番外12 <人形の家> (中篇3)
番外の話なのになんでこんなに長いのか。
下手くそだなあ。
1.
音が鳴り響く。
狂ったような朗らかさで笑う女の声。
じゅるじゅると何かを啜る、どこか淫靡な音。
それらは昼下がりの草原に、妙に艶かしく、そして寒々しく流れていた。
「ほどほどにしてくれませんかね、うちの子も腹をすかせていまして」
『息子たち』をぽい、と投げ捨てたジョセフが、口調だけは丁寧に、
笑い続ける目の前の背中に声をかけた。
しかし、返ってくるのは哄笑だけだ。
おぞましい虫型モンスター――『エリーゼ』が目の前の<冒険者>を食らうのを満足そうに眺め、
ヘレナはジョセフを振り向きもせず笑っている。
その目は大きく見開かれ、口は愉悦に踊っていた。
「エリーゼたちを悪く言ったからですよ、本当に、非常識な外国人」
呟く声に、ジョセフはうんざりと言いたげなため息をついた。
そうしながらも小刻みに震える『隣の奥さん』の後姿を、彼はねちっこく眺める。
「これがなければね……うん?」
ピイピイと、湿地の不死者に食われつつある同族に擦り寄る鷲頭獅子の雛を、ジョセフは振り向いた。
つかつかと歩み寄り、ピイ、ピイと泣くそれをいきなり蹴り飛ばす。
「うるさい」
先ほどまでの『息子たち』への態度ではない。
わずか10レベルに過ぎない雛たちは、いきなりの攻撃に血反吐を吐いて転がった。
体のあちこちを失いながらも、まだ生きていた最後の鷲頭獅子が、それを見て身を起こしかける。
それを振り上げた足で、いともたやすくジョセフは地面に埋め込んだ。
「……寝ていろ。『息子』を『父』がどうしようと俺の勝手だ。
あの気違い女の機嫌をとるためだけに生かしてやってるんだ、感謝しろよ。
ゾンビどもの生餌にしてやってもいいところなんだ」
ぺっ、と唾を吐き捨て、ジョセフは不意ににやり、と悪党じみた笑みを浮かべた。
「それに、群れを作らないお前たちの群れは、お前らの王の先触れだからだろう?
だからわざわざレイドボスの巣にまで潜ってあいつらを攫ってきたんだ。
早く王を呼べよ。
ちょうどよくこっちは召喚獣もいるんだしな。
鳥頭のお前と違って、王は交渉にも応じると聞く。
子供を人質に取られちゃ、さすがの王も<幻想級>を出さんわけにはいかんだろ。
そのためにあいつら以外の雛を皆殺しにしたんだ」
その言葉が理解できたわけでもないだろうが、今まさに息絶えつつある鷲頭獅子の嘴が、高く天に上げられた。
もう二度と戻れない、彼の本来の住処だ。
その喉からビイイ、というどこか悲痛な鳴き声が響く。
ジョセフは満足そうな笑みを浮かべたまま、光を全身から噴き出した鷲頭獅子を見つめていた。
◇
ゲフィオンの意識は途絶えていない。
何しろ彼女のHPはまだ尽きてはいないのだ。
尽きてさえいなければ、そして状態異常効果がかかっていなければ、強靭な<冒険者>の意識は、持ち主に気絶するなどという甘えを許すことは決してなかった。
だがそれは、起死回生のチャンスとは正反対だ。
生きながら甲羅にざりざりと肌を抉られ、露出した真皮と肉を口吻で啜り上げられる、
その痒みと痛みの混ざった強烈な苦痛に、ひたすら耐えなければならないからだ。
ゲフィオンは、自分が芋虫が嫌いだということを、ことこの場になって初めて『思い出した』。
以前も何か強烈なものを見た気がする、と変な既視感に覆われながら、自分の肩を食い荒らす『エリーゼ』を見る。
すでに脂肪はあらかた食い荒らされ、寄生虫が出た後の宿主のような惨状を呈している肩からは、ぶちりぶちりと奇怪な音が響いていた。
筋繊維が口吻に生えた鋭い牙によって噛み千切られている音だ。
その激痛が、ぬるぬるした粘液に覆われて痒いようなゲフィオンの知覚に、絶え間ない鋭い痛みを与えている。
生きながら虫に食われる。
想像するだに恐ろしい、その奇怪にしておぞましい、漫画のような体験を、ゲフィオンは目だけを憎しみに滾らせながらただ、耐えていた。
人間だからと、静かに生きているように見えたからと、甘く見た。
鷲頭獅子がモンスターだから、有無を言わさず襲い掛かってきたからということでいきなり戦闘に入り、
彼らの行動にこそ正義があるとは一片たりとも考えなかった。
なぜだ?
こいつらが、目の前で笑うこの女が<冒険者>だから?
相手が話の通じない<モンスター>だったからか?
モンスターに正義があり、<冒険者>のほうが狂っているとき、
それでも無批判に<冒険者>を助けるのが正義なのか?
これが鷲頭獅子ではなく、<大地人>であれば?
あるいは亜人、例えば<緑頭鬼>であったなら?
激甚たる怒りの中で、ゲフィオンの心の中の小さな大理石の扉が、わずかに開く。
硬く閉ざされ、彼女を茫漠たる記憶喪失の<冒険者>にしていた扉だ。
今、自分に対する怒りが、そうとは知らずかすかに扉の向こうの世界を彼女に届ける。
そうだ。
あのドワーフの娘は何を考え、人に仇なした?
あの黒衣の<道姑>は何を決断した?
それは今のゲフィオンには、確たる言葉としては聞こえなかったが、
彼女の脳裏を一瞬のうちに膨大な記憶が掠め過ぎ、そして消えていく。
そして、その後に残されたものは。
◇
「……どうしたの、エリーゼ?」
食事を続ける『娘』を満足そうに眺めていたヘレナは、不意に眉をひそめた。
一心不乱に獲物を貪っていた海毛虫もどき――<惑乱虫>が不意に動きを止めたのだ。
全身から規則的に放たれていた、周囲を幻惑する光も、微妙に不規則に揺れている。
その後姿が不意にぷるりと震えた。
ぶちり、と小さな音がする。
もぞもぞと、奇妙にすばやく下がってきた惑乱虫を見たヘレナは、狂人独特の妙にぼんやりとした目で、震える虫を抱き上げた。
その目が訝しげに細められる。
妙に粘液の量が多い。
『エリーゼ』はつらくても泣き言ひとつ言わないいい娘なのだけど、と彼女は惑乱虫の刺々しい甲羅の裏を見て――絶句した。
「……食ったものは、戻してもらおうか」
地獄の底から響くような声がする。
その声を放った<暗殺者>を抑えているはずの三頭猟犬は動かない。
「タイベリ……」
不意にその巨体が、何の前触れもなく光に変わった。
その異様な光景に、ヘレナは思わず目を見開いた。
「タイベリアス……あ、あなた、何を」
「どうした? ディーター夫人」
異変に気づいて駆けてきたジョセフに、ヘレナは震える手で指し示した。
そこには、血まみれの満身創痍の姿のまま、ゆっくりと膝をついて起き上がる、
憤怒に満ちた黒衣があった。
「……自分のサブ職業。こんな簡単なことも忘れていたとはね……」
「……貴様」
ヘレナを庇うように、ジョセフが前へ出る。
彼らの前で、食い荒らされた手をだらんと下げたまま、
ゆらり、とゲフィオンは立ち上がった。
血と土で痛々しいその顔から放たれる目は、殺気を宿して薄く光っている。
「私は、本当に愚かだ」
「ラベリウス!」
ぽつり、とゲフィオンが呟いた瞬間、どこか時計じみた鳴き声を上げてヘレナの後ろから何かが跳ね飛んだ。
<エルダー・テイル>においては神代の遺物とも、アルヴ文明の遺産とも言われる魂無き機械人形、
<時計仕掛けの蝙蝠>だ。
その銀色に輝く胴体から、光の奔流が放たれる。
す、と風が揺らめいた。
わずかに一歩。 体を移したゲフィオンの横を、白い光芒が翔け過ぎる。
己の必殺技を避けられ、動きを止めた<時計仕掛けの蝙蝠>の胴体を、深々と何かが貫いた。
煙と爆音を残し、墜落していく蝙蝠に突き立っているのは短剣だ。
「<アトルフィブレイク>……同じ人間ということで、狂人に味方してしまうとは」
「嘘よ!」
がしゃ、と地面に力なく転がった蝙蝠を目の端に見ながら、ヘレナは叫んだ。
「いくら<暗殺者>でも、召喚獣をナイフ一発で倒すなんて!」
「……さあね。さて、虫愛ずるおばはん、こっちは気が立っている。一撃で死のうが、二撃で死のうが関係ない。
柄にも無く仏心なんて見せたのが間違いだった。
そこの『娘』にせいぜい助けてもらいながら、今のうちに聖句でも唱えておけ」
力なく揺れる右腕を忌々しそうに見てから、ゲフィオンがゆっくりと歩き出す。
「……くっ! メッシウス! マケリーヌス! ナシディウス!ホラティウス!」
「待て! 今は全力召喚は……!」
両手を掲げようとするヘレナを、肩を抱くようにジョセフがとめる。
そのまま、もがく彼女を抱きしめるように、ジョセフがその首筋に鋭くささやいた。
「……もうすぐ敵が来る。あいつは私に任せてくれ。
あなたはエリーゼと、私の息子たちを頼む。なに、瀕死の<冒険者>くらい簡単だ」
先ほど、その『息子たち』を自ら瀕死にしておきながら、さも真剣そうにジョセフが目配せをする。
ヘレナも、『娘』に噛み付いたという怒りを、信頼する隣人の説得で収めた。
大事そうに怪生物を抱えて後ろに下がる。
肉を食って満足したのか、後ろの<湿地の不死者>たちは動かない。
ヘレナが近づいたのに反応すらしない、その男女二人の成れの果ては、彫像めいた無機質さでただ立っていた。
分厚い指をぼきぼきと鳴らして、ジョセフがゲフィオンの前に立つ。
「……で、ずいぶん滅茶苦茶をしましたね。痛いでしょう」
丁寧な口調に、口だけを小さく歪めてゲフィオンは嘲笑った。
「そちらこそ。ゾンビと鳥と虫と家族ごっこは疲れたろう」
「……!」
「あんたの目はあの女の目とは少し違う。あんたは正しく見えてるんだろう?
なぜ一緒になって狂った振りをしている?」
「……私は、ディーター夫人が哀れで」
「哀れむ相手の尻をあんなにじろじろ見るものか」
黙りこくったジョセフに、ゲフィオンがあからさまな侮蔑の目を向けた。
「どうも変だと思った。単なる家族ごっこにしては、雰囲気が妙だったし、ディーターに対する距離も近すぎる。
子供とやらも、抱いているというより押さえ込んでいるように見えた。
何より。
なんでわざわざこんな島に来たか。いくら怪物連れと言っても、もっと隠れやすく安全な場所があるはずだ」
「……ボケているように見えたが、なかなか見てるじゃないか」
しばらく経って答えたジョセフの声は別人のように刺々しかった。
「この世界、気が狂う奴は多いからな。
あのディーター……ヘレナは良い体でな。
知ってるか? 夜中、あの化物虫の効果で、ヘレナは俺を夫、カールだと思うのさ。
あいつ自身はまだ夫に貞淑な妻のつもりだろうがね。
今じゃあいつの背中のほくろも、俺は知っている。……日本人にもわかるだろう?この例え」
なんと下劣な、とゲフィオンが見る中、ジョセフはさも嬉しそうに続けた。
「昼間は良き隣人、夜は夫……。背徳感というのかな?
実にいいもんだ。それに比べりゃ、ちょっと虫が気持ち悪かろうがどうでもいいね。
それに、ここに来た理由は簡単さ。
あの汚い鳥猫どものためさ。それは」
「まあいい。もうこれ以上聞きたくない。死ね、とりあえず」
ふん、と鼻を鳴らしてジョセフの声を遮ると、ゲフィオンは動く左手でゆっくりと刀を構えた。
その彼女を見て、今度はジョセフが嘲りの笑いを浮かべる。
「回復はいいのか?」
「してほしそうな口調だな」
「もちろんだ。もうすぐここには強敵が来るからな。
できれば戦える相手は一人でも多いほうがいい」
「この期に及んで、お前らと共闘すると?」
「そりゃ、そうさ。 相手はモンスターなんだからな。
どこの世界に、モンスターに与して<冒険者>を殺す<冒険者>がいるというのだ」
ひひ、と笑ったジョセフに、ゲフィオンが何かを言い返しかけたとき。
不意にあたりに鋭い音が響き渡った。
2.
「早く!」
アールジュは仲間たちを連れ、セルンド島の道をひた走っていた。
元の地球であれば、デンマークの首都コペンハーゲンがあった島だ。
ハーフガイア・プロジェクトによって、一辺を半分にされていても、
パーティを組んだアールジュたちには、ゲフィオンの戦場はあまりに遠かった。
率先して馬に乗りながら、アールジュはちらりと後ろを見る。
そこには、無言のまま黙々と愛馬に跨るロージナの姿があった。
その後ろには、4人。
いずれも、戦闘を経験し、何とか戦場の動きもできるという女性たちだ。
彼女たちはミリアムをはじめ、残るリーダー格の女性たちに<修道院>を任せ、
<大地人>の船に乗ってゲフィオンを助けに来たのだった。
アールジュは馬に鞭を当て、獣道のような細い道を疾走しながら、今朝のことを思った。
◇
アールジュはもはや、ロージナと袂を分かつことすら考えた。
ロージナと違い、アールジュには男だろうが新参者だろうが、窮地にある<冒険者>を見捨てるという考えは、それこそ頭の片隅にも無い。
現実世界で性同一性障害を専門とするカウンセラーとして多くの人を助け、そして自らもまた、心と体の性別の不一致にひそかに悩みぬいていればこそ、
アールジュは助けられる人を見捨てようとはどうしても思えなかった。
ロージナの気持ちもわかる。
<傷ある女の修道院>とは、その実非常に脆い集団なのだ。
ゲームのために集まったわけでもなければ、もともと強固な仲間意識があったわけでもない。
<五月の異変>――<災害>以来、吹きすさぶ逆風に疲れ果て、それでもかろうじて逃げることが叶った人々が、一人、また一人と加わってできただけの、緊急避難所のような場所だ。
彼女たちはここで癒されたわけではない。
ただ、同じ境遇に苦しむ仲間たちとともに、一時、その痛みを忘れているだけなのである。
医療に従事する者としては、その現状に忸怩たる思いがあるが、
ことが精神の領域につけられた傷である以上、治癒にはなにより時と安静な場所が必要だ。
その集団を率い、守る責任があるロージナが、正体不明の異邦人や、女性たちにかつての悲劇を思い出させる『男』というものに対し、警戒するのは無理も無い。
だが、とそれでもアールジュは思うのだ。
今いる仲間を守るために、助けられるかもしれない新しい仲間を見捨てること。
それは、<傷ある女の修道院>として、本来掲げられるべき理想に悖っていることだと。
この修道院は聖域ではない。閉鎖的な小世界でもない。
癒されるべき人にその門を開き、癒し終えると送り出す、救急病院であるべきなのだ。
アールジュは、ロージナの部屋を憤然と出たその足で、それぞれの場所で労働していた<修道院>のメンバーを呼び集めた。
そして彼女らの前で、ゲフィオンの冒険と、彼女が行った先に傷を負った男女がいるかもしれないことを、包み隠さず告げたのだ。
その上で、怒りに満ちて飛び出してきたロージナを無視して、アールジュは問いかけた。
ゲフィオンを助けに行くべきか、その男女を修道院に迎えるべきか、と。
その場のメンバーたちは悩んだだろう。
彼女たちが心を切り刻まれた、その傷はいずれも深い。
それでも最後には、全員が『助けに行くべき』と告げた。
それを聞き、拳を握り締め立ち尽くしたロージナに、アールジュは振り向いて言った。
「これが<傷ある女の修道院>の本当の気持ちだと思う。 ロージナ、私たちは行くべきよ」
そして、アールジュたちはここにいる。
<大地人>に船で送ってもらい、この封じられた大規模戦闘の島へ。
◇
「……この島の大規模戦闘とは」
ふと、隣を走るロージナの声に、アールジュは馬を駆りながら視線を向けた。
ロージナはそんな盟友をちらりと見もせず、独り言のようにぽつぽつと呟く。
「<鷲頭獅子>の異常発生から始まる。彼らは瞬く間に島を支配する」
「……」
「彼らは先触れなんだ。レイドボスである彼らの王、<鷲頭獅子の黄金王>の。
ハーフレイドクラスの、あまり頻繁には発生しないクエストだったが、
そのクラスにしては不思議なほどに良いアイテム――<幻想級>の装備を出す。
<黄金王の羽根>、<黄金王の剣>といったものだ」
「ロージナ」
「私も参加したことがある。特に<黄金王の剣>は、レイドボスを相手にする時に絶大な攻撃力を持つ装備で、戦士の憧れの的だった。
だが、それをドロップする<鷲頭獅子の黄金王>の強さは桁違いだ。
私のいたチームでも、単なる力押しのクエストだったにもかかわらず、何度も全滅した。
最終的にドロップを手に入れたのは、ゲフィオンと同じ東洋人のギルドだったと聞く」
「……」
「ゲフィオンの報告を聞いたとき、私は真っ先にこのレイドクエストの事を考えた。
で、あれば」
ロージナが口を閉じた瞬間、耳を劈くような強大な轟吼が、一行の耳を突き抜けた。
獰猛でありながらどこかに音楽的な響きを帯びた、現実世界の野獣では決して出せない声だ。
「……やはり、来たか、<鷲頭獅子の黄金王>」
ロージナが馬を駆りながら、ちらりとアールジュのほうを向いて、疲れたように笑った。
◇
それは、一般の<鷲頭獅子>をはるかに超える大きさだった。
先ほど、ゲフィオンが死闘を繰り広げた鷲頭獅子たちの、ゆうに三倍はあるだろう。
獅子の体を包む毛並みは鮮やかな黄金色に輝き、蒼氷色の理知的な目は、今は恐ろしいほどの殺気に満ちて下界を睥睨している。
獰猛さと優雅さを兼ね備えた、まさにそれは幻想の世界にだけいることを許されるべき、巨獣だった。
<鷲頭獅子の黄金王>だ。
この島を舞台にした大規模戦闘のボス。
その優美にして巨大な爪は、<エルダー・テイル>時代から数えると、無数ともいえる<冒険者>の断末魔の血を浴びている。
その目がぎらり、と輝き、地上にいる生き物たちを一人ひとり、眺め見る。
そしてその視線が、地面に力なく横たわる二頭の<鷲頭獅子の雛>に向けられた瞬間、
先ほどに倍する声量で、再び<黄金王>は雄たけびを上げた。
先ほどの咆哮がそよ風だとすれば、今度は間違いなく烈風だ。
守るべき雛たちを殺され、生き残った雛も攫われ、そして今瀕死で大地に身を沈めている、
そのあまりの理不尽さに、<黄金王>は激怒していた。
ヘレナも、ゲフィオンも、あまりの威容に言葉もない。
だが、その中ですかさず進み出て叫んだ者がいた。
ジョセフだ。
「そいつだ!!」
その指がぴたりと指し示す先には、ぼうっと立つ<湿地の不死者>二体がいた。
自らに掛けられた冤罪も知らぬ気に、彼らは死んだときそのままの顔で黙りこくっている。
いや、そのうちの一体、『カール』が不意に身を翻した。
ヘレナの夫の役を割り振られていた、男性体の不死者だ。
よたよたと逃げようとするそれを、<黄金王>は見逃さなかった。
ばさり。
天空から地上に巨大な影を投げかける、その翼が羽ばたく。
それだけで、その<湿地の不死者>は倒れこんでいた。
背には無数の黄金色の小片が刺さっている。
羽ばたきとともに放たれた、<黄金王>自身の羽根だった。
わずかに一撃。
それだけで、この哀れな不死者は仮初のHPを失い、光とともに土に還っていく。
その圧倒的な威力に戦慄するゲフィオンを尻目に、今度は<黄金王>自身の体が緩やかに下降し始めた。
舞うようなその動きは、たちまちのうちに速度を増し、
地面に激突するときはさながら弾丸のようだった。
すさまじい轟音が響き、土礫が周囲に飛び散る。
『マリア』――ジョセフの妻役だった不死者に、急降下しざまの前足の一撃を振り下ろしたのだ。
もうもうと舞い上がった煙が晴れたときには、当たり前のように不死者はどこにもいなかった。
重量と速度によるエネルギーにより、文字通り叩き潰されたのだ。
地面にしっかりと爪を立て、<黄金王>が吼える。
それはゆっくりと、雛たち――文字通り<王子>だったものたちに近づこうとした。
雛たちがかすかに呻く。
<黄金王>もまた、別の生き物のような甘やかな咆哮で答えた。
だが。
親子の対面は成されなかった。
「ちょっと待ってくれ」
ジョセフは文字通り雛たちを、<黄金王>の寸前で掬い上げ、
しっかりと腕で掴み締めたまま、<黄金王>の前に立った。
怒りの叫びが王の口からあがる。
だが、先ほどの不死者のようにはいかない。
まるで――いや、文字通り人質として、ジョセフが雛たちを前に掲げたからだ。
「<鷲頭獅子の黄金王>。お初にお目にかかる。俺はジョセフ。<冒険者>だ」
口調すらぞんざいなものに変えて、ジョセフは不敵に笑った。
足を止めた王に対し、これ見よがしに腰のポーションを見せ、雛たちの口に宛がう。
「ちょっと待て! 毒じゃない。あんたの雛たちを良く見てみろ」
雛たちの傷が見る見る回復するのを<黄金王>が確認したのを確かめて、ジョセフは口を開いた。
「見てのとおりだ。俺はあんたの雛を保護し、あのアンデッドどもから守った。
こうやって回復もした。
あんたも王なら、受けた恩への返し方は知っているよな?」
「……あいつは、馬鹿か?」
交渉に入ったジョセフを見ながら、ゲフィオンは思わず呻いた。
先ほどの殺意は消えてはいないが、目の前の光景がもたらすあまりの衝撃に、それらはかなり薄められている。
注目が外れるや否や飲んだ呪薬のおかげで、皮を残してほぼ失っていた右肩も肉が盛り上がっていた。
この調子であれば、数分後には問題なく傷は癒えているだろう。
だが、目の前で繰り広げられている光景への衝撃は消えるどころではない。
世界各地に、それこそ星のように散らばるレイドボスたちの中には、確かに知能の高いとされる相手もいる。
だが、所詮は運営が作ったゲームデータ上がりのモンスターなのだ。
人間同士のように交渉を行うなど、狂気の沙汰としか思えない。
そういいながらも、目の前のジョセフを見る限り、彼の顔は真剣そのものだ。
彼は本気で、雛を出汁に使って交渉をまとめられると思っている。
「……ジョセフ?」
物言わぬ怪物を抱えたまま、ヘレナが小さく呻くのが聞こえた。
◇
「俺はあんたと戦いたいわけじゃない。 雛も返す。
だが、対価がほしい。俺の払った努力に対する対価だ」
その言葉を聴き、ぐるるる、と呻いた<黄金王>の足元でじゃららら、と音がした。
「金貨だと!?」
ゲフィオンが目を丸くして叫ぶ。
死んだモンスターからのドロップではなく、生きたモンスターが自ら金貨をドロップするなど、前代未聞だ。
だが、ゲーム時代、それもかなり昔には、死んだ直後のモンスターの死体を漁って金貨を奪う、という行動が取れたこともあると聞く。
今でもそれができるかどうかは定かではないが、金貨をドロップすると言うことは、
モンスターは通常から金貨を持っている、ということになる。
であれば、知能が高いとされる<黄金王>ならば、自ら落とすこともできるのではないか。
完全にその場の傍観者と化したゲフィオンがそんなことを考える間にも、交渉は続いていた。
「違う、金貨がほしいんじゃない」
大きく首を振り、拒絶の意志を示した目の前の敵に、再び<黄金王>が唸った。
あたかも、「不遜だぞ」と怒りを見せているかのように。
「鷲獅子王の手甲を望んでいる」
ジョセフは、ゆっくりとした発音で告げた。
◇
怪物の王と<冒険者>の男、二つの視線はしっかりと互いを貫いていた。
目も、体も、微動だにしない。
ジョセフはそんな状況の中、ゆっくりと繰り返した。
「あんたの持っている<幻想級>装備、それが欲しいんだ。このお子さんたちと引き換えにね」
「そんな……あれはヨナタンとヨハンじゃない。どうして」
ヘレナの声がかすかにゲフィオンの耳に届く。
その目は、目の前で起きていることが信じられない、という顔のままだ。
(そりゃあ、そうだろうね)
そんなヘレナを見て、心の中だけでゲフィオンは舌打ちした。
結局、この哀れな女<冒険者>は、自らの幻覚を共有してくれる、と思っていた相手に裏切られたのだ。
『夫』と『隣家の妻』を殺され、『隣人自身の息子』をモンスターに差し出す。
ヘレナの目には文字通り、そう見えているのかもしれなかった。
だが、どちらにしても今ジョセフは、ヘレナのことは心の片隅にも止めていない。
そしてユウは、目の前で起こるいびつな和平交渉を、手をこまねいてみているしかなかった。




