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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第7章 <西の大地にて>
150/245

107. <殺戮機械の夜>

1.


「散開しろっ!!」


アンバーロードの声に応じ、ユウはちらつく目を必死に瞬かせながら飛んだ。

直後、触手と化した<装置>の一部が彼女の立っていた場所を床ごと抉り取る。

その先端には当たり前のように、ユーセリアの顔がついていた。

魔物と化した顔には、グライバルトではユウもニーダーベッケルも、アンバーロードですら

見たことがない表情が浮かんでいた。


飢餓。


どうしようもないほどに飢え、人としての人間性も何もなくすほどに飢えた表情だ。

ユウの整った顔に戦慄が浮かんだ。


人が。

<冒険者>が。


心が人から離れた者を相手にしたことはある。

人に似ていながら、人とは相容れぬ怪物を相手にしたこともある。

だが。


<冒険者>はどこかで同じだと思っていた。

姿かたちはさまざまだ。時には猫人族のように人から姿が大きく変わったとしても

ユウが出会った<冒険者>たちはいずれも、現代の地球を故郷とし、

現代の価値観をどこかで保持した「人」だった。

時に、まったく異世界の住人である<大地人>たちよりも。

だが、目の前のこの<妖術師>だったものは。


「ちぃっ!!」


舌打ちを道連れに、伸びた触手を叩き斬り、ユウは後ろを見ずに叫ぶ。


「ニーダーベッケル!! 市長を連れて脱出しろ! 上に行って状況を知らせろ!!

ローレンツなら動きが早い! 援軍をつれて来い!!」

「あんたはどうするんだ!! ユーセ……<装置(あいつ)>はオブジェクトだ!!

HPすらないんだぞ!!」


叫び返す声にユウは首を勢い良く振った。

血のように舞った長い黒髪を、触手がばさりと切り落とす。

ユウが改めて確認した、<装置(ユーセリア)>のステータス画面。

名前も、職業も、そこにはなかった。

ユーセリアがユーセリアであるもの、それすらなかった。HPも、MPすらも。


「ユニークオブジェクトかっ!!」


それは、かつてゲームだったころ、<エルダー・テイル>のあちこちに配された、

ちょっとした来歴やイベントのトリガーとなる設置物(オブジェクト)だった。

かつて、ユウは彼女自身がはるか遠い昔に思える頃、同じような敵対的なユニークオブジェクトと相対したことがある。

その時のユニークオブジェクトは木だった。

だが、今度は巨大な部屋の一面を覆うほどの巨大な装置だ。


顔を歪めたユウに、次々と触手が襲い掛かった。


ジャンプ。前転。腕を使っての無理やりの横っ飛び。

雨のように落ちる触手を次々とかわしながら、ユウの声が再び飛んだ。


「ニーダーベッケルっ!!」

「わ、わかった!!」


ギギィ、と扉が開く音がする。

もはや人語すら放つことなく追撃する触手に対し、ユウは手にした短剣を投げた。

身をくねらせて毒の刃を避け、そのうちのひとつがニーダーベッケルの左腕に噛み付く。


「う、うわ、離せ!!」

「畜生!」


アンバーロードの剣も、ニーダーベッケル自身の剣も跳ね返し、

ユーセリアの顔をした怪物は、ぎりぎりと<冒険者>の腕をひねり上げた。

絶え間なく続く激痛に、ニーダーベッケルの口から悲鳴が漏れる。

もはや、激痛(バッドステータス)単なる表示(バッドステータス)ではないのだ。


「落とせ!」


護衛役の動きを止められ、おたおたとよろめく市長を見て、ユウは走りながら叫んだ。

一瞬の後、意味を理解したアンバーロードが大きく頷く。


「すまん、ニーダーベッケル! 文句は後で聞く!」

「な!? うっぎゃあっ!!」


ぼたり、と鈍い音が響いた。

アンバーロードの剣が、文字通り一撃でニーダーベッケルの腕を落とした音だ。

隻腕になった<暗殺者>を蹴り飛ばすように、<修道騎士(クレリック)>の足が二人の生存者を押す。


「早く行け!」


そう叫んでアンバーロードが思い切り扉を閉めた刹那、氷原もかくやと言わんばかりの吹雪が、かろうじて間に合った扉ごと、彼を覆い隠していた。



 ◇



「……生きてるか?」

「…かろうじて」


 仕切りなおしだ。

ユウは、自らに回復をかけるアンバーロードを背に負うように、<装置>と対峙していた。


異形の機械と、かつてその探求者だった<妖術師>の残骸(ゾンビ)は、状況が一段落したことに気づいたのか、

これも触手を揺らめかせ、腐敗の見えない無表情な顔を向けて、ユウたちに向き合っている。


よく見れば、部屋の広さはちょっとした事務所ほどもあるようだった。

頭上から雪崩落ちたであろう土砂が部屋の半分近くを覆いつくしてなお、

二十畳以上を数える空間が<冒険者>と怪物を隔てている。


<装置(ユーセリア)>の意思はわからない。

ニーダーベッケルの左腕を捕食して、食欲が一段落したのだろうか。

この部屋に入るまで、立場的には敵に近かった二人の<冒険者>は、<装置>に聞こえないように小声で囁き交わした。


「まずはあの死体(ゾンビ)()る。

外の連中と何が違うのかは知らないが、こんな場所で魔法を連発されたら厄介だ」

「そうだな。この場に戦士(タンク)がいない以上、悪いがヘイトは稼いでもらうぞ」

「ああ」


応じたユウは、注意深く敵を見る、その視線をそのままにアンバーロードにたずねた。


ユーセリア(あいつ)、この装置の止め方について何か言っていなかったか?」

「分からん……そもそもここに来るまで、俺たちはこんな装置のことなんて知らなかったんだ。

その後はあいつはまともに返事もしなかったし……」

「市長の話によれば、あの<装置(ばけもの)>は何年か前のクエストの種だったそうだ。

そのころのクエストについて知らないか?」

「……すまない」


申し訳なさそうに首を振るアンバーロードに、舌打ちの代わりにため息をついて、ユウは視線を下げた。

ふと、その目が開く。


「これは……」

「それは……なんだ? 何かのマジックアイテムか?」


ユウの豊満な胸元に視線を向けたアンバーロードに、彼女は小さく首を振った。


「……いや。忘れていた……これが、本来あの装置の起動鍵(スターター)だったはずなんだ」


それは、瞬くように小さな光を明滅させる、小さな印章だ。

市長から、念のためにとユウが借りていたものだった。


なぜ、市長が執拗にこの地下都市に同行することを望んだか。

彼自身が知っていたからだ。

城の奥に眠る(いにしえ)の<装置>を起動し――完全停止させるには、

城主(アルヴ)の血を引く自分の血と、この印章が必要だと。

だが、<装置>は起動した。

ハーフアルヴである、ユーセリア自身の血によって。


では、この印章はなんだ?


「……もしかしたら」


決意を秘めたユウの声に、アンバーロードは耳をそばだてた。


「……もしかしたら。<装置>はまだ、完全に目覚めていないのかもしれない」



2.


 奇妙な静寂は、実に突然に破られる。


何の予備動作もなく、無造作に飛んだユウに、人の反射を超えたはずの<装置(ユーセリア)>は、咄嗟に反応できなかった。

そばで話し合っていたアンバーロードにとっても、意表を衝かれる行動だ。

だが、アンバーロードはさすがに<冒険者>だった。

剣を握る手が複雑な印を結び、十字の紋章が頭上に浮かび上がる。


「<聖域の防壁(セイクリッドウォール)>!!」


一瞬浮かんだ十字はすぐさま形を変え、飛び込むユウの周囲に球状となって広がった。

騎士の援護を受けた<暗殺者>の刃の向かう先は、装置に付随する触手……ではない。


「<ステルスブレイド>!!」


滑り込むかのように<妖術師>の後ろに回り、二本の刃が切り上げられる。

<ステルスブレイド>、さらに続けて<デッドリーダンス>。

踊るように刃を閃かせるユウに、ようやく気づいたように触手が口を開ける。

だが、それはもう遅かった。


「<スウィーパー>!」


いかに元<冒険者>とはいえ、<妖術師>の肉体だ。

速度に特化(ぜんふり)した<暗殺者(ユウ)>の斬撃に、ユーセリアだったものは10秒と耐えられなかった。

瞬転、両足を使って大きく飛んだユウの足元でゾンビが光となって弾け、その光に触手が飛び込む。

触手に影すら踏ませることなく、距離を置いて「ふん」と鼻を鳴らしたユウに、悔しがるように触手が鎌首をもたげた。

ユーセリアのうつろな視線は、いつのまにか無表情に戻っている。


『……ひどいことをしますね』

「ユーセリア。まだ意識があったのか、貴様」


やがて流れた声に、ユウは刀を構えたまま、小さく答えた。


肉体(ゾンビ)といっしょに大神殿へ行ったのかと思ったよ」

『私は<冒険者>であることを捨てたのです。そんなまがい物の体は、目的の邪魔でしかない』


<装置>から流れる声は、先ほどまでの狂気じみた影は鳴りを潜め、かつて<グライバルト有翼騎士団>の副団長だったころの理知的なものに戻っていた。


「目的……ね。あんた、現実へ帰るのが目的だそうじゃないか。

帰り道は分かったか? ログアウトのボタンは光ったか?」

『いいや』


ユウは、朧に光る<装置>をはじめて隅々まで見上げた。

今、ユーセリアの意志が宿っているその機械の集合体を、なんと表現すればよいものか。


床から壁面を伝い、天井に至るまで、無数の配管と機械、塔や膨らみが縦横に広がり、絡まりあっている。

そのあちこちからは、まるで生命を吸い取るように触手(ホース)が伸び、はるか天井からは蒸気(スチーム)が呼吸のように漏れていた。

うっすらとした明かりの中で、装置そのものがあちこちからバラバラな光を放つ(ダクト)を伸ばし、

それらは床面に近いところにおかれた、制御卓(コンソール)のようなものにつながっていた。

奇妙に科学的でありながら、どこか地球の機械ではありえない。

たたきつけるべき言葉を忘れ、ユウが<装置>に見入っていることに気づいたのか、

どこか得意げな調子で<装置(ユーセリア)>は説明を始めた。


『これは古代アルヴ族の遺産だ。魂のみを飛翔させ、いかなる場所へも送ることができる。

集約した魂が多ければ多いほど、それは強大になり、より効力を発揮する。

私はこれと同化して気づいた。

この世界に広がる魂の流れをね。

この世界で生きて死んだ者は、この世界そのものと言える巨大な流れに飲み込まれ、

しぶきが空中に飛び出すように、再び魂として蘇る。

この装置は、核となる魂を媒体に、そうした流れに飲まれる魂を掬い上げて己のものとする装置なのだ。

<冒険者>とて、その例外ではない』

「それで、どうやって元の世界に帰るんだ……!」


アンバーロードの押し殺した叫びに、ややあって<装置>は返した。


『帰る……? ああ、そうだ。帰るんだな。私の仮説では、この<装置(わたし)>を通せば魂だけだがどのようなゾーンにも行ける。

亡霊(ファントム)の移動距離は長いだろう?

これで<サンガニカ・クァラ>なり、ユウ(おまえ)のいたヤマトサーバなり、あるいはどこかにあるテストサーバなり、どこでも行って調査することができる。

何より、われわれは魂だけになってこの世界(セルデシア)に漂着したんだ。

帰りも魂だけになって帰るのが、道理というものじゃないかね』


<装置>が長広舌を振るう間、ユウもアンバーロードも、黙ってそれを聞いていた。

戦意がないことを示すためか、触手も動きを止めたまま、静かに空中を漂っている。


『ただ……』


質問がないことを察してか、<装置(ユーセリア)>の声が再び響いた。

その口調は、それまでの断言調とは裏腹に、どこか奇妙に戸惑った響きだ。


『調査のためには(かず)が足らない。この<装置>には本来、装置を作ったアルヴたち、そして昔のラインベルク伯が用いた実験台(いけにえ)の魂が充填されているはずだったのだが。

私が()る限り、この装置の中には何もない。

それに不思議なことは他にもある。ステータス画面が見えないのだ。

HPもMPも何もない。死んだときに感じた奇妙な安らぎも何もない。

ただ、寒くて暗いだけなのだ。

私は<装置>に()れたのか?』

「………」

『私は何物に成ったんだ? ……そもそも、何のために私はこう成ったのだ?

おかしい。 ……思考が脈絡を取れない。 

……何をするべきだったのだ? わたしは』

「……ユウ」


主の困惑を表すように、せわしなく明滅を始めた光を見ながら、アンバーロードは囁いた。

その顔に浮かぶのは、紛れもない、恐怖だ。

ユウが何かを返そうと口を開く間にも、<装置(ユーセリア)>の声が徐々に(ひず)んでいく。


『私は……そもそも誰だったのだ? なぜこんな場所に? わたしは?

私は、誰だ??』


そして、唐突にユウの肩を激痛が襲った。


「!?」


触手が噛み付いている。ユーセリアの顔だけを模した、もはや心のない物質は、うまそうににちゃりと白い肩肉を噛み千切ると、するすると下がった。

それに呼応するように、<装置(ユーセリア)>がほっとしたように呟いた。


『そうか。 ……お前たちを魂ごと食べればよいのか。それが私の役割だったのか。

ワタしは、ソレヲ』


触手が、爆発した。

そう思わせるほどの速度で、無数の触手がユウたちを襲う。

咄嗟に避けた二人の間を触手たちがすり抜け、すさまじい勢いで石壁に激突した。

与えられた衝撃に、古城全体ががくがくと揺れる。


「ユーセリア!!」

「無駄だ、あいつはもう助からん」


回復呪文も忘れて叫ぶアンバーロードに、隣で肩を抑えてユウが呻く。


「あいつは……あの<装置>はユニークオブジェクトだ。HPもMPもない。

本物のユーセリアの魂(あいつのたましい)がどこへ消えたかは知らない。

だが少なくとも、目の前の<装置(あれ)>はユーセリアじゃない。

HPやMP(たましい)を持たない被造物(オブジェクト)だ」

「じゃあ、あいつは!!」

「一番マシな末路は、今頃グライバルトの大神殿で目覚めて、ローレンツたちにタコ殴りに遭ってる、ってところだろうが、なっ!!」


襲ってきた触手を切り落として、ユウは反応起動回復(リアクティブヒール)で盛り上がる肩の肉を見ながら吐き捨てた。


「相手はユニークオブジェクトだ。破壊しようにもHPもない。前に似たようなものと戦ったことはあるけど……」

「どうやってその時は倒したんだ!?」

「爆破した」

「……ば、爆破…」


アンバーロードが呻く。

広い室内を縦横無尽に飛び回る触手に備えながら、彼の表情に絶望が浮かんだ。

ヘイトは現在、ユウに集まっているのか、幸いなことに回復に専念するアンバーロードを狙う触手はない。


『魂をくれ』『魂をよこせ』『魂を食わせろ』


呪詛のように呻きながら叩きつけてくる触手を、もはや斬るというより叩き落しながら、ユウもまた考える。


 かつて対峙したユニークオブジェクトは、森の中の木だった。

爆破しようが窒息も生き埋めの心配もなかったし、急激に熱せられた大気が上昇気流となって気圧の差を引き起こし、雲を呼んで雨を降らせることも期待できた。

だが、今は密閉された地下空間だ。

かつて<サンガニカ・クァラ>でも洞窟内を爆破するという暴挙に出たことがあるユウだったが、

逃げ道のないこのような場所で大量の爆薬を起爆させれば、窒息死か、生前埋葬か、

どちらにせよろくな死に方をしないのは目に見えていた。

いくら<冒険者>が不死とはいえ、死に方くらいは選びたい。

それに、とユウは数を増したかのような触手の群れを見上げて考える。

ユフ=インの木の時は、あくまで奇襲だった。

だからこそ、一撃で木の幹を倒せるほどの爆薬を設置できた。

だが、今は奇襲ではない。

いくらユウとはいえ、自分への敵意(ヘイト)に満ちた<装置>を、根こそぎ爆破できるだけの爆薬を設置する時間など持てはしない。


ふと、跳ぶユウの目の端に、小さな水色の光が触れた。


(あ)


思考の時間はわずか数秒、続いてユウは絶叫する。


「アンバーロード!! <セイクリッドウォール>と<リアクティブヒール>頼む!」

「ユウ!」

「試したいことがある!!」


空中で、触手をつかんで、逆上がりのように体を回し、ユウは放物線を描いて<装置>のそばに着地した。

もちろん、そこは触手で埋め尽くされている。


「ユウ!!」

「<スウィーパー>っ!」


周囲の触手がなぎ倒され、生じたわずかな隙間から、ユウは<装置>の正面、制御卓の前に飛び出した。

そこにあった小さなくぼみに、胸元から引きちぎった印章を押し当てる。

それは、あつらえたようにぴたりとくぼみにはまり、直後、水色の光が爆発するように溢れ出た。


「ユウーっ!!」

「私はアルヴじゃないが……南無八幡大菩薩!」


戦勝をつかさどる故郷の神の名前をユウが叫んだ直後、

湧き上がった水色の光が、部屋のすべてを覆っていた。



3.


「動けるものは隊伍を組んで城外に出よ!!」

「子供、足弱(あしよわ)の者は馬車に乗れ! 迷った者は南の門を目指せ!!」


ユウたちが戦っている、ちょうど同じころ、地上でも混乱が沸き起こっていた。

その混乱の中心にいるのは、名実ともに市長に復帰した、あのラインベルク市長だ。

周囲には、ニーダーベッケルを含め、何十人もの<冒険者>が集まり、それぞれに民衆を移動させている。


市長の復権は拍子抜けするほどにあっさりとしたものだった。

ランズベルク伯親子が手を回したのだろう、市長は伯親子に敵対的なことをしない、という、<筆者師>作成の誓約書にサインするのもそこそこに、市民たちに城外への避難を命じた。

今のところ、その命令はよく守られている。


もっとも効果的だったのが、ラインベルクに駐屯する<冒険者>たちが協力的なことだった。

そもそも、この町に現在滞在する<冒険者>は、ユーセリアの部下だった者たちか、

ユーセリアを監視するために送り込まれた<七花騎士団>のメンバーだ。

後者はそもそも、雇い主であるランズベルク伯の意を受けた市長に敵対する理由はない。

そして、ユーセリアの部下たちも、表立って反抗する者はいなかった。

誰もが、地下に篭りきりのリーダーに、言葉に出さないまでも違和感を覚えていたのだ。

アンバーロードからの主だった者たちへの念話、さらに地下から脱出した仲間の証言を聞いた彼らは、

ユーセリアに義理立てするよりも、まず自分たちの安全を確保することが先決、と思ったのだった。


ラインベルクは人口数万を擁する大都市である。

だが、戦闘、そして出稼ぎによって、一時的に人口が減っていたことも脱出を助けた。

今、市民たちは着の身着のままにわずかな食料だけを持ち、列を成して城門に向かっている。


「急ぐな!! すぐに危険があるわけではない!! 月が天に昇るまでに城門をくぐれ!!」

「周辺のモンスターは私たちが掃討済みです! 安心してください!!」


叫び声が響く中、ニーダーベッケルの耳にチリン、と音が鳴った。

念話だ。


「ユウか!?」

『悪いな、俺だよ』

「ローレンツ」


耳に響いてきたのは、わずかな別離に過ぎないがどこか懐かしい、頼もしい騎士団長(ギルドマスター)の声だった。


グライバルト(こっち)はなんとかなった。ヴェスターマンたち造反組も、とりあえず抑えた。

執政官(フルクのじじい)やグンヒルデども、俺たちが出てきたと見るやあっさり味方についたよ。

ランズベルク伯もとりあえずは大丈夫だ。

伯自身の身柄も押さえてあるし、そもそもユーセリアだろうが俺だろうが、自分たちの邪魔さえしなければ問題にはしない、というスタンスだな。

そっちはどうだ?』

「脱出は何とか予定通りに進んでいます。旧ローレンツ派や<七花騎士団>も協力的です」

『サラディンの前には英仏協力す、ってぇところか』


くっく、と笑ったローレンツは、すぐさま鋭く命じた。


『お前はとりあえず市長の警護につけ。一応秩序が立っているように見えても混乱の中だ。

誰が何をするか分からん。

市長から目を離すな』

「ユウとアンバーロードはどうします!?」

『……とりあえず待て。お前の報告が正しければ、今そこにいる連中をかき集めて突っ込んでも

何とかなる状況じゃない。

俺たちや<七花騎士団>の主力が来るまで、待つんだ』

「じゃあ!!」


悲鳴を上げたニーダーベッケルに、ローレンツは反論を許さぬ口調で告げた。


『冷たいと思うだろうが任務を全うしろ。お前の任務は、あいつらが地下で踏ん張っている間に、

<大地人>をできるだけ多く逃がすことだ。

それはグライバルトだろうがラインベルクだろうが変わらん。

いいか。くれぐれも軽挙するなよ。

お前が行っても、何にもならんのだ』


ぷつり、と念話が切れてからも、ニーダーベッケルは黙ってその場に立ち尽くしていた。

地上の人間たちの右往左往を見て取ったか、どこかで哂うような竜の咆哮が聞こえていた。



 ◇


 ユウは真っ暗な世界に浮かんでいた。


<サンガニカ・クァラ>の頂上で目にしたものと似ているが、どこか異なる。

あの時垣間見た世界は、まるでセルデシアから位相を一歩ずらしたような、異物感があった。

こちらは、単にあらゆる感覚を遮断されたような、

夢の中で白昼夢を見ているような、奇妙にぞわりとした感覚だけがある。


(あの<装置(オブジェクト)>の中……か?)


手足がどこにあるかが分からない。

常にユウとともにあるはずの二振りの刀の感覚も、なかった。

ただ。

胸元を照らす、小さな水色の光。

あの印章の光だけが、暗闇の世界に小さな輝きを保ち、ユウと共にある。


不意にユウは怖気を感じた。


何かが来る。


どうしようもなく敵意に満ち、自我すら喪失した何かがユウの元へとやってくる。


(食ワセロ)


それは、ユーセリアのように思えた。

いや、本物のユーセリアではないかもしれない。

ユーセリアと同じ気配をし、同じ声を発する何物かが、ユウを多い尽くし、貪り食らおうとしている。


(こんな対人戦(デュエル)、聞いたことがないぞ!)


思わず叫んだユウの意識野に、ステータス画面が浮かぶ。

HPは真っ黒に塗りつぶされているが、MPはまだ、青いままだ。

その奇妙さに気づくこともなく、ただMPがあるという、その一点でのみユウは安心を感じた。

まだ、自分は自分だ。

魂を失った怪物(ユニークオブジェクト)>ではない!


ユウは意識の中で、ユーセリアと真っ向から組み合った。

MPが、潮が引くように赤く染まっていく。

それが尽きたとき、自分はユーセリアと同じものになるのだ。

根拠もなく、そう感じた。


(食ワセロォッ!!)

(哀れなっ!)


故郷に帰りたいと願う、その<冒険者>の残骸を哀れみながらも、ふとユウはこの場における戦い方に気がついた。

肉体を見失った世界であればこそ、ユウの心は目の前の怪物ではなく、過去の戦いに思いを馳せる。

その時、わずかにMPの減りが減少するのを感じたのだ。


ユウは『目を閉じた』

目の前の怪物ではなく、過去の記憶を懸命に思い出す。


<大災害>後の旅。戦ってきた、無数の敵たち。

共に肩を並べた仲間たち。通り過ぎていった<冒険者>たち、<大地人>たち。

やがて記憶が尽きると、今度は<大災害>以前の記憶が蘇る。

ゲームだったころのこと。実社会のこと。

仕事のこと、家族のこと、家庭のこと、地域のこと。

生まれ育った故郷のこと、大学に入ってやってきた東京のこと。

年老いた父母のこと、親戚たちのこと。

再従妹(はとこ)の冴ちゃんは、確か大学を卒業するころだろう。

彼氏がいないというが、大丈夫だろうか。

そんな、自分を自分たらしめている記憶を必死で手繰り寄せ、ユウは叫んだ。


(私はお前とは違う! お前のようにはならん!

故郷へ帰るだと!? その道はここじゃない! 消えうせろ! ユーセリアを写しただけの化け物が!)


絶叫した瞬間、黒い空間が割れた。


 ◇


 アンバーロードは目の前で起きたことが信じられなかった。

ユウが動きを止めた刹那、ランダムに<装置>が光りだしたのだ。

あふれた光が収まって後、彼は呆然と正面を見ていた。


ユウは、いない。

<装置>もまた、動きを止めている。

暴力的な光は、まるで死んだようにすべて消え果ていた。


そして、ユウがいたところには、二つに割れた印章が、ぽつんとさびしげに落ちていた。

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