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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第7章 <西の大地にて>
131/245

番外11 <ある日のユウ>

リハビリがてら書いてみました。

1.


 その部屋は、汚いというのも烏滸がましいほどの惨状だった。


東京のやや郊外。

威勢のいい老都知事の鶴の一声で再開発の波に飲まれつつある一角に、奇跡的に残った古いマンション。

とある企業が社宅として借り上げている一室だ。


部屋の片隅にうずたかく積み上げられたゴミ袋の山。

別の一角には、皺も気にせず放り投げられたスーツが、何かの死骸のように転がっている。

部屋の真ん中に置かれた万年床の周囲には、飲み干されたビールの空き缶がてんでに転がり、

その合間に紙巻煙草(シガレット)の箱が、さながら異教の尖塔のごとく、オブジェとなってそそり立っている。


そしてその部屋の主人は、周囲の惨憺たる有り様を気にも留めず、ダニの楽園(アルカディア)と化した万年床に胡座をかいて、ガツガツと持ち帰った牛丼を食べていた。


「げっぷ」


十分に食べ終えたのか、その男は空の容器を見て満足そうに頷くと、傍らの灰皿を手に取る。

そのまま、山盛りの吸い殻を食べ終えたばかりの容器にザラザラと流し込んだ。


「うむ」


親が見れば、その適当かつ不潔な生活に何を思うだろう。

だが、男には自分を客観視するつもりなどさらさら無いようで、吸い殻で満たされた容器に蓋をしてそのままゴミ箱に投げ込んだ。


「よしよし、コントロールはいいな」


男は、哀れゴミ箱の一点景となった容器を一顧だにすることなく、ダラけたうつ伏せの格好になると、吸いさしの煙草を口に銜え直し、適当に置かれたPCに手をおいた。

いつものアイコンをクリックし、いつもの画面が立ち上がる。

そのまま、男――青年、鈴木雄一は嬉しげに液晶画面(セルデシア)に見入っていた。



 ◇


 鈴木雄一。

つい数年前社会人になったばかりの、24歳の青年だ。

平凡な顔立ちに、平凡な能力。

大きくはないが零細でもない、まあまあの企業に籍を置く、どこにでもいる若者だった。

だが、そんな彼にはちょっとした趣味があった。


金曜の夜、彼はその日だけはどんな飲み会も断って、まっすぐ家路につく。

学生の頃から付き合っている彼女とデートする……為ではない。

同年代の同僚がしているように、新宿や銀座に出て遊ぶ為……でもない。

もちろん、そうしたことは彼に大きな喜びを与えてくれるものではあったが、その日だけはもっと大きな喜びが、ゴキブリ以外待っていない自宅にあるのだ。

週に一度の異世界(エルダー・テイル)への冒険、という喜びが。



「さすがにエンタ鑑賞、というわけでもないな」


手早くIDとパスワードを入力しながら、雄一の口からブツブツと呟きが漏れた。

回線の貧弱さからログインが出来ず、『ログイン画面を鑑賞することで精神統一を図るゲーム』などと揶揄されたのも今は昔。

光回線が一般化したこの時代、見慣れた<エルダー・テイル>のログイン画面はわずか数秒で次の画面に道を譲る。


サーバ選択画面。

そして次のキャラクター選択画面になった時、思わず雄一はガッツポーズをしていた。


暗幕を背にゆっくりと回る、見慣れた雄一の分身(アバター)

黒髪を背中に流し、粗末な黒い服を纏い、腰には短めの刀を提げている。

肉置(ししお)きはふっくらと豊かで、もし現実にいたとするなら雄一は土下座してでも求婚しているであろう美貌だ。


そう、『美貌』なのだ。

雄一が見慣れた、どこか爬虫類めいた洋ゲー特有のキツい顔立ちではなく、それはやや漫画的にデフォルメされているものの、日本人の目から見ても十分に美しいといえる顔立ちだった。

よく見れば、姿もポリゴンの角ばった感触は薄れ、現実の人間めいて丸みを帯びている。

そんな分身の下には、彼自身が決めた名前(キャラクターネーム)が誇らしげに輝いていた。


チリリリリ。


「はい、こちら鈴木です」


突然画面の端から聞こえた音に、雄一が応答する。

音声チャットだ。


その向こうから、最近聞き慣れただみ声がいきなり耳朶を打った。


『よう、鈴木さん。もうログインしてるか?』

「やあ、三宅さん。いや、まだキャラ選択画面だ。『ユウ』に見蕩れてた」

『だろ?』


だみ声がくっくっと笑う。


『俺もさっき、20分ばかりずーっとレディ・イースタル(じぶん)を見ていたよ。

運営もなかなか神対応をするよな。まさかここまで美人になるとは思わなかった』


雄一と同じく男性でありながら女性キャラを使う友人の笑い混じりの声に、同じ口調で雄一も返す。


「ああ。これは思わずネカマしたくなる」

『何も知らない奴なら惚れるだろ』

「ああ。まったくだ」

『だな……だけど自分鑑賞は程々にして、さっさと入ってくれ。もうクニの奴も待ってるから』

「おっと。そうだな」


時計は11時15分を指している。

ちょっと見とれていたつもりが、以外に時間が経っていたらしい。

慌てて雄一は新しい煙草に火を付け直すと、目を閉じて回る『ユウ』をクリックした。


画面の中の自分である、女<暗殺者>が目をカッと開く。


それが、雄一にとって、週に一度の冒険の始まりだった。



2.


「すごい数だな」

「だろ?」


 人でうめつくされたアキバの雑踏の只中で、雄一は思わず呟いた。

人、人、人。

見渡す限りありとあらゆる種族、ありとあらゆる服装の男女が楽しげに歩きまわっている。

それはここ最近、雄一が目にしたことのないものだ。


「新パッチがこの間出たと思ったら、ボイスチャットの実装、新コンテンツの実装、挙句にキャラクターグラフィックの大幅刷新と来た。

ついでに昔のプレイヤーの帰還キャンペーンまでやっているもんだから、この人数ってわけさ」


雄一の隣で嬉しげに解説するのは、声から想像するいい年の男――ではなく、一人の美しいエルフだ。

妖精にふさわしい精緻な刺繍の施されたドレスを纏い、手には細い杖を握っている。

足元にはピョコピョコと、キノコに似た何かが踊るように跳ねていた。

細面の顔立ちは、マネキンのように無表情だが、心なしか嬉しげに雄一には見える。

それは、そのエルフ――東方の淑女(レディ・イースタル)を操る古参プレイヤー、三宅伸治の気分が伝わってくるからだろう。


「アキバがこんなに賑やかになる日をまた見ようとはな」

「そうだなあ」


周囲が邪魔そうに避けていくのも気にせず、二人の男はため息をついた。


 ◇


 ネットゲームの黎明期からサービスを続けているMMORPG―<エルダー・テイル>。

その現実を模した広大な世界と、幅広い自由度は、多くのゲーマーを虜にした。

一時期は押しも押されもせぬ唯一の大タイトルとして、多くのプレイヤーを擁したゲームだ。


だが、先駆者とは常に後発に追いつかれる宿命にある。

21世紀に入って次々とリリースされた新タイトルにここ数年は押され、全世界のプレイヤー数も伸び悩んでいたのが実情だ。

デフォルメされた可愛らしいキャラクター、クリックしさえすれば寝ていてもいい楽なシステム。

レベル次第でどんな敵でも倒せるようになる簡単なレベルアップが出来る新タイトルたち。


それらに押され、縮小し、消えていくかに思えたこの古参タイトルは、しかしそれでは終わらなかった。

プレイヤーの賛否を物ともせず革新していくシステム。

そうでありながら『巨大な箱庭』という本来のテーゼを遵守する姿勢。

そして今夜、新しいアップデートが実装され、<エルダー・テイル>、その日本サーバの中心都市であるアキバは、ここ数年なかった賑いに満ちている。

それが、『グラフィックの改善』だったのだ。


閑散としたアキバを見慣れていた雄一―ユウと三宅―レディ・イースタルの二人には、目につくあれこれが皆新鮮だ。

グラフィックの改善はキャラクターだけではない。

アキバの景観の根幹をなす巨大樹たちは風にさやさやと葉を揺らし、

吹き渡る風がプレイヤーたちの髪をなびかせる。

無骨なアスファルトと石畳さえ、年月を経た風格を漂わせて足元にあった。


「こいつは、すごいな……」

「伊達に1ヶ月のサービス停止期間を置いていないね」


いい交わしながら歩く二人の(イヤホン)に、別の声が重なった。


「おーい、タルさんにユウさん。こっちだ」

「お」

「木原さんじゃねえか」


手を振りながら――このジェスチャーも実装された――走ってきた黒い鎧の<守護戦士>が楽しそうに言った。


「こんばんは。ふたりともようやく入ったんだな」

「お前こそ、卒検どうなんだよ。ゲームしてていいのか?」

「もうおしまいさ」


やってきた男は木原――ゲームでの名前はクニヒコ。

院への進学を間近に控えた理系の大学生だ。

有り余る時間を有効に使い、かなり早くからログインしていたらしい。

彼のHPは半分ばかり赤色のままだった。


「どうした? そのHP。どこか行ってきたのか?」

「ああ。新レイドコンテンツに、知り合いと挑んできた」


事も無げに告げた木原は、年長の友人二人と連れ立って歩き出しながら告げた。

レイドと聞いて、レディ・イースタルの声があからさまに跳ねる。


「どうだった? やれそうか?」

「うーん、ちょっとキツいね。<火花散る将軍>が第一のレイドボスだったんだが、50レベルじゃなかなかうまくいかない。

よほど連携のとれたチームか、噂に聞くレベルキャップ開放がないとね」


あっけらかんと答える木原――クニヒコは、そのままの調子で続けた。


「それにしても二人共まあ、実に美人になっちゃって」

「どうした? お姉さま方に惚れたか?」

「ボイスチャットでなかったらね」


からかうレディ・イースタルにクニヒコが肩をすくめる。

一方でユウは、一回りしてきたらしい彼に問いかけた。


PvP(たいじんせん)はどうだ?」

「あははは、やっぱり鈴木さん、対人戦が一番の興味なんだ」


朗らかなクニヒコにユウも頷く。


「そりゃ、そうさ。何しろそれが大事でこのゲームをしているようなものだからね」

「なるほど」


アキバの片隅、大樹が中心を貫いた小さな廃ビルに着くと、クニヒコは座り込んだ。

別に本人が疲れているわけでもないのに『よっこらせ』というあたり、よほどに彼もグラフィックに陶酔しているのだろう。

三々五々、3人の青年プレイヤーは、目の前を通り過ぎる雑踏を尻目に、のんびりと切り株に腰を下ろす。


「PvPだけど……知り合いの話じゃ、むしろ今はやり辛いってさ」

「やり辛い?」

「重いんだよ、単純に」


クニヒコが言ったのは回線のことだ。


今回のアップデート、そしてかつてアカウントを持っていたプレイヤー相手の期間限定の無料プレイキャンペーン。

それは、<エルダー・テイル>のプレイ人口を一時的に倍増させたと言ってよい。

いくら、リリース時に比べれば個々のプレイヤーの回線速度が大幅に向上しているとはいえ、現在この仮想世界(セルデシア)は慢性的な回線過重になっているのだ。

通常のプレイでもそれは時に命取りになるが、最も影響を受けるのが、PvP―時に回線の速度1Pingが明暗を分ける勝負においてだった。

クニヒコは続ける。


「いくらユウさんが速いとはいっても、今は普段の戦い方はできないよ。

無差別PKとかじゃない限り、戦わないほうがいいんじゃないかな」

「そういう時こそ、腕の見せどころだろ」


こちらはPvPに興味のないレディ・イースタルの言葉だ。

現実で結婚して以来、あまり無茶な遊び方をしなくなったこのエルフは、ログインしても知り合いと街で喋っていることが多い。

茶化すような彼の声に、ユウはしかし、しっかりと頷いた。


「そういうことだ。せっかくの新グラフィックだ。殺したり殺されたりしたいじゃないか」

「そういう発言は人間性を疑うよ、鈴木さん……」


ボヤきながらも、クニヒコは立ち上がる。


「しばらく待てばいいと思うんだけどね……せっかくだ、何か食べ物でも買ってこよう」

「お、じゃあ俺もちょっと冷蔵庫からビール取ってくる」

「あんた記者だろ、いざとなったら動かないといけないんじゃないのか? タルさん」

「馬鹿な事を言うな、ユウ。俺だってオフを楽しむ権利はある。

そのために先週日曜は事務所に詰めっきりだったんだぞ」

「へいへい」


呆れたようなユウの声を尻目に、レディ・イースタルが硬直する。

AFK(Away From Keyboard)――離席したのだ。


「それにしても、綺麗だな」


二人の友人が去り、イヤホンからざわめくような周囲の喧騒だけが聞こえてきたところで、ユウ―雄一は思わず呟いた。


周囲の風景は圧巻の一言に尽きる。

ランダムに切り替わる天候を実装されたこのゲームでは珍しく、空は抜けるような快晴だ。

キラキラと輝くような大気のきらめきが、木々の葉に鮮やかなコントラストを与えていた。

今までの、どこか絵物語めいた作り物の輝きとは違う。

この時代最先端の技術を惜しみなく注ぎ込んだ、それはまさに仮想の世界だった。


「あんまり綺麗だと、やめるに辞められなくなりそうだ」

「何を辞めるって?」


ひとりごとに返された返事に、思わずユウの口が詰まる。

同時にどさどさと置かれる、色鮮やかな調理アイテムの群れ。

クニヒコが戻ってきたのだった。


「ああ、おかえり」

「ただいま。で、何を辞めるんだい?」

「いや、それは」


口ごもったユウの耳に、プシ、という缶を開ける音が響いた。


「お、おかえり」

「ああ。ただいまさん。いやあ、金曜のビールはうめえなあ」


パソコンの前に戻ってきたらしいレディ・イースタルが、ぷはあ、と息を吐く。


「しかし、これだけ綺麗になってみると、世界巡りでもしてみたくなるな」

「そりゃいいね」


レディ・イースタルの声にクニヒコが返す。


「まだ陸路は全部実装されていないからな。分かる範囲の<妖精の輪>を経由して回るのもいいな。

俺はアメリカを見てみたいよ」

「そうだな、俺はまずアキバ周りだな。それから……ヨーロッパやイスラム圏は見てみたい」

「お、いいね。どうだ、この3人で西遊記でもするか?」

「いいねえ。(ガーディアン)が俺、攻撃役(アタッカー)にユウさん、回復役(ヒーラー)がタルさん。

ちょうどいいメンバーだし」

「そうだな。なあ、ユウ?」

「それが……な」


浮かれた二人とは違う、やや沈んだ、困ったような口調に、クニヒコとレディ・イースタルは揃って画面の前で首を傾げた。


「どうした? やっぱり最初はPvPか?」

「いや…な。 実は、ちょっと今日限りで休止しようと思うんだよ」

「「は?」」



 ◇


 雄一はうつ伏せになったまま、画面の前で頭をポリポリと掻いた。

ちらりと、汚い部屋の中でそれだけは丁寧に飾られた写真に目をやる。

そこには、長年付き合った彼の恋人が、白いドレスをまとって嬉しそうに写っていた。


「実はな」


イヤホンから、二人の友人の息を呑むような音が聞こえる。

雄一の話す一字一句でさえ聞き漏らすまいとする音だ。

それに妙な申し訳無さを感じながら、雄一は現実の小汚い部屋から、幻想の美しい木陰へと視線を戻した。


「今度、実は俺、結婚するんだよ」

『ほう?』

『いいことじゃないか』


すかさず三宅と木原の声が返る。


「でさ。同時に異動にもなっちゃって、今の職場の引き継ぎもしなきゃならんし、新しい職場に慣れなきゃならんし、結婚式も三ヶ月後だしと、いろいろ多事多端でね」

『それで引退?』

「休止だ」


木原の声を雄一は訂正する。


「ただ、当面ログイン出来る暇はないし、いつそれらが落ち着くか分からん。

せっかくの新グラフィックだから、最後によく見てログアウトしようと思ったのさ」

『そりゃあ、ちょっと短絡的に過ぎないか?』

『クニの言うとおりだぜ、ユウ。ログインくらいいつでも出来るだろ』

「そういうわけにもいかないんだよ」


ユウの声がますます沈鬱を帯びる。


「俺は<エルダー・テイル>が好きだ。学生時代から一貫してな。

就職しても、勉強そっちのけでハマっていた。

独り身ならそれでもなんとかなる。

だが、自分を顧みてふと思ったんだよ。

このまま自制せずにやり続けてたら、新しい環境に適応できないって。

ちょっとここで、一旦学生時代からの趣味にケリをつけて新しい環境になれないと」

『あのな。結婚前でナーバスなのはわかるが、落ち着けよ』


イヤホンから聞こえる三宅の声は諭すようだ。


『俺も既婚者だがね、そりゃあ結婚前は男でも緊張するもんだ。

自堕落ではダメなんじゃないか、もっと仕事に全力をぶつけなきゃ、とか。

だが、趣味を全部捨てたら人生に潤いがなくなるぞ。

しばらく経ったら思うもんだ。

別に自分の時間を持っても悪いことじゃないってね。

俺も嫁さんときちんと話して、ゲームの時間を作ってるぞ』

『俺はまだ学生だから、ユウさんの気持ちはわからないけど』


これはクニヒコだ。


『要は自分で自分を律することが出来るかどうかじゃないのか?

そりゃ、徹夜でPvPとかはできなくなると思うけど、ログインしてちょっと話すくらいいいだろう』

「俺はそこまで自分を自制できそうにないからなあ」

『……』


雄一の声は、自分が考えていた以上に泣き声のように聞こえた。


「このゲームは楽しすぎるんだよ。時間も何もかも忘れそうなほどに。

ヤバいんだ。

イチかバチかの対人戦の最中、互いにHPがあと一撃、ってところで前に出る瞬間とか。

勝つか負けるか二つに一つって状況で、瞬時に戦術を組み立てた時の快感とか。

一歩及ばず負けた時の焼けるような悔しさとか。

今のこのグラフィックだと、それを余計に思いそうな気がする。

そういう時、俺は思わず時間も、恋人も、仕事も何もかも忘れてしまう。

戦うことに没頭してしまう。

だからダメなんだ。

当面辞めて、それを忘れないと新しい生活に全力で向き合えそうにないんだよ」


『………』

『……そうか』



やがて、口を開いたのはレディ・イースタルだった。


『じゃあ、当面お別れだな。なら、最後に気持よく戦って、それから辞めるといい』

「戦うって、何とだ?」

『俺達とさ』



3.


 アキバの北門を出てしばらく歩くと、<朽ちた不夜城>というゾーンに出る。


切り株での話し合いからしばらく経った後、3人はそのゾーンの中央近くにある広場に居た。

周囲にモンスターはいない。

もともとモンスターの出現率があまり高くない場所であることもあって、さながらその広場は、ユウが何度も戦った闘技場(デュエルピット)のようだった。


 その広場の一角に立つ人影がある。

クニヒコだ。

<製作>級の、一張羅の装備をまとった彼は、さながら黒い魔神だった。

その逆方向に、これも黒を基調とした服をまとった<暗殺者>がいる。

ユウだった。


審判役を買って出たレディ・イースタルが杖を振り上げる。


「俺がはじめ、と言った瞬間に開始だ。いいな、二人とも」

「俺はいいよ」

「俺もだ」


ユウとクニヒコが同時に答え、互いの武器を抜き放つ。

クニヒコは鍛冶師が鍛え上げた大規模戦闘(レイドバトル)仕様の大剣。

ユウも、名のある鍛冶師が打った<暗殺者>用の刀。

お互いのアバターの視線が真っ向から噛みあい、その中でレディ・イースタルは鋭く叫んだ。


「はじめ!」

「<アイアンバウンス>!」


ユウが大地を蹴り、クニヒコが特技を放つ。

防御力を底上げする、<守護戦士>の基本となる特技だ。

一対一。

防御力に優れる<守護戦士>を打ち倒すには、ユウが得意とする<アサシネイト>だけでは足りない。


瞬く間に加速する画面を見ながら、雄一の思考が渦を巻く。


「<ラピッドショット>!」

「甘いぜ!」


投げ撃たれたダガーは、陽動。

自らの反応速度とPCの能力の許すギリギリの速度で、ユウが飛ぶ。


「<アクセル・ファング>!」

「<オンスロート>!」


まるでホバー走行のように後ろへ下がるクニヒコを追い抜く勢いで振るわれた刀が、わずかに彼のHPを削った。


だが、本来<アクセルファング>は連続攻撃でダメージを叩き出す特技だ。

<オンスロート>で迎撃されては、いくらユウとはいえダメージを出せない。

同時にクニヒコの剣が落ちる。

レイドボスを幾頭も沈めた剛剣が、速度を重視した軽装のユウのHPをざっくりと斬り割った――そのはずだった。


「な!?」


クニヒコの驚きの声がイヤホンから漏れる。

真正面から振るわれたはずの彼の刃は、ユウにかすりもせずに地面を叩いた。


「どうやって!」

「対人屋を舐めるな!」


ユウが叫び、そのまま回りこむ。

『ユウ』の目の前に『クニヒコ』の背。

そこは<暗殺者>にとって絶対的な攻撃圏だ。


「<ステルスブレイド>!」


背後からの一撃は、さしもの重装甲の<守護戦士>のHPをも少なからず削った。

無論、クニヒコが回転するように剣を振りぬいた時には、既にそれに合わせてユウも回っている。


「もう一発!」

「やるなあっ!」


クニヒコとユウでは速度に圧倒的な開きがある。

クニヒコがキャラクターを回転させ始めた瞬間には、既にユウはきっかり刀の間合いを計ったまま、その背後を取っていた。

対人<暗殺者>の基本戦術の一つ、<張り付き>だ。

速度の速い通常攻撃と、再使用規制時間の短い<ステルスブレイド>を駆使し、敵の背後を常に抑えて攻撃を続ける。

広範囲攻撃のある<盗剣士>や<吟遊詩人>には使えないが、防御に特化するあまり攻撃特技が比較的少ない<守護戦士>相手ではセオリーとも言える戦法だ。


もちろん、思いつくのと実行するのとでは雲泥の差がある。

これを完璧に行うためには、なみなみならぬ<暗殺者>キャラへの習熟が必要なのだ。


だが、雄一はゲーム開始以来、一貫して『ユウ』を使っていた。

下手をすれば一撃を貰って終わり、という戦いを何度もくぐり抜けているのだ。

もはやドット単位で行動を制御できる雄一にとって、クニヒコの背後を取ることは容易い。


「ちょこちょこと!」


焦れたようにクニヒコが叫び、無秩序に体を回し始めた。

そうして振るわれる大剣を、ユウは1ドットの差で避けていく。


「<ステルスブレイド>!」

「ええい!」

「<アトルフィブレイク>!」


クニヒコが焦れたのを見計らい、麻痺の短剣を飛ばす。

動きが止まった彼に、ユウは一瞬止まり、続けてマクロ化していた必殺技を繰り出した。


「<フェイタルアンブッシュ>……<アサシネイト>!」


『ユウ』が大地を踏みしめる。

目の前には無造作に首を晒した敵の姿。

かけがえのない友人であり、頼もしい仲間でもあるクニヒコだ。

その、首を落とす。


ユウは無上の快楽の中に居た。


自分と互角以上の雄敵、クニヒコ。

ユウの最後の相手には相応しい。

その彼に、自分の培った全身全霊を叩き込む。

互いの足さばき、剣と刀の撃ちあう音、それらがユウを陶酔の中に誘っていく。


絶頂感すら感じる中で振りぬかれた刀は、狙い過たず友人の命を奪うはずだった。


「!!」


クニヒコの黒い鎧が白銀に輝く。

大理石のような光沢をまとった<守護戦士>の体は、まるで昆布に打たれたかのように、無造作にユウの一撃を跳ね返した。


「<キャッスル・オブ・ストーン>か!」

「好機!」


自分の必殺技をあっけなく無効化されたユウが息を呑む。

雄一の喉が酸素を吸い込み、肺に行き渡らせ、煙草の灰を落とし、そして吐かれる。

布団にぼたりと灰が落ち、ユウの――雄一の目が思わずそれに向かう。

その十秒間。


クニヒコの剣が翻る。



「<クロススラッシュ>! <オンスロート>! <タウンティングブロウ>!…<オーラセイバー>っ!」



<暗殺者>の体を十字の光が横切り、吹き飛ばされる肉体を追って一撃、二撃。

吹き飛んだユウを光の弾丸が撃ちぬく。

その間、わずか数秒。

一瞬でユウはほとんどのHPを失って地面に叩きつけられていた。


 ◇


 HPはもはや後がない。

たとえ武器攻撃職に比べれば低い<守護戦士>のダメージであっても、もう一撃は耐え切れないだろう。

だが、それは相手も同様。

<張り付き>によって半分以上を失ったクニヒコのHPにもまた、余裕はない。

互いに一撃。


それを可能にする技が、ユウにも、クニヒコにもある。


一気に戦いの天秤を水平どころか、ユウの不利にまで持って行かれながら、雄一は思わずパソコンの前で笑っていた。


これが<エルダー・テイル>だ。

これこそが、自分がひたすら異世界で続けてきた冒険なのだ。

互いに、既に後はない。

怖気づいて後退すれば、待つのは敗北という二文字だ。

その二文字を跳ね返したくて、雄一は何年も何年も、バカの一つ覚えと揶揄されながらも技を磨いてきた。

ネットゲームの技なんて、現実でなんの利益にもならなかったが、それでも磨きぬいた。


すべては勝利のため。

勝利に至る、ぎりぎりの戦いのため。

強敵と、お互いのすべてをぶつけあってせめぎあうため。

ダンジョンボスでもなく、レイドボスでもなく、ただ他の戦士と戦いの喜びをわかちあうため。


「は、はは、はははは」

「楽しいかい、ユウさん」


笑い声を上げるユウに、クニヒコも嬉しそうに返す。


「ああ、楽しい。最高だ」

「辞めたくなくなったかい」

「もちろん、今でも辞めたくないさ」


脇で見ていたレディ・イースタルも声をかける。


「戦いってのはいいもんだろ」

「まったく」

「「最高だよっ!!」」


叫びは同時。

クニヒコとユウが踏み込むのも同時。


「もはや小手先の技は使わせない!!」


『クニヒコ』とクニヒコが吠える。

プレイヤーの轟吼を写しとったかのような<アンカー・ハウル>だ。

それが届いた瞬間、いつものように1ドットを避けようとしたユウの手が揺れた。


(避けられない!)


<アンカー・ハウル>は、敵モンスターの敵愾心(ヘイト)を自らに集める特技だ。

プレイヤーが操るアバターに対し、もちろんながら効果はない。

だが、そのとき。

確かにクニヒコの<アンカー・ハウル>はユウを『捉えた』。


「ならっ!!」


小手先の技は無用、たしかにそうだ。

もはや1ドットで避けるなどと姑息な攻撃をする必要などない。

全身全霊で、ぶつかるのみ。


ユウはちらりと自らのステータス画面を見た。

<アサシネイト>の特技の再使用を示す光は、まだ見えない。

もはや使えないと見ていい。

だが、それはクニヒコも同じだ。

数えていた秒数では、<オンスロート>を使えない。


「止めだぁっ!!」


クニヒコが叫び。


「止めっ!」


ユウが叫ぶ。


クニヒコの一撃は、特技ではない。

彼の鍛えたステータスによって振るわれる大剣は、ユウの命を奪うだろう。

だが、同時に。

ユウは、後に彼女の代名詞ともなる特技を高らかに叫んでいた。


「<ヴェノム・ストライク>!!」


2つの黒色が激突し、<朽ちた不夜城>で、思わずレディ・イースタルを操る三宅が息を呑んだ。



4.



 <ブリッジ・オブ・オールエイジス>。


アキバのランドマークのひとつであるその橋のたもとにユウはいた。


「じゃあね。二人共、ありがとさん」

「チャットにくらい顔を出せよな」


これはクニヒコ。


「マリッジブルーの相談なら、いつでも乗ってやるぞ。記事にもするが」


これはレディ・イースタルのだみ声だ。


ユウはここからアキバを離れ、適当な場所でログアウトするつもりだった。


「どうするんだ? これから」


レディ・イースタルの声に、ユウは天を仰いだ。

あの戦いからゲームの中では一昼夜が経っている。

この日も快晴らしく、目に痛いほどの青い空には雲のオブジェクト一つなかった。

どこかで龍の声が聴こえる。

<召喚術師>が手持ちのドラゴンを放っているのだろうか。


「とりあえず、マイハマあたりにいってみるかな。灰姫城も見ておきたいし」

「そうか……じゃあ、またな」

「またいつか、どこかで」


友人二人に感謝するように声を返すと、ユウは背を向ける。


現実に戻れば、明日も結婚式の打ち合わせだ。

その次の月曜日にはまた仕事の引き継ぎが待っている。

だが、そのどれも、あのクニヒコとの戦いの一瞬感じた幸福感には及ばない。


それでもいい、と今のユウは思う。


いずれこの世界(セルデシア)には帰ってくるだろう。

この気のいい友人二人がいるかはわからないけども。


それまでの間、しばらく<エルダー・テイル>とはお別れだ。

その代わり、見知らぬ苦労と見知らぬ幸福が、ユウを待っている。


ユウは歩き出した。

雄一もまた、自分の人生が何処か別の方向へ歩き始めるのを感じていた。




<大災害>から数えること15年前のことである。

この話は他の話と違って、2003年頃が舞台です。

当時はADSL全盛期で、光回線はまだ一般化していませんが、そのへんはすみませんがご愛嬌ということで。


原作のにゃん太老師、二次創作ではレオ丸法師など、おそらくこの頃にも居た人たちを出そうかとも思いましたが、話がぶれるのでやめました。

でも、その結果登場人物が3人、半分は無駄話という結果に。

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