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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第6章 <傷ある女の修道院>
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86. <南へ>

今回はちょっと短いです。



 その日の朝は、抜けるような青空だった。

その美しさに、ミレルは目を細めて空を見上げる。

現実の地球ではまだまだ少女に近い年齢だった彼女にとって、北欧の青空はどこか淡く、

生まれ育った日本の空とは違う風景のように感じていた。


爆発でガタがきたためか、開けっ放しで閉じられない、かつての<傷ある女の修道院>の正門前で、ユウとミレルはそれぞれ荷物のチェックをしていた。

ユウは、ミレルの協力によりなんとか荷物一杯にすることができた毒の確認を。

そして、ミレルはユウから譲られた無数の蔵書やいくつかの毒のレシピとサンプルを、互いに無言のまま確認している。

短いようで長い時間が終わり、二人はゆっくりと顔を見合わせて微笑んだ。


「こっちは荷物は大丈夫だ。足止めさせてしまい悪かった」

「こっちこそ。本も全部持って行っていいんですか?」


ミレルの質問に、ユウはこくりと頷く。


「どうせもう必要はない。<ロデリック商会>でうまく使ってほしい。<知識の片眼鏡>は持って行くけど、すまないがそれは許してほしい」

「いえ、大事に使います」


頭を振るミレルにふわっと微笑み、ユウは呼び出した汗血馬に跨った。

彼女はこれから<大地人>の村に行き、船を借りて大陸に渡るつもりだ。

海流の複雑なアルヴァ・セルンド島付近は、素人が小舟で渡れるほどに甘くはない。

幾ばくかの謝礼と引き換えに、送ってもらうつもりの彼女だった。

ミレルから視線を外し、丘の向こうを見つめるユウに、ミレルはふと尋ねた。


「これからどこへ行くんですか?」

「とりあえずは、ヨーロッパのプレイヤータウンに行く。

そこから船なり、<妖精の輪>なり見つけて、ウェンの大地(アメリカ)に渡るつもりだ」

「アキバに戻るつもりはないんですか?」

「今のところはない」


簡潔に答えたユウに、ふとミレルは奇妙な感覚を覚えた。

目の前の、自分よりはるかに年長だと知っている女<暗殺者>が、帰り道を忘れて泣く迷子のように見えたのだ。

だからこそ、彼女は語気を強めて再度聞き返す。


「よければ、アキバに戻るルートを伝えますよ。多分一月かからずに帰れます。

……ユウさん。クニヒコさんもレディ・イースタルさんも、アキバであなたを待っています。

帰ってくる気は、本当にないんですか」

「……ない。私の目的は聞いただろ。アキバでみんなといっしょに現実に帰るのが、私の目的じゃ、ないんだ」

「意地を張ってはいないんですか? ユウさんの願いって、遠回りな自殺でしかないと」

「……せっかくいい天気なんだ。あんまり気分を削がないでくれ」


かすかに、目に雷光を溜めて答えたユウを見て、ミレルは悟った。


「決めたことを覆す気はないんですね」

「妻や子供のためにも、私は行かねばならない」

「仲間のために、じゃないんですね」

「仲間も大事だが、それ以上に妻子は大事だ。妻は一生共にすると誓った相手だ。

その誓いを果たせなくなった以上、せめて彼女に恥じないように生きたい。

子供は縁あって私を父として生まれてきてくれた人々だ。

父親として、あの子たちを守ることはできないにしても、せめて異世界でも私は父親でありたい」

「だから、死ぬんですか」

「せめて、もう一度抱けなくても、一目あの子たちを見て死にたい。

多分私の行動は相当に身勝手だ。私がどう生きて、どう死んだかなんて彼女たちは知ることもないだろうね。

でも私はそう誓った。私はプレイヤーや<冒険者>である前に、妻の夫として、子の父として胸を張っていたいんだ」

「人殺しをしたのはユウさんかもしれません。でも、生きて帰ればいつか」

「人殺しは親にも夫にも、もうなれないんだよ。どんな言葉を連ねても、私はそう決めた」

「そうですか」


やがて、ミレルの口から小さな呟きがもれる。

帰還呪文だ。

アキバを出て数ヶ月、慎重にプレイヤータウンや<大神殿>のある周囲を避けてきた彼女がその呪文を唱えれば、その体はアキバに転送される。

ポウ、と陽光の中に微かな光が舞った。

光に徐々に包まれながら、最後にミレルが言う。


その言葉は、今後また会うかどうかも分からない相手に対する言葉としては、不謹慎というのも烏滸がましいほどの言葉だった。

だが、ミレルはこの時、この場所にあって、その別れの言葉こそ最も相応しいもののように感じていた。

だからこそ、彼女は口にする。

地球を含めても、彼女が生まれて初めて投げる、惜別の挨拶を。



「じゃあ、ユウさん。……ご無事に死ねるよう、祈ってます」

「ああ。無事に地球に帰れることを祈ってるよ」


ユウもまた、満足そうに笑い、消えていく彼女をじっと見守っていた。



「汗血馬、頼む」


 彼女が消えてしばらくして。

フレンドリストに新たに加わった名前が光を失ったのを確認して、ユウはぽんと汗血馬の首を叩いた。

主の考えなどわかっている、と言わぬ気に、ぽくぽくとユウの愛馬は歩き出す。

馬上で大きく背伸びをして、ユウは存分に眠った次の日の朝のように、気持ちよさそうに言った。


「ようし。じゃあ、行くとするか。きちんと生きて、きちんと死ぬために」



そうして、僅かな間の彼女の休息は、朝の光のなかで終わりを告げたのだった。

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