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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第7章 <西の大地にて>
133/245

94. <探索> (後編)

1.


 昼なお暗い、異界の森。


ユウが足を踏み入れたそこは、文字通りそんな比喩が冗談に聞こえないような世界だった。

森に足を踏み入れたことが皆無では、無論ない。

グライバルトに身を寄せるきっかけだって、ユウが森を歩いていた時の事件からだ。

だが、そのとき歩いた森以上に、今ユウの周囲を取り巻く木々の群れは得体の知れないものに見えた。


現実に存在していた動植物に加え、ファンタジーらしい動植物の群れ。

木々の間を栗鼠がちょこちょこと走っているかと思えば、その栗鼠を頭の半分はあろうかという巨大な口で、妖精(ピクシー)らしい何者かがひと呑みにする。

その、小型の人間に虫の羽をつけたような生物は、もがく栗鼠を小さな腹に収めると、冗談のように小さくなったおちょぼ口を手で押さえ、邪気のない無表情をユウに向けた。


そんな仕草に思わずぞっとしながら、ユウはすぐ前を走るヴェスターマンの馬の尻に視線を戻す。


見れば、風もないのにそよぐ、鮮やかな緑の葉がある。

滑らかなその表面に張り付いているのは、何かの鳥の残骸だ。

どろどろに溶けたそれの上を、ヒタキが鳴きながら飛んでいた。


「この森はどこまで続くんだ」

「かなり深いぞ。元の世界で言えば、オーストリアとの国境地域まで断続的にこうした森が広がっている」


振り向かずにヴェスターマンが答えた。

グライバルトからのあまりの距離に、思わずユウは問い返した。


「オーストリア!? とんでもない広さだな」

「ああ。もちろん全部が森というわけじゃない。町や村、集落も無数にあるけどな。

日本人のあんたは知らないか? ゲルマンの森のことを」

「……そういえば、カエサルか誰かが書いてたんだっけか?」

「タキトゥスだ。……『ゲルマニアは広く深い森に覆われている。ゲルマン人たちはそれらの中に村を作り、部族ごとに集まって生きている』。

北欧サーバはそれらを下敷きにしたようでね」

「『ヴァルスよ、余の軍団を返してくれ!』……か」

「良く知っているじゃないか」


槍を剣に持ち替えて邪魔な枝を切り払いながら、ヴェスターマンはなんでもないことのように言った。


「ところで、なんでローレンツの愛人の振りなんてしているんだ?」

「……!」


ズザッ。


小気味のいい足音が一瞬ゆれる。

そんなユウを楽しそうに見て、無口な<守護戦士>は小さく笑った。


「そんなに驚かなくてもいいだろう。団長の性癖は知っているさ。

ばれていないと思っているのは当人だけだ」

「それを聞いてどうする」

「別に、どうもしない」


ヴェスターマンは、ひときわ大きな枝を剣を振り下ろして打ち払うと、塒を切り飛ばされた山猫の威嚇の声も無視して続けた。


「まあ、団長と残り2人が手を繋ぎながら互いの足を引っ張っていることくらい見ればわかるさ。

俺はグライバルトが無事であれば、そんなことには興味がない。

ただ、あんたには興味があるんだ。

出て行こうと思えばすぐにでも出て行けるのに、なんでわざわざあの街に残っているのか」

「なんでだろうなあ」


ユウ自身が不思議に思っていることを問いかけたヴェスターマンに、ユウは首をひねって答えた。


「少なくとも、今までの私なら、特に気にせず出て行っていたと思うよ。

あの街は旅の通過点であって執着地ではないからね」

「なら今回も出て行けばいいじゃないか」

「前、ちょっと人と話したことがあるんだ」

「ほう?」


面白がるようなヴェスターマンの、その振り向かない後頭部を見ながら、ユウは言葉を捜した。


「私はこの世界で『ユウ』という存在に必要以上に拘っていたらしい。

私が演じていた『ユウ』は、他人とほとんど接点を持たず、戦うことしかしなかった」

「……」

「だが、そいつと会って話して、少し気づいたことがある。

私はプレイヤーとしての私と、演じるキャラクターとしての私が混ざり合って、今の『私』になっている。

そうであれば、むやみに戦うことだけが私の行動じゃないはずだ、とね」

「だが、結果としてあんたは<冒険者>同士の泥沼にはまり込みつつあるぞ」

「それもいいだろうよ」


走りながら器用にも肩をすくめたことに気づいたのか、ヴェスターマンがちらりと視線をユウに向けた。


「人と接する。その結果、何が起きてもそれは私の行動によるものだ。

少なくとも、殺して終わり、という今までとは違った結果になるだろう。

それを見てみたいだけさ」

「……良くわからんが、それがあんたの決断ならそれでいいだろうさ」


要領を得ているとは言いがたい答えだが、ヴェスターマンは何かを察したようだった。

視線を前方に戻し、馬に拍車を当てる。


「……マルシネが連中のアジトを見つけたらしい。合流して探索しよう」



2.


 そこは不意に現れた。

森の奥、平地から山地に入りかける場所にぽっかりと開いた穴。

天然の洞窟にも見えるが、その周囲には奇妙に等間隔で金属片が並んでいる。

良く見れば、洞窟の正面には、半ば蔓草に埋もれながら、何かのプレートらしい金属の塊があった。


「旧世界のトンネル……かな」

「あるいは廃坑か。どっちにせよ、見えないな」


一足先に着いたマルシネとアンバーロードが話しているところに、馬を下りたヴェスターマンとユウが到着する。

挨拶もそこそこに、洞窟を見たヴェスターマンは、人影ひとつないその入り口を見つめながら尋ねた。


「マルシネ。<醜豚鬼>は確かにここに入ったのか?」

「ああ。一匹残らずな」

「ヴェスターマン。あんたはグライバルトの出身だろう。ここが分かるか?」

「ン……記憶にない。 ただ、グライフスヴァルトの周囲には昔から鉱山があったからな。

その成れの果て、という可能性は十分にある」

「そうか」


ひとつ頷くと、マルシネはやおら立ち上がった。


「おい、見張りは?」


ユウの声に、マルシネが振り向く。


「いや、いないようだ。とりあえず入ってみなければ分からん」

「最初は<暗殺者>の私が行ったほうがいい」

「俺も<追跡者>だ。<醜豚鬼>などに気取られはしないさ」


軽く言い捨てたマルシネは、心配そうに見るヴェスターマンに首を向けた。


「あんたは俺が合図したら入ってくれ。このゾーンの<冒険者>の有無を確認したい」

「わかった」


リーダーの返答に満足したのか、マルシネはするすると近づいていく。

素早く、同時に注意深く地面を見、色の違うところを慎重に避けながら歩くその姿に、アンバーロードが首をかしげた。


「何をあいつはあんなに大回りしているんだ?」

「連中は爆薬を持っているからな。呼子代わりに地雷にしていてもおかしくない」

「なるほど」


自らも爆薬を扱う専門家であるユウの説明に頷くアンバーロードの横で、ヴェスターマンはじっとマルシネを見つめていた。

やがて、細剣を抜いたままのマルシネが洞窟の闇へと消え。

しばらくして、再び彼は姿を現すと動画の逆再生のように戻ってくる。


「どうだった?」

「入り口に二匹。どっちも片付けた。

あとおそらくだが、入り口前には地雷がある。俺の後を辿ってきてくれ」


短く告げたマルシネに、残る3人が頷く。

4人の前で、傾きかけた日に照らされた洞窟は、奇妙に歪んで見えた。


 ◇


「いる、な」


洞窟に入ってしばらくして。

歩いていたヴェスターマンがぽつりと呟いた。

今の彼は、外で着込んでいた重厚な甲冑をまとっていない。

インベントリから一瞬で着脱できる機能を利用して、音を立てないよう鎧をしまっているのだ。


ヴェスターマンの言葉に誰が?と聞き返すような人間はパーティの中にはいない。

彼ら以外の<冒険者>。<辺境巡視>であるヴェスターマンにはそれが見えているのだ。


洞窟の奥は平坦な作りだった。

さび付いた扉は開け放たれ、<醜豚鬼>特有の饐えた匂いが洞窟中をむわっとした空気で包み込んでいる。


「名前、所属と職業は?」

「アロンド・ド・ブール。<七花騎士団>の<暗殺者>だ」

「<醜豚鬼>に加え<冒険者>、か」


アンバーロードが指を折ってうへえ、という顔をした。


「ぞっとしねえな。洞窟で<冒険者>と対人戦かよ」

「無力化はできそうか?」

「奇襲であれば」


マルシネの言葉に答えたのは、一行の最後尾を歩くユウだ。

どうするんだ? という問いかけに、ユウはつとめて表情を消して答える。


「無力化というのは殺さず、帰還呪文を言わせず、だからな。

とっ捕まえて縛り上げてしまえばいい」

「簡単に言うがね……」

「大丈夫だ。何度か実行経験もある」


疑わしそうなマルシネだったが、しぶしぶ納得したようだった。

ユウも気にはしない。

戦いに関するあれこれは、百万の言葉を費やすよりも、1の行動だ、と信じているからだ。


歩くユウにちらりと、ヴェスターマンの視線が向いた。


「今回も、うまくいくといいな」


その言葉は、誰のものだったか。

周囲に気をとられていたユウは、その言葉が誰の口から出てきたものか、ついに判別することはできなかった。


 ◇


洞窟の中は広かった。

<醜豚鬼>、そして<冒険者>に見つからないように明かりをつけずに歩いているためか、

その広さは想像力をかきたてるに余りある。

だが、アンバーロードとマルシネ、二人の<追跡者>がいれば、ある程度行き先の見当はついていた。

洞窟にもぐって2時間、すでに外では日が落ちただろう頃合に、二人は洞窟の最深部へとたどりついていた。


「レイドダンジョンではないな」


ぽつりとヴェスターマンがつぶやく。

その足元には砕けたまま埃が積もった、かつてはカンテラだったらしい金属の塊が転がっている。


「<醜豚鬼>の巣、ということでデザインされたのかも」

「さあな。 ……みんな、準備はいいな」


4人が頷く仕草は、互いにはシルエットのみ見えた。

一人、ユウは陰影さえもほとんど見えない姿で、一人前に立つ。


「<ハイディングエントリー>」


消えた。

その場の全員には、うっすらと浮かんでいたユウの白い腕が闇にすっと溶けるのを見た。


特技は、技術ではない。魔法だ。

そう再認識させるような、それは常人離れした行動だった。


一方で消えたユウには、さほど感慨はない。

明かりのない暗闇の洞窟で、黒髪に黒い服装の自分が保護色のように隠れるのは当たり前のことだ。

実際、闇にもっとも消えやすいのはユウの着る<上忍の忍び装束>の墨色ではなく、やや青みがかった濃紺だと聞いたことがあるが、特技を用いたならばそうした些細なことも消えうせる。


音を立てないよう、ユウは歩く。

折れ曲がった通路の向こうに、かすかに明かりが見える。

そこには一匹の<醜豚鬼>が退屈そうに欠伸をしながら立っていた。


歩哨だ。


その<醜豚鬼>が眠そうに目をしばたかせる横をユウは音もなく通り抜け、体臭に内心辟易しながらもさらに足をすすめた。


唐突にユウの視界は大きく広がった。

大広間、と呼べばいいのか。

おそらくははるか昔、採掘した鉱石を一時的に保管しておく場所だったのだろう。

肺に悪そうな粉塵が漂う中に、何匹もの<醜豚鬼>が思い思いの格好で寛いでいる。

中には女性らしい個体や、子供と思えるひときわ小さい個体もいた。


(不思議な光景だ)


臭いに顔をしかめながらも、ユウが真っ先に思ったのはそのことだった。


この<エルダー・テイル>の世界で、亜人の発生についてはよく知られていない。

ゲーム時代は当たり前だが、虚空から出現(ポップ)していたのが彼らモンスターなのだ。

だが、それは<大地人>も同様だった。

殺されたはずの無名のNPCが、いつの間にか名前を変えてまた町に出現している。

それがこの世界の、ゲームだったころの掟だったはずだ。


<大災害>以降、ユウはそれが単なる出現ではなく、<冒険者>に見えないところで婚姻し、子供を作っているということを知るようになったが、亜人については謎のままだった。

オウウに遠征したアキバの<冒険者>からも、亜人が家族を作っていたという噂は聞いていない。


(だが、あの草原のダークエルフも亜人といえば亜人。連中と同じと仮定すれば、

<醜豚鬼>が家族を作るというのも分からないではない)


目の前の<醜豚鬼>たちを見ながら、そこまで思ったユウは、首を振って雑念を払った。

どちらにせよ、彼女の仕事は亜人の生態観察ではない。

情報収集なのだ。


目的のものは、すぐに見つかった。

地面に無造作に置かれた革のベルト。

そこには、ユウ自身が見慣れた紫色の液体がなみなみと満たされた瓶が丁寧にはさまれている。

そろそろと近づき、ユウは変にぬめったそのベルトを手に取った。

裏を見る。

瓶にもどこにも、作成者を示すものはまったくない。


(だが、まあもって帰れば何かあるだろう)


誘爆を防ぐために、それを<暗殺者の石>の中の鞄にしまいこみつつ、ユウは改めて辺りを見回した。

周辺の<醜豚鬼>が、虚空に浮かんで掻き消えた爆薬に注意を向けた様子はまったくない。


<ハイディングエントリー>の限界まで、あと3分ほど。

ユウは壁の一方へと足を向ける。

そこには、岩にアルファベットらしい何かが書かれた小さな、本当に小さな扉があった。

自然石を用いた引き戸らしく、きちんと閉められないそこには、かすかな明かりが漏れている。


もし、自分がこの場に駐屯することを命じられた<冒険者>だったとしたら。

仕事とはいえ、<醜豚鬼>と雑魚寝はしたくないだろう。

つまりは、扉の向こうが<冒険者>の居場所ということだ。


残り2分。


壁にはりつき、慎重にユウはわずかな隙間に頭を伸ばした。



最初に見えたのは、<醜豚鬼>の後頭部そっくりの、ざんばら髪の緑色をした後ろ頭だった。


(<醜豚鬼>か)


そう思った瞬間に、ユウはそれが過ちであることに気づいた。


<エルダー・テイル>で実装されていたアイテムは数多い。

その中でも比較的普及していたのが、特定の亜人を模した仮面、もしくはヘルメットだ。

それらはゴブリンを模していればゴブリンに、ノールを模していればノールから攻撃されない、という特殊能力を持っていた。

それらを着用した<冒険者>側から攻撃すれば別として、そうでない限りどれほど首から下が不自然でも、亜人は相手を攻撃してこない。

目の前で椅子に座り、何かの作業をしているらしい<冒険者>―おそらく<醜豚鬼>を模した仮面をかぶっているだろう<冒険者>は、その特殊能力を利用してこの場にとどまっているのだ。


ユウはゆっくりと扉を押した。

部屋にはいる光量の違いに、仮面をかぶった<冒険者>が振り向く。

無論、そこには誰もいない『ように見える』

ブツブツいいながら<冒険者>が顔を正面に向けた時、ユウはするりと部屋の中にはいっていた。


特技の持続時間は残り30秒。

デザインこそ違え、自分が調合に使う器具と同じものが乱雑におかれた、その八畳間ほどの空間をユウはするすると滑るように動き、<冒険者>の真後ろに立った。

アロンドという名前らしいその男は、真後ろに立つユウを気にもせずに自分の作業に没頭している。


ユウの手が緩やかに腰の刀に伸びた。


あと20秒。まだ気づかない。


刀を抜き、二本とも逆手に構える。


あと10秒。ユウは息を止めた。

刀を慎重に、目的の場所に構える。


あと5秒。



(……3,2,1!)


<ハイディングエントリー>が解けた瞬間、ユウは全力の<フェイタルアンブッシュ>を、

目の前の男の両手にたたきつけていた。



3.


「……あぐっ!!?」


アロンドは突然襲った激痛に、一瞬の間意識が飛んだ。

それが、両手を一瞬で切り落とされたことによるものだと気づかぬまま、叫びとともに息をつこうとした、その口に鋼が食い込み、歯茎に鋭い刃が食い込む。

続けて、仮面に守られていたはずの目に銀色の線が一瞬見えたかと思うと、突然視界が、まるで涙にぬれたようにぶれて消える。

涙に思えるものが妙に鉄くさく、生暖かい、そして赤いことに気づく前に、アロンドは喉の奥で叫んだ。


(何が!?)


自らのギルドマスターに命じられ、<醜豚鬼>と同居して爆薬を提供し、彼らを訓練する―それだけをこなしていたアロンドにとって、突然の衝撃と激痛は理解の範疇を超えていた。

何者かが近々自分を襲う可能性があることは、丁寧にも直前の知らせで聞いていたものの、<醜豚鬼>たちが騒ぐことで気づくことができるだろう、と思っていたのだ。

せっかく思いついた毒のアイデアをメモしてから迎撃しても遅くはない、と。


「……いいぞ、こっちは片付いた。あとは殲滅してくれ」


彼自身の認識の甘さを衝いた何者かは、妙に玲瓏な声でそう告げる。

直後、アロンドが待っていたはずの悲鳴と騒音――戦場特有の音の連なりが聞こえてきたところで、アロンドは気絶していた。



 ◇


 アロンドは目を覚ました。

とはいえ、それは意識が覚醒したというだけのことに過ぎず、視界は暗いまま、何も見えない。

洞窟の中かと思ったが、激痛の中、かすかに頬に当たった冷たい風が、彼のいる場所は屋外であることを告げていた。


肩が燃えるように痛い。

口はひりひりとひりつき、視界は妙に歪んだようなまま、何も映そうとはしなかった。


(どこだ、ここは。お前たちは)


そう言おうとしたアロンドだが、口は老人のような吐息を漏らすばかりだ。

近くではあ、とため息が聞こえ、口に何かを突っ込まれる痛みを感じる。

呪薬(ポーション)、と気づく前に、再び別の声が響いた。

今度は男だ。


「さて。<七花騎士団>のアロンド。お前はここで何をしていた?」

「……!! なんだお前ら! 何を」

「それは私たちの聞きたいことではない」


気絶する直前に聞いた女の声が響くや否や、アロンドは顔から地面に叩きつけられた。

同時に、先ほどに倍する痛みが力を失った両足から吹き出る。

足の骨を折られたのだ、と気づいた時には、彼はすさまじい恐怖が自分を襲うのを感じていた。


「や、やめ……」

「やめてほしくば答えろ。ここで何をしていた?誰の命令だ?」


何事もなかったかのように、男の声が冷たく響いた。



 ◇


 雲間から出た月が、静かにあたりを照らし出している。

気づけば、すでに夜明けは目前だった。


『……そうか』


ユウの鼓膜のすぐそばで、聞きなれたローレンツの声が沈鬱に響いた。


「ああ。こいつはほとんど何の情報も持たなかった。ギルドマスターのボスマンという男から命じられて<醜豚鬼>に爆薬を渡し、訓練していただけだ。

ギルドの名前くらいしかもっていないな……ところでローレンツ、<七花騎士団>という名前に心当たりは?」


念話の向こうから咳払いが聞こえる。

洞窟に突入する前にヴェスターマンから聞いていたのだろう。

彼の返事は澱みなかった。


『あまり知らないな。ホーエンあたりを根城にしていた中小ギルドだ、というくらいだ。

<災害>後はあちこちの町を回って傭兵をしていたようだが、それ以上のことは知らん。

そいつは本拠地を吐いたか?』

「ラインベルクから来た、と言っている」

『ラインベルクか……』


その名前にはユウも聞き覚えがある。グライバルトの西方に位置する、同じ自由都市だ。

交易をめぐって何度かグライバルトと争っており、今回の黒幕、その容疑者のひとつと目されていた都市だった。


『推定容疑者はあいつらか。……で、ユウ。お前たちはそいつをどうした?』

「今は寝てるよ」


ユウはちらりと後ろを振り向いて言った。

そこには、こんもりと盛られた土から、ストロー代わりに藁が数本、突き刺さっている。


<冒険者>の口封じは不可能だ。

死ねばそれぞれの大神殿に戻ってしまうし、なまじの怪我なら回復してしまう。

口さえ動けば念話で仲間と連絡を取ってしまうし、同じゾーンであれば生死すら分かる。


ユウたちはそれにより、今夜の襲撃が相手側に漏れることを恐れた。

その解法は、自分たちで思っていたより残酷なものだった。


両手足を切り落とし、HPをぎりぎりに落とした後、穴を掘って放り込む。

腕や足が再生するのを少しでも妨げるために、その周囲はヴェスターマンが見つけてきた無数の石で埋めた。

石と言っても、大きさも重さもむしろ岩といってもいい。

鉱山跡らしい洞窟から削りだしたそれでアロンドを埋め込んでしまうと、通気口代わりに<醜豚鬼>の寝藁を口に突っ込み、頭から生き埋めにしてしまったのだ。


いずれ死ぬにしても、当面の時間は稼げる。

そこまで考えての、非情な処置だった。

そうしたことに気づいているのか、ローレンツはいつもと変わらない声でユウに告げた。


『わかった。全員で戻ってきてくれ。証拠品はあとで出してくれ』

「わかった」


念話を終えて周囲を見れば、残る3人もそれぞれ別の相手と念話しているようだ。

アンバーロードとマルシネは十中八九、それぞれのリーダーであるユーセリアとグンヒルデだろう。

ヴェスターマンだけは分からないが、ローレンツ以外に話す相手がいるのかもしれない。


ふと、ユウは空を見上げた。

今までは何のためらいもなく行ってきた非道な行為に、この日だけはふとどうしようもなく罪悪感を感じたのだ。


(クニヒコたちが聞いたらなんていうのかな)


無性に、友人たちの声が聞きたかった。

どこかで夜明けを告げる鳥の声がした。

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