101. <クロデリク>
説明回。
本当は、描写だけですべてを伝えられないといけないのだがなあ。
1.
<同盟者たち>
そう呼ばれる集団がある。
目的も意識も別の、小さな集まりだ。
彼らがもたらした騒ぎも、広大なセルデシアの中ではほんの小さな、そよ風に過ぎない。
当事者以外にとっては、であったが。
◇
『疲れたか、アルフリッド』
水晶球から聞こえた父、クロデリクの声に、深々とソファに身を沈めたその男はあわてて立ち上がった。
彼と、水晶球の彼方とは、馬でも十日はかかる距離にいる。
にもかかわらず、アルフリッドは父の目が自分を見ているように思えたのだった。
「いえ、疲れてはおりませぬ」
気負うような息子の声に、小さな笑いが水晶球から漏れた。
その声に悪意は全くなかったが、それでもかすかにアルフリッドはむっとする。
彼は何もできない少年ではない。
既に30に近く、父よりランズベルクの伯爵位を相続した、歴とした貴族なのだ。
そして今、彼は父が企み、その仲間が構築した一連の陰謀の総仕上げとして、
ここ、グライバルトの市長公邸、その贅を尽くした応接室にいるのだった。
息子の内心を知ってか知らずか、クロデリクは微かに笑いながらも語りかけた。
「疲れた顔は民には程よく見せるのだ。せっかく、山ほどの援助物資を運んで来たのだからな。
せいぜい、民衆には苦労する貴族の姿を見せるがよい」
「分かっております。ですが……民衆はよいのですが、ここの有力者どもは一筋縄ではいきませぬな」
アルフリッドは、再び出そうになったため息を慌てて隠した。
「そういうな。何のためにそなたをグライバルトへ派遣したと思っておる。
物見遊山ではないのだぞ。その有力者どもを威圧するのだ。
ユーセリアと<七花騎士団>がおるではないか」
「父上……」
「フルクには利を与えるのだ。十分な富と名誉、そしてわれらに敵対するというポーズをな。
あやつは裏切り者として栄華を得る事を望んではおらぬ。
ユーセリアも同様だ。あの二人には表立って親しくしてはならぬ。
武力は、<七花騎士団>のボスマンと、アデルハイドが連れているブルクセン族に任せよ」
クロデリクの言葉は淡々としていた。
今まで自らの直衛とし、ランズベルクから離さなかった、同盟部族の族長にしてクロデリクの愛人、
ブルクセン族のアデルハイドをも、彼は息子に貸し与えている。
凶暴な蛮族の武力をもって、有力者たちをねじ伏せよ。
お前ならできるであろう。
そう、言外に告げながら。
なおも続く父の指示を神妙に聞きながらも、アルフリッドの心には徐々に黒々としたものが
わだかまってくるのを感じていた。
◇
水晶球が光を失い、アルフリッドの視界が急に暗くなった。
クロデリクが座を離れたのだろう。ジジジ、という獣脂蝋燭の燃える音が、やけに鮮明に響いた。
これは父の戦だ。
そう思いながらも、アルフリッドの手はゆっくりと卓上を滑り、小さな瓶にたどり着く。
夜の慰めにと持ってきた、ランズベルクのワインだ。
それを静かに口に含みながら、アルフリッドは思い返していた。
グライバルトを支配する。
ランズベルクの前伯爵、クロデリクがそう志したのは、もう50年近く前のことだ。
きっかけは何なのか、アルフリッドも聞いたことがない。
だが、年を経るごとに確実に積み重なっていく貿易の赤字、貴族の言葉をなんとも思わない不遜な市民たち。
それは老いていく父、クロデリクの心の中で、小さくも確かに燻る不満の種だった。
そして決定的なのが1年前の<異変>だ。
どこかからか現れ、どこかに消えていくだけだったはずの<冒険者>。
彼らが混乱し、集合し、離散していく中、周囲の貴族たちと同様、クロデリクもまた必死で彼らの招聘に努めた。
<冒険者>の武勇を知らない<大地人>はいない。
そんな彼らを召抱えれば、一族の悲願であるランズベルク伯領の拡大も夢ではない。
そして王へ。
小さな都市ひとつを領する伯爵親子の見た薔薇色の夢は、しかしすぐさま裏切られた。
「<銀行>や<大神殿>がなきゃ、なあ」
袖に取りすがる勢いで頼むクロデリクに、ある<冒険者>はそう言って苦笑した。
打ちひしがれるクロデリクを更に絶望に追い込んだのが、隣接するグライバルトにはそのどちらもが存在していたということだった。
ローレンツなる、妙にグライバルトに執着する<冒険者>の元に100人もの<冒険者>が集まった事で、クロデリクの心の中で50年来の積怨が一気に噴出したのだ。
グライバルトは滅ぼされねばならぬ。
わが手に落ちねばならぬ。
クロデリクは、その信念の元、ひとつずつ陰謀に着手していった。
だが、<冒険者>を擁する都市とまともに戦って、勝てるわけがない。
目をつけたのが、ラインベルク他、周辺諸都市のグライバルトへの視線だった。
交易で利を得ている町が、周囲を圧する武力を持てば警戒されて当たり前。
そうした諸都市が自然発生的に行った交易制限を、クロデリクは利用したのだ。
<同盟者たち>は、その陰謀の中で生まれた。
ランズベルク前伯、クロデリク。
息子であり現伯爵、アルフリッド。
クロデリクの股肱の臣ともいえるボウズリー商会の主、アラン・ボウズリー。
主たるメンバーはこの3人だ。
クロデリクの愛人でもあり、蛮族・ブルクセン族のアデルハイド族長も、
彼らの護衛として盟約に加わった。
だが、4人だけでは策を作れても、実行はできぬ。
そう思い、クロデリクは更に内通者を探した。
一人目。
ラインベルクの傭兵となっていた<冒険者>ギルド、<七花騎士団>のボスマンは簡単に取り込めた。
<冒険者>とて人である。男爵の位と人身に余る栄華を約束され、彼はあっさりと寝返った。
今では誰も呼びもしないのに、フォン・フォイエルバッハという家名まで名乗っている。
そして、他ならぬグライバルトの職工組合の組合長も、クロデリクの盟約に参加した。
報酬は交易の利だ。 彼の率いる職人たちの作る武器や農具は、ラインベルクのそれより劣っていたからだ。
ラインベルクを衰退させる。そのために、組合長も盟に名前を刻んだ。
もう一押し、というところで名乗りを上げてきたのがユーセリアだった。
手土産は自身で測量した町周辺の地図だ。
それがあれば、いずれグライバルトが叛いても、もはやランズベルクは恐れることはない。
ボスマン。職工組合長。そしてユーセリア。
7人は<筆写師>による契約書を取り交わし、<同盟者たち>は産声を上げた。
そして今。
すべてはクロデリクの筋書き通りに進んでいる。
グライバルトは、陰謀の犯人をあぶりだすために、自ら交易路をひそかに封鎖し、
周辺都市の動きを探るという悪手に手を染めた。
無論、そう仕向けたのはクロデリクであり、実行したのがユーセリアだ。
<七花騎士団>の存在をあぶりだしたグライバルトは、すぐさま次の策へと落ちた。
ユーセリアが誘導したとおりに、没落貴族のエゼルベルトを使い、ラインベルクを攻めたのだ。
ラインベルクは市長をはじめ、何人かの有力者を失った。
いずれも街を指導していた人物だ。
予定通りラインベルクは没落し、グライバルトはつかの間の凱歌を上げた。
そして、すべては反転する。
ローレンツの処断。
彼を生贄にしての、なし崩しの和解。
その中で調停者、そして援助者として、アルフリッドが馬を進める。
胃袋に与えられた満足とは巨大なものだ。
グライバルトは、まさに他愛なく、山のような食料、生活物資を運んできたランズベルクに心を開いた。
最も強硬に独立を主張していた新執政官のフルクですら、その市民の声に従わざるを得ないほどに。
代わりに得たのは、ランズベルクの独占的な交易権だ。
冷静な誰かが見れば、それは自由都市、交易都市としてのグライバルトに突きつけられた、太い絞首刑の縄だった。
だが、現実に好景気に沸くグライバルトで、反対の声はあまりに小さく、
そしてその声もまた、アルフリッドがひそかに送り込むブルクセン族の戦士の剣の前には無力だ。
なまじ、他国の商会や都市貴族が出て行った――出て行かせたことも役に立った。
残された市民にとって、百年後のグライバルトがランズベルクの奴隷であるかどうかより、
足元の金と食料のほうが大事であるからだ。
そしてすべては終わる。
眠気に緩やかに襲われながら、アルフリッドはゆっくりと目を閉じた。
父には反発するところもあるが、今回の一連の騒動、その裏に、若い伯爵であるアルフリッドを実地で鍛えようという思いがあることも分かる。
他の<同盟者たち>では、おそらくアランのみ薄々感じているだろう、
それは伯爵親子だけのもうひとつの目的だ。
それもまた、達成しつつある。
さあ、もう眠ろう。
明日もまた、忙しくなるのだから……




