかけながらぼそりと言った。


「負けていたのは俺のほうだっただろうね、多分」

「……あんたが<古来種>だからか」

「そうだよ、『プレイヤー』」


その時、ユウはようやく先ほどの会話の違和感の正体に気付いた。

このゲームには自動翻訳機能があり、それは<大災害>後も変わることがなかったために、

ユウは<緑衣の男>にせよロバートにせよ、彼らの話す言葉を理解せずとも、

その話す意味が理解できていた。

だからこそ、気付くのが遅れたのだ。


「……<緑衣の男>。あんた、さっきから私たちをプレイヤーと言っているが、まさか」


ユウの問いかけに、男は腕に包帯を巻きながらあっさりと答えた。


「そうだ。おれは知っている。勝てない訳を。 ……自分が、何者なのかも、ね」


驚くユウとロバートの髪を、妙に生臭い風がひゅう、と揺らした。




2.



 家の中をあらかた片付け終えると、改めてユウとロバートはテーブルに座っていた。

ぶち抜かれた窓は、今は簡単に板をうちつけて塞いでいる。

もはや夕暮れにかかろうかという時刻だが、一人タクフェルだけは薬草園で植物の手入れをしていた。

彼が<冒険者>たちと一緒にいたくなかったという理由もあるが、

<緑衣の男>が一言告げて、この場から去らせたのだ。

残った3人は、改めて互いの顔を見かわした。


「……ひでえ目にあったよ」


口調だけは元のようにぼやきながらも、<緑衣の男>の目は笑っていない。

だがそれは先ほどまでの怒りではなく、どちらかというと悲しみに満ちているように見えた。


無言で続きを促した二人の<冒険者>を見比べて、<緑衣の男>は小さく笑った。


「おれがユウ、あんたに勝てないという理由だが、簡単なことさ。

俺たち『NPC』はあんたたち『プレイヤー』のお株を奪う行動はできないってことだ。

具体的には、特段命じられなければ、ある程度以上のレベルの敵は倒せない。

とどめを刺せないのさ」


なんでもないことのように<緑衣の男>が告げた言葉に、<冒険者>たちの目が見開かれる。


「あんた、この世界のことを」


切れ切れにいうロバートに、皮肉気に微笑んで男は言った。


「ああ、知ってるよ。この世界が元は<エルダー・テイル>という架空のゲームで、

あんたたちはそこで遊んでただけ、おれたちは……いわば遊び道具だ、ってこともね」

「なんで……<古来種>がそれを」


次に聞いたのはユウだ。

先ほどまでの激闘で見せた怜悧な動きが嘘のように、彼女の手はせわしなくあちこちを彷徨っている。

その動きをちらりと眺めて、<緑衣の男>は数か月前に起きたことを思い出すべく目を閉じた。



 ◇


 まだ、冬の雪が森を覆い尽くす季節。

それは、<緑衣の男>が暮らす異界の森、<深き黒森のシャーウッド>でも変わりはない。

どのみち、この森のほとんどの動植物は毒を持っており、食用には適さない。


その日、<緑衣の男>はさすがに日課の見回りに出る気も起きず、

机に足を投げ出して、手持ちの短剣を磨いていた。


タクフェルはいない。

外の村に診療に出かけたのだ。<薬師>である彼は、この世界で貴重な医療従事者でもあるのだ。


コンコン。


だからその日、静かにログハウスの扉がノックされた時、<緑衣の男>はてっきりタクフェルか、

あるいは村からの使いだと思ったのだった。


コンコン。


「開いてるよ」


面倒くさそうに<緑衣の男>が返した瞬間、ばたりと扉が開けられる。

そして、風に舞う雪とともに、使者は現れたのだった。



 ◇


「その男は?」

「さあな。言うだけ言ってさっさと消えたよ。 名前も知らん。

その時はおれも、動けなくなっていて追うどころじゃなかったし」


ひょい、と肩をすくめた<緑衣の男>は、くすくすと自虐的に笑った。


「だからな、ユウ。今のおれにはあの程度の動きが限界なのさ。

もうまともに特技も使えん。 だから、君が勝つ、と言ったんだ」

「……そうか」


それだけをこたえて、ユウが押し黙る。

その雰囲気を笑い飛ばすかのように、<緑衣の男>は投げ出した足を震わせて笑った。


「まあ、そんなわけだ。 外の世界が<冒険者(あんたら)>のせいで随分騒がしいことになってるが

今の今まで<古来種(なかま)>の噂を聞かないのも、大方同じ連中に同じことを吹き込まれたせいだろう。

俺たちの記憶、俺たちの思い出、俺たちの存在そのものが、作り出された嘘で、

その理由は何も高尚なことがあったからじゃない。

君たちプレイヤーが一時楽しむための、単なる舞台装置だって言うんだからな。

<古来種(おれのなかま)>は揃いも揃って真面目だから、堪えたんだろうぜ。

……だからな」


不意に笑いを収めて、<緑衣の男>は真面目に言った。


「ユウ。君の歌を家の外から聞いた時、おれは無性に悲しくなった。

そしてタクフェルの前でそれを歌った、君の無神経さに腹が立ったよ。

だが同時に、おれは嬉しかった。

おれたちが舞台装置だとするならば、おれとあの<吟遊詩人(ナーサリー)>が挑んだあの戦いも、

君たちの遊びのための寸劇だったことになる。

何の意味もない、人形同士の寸劇だ。

……だが、それを記憶し、歌にしてくれた奴がいる。

遠い故郷で、歌ってくれた奴がいる。

おれの戦い、タクフェルの思い、あいつの想い……それらを馬鹿にせず、忘れもせず、

受け止めてくれた奴がいるんだ。

それだけで、おれは救われる。

おれは、おれ自身に宿る気持ちを、作り物だと切り捨てずに済むんだ」

「……あんたは」

「タクフェルはこのこと――この世界(おれたち)が作り物だということを知らない。

だから単純に怒ったんだろう。 

だが俺は、タクフェルを悲しませたことに怒ったが……それだけだった。

仲間と離れてこの森に残った気持ちも、黒髪の姫(あいつ)を愛おしむ気持ちも、

すべて作られたものだと知ってしまったから。

だが、少なくともあの歌で思った。

過去はどうか知らない。 だけど、少なくとも今は、おれは生きているし、持っている気持ちも

このおれのものだ、と」

「『私は、この人生の喜劇で自らの役をうまく演じられただろうか? もしお気に召したならば、どうか拍手喝采を』」


<緑衣の男>の男が独白を終え、ユウがぼそりと付け加えた。

不審そうに見た二人の男に、肩をすくめてユウが答える。


「アウグストゥス……私たちの世界の過去の皇帝の今わの際の言葉だよ。

彼はこの世界でいう<七丘都市(セブンヒル)>を中心にした国の元首だった。

もちろん、私たち『プレイヤー』と同じ人間だ。

彼は生涯に渡って国の指導者であり続け、50年の治世ののちに死んだ。その時の言葉だ」

「それが……?」

「人形めいて何かを演じて生きる人間は多い。彼は『皇帝』を演じ続けたし、私も『ユウ』を演じていた。

自分で決めて演じることもあれば、周囲にそれを強いられることもある」

「……」

「誰かに作られた? それでもいいじゃないか。

確かにこの世界は元は私たちの世界にあるゲームで、<古来種>も<大地人>もそこに出てくる登場人物だったかもしれないが、少なくとも<大災害>以降はそうじゃない。

そもそも私たちプレイヤーだって、本当に誰かに作られた存在じゃない、とは言い切れない。

『世界五分前仮説』という説が私の世界にはある。

46億年かけて地球が生まれ、生物が進化したというのは誤りで、実は五分前に神によってそう作られた。

そう仮定しても、否定する根拠は何もない、という説だ。

『哲学的ゾンビ仮説』というのもあるね。

この世界に自分の『意識』や『心』を持っているのは自分だけで、ほかの全員は単に悲しいという信号を受けて涙を流し、面白いという信号で笑っているにすぎない、不死者(アンデッド)のような生物だったとしても、それを証明できない、という説のことを言う」


話す間にユウの顔は紅潮し、いつしか口調も激しいものへと変わっていった。


「五分前に神様にそうプログラムされて生まれたのが私だとしても、

心を持ったと錯覚しただけのロボットが私の正体だったとしても。

私は私だ。<毒使い>のユウだ。

<緑衣の男>、あんたと戦って引き分けたのは私だし、侮辱に怒って刀を抜いたのも私だ。

この森に来たのも、その前の冒険も、すべて神の仕組んだ人形としてではなく、

私が自ら選び、決めて歩いてきたものだ。

……それはあんたたちも同じだろう、ロバート、そして、<緑衣の男>」


やがて、<緑衣の男>が小さく「そうだな」と呟く。

すでに夜だった。


「今日はここに泊まるといい」


そう言って会話の終了を告げた<緑衣の男>が立ち上がりかけた時、バタン、と音を立てて駆け込んできた人影がある。

タクフェルだ。


「……タクフェル。まさか」


聞いていたのか?と<緑衣の男>が問うより先に、老<薬師>は叫んでいた。


「まずいぞ。森から光がある。<灰斑犬鬼(ノール)>じゃ……!」

「それは!」


叫んだ<緑衣の男>にこたえるように、開いた扉の向こう側に金貨のような光が無数に見えた。

立ち尽くす<緑衣の男>とタクフェルに、おずおずとロバートが問いかける。


「どういうことだ? ただの<灰斑犬鬼>なら」

「あれは……王の斥候だ」


呻くように告げた<緑衣の男>の声は、寒々とした夜風が吹き込む家の中で、

奇妙に不気味に響いたのだった。

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