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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第6章 <傷ある女の修道院>
124/245

番外10 <殺人者>

連続投稿に近いです。

 それは、まだ彼女が長い旅に出る前のこと。



1.


「おい!あれを見ろ!」


ジュスランの声に、一向は一斉に彼の指の先を見た。

潅木の茂みの向こうに、いくつかの人影が見える。


「馬車か……?」

「おい!」


ここはアキバに程近い、<魔の橋(デビルズ・ブリッジ)>と呼ばれるフィールドゾーンだ。

名前のとおり、はるか古代に作られた巨大な橋の遺跡が印象的なゾーンで、アキバの<冒険者>からは散歩がてらの初心者用ゾーンとして、そして近隣の<大地人>にとってはかつての関東平野を縦断する街道のひとつとして、それなりに交通の多いエリアである。

出てくるモンスターは亜人系を中心に、多くとも30レベルを超えることはない。

だが、<大災害>によって<冒険者>を取り巻く環境が大きく変わってしまった現在では違う。

そこは、戦闘訓練を行う高レベルから低レベルまでの<冒険者>でごった返す、

実に殺伐とした場所となってしまっていた。


ジュスランたち、ギルド<クローゼット>の面々が、<魔の橋>で訓練できる時間も短い。

平均70という彼らの強さ(レベル)は、一般的には強者に数えられるだろうが、プレイヤーの半数以上が90レベルという<冒険者>の中では弱い部類だ。

<D.D.D.>や<ホネスティ>といった大手ギルドと繋がりもないこともあり、彼らは道を歩けば軽侮され、狩に出れば後から来た高レベル<冒険者>に、武器をちらつかせられて追い払われる毎日を送っていた。


当然ながら、心も荒む。

終わりの見えない謂れなき迫害と、現実世界とはあらゆる面で違う世界での生活。

それらに囲まれ、ジュスランたちは心に無数のささくれを生みながらも必死に生きていた。


「襲われているみたいだぞ」


<暗殺者>のコレジオが額に手を当てた。


「誰に、誰が? まさか、PKか!?」

「いや、違う。襲われているのはNPC(だいちじん)の馬車みたいだ。

襲っているのは……ゴブリンだな」


問いかけた仲間の一人、<施療神官>の(うしお)に、<妖術師>のカンパネルラがおびえた声を返す。


「ゴブリンなんて……ほかの連中が助けに来るんじゃないか?」

「いや……今ほかのパーティが通ったが、無視したぜ」


コレジオの顔にはうっすらと疲労が浮かんでいた。

よく見れば、潮にもカンパネルラにも同様の疲労の色がある。

自身を含めた4人の仲間を見る、ギルドマスターのジュスランは、自分の顔にも同じものが出ているだろうな、と酷く重いため息をついた。


<大災害>以降、自分たちを襲った理不尽、その本質は異世界漂流そのものではない。

それ自体も確かに理不尽だが、彼らの苦しみはその後の人間関係にこそあった。


自分も含め、ネットゲーマーの中には人格的に未熟な人間が多いことくらい、彼らもわきまえている。

だが、それでいてもなお、目の前で殺されかけている人間を無視するような人間が、同じ<冒険者(プレイヤー)>だとは思いたくはなかったのだ。

分不相応な力を、何の苦労もせず急に与えられたからこそ、多くのプレイヤーはそれに溺れ、溺れた者同士で上下関係を決め合っている。


(まるで、猿山の猿の争いだな……)


太いため息は、それでもほかの猿を蹴落とさなければ『生き場』すらなくなると思ってのことだった。


「……助けに、行くぞ」


ジュスランの沈鬱な命令に、3人の仲間は顔を見合わせ、同じく陰々と頷いた。



 ◇


 73レベルのジュスランを筆頭に、8人。

うち、戦闘に出られる男性キャラクターを使っているのが4人。

これが、ギルド<クローゼット>の全力だ。

他に<大災害>に巻き込まれたメンバーは3人いるが、それぞれミナミ、ナカスにおり、現時点では念話で互いの無事を確認する以外に出来ることはない。

ジュスランは、アキバの町外れでギルドメンバーと合流すると、即座に小さな家とありったけの食料を即金で買い込んだ。

そして特に女性キャラクターには、決して家の外に出るな、と指示をしたのだ。

この世界でも日本国の法律が有効だとは、ジュスランたちは毛ほども思わなかった。

しばらく状況の推移を待ってから、行動を決めようと思ったのだった。


数週間して、状況は彼らが想定したよりもなお悪い状況へ落ちていた。

家の中で何もすることがなく、互いの人間関係がギスギスとし始めたのを気にして、ジュスランが久しぶりに家の外に出たとき。

そこにあった世界は、あの楽しかった<エルダー・テイル>の大地ではなかった。


これ見よがしに揃いの制服(ユニフォーム)をひけらかし、ふんぞり返って歩く<D.D.D.>や<黒剣騎士団>などの戦闘系大手ギルドのメンバー。

おびえた顔で彼らに道を譲る、それ以外のプレイヤーたち。

おどおどと会話に応じる<大地人>に、理不尽な言いがかりをつけては何の躊躇いもなく暴力を振るう男たち、女たち。

自分よりレベルの高い男<冒険者>に媚びた目を向ける女<冒険者>たち。

死んだ魚の目をした、自分と同じ『日本人』たちの姿がそこにあった。


「なんだ……こりゃ」


かつてのアキバのメインストリートの片隅で、コレジオが疲れ果てた顔で呟いた。

そこは、他人には無関心ながらもそれなりの秩序があったアキバではなかった。

あるのは恐怖と暴力、傲慢と敵意、そして際限ない互いへの侮蔑だけだ。

十字軍の時代のパレスチナ地方でも、もう少し互いへの思いやりはあったろう。

そこは人間の世界ではなく、ほとんど獣の世界だった。


潮もカンパネルラも、不安そうに周囲を見回している。

そんな仲間たちにジュスランが何か答えようとしたとき。

その肩が不意にすさまじい力で弾かれた。

思わずしりもちをついたジュスランがキッとして見上げると、そこには何人かの<冒険者>がいた。


「オラ、どけよ低レベル。邪魔なんだよ」


好意どころか礼儀の一欠けらすらない言葉とともに、生温い液体がジュスランの額に掛かる。

唾を吐かれたのだ、と思った瞬間彼は立ち上がって叫んでいた。


「待てよ、クソガキ」

「あ?」

「てめえ、道で人に当たってその態度は何だ。すみませんと謝るのが当たり前だろうが」

「ふうん……へえ」


しかし、ジュスランに唾を吐いたその男は、謝るどころかにやにやと笑って彼の顔を覗き込んだ。

その目のあまりの汚らしさに、唾を吐き返す衝動が湧き上がる。


「君、さあ。<クローゼット>のジュスラン君っていうんだ。たかが73レベルの分際で、ずいぶんえらそうに言ってくれるじゃないか。

お前さあ、この世界ではレベルの差が絶対ってこと、理解してないだろ」

「レベルが何だ。人にぶつかったら頭を下げる。失礼なことを言えば詫びる。人として当たり前の……ぐっ!?」


不意に、男の手が伸び、ジュスランの手首をつかんで捻りあげる。


「当たり前? そんなの知るかよ。じゃあ、俺の手を振り解けたら頭を下げてやるよ」

「う……ぐ、離せ!」

「いーや離さねえ。こんな礼儀知らずの身の程知らず、調教してやらねえとな。

お前さ、何歳? 元の世界だと学生? それとも社会人で偉かったのかなあ?

……それがどうしたよ。この世界じゃレベルだけが正義で、てめえら低レベルの弱小ギルドなんざ、まともな人権貰えるわけもないんだよ。

文句があるなら掛かってこいよ。 俺たちを殺せもしねえくせに、出すぎた口を叩くなよな、雑魚が」

「ギルマス!」

「おっと、剣を抜いてもいいのかなあ? ここはアキバだぜ、抜いた瞬間お前ら処刑だな」

「ぐ……!」


腰の刀を抜こうとしたコレジオに、すかさず男の仲間たちが嘲りの笑いを向ける。


「ほら、謝れよ、ジュスラン君。早く」

「嫌なこった。お前らみたいな人間のクズに……うあがっ!」


手首を丸ごとつぶされるような衝撃に、思わずジュスランが叫ぶ。

だが、ここまでされても戦闘行動と判定されないのか、衛兵が来る様子もない。

歯噛みする<クローゼット>の面々を前に、しばらく経って飽きたのか、男たちはぽい、とジュスランを投げ捨てた。


「やめた。こんな雑魚をおちょくってても仕方ねえ。行くぞ」

「……あや、まれ」

「ああん!?」


背を向けかけた男に、ジュスランがなおも言い募ると、男たちが振り向く。

その顔は一様に激怒しており――その顔は、ジュスランたちには酷く幼稚に思えた。


「まだ言ってんのか、てめえ!」

「許してやろうってのに、そんなに殺されてえのか、アキバ出てケリつけるか、お前!?」

「まあまあ」


男たちの一人、これまで無言のままにやにやと騒動を見守っていた男が、仲間たちを抑える。

少しはまともな奴がいたか、と内心ほっとしたジュスランに、男は声をかけた。


「ジュスラン君、だっけ」

「ああ」

「<クローゼット>のギルマスなんだな。うん、決めたよ」

「何をだ」

「お前と、お前と同じギルドタグの連中を見かけたら、アキバの街中だろうが無かろうが関係なく捕まえる。

ギルドホールで見かけたら追っかけて捕まえるし、いなければその間、<黒剣>や<D.D.D.>の連中にお前らの悪口をあることないことチクろうじゃないか。

お前らがアキバを出なければならなくなるまで、同じことをする。

そしてアキバの外でお前らを見かければ、問答無用で殺す。

殺した後で大神殿でとっ捕まえてさんざ痛めつけてやる。

ギルドハウスの中には衛兵も来ないんだし、な。

女はいるか? いたら覚悟を決めさせておけよ」

「な、な……!?」


あまりの理不尽に絶句するジュスランたちを前に、その男は心底楽しそうに言った。


「お前、自分より目上にケンカ売ったことを軽く見ていたろ。

お前を守ってくれる法律なんざ、今のアキバにはどこにもないんだよ。

そしてお前らはゴミ。

恨むなら、ゴミの分際でしゃばった口を恨め。

ついでに仲間の連中は、自分たちが雑魚なこと、そんな雑魚の癖に一人前の口を利いたその阿呆なギルマスを恨めや。

分かったか? じゃあな」


顔を青ざめさせた4人の前で、男たちは何事もなかったかのように談笑しながら消えていった。


結局、その日は襲撃を避けるため、酷く大回りしてギルドハウスに帰らざるを得なかった。

そして結論付けた。

この世界は、地獄だと。



 ◇


 ジュスランたちの援護は、何とか間に合った。


「狩場で余計なことをするんじゃねえよ」「低レベルが」


時折通りがかる他の<冒険者>に、そうした陰口を叩かれながらも、傷を癒した<大地人>の商人が礼を言って去ったとき、<クローゼット>の全員は、深い疲労に包まれながらも、安堵の顔を見合わせていた。

この地獄のような日々に終わりが来るかは分からない。

だが、たとえ意思なきNPC―会話からはとてもそうとは思えなかったが―であっても、人助けをするだけの力と義侠心があったことが、彼らの心をわずかながら上向かせていた。

だからこそ、油断していたのかもしれない。


「あ、みーっけ」


さく。


「……え?」


矢を肩に受けた潮も、周囲にいたジュスラン、コレジオ、カンパネルラも、何がおきたのか分からなかった。


「い……痛い!痛い!痛い!」


爆発するような痛覚、何より体内に金属(いぶつ)が入っているという不快な感触に潮が転げまわる。


「う、潮!」

「言葉も理解できないバカなのかな? アキバの外で見つけたら殺すって言ってたのにさあ」


そして、にやにやと笑いながらあの日の男たちが現れる。

人数は6人、完全武装だ。

弓を放った姿勢のまま、嘲笑を浴びせる男が、あの日肩を突き飛ばした<暗殺者>であるのを見て、カッと頭に血が上るのをジュスランは感じた。


「貴様ら!」

「でけえ口叩くな、っつってんだろが!」


剣を構えたジュスランの眼前に、光の玉が叩きつけられる。

別の<守護戦士>の放った<オーラセイバー>だ。


「潮! しっかりしろ!」


呪薬を飲ませるカンパネルラを背に庇い、男たちに剣を向けたジュスランは、やるせない怒りのままに叫んだ。


「なぜこんなことをする! 同じ日本人のプレイヤーだろうが!」

「俺らが強くて、お前らが雑魚だからだろうが。分からんのか、このバカは」


いつでも殺せると踏んだのか、男たちは余裕ありげに武器を下ろすと笑いあった。


「レベルが高いなら、何をしてもいいのか!?」

「いいんだよ、カス」


男の一人が、酷くゆがんだ顔で答え、一行のリーダーらしい男に振り向いた。


「やっぱこいつらさっさと殺そうぜ。こういう偉そうな、大人ぶった奴、嫌いなんだよ」


他の男たちも楽しそうに言い合う。


「そうそう。現実(もとのせかい)でどれほど偉かったのかしらねえけど、レベル差もわきまえず上から目線だしなあ」

「おいおい、いくら現実でクソニートだったからって、コンプ丸出しだぞ、アレックス」

「うるせえな、お前だっていい年して親の脛齧ってるじゃねえか」

「うるせえ。俺は働いてたぞ」

「どうせ炊事洗濯だろ」


ジュスランたちを無視してのその会話をしながらも、彼らの武器は残らず<クローゼット> を向いている。

逃げたら殺す。

明らかな殺意がそこには込められていた。


いつ終わるとも知れない戯言の応酬を聞きながら、ジュスランの心を絶望が覆う。

戦っても逃げても、このまま待っていても死。

それは現実の死とは違って一時の眠りでしかないが、だからこそ悪夢は終わらない。

そして、一か八か彼らに立ち向かって、よしんば勝てたとしても彼らもまた蘇る。

互いに完全に存在を消せないからこそ、憎しみと怒り、侮蔑と嫌悪はスパイラルのように増幅していく。

その、解決法のない煉獄の迷路に、ジュスランたちが涙すらこぼしそうになった、その時。


ざわり、と風もないのに木々が揺れた。



(人数6、対して4。レベル差……あり。暴言……あり。ギルド名……<クローゼット>に……<東風旗団>か。ふん、<西風の旅団>の向こうを張るとでも言う気か)


 彼女(・ ・)は、特技で身を隠した木々の梢から、ジュスランたちをじっと見ていた。

影にまぎれて見えないその目は、冷静、というにはいささか狂的な光で眼下で争う男たちを見る。

やがて、殺すべき相手を見極めた彼女の分析は次の工程に入った。


(<守護戦士>、<武士>、<妖術師>、<施療神官>、それから<暗殺者>2。いずれも85~90レベル。

正面切っての殴り合いは不利。一撃で<暗殺者>の片方を落として残りは順繰り、だな)


彼女の目がきょろきょろと動く。


(周囲に伏兵なし。……よし)


最後に、その唇がにやあ、と吊りあがった。


(今日もゴミ掃除を楽しむとするか)


そして、彼女は飛んだ。



2.


 生物と言うのは不思議な特徴がある。

最も顕著なものが、『生死の境目になると知覚が拡張されるという現象だ。

戦場の兵士は、飛び交う弾の螺旋すら、目視するという。


だが、それらはあくまで戦いに極限まで集中した人間の場合のみ。

そうでない人間がそれらを見れば、戦いとは何もかもが一瞬で始まって終わるように見えるだろう。

その時、ジュスランたち4人が見たものは、そうした類のものだった。


「死ね、ニートども」


短いしわがれ声と共に、不意に男たち――<東風旗団>の一人が痙攣する。

その首元から小さく、赤い何かが出ると、それは虫のように首をはいずり、すぱっと飛び出た――刀の切っ先だ。


リィン。


小さく、鈴のような音が戦場に鳴った。


「な、なんだ!?」


首を文字通り切り落とされ、地面に血を撒き散らした仲間を見て、余裕綽々だった男たちの顔が一様に歪む。

それは哀れを催すほどに醜く―先ほどとは別の意味で幼く見えた。

まるで、かさにかかっていじめていたら、後ろから先生に掴み上げられた小学生のようだ。


「なんなんだ……」


カンパネルラが杖を構えることも忘れて呟いた。

一人を瞬く間に殺した何者かは、そのまま流れるように別の男―<妖術師>に挑みかかり、その膝を蹴り飛ばす。

崩れ落ちた彼の顔面に、物も言わず刀が舞った。


「え、やめ」


それが<妖術師>の最後の言葉だ。

その他は全て無言。

殺す影は元より、殺される男たちも、まるでそういう無言劇の役者になったかのように、動きも喋りもせず、ただ呆然と立っている。


彼らは、なぜ抵抗しないんだ?

自分たちを取り巻く現状を忘れ、思わずジュスランはそう思った。



 ◇


 <東風旗団>の一行は、抵抗しなかったのではない。

抵抗できなかったのだ。


 彼らは、若干 廃人(ヘビーユーザー)寄りのアキバの中規模ギルドである。

仲間うちでわいわいと騒ぐ、ごく普通の冒険系(なんでもあり)ギルドだった。

だが、<大災害>は彼らに思わぬ幸運をもたらした。

アクティブ率が高かったために人数もおり、ほぼ全員が90レベルに到達していた彼らは、彼らが思うよりも<大災害>後のアキバでは有力だったのだ。

大規模ギルドは互いの抗争や交渉で忙しい。

同規模のギルドはメンバーの掌握や、周囲の<大地人>や<冒険者>への威圧でこれも忙しい。

より小規模なギルドは、そもそも事態の推移を見守る以外に何も出来ない。


結果として、彼らは自分たちが思うよりも無制限な倫理的自由を手にし――至極僅かな時間で増長した。

おずおずとした態度はやがて横柄になり、聞こえないように叩く陰口は公然とした侮蔑になり、

仲間同士肩を寄せ合っていたはずのギルドは、際限なく自意識を肥大化させた<子供>の幼稚園となった。

それらは、地球での生活を含めても、過去最高の幸福を彼らにもたらしたと言ってよい。

しかし、同時に。


彼らは気づかなかった。


他の、少なからぬ数のプレイヤーが、時に命を賭けて学んでいた、強敵と知恵と能力を駆使して戦うという機会を、知らないうちに奪われていたことに。


そして運命は至極公平に、彼らからの借金を取り立てる。

奇襲に対し、なす術もなく殺されるという、最悪の形で。


「な、なんだ! 援軍かよ!!」


世界各地の<暗殺者(どうぎょう)>が見たらため息を付くほどのろのろと、男が弓を構えた。

ジュスランに最初に突っかかってきた男だ。

あの時の横柄さはどこへやら、手にした弓が内心の何かを反映したようにカタカタと揺れている。

あまりに哀れなその態度は、男の内心の恐怖をこれ以上ないほどに表している。


「いきなり卑怯だろ!!」

「……貴様らも奇襲をかけたように見えたがな」


黒い影――ジュスランにはようやく、それが忍者装束を纏った黒髪の女だと気が付いた――が、男の背後から呟く。

はっと気づいた男が振り向こうとするが、もう遅い。


「<アクセル・ファング>」


あまりに速いために、さながら分裂したような刃が、一呼吸のうちに男の体をずたずたに切り刻む。

現実世界(もとのせかい)で同じ目にあうよりも遥かに痛みは軽いはずだが、その男は「痛い、痛い!!」とわめき散らして弓を放り出し、頭を抱えて蹲った。

その無防備なわき腹を蹴り飛ばし、男が地面をごろごろと転がるのを見ながら――女は静かに声を出す。


残された3人――<守護戦士>、<武士>そして<施療神官>を、冷え冷えとした目で見つめながら、PK(ひとごろし)は言った。


「仲良くぶち殺してやる、ネトゲプレイヤー(にんげんのカス)ども。

楽に死ねると思うなよ」

「き……<帰還呪文>!」

「バカが」


<帰還呪文>は、ノーリスクで<冒険者>をホームタウンに送る便利な呪文だが、欠点がある。

唱え始めて数秒間、<冒険者>がまったく無防備な状態に置かれることだ。

敵と接触している中で唱える事のリスクを、<東風旗団>の3人は恐怖のあまり、忘れた。


敵の刃が、立て続けに彼らを襲う。

それの与えるダメージは、90レベルである彼らのHPの総量から見れば、あまりに小さい。

しかし。

切り傷が瞬く間に膿みはじめ、じくじくと液を垂れ流すに及んで、彼らは一様に絶叫した。


「毒だ!!」

「早く解毒を! 苦しい、苦しいっ!」

「うぎゃあああ!」


ジュスランは、目の前で起きる惨劇に仲間ともども一歩も動けないながらも、ちらりと横目で周囲を見回した。

彼のいるこのゾーンは人通りも多く、もちろん<東風旗団>の叫びを聞く者も多い。

だが、彼らに助けようという動きはない。

誰もが、目をそらして見なかった振りをするか、時には無様に泣き喚く男たちに、あからさまな嘲笑を向けるものすらいる。


「90レベルの癖にザコだな、あいつら」

「<東風旗団>?仰々しい名前の割りによわっちい連中だな。今度見かけたら俺らもボコすか」

「あっちは?」

「70レベルのザコだ、ほっとけほっとけ」


通行人たちの無慈悲な言葉が、今のジュスランにはむしろ有難い。


やがて、特技ひとつ満足に使えないまま、<守護戦士>と<施療神官>は消えた。

無様に泣き叫び、自らの得た能力を何も生かせないままに。


残された<武士>――<東風旗団>のリーダーの首根っこを引きずって女は自分の目の前に放り出すと、<武士>の頭がいきなり地面に埋まる。

女の細い足が、その顔を思い切り踏みつけたのだ。


「強い振りをするのは楽しかったか? 人生の敗残者(ゴミクズ)


言いながらぐりぐりとその足が大地に男の顔を埋め込んでいく。


「身の丈に合わない力を得て、それをひけらかしていた気分はどうだ? あ?

ついでに、同じ事を仕返された気分も聞いてみようか」

「~~~っ!」


地面の中で、<武士>の声がわずかに聞こえる。

それは、ジュスランたちが聞く限りでは「助けてください」「命だけは」という、無様な命乞いの声だった。


その声を聞き、女が、男の野太い声でくっくっと笑う。


「いい年した大人も、それもいみじくも<武士(サムライ)>を名乗る男が、ちょっと傷ついただけで命乞いか?

人間、外面(そとづら)がいくら変わろうと中身は変わらない典型だな。

ほら、お前さん戦士職だろう。腕っ節は私より上だろう。

まだHPは残ってるぞ。 たかが毒を入れられて目を抉られただけだ。

耳は聞こえるし、MPだってあるだろう。

まだ死ぬには遠いぞ。 反撃しろよ、さあ、早く」


それでも<武士>の腕はだらりと地面に落ちたまま動かない。

その時、ふと女がジュスランのほうを見た。


「おまえら」

「な……なんだ」


目の前にPKがいる、その恐怖に体の芯から震えが走りながらも、それでも仲間(ギルド)を率いるという矜持だけでジュスランが答える。


「こいつが憎いか?」

「……なんだと」

「憎いか、と聞いている。見る限り、こいつらが喧嘩を吹っかけたのはお前らだ。

お前らはこいつを生かして返してほしいか? 殺して返してほしいか?」


中年男の声で囁くその声は、不思議と妙に誘惑的に響く。

目の前の、自分たちに理不尽を働いた男に、更なる凶暴な理不尽を働く女が囁く。

その女の目は、お前は理不尽に対してどう向き合うのだ、と告げていた。


ジュスランも、潮もコレジオもカンパネルラも、まだ他のプレイヤーや<大地人>をその手にかけたことはない。

理不尽な暴力や脅迫に怒りを覚えても、殺意までは持ち合わせていなかった。

それは博愛主義や人類愛によるものではなく――自分たちにその力がなかったからだ。

復讐に対しての更なる復讐、死んでも終わりのないその無限の連鎖に巻き込まれることが怖くて、泣き寝入りをしてきただけだ。


だが。


目の前の奇妙な声の女は、そうではないと告げている。

理不尽に対しては、時に理不尽であっても、同等の力で立ち向かうべきだと。

挑むべき相手に挑むことなく、無為に魂を腐らせる前に、自分の命と仲間(チップ)をすべて卓上に出してでも賭けるべきだと、彼女の目は叫んでいた。


だから、ジュスランは決断する。


潮を見、コレジオを見、カンパネルラを見て、彼らの目にも自分と同じ光があるのを見て。


「ああ。そいつは俺たちの命と誇りを奪おうとした。 ……俺に殺させてくれ」


頷いた女が、すっと鞘に入ったままの刀を差し出した。


「これを使え。あんたのレベルでも使えるはずだ。

人に対してダメージボーナスがある」

「ありがとう」


<暗殺者>用にもかかわらず、妙に重く感じるその刀を振り上げて、ジュスランは告げた。

相変わらず踏みつけられるその男が、潰された蛙のようなうめき声を上げる。


「……お前は俺たちの仲間を理由もなくいたぶった。だから殺す」

「ざ……ザコが。覚えてろよ、アキバでお前らを見かけたら」

「ならば」


相手が変わったことに気づいたのか、わずかに余裕が出た声のその男に対し、ジュスランは断言する。


「外であったら今度は俺たちがお前ら全員を殺す。街中で会ったら今日のことを言いふらす。

大手ギルドに告げ口しても無駄だ。 今頃仲間が<西風の旅団>と接触している。

俺たちの声は届かなくても、連中の声なら届くだろうよ」

「……」

「肉を引き裂き、目を抉り、およそ与えうる限りの苦痛を与えて殺してやる。

もうお前ら猿におびえもしないし、言葉で争ったりもしない。

それに……お前らの無様な姿は、もう何人も見ているさ」

「……クソっ、この世界で、ようやく人並みに生きられると思ったのに……」

「人並みなんかじゃない。お前らはサル並みに生きてきただけだ」



そう言って、ジュスランは殺意をこめ、躊躇いなく刃を突き下ろした。



 ◇


 <武士>が消え、半死半生で転がっていた<暗殺者>も殺したジュスランが振り向いたとき、最初に見たのは突き出された細い手だった。

そこには、レベルの低い(バッグ)が握られている。


鞄を差し出した女<暗殺者>は、先ほどまで4人も殺したと思えないほど冷静な口調でジュスランに告げた。


「これをもっていけ」

「これは?」

「毒だ。これを相手に叩き込めば、多少のレベル差でも何とかなるだろう」

「……わかった」


一体どれほどの威力なのか、女が差し出したそれを自らの魔法の鞄にしまいながら、ジュスランも借りていた刀を返す。

女がそれを腰に差すのを確認しながら、ジュスランは初めて女のステータス画面を見た。


ユウ。90レベル。<暗殺者>、<毒使い>。


「ユウ……さんというのか。礼を言わなければならないな」

「礼はいらない」


そっけなく言い捨てて、女――ユウは不意にぎらりと目を光らせた。


「私がお前たちの敵を殺したのは、あいつらのほうがレベルが高くて理不尽だったからだ。

もし、お前らがあいつら同様、よりレベルの低い相手に無法を働いたならば」


殺す。


明確でありながらどこか狂的な殺意が、ジュスランたちの全身を貫いた。

それは、『弱い』彼らを助けてくれる、正義のヒーローのものでは断じてない。

より多くの、より強い敵を見つけて殺すことだけを考える、快楽殺人者(サイコパス)の目だ。


4人はその時、初対面のこの女の本質を理解したように思えた。

正義感ではなく、もはや怒りですらなく、ただ機械的に殺す相手を見つけては殺す、<大災害>が生んだ化け物、というその本性を。


 ◇


 音もなくユウが消えてしばらくの間、ジュスランたちは虚脱していた。

先ほどの<東風旗団>同様、半ば腰が抜けていたのだ。

<東風旗団(かれら)>に対する怒りも憎悪も、もはや色あせていた。

しばらく経って、のろのろとジュスランが地面に放り出してあった自らの剣を拾い上げる。


「……帰ろう」


黙って頷いた3人とジュスランの目に映るアキバの城壁は、いまだかつて思ったことがないほど安全で、心許せる町に思えた。



それから半月後、アキバは大きく変わることになる。

その中でようやく上を向いて自由に歩けるようになったジュスランの前に、<東風旗団>も、そしてユウという名の<暗殺者(さつじんしゃ)>も、二度と姿を見せることはなかった。

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