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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第7章 <西の大地にて>
140/245

番外12. <人形の家> (中篇)

長くなりました。

……原作、すごく楽しみな活動報告だなあ。

1.


 村は静かだった。


ゲフィオンが着いたのは早朝もかなり早い刻限だったが、それでも一見して分かる雰囲気に、思わず彼女は周囲を見渡す。


静か過ぎる。


元は廃墟であることを差し引いても、少なくとも1人以上の人間――かどうかは分からないが――が暮らしているはずだ。

生活音や生活臭、たとえば気配のようなものでも、もう少しあってしかるべきだった。

それが、ない。


まるで既にこの一帯から何者かが退去してしまったように。


 墓場に似た静寂の中を、ざくり、とゲフィオンが土を踏む音だけが乱している。

修繕された家に近づいても、静けさを破るのはゲフィオン自身の足音だけだった。


異様。


(もしかして、別の召喚獣の能力か?)


ゲフィオンはふと思い至り、周囲を睨むように見回した。

だが、彼女の視界に映るのは、人が手入れを捨てた過去の遺物だけだ。


(もしかすると、この島であったというレイドクエストがもう一度発生したのか?)


ゲフィオンの脳裏で警報が鳴る。

レイド――大規模戦闘(レイドバトル)は、その名のとおり12人以上のプレイヤーが協力してクリアするクエストだ。

よほどの裏技を使うか、あるいはそのクエストの対象レベルより圧倒的に高い能力で無い限りは、単独で踏破することなど出来はしない。


(そうなると、最低限の情報を収集して撤退……が最善ということになる)


大規模戦闘は過酷なクエストだ。

盾役(ヘイター)回復役(ヒーラー)攻撃役(ダメージディーラー)が揃い、かつ効果的に連携しないと、多少のレベル差などひっくり返されるのが、<エルダー・テイル>における大規模戦闘(レイド)だ。

ゲフィオンは自分の来歴に関する記憶をほとんど失っていたが、それでも自分ひとりで大規模戦闘(レイド)を切り抜けられると思うほど、楽観的にはなっていなかった。

いや、もし本当にレイドだとすれば、<傷ある女の修道院>の総力を挙げてもクリアできるかどうかはわからない。

何しろ彼女たちは、|レイドのために集った集団(レイドせんもんギルド)ではないのだから。



 ゲフィオンが、そこまで考え、手にじわりと浮かんだ汗を自覚したとき。

唐突に後ろから獣臭い吐息が流れた。


咄嗟に転がる。

ぶん、と振りぬかれる太く黒い脚。

昨夜に引き続き、二度目の伏撃(アンブッシュ)だ。

舌打ちをしながらごろごろと転がり、距離を置いて立ち上がったゲフィオンを、三対の目が見おろしていた。


「……三頭猟犬(ケルベロス)


並みの狼はおろか、象に匹敵するほどの体躯。

牙を剥き出しにした獰猛な顔。

油に塗れた、ごわごわとした黒い体毛。


それは間違いなく、80レベルのモンスター、三頭猟犬だった。


(こんなのがいることに気づかなかったとは!)


ゲフィオンが舌打ちをしながら飛び退ったのと、三頭猟犬が大地を蹴ったのは同時だった。

矢のように飛び込んだ猛獣の牙が、ゲフィオンの袖すれすれでガチンと噛み合わされる。

ほっと一息つく間もなく、別の頭が首を伸ばして、自分より遥かに小さなゲフィオンの頭に食らいつかんと雪崩落ちた。

着地直後で動くことも出来ないまま、咄嗟に翳した緑の刀と牙が、金属質の音を立てて交差した。

体勢を立て直したゲフィオンに、残り二つの頭と前足が轟音を立てて振るわれる。

嫌らしくも時間差をつけての攻撃だ。

飛ぼうにも、ゲフィオンの刀をひとつの頭が噛み止めているために跳べない。


喰らいつかれるのを覚悟で、ゲフィオンが目を閉じた、そのとき。


「待ちなさい!」


涼やかな声が響いた。


ぴたり、とゲフィオンの目の前で爪と牙が止まる。

ごふう、と生臭い息を吐きかけられた彼女が顔をしかめるのと、


「戻りなさい! タイベリアス!」


女性の声が響いたのは同時だった。


グルルウ、と三頭猟犬が唸る。

それはまるで、餌を前に待てと言われた大型犬の挙動そのままだ。

ゲフィオンが目を開けると、そこにはつい先ほどまで姿も無かった一人の女性がいた。


落ち着いた雰囲気の紺のブラウスに、肩からショールらしい布を羽織っている。

足元はフレアスカートのように広がったロングスカートで覆われ、皮製のサンダルが足元を包んでいた。

ブルネットというにはやや濃い髪は、寝起きらしくひとつに編みこまれている。

その戦闘用とはとても思えない装備にゲフィオンは思わず目を丸くした。

そして、彼女はどこから出てきたのか。

このような、とても隠密には向かない格好であるはずなのに、

彼女が声を発するまで、ゲフィオンの知覚に彼女はいなかった。


「戻って、タイベリアス」


だが、ゲフィオンの驚きと混乱など知らぬかのように、その女性は三頭猟犬に重ねて命じると、ゲフィオンをきっと睨んだ。


「あなた、強盗!? 何者なの!?」


その言葉は、とても三頭猟犬を自在に操る<冒険者>のそれではない。

ましてや、<暗殺者>に存在すら悟らせなかった戦士の発する叫びではなかった。


何かがアンバランス。

いや、自分がアンバランスなのだろうか。

ゲフィオンは何度目かわからないほどに、頭がクラクラと揺れるのを感じた。


「……あんたこそ誰なんだ」

「聞いているのはこちら! 答えて!」


ゲフィオンの反問に甲高い声で叫び、女性は彼女を上から下まで眺めた。

その目がゲフィオンの顔に移り、驚きに大きく見開かれる。


「レベル……93!? それにその格好……日本の<古来種>なの!?」


タイベリアスというらしい三頭猟犬を下がらせたその女性の声に、慌ててゲフィオンは手を振った。

おそらくは昨夜の<幻惑の海魔>も目の前の女性の召喚獣だったのだろう。

ならば、敵だ。

そう思っても、ゲフィオンには、目の前の寝起きの主婦としか思えない女性に悪意があるとはどうしても思えなかった。


「……違う。私は<冒険者>だ。大陸から来た。名前はゲフィオン」


さらりと嘘を混ぜ込み、目の前の女の挙動を見る。


「え……<冒険者>? でもそのレベル……」

「新パッチが適用されているんだ。私のいた弧状列島ヤマトではね」

「ヤマト? でもここは北欧サーバで……え?」


混乱するその女性から敵意は見受けられない。

ゲフィオンは、自らも敵意が無いことを示すべく刀を納めると、両手を広げた。


「すまないが、こちらは少なくとも今は敵意は無い。強盗でもない。

単にここに煙が上がっていたので実に来ただけ。

あなたは誰で、どこから来たんだ?」

「あ……え、ならごめんなさい。あの、私はヘレナ・ディーターといいます。

<召喚術師>です」


異様なほどに素直に答えた目の前の女性――ヘレナ・ディーターに、ゲフィオンは噛んで含めるように言った。


「では、ディーターさん。あなたはここで、何をしている?

私は昨日、妙な怪物に襲われたが、あれはあなたの召喚獣か?」

「マーカスのこと? なら確かに私の……あなたが殺したんですか?」


かすかに敵意を蘇らせた相手(ヘレナ)に、ゲフィオンは軽く頭を下げた。


「それは申し訳ないことをした。出来る限りだが補償はする。

だが、あの怪物(マーカス)はいきなり私に襲い掛かってきたんだ。

正当防衛であることは主張させてもらう」

「ええ……マーカスは盗賊やモンスター避けのために、近づくものを惑わせ、襲うように指示していましたから。

やむを得ないことだと……思います」

「感謝する」


短く答えて顔を上げたゲフィオンと、ヘレナの視線が絡み合う。

その瞬間、妙な薄ら寒さを感じ、ゲフィオンはまじまじと目の前の女性を見た。

ヘレナは、敵意を霧散させ、むしろ申し訳なさそうにゲフィオンを見ている。

だが、その目はどこか奇妙だ。


ゲフィオンは唐突に気づいた。


彼女の目はあまりに純朴なのだ。

まるでその辺の<大地人>の農婦のように。

いや、言い方を変えるならば。


地球でどこにでもいた、ただの平凡な女性のように。



「……あなたに敵意が無いことはわかりました。本当に、あなたは強盗でも盗賊でもないんですね?」

「約束する」


両手をひらひらと揺らしたゲフィオンをじっと見つめた後、ふう、とヘレナは大きく息を吐いた。


「では信じます。ゲフィオンさん、よろしければ少しお茶などしながらお話でも?」


打って変わった友好的な態度にゲフィオンが軽く驚いていると、ヘレナはぽんと三頭猟犬の首を叩いた。


「ありがとう、タイベリアス。じゃあ戻ってね」


その言葉と共に、ふっとタイベリアスの姿が掻き消えた。

召喚を解いたのだ。


「じゃあ、ご案内しますわ……念のため、武器を仕舞ってほしいのだけど」

「分かった。ありがとう、ディーターさん」


ゲフィオンの返事に、背を向けかけていたヘレナが不意に振り向いた。

そして、ゲフィオンが一瞬驚くほど強い口調で彼女が言う。


「ディーターさん、ではありませんわ」

「え?」


何を言っているかわからないゲフィオンを、奇妙なほど粘ついた目で見つめながら、ヘレナと名乗った<召喚術師>は続けた。


「ディーター(さん)ではありません。ディーター夫人(さん)、とお呼び下さい」

「あ、ああ」


その不気味な目に、ゲフィオンはうろたえて頷くしか出来なかった。



2.


 ヘレナと名乗った<冒険者>に導かれて入った室内には、もう一人の人影が居た。

事前に念話ででも会話したものか、強い視線ながらその人影―男の<武闘家(モンク)>にも敵意は無い。

ただ、ヘレナほど信じては居ないのか、扉をくぐったゲフィオンを見る目は鋭く細められている。


「ジョゼフ・ラースだ。よろしく」

「ゲフィオンだ。お初に」


握手を交わした腕はさすがに<武闘家>というべきか、子供の腰ほどに太い。

その上に載った顔も、<エルダー・テイル>のキャラクターの常として整ってはいるものの、端麗さよりはむしろ厳つさを補強していた。

例えるならば質実な農夫のそれだ。


壊れかけたテーブルセットの一方に座ったゲフィオンに対し、二人は向かいあった隣同士に腰を下ろした。

そのまま、ゲフィオンを無視して二人で話し出す。


「だから、盗賊じゃないかも、って言ったじゃないですか」

「そうじゃないでしょう。この人がどういう人か分からない以上、警戒はすべきです。

ましてマーカスが倒されたんだから」

「でも……」

「まあ、この人も敵意があって来たわけでもなさそうだし、この話はこれまでに」

「そうですね……」

「ええ。でも覚えてて下さい。我々は自分たちで何もかも乗り切るしかないんです」

「そうね……ごめんなさい」

「いいんですよ」


(何なんだ、こいつらは)


互いに見つめあい、微笑みあう男女を見て、ゲフィオンは一種異様なものを見たような気分になった。

手こそ握り合っていないが、互いに数センチの距離で微笑を交わす二人の関係を推測する。

ふと、先ほどのヘレナの言葉を思い出す。


「あー……ラース…さんは、ディーター夫人のご主人です?」

「「いいえ」」


ゲフィオンの問いかけに、はっと二人は彼女に向き直り、同時に首を振った。

出来の悪い冗談でも聞いたかのように、ジョセフとヘレナ、二人の男女が揃って苦笑する。


「ちょっと失礼かと思いますわ。私はちゃんと夫がいる身ですもの」

「…はあ」

「そうですよ。確かにディーター夫人は魅力的な女性ですが、私にも妻がおりますので」

「ええ。ラースさんは頼もしい隣人ですわ。夫も頼りにしていますの。ねえ?」

「ええ」


言っている中身とは裏腹に、二人の会話には語尾にハートマークがつくかのように甘ったるい。

ゲフィオンは、昨夜の海魔による酔いがぶり返したような気になった。

思わず心の中でつぶやく。


(もし私の妻がよその男とこんな会話をしていたら、離婚ものだな……え? 妻??)


女である自分に、妻だって?

その、奇妙ながら妙に生々しい感想にゲフィオンが自分で混乱している合間にも、二人はかわるがわるゲフィオンに説明を続けていた。


「……で、私たちはお互いの家族を連れて大陸から逃げてきたんです。

あんな場所で子供を育てるとか、冗談じゃないですから。ね、ラースさん?」

「ええ。私も子供の教育や、何より妻のことを考えると……ただ、私の妻も彼女のご主人も満足に動くことも出来なくて」

「は、はあ」


機械のように相槌を打っていたゲフィオンだが、ふと次の疑問が浮かんだ。


「妻? ご主人? ……失礼ですが、あなた方のほかにもここにはどなたかおられるんですか?」

「ええ」


ジョセフ・ラースが頷いた。


「私には妻のマリアと二人の息子、ディーター夫人にはご主人のカール氏とお嬢さんがおります」

「……あの、お二人は<冒険者>ですよね?」

「ええ、それが何か?」


頭痛が強まる。


「……ご家族で<エルダー・テイル>をなさっていたんですか?」


そうした例は希少だが、決して絶無ではない。

<エルダー・テイル>は20年に渡るタイトル……のはずだ。

20年も続いていれば、夫婦や親子でゲームをしていても、決して不思議ではないだろう。

だが、きょとんとしたように二人は首を振った。


「いえ? マリアはゲームになど興味はありませんし、二人の息子もまだ幼いですから」

「うちもですわ。カールは忙しくて、ゲームなんてしている暇はありませんでしたもの」

「え? では」


家族という演技(ロールプレイ)なのか?


そう口に出そうとし、ゲフィオンはあわててそれを飲み込んだ。

この二人はどこか変だ。

互いに非常に親しそうだが、家族の話をことさらに強調する。

あたかも。

『自分たちに言い聞かせている』かのように。


単にゲーム仲間を擬似的な家族に見立てているとは思えなかった。

ゲフィオンの違和感にも気づかないように、二人は互いに話を続ける。


「でも、カールもこの世界に来てから寝込んでて。

今まで仕事一筋でしたから、休んでくれるのはうれしいんですけどね」

「うちもです。だからこそ僕ががんばらねば」

「ええ、頑張りましょうね。 ジョ……ラースさん」

「ええ……ディーター夫人」


ついに耐え切れず、ゲフィオンは頭を抑えて俯いた。

その姿に気づき、ヘレナがあわてて立ち上がる。


「どうされたんですか? ゲフィオンさん」

「ああ……いえ、ちょっと頭が痛くて」

「病気かしら? 良ければ少し休まれていかれては?」

「ええ。寒いですからね。風邪などひかれては」


(冒険者が風邪などになるわけがないだろう)


そう言い返すことも出来ず、ゲフィオンはついに机に突っ伏したのだった。



 ◇


 その日の夜。


ゲフィオンは念話でロージナと会話していた。

状況の報告をするためだ。


今、彼女が寝かされているのは、かつて納屋だったと思しき場所だった。

屋根も壁もほとんど残っておらず、寒々しい夜風が容赦なくゲフィオンの体温を奪う。

腐りかけて異臭を放つ藁に包まっていなければ、寒さでそれこそ風邪を引きそうだった。


招き入れられたヘレナの家も、隣にあるというジョセフの家にも、居間以外の部屋が無いわけではない。

しかし、そこに入れることは二人とも頑として拒否していた。

家族がいるから、という理由だ。

その頑なな態度に、吐きそうだったゲフィオンは強く頼めず、結果として、『他の廃墟よりはまだマシ』という程度のこの納屋に放り込まれたのだった。


「……以上だ」

『そうか』


念話の向こうのロージナは、しばらく沈黙していた。

やがて、やや口調の沈んだ声が耳に響く。


『確認するが、そのジョセフ・ラースとヘレナ・ディーターという二人の<冒険者>は、そこからアルヴァ=セルンド島に向かうつもりはないんだな?』

「恐らくは。この島で身を寄せ合って暮らしていくのが望みのようだった」

『ならば脅威ではないか……修道院(われわれ)のことは話していないな?』

「ああ」

『ならいい。……ご苦労だった。帰還して』

「……ロージナ。あくまで私の印象だが」


念話の向こうで、ロージナが耳をすませるのを感じる。


「……連中はどこか変だ。……いや、どこがどう変だというわけではないんだが。

あの二人、妙に<冒険者>らしくない。

だが連中は<武闘家>と<召喚術師>だ。そのまま放置、というには危険な気もする」

『……ゲフィオン。あんたは、この<異変>で<エルダー・テイル>のプレイヤー以外が巻き込まれると思うかい?』


その質問に、ゲフィオンはしばらく考え――静かに言った。


「私も記憶が無いので断言は出来ないけど……ない、と思う」

『私も同意見だ。私も知る限り、ログインしていない家族ごと巻き込まれた例というのは知らない』


ロージナの聞きなれた声が、暗い星の光の下で、妙に不気味に響いた。

トトト、と野鼠の走る音が伴奏のように<暗殺者>の耳を打つ。


『連中は嘘をついている……だが、連中が嘘をついているようには見えなかったんだろう?』

「……ああ」

『じゃあ答えはひとつだ。 ……ゲフィオン。連中が見せないその部屋の奥に、確かに『家族』はいるんだろうね。

……彼らが『家族』だと思う、何かが』

「……それは、何だと思う」

『私が分かるもんか。 ……分かりたくない、というのが本音だけど』


一泊置いて、疲れたような言葉が続いた。


『この修道院にも、似たような幻を見ている子はいるよ。

居もしない家族、両親や恋人、それらを待ち望むあまり、『見える』ようになった子達が』

「……では」

『確かにそいつらは傷ある人々だ。…助けるべきなんだろう。

だけど思うんだよ。彼らはそれで精神のバランスを――それがどんなものであれ――保っている。

であれば、そっとしておくべきじゃないかって』

「……そうだな」

『放っておくんだよ、ゲフィオン。 夢は夢に、幻は幻でも、時にいいのさ。

……この世界自体、幻なのかそうでないのかも、私たちには分からないんだ。

彼らが『家族』と一緒に居る夢を見ているからといって、誰が責められる?

助ける、というのは傲慢なことかもしれないんだ。

……重ねて言う。 ゲフィオン。明日には戻りなさい』


それは、ゲフィオンが今まで聞いた中でもっとも優しい声で、もっとも強く命じられた、ロージナの命令だった。



3.


「……ありがとうございました。ラースさん、ディーター夫人」

「もう大丈夫なの? 頭痛は」

「…ええ」

「もう少しゆっくりしていってくれ、と言いたいが……こっちも家族を抱えているんでね」

「もう大丈夫だ、帰れる」

「あの、出来れば私たちのことは内密に」


両手を組んでそういうヘレナに、ゲフィオンは気持ち悪さをこらえつつ頷いて笑って見せた。

安堵したような二人を見て、今度こそゲフィオンは自分の気持ち悪さの正体をはっきりと自覚する。


彼女たちは、自分がこうなっていたかもしれない姿なのだ。


ゲフィオンは思った。

今の自分は覚えては居ないが、自分にもきっと家族が居たのだろう。

何よりも大事な、家族が。

それと切り離されて、彼女はここにいる。

元の心が強かったのか、別の何か強い思いがあったのか、それはゲフィオンには分からないが、ともあれ彼女は家族への思いにある程度自分の中で整理をつけている。


だが、目の前の二人はそうではない。

整理をつけることも、あきらめることも出来ず――ついに、自分が作った幻の中に囚われたのだ。

元の世界の家族と一緒に居る、という幸福な幻に。


それは、自分がもし、少しだけ心のありようが異なっていればそうなっていた未来だ。

だからこそ、吐き気を覚えるほどに体が拒否しているのだ。


目の前の<暗殺者>の内心の嫌悪感など知る由も泣く、二人は安堵の笑みを交し合った。


「良かった。来た人がよい人で」

「あら。ラースさん。浮気かしら? マリアさんに言いつけるわよ」

「やめて下さいよ。妻はそういうことには厳しいんです。清教徒(ピューリタン)だからね」

「じゃあ色目はやめておくことですね」

「で、ではそろそろ」


そう言い捨て、ゲフィオンは背を向けた。

これ以上この場に居ると、頭痛が再発しそうだったからだ。

心の中で必死に言い聞かせる。


彼女たちは悪くない、別に何も悪くない、こちらの一方的な嫌悪感なのだ……と。


だが、状況はそのままゲフィオンに黙って去ることを許さなかった。



 ◇



 立て続けに走った衝撃に、ゲフィオンの膝が思わず地面を打った。

彼女だけではない。

ジョセフ・ラースもヘレナ・ディーターも、背中から叩きつけられた爆風によって、

無様なほどに転がっている。


「な、何が」

「カール!!エリーゼ!!?」


ジョセフの声を遮るように、魂切るような悲鳴が耳朶を打つ。


「あれは!」


ゲフィオンも気がついた。

上空から何か堅牢なものが、遊ぶように家々を砕いている。

そのひとつ、今まさに砕け散ろうとしている家は、

先ほどヘレナが出てきた場所だった。


「……鷲頭獅子(グリフォン)!」


土煙がもうもうと立ち込める中、ゲフィオンが空中の物体を見つめて呟く。


筋肉の盛り上がった獅子の肉体を、巨大な鷲の羽根で空の高みへ押し上げる、異形の生物。

百獣の王たる威風を、猛禽の王たる表情に宿し、

一部のトップレイダーや、優れた<召喚術師(サモナー)>のみにその背を許す、天空の王者。


鷲頭獅子だった。


それも、一頭や二頭という数ではない。

見渡す限り、まるで餌に群がる烏のように、無数ともいえる鷲頭獅子が青空に羽ばたき、

不遜な陸上生物たちを、生ごみを見るかのような目で見下ろしている。

ゲフィオンも、その威容に思わず刀を構えることすらできずに片膝をついて喘いでいた。


だが、同時に思う。


見渡す限り数十頭はいるであろう鷲頭獅子の接近を、なぜここまで許したのか?

ここまでくれば、ゲフィオンも自分が間抜けだったとは毛ほども思わなかった。

鷲頭獅子(かれら)は天を堂々と歩むモンスターだ。

影に潜み、獲物を狙うこともある現実の獅子とは、そもそも置かれた状況が違う。


そもそも、それは三頭猟犬(ケルベロス)も、ヘレナやジョセフですらそうだ。

なのになぜ、三頭猟犬やヘレナの接近に気づかなかった?

なぜ、家の中にいたジョセフを、扉を開けるまでその気配すら察知できなかった?


 ずきり、と頭が痛む。


何かを、自分の脳内が巡らしている。

今は意味のないデータのように、細切れにされ、分割された、ゲフィオンの何かを。



 だが、<暗殺者>が自分の内心に思いを巡らせるという贅沢ができた時間は、そこまでだった。

3人の<冒険者>を見据えた何頭かの鷲頭獅子が敵意に満ちた雄たけびを上げ、

そして。


「あなた!! エリーゼっっ!!」

「マリア!! おまえたち!」


ジョセフとヘレナが、煙の中に崩れ去ろうとしている彼らのささやかな家に向かって、突進を始めたからだった。



 ◇


 もう無理だ、と二人の背中に叫ぼうとして、ゲフィオンはふと黙った。


いいじゃないか。


彼らは自ら、幻であろう家族を助けるために、死地に向かって飛び込んでいる。

遅かれ早かれ、家と一緒に潰されるか、怒り狂った鷲頭獅子に嬲り殺しにされるだろう。

わざわざ助けに行っても無駄だし、死ぬのはごめんだ。

<傷ある女の修道院>に、大神殿はないのだから。


ゲフィオンは慎重に周囲を見渡した。

野獣の本能がそうさせているのか、周囲の鷲頭獅子は執拗に廃墟を崩すことに熱中している。

幾頭かは<冒険者>に気づいているが、動かないゲフィオンより、自分たちの遊び場に突進しているヘレナたちのほうを、より脅威と認識しているようだった。

記憶をなくしても、<暗殺者>の特技は練習により思い出している。

それらを駆使すれば、逃げおおせることは決して不可能ではないだろう。


鷲頭獅子の存在は確かに修道院にとっても脅威だが、ゲフィオン一人で何とかなる相手ではない。

おそらくは、この島を舞台にした大規模戦闘(レイドクエスト)

それが何らかのトリガーによって始まったのだ。


今の自分の任務は、現状を確認し、そしてロージナたちに報告すること。

あの、かよわく傷つき、エゴイスティックで必死な、小さな共同体を守る時間を、

ロージナたちに与えることだ。


今の自分の任務は。


『我々と同じ、あるいは似た境遇であれば、この修道院へ連れ帰ってくれ。

<傷ある女の修道院>は、傷ついた女を見捨てない』



 


 雷鳴のように、ロージナの言葉が鮮やかに脳裏に蘇った。

辛そうで、申し訳なさそうで、それでいてエゴに満ち溢れた言葉。

その言葉は、救う相手は己が選別するという、傲慢ないたわりに満ちている。


であれば、彼らは?


ひどい言い方をすれば――幻を見て、気が狂ったようになって、偽りの家族ごっこに興じて――

――それでも人を傷つけず、生きているあの二人は?


ゲフィオンが気持ち悪い、嫌だと思う、ただそれだけの理由で、モンスターに殺されていいのか?


(そうか、気持ち悪かったのか)


すとんと腑に落ちる言葉とともに、ゲフィオンの視界が目薬を差したように広がった。


同時に思う。


相手が不気味だ、気持ち悪いという感情に理由をつけて、さっさと逃げようとした自分の汚らしさに。


『○○!これがお前のやり方か!!お前のしていることは単なる八つ当たりだ!』


ふと、とても懐かしい声を聞いた気がした。

その怒声に手を引かれるように、ゲフィオンがふらりと歩き出し。

――直後、その姿が一陣の風に変わる。



「あ、あ、あな……エリーゼ……」


くたりと膝をついたヘレナの肩をジョセフがあわてて抱きとめた。

その二対の眼差しは絶望に満ちて、壊されゆくささやかな家を見つめる。


ヘレナの家を、獅子の豪腕で叩き潰していた一頭の鷲頭獅子が、それを見て、

奇妙なほどに嫌らしい笑みを浮かべた。

見せ付けるようにことさらゆっくりと前足を振り上げ。


次の瞬間、回転しながら飛んできた日本刀が、緑の残像を残してその足をすぱっと切り落とす。


「グイヒ!?」


突然の激痛にバランスを崩したその鷲頭獅子が、落ちかけた己を必死に羽ばたかせて叫んだ瞬間、

投げつけた自らの愛刀を追うように、黒い影が瓦礫を伝い、その背中に飛び乗った。


「死ね」


いいざま、逆手に握った青い日本刀を、頭頂部から突き下ろす。

脳天から顎までを瞬時に貫いた刀に、勝ち誇った顔のまま、鷲頭獅子の目がぐるりと白目を向き、

そのままよたよたと慣性で飛んで墜落した。


仲間の死に、周囲の鷲頭獅子たちもぎろりと目をむく。

墜落の直前に、鷲頭獅子の死体を蹴り飛ばして離れていたゲフィオンは、周囲を囲む無数の敵意(ヘイト)を前に、にやりと笑って刀を構えた。


「……ラースさん。ディーター夫人。ご家族を、今のうちに」


呆然と見つめる二つの顔を背中に感じながら、そう言葉が煙の間を流れる。


「で、でも。みんな動けないんです」

「じゃあ、家を守れ。ラースさん。あなたは<武闘家(モンク)>だったな。ヘイト管理頼む。

ディーター夫人は召喚獣を。家族を動かせないなら、家ごと守るといい」


ちらりと目を向ければ、ヘレナの家もジョセフの家も、かろうじて家の形は残っている。

瓦礫の向こう、散乱するアイテムの向こうに、不思議なほど無傷でたたずむ扉から目をそらし、

ゲフィオンはぶん、と刀を振って血糊を払った。


「でもゲフィオンさん、あなた刀が」

「問題ない。……来い!!」


ゲフィオンの叫びが響いた瞬間、彼方から緑の光が飛来する。

それは、一歩下がったゲフィオンの、まさしく心臓のあった箇所を貫いて、

どかりと地面に突き刺さった。

<エルダー・テイル>時代には、いや、この世界でもありえない光景だ。


シャリン、と鳴るその柄を掴み、二人を振り向いてゲフィオンは嗤う。


「……ほら、問題ないと言ったろう」

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