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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第7章 <西の大地にて>
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89. <騎士たちの悩み>



 誰もが動かない。

咀嚼の音、食器を動かす音、酒を注ぐ音。

それらのいずれもが、死に絶えたように綺麗に拭い去られていた。


ウェンの大地(アメリカ)に?」


おずおずと口を開いたのはグンヒルデだ。

食事の合間の紹介から、彼女と<妖術師>のユーセリア、そしてローレンツの3人が、総勢100名を超えるこの<冒険者>ギルド、<グライバルト有翼騎士団>の意思決定機関だとユウは聞かされている。

だが、今の彼女はそういった女傑には見えない。

外見相応の少女のように、怯えさえ見せて彼女は問いかけた。


「なんで? それは、この欧州(ヨーロッパ)だって天国には程遠いけど、あそこは本当の意味で地獄だと聞いているわ」

「住み着くわけじゃないから、地獄だろうが煉獄だろうがどうでもいい。

私はただ<盟約の石碑>に向かいたいだけ」

「そこに、間違いなく元の世界に戻るための手がかりがあるのですか?」


これはユーセリアだ。

知性だった顔を際立たせる眼鏡を片手で持ち、意味もなくそのレンズを爪で叩いている。

彼の隣に置かれた蒸留酒のグラスには、ほとんど手がつけられていなかった。


「わからない。可能性は薄いと思う。ただ、行かなければいけないんだ。

私はそのために、旅に出た」

「そうは言ってもなぁ……」


腕を組んでローレンツが仔細ありげに眉根を寄せた。


「<五月の災害>からこっち、他のサーバ、特に離れたサーバの情報なんてほとんど入ってこないんだ。

だが、新大陸からは災害当初、かなりの数の<冒険者>や<大地人>が逃げてきた。

<妖精の輪>も少ないながらあったし、去年はまだ大西洋航路も残っていたからな。

そいつらから聞く<ウェンの大地(あっち)>の状況の悲惨さは、さすがに俺たちも冗談かと思ったくらいだった。

文明とも法とも離れて数ヶ月で、文明人がああまで畜生に落ちるのを聞いた限りじゃな。

悪いことは言わん、やめておけ。

あんたが男ならまだしも、女なら別の意味でも地獄を見るぞ」

「そうですよ」


ローレンツの後に続けたのは、この場にいる数少ない<大地人>の一人だった。

ギルドメンバーではもちろんない。

グライバルト都市自治議会議員。

神殿参事会員。

ユーララ教会副司教。

職工互助会(ギルド)会頭。

平たく言えば、彼らはこの町、領主なき自由都市グライバルトの有力者たちだ。

その中の一人、一人の老人が口を開いた。


「わしら<大地人>も<冒険者>様方との合意には苦労したが、こちらのかたがたはまだしもよかった。

ローレンツ卿を始め、異世界とはいえこのグライバルトの生まれのかたがたが多かったですからな。

ユウ殿ははるか東方の生まれとか。

そんな場所に行くより、ここでしばらく休まれてはいかがか」


親切心にあふれたような言葉だからこそ、ユウはむしろ胡散臭いと感じた。

だが、彼の言葉に何人かの<冒険者>が苦笑を浮かべているところを見ると、打算ばかりというわけでもないのだろう。

切々と言うこの老人の言葉に従って騎士団に居場所を得た人々なのだろうから。


「議員閣下、ユウは東方の、ヤマトという地域の生まれです。

いつまでもこのグライバルトにはおりますまいが、ただウェンに行くよりはましですな」

「むう、それは残念至極」


苦笑してたしなめたローレンツに、議員と呼ばれた老人が悔しそうにうつむく。

どこか滑稽な愛嬌のある仕草に、我知らずユウも微笑んでいた。

軽くその議員に礼をする。


「ありがとうございます、議員閣下。ですが私の旅は道半ばなのです。

危険はもとより覚悟の上ですので、どうかご理解を」

「致し方ないですなぁ」

「でも、議員閣下の言われることももっともです。ウェンは危険すぎます」

「まあ、それに最近危険なのは、このあたりも変わらないけどな」


グンヒルデに続いてぽつりと呟かれた誰かの言葉に、ユウは耳聡くたずね返した。


「危険?どういうことです?」

「議員閣下があんたをこの町に迎えたがっているのは、あながち親切だけじゃないってことさ」


肩をすくめたローレンツは話し出した。

<大地人>の老人も含め、全員が口を閉じる。解説はローレンツに任せるつもりなのだろう。

酒の杯を置いたユウに、ローレンツは「あんたが巻き添えを食らった<猛進犀>のことだ」と告げた。


 

 ◇


「あのレイドボスがなんだ?」

「<猛進犀(あれ)>は本来、ロシアサーバの、それもかなり離れた場所のレイドモンスターだ。

確かに過去、イベントでこのあたりまで来たことはあるが、それでも普段いるわけじゃない。

だが、あいつは何の切欠もなく、このあたりの村を次々襲った」

「イベントトリガーを見逃しただけじゃないのか?」


アキバのゴブリン襲撃や、テイルロードのことを思い出しながらユウが答えると、ローレンツは大きくかぶりを振った。


「違う。俺もゲーム時代、あいつと戦ったことがあるから知ってるんだが、あいつがこの北欧サーバに現れるきっかけは、<古来種(エリアス・ハックブレード)>があいつを追ってくる、というイベントからだ。

定期的に起こるイベントで、詳細はそれぞれ違うんだが、いずれも<古来種>が直接のトリガーだという事実は変わらない。

逆を言えば、<古来種>が来ない限りは起こらない大規模戦闘(レイドクエスト)だったんだよ」

「じゃあ、今回も<古来種>が」

「いない」


むしろ自分が呆然としているかのように、ローレンツは答えた。


「いないんだ。<赤枝の騎士団>も、他の<全界十三騎士団>も。

噂レベルでは、エリアスを見たとか、<冒険者>と一緒だったとか言うけどな。

城は空っぽ、日本語でどういうか知らないが、まるで<さまよえるオランダ人>の船内みたいな有様だったというぜ。

ともかく、俺たちの知る限り<猛進犀>がこちらにくるトリガーはない。

それに、他にも見ただろう? いるはずのない場所にいる、モンスターを」


ユウの脳裏に海で見かけた<大海龍>の姿が思い浮かぶ。

頷いた彼女に、ローレンツは恐れおののくような顔で告げた。


「<災害>以来、ちょっとずつこの世界はゲームのころから離れてきつつあると思う。

いるはずのものがおらず、いないはずのものがいる。

だよな、ユーセリア」

「ええ」


話を向けられた<妖術師(ユーセリア)>が続けた。


「ユウさん。ヤマトのかたがたがどういう分析をされているかは知りませんが、われわれも乏しい情報から、何とか今の状況を分析しようとしています。

その中で思ったのですが、<五月の災害>以来、この世界は極めて現実的(リアル)な世界になってしまった、ということです」


似たようなことはヤマトでも華国でも聞いていたが、ユウは黙って言葉を待った。


「私は大学で植物学を学んだのですが、この世界の植生は徐々に変わり始めている。

たとえば、温帯か亜熱帯で育つ植物が<災害>直後にはこのあたりにもあったのですが、それらは今年は軒並み芽を出していません。

植物が替われば、動物も替わる。

徐々にこのあたりは、現実の北ドイツやポーランドの動物相が姿を見せはじめています」

「……」

「一般の動物もそうであるならば、レイドボスはどうか?

ダンジョンにいるボスはまだしも、野外にいる動物や亜人系のボスが配置されていたのは、そもそもが植生や食物連鎖による調査の結果というより、ゲームのイベント的な意味合いが大きかったと思われます。

たとえば<猛進犀>、あれは雑食性です。

そして、彼らが本来住んでいたロシア南部という土地は、あの大きさの雑食性動物が生きていけるだけの十分な食料はありません」

「つまり、<大災害>以降、現実化したこのセルデシアにおいて、本来の食性とは無関係に配置されたモンスターたちは、食事を求めて配置されたゾーンと無関係に動き出した、ということ?」

「そうです」


重々しく頷いたユーセリアの顔は真剣さに溢れている。


「ロシアと違って、このあたりから中欧にかけては、大森林が広がっています。

それこそ食うに困った彼らでも十分に生きていけるだけの。

今、多くのモンスターは高レベルゾーンだった本来の場所を離れ、食物を求めてあちこちをさまよっているのです。

海に近いこのグライバルトでも、いくつかサファギンや水棲モンスターの襲撃が起きています。

……かつてのイベントやクエストのような明確なきっかけもなく」


「だからこそ、なのさ」


ローレンツが、黙ったユーセリアを見ながらどこか歌うように呟いた。


御伽噺(エルダー・テイル)は終わった。今俺たちの前にあるのは現実だ。

だが<冒険者(おれたち)>も<大地人>も、御伽噺から現実に移行する、まだ途上だ。

それでも生きていかなきゃならんし、食っていかなきゃならん。

ユウ。

俺たちや議員閣下がお前にいてほしいと思うのは、何もウェンが危険だというだけじゃない。

今、まさしくグライバルトも危険だからなのさ」



 ◇


 宛がわれた宿舎の一室で、ユウは片膝を抱えてベッドの上に座り込んでいた。

今、ここにある危険。

それは、<猛進犀>の群れだ。

グライバルトはこのあたりでもひときわ大きな都市の部類に入る。

周辺の小さい町や村から、モンスターの出現の知らせは次々と届いていた。

その中でもっとも危険なのが<猛進犀>だった。

一匹だけでも脅威であるそれらは、複数の群れになって押し寄せているという。

それだけではない。

北辺からは小隊規模戦闘級(パーティランク)のドラゴンや大蛇(サーペント)が飛来し、そうでない中小規模モンスターもかなりの数、<大地人>たちの居住地域に入り込んでいるようだった。


もちろん、<冒険者>が団結すれば、それらは決して倒せない敵ではない。

アキバが、あるいは華国がそうであったように。


しかし、クラレンスたちの例を見てもわかるように、彼らは分散し、互いに好き勝手な行動をとり始めている。

もっとも<冒険者>が集まる<七丘都市(セブンヒル)>はそうしたモンスターの脅威が身近な場所からはまだ遠く、彼らも自分たちの秩序の構築と維持で手一杯という話だった。

<グライバルト有翼騎士団>百余名というのはむしろこのあたりではかなりまとまった戦力だ。

そんな彼らでさえ、レイドボスの群れというのは手に余る。

ヤマトから幾多の戦いを潜り抜け、94レベルに達したユウを求めるのは、そうした理由もあった。


ユウは日課の毒の作成もしないままに顔を膝に押し付けた。


自分が、戦っていいのか。

自分の旅路を省みるたびに、そうした思いが心を押し包む。


思えば。


自分が考え、自分で戦うことを決めるということは、これが初めてだ。

いつも激情に身を任せるか、その場の成り行きで戦うか、誰かの決めた戦いに参戦していただけだ。

唯一の例外は<サンガニカ・クァラ>だが、それはユウ自身の目的に合致していたため。

今回とは違う。


せっかく確保した毒を消費し、本来の自分の旅路を曲げてまで、戦うべきなのか。

通りすがりの旅人が、義憤に駆られて手伝ってもいいのか。


頭が割れるほどに考えて、その夜、ユウはひとつの結論を出した。



 ◇


 翌朝。


日課の訓練を行っていたローレンツに、ユウは歩み寄った。


「おう、おはよう」


上半身裸で素振りを繰り返す彼に、ユウは小さく、一言呟いた。


それはこの世界に来てはじめて、『ユウ』に従ったのではなく、『鈴木雄一』としてでもなく、

『ユウの姿になった鈴木雄一』が発した言葉だった。

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