88. <自由都市>
1.
これで、死ぬのは何度目だろうか。
元の世界ではもちろん死に瀕したことはない。
家族や知人を見送ったことは何度もあるが、それは生命の停止とはどのようなものなのか、
そうした生物学的な事象に社会的な意味を付け加える行為に過ぎない。
だが、自らの死とは違う。
それは、それまで「自分」が「自分」であったもの、地球の生物であったこと、それらすべてとの断絶だ。
財産も、人間関係も、社会的地位も、そして自我、意識、欲望、生物としてのすべてを捨てて
まったく別の環境に行くことだ。
それが天国なのか、極楽なのか、あるいは冥界なのかはともかく、そこは今までの自分というものが何もなくなった状態で向かうべき、最後かどうかもわからない未知の場所であるはずだった。
だが、とユウは覚醒しつつある意識の中で思う。
何がどうなったのかはわからないが、自分はまたも死んだらしい。
覚悟してではなく、何かを遺してのことでもなく、自分自身すら経緯がよくわからないあっけない死だ。
それなのに後悔も何もないのは、この異世界での死が、本来自分が生まれた世界に比べれば
はるかに低リスク―ほとんどノーリスクといっても過言ではない―だからだろうか。
それとも。
◇
懐かしい重みとともに、ユウは雑踏の中を歩く。
無数の、さまざまな衣装の人間たちが、すれ違い、あるいは向きを同じに歩いていく。
肩にかかる鈍い痛み、足を踏み出すごとに感じる重い重量感。
見れば、ユウの手は見慣れた白い繊手ではなく、ぶくりと肉のついた筋張った大きな手に変わっている。
見下ろすと、豊かな胸の代わりにYシャツの後ろからこんもりと膨れた腹が見えた。
「ユウ」ではない。「鈴木雄一」の肉体だ。
学生時代、陸上競技に打ち込んで鍛え上げた筋肉を、若さとともに投げ捨てた中年男。
白っぽくなった頭髪と、弛みのある肉体を持った、異世界の<大地人>の姿だった。
ふと、後ろを振り向く。
妙にモノトーンの色彩に沈んだ交差点は、毎朝会社に来るときに見ていた地下鉄の駅だ。
何の変哲もない、どこにでもありそうな街路の隅に、ここがかつて江戸随一の商業街だったことを示す、小さな石碑が気まずそうに建っている。
鈴木は向き直ると歩き始めた。
会社へ、行かねばならない。
これまで20年、そうしてきたように。
これから20年も、そうしていくように。
異世界の冒険は、眠る前の一夜の夢。
彼の本当の戦場は、ここなのだから。
不意に場面が切り替わった。
先ほどまでは灰色と白が圧倒的だった網膜には、今はオレンジ色の色彩がたゆたっている。
先ほどと同じような無個性な街路ながら、ここは先ほどの場所ではない。
鈴木の自宅がある、最寄の駅の交差点だ。
夕暮れなら酒場を回るサラリーマンや、部活帰りの学生、買い物に来た家族などでそこかしこから幸福そうな声が聞こえるはずだが、今は無音。
ただ、人々が歩くざっざっという音だけが、鈴木の耳に届く。
体が重い。
軽やかな<冒険者>のユウと違って、鈴木の体は、これほどまでに重い。
それは、脂肪と贅肉の重さだけではない。
支える責任の重さだ。
妻を幸福に暮らさせること、親を見送ること、子供を無事に社会へ送り出すこと。
先輩の仕事を受け継ぐこと、後輩を教育し、無事バトンを渡すこと、誰かのいい友人であること、
誰かの不倶戴天の敵であること。
ほかにもいろいろと、鈴木雄一という人間に科せられた、重いしがらみの数々が心にのしかかる重さだ。
思えば、ネットゲームの世界で、ユウという人間はなんと軽やかだったことか。
親もない。知り合いも少ない。家族もおらず、責任を取るべきギルドメンバーもいない。
彼女は異世界におけるあらゆる人間関係から自由な、傍観者だった。
だからこそ、原因すらわからぬ死を前に、心はいささかも動じない。
鈴木雄一は違う。
彼が仮に突然死んだとすれば、遺された家族や引き継いでいない仕事といった大きなものから、
小は自宅のPCにこっそりと隠した見られたくないデータまで、思い残すことは膨大だ。
それらに何らかの片をつけるまでは、死ねない。
(ああ、だからか)
鈴木はふと思った。
異世界であっさり死を決意できたのも、死を躊躇うものが『友人たちの悲しみ』以外、異世界に何もないからだ。
死ぬ体すら、本来の自らの体ではないからだ。
この無個性な町で細々と生きる肉体のまま、仮にセルデシアに行ってしまったとするならば、
鈴木はたとえ百万人を無残に殺そうと、五体無事で元の世界に帰る事を選ぶだろう。
自分のそれまでの果敢な行動は勇気ではない。
ほかのプレイヤーたち――鈴木が蔑んでいた『廃人』たちと比べれば、単に人とのしがらみがないことを自由と勘違いしていただけだ。
重い、一生のしがらみに覆い尽くされた身体が、それを雄弁に教えている。
遠くに、見慣れた墓石のような影が見えた。
自分の、家だ。
帰りたい気持ちは無論ある。
だが、一旦異世界で自由に生きることを知って、それでなお何もなかったかのように戻れるのか。
鈴木は、自分が死をひたすらに望んだのは、汚れた手で家族と会いたくない、という綺麗事めいた感覚ではなく、
単に重い荷物を再び背負うことを嫌がっただけではないか、と感じていた。
マンションのエントランスに入ろうとした刹那、風景が急にぱりん、と割れる。
ガラスでできた絵画のように、崩れ落ちていく見知った風景の中、
鈴木は『鈴木雄一』としての自分が砕け散っていく感触とともに、
それまで聞こえなかった無数の談笑の声が自分の周りをうわん、と取り巻くのを感じていた。
「ねえ、今日も父さん遅いの?」
「ええ。先にご飯を食べていましょう」
「あ………!!」
エントランスの向こうに妻と娘の声を聞いたのは、『鈴木雄一』が粉々に砕け散る、まさにその瞬間だった。
2.
そこは、上品な調度で彩られた部屋だった。
決して豪奢ではないが、部屋のあちこちにあるインテリアは綺麗に磨き抜かれ、ドアについたドアノブは、何かのモンスターを擬した彫刻で飾られている。
ユウは、自分の頭の中で血管が膨れているような、ずきずきとした痛みを感じながら起き上がった。
知らない部屋だ。
だが、自分がうすうす察しているとおり、これが仮初の死からの復活の目覚めであれば、
インテリアから類推しなくても、ここがどこだかは分かる。
<大神殿>だ。
<冒険者>をよみがえらせる魔法的な空間であるその建物のデザインは、建造されたサーバの文化を色濃く反映する。
華国――中国サーバでは寺院や道観に近いし、中東サーバではモスクのようでもある。
そして西欧サーバでは、それは教会を模している場合が多い。
実際に、プレイヤータウンの中には現実で有名な寺院があるところに、<大神殿>が建造されているケースも多いのだ。
「94……レベルか」
いまだに、自分の死因はよくわからない。
何かすさまじい衝撃を受け、激痛で朦朧とした意識の中で、光を見たことだけは覚えている。
それが何なのかも、そしてその後の死の世界で何を見たのかも、覚えてはいない。
ただ、わずかに減った経験値だけが、確かに自分が死んだことを教えてくれていた。
ユウが傍に置かれていた刀を腰に差しなおし、立ち上がったところで、コンコン、と扉がノックされる音がした。
「どうぞ」
「大丈夫か?」
重厚な扉を開け、ユウの視界に現れたのは重厚な鎧をつけ、兜を片手に持った<守護戦士>だった。
腰には、やけに小さく見える騎兵刀を提げ、心配そうな表情でユウを見ている。
「……あんたは」
現れた青年が何者か分からず、問い返したユウに、その男は「あ、悪い」と答えて扉を閉めた。
「座っていいか?」
「ご自由に」
空っぽの別の寝台に座り、男は頬をぽりぽりと掻いた。
その表情に、何か言いづらいことがあるのかと思い、ユウは黙って彼を見る。
やがて、男は申し訳なさそうに、いきなり頭を下げた。
「すまん!」
「……何が?」
「あんたがいるなんて気づかなかった。こっちのミスで死なせてしまった。本当にすまない」
「何のことだ?」
面食らうユウに、男もまたぱちりとした目を上げる。
「あー。その。あんた、自分が死んだときのこと、覚えてるか?」
「よく覚えてない。何か光が光ったのを見てるだけだ」
「それは……俺のギルドの魔術師たちが放った呪文だ。あんたを巻き添えにして、レイドボスを撃っちまった」
「へぇ」
謝る男を見ていても、浮かんだ感慨は「やはりボスだったのか」くらいのものだ。
そもそも、北欧サーバに詳しくないユウには、どこにどんなボスがいるのかも知らない。
結果、ほかの<冒険者>のボス退治の巻き添えになったと聞かされても、ああそうかくらいしか思わない。
それを告げると、<守護戦士>は驚いたように目を開いた。
「いいのか? 補償とかなんだかんだは?」
「いらない。私のミスであんたらの邪魔をしただけみたいだから。むしろ戦いの邪魔になったなら、こっちが申し訳ない」
「そっちは問題なく倒せたんだが……本当にいいんだろうな。それともあんた、<冒険者>じゃなくて<古来種>とかか?」
「違う」
おそらく自分のレベル表示を見て、そうたずねてきたその男に、ユウは簡単に説明した。
聞き終えた<守護戦士>は、どこかほっとした顔で頷いている。
「最近、<冒険者>に誤爆すると面倒なんだよ。 補償しろだとか、失った経験値分の手伝いをしろだとか、いろいろとね。
誰も彼もが後ろに貴族を抱えているから、無碍にも出来ん。
こうしたトラブルはあとを引くからな、ありがとう」
「それはいいんだが。 ここはどこだ? そしてあんたらは誰だ?」
ユウは安心している<守護戦士>に、つとめて詰問調にならないよう問いかけた。
場所的にも、あのクラレンスたちがいるであろうクリューグ辺境伯領からは遠く離れているはずだが油断は出来ない。
どこかのプレイヤータウンであれば、知人の知人レベルで彼らとつながりを持っていてもおかしくはないのだ。
だが、その男はきょとんとした顔でユウを見て――そして軽く苦笑した。
「そういえば、ステータス画面の文字が違うね。
俺はこのグライバルトの街に雇われている<グライバルト有翼騎士団>のリーダーを務めているローレンツという。
街の名前は知らないだろうが、ここは北ドイツ、元の世界で言えばデンマークやポーランドとの国境近くの街だ。
プレイヤータウンはないが、昔のイベントのあおりで<大神殿>と<銀行>があってね。
俺たちも重宝しているんだよ。
あんたはどこから来たんだ? どこかに行く予定だったのか?」
「いや……私はユウという。ヤマトの<冒険者>だ。
レベルが上がってるのもヤマトで新パッチがあたったからでね」
「へえ」
どうやら、ローレンツという名前のその<守護戦士>は、仲間が間違って殺してしまったユウへ謝罪と、そして説得のために訪れたらしい。
聞けば、この地域の<冒険者>は、PKに対し非常に厳しく、故意でなかったとしても論争沙汰になることも多いという。
それぞれが貴族たちの、いわば私兵となって動いている以上、下手に<冒険者>同士で遺恨を残せば、それぞれを雇っている貴族同士の争いに発展しかねないからだということだった。
「それで、わざわざ? ギルドマスターであれば忙しいだろうに」
「まあ、ギルドマスターといっても寄り合い所帯のまとめ役みたいなものでね。
そんなに何でもかんでも自分でしないといけない、というわけじゃない。
大概のことはそれぞれの小隊長に任せておけばいいのさ」
肩をすくめたローレンツに、ユウは気にしていたことを尋ねた。
「何もあんたらに望むものはないんだが……2つだけ教えてほしい。
ひとつ目だが、あんたら<琥珀の騎士団>のクラレンスとかリルドア、という名前に聞き覚えはないか?」
「<琥珀の騎士団>のクラレンス?」
ローレンツの顔の変化は劇的だった。
気のいい青年風だった表情が崩れ、嫌悪と侮蔑が明らかに顔に出る。
「あんた、ヤマトくんだりから来て、あんな連中と係わり合いがあるのか?」
「いや、ちょっと成り行きで連中と戦って倒した。お礼参りをされるのも面倒だから、もしあんたが連中の知り合いなら――」
「知り合いは知り合いだがな。今の連中と付き合いはないし、付き合おうとも思わんぞ」
ローレンツは吐き捨てて続けた。
「連中、ゲーム時代はまあ品行方正なギルドだったが、<五月の災害>からこっち、変わり果ててしまってな。
女性のギルドメンバーを暴行して奴隷に売り飛ばしたり、<大地人>の村に押し入ったり、碌なことをしちゃいない。
今は確か、ノルウェーにあるクリューグとか言う貴族に雇われていると聞いている。
連中が何をしてあんたと戦ったのかはしらないが、どのみち碌な事情じゃないだろう。
俺たちも――そうだな、もし近くに来たなら仲良くお話、とはいかないだろうな」
「それなら、よかった」
人は顔で嘘をつく。
目の前のローレンツの態度に、少し安心しながらもユウは二つ目の問いを発した。
「もうひとつ。私は<ウェンの大地>へ渡りたい。
この北欧もしくは西欧サーバで、あっち向けの船がくるところ、もしくは通じる<妖精の輪>の場所を知っているか?」
「<ウェンの大地>だって? あんなところにいきたいのか?」
「あんなところ?」
あきれた声を出したローレンツは、口にするのも嫌だといわんばかりの表情で続けた。
「しらないのか? あそこは<災害>以降完全な無法地帯だよ。
欧州みたいに、<大地人>貴族とつるんでギスギスしているのがむしろ平和に思えるほどだ。
飯、酒、女。 そんなことのために頻繁に殺しあっていて、<東の都>も<西天使の都>も治安なんてゼロだという。
何が目的なのか知らないが、行かないほうがいいぞ」
初対面にもかかわらず、そう訳知り顔で忠告したローレンツは、ユウの顔を見て呆れ顔を強めた。
「……どうしてもいきたいのか? 何をしに?」
「<盟約の石碑>を調べたい」
ユウが口に出したのは、<エルダー・テイル>のプレイヤーなら誰もが知っている名前だった。
<盟約の石碑>
アメリカはシリコンバレー、元の世界なら<エルダー・テイル>の総サービス会社である米アタルヴァ社の本社ビルとまったく同じ場所に建てられた、ひとつの石碑だ。
ゲームの中では、セルデシアが今のようになったとき、神々と人が盟約を結んだ、その文章が刻まれている、と言い伝えられている。
噂では、アタルヴァ社が<エルダー・テイル>を構築したとき、最初に作られたゾーンだとも言う。
それだけでユウの目的を看破したのか、ローレンツは苦い表情で頷いた。
「元の世界に帰る方法を探しに行くつもりか」
「ああ」
「<盟約の石碑>、この世界最初のゾーン。そういう場所なら、何かあると思っても不思議はないな……だが」
そこまで話し、ローレンツは不意に立ち上がった。
「せっかくだ。お詫びがてら俺たちの居館に招待しよう。
長い話になるからな、夕飯を食って、そこで話すとしよう」
◇
<大神殿>を出たユウの目に飛び込んできたのは、どこか懐かしい、オレンジ色の光景だった。
夕暮れだ。
グライバルト、という街はそこそこの規模があるらしい。高い城壁で区切られた市街地には、赤い屋根と白い漆喰のコントラストも鮮やかな家々が立ち並び、
<大地人>たちが足早に家路についている。
街を行き交うのが自動車でなく馬車であることや、服装が中世風であることを除けば、
ユウがかつて旅行や出張で行った北ドイツの田舎町とそう大差はない。
まるで地球に戻ったかのような、不思議な感慨を覚えたユウが立ち尽くしていると、少し前を歩いていたローレンツが振り向いて苦笑した。
「どうした?」
「いや、元の世界のヨーロッパの町に似ているな」
「そりゃ、そうだ。モデルももともと中世のころの街並から変わっていないからな。
日本には行ったことはないが、あそこは戦争や災害で、昔の町並みはほとんど残っていないんだろう?」
「ああ。アキバ――ヤマトのプレイヤータウンも、高層ビルを木が覆った、独特の景観をしているよ」
「こっちは、戦争やらで多少焼かれはしたが、おおむねもとの景観が残っているからな。
そのせいで、<冒険者>もそれぞれのプレイヤータウンに戻るというより、故郷の町に戻る奴が多かった。
俺もその一人だ。このグライバルトで生まれ育ったんだよ」
「なるほど」
思えば、欧州の<冒険者>がプレイヤータウンに集まるのではなく、薄く広く欧州各地に散らばったのも、そのせいかもしれない、とユウは推測する。
セブンヒルのような、アキバをしのぐ大都市こそあるが、もともと<エルダー・テイル>でもメインターゲットのひとつと位置づけていた欧州地域には、プレイヤータウンの機能を一部だけ与えられた<大地人>の都市は多くあった。
<大神殿>だけ、あるいは<銀行>だけ、といった形だ。
<冒険者>がわざわざ集まらず、各地の貴族の傭兵としてそれぞれの町にとどまっているのは、
既存のプレイヤータウンの外がほぼフィールドゾーンだったヤマトと違い、元の故郷を思わせる街が各地にあったからかもしれなかった。
自分でなんとなく納得しながら、ユウがローレンツについていった先には、中世の商業会館めいた大きな建物があった。
大きさはほぼ一街区を占める、巨大な建物だ。
あちこちの窓からは、有翼悪魔や竜の彫刻が不気味な顔を突き出し、
正面に見える壮麗な入り口の上には、ローレンツの率いる<グライバルト有翼騎士団>の紋章なのだろう、天馬の下に槍を交差した紋章が縫い取られた巨大な旗が垂れ下がっていた。
「ここだ。俺たちのギルドホールは。団員の中には市街に家を持っている奴もいるが、基本的にはここで全員が寝泊りしている。
あんたも、当面ここに住むといい。
寝込みを襲うような奴はいないからさ」
親しげなローレンツの声に導かれるように、ユウはおずおずと建物に足を踏み入れた。
そして驚く。
ドアを開けた瞬間、数十人の<冒険者>が鳴らすクラッカーや呪文に包まれたからだった。
3.
「いや、すまん。うまく補償関連の話がまとまって、仲間にはあんたを歓迎するよう伝えていたんだが」
何十人も一斉に食事が出来るような、巨大なダイニングテーブルの上座で、ローレンツがぽんとユウの肩をたたいた。
隣の、もうひとつの上座に座るユウも、さすがに苦笑して頭を下げる。
「いや、迷惑をかけた、てっきり奇襲かと思ってね」
テーブルに三々五々座る、<グライバルト有翼騎士団>のメンバーにユウが頭を下げる理由は簡単だ。
歓迎のクラッカーを攻撃と勘違いしたユウが、すかさず跳躍して反撃しようとしたからだった。
その誤解が全員の言葉で解け、ユウはようやく晩餐に招かれているのだ。
「それに、落としたアイテムも全部拾ってくれて。申し訳ない」
そういうユウの横には、死んだときに落とした毒やアイテムの数々が、小さなバッグに仕舞われて置いてある。
彼女の殊勝な言葉に、卓の半ばに座る一人の青年があわてて手を振った。
ユーセリア――<妖術師>チームのリーダーだ。
「いや、こっちが確認なくいきなり殺したわけですから。あなたからすれば知らない土地の知らない<冒険者>だから、おびき出されたと思うのも無理はないですよ」
「そうそう。そもそもこっちに失敗があったんだしね」
隣に座った、やや幼く見える少女も頷く。
回復職チームの隊長である<修道騎士>のグンヒルデだ。
彼女はおっとりとした口調で、ユウから全員に目を移した。
「今回は、私たちのミス、ってことで。このユウさんには二つ謝らないといけなくなったわね。
まあ、お詫びがてら、私たちの料理を楽しんでもらう、ということで」
彼女の言葉が合図になったわけでもないだろうが、ギルドで雇っている<大地人>の従者たちが手に次々と料理を持って現れる。
前菜らしい、鶏肉を用いたパテと野菜のスープだ。
香ばしい薫りに、ユウもそれ以上何も告げる気にならない。
どの道、今のところは歓迎ムードなのだ。
「じゃあ、食べるとするか。食前の祈りをしないとな。ユウさんはキリスト教徒じゃないよな?」
確認してくるローレンツに頷き、ユウは自分で口早に祈りをささげた。
記憶に残る、ヤマトでの二人の僧侶の姿が思い浮かぶ。
『なあ、ユウはん。御飯というのは大事なモンや。どっかの命なわけやから、大事に食わんとイカン。
本当なら食ったものはワシらの血肉になり、栄養になっていくモンやけど、この世界は死んでもどっかから肉体が戻ってくる仕様や。
せやけど、飯というのは変わらず大事や。感謝して食おうやないか』
(そうだな、レオ丸法師)
久しぶりに思い出した友人の言葉を思い返しつつ、ユウは目の前のご馳走になったどこかの鳥に、小さく感謝の言葉を告げた。
◇
鳥のテリーヌ、野菜のスープ。
こんもりと盛られた、アスパラガスの茹で物はサラダ代わり。
それを肴に、食前酒として飲んだワインは甘く、ユウはポートワインではないかと思った。
これだけでも普通なら腹いっぱいになる量だが、これらはあくまで前菜だ。
黒パンと同時に、川魚を煮込んだ魚料理が出てくる。
それを平らげたら、口直しとして出てきたのはレモンの酸味の利いたシャーベットだった。
魚の油でぎとぎとになった口の中が、さっぱりと拭われていく。
そしてメインは、妙に硬いステーキだった。
「これは?」
「あんたが踏み潰されかけた、<猛進犀>の肉だよ」
(レイドボスをステーキにするとは)
目の前でじゅうじゅうと湯気を上げる肉を、思わずまじまじとみたユウに、周囲から邪気のない笑い声が飛んだ。
「そうそう。止めをさす前に肉を剥ぎ取るのは、なかなか苦労したぞ」
「しっかり味わって食べてくれよ」
「うちの<料理人>、どうしても<猛進犀>でステーキを焼くんだ、って聞かなくて」
<グライバルト有翼騎士団>の面々の声に誘われるように、ユウは一口肉を齧ってみた。
硬い。
さすがはレイドボスというべきか、肉になってもなおも<冒険者>の攻撃を防ごうとするかのようだ。
だが、我慢して噛むうちに、徐々にじゅわりと肉汁が隙間からあふれ出してくる。
その味わいは、レイドボスなどという物騒な肩書きとは裏腹に、実に繊細だった。
「……うまい」
思わず呟いたユウの横で、ワインを傾けていたローレンツが破顔した。
「だろ? うちはいい<料理人>がいてくれてるからな。
現実の三ツ星でもそうはいないぜ、これだけの腕前は」
「そうだな。うまい、レイドボスがこれほどとは思わなかった」
「まあ……連中も散々俺たちを食ったり殺したりしてるんだ。殺して食っても天罰は下らんぜ」
ユウが、かすかに疲れた顎を撫でながら完食したのを見計らい、次の皿が出る。
デザートだ。
保存していたらしい桃を煮込んだコンポート、そして小さなケーキが出されると、ユウは満腹感も忘れて思わず目をむいた。
彼女は辛党、甘党でくくるなら、どちらかといえば辛党だ。
だが、たっぷりと飯を食い、酒を飲んだあとの甘味が筆舌に尽くしがたい美味であることも知っている。
何しろ、居酒屋で散々飲んだあと、「もう一軒行こう」と甘味処で汁粉を平らげて平然としていた男なのだ。
ぺろりと平らげる彼女に、さすがの<冒険者>たちも瞠目する。
そして、食後にワインと、ウイスキーに近い蒸留酒、そしてチーズを出されたところで
ローレンツはおもむろに居並ぶメンバーの顔を見た。
「さて……食事も終わったことだし、みんな、本題に入ろうか。
この俺たちの客人、ユウの目的についてだ。
彼女は……<ウェンの大地>に渡りたいということだ」
それまで和気藹々としていた広いダイニングが、一瞬で凍る音がした。




