106. <古城の奥にて>
チリン
『ゾーン維持の為に支払う資金がありません。 放棄しますか? Y/N』
1.
月明かりが入ってくるわけでもないのに、城の中は薄ぼんやりとした光に包まれていた。
見る者を温める、火の明かりではない。
どこか<魔法の灯火>に似た、寒々しい青みがかった光だ。
城は、戦時の城塞としてではなく、平時の政庁として作られたもののようだった。
侵入者を惑わせる複雑な構造などはなく、本来は瀟洒な調度が訪れた客の気持ちを和ませる、
アルヴの美意識を結晶化したような、城というより宮殿というべき建物だ。
だが、現在は違う。
住人ごと地下に葬られたそこは、最期の激戦を表しているかのようにあちこちの調度は破壊され、
像が持っていたと思しき武器もない。
シャンデリアは崩れ落ち、あちこちに崩落した土砂や、簡易的に作ったであろう防御柵が設けられていた。
無論、その戦いに参加したであろうアルヴ兵たちと共に、だ。
「ゾンビの種類が変わったな」
「ああ」
ニーダーベッケルの声に頷き、ユウはとどめを刺したばかりの不死者から顔を上げた。
漆を塗ったような黒い外見が特徴だった外の<湿地の不死者>と異なり、城内のゾンビは一見すると生きている時と姿に違いはない。
生前に振るったであろう武器や、身にまとう鎧や服も、手入れでもしていたかのように綺麗なものだ。
ただひとつ。ぎょろりと白目を剥いた目だけが、彼らが生きた生物でないことをこれ以上なく表現している。
「<知性ある死者>……俺も他では見たことがない」
「レベルも色々と分かれているようだね」
口早に話し合いながらも、素早くドロップアイテムを拾い、ユウたちは立ち上がった。
パンパン、と服の裾を払い、後ろにいる市長に顔を向ける。
「大丈夫か? ここのゾンビのレベル幅は大きい。20だか30だかの連中がいると思えば、
90レベルのゾンビもいる。気をつけてくれ。
常に私たちの援護を受けられる位置にいて、周囲を警戒しててくれ」
「うむ。分かっておる。 とはいえ、こう数で来られてはな」
市長のぼやきももっとものことだ。
城のあちこちが土砂で埋まり、残された空間も籠城戦を経験したためか、あちこちが寸断されている。
ただでさえ狭い城内に、ゾンビたちがひしめいているのだ。
ユウたちが曲がりなりにも進んでいけるのは、ひとえに二人の<冒険者>が<暗殺者>だから、という点による。
不死者に対してすら気配を殺し、一気に近寄って、職業ならではの絶大な攻撃力で援軍を呼ばれる前に叩き潰すことができるからこそ、ユウたちは各個撃破の形を取れるのだった。
これが、戦士職や魔法職を含めた一般的な大規模戦闘構成のパーティであれば、苦戦は免れなかっただろう。
薄暗い空間の中で数を頼んでの消耗戦になったのは間違いない。
一方で。
ユウたちものんびりと進めたわけではなかった。
◇
「ニーダーベッケル! 市長を守れ!」
ユウの叱声に文字通り鞭打たれ、若い<暗殺者>が、今にも取り囲まれようとしている市長を横抱きに抱え上げた。
そのまま、一人のゾンビの頭を足台代わりに、大きく跳ぶ。
その直後、ぶおん、と振り下ろされた長剣が、一瞬前まで市長の首があったところを薙いだ。
「あっぶねえぇ」
そういうニーダーベッケルの着地点に移動したゾンビを後ろから蹴り倒し、ユウは鋭く吐き捨てる。
「気を抜くな! 市長にとっては間違いなく死地なんだ」
「俺たちにとってはちょっと忙しい『バイオハザード』だけどな、っ!」
市長を抱えたまま片手の剣でゾンビをあしらい、ニーダーベッケルが有名なゾンビ・アクションのゲームタイトルを言う。
懐かしく、どこかこの状況にはそぐわない日常性のある単語に苦笑して、ユウも次の敵に突進した。
「それだけじゃない。この先にいるのがユーセリアなら、いつまでもゾンビだけに任せてはいない。
仲間がいるかどうかはともかく、何かをしてくると思う。
ユーセリアはローレンツの軍師だったんだろう?」
「そうだ」
声は、まったく別の方角から聞こえた。
「誰だ!」
ゾンビの一体の首にすぱりと刃を入れて叫んだユウに、暗がりからゆっくりと男が顔を見せる。
仲間をつれて光の下に現れたその男は、二人の顔を見て疲れたように笑った。
「……アンバーロード」
<修道騎士>特有の、やや身軽な鎧をまとって現れたのは、
かつてユウとともに<醜豚鬼>討伐のため洞窟に潜った、ユーセリア派の<グライバルト有翼騎士団>の騎士の一人、アンバーロードだった。
<修道騎士>にして<追跡者>という、およそ大規模戦闘向きのビルドではない彼は、
かつて快活であったことが嘘のように、重苦しい顔でユウたちを見た。
「……ユウ、ニーダーベッケル。元気そうだな」
「おい! さっさと殺そう!」
逸る仲間を再び制すると、アンバーロードはなおもゾンビ相手に乱闘しているユウたちに話しかけた。
不思議と、大声でもないのにその声は通路に澄明に響いた。
「……ユーセリアを倒しに来たのか?」
「……ろくでもないことをしようとしてたなら、なっ!」
ユウの返事に、アンバーロードが「変わらないな」と小さく笑う。
そのまま彼は続けた。
「忙しそうだが聞いてくれ。まず、どうやってユーセリアの企みを察知したのかは知らんが、
そのとおりだ。あいつはこの奥で何かとんでもないことをしようとしている。
俺たちも止めようとは思った。
だが、あいつの意志は固い。
地球に帰るために、あいつはこの奥にあるアルヴの装置を使うつもりだ。
……使ったらどう帰れるのか、俺には理解できん。
ユウ。ニーダーベッケル。あいつを止めてくれ。
俺はあいつの友人で、シンパといえるかもしれないが、だからこそあいつに人でも、<冒険者>ですらないものにもなってもらいたくはないんだ」
「……どういうことだ?」
その言葉は、周囲のゾンビを倒し終えたユウと、アンバーロードの後ろにいる彼の仲間、二人の口から異口同音に発せられた。
一人は訝しげに、そしてアンバーロードの仲間は、明確な疑念と敵意をこめて。
「どういうことだ、アンバーロード。ユーセリアさんや俺たちを裏切る気か!?」
殺気の篭った視線をいなし、アンバーロードも手元の剣を抜く。
「俺は元のユーセリアに戻ってほしいだけだ」
「この、裏切りも」
激昂したその男の喉下に、スカ、と軽い音とともに光が刺さった。
見る間にもがき苦しみ、光へと変わるその男に、周囲の<冒険者>たち、ニーダーベッケルすらも一歩後ろに下がる。
<窒息>の毒で男を沈めたユウの手から次々と光が乱れ飛んだ。
それは、アンバーロードの真後ろにいた一人を除く、彼の仲間全員の口を瞬く間に塞ぐ。
仲間が、それも<冒険者>が次々と苦しみ始め、続いて化鳥のように飛び込んだユウに皆殺しにあうに及び、がたがたと震え始めた残る一人に、アンバーロードが優しいとさえいえる口調で言った。
「お前は、どうする? 一緒に来るか?ここでユウに殺されるか?」
必死でかぶりを振るその男の口をハンカチで塞ぎ、手足を縛るとアンバーロードは立ち上がった。
「来てくれ。案内する。……ただ、共闘はできない。俺もユーセリアの友達だったんだ」
2.
背後から聞こえるノックの音を、ユーセリアはもはや一顧だにしなかった。
どうせ、仲間が埒もない報告か、心配に来ただけだろう。
目の前の神秘に、もてるゲーム内外の知識で挑むことに比べれば、何のこともない。
もうすぐ解析できるのだ。
解析できれば、起動ができる。
起動の最後のキイだけが、分からないが……
目の前の装置に没頭していたユーセリアは、だからこそ後ろからの瞬時の踏み込みに対応できなかった。
「<アサシネイト>」
装備次第では堅牢な<守護戦士>すら沈める、<暗殺者>必殺の一撃だ。
それが二発。
一撃目にくらべてやや弱い二撃目も、薄いローブしか羽織っていないユーセリアの背中を存分に切り裂く。
血風が、周囲に舞った。
◇
市長から鍵といわれていた印章を受け取り、代わりに沈んだ顔のアンバーロードに彼を託してから
ユウたちはゆっくりと、ユーセリアがいるという扉を開いた。
視線の先には、これまでの回廊と比べるとやや薄暗い部屋の奥に、一人生気を発するローブ姿の背中が見える。
「ユーセリア……」
ニーダーベッケルが思わず呻く。
それほどに、かつての冷静で身奇麗な印象は彼の後姿からは失われていた。
髪型や服装は変わりがない。
薄汚れている、というのとも、違う。
ただ、印象があまりに違っていた。
目の前にいるのは、大きさすら定かではない装置に取り付く、一人の狂的科学者のカリカチュアだ。
その異様な雰囲気に、ローレンツの手ごまとして彼を敵視していたニーダーベッケルすら、思わず足がすくむのを止められなかった。
そんな<暗殺者>の横をすり抜け、ユウが走る。
何らかの迎撃装置があることは織り込み済みとばかりに、彼女が無音のまま駆ける足は、大きく円を描くように弧となっていた。
アルヴの遺跡、その最深部であることを考えれば、<衛士>クラスの敵がいてもおかしくないのだ。
急速に近づくユウの目の前で、ユーセリアはいらだったように頭をわしゃわしゃとかきむしり、
何らかのボタンを腹立ち紛れに押したようだった。
その直後、<暗殺者>の刀が<妖術師>の背中に到達する。
「<アサシネイト>」
ひそやかな睦言のような声は、果たしてユーセリアの耳に届いただろうか。
何の躊躇いもなく振り下ろされた刃は、彼の首を深々と抉り、続いて放たれたニーダーベッケルの<アサシネイト>が、彼の細い肉体を床に打ち倒していた。
◇
ばしゃ、と大量の血が装置にかかる。
一言も発しないまま、<妖術師>のHPが一瞬で赤に染まった。
止めを刺したことを確認し、ユウはたた、とステップを踏んで離れる。
殺すことに躊躇はない。
<冒険者>なればこそ、ひとたび殺しても、すぐにどこかで復活する。
先ほど、ローレンツから<大神殿>でよみがえったという念話を受け取ったばかりのユウだ。
グライバルトの大神殿でよみがえったユーセリアを捕獲する手筈は整えているはずだった。
だが。
不意にユウの目を七色の光が貫く。
それは、あのセルンド島で見たのと同じ、人を幻惑させかねない暴力的な光量でもって、容赦なく彼女の網膜に光を焼き付けた。
「うおっ!?」
横で同じく目を押さえるニーダーベッケルの姿が、涙の向こうにうっすらと見えた。
そして、ユウはその隣に信じられないものを見た。
◇
<黄泉返りの冥香>というアイテムがある。
蘇生の呪文を使えないパーティなどが、緊急時に使う類のアイテムで、
このアイテムを使用された<冒険者>は、ほんのわずかな時間だが、ゾンビとして蘇り、
HPがなくなっても動くことができる、というものだ。
代わりにもたらされる絶対の死、つまり経験値の喪失という代償があるため、
ベテランの<冒険者>であればあるほどに使わなくなっていく部類のアイテムだった。
もちろん、ユウも使ったことはない。
対人家である彼女にとって、使う人間を見たことも数えるほどだ。
<大災害>後は、もちろんだが絶無。
だからこそ、目の前で起きた異常事態を、ユウはそのアイテムのせいだと咄嗟に誤解した。
びくびくびく、と痙攣するものがある。
それは、下手糞な演者に操られる人形のように、いびつなしぐさで起き上がると、
血を断続的に振りまきながら、両手を掲げてニーダーベッケルに組み付いていた。
「なっ!?」
ユーセリアだ。
光となって大神殿に転送されるはずの彼の肉体が、真っ赤なHPのまま立ち上がり、
ニーダーベッケルに襲い掛かっている。
「な、な、な……!」
閃光に目をやられた彼は、自分が誰に襲い掛かられたのかすら分かっていない。
足をもつれさせて転倒したニーダーベッケルの顔面を、容赦なくユーセリア「だったもの」の拳が打つ。
非力な<妖術師>とはいえ、90レベルの<冒険者>だ。
自らの手から血がしぶくのもかまわずに拳を振り下ろす彼の下で、格闘技で言うマウントを取られて押さえ込まれたニーダーベッケルの顔がたちまちのうちに膨れ上がった。
ユウ自身、助けにいこうにも視線はいまだホワイトアウトしたに等しい。
実際、彼女にできたのは叫ぶことだけだった。
「ニーダーベッケル!回復して30秒待て! それでそいつは死ぬ!」
「そ……そいつ? 今俺を攻撃しているのはユーセリアなのか……ごほっ!!」
べきり、と嫌な音が響いた。
しゃべるために口をあけたニーダーベッケルの前歯を、ユーセリアの拳が折ったのだ。
歯を喉に詰まらせ、噎せる彼を、なおもユーセリアが殴る。
「<妖術師>がっ!!」
ユウは走り出そうとした。
その時だ。
視界の隅に追いやっていた装置から、聞き覚えのある声が響いたのは。
『そうか……鍵とはアルヴの血だったのだな。ハーフアルヴの私にも流れている、血だったのか』
「ユーセリア!?」
明らかに肉体とは異なる場所から響いてきたその声に、ユウは思わず振り向いた。
そして思い出す。
この装置について、市長はなんと言っていたか。
『人、あるいはその他の生物から魂を抜き取り、装置の中に入れる。
それによって、人は人たる意志を残しつつ、別の生物へと変わることができる。
かつてのラインベルク伯が研究していたのはそれだけではない。
いずれは、魂を純粋に思念体として作り変え、他の生物の魂を吸収して、世界すら飛び越えうる存在へと変える』
魂を、抜き取る。
それが、他者の魂だけだと、どうして思えるだろう……!
◇
「じゃあ、あの死体のユーセリアは」
『<知性ある死者>だよ、もちろん。
またの名をブアウ、とも言う、な』
確かに、ニーダーベッケルがようやく振りほどいたユーセリアの死体のHPは、再び青に戻っている。
プレイヤーだったときと違い、どこか寒々しい青色だ。
そして、読めないまでもユウには、彼のステータス画面に書かれたサブ職業の文字が、
かつてと変わっていることが理解できた。
「自分の魂を、装置に抜き取らせただと……!」
いまやゾンビと化したユーセリアの肉体と対峙しつつ、ニーダーベッケルが呻いた。
それに答えるように、装置からくすくすという笑いが聞こえる。
『実にいい気分だ。君たちのおかげでようやく起動できたしね。
これで目的に一歩、近づいた』
「それは元の世界に帰ることか、ユーセリア!!」
その場に四人目の叫びが上がった。
アンバーロードだ。後ろに守るように市長を連れ、彼はそのまま扉を閉めてゾンビを締め出すと
喉を枯らして叫んだ。
「あんたは言っただろ!! <冒険者>はいつか故郷に帰るんだと!待っている人が誰にでもいるんだと!
そのためにそんな装置を使ったのか、ユーセリア!! 答えろ!!」
『使った……?』
ユーセリアの声はおどけるようだった。
『使ったのではない。私が、この装置に<成った>のだ。故郷に戻る? もちろんだとも。
だがな、私は気づいたよ。ここ何日か、私はパンひとかけらも食べていないのだ。
ずいぶん、空腹なのだ』
「パンだと? 口すらなくしたくせに、よく言う」
吐き捨てるユウに、ユーセリアは――いや、『装置』はどこか楽しそうに告げた。
獲物を前にした、猟師のように。
ご馳走を前にした空腹の子供のように。
『私は、空腹なのだ。どうやって帰るかは、食事をしてから考える』
その声に濃厚に秘められた毒々しいまでの殺意に、<毒使い>はようやく気がついた。
「……何を食べる気だ」
『もちろん』
一拍を置いて、装置の各地がガシャリと開く。
そこには、見る人が見ればラッパに見えなくもない口があちこちに開いていた。
ただひとつ。
その『ラッパ』の奥に、不気味な怨霊めいた青白さの、ユーセリアの顔があることを除けば。
「!!!」
『君たちの魂ですよ、もちろんね』
「ニーダーベッケル!! アンバーロード!! 市長!! 飛べ!!」
ユウが叫ぶのと、各所のユーセリアの声が、『おぉぉぉぉぉ』と亡者じみた声を放つのとは同時だった。




