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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第一章 <アキバにて>
13/245

11.<異邦人の帰還>

 歴史上、北アメリカの先住民たちが初めて接した煙草は、今のパイプに近いものだったという。

後にはパイプそのものも作られ、そのいくつかは部族間の和平や宥和の儀式に用いられた

「平和のパイプ」というものだった。

敵対する部族の族長がそれらを回し()みすることで、平和を祖先に誓ったのだ。

またパイプの形が確立する以前の喫煙法は、地面に穴を掘り、そこに煙草葉を入れ、燻らせた煙を吸い込むものだったろう、とも言われている。


大航海時代、煙草は新大陸に到達した旧大陸(ヨーロッパ)人たちによって瞬く間に世界中に広められた。

悪名高い征服者(コンキスタドーレス)たちによって中南米の帝国が滅ぼされてわずか数十年後には

地球を一回りして日本にまで広まったのだから、その伝播力は尋常ではない。

その中で、日本人はいつの時代でも変わらない凝り性を発揮し、戦国末期に根付いたこの舶来の娯楽を

見事に日本独自の形に変えてしまった。

煙管である。


日本人は、同時代に伝えられたはずの葉巻には見向きもせず、煙草葉を髪の毛ほどの細さにまで裁断し、

小さな受け皿に詰めて吸う、という方法を編み出した。

それだけでなく、当時同じく隆盛を極めた茶道にまで取り入れ、茶席では酒、食事の後

食事の味を洗い流すため、客は煙管で一服した。

その煙管や煙草盆といったものもまた、名物として現代に伝わっている。


この異郷の地球(セルデシア)でも、日本のほとんどの文化は廃れていながら

煙管と刻み煙草は残っている。

喫煙という、決して健康的ならざる趣味の世界を愛する人間は、どのような時代でも残っている、

ある意味で証左かもしれない。




1.


 煙管を手に取り、片手で煙草入れから細く刻まれた煙草葉をひとつまみ。

手でくるくると丸め、火口に入れる。

村長の家の暖炉から借りた火で点けた火縄を手に取り、火口にゆっくりと近づける。

やがて揺蕩うように紫煙がのぼり、ユウはゆっくりと息を吐いた。


「ああ、幸せだ……」

「うまそうに吸いますな」


昼下がりのイチハラの雑貨屋の店先。

ベンチに腰掛け、うまそうに煙草を吸うユウを見て、相伴とばかりに同じく煙管に火をつけながらトールスは横の<冒険者>を見た。

既に老境に入って久しいトールスよりも遥かに齢を重ねてきたはずの女<冒険者>は、今はそのへんの農夫が着るような素っ気のない衣服に身を包み、目を閉じて日光を浴びている。

白いうなじに年甲斐もなくどぎまぎしながらも、トールスは自らも気持ちよく煙を楽しんでいた。


「この瞬間のために、ハダノでも帰り道でも我慢しましたからね。空腹は最高の調味料という諺は、決して食事だけのものではないのですよ」

「それはそれは」


同じく空に煙を吐きながら、トールスは笑う。

二つの煙が、空中をただよい流れながら、ふわりと合流し、残暑の空気に溶けていった。


どこかで蛙の声が鳴った。


「もう、夏ですなあ」


そういって目を細めたユウの表情に、何かを言おうとしたトールスが口を閉じた。



 ユウがこの世界にきて、すでに3ヶ月。

その間、ユウはほとんどをイチハラの村で何をするでもなく過ごしていた。

時折訪れるケールメルスから煙草を買い、暇な時にトールスの雑貨屋を手伝うほかは

本当に日がな一日煙草を吸っている。

既にユウの中でアキバは遠く、時折ケールメルスや他の旅人から噂は聞くものの、

念話も一切取ることなく、ユウは静かな夏を楽しんでいた。


唯一アキバの恩恵を受けていると言えるのが食事である。

<冒険者>によって再発見された料理の数々は、ゆっくりとではあるがイチハラのような辺境の村にも届き、現在ではユウを含め、イチハラの村人は「味のある食事」を存分に満喫することができていた。


雑貨屋に客もなく、軒先の縁台では気の早い蜻蛉が静かに羽を休ませている。

その光景を見るともなしに見ながら、トールスはふと口を開いた。


「そういえば、アキバは最近忙しそうですな」

「さて。私にはあまり関係ないことですがね」

「こないだ領主の騎士が来ていたでしょう。<エターナルアイスの古宮廷>で久々に諸侯会議が開かれるというので、人夫を募りに来ていたのですよ」

「ほう」


ユウが少し興味を示し、トールスは孫娘に話を聞かせる祖父のような気安さで話を続けた。


「今回の会議はおそらくうわさに聞くセルジアッド公の孫娘、レイネシア姫のお披露目もあるでしょうが、一番はアキバとの関係でしょうな。イースタルの諸侯に彼らが列せられるのかどうか、といったところでしょう。

何しろ<冒険者>の方々がこうやって我々<大地人>と接点を持つのは初めてのことですからの」

「さてね。私はそんな貴顕とはさっぱり縁もないもので」

「ユウどのは名のある古強者と見ておりましたがの」

「何の取り柄もない中年男、じゃなかった、中年女ですよ」


ははは、と笑いながらユウがぽんと灰を落とす。


「まあ、あそこの連中が何をしようが、あまり関係はないですなあ」

「<冒険者>にもいろいろな方がおられるものですのう」


そんなのんびりした午後を破ったのは、村の入り口で起きたざわめきだった。


「何ですかな?」

「さて……イシアさんのところのコル坊がまたなにか悪さしてとっ捕まったんですかね」


そんな呑気なユウの声を裏切るように、ざわめきは徐々に大きくなっていく。

声が徐々に自分たちのところに近づいてくるのに気づき、ユウは煙管をくわえたまま立ち上がった。


「何でしょうね。少し見てきます」

「ゴブリンや野良の獣ではないようですがの……」


ひらひらとトールスに手を振り、ユウは煙草を煙管に詰め直しながら大通りに出た。

てくてくと歩く先に、人だかりがある。

その真中で、周囲より頭一つ分大きい黒い影が立ち往生しているのが見えた。


「これはこれは、栄えあるアキバの騎士どのではありませんか」

「お!やっぱりいたか!ユウさん、ちょっと来てくれ!」


そこにいたのは、2ヶ月ほど前に剣を交えた旧友、<黒剣騎士団>の<守護戦士(ガーディアン)>、クニヒコだった。



2.

 とりあえずクニヒコを人混みから連れ出し、警戒する村人たちに知人だと言って納得させて後、ユウはトールスの雑貨屋の縁台にクニヒコと並んで座っていた。

状況をうっすら理解したトールスは、既に店の奥に引っ込んでいる。

店の前をごつい鎧の騎士が占領しているという、営業妨害に近い行為にユウの胸が少し傷んだが、どうせ客もいないのだから、と割りきって久しぶりの旧友に笑顔を向けた。


「で、どういう風の吹き回しだ?お前さんもアキバから追放されでもしたか」

「きついなあ、相変わらず」


苦笑するクニヒコの顔も昔通りだ。

とても死闘を演じた相手に対する顔とは思えない。

それはユウ自身も同じだが、笑顔の裏に見え隠れする感情に目の前の騎士が気づいたかどうか。


「で、なんだ。言っておくがお前と茶飲み話を楽しめるほど私も枯れちゃいないが」

「すまんとは言わないが、ユウは今でもアキバの<冒険者(おれたち)>に敵意があるのか?」


逆に核心を尋ねるクニヒコ。ユウは一瞬考え、首を振った。


「いや、ないな。アキバの噂はたまに聞くが、<大地人>とも仲間内でもうまくやってるようじゃないか。

少なくとも私がいた頃の無法地帯からは脱したようだな。

その内容が、廃人どもの利害調整の結果だったとしてもね」

「それは何よりだ」


あからさまにほっとするクニヒコに、やや気分を害しつつユウは尋ねた。


「こちらの質問に答えていないぞ。のんびり隠居してるわたしに今更アキバが何のようだ?」

「念話にも答えてくれないからな。しょうがないから実際出張ってきたんだよ。

端的に言えばアキバというより、俺の独断だ。ユウさん。あんたもアキバに戻らないか?」

「は?」


ユウの中で消えかけていた感情が口をついて漏れた。


「いまさらか?お前さんがた、たった2ヶ月前のことを忘れたのか?俺に罪があったのは事実として、どうそれが償われたんだ?」

「一月ほど前、<エスピノザ>のカイたちに聞いたよ。ゴブリン・ジェネラルを討伐してそのまま消えた男の声の女<暗殺者>がいたってね」


一ヶ月前の戦いを思い出す。ハダノでの戦いは、多分に偶然の要素が強いとはいえ、確かにユウはアキバの<冒険者>とともに戦った。

しかしそれは、別にアキバに許してもらおうと思ったわけではなく、単なる依頼達成の一環だった。

そのことを告げると、クニヒコは首を振った。


「いや、あんたのことは俺やカイたちだけじゃなく、何人かはきちんと分かっている。

今はアキバで腕のいい<冒険者>はひとりでも多くほしい。だから頼んでるのさ。

それに、タルのこと、聞いてるか?」

「知らんな」


もう一人の旧友、今は遠くミナミにいるはずのレディ・イースタルの名前を久しぶりに聞き、ユウも険を持った眉を少し開いた。


「あっちはあっちで大変らしい。ひとつの巨大ギルドが<ハウリング>や<甲殻機動隊>といった大手を軒並み吸収して拡大している。知っての通りタルはそういう風潮が嫌でたまらない奴だから、ギルドを率いてミナミを脱出したらしいって話だ」

「へえ……で、私に何をしろと?」

「アキバへ戻ってくれ。そして準備をして、タル(あいつ)を助けに行かないか」

「おいおい。昔みたいに転移してすぐ、なんて状況じゃないぞ。ここから大阪まで馬で行くつもりか」


そういいながらも旧友の依頼に、ユウはこころが少なからず動くのを感じていた。

殺しあったとはいえ友人であるし、当時のクニヒコの置かれた立場が理解できないほど彼も子供ではない。


ふう、と煙を吹いたユウは、とんと片手で灰を落として言った。


「まあ。アキバに行くのは構わんよ。しかし一応ここに世話になっている身でね。

向こうに永住ってのは御免こうむる。そういう条件なら行ってもいいよ」

「そうか!いや、さすがにユウさんだ。頼むわ」


破顔する友人(クニヒコ)の顔に苦笑して、ユウは立ち上がった。


「それなら善は急げという。行こう」



3.


 翌日。

村長やトールスへの挨拶もそこそこに、ユウとクニヒコは汗血馬を並べて歩いていた。

昔の傾奇者(かぶきもの)のように、馬上でのんびりと煙管を吸うユウを見て、クニヒコは呆れたように呟いた。


「相変わらずユウさんは煙草好きだな。いちいち葉っぱをつめて、面倒じゃないか?」

「別に」


煙が輪になって、午後の空に消えるのをユウとクニヒコが見る。


「確か、火がなくても煙草が吸えるマジックアイテムの煙管もあっただろ。<黒剣騎士団(うち)>にも何人か愛用者がいるが、別に葉っぱを大量に持ち込んで、いちいち火をつけなくてもいいだろうに」

「まあ、あれはあれでいい。好きな味が吸えるらしいからな」


手綱を放し、揺れる馬上で器用に煙草を詰め終えると、ユウは油紙に包んで提げている火縄を手にとって火をつけた。

その姿勢のまま、のんびりと言う。


「私が吸っているこの国産煙草からケンタッキー、バージニア、オリエント……さらに加工してラタキア、ペリク、さまざまな英国風煙草。シガレットなら甘いピースから喉に来るわかば、葉巻ならキューバもベネズエラも自由自在……好きな煙草が多い奴ほど、万金を払っても買う価値はあると思うね。

しかも葉っぱ要らず、火要らず、副流煙は水蒸気ときたもんだ。

喫煙者にも非喫煙者にも優しい、まさに魔法の煙草だね」

「そんなものかな」


煙草を吸った事のないクニヒコはユウがずらずらと並べた固有名詞をひとかけらも理解できなかったが、

ユウはかまわず続けた。


「でも、私はしないな」

「しない?」

「ああ。シガーはいいものを選び、ケースで熟成させ、味わいが出るのを指折り数えて待ち続け、ようやく最高の湿度と温度に抱かれた一本をシガーカッターで切るのがいいんだ。

パイプも、自分に合うものを選ぶところからはじめて、煙草の味と勘案して最高のコンディションに仕立て上げ、カーボンも満遍なくくっつけたところに注意を払って最高の状態の煙草を詰め、吸い終わったら手間を惜しまず綺麗にするのがいいのさ。

趣味ってのはそういうもんだ。

手っ取り早く味だけ楽しもう、ってのはね……」

「そんなもんかな」


首をひねるクニヒコに、ユウは面白がるように顔を向ける。


「そうだなあ。たとえば、私やお前さんの世代は、プラモデルとかあったろ?」

「ああ。そういやあったな」


クニヒコも電池とモーターで自走するレーシングカーのプラモデルや、実物さながらの戦車や戦艦のプラモデルを思い出す。


「あれがさ、最初から全部完成品で売られてたら買うか?」

「ああ……買わないだろうな。ああいうのは作っていくのも楽しかった」

「同じことだよ。世の中いろんな人がいるし、別に否定はしないが、私は煙草を『組み立てる』ところからはじめたいだけさ」

「なるほど」

「重ねて言えば、その魔法の煙管には何もない。吸う自分と、吸われる味があるだけだ。

本当の煙草には、煙草農家の苦労、煙管職人やパイプ職人の苦労、それを届ける運送屋の苦労、

味が出るように細かく刻む職人技、いろんなものが繋がって味になる。

そういうものを楽しみたいから、手間なんて気にしてられないね」


「そんなものか」


苦笑するクニヒコに、照れくさそうに笑うユウ。

紫煙の中にあらゆるわだかまりが解けていくような気持ちのままに、クニヒコは頭上を見上げた。

その格好のまま、隣でゆっくりと馬を進めるユウをからかう。


「それにしても、あれだけ悪態をついてアキバを出て行ったお前さんが『人のつながり』とはね。

ずいぶん丸くなったじゃないか」

「きちんと仕事をしている人は好きだよ。常識をわきまえた人もね。

まあ……こういう自分自身、人にえらそうに常識をのたまうほどの人間じゃなかった、と気づいただけさ」

「………」

「悪かったな、クニヒコ。ひどいことを言ったし、ひどいことをした。

お前さんのところの仲間なんて、私のことを百度殺してやりたいくらいに憎んでいる奴もいるだろう」


あの夜の<朽ちた不夜城>で、ユウに投げかけられた悪罵を思い出し、ちくりとクニヒコの心が痛む。

しかし同時に、彼には隣の、自分よりわずかに年上の友人が、その千倍近い自責の念を抱えているだろうことも知っていた。

あえて顔を向けず、落ちかける太陽を見ながらゆったりと言う。


「まあ、いろんな奴もいるさ。だが、やり方はどうあれあの当時のアキバに蔓延していた空気を嫌ったのは、お前さんも、俺たちも同じだ。

幸い、何人かの頭のいい連中が、うまい具合に混乱を収めてくれた。

お前さんや俺たちにできなかったことをやってのけた。

だからまあ、結果オーライ、めでたしめでたし、というところくらいに思っておけよ」


時に40歳近い年齢とは思えないほどに潔癖でネガティブな友人を思いながら、そうクニヒコは告げる。


「万事うまくやれる人間なんていないさ。俺やお前さんみたいに、いい年をして脳筋な連中ならなおさらだ。

……まあ、アキバの、俺たちの仲間は確かに学生さんや廃人あがりも多いだろうが、お前さんが思うほどゴミでも非常識でもクソでもないってことだけ、わかりゃいい」

「……そうだなあ」


「それはともかく、この調子じゃアキバにつくのは夜中になっちまうぞ。少し急ごうぜ」


強引に話題を変えたクニヒコに苦笑しながら、ユウも手綱を握りなおす。


「そうだな。……ありがとう」

「急ごうぜ!」


走り出した二騎の前方を、赤みを増した夕日が徐々に落ち始めていた。



 結局、ユウたちがアキバへたどり着いたのは深夜に差し掛かる時刻だった。

アキバの南門、<ブリッジ・オブ・オールエイジズ>をくぐったユウは思わず感嘆の声を上げた。


「こりゃ、すごいな」

「だろ?」


わがことのようにクニヒコが鼻をうごめかせる。

そんな友人に一瞥だにせず、ユウはランプと無数の<魔法の明かり(バグズ・ライト)>に照らされたアキバの大通りを眺めていた。

巨大で、神秘的にすら思える木々の間を揺らめくように、冷たい白色と暖かい橙色の明かりがさんざめき、時折<召喚術師(サモナー)>が呼び出したと思しき巨大な召喚獣が彩りを添えている。

その下では、深夜であることを忘れたかのように多くの<冒険者>や<大地人>が歩いていた。

商売気が強いというべきか、あちこちの街角では露店が開かれ、香ばしい匂いが当たり一面に立ち込めていた。

それらを手に、あちこちで笑いやざわめきが広がる。

そこは、辺境の村に長くいたユウにとっては信じられないほどに華やかな夜の光景だった。


「今じゃアキバもご覧のとおりさ。少なくとも表立って<大地人>や女性、中小ギルドや弱小プレイヤーをいたぶるような奴はこの町にはいない。ちょっとずつだが、元の世界にあるような道具もできつつあるんだぜ」

「これを、<冒険者>が……」


絶句するユウの肩をクニヒコはぽん、とたたく。


「ああ、<冒険者(おれたち)>が作ったんだよ」

「ゴミだのクズだの、まるで前の俺は気違いか厨二病とやらの患者だな」

「おいおい。まだ言ってるのか。いい加減そのネガティブ思考をやめろって。……ん?」


ははは、と笑ったクニヒコの顔が急に真顔になる。

そのまま耳に手を当てて喋りだす彼を見て、ユウはふと周囲を見渡した。


確かに<冒険者>の姿は多い。しかしいくらなんでも深夜に多すぎないか?

<冒険者>といえども元はただの人間である。<エルダー・テイル>というゲームのプレイヤーだった性質上、宵っ張りは相当数に上るだろうが、それにしても起きている人数が多すぎる。

クニヒコの顔が鋭く引き締まるのを見、ユウは念話を終えた彼をじっと見つめた。


「今夜、何かがあるんだな?」

「ああ。俺も今聞いた。……広場へ急ごう」

「お前さんは<黒剣騎士団(おまえのギルド)>と合流しなくていいのか?」


ユウの問いかけにクニヒコは首を振った。


「人手は足りてるそうだ。とりあえず行こう」


 馬を放した二人が走って中央広場に着いたとき、既に時間は深夜を通り越し、夜明けに近い時刻だった。

<冒険者>の脚力であれば(ブリッジ)からわずかな時間でたどり着けるはずのそこに着くまで時間がかかったのは、イチハラから通しで駆けてきた二人にとって、大通りの露店の群れがあまりに魅力的だったからに他ならない。

 クニヒコは串焼きを両手いっぱいに抱えて頬張り、ユウも女性らしい慎みといった、元から持ち合わせない美徳など欠片ほども気にせず料理を貪った。

それらは、確かに現実世界の店に比べれば素人料理に近いものだったかもしれないが、

何しろ空腹なのだ。

飢えは最高の調味料、といわんばかりに、ユウはこの世界に来て、半ば食べるのをあきらめていた懐かしいジャンクフードや屋台料理を心行くまで楽しんでいた。


 そうして口の周りを拭きながら二人がアキバの中央広場にたどり着いたとき、そこは既に多くの<冒険者>で埋め尽くされていた。


「すげえな、この人数」

「アキバの街の<冒険者>が全員いるんじゃねえか、これ……」


現実世界の祭りにも劣らないような人口密度の中、ユウたちは苦労して人ごみを掻き分け前に進んだ。

クニヒコのギルドタグや、申し訳なさそうに頭を下げるユウの姿が役立ったことはいうまでもない。

そうして、かろうじて中央の舞台が見える位置まで陣取ったユウたち二人の前で、誰かの呼び出した召喚獣による明かりが大きく瞬き、舞台に何人かの人間が現れた。

そして、華奢にすら見える痩身をローブに包んだ青年の演説が始まった。


「――以上のような要因からザントリーフ半島の基部を中心に、関東北部の丘陵森林地帯には、最大二万弱のゴブリン族が発生しています。

 この軍勢の圧力は――」


滔々と流れるスミダの河のように続く青年の声を聞きながら、ユウは小声でクニヒコに尋ねた。


「ゴブリンだと?」

「ああ。お前さんがハダノでやりあったジェネラルも、おそらく先遣隊のひとつだろう。

お前がいたイチハラを含めたザントリーフ半島―千葉県のほぼすべてでゴブリンによる襲撃が発生している。」


見渡せば、周囲の冒険者たちもある者は頷き、あるものはメモを取りながら、周囲の仲間と話していた。


「たば……ハダノを危機に陥れたゴブリンも、単なる先遣隊だったというわけか」

「だが、ジェネラルが出てきたのは尋常じゃない。何らかの理由で配下の軍団と離れたか、あるいは離されたか、どちらにしてもアキバとイースタル同盟は、西と東に敵を抱えることになっただろうな。

カイたちの大金星さ」


クニヒコも小声で返す。そんな彼らの目の前で、話者が変わった。


「――みなさん。初めまして、私は〈大地人〉。〈自由都市同盟イースタル〉の一翼を担う、マイハマの街を治めるコーウェン家の娘、レイネシア=エルアルテ=コーウェンと申します。

 本日は皆さんにお願いがあってやって参りました」


薄蒼い空に調和したかのような菫色の外套(マント)をたなびかせ、凛とした声を清冽な衣装の鎧に包んだ体から発している、一人の女性。


「女神だ……」


呆然としたような誰かの声がユウの耳朶を打つ。

ユウもまったく同感だった。

この、遠目から見ているあの女性は、人間なのか?

幻想を見ているようなユウの目の前で、なおもコーウェンと名乗った女性は、無数の<冒険者>に対して言葉を投げかけた。


「――戦場へ……行きます。ですから、良ければ、それでも良いと思う方は、一緒に来てはくれませんか? あなた方の善意にかけて、自由の名の下に、助けてくれませんか? わたしはわたしの力の限り〈冒険者の自由〉を守りたいと思います……どうか、お願いします」


 半ば呆然と、虚脱したかのようなユウの足が揺れる。

一定のリズムで打ち鳴らされる音は、広場の一団を占める戦士たちの力強い足音だ。

高らかな角笛が響き、斧を掲げたドワーフたちが咆哮をあげた。

まるで神話のような、子供のころ読み耽ったファンタジー小説の一場面のような、

それは幻想的な光景だった。


しかし、とユウは戦意を主張する周囲を見て思う。

自分は周りの<冒険者>を憎み、蔑み、挙句恨みだけを買って逃げ出した敗残者ではないか。

絶望的な状況から立ち上がり、今のアキバを作り上げた彼らに並んで剣を掲げる資格などないのではないか?

アキバから去った、あるいは追い立てられた連中同様の自分が、華やかなこの場面の一点景になるのはあまりに恥知らずな行為ではないか?


 そう思って唇を噛むユウを、クニヒコがどん、と小突いた。

そして笑う。


「ユウさん。タルを助けるために、まずは準備運動といこうぜ」

「準備運動?」

「ああ。敵はゴブリンども、いいじゃないか。しかも姫君のご依頼だ。俺たちはこの世界で始めて、この世界の人たちのために、この剣を振るって冒険をするんだ。

この場にいたのはユウさんの運命みたいなもんだよ。

とくれば、やることはひとつだろ?」


屈託なく笑うクニヒコに、一瞬遅れてユウは、はは、と笑った。


「そうだなあ。後ろから斬られるのを覚悟の上で、もう一度やってみるのもいいかもなあ」


すらりと腰の剣を抜く。ユウの愛剣、<堕ちたる蛇の牙>が、今はその出自を忘れたかのように誇らしく輝いた。

ガチン、と周囲が驚くほどの音を立てて、<堕ちたる蛇の牙>はクニヒコの掲げる大剣と交差する。


「やろうぜ!」

「ああ!」


曙光が東の地平線から最初の一筋をかける。

ユウの目には、それがこの世界に来てはじめての朝の光に見えた。


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