番外8 <歌う密偵> (後編)
1.
「な……! 何をする!」
目の前で起きたことが信じられない。
なぜ、わざわざ<九龍廃塞>の奥まで尋ねた<占い師>を殺すのか。
この世界に来て学んだ注意力で、ムオチョウは素早くユーリアスの全身を確かめた。
少なくとも、即座に自分とイェンイに襲いかかる様子はない。
その相貌は殺しに酔っているというよりも、むしろ苦渋を表に出している。
だからこそ、ムオチョウも即座に攻撃をするという選択肢を頭の隅に片付けた。
「イェンイ! すぐ外に出ろ! ズァン・ロンを呼ぶんだ!」
「わかった」
少なからず心を許していたであろう異国人の変貌に、イェンイが常の彼女らしからぬ慌てた調子で扉の外に飛び出していく。
代わりに<暗黒天女>を即座に召喚して待機させるあたり、彼女も十分に荒事慣れしていることが窺えた。
すかさず<暗黒天女>の背後に立つムオチョウは、いつでも呪文を行使できるよう杖を構えて問いただした。
「なぜ殺した!? 言え、ユーリアス!」
「……言えない、と言えば戦いになるのでしょうね」
粗末な扉を蹴破って、イェンイを後ろに守りながらズァン・ロンがその勇壮な姿を現したのを見ながら、ユーリアスはぽつりと呟く。
その口調に、悲嘆はあっても悔恨がないことを察し、ムオチョウは思わず激高した。
「当たり前だ!! 目の前で人を殺したんだぞ、あんたは! 敵でもないただの<大地人>を!!
理由も告げずに見知らぬ相手も殺すのが、ヤマトの<冒険者>の流儀なのか!?」
3人の<冒険者>と1匹の召喚獣、計8つの目に見つめられながら、ユーリアスはゆっくりとリュートを手から離した。
これ以上戦う気はない、という明確な意思表示に、かすかではあるがムオチョウたちにも安堵の雰囲気が漂う。
そんな空気を感じたかのように、ユーリアスがぽつんと呟いた。
「私は、密偵です」
独白を聞いたムオチョウたち3人に驚きはない。
むしろ『ただの宣教師です』などと言われたほうがまだしも注意を引いただろう。
「目的は……死ねば故郷に帰れるなんて与太話を華国人に吹き込むことか?
そうして秩序を破壊し、再び<大災害>直後の地獄にまで叩き落すことか?」
明確な嘲笑とともに放たれた<妖術師>の言葉に、しかしユーリアスは頷かなかった。
「表向きの任務でいえば、そのとおり。正確にはそうした情報をあなた方に吹き込み、反応を調べると同時に情報を集めること、です」
「そのためにこの老人を殺したと?」
あごをしゃくった先に、既に死体はない。
ただ、なぎ倒された調度と、散乱した卜占の棒だけが惨劇の痕を濃厚に留めている。
ユーリアスは、どこか悲しげな顔で自分の起こした破壊の痕を眺め――ゆっくりと首を振った。
そして言う。
「あなた方は、私の話を聞いたときにどう思いました?」
「これ以上、君の人を煙に巻く問答に付き合う気はない」
「答えてください。どう思いました?」
「……正直、一瞬心が動かされなくもなかった」
ユーリアスの強い声、そして何より彼が即座に戦闘に入る気がないことを再確認し、ムオチョウは答えた。
この狭い屋内で、ユーリアスが逃げ切る可能性は万に一つもない。
そして、<帰還呪文>を使おうが、ムオチョウたちに殺されようが、行き着く先は同じ嵩山だ。
既にイェンイが、状況をベイシアたちに報告している。
逃げ切れるわけがなかった。
その余裕が、このわずかな問答に答える余裕をムオチョウに生んでいた。
苦渋に満ちた声が、イェンイ、そしてズァン・ロンの耳朶に響いていく。
「君の話は、<冒険者>がはじめて耳にした、具体的な帰還方法だ。
しかも、この世界にあって死だけが、現実世界と何らかの繋がりを持っていることは知られている。
その果てに現実への帰り道がある……悪くない推論だと思ったよ」
「どういうことだ? 現実へ帰るだと!? 死?」
「そうだ。ズァン。君も聞いてくれ。この男、ユーリアスのもたらしたヤマトの情報はそれだ。
数え切れないほど死ねば、現実へ帰れる……そういう、ね」
構えた剣を思わずおろしたズァン・ロンが、混乱した顔で頷くのを見て、ムオチョウは沈黙するユーリアスに答える。
「荒唐無稽だ……とは言い切れん。実際に、この世界そのものが荒唐無稽だからな。
だが、証明することはできない。そして……試し始めた瞬間から、俺たちは決定的なものを失ってしまう。
そういう、主張だと思った。
だから俺は君を危険だと判断した。
この世界の誰もが、自分というものをきっちり再構築した連中ばかりではないからな。
おそらく、幇主たちも同様の判断をしたから、ズァンも含め、ほとんどの<冒険者>に対し他言しなかったんだろう。
……それで、俺の質問に答えていないぞ、ユーリアス。
そんな君が、なぜこの<占い師>を殺したんだ」
「邪魔……だからです」
「邪魔だと?!」
「この世界の<占い>が、時に予言と等しいほどの的中率を持っていることはご存知ですか?
<望郷派>の主張を占いきれるかどうかはともかく、その答えが、論理性のない仮説にさえ、ある程度の裏づけを与えてしまうほどの」
表情とは裏腹の、冷徹とさえ思えるほどの声で、密偵は言う。
その声を聞いて、唐突にムオチョウは気がついた。
なぜ、華国へやって来てある程度の日数が経っているにもかかわらず、ユーリアスは自分の持ち込んだ情報をあちこちの<冒険者>に開示しなかったのか。
本来の彼の任務からすれば、無差別にその辺の<冒険者>に噂を流すことが求められていたはずだ。
だが、彼はイェンイや自分といったごく少数の者を除き、一般の<冒険者>にはそれらを告げることなく、嵩山の幇主たちに直接告げるという選択肢を選んだ。
彼であれば、現状の秩序の維持発展を願う幇主たちが、その情報を握りつぶすことは容易に察知できたにも関わらず。
「君は……やはり<アイオロスの水夫>だったのだな」
掠れる声に、ユーリアスは小さく、だがはっきりと頷いた。
「アイオロスの水夫って?」
「古代ギリシアの叙事詩、『オデュッセイア』の一節だ。
遠い異郷であるトロイアでの決戦を終えたオデュッセウスは、妻子を残した故郷イタカへの帰還の途につく。
だが、その前途には無数の神々や怪物、困難が立ちふさがり、旅は遅々として進まない。
そして、風の神アイオロスの息吹をこめた袋の口を開けたある水夫の手によって、故郷まであとわずかだったオデュッセウスの船は、出発地である小アジアまで押し流されてしまう。
そんな話さ。
……目の前のこの男は、<望郷派>に与しながら、実はその行動を妨害していたんだよ」
「……」
固唾を呑んだイェンイを横目に、今度はズァン・ロンが問う。
「なぜだ? この男は現実に帰りたくないのか?」
「違いますよ」
それに答えたのは、ムオチョウではなくユーリアスだった。
「私も地球へは帰りたい。ですが、その過程で起きることに対する想像力もあります。
私に任務を命じた者達の言うとおりにすれば、この華国は、いや、セルデシアが滅びかねない」
「だから、表向きは忠実に与えられた任務をこなしつつ、伝える相手を極限することで、各地の<冒険者>の秩序を守ろうとしていたのか。……そして」
ムオチョウの声が罅割れた。
「同時に……その主張が正しい可能性を検証できないように、腕の立つ<占い師>を殺したんだな。
この老人が、君と同じ質問をしに来た<冒険者>に答えられないように」
「そのとおりです」
負けず劣らず罅割れたユーリアスの声に、3人がしばらくの間沈黙する。
「<望郷派>の仮説を検証するためには、膨大な時間と、何人もの犠牲が必要です。
それでいて、戻ってこなかった彼らが果たして現実へ帰還できたかどうか、残された我々に確認のしようはありません。
だが、もしレベルの高い<占い師>、あるいは<予言者>といった人々が、その仮説を是と伝えたならば。
情報は燎原の火のごとく広がり、もはや誰にも推し留めることはできないでしょう。
<冒険者>はひたすら死んでいく。
<古来種>なき今、<冒険者>という守護者を失った<大地人>はモンスターによって、滅ぶ。
この世界は、かつて六傾姫がそう望んだように――人なき世界になる」
ひゅう、と薄ら寒い風が吹いた。
巨大な屋内型ダンジョンの一角であるにもかかわらず、そうとしか思えない寒気が3人を包む。
ムオチョウも、イェンイも、そしてズァン・ロンも、目の前の異国の<冒険者>が告げた未来の空恐ろしさに、背筋がぞっと冷え込むのを抑え切れなかった。
元の世界へなんとしてでも帰りたい。
その、<冒険者>であれば誰もが頷くであろう切なる願いがもたらすものの恐ろしさを、3人はここに来て体感していた。
ムオチョウは、突如真冬に裸で放り出されたような感覚のまま、目の前の男を見る。
ユーリアスは、どれほどの期間、この寒さに耐えてきたのだろうか、と。
「……状況はなんとなく分かった。つまり、お前は、その帰還方法に対する占いの結果を封印するために、ここに着たということか」
最初に再び口を開いたのは、最もショックが軽かったであろうズァン・ロンだった。
詳細を聞いていないからこそ、受けたショックもまたほかの二人より少なかったのだ。
「だが、分からんな。わざわざ殺さずとも釘を刺しておけばいいだろう。
ついでに、本当の『この世界からの脱出方法』を聞いておけばよかろうに」
「そ……そうよ。わざわざ問答無用で殺すなんて」
被せたようなイェンイの声に、ゆっくりユーリアスが首を振る。
「まず……現実への帰還方法ですが、<占い師>に頼るのは危険と考えています。
彼らの言葉には論理的根拠がない。この魔法の存在する世界で論理なんてどれほどの役に立つか分かりませんが、少なくともこの世界にはこの世界なりの法則があり、
<大災害>には<大災害>がおきたことに対する明確な法則があるはずです。
我々<冒険者>が確実に、全員そろって現実へ帰還するためには、占いによるショートカットではなく
法則を解明し、論理を積み重ねる必要がある。
私の、『本当に所属する』グループの長は、そう考えています。
……そして。
嫌がる<大地人>を意のままに動かす方法は、<冒険者>であればいくらでもあるのではないですか」
呪文、脅迫、そうしたもので<大地人>の心を従わせる手段など、数限りなくある。
<冒険者>の誰もが穏やかで、相互の説得を重んじる訳ではないのだ。
しかも、切羽詰った望みのためならなんでもする覚悟を決めたのであれば、尚更に。
寒々しい風は、まだ吹いている。
2.
<九龍廃塞>の奥、小さな建物の一角で、4人の<冒険者>が対峙している。
一人は、両手に何も持たないまま、静かにたたずむ<吟遊詩人>。
そして、それを取り巻くのは<侠客>、<道士>、<召喚士>、いずれも完全武装の3人だった。
果てることのない沈黙の後、<道士>が静かに口を開いた。
「事情は、分かった」
「ムオチョウ!」
イェンイの抗議の声を無視して、<道士>―ムオチョウの声は続く。
「理性では君の言葉は理解できる。君が、自国の狂信者たちに与せざるを得ながらも、彼らを妨害するよう努力するのも分かる。
もし俺が君の立場でも、表立った反抗ができないのであれば同じように考えただろう」
「ムオチョウ」
「だがな」
こみ上げる激情を抑えかねたように、ムオチョウは叫んだ。
「どんな理由があろうと、敵でもないただの<大地人>を殺していい理由にはならん!
俺も知っている。この大地の<大地人>は守られるべきNPCでもか弱い被保護者でもない。
狡猾で悪辣、身勝手で邪悪な時もある、ただの人間だ。
俺だって、理由と動機があれば、<大地人>を殺したし、これからもそうするだろう。
……だが、それは今の君の行為とは違う。
君は、君と、おそらくは君にこれを命じた誰かの勝手な理屈で、<大地人>を殺した。
その償いは、君自身が受けるべきだ」
告げた彼の杖の先に、魔力の小さな点が宿った。
それは見る見るうちに膨らみ、膨大な破壊の圧力となって、澱んだ空気をかき混ぜる。
その圧力を正面から受けたユーリアスは、なおも両手をだらんと下げたままだ。
「ユーリアス。君を今、ここで捕縛しようと殺そうと、君の向かう先は一つだ。
君の最終的な処分は、我々ではなくベイシアたち、各幇主が決める。
その意味で、今戦意を見せていない君を嵩山まで連行することが、より正しい行為かもしれない。
だが、俺は君を殺す。
今、ここで」
殺意を視線と魔力に込め、ムオチョウはゆっくりと宣言する。
その言葉に触発されたように、イェンイとズァン・ロンもそれぞれの武器を突きつけた。
「君の目的とは別に、華国での故なき殺人の罪を、嵩山で償うといい。
……最後に聞く」
「何です?」
瞑目したユーリアスの口がかすかに動く。
「君がアイオロスの袋の口を開ける役目ならば、それを命じたポセイドンは、誰だ」
「……船員は誤って袋を開けたのでは?」
「君に殺人を命じた奴は、どこの誰だ!!」
「……」
「……そうか」
かすかに動いた唇。
それが示す日本語を、ムオチョウはしっかりと頭に刻みつけた。
こうして、対話は終わった。
「……<ドレッドウェポン>!」
「おう!」
ムオチョウが放ったのは攻撃魔法ではなかった。
ズァン・ロンの刃が毒々しい紫に染まり、その切っ先からじくじくと液体が滴り落ちる。
そして、まるで発射台から射出されたように、巨漢の<侠客>が数歩で<吟遊詩人>に到達した。
「償え!」
振り下ろされる剣。
だが。ズァン・ロンの足取りは常の彼よりわずかに遅く、剣速は常に比べてわずかに遅い。
事情を詳しく知らず、また興味もなかったがゆえに、彼は無抵抗の相手を切ることに躊躇いがあった。
それも、かつて彼自身煮え湯を飲まされた、あの<暗殺者>と同じ毒で。
その一瞬の逡巡を、<吟遊詩人>は見逃さなかった。
朗々と声が響く。
人の声でありながらどこか古代の楽器のように幻想的な、それは音だ。
「な!?」
突如現れた無数の音符に、押し流されるようにズァン・ロンが吹き飛ぶ。
吹き飛びながらも、まるで速射砲のようにたたきつけられる音符の群れが、強大な防御力を持つはずのズァン・ロンのHPをごりごりと削り取っていく。
「何だと!?」
次の呪文を唱えながらもムオチョウは目をむいた。
ユーリアスの口からあふれる音が変わったのだ。
それまでが管楽器のような素朴な音だったとすれば、今度は弦楽器に似た怜悧な音が周囲を圧する。
「楽器なんて、ないはずなのにっ!!」
壁に叩きつけられたズァン・ロンに続き、<暗黒天女>が音符たちに囲まれて無念そうに消えるのを見て、イェンイも叫んだ。
次の召喚獣を立て続けに呼び出すも、それらは次々と音符の濁流によってHPを失っていく。
ついにその濁流はムオチョウとイェンイを捕らえた。
「<瞬間回避>……っ! 間にあわ……」
ズァン・ロンすら耐えられない破壊の奔流に、軽装備の<道士>が耐えうるはずもない。
瞬く間に危険域まで押し込まれた自分のHPを見ながら、ムオチョウは音符の群れの向こうでユーリアスが小さな瓶を掲げるのが見えた。
「あれは……<緊急脱出香>!」
色合いで分かる。
ムオチョウも使用したことがある、大規模戦闘や探索用のアイテムだ。
効果は、最後に立ち寄ったプレイヤータウンではなく、もっとも最寄のプレイヤータウンへと<冒険者>を瞬間移動させること。
「嵩……山にっ!」
切れ切れにそう呟くムオチョウの横で、イェンイが光に包まれて倒れこむ。
先ほどから途切れることのない音符の群れは、特技ですらない。
だが、時間当たりの破壊力で言えば、それは<暗殺者>の必殺奥義にすら匹敵する。
もちろん、このような技が本来の<吟遊詩人>のものであるはずもなかった。
「まさか……君は……」
その言葉を最後に、ムオチョウもまた、光へと変わっていく。
動くもののいなくなった室内で、ユーリアスが静かに口を閉じた。
無数の楽器からなるオーケストラのような音もまた、消える。
そして、彼の姿も光に包まれていった。
急報を受け、<九龍廃塞>に最も近いプレイヤータウンに<冒険者>が急行したときには、既に異国の密偵の姿はどこにもなかった。
まだ春は遠い、旧正月前のある日のことだった。




