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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第6章 <傷ある女の修道院>
123/245

番外9. <ある男>

 人類とは、生物である。

生物とは、生きるために常に栄養を取り続けねばならぬ。

山海川の他の生物―時には生物でないものすら―殺し、摂取し、そして生きる。

そしていずれは、自らも別の何者かの栄養となって、死ぬ。

それが、光合成をはじめとする化学合成でその身を養えない生物に科せられた責務であり、呪いだ。


たとえ、それが生物という範疇から片足以上はみ出した者であっても、それは変わらない。

むしろ<冒険者>は、住み慣れた現代社会(げんじつ)から切り離されたことで、より真剣に生命の営みに向き合うようになったといえる。


1.


「おお~い、見つかったかぁ」

「すまん、こっちはダメだ。そっちはどうだ?」

「あったぞ!」


 秋の錦に徐々に包まれつつある、小高い丘のあちこちで、男女の声が響いている。

飛鳥山(マウントフェニックス)

その名前とは裏腹に、かつて江戸の郊外の手軽な観光地だった山だ。

出現(ポップ)するモンスターの数も少ないこともあって、この山は半ば武蔵野と呼ばれた自然に還りながらも、近隣の<大地人>に豊かな山の恵みを享受させていた。

その長閑(のどか)な光景には最近、もう一種類の生物が急激に現れるようになっている。


「こいつは食えるのか?」

「さあな。とりあえず持ってってみろ。みんな!採りつくすなよ、近くの<大地人>も食うんだからな!」


紅葉に照らされた色彩豊かな自然に妙にマッチした、同じく色彩豊かな鎧や服をまとった男女が、そこここの地面を掘り返しては歓声を上げている。

それはまるで、採取に来たというよりは、季節の遠足に足を延ばした幼稚園児のような無邪気さに満ちていた。


<冒険者>である。

この世界にとっては異世界からの来訪者、主観的には漂流者である彼らは、当然ながらその多くは元現代人だ。

祖父母の世代ならまだしも、山菜採りどころか、アスファルトで舗装されていない自然の公園で遊んだ経験すら無いものも多い。

そんな彼らは、振って沸いたような自然との触れ合いを存分に楽しんでいるようだった。

そしてもちろん、彼らは単に野遊びの為に来たわけではない。



 ◇


 山の麓にはちょっとした野原が広がっている。

元はきちんとした水道だったと思しき、朽ち果てたコンクリートが残る小川に面したそこには、何人かの<冒険者>がいくつかの道具を広げていた。

地面に浅く掘られた穴の奥には<火蜥蜴(サラマンダー)>が不機嫌そうにうずくまり、

山から三々五々下りてくる男女は、手に持った、あるいは<ダザネックの魔法の鞄(バッグ)>に仕舞っていた獲物をざあ、と広場の片隅に開けていく。

そこには、納品をチェックする担当者のように、何人かの<冒険者>が収穫物をひとつひとつ仕分けていた。

食べられるものは別にあった箱に種類ごとにより分け、食べられないものは別の箱へと。


「どうだい?」


今も小山のようにうずたかく盛られた茸を前に、得意げな顔の<武闘家>を、仕分けていた一人がじろりと見上げた。


「な、なんだよ」

「お前、食えない茸ばかりよくもまあ、こんなに見つけてきたなあ、倫太郎」

「え? これ食えないの? なんか綺麗だし、シメジかなあと思って」

「ドクツルタケだ、これは。こんな異世界(エルダー・テイル)にあったということが驚きだけどな」

「マズいの? これ」


しげしげと、自分の採ってきた白い茸を見下ろす倫太郎に、仕分けていた他の<冒険者>たちも顔を出しては口々に呆れた声を発する。


「マズいなんてもんじゃない。食ったら死ぬぞ」

「でも、解毒薬があれば何とかならないか?」

「あたしは嫌だよ……どっちにしても。こんなゴミ、早く捨てようよ」

「とりあえず仕分けてしまおう。間違えて食用の箱に入ったらコトだ」

「群生地でもあるのかねえ。<大地人>の人たちに注意する?」

「言っておいたほうがいいだろうな。でもたぶん、もう知ってるぜ」

「あ、あのさぁ」

「お前はさっさと手を洗って、解毒薬貰って飲んでこい! 二度とこんなもんもってくるな!」


ほうほうの体で去っていくその<冒険者>を尻目に、最初にドクツルタケを見分けた男<冒険者>は、気持ちよく晴れている午前の空を見上げて満足そうにため息をついた。


「それにしても、ゲームの世界の中で山菜取りをすることになるとはなぁ」



 ◇


 わいわいと騒ぐ仕分け人たちから少し離れた場所では、何人かの<冒険者>が火や簡易な机の前で揃って腕を組んでいた。

彼らの前には、山盛りに盛られた食材が山脈のように連なっている。

肉や魚といった動物こそないが、それらはいずれも魅力的だ。

そして、それらを前にした男女は、年齢も服装も種族すらばらばらだが、ひとつの共通点があった。

高レベルの<料理人>なのだ。


しかめっ面のまま、居並ぶ男女の一人が口を開けた。


「で…こいつらをどうする?」


別の男が答える。


「ただ、焼くだけ、ってのもつまらんなぁ」

「バーベキューでいいんじゃない?」


とは、全身鎧に身を固めた別の女だ。


「それもなぁ……どうしますかね、じっちゃん」


最初の男が困ったように頭をぽりぽりと掻き、後ろを振り向いた。

そこには、その一角において唯一、椅子に座った男が静かに目を閉じていた。


じっちゃん、と呼ばれはしたが、見たところ座っている男の年齢はそれほどには見えない。

エルフ族であることもあって、華奢な体つきはむしろ少年のようにすら見える。

しかし、製作級アイテムである<料理長の白衣>を着て腕を組んだその姿から醸し出される威厳は、外見から受ける印象を裏切ってなお余りあった。

そして、並み居る<料理人>たちを従える彼にはもうひとつの特徴があった。


『矢橋左膳 <武士> 15レベル サブ職業<人斬り>』


彼は<料理人>でもなければ高レベルでもない、単なる初心者プレイヤーなのだった。

もちろん、単なる初心者プレイヤーが周囲の高レベル<冒険者>から何の理由もなく重んじられるはずもない。

それを証明するように、矢橋左膳と呼ばれたその<武士>は、閉じていた目をゆっくりと開いた。

口から、重々しいしわがれ声があふれ出す。


「何が、あるのかの」

「ええと。牛蒡、椎茸……」


左膳の声に応じ、一人の女<冒険者>が目の前の食材を数える。


「……舞茸、あら、大豆もあるわね。それから、獅子唐、茄子、あとは里芋と山芋ね」

「ほう」


左膳はむくりと立ち上がると、<料理人>を押しのけて前に出た。

とても、<人斬り>とは思えない真摯な目が、並ぶ食材を眺め渡す。

やがて、細い手が伸び、いくつかの食材をぽいぽいと叩き落とす。


「これはダメじゃな。虫が寝ておる。こっちもダメじゃ。中がスになっとるわい」


ぼろぼろと零れ落ちる食材を前に、<料理人>たちがあ~あ、という顔をするのも尻目に、遠慮なく左膳は食材を選別し切ると、半分ほどに少なくなった食材を前に顎に手を当てた。


「魚や獣肉(ももんじい)はないんじゃの」

「ももん……? あ、肉か。ああ。ないよ」


答える<料理人>―本来ならば曾孫ほどの年齢差のある男の返事に、うむと頷いて左膳はなおも腕を組む。

周囲に、食材の採取や分別を終えた<冒険者>たちが集まってくるのを見ながら、やがて左膳は頷いた。


「酢や塩は十分あるかの」

「ああ。そっちは大丈夫だ」

「なら、芋膾に田楽、それから残りはのっぺい汁にしようかの」

「作り方教えてくれる? 左膳さん」

「わかっておるとも」


ある女<料理人>に、左膳は妙に若者ぶった仕草で肩をすくめてみせた。



 ◇


「もう少し時間がかかるじゃろうから、他の連中には少し待つよう言うておいてくれ」

「わかった、じいさん。 おおい! 飯はもう少し先だ! 元気がある奴ぁ、もう一度採取に出てくれ!」


ブーイング交じりの応答が周囲から帰ってくるのを尻目に、左膳に向き直ったその<料理人>は、彼の言葉ひとつ、一挙手一投足を見逃すまいと目に力をこめる。

その視線の先では、左膳が手馴れた様子で包丁の使い方を周囲に教えていた。


「里芋は皮をむいて、五角形に切るのじゃ。それから20分……いや、食感を考えると15分でよい。蒸し器で蒸してくれ。 水、塩、昆布は用意したの? 人参や牛蒡は笹に切って同じだけの時間漬けておく。

出汁は注意して取るのじゃぞ。 今回は一番出汁はよいから、ぐらぐら煮立てて二番出汁をしっかりとってくれ。

煮過ぎると生臭さが出かねぬ。鰹でなく煮干じゃが、注意してくれ。

出汁が取れたら酢と塩、それから酒を混ぜる。そこはわしが味見するから良い。

本来なら醤油があればいいんじゃが、無いものねだりをしても始まらぬ」


左膳の指示に、<料理人>たちがおっかなびっくりとした手つきで従う。

それを見る左膳の手は、たまに包丁捌きを演じることはあるが、調理には一切関わろうとしない。

だが、<料理人>たちはそうした左膳の様子に不平をもらすこともなく、唯々諾々と従っていた。


「山芋は賽の目に切って、水気をよく拭き取り、塩湯で()でるのじゃ。

そうじゃな……15分くらいじゃろう」

「賽の目って?」

「サイコロの大きさ、ということじゃ。これは芋酒にするから、酒樽を持ってきておいてくれ」


別の机では、ある<料理人>が大鍋にどさどさと何かを入れて火にかけていた。


「なんだ、ありゃ」

「米ぬかじゃ」


見物していた<冒険者>に左膳が答える。


「米ぬかぁ? 何でそんなのが必要なんだ?」

「里芋は、ただ似るよりも米ぬかで煮たほうが、甘くやわらかくなるのじゃ」


答えながらも、左膳は細かく指示を飛ばす。


「味噌にしては荒いが、まあしょうがあるまい。味噌と砂糖、酒をよく混ぜながら鍋で煮よ。

力仕事じゃが、荒く混ぜるなよ。

味噌が荒い分、手間隙をかけねば甘くはならぬ」

「ほーい」


別の場所では、粘土をこねて<火蜥蜴>で焼いただけの簡素な土鍋がいくつも火にくべてあった。

その中に放り込まれたみずみずしい白色の物体に、思わず居並ぶ<料理人>すら唾を飲む。


「新米だ……」

「俺、この世界にはパンしかねえのかと思ったよ」

「秋って最高だなあ、おい……」

「沸騰したら15分じゃ。今日は外で食べるわけじゃし、少し硬くてもよいが、水気が切れればそれは飯ではない。気をつけてくれよ」


外野の舌なめずりをするようなコメントを背に受け、さながら料理長(はないた)の如く左膳はあちこちへと指示を飛ばし続けた。


野菜やナメコ、椎茸が次々と茹でられては引き上げられ、しっかりと水気が拭き取られる。

別の鍋でふつふつと滾っていた出汁にそれらが投入されると、あたりに食欲をそそるにおいが立ち込めた。

いつしか、誰もがじっと<料理人>たち、その中央で縦横に指揮を振るう15レベルの<武士>を見ている。

そこにあるのは低レベルへの侮蔑でも反感でもなく、食事に対する純粋な期待だ。

里芋や千切りになった牛蒡・人参に酢がかけまわされ、別の鍋では「米、できましたあ!」という声がかかる。

茹で上げられた田楽に次々と串が打たれるところでは、歓声すら上がっていた。

通りがかった<大地人>も、広場に立ち込める旨そうな匂いに、思わず農作業の手を止めて近寄り、それを見た<冒険者>たちが嬉しそうに差し招く。

おずおずとやってきた<大地人>たちに、異邦人たちはさっそく箸を握らせ、カップを持たせていく。


やがてきっかり30分後。


「出来たのう」


嬉しげに呟いた左膳に、周囲から大歓声が上がった。


「じいちゃん、いつもすまんなあ」

「いやいや、わしは自分で腕を振るえぬからの。今日教えたことは好きに使っていいよ。

いまさら料理法を隠しても何にもならんからの」


里芋の白に、牛蒡と人参の色が映える芋膾(いもなます)

さっと焼かれた獅子唐には塩がぱらぱらと振られ、酒の肴にはちょうどよい。

ほくほくと湯気を立てる里芋の田楽の横では、ぐらぐらに煮えたぎったのっぺい汁が香ばしい湯気を上げていた。

そして透き通るような色合いの新米を綺麗に炊き上げた、いくつもの土鍋から立ち上る香りに、何人もの<冒険者>が陶然とした顔を向ける。


「ああ……米の飯だ」

こんな場所(セルデシア)で食えるとはなあ」

「私、帰りに死なないようにする。せっかくのご飯を体ごとこぼしたら大変」


一方では、酒の味を知っていた成人済みの<冒険者>が、二種類の酒を前にうっとりとした顔を見合わせていた。

<大地人>の<醸造職人>心づくしの清酒と、それを用いて作られた芋酒だ。

山芋を煮て摩り下ろし、酒で伸ばしてゆるく燗をつけた芋酒の前で、一人の<料理人>が大声を張り上げた。


「芋酒は一人二杯までだ!それ以上飲むなよ、こっちでカウントするからな!

それ以上飲んだら全員にいきわたらないからな! それに」


まじめな顔で告げるその<料理人>の顔が不意に愉快そうに歪んだ。


「山芋は元気が出るからな! これから大規模戦闘(レイド)だとか、あるいは彼氏彼女や嫁さんがいない奴は、後々困ることになっても知らんからな」

「下品!!」


少なからぬ数の女性<冒険者>――何人かは『声以外は』という但し書きがついていたが――からのブーイングを受け、その<料理人>は舌をぺろっと出すと引っ込んだ。

そうした騒動の果てに、その場の全員に料理と酒と飯がいきわたったのを見て、おもむろに左膳が前に出た。

90レベルも少なくないこの場の一行を、15レベルという、<大地人>にすら劣る腕の<武士>はじろりと眺め渡す。


「みな、手伝うてくれて有難う。これでアキバにおる<海洋機構>からの依頼も十分果たせそうじゃ。

わしら<五鉄>の仕事を、これほどまでの若者が手伝ってくれたことに、感謝しておる」

「じいさんとこの料理のためなら、地の底だってもぐってやるぜ!」


誰かの茶々に軽く頷いて、左膳は声を張り上げた。


「じゃあ、冷めぬうちにいただくとするかの。 では……いただきます!」

「「「いただきます!!!」」」


たちまち、広場には汁をすする音、飯を掻きこむ音、人間に幸福感をもたらすありとあらゆる音が湧き上がり、それはしばらくの間鳴り止むことはなかった。



2.


「じいちゃん、お疲れ様」


ギルド<五鉄>のサブリーダーを勤める<料理人>の『雫スペシャル』は、わいわいと騒ぐ<冒険者>を眩しそうに見ながら、広場の片隅に置かれた椅子に座る左膳(ギルドマスター)の傍に近寄った。


「みな、楽しそうじゃの」


最近アキバにも広まった<大地人>製の煙管で煙草をゆっくりと喫む彼の手に握られたものを見て、雫スペシャルがおや、という顔をする。


「じいちゃん、それ何杯目の芋酒だ?」

「まあ、役得にさせておいてくれんかの。お前さんら若いのと違って、わしのような年寄りはこういうものを飲まねば生きる元気も出ぬでな」

「もう今は95の爺さんじゃなくて、体も若いエルフなんだから、元気くらい出るだろうに」


苦笑して隣の椅子を引っ張って座った雫スペシャルは、かちんと手にした清酒のカップを左膳のそれに打ち合わせた。


「何とか、今日もうまくいったね」

「お前さんらのおかげじゃよ。わし一人では野菜も洗えぬ」

「<料理人>に転職すればいいのに。パワーレベリングなら付き合うよ?」

「この年で一から修行は御免じゃよ」


遠い――それこそ一世紀近く生きた老人にしか出来ない目で、目の前のどんちゃん騒ぎを見つめる若いエルフに、雫スペシャルは何度目かわからない質問をする。


「なあ……じいちゃんの曾孫(ひいまご)、まだ見つからないのか?」

「わからぬのう……少なくとも東京にはおらぬし、この……なんじゃな、フレンドリスト、かの。

それの名前にも光がない。 

あの時、隣で<エルダー・テイル(これ)>をしておったから、この世界のどこかにはおるのじゃろうが……日本にはおらぬのかもしれんの」


ふう、とため息をつく左膳を元気付けたくて、雫スペシャルはあえて明るい声を上げる。


「まあ、親が心配するより子供は元気に生きてるよ。ほら、俺だってこの連中だって、なんだかんだで楽しくやってるんだし。

便りがないのもよい便りだって。

それに、ほら。西に行った知り合いの<暗殺者>も、見かけたら知らせてくれることになってるんだろ?」

「そうじゃが……」

「じゃあ、じいちゃんのやることはひとつだよ。俺たち<五鉄>の名前を有名にして、同時にあんた自身の名前もあちこちで知られるようにして。

曾孫(ひいまご)が日本に戻ったら噂を聞くようにしてやることさ。

そのためにわざわざ<海洋機構>のでかい仕事だって請けて、こうやって人を集めてやってるんだし……なあ、じいちゃん、元気だしてくれよ」


左膳の手の杯が頼りなげに揺れる。

雫スペシャルには、目の前の<冒険者>に、老いさらばえながらたった一人の子孫を待つ、人生の最晩年を終えつつある老人の姿が幻のように重なって見えた。


俺たち<五鉄>の仲間が孫みたいなものじゃないか。


その声を、口には出さず、ただ雫スペシャルは、孫が祖父にそうするように、左膳の細い背中を摩っていた。



 ◇


 やがて、日は傾き、<冒険者>たちは三々五々とアキバへの家路に着く。

その顔は一様に明るく、楽しげな談笑が徐々に伸びる影をまとってさんざめいていた。

その中央、収穫物を満載した馬車の片隅で、左膳は横になっていた。

やはり疲れが出たのだろう。

いくら一夜にして若い体を得たとはいえ、もう30年近く付き合ってきた老人としての生活習慣はそうそう容易に取れはしない。

雫スペシャルたち、彼の仲間(ギルドメンバー)も、そうしたギルドマスターを労わってか、木箱をよけた片隅にいくつも毛布を敷き詰め、彼にせめてもの寝床を提供していた。


夢か現か、つらつらと左膳は思い出す。


彼は、まだ昭和という年号が始まる前に生まれた、数少ない世代の一人だ。

パソコンはおろか、機械さえ見たことがないという寒村に生まれた彼は、小学校もそこそこに口減らしがてら板前修業に放り込まれた。

親方や先輩からの、時に暴力交じりの厳しい教育。

味は教えない、盗めといわれ、必死で先輩の捨てた流し台の出汁を舐めては腕を磨いた時代。


そして、ようやくアヒルと呼ばれる下働き(おいまわし)から一歩進もうとした矢先の徴兵。

雫スペシャルたちと同じ年代の左膳は、終わりのないシゴキと理不尽な暴力、そして海軍における同様の毎日に彩られていた。


そして、敗戦。


何もなくなった焼け野原で、闇市で買った一本の包丁だけを手に、左膳は必死で生きた。

呼ばれればどんな僻地の食堂でも旅館でも働いたし、腕がいいと評判の親方の教えを受ける為に、何日も道端に土下座したこともある。

そうこうするうちに徐々に日本は復興し、左膳も屋台から小さな店を構えるまでになった。

今では、息子と孫が、その暖簾を守ってくれているはずだ。


妻も先立ち、引退した左膳が後は死ぬだけかと思っていた矢先、曾孫が持ってきたのが<エルダー・テイル>だ。

パソコンはおろか、80の坂を越えるまで電卓すら使えなかった左膳だったが、新しい時代の新しい娯楽は、思ったよりも性に合っていたらしい。

どうせ暇なのだからと、左膳は曾孫の教えるままにパソコンを覚え、そして、『左膳』が出来た。

<料理人>にしなかったのは、さすがに架空の世界でまで料理にこだわることもあるまい、と思ったからだが、

子供のころのヒーローの名前を拝借したことはともかく、苗字を、戦後の一時期面倒を見てくれた先輩料理人のそれにしたのは、やはりどこかで料理人としての自分に誇りを持っていたからだろう。


それでも彼は、死ぬまでのわずかな一時、架空の世界を見て回るだけのつもりだったのだ。


しかし、<大災害>。


彼にとっては青天の霹靂とも言うべきその事態は、彼を老いた体から開放はしたものの、その代わりに彼が大切にしていたものを二つ、無慈悲に奪い去っていった。

ひとつは、目の中に入れても痛くなかった曾孫。

そして、<味>だ。


来る日も来る日も、味のかけらもない水や食事を果物で強引に流しながら、左膳は呪った。

ここはまるで地獄ではないか。

あの敗戦の日でさえ、あるいは辛い軍隊生活でさえ、一杯の味噌椀をしみじみと味わう事だけは出来たのに、と。

だから、名も知らぬ誰かの手によってこの世界に<味>が復活したとき、調味も素材もめちゃくちゃの素人料理のハンバーガーを涙を流して食べながら、左膳は誓ったのだった。


この世界に味を復活させる。

こういう素人料理ではなく、日本人が連綿と作り上げてきた和食の真髄、それを及ばずながら伝えよう、と。

そうして彼はレベルは高くとも料理法も何も知らない雫スペシャルたち<料理人>を集め、<五鉄>を旗揚げしたのだった。

いつか曾孫と再会するその日、彼にうまいものを腹一杯食わせるために。


いつしか眠っていた左膳の目じりから、涙がつう、と流れた。



 ◇


「よく寝てるな、じいちゃん」


雫スペシャルは、馬車のカーテンをすっと閉めて、小声で仲間たちにそう告げた。


「95歳だからな、そりゃ疲れるよ」

「まさかぽっくり死んだりはしないよな?」


仲間たちの心配そうな声に、雫スペシャルは心の不安を押さえ込み、明るく笑う。


「まさか。俺たちは<冒険者>だぜ? 老衰死なんてするものか。

それに俺たちは戦闘ギルドでも大規模戦闘(レイド)ギルドでもないんだ。

大丈夫だよ。

それにほら、みんな、今のうちに交代で休んでおこう。

アキバに戻ったら明日の仕込みが待ってるぞ。

また出汁作りに失敗したら、じいちゃんの雷が落ちるぞ」


面白おかしく注意するサブマスターの声に、周囲がははは、と笑う。


いつしか日は沈み、細い月の周囲に秋の星がきらきらと瞬いている。

そんな夜空の向こうに、不夜城のように明るい点を見て、雫スペシャルは心の中で言った。


アキバが見える。

この世界における俺たちの――そして左膳じいちゃんの小さな世界だ。


そして、名を知らない左膳の曾孫にも、彼は心の中で怒鳴った。


どこをほっつき歩いてるんだ。

親とも兄弟とも生き別れた俺たちと違って、お前にはこの世界で身を案じてくれる曽祖父(ひいじい)さんがいるじゃねえか。

さっさと戻ってこいよ。

戻ってきてくれよ。

赤の他人の俺たちがいくらじいちゃんを支えてても、やっぱり曾孫(ひいまご)が戻らないとじいちゃんも心労が収まらないんだから。

俺たちなんて、たまたまゲームで<料理人>なんて選んで、料理しようにも食材の切り方も知らなくて、途方にくれてた時にたまたま左膳じいちゃんと会って料理を教えてもらっただけなんだから。

親孝行できない俺たちの代わりに、せめて親孝行してやってくれよ。

そうしないとじいちゃん、本当に逝っちまうぞ。


前方の明かりは、闇を押しのけるまでに大きく広がっている。


雫スペシャルは、左膳の曾孫も、近いうちにこの明かりを見てほしい、と一心不乱に祈っていた。

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