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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第一章 <アキバにて>
12/245

10. <屍>

 ゴブリン・ジェネラルは憤っていた。

彼率いる部族が、割拠していたオウウの山脈を離れ、人間の地に至ったのは、別の部族の族長が山脈の覇権を握ったからだった。

長年、憎むべき<冒険者>に阻まれてゴブリンたちに訪れることのなかった王である。

即位したゴブリン王は、人間に気づかれないようじわりと勢力を拡大し始めた。

本来、万のゴブリンを統べる彼が、わずかな部族の精鋭とともに、酋長(チーフ)の行うような急ぎの略奪行に出たのも王の命令によるものだった。


 彼は、亜人特有の脈絡のない思考ながら、自分の境遇に深く怒っていた。

そしてその怒りは人間たちの血と悲鳴でのみ購われると信じていた。

その彼が、直属の部下を率いて、かねて目星をつけていたハダノという人間の村へ襲いかかろうとしたのは、ごく自然な成り行きだったと言えるだろう。



1.


 ハダノは、防壁を持たない村である。

村の周囲に広がる広大な麦畑と煙草畑は村の重要な財産であり、村人の多くはそこを耕し、老いて死ぬ。

時折はぐれゴブリンなどに襲われるものの、おおむね平和を享受している村だった。

煙草という産業があるため、領主の課税もそれほど村人にとって苦役ではない。

領主からしてもハダノは安定的な収益を見込める村であり、必然的に村に対しても好意的になる。

さらに村長やケールメルスのような立場の人間が貯めた金は、付け届けとして領主に届けられ、

それがさらに領主の心象をよくしていた。

個別の村人への医療や苦役の軽減といった措置こそないが、まだ壮年の領主は自領を守る騎士や兵士の増員にも積極的だ。

いざとなれば領主の騎士や私兵が守ってくれるとなれば、ハダノの村人が戦慣れしなくなるのも無理のないことだった。

そのハダノに、過去最大の災厄が降りかかったのがこの日だった。


「どうなされた」


ゴブリンキャンプを襲撃していたはずの<冒険者>の一人がとぼとぼと戻ってきた。

イットクは憔悴しきった彼―テングを迎え、とりあえず茶を飲ませるが、彼は押し黙るばかりで何も語らない。

<冒険者>が死なないことは、イットクのような<大地人>にとって常識である。

仲間が死んだとしても、それはほんの数日の別れでしかなく、<冒険者の街>アキバに戻れば再会できる程度のことでしかない。

遂には嗚咽しはじめたテングから状況を聞くことを諦めたイットクは、午後の仕事に戻ろうとした。


「ゴブリンだっ!!」


村のざわめきをつんざく叫びが響く。

まさか<冒険者>の襲撃を生き延びたゴブリンがいるとは、と唇をかんだイットクは、目の端でテングがびくりと震えるのを見た。

その表情は無敵の<冒険者>のそれではない。

彼自身若いころ覚えがある、戦場の恐怖に飲まれた顔だった。


イットクは家にテングを置いたまま、無言で外に走り出た。

老人とは思えぬ健脚で村の端までたどり着くと、警報代わりの叫びを上げた狩人に大声で尋ねる。


「数は何人じゃ!」

「まだ見えねえ、村長!だが一匹、とてつもなくデカイのがいる!巨人だ!」


村の見張りやぐらに駆け上ったイットクは、彼方の煙草畑を見晴かした。

続いて発見者の狩人も櫓に登る。大人二人の体重に、古い見張り櫓はぐらぐらと不安定に揺れた。

足と同じく、いまだ衰えないイットクの目に、巨大なゴブリンと、その周りを囲む数匹のゴブリン、そして狼らしい獣の姿が見えた。


いや、違う。

狂ったように唸るあの獣は、うわさに聞く魔狂狼(ダイアウルフ)に違いない。

とすれば―


今更ながらにイットクは、自分が大きな過ちを犯していたことに気がついた。

魔狂狼は人の背丈以上の体格を誇る魔獣である。

その魔獣の頭を時折片手で叩きながら従えて歩くゴブリンが、普通の大きさであるはずがない。


「あれはゴブリンではない!ゴブリンチーフじゃ!そしてその頭目は、より大きいゴブリン!恐らくは、将軍」


イットクの口の中が乾いていく。

60年あまりの彼の人生の中でも見たことのない規格外のゴブリンたちが、他ならぬハダノに攻め寄せようとしているのだ。


「動けるものはみな逃げよ!動けぬものや子供は男が手を貸せ!」

「わかった!村長も早く!」


指示を受け、駆け下りながら狩人が問いかけたが、イットクは口を引き結んで動かない。


(わしらのハダノを……おのれ)


「村長、早くしろ!」


焦れた狩人の声に、ようやくイットクは踵を返した。

燃える目で遠方のゴブリンを睨みすえる。

イットクは、ゴブリンの頭目と視線が交差したように思えた。



「テングどの……じゃったな。頼みがある」


自宅に戻り、家人に急いで退去の準備をさせながら、イットクは座ったままのテングに話しかけた。

かけられた声に顔を上げた<冒険者>の顔は、まるで屍か蝋人形のようだ。

その彼の顔を傷ましく思いながらも、厳しい顔でイットクは言葉を続けた。


「もうすぐ、ゴブリンどもがこのハダノにやってくる。

おそらくは連中の頭目じゃろう。遠目に見ても巨大なゴブリンじゃ。

今、この村で唯一の<冒険者>であるお前さんに頼みたい。

村の外で奴らを迎え撃ち、女子供が逃げるまでの時間を稼いでくれんか」


テングの目が大きく見開かれた。

イットクも目を逸らさない。恐怖で凝ったようなテングの目を真正面から見据える。


<冒険者>は死なない、これはこの世界の絶対的な理だ。

それを唯一の慰めに、イットクは厳然とした顔を崩さずに目の前の若者に死ね、と依頼した。


テングの口がわなわなと震え、やがて細い声が漏れた。


「お、俺に、し、死ねと?」

「そうじゃ。死んでくれ。どうせアキバで復活できるのじゃろう」

「な、なんでだよ!俺は好き好んでこんな世界に来たわけじゃ、そ、それに俺はもう殺したり殺されたりしたくなくて」

「お前さんが戦わねばこの村の女子供は逃げられん。お前さんは何度も生き返るが、

わしら<大地人>は死ねば終わりじゃ。

わしは村長として、村の者を死なせられぬ」

「で、でも、俺は、逃げて」


嗚咽交じりのテングの声に、イットクはゴブリンキャンプでこの若者に何が起こったかを洞察した。

心の中に哀れみが浮かび、それは徐々に膨れ上がっていく。

目の前の、ただ「強くて死なないだけの」普通の少年に対する罪悪感で胸を塞がれながらも

イットクは重ねて言った。


「で、ここでも逃げるのかの?確かにそなたらは縁もない<冒険者>じゃが、冒険者が冒険から逃げ出して何が残るのかの」

「……っ!」

「それとも目の前でわしらが死なねば分からぬかの」

「そんな……!でも、俺は」

「そなたの仲間が戻った時、血の海に沈んだわしらと一人泣くお前さんを見て、何を思うのかの。

あの黒髪の変な声の女はどう思うかの」

「!!」


イットクは敢えてユウのことも持ち出した。

一人合流しながら、おそらくは目の前の若者の出来なかったことをすべてこなしてみせたであろう同じ<暗殺者(アサシン)>は、今のテングにとって一番の心の傷であろう事を承知の上で。


「そ、そんなこと」

「ええい、行かぬか!お前さんらは報酬のために何度も蘇り戦うのじゃろう!

……報酬と、そなたの誇りのために戦ってはくれぬか」


誇り。

その言葉に、澱んだようなテングの目がわずかに変わる。

<エスピノザ>のダメージアタッカー、高レベルの<暗殺者>としての誇り。

かつて抱いていたそれを思い出すように、テングがゆっくりと口を開く。


「ほ、こ……り」

「村長!もうすぐ村に来る!早く!女衆と子供は先に脱出した!俺たちが最後だ!」


村人の一人が乱暴に扉を開け放って叫ぶ。

その顔には恐怖と焦燥が鎧のようにまとわりついていた。


「すぐ行く!……すまぬが」


そう言うと、イットクは扉に向かって歩き出した。

心の奥底では、せめて目の前の<冒険者>が囮になり、数秒、いや数十秒だけでも時間を稼いでくれないか、という思いもある。

同時に、イットクは孫のような年齢であろうこの若者を死地に置き去りにすることを悲しんでいた。


「頼むぞ」


一言を残し、イットクがテングの視界から去る。


「誇り。ほこり、かぁ……」


既に村民を指揮し、ゴブリンと反対側の方角へ去っていくイットクにその声は聞こえない。

それでも小声でテングは呟き続けていた。



2.


 遥か遠くに、列を連ねて牛のような鈍さで逃げていく人間の群れが見えた。

大事な玩具を失うと見て、ゴブリンジェネラルの足が速まる。

略奪部族といいながら、ゴブリンが略奪するのは物資ではない。

もちろん物資も奪うが、最も彼らが欲するのは人命、それだけだった。

駆ける魔狂狼を追うゴブリンたちの目に、何かが見えた。


 逃げ遅れた人間か。


そう思って顔を喜悦に歪ませたゴブリンたちの目の前で、大きな家からふらふらとよろけ出たその人影は、腰に挿していた細長いものを抜いた。

ゴブリンジェネラルの笑いが大きくなる。

彼方のちっぽけな人間が、一人で戦いを挑む<冒険者>だと気づいたのだった。

数を頼めば恐ろしい敵だが、一人二人など赤子の手をひねるようなものだ。

ゴブリンジェネラルは右側を走っていたゴブリンチーフの背中を、鉄槌のようなその腕で殴ると、自らは歩調を緩めた。

殴られたゴブリンチーフだけが、おぞましい笑いを上げながらも走る。

ジェネラルの目の前で、あの無謀な<冒険者>は血にまみれて転がるはずであった。



足がすくみそうな恐怖の中で、テングは必死に思い出そうとした。

ソロプレイヤーで<毒使い>だと名乗った黒髪の女<暗殺者>の姿を。

古くから対人戦で活躍したプレイヤーだったことは、名前を聞いてしばらくして気がついた。

人とモンスター。違いはあるが、「一人だけで敵を倒す」ことにおいては彼女の戦い方はテングの指針となっていた。

もちろんユウとテングとは、特技の習熟度も装備もまったく異なる。

彼女の必殺の毒も、テングには縁遠いものでしかない。

だが、キャンプに潜入する前、ユウはテングにいくつかのポーションを渡してくれていた。

毒と、霊薬。

90レベルの<毒使い>が調合したそれは、今のテングにとっては、わずかな勝機をこじ開けるための奥の手となる。

しかし、今はまだ使うわけにはいかない。

相手は集団の一匹、小手調べ代わりに送り出されたチーフに過ぎなかったからだ。

敵のレベルは75、パーティレベル。

勝ち目は薄いが、決して絶無といえるレベルでもない。


チーフが近づくにつれ、あのおぞましい悪臭が鼻を刺激する。

反射的に逃げそうになる足を叩いて抑え、テングは意を決したように走り出した。

走りながら、<エスピノザ>での訓練で覚えた動きでその走る向きを変える。

剣を振り上げ威嚇するチーフの顔が判別できる距離になった瞬間、突然テングは横っ飛びにとんだ。

そのまま手持ちのダガーをチーフに投げつける。


「<アトルフィブレイク>!」


チーフが一瞬の麻痺につんのめり、大きくバランスを崩して転倒した。

もがく彼にひととびに近づくと、剣をもうひとつの武器、<妙法の鎌>に持ち替えた。

これはかつてゲームであった<エルダー・テイル>時代、ゴブリンのような弱敵を屠るために使った武器、そして技。


「<エクスターミネイション>っ!」



 ジェネラルは驚いていた。

目の前のひょろっとした<冒険者>は、いきなりどこかから巨大な鎌を取り出し、

まるで草を刈るかのようにチーフの首を刈り取ったのだ。

その間、わずか十数秒。

精鋭と思い、選んで連れてきたチーフのあまりにあっけない死に様に、ジェネラルの心が更なる怒りに燃え上がる。

激怒のまま、彼は両脇に控えていた別のチーフの背を、それぞれ両手で突き飛ばした。


次は、こいつらだ。


「GYAAAOOO!」


ゴブリンチーフたちが吼える。

しかし、同族があまりに簡単に殺されたことへの恐れか、あるいは驚きか、

彼らはテングの周囲をぐるぐる回るだけで近づいてこない。

彼らと、そしてその背後で残るチーフやシャーマン、魔狂狼に囲まれて苛立っているジェネラルに、テングは叫んだ。


「どうした!かかってこい、腰抜け!俺は<エスピノザ>のトップアタッカー、テングだ!

貴様らのようなゴブリンごときにくれてやるほど安っぽい命じゃないんだ!」


怒りが沸点を超えたのか、吼え返すジェネラルを見やり、<大災害>以来本当に久しぶりに、

テングは不敵な笑みを浮かべた。



3.


 汗血馬を煽り、全力疾走していたユウがハダノについたのは、昼下がりも少し過ぎたあたりのことだった。

どこも同じような煙草畑で、道を誤ったのだ。

いつもならのどかな農村の昼下がり特有の、眠るようなざわめきが聞こえるはずのハダノの村には、今は人の声はない。

村人が休憩代わりに齧る果物の甘い匂いの代わりに、今はどこかからか死臭と血臭が漂っていた。


「カイ。やはりゴブリンジェネラルはハダノに乱入したようだ。」


開きっぱなしの念話から、あせった様なカイの声が聞こえた。


『わかった。ユウは偵察と足止めに徹してくれ。テングはどうだ?ハダノの人たちと一緒に無事逃げているか?』

「わからん。とりあえず私はこのまま侵入する。急いできてくれ」

『わかった』


会話を終え、騎馬のまま村に入ったユウの目の前に、驚くべき光景が広がっていた。

人っ子一人いないハダノの大通り。

そこに、転々とゴブリンチーフの死骸が転がっている。

ゴブリンチーフだけではない。

魔狂狼(ダイアウルフ)や、ゴブリン・シャーマンの死骸もあった。

馬を下り、死骸を調べたユウはそれらがすべて、鎌や片手剣、つまり<暗殺者>の武器で致命傷を負っている事に気がつき、再び驚く。

ユウを待っていたかのように泡となって消えるそれらの死骸を眺め、ユウはしばし呆然としていた。


 可能性としてありえるのが、他の<冒険者>パーティが通りがかった、という推論だ。

ハダノは街道沿いにある村で、イチハラと違い<冒険者>の行き来は絶無ではない。

しかし、すべて<暗殺者>が止めを刺しているのが異様だった。

それは、ユウの頭脳でもうひとつの推論を導き出す。

村にいる唯一の<冒険者>、<暗殺者>のテングの手によるものだ、という推論だ。


(そんなことがありえるのか?あれだけ戦場をいやがっていたテングが)


疑念交じりのその思いは、次に見た光景で吹き飛んだ。


自分の身の丈の数倍はある巨大なゴブリンジェネラルと刃を交える一人の<暗殺者>。

毒をジェネラルの口に放り込み、時に爆発を齎す霊薬を投げながら、舞うように戦うその姿は

かつて動画で見た自分の姿にダブって見える。


「テング!」


思わずユウは叫んでいた。


テングのHPは既に真っ赤なのだろう。

あちこちを傷と打ち身で汚した彼は、しかし動きを留めることなく跳ね回る。


「<暗殺者>の鎧は足さばきそのもの。強敵と戦うときは決して足を止めるな」


昨夜、気まぐれで教えたユウの戦い方。

一度聞いただけのそれを完璧に実行するテングの姿に、ユウは我知らず感動していた。


『どうだ、ユウ。何か見つかったか』


念話の向こうで焦るカイに、ユウは自分でも不思議なほど平坦な気持ちで事実を告げた。


「テングがジェネラルと戦っている。一人で」

『本当か!?』

「助けに行こうかと思ったが、あれはあいつの決闘(デュエル)だ。戦いに挑む彼を止めたら

二度と彼の心は助けられなくなる。私は待つ」

『……すぐ行く』




ユウは見続けた。

相手は大規模戦闘(レイド)のボスクラスであるゴブリン・ジェネラルだ。

普通に考えれば、ユウがテングを即座に援護してしかるべきだし

二人がかりでも勝てるかどうかわからない。

決して戦場に慣れているわけでもない、テング一人に任せるのはあまりに無謀といえた。


しかし、テングの目を見たら。

緊張と恐怖に戦きつつ、それでもなお前を向くテングの目は

ユウには例えようもなく眩しく見えた。

カイたちが見たかったのはこういった仲間なのだと思えるほどに。


「使え!」


ユウは叫ぶと、腰から抜いた剣、<妖刀首担(ようとうくびかつぎ)>を投げた。

人と亜人を斬るために鍛え上げられた刃は狙い過たず、テングの傍に落下する。

体をスケートのように傾け、バウンドする刀を拾い上げたテングは大声で叫ぶ。


「ユウ!手を出すなよ、こいつは俺の獲物(ターゲット)だ!」

「分かってるさ。使え、その刀ならわたし以外でも使える」

「ありがたい!」


部下の屍を踏みにじり、吠え猛るゴブリン・ジェネラルに向けてテングが飛ぶ。

一太刀で鋼のような首筋に一撃。

すぱりと切れた、その頬から滴る血しぶきを避けて伸び上がりざまに一撃。

大きく開いたテングの体を、破城槌のような拳が貫こうとするが

彼が咄嗟に体を縮めた事により、その槌は突風とともに彼の脇腹をすり抜ける。


とん、と軽やかな音とともに<暗殺者(アサシン)>の手がゴブリンの頭を掴み、

立て続けに斬撃がその頭蓋を削っていく。

トドメとばかりに、ユウに譲られた霊薬がゴブリンの鼻先で火を吹き、

テングは軽業師もかくやの翻筋斗を打って飛び退った。


ユウは心底感嘆していた。

テングという、会って一日足らずの若い<冒険者>に何があったのか、彼女は知らない。

ただ、今の彼はおそらく彼自身がそう望んだ以上に、この世界の<冒険者>として水準以上の実力を見せている。

もともとレベル自体は90と高いのだ。

その能力に彼自身の自信と意識が合わされば、たとえ格上の大規模戦闘(パーティレイド)ランクの高レベルモンスターとはいえ、手もなくやられる訳がない。

見たところゴブリン・ジェネラルの近衛部隊、つまりこのハダノ近辺に残されたおそらく最後のゴブリン部隊も、彼が倒したのだろう。

カイたちも一心不乱に走り、ハダノへと向かっているはずだ。


あとはどうテングがゴブリン・ジェネラルを倒せるかどうか。

そう思い、舞うように戦うテングの勇姿を視界に焼き付けていたユウは、やはり判断が甘すぎたのだろう。



 衝撃は突然だった。


目から火花が飛び出るような激痛が脳天から脊髄を一気に落下し、衝撃で視界が一瞬遠くなる。

<冒険者>の身体能力か、咄嗟に受け身を取り気絶だけは免れたものの、

強烈な打撃特有の酩酊感に似た吐き気に、ユウは思わず膝をついた。

見上げる。


(ゴブリン・チーフ……!)


別働隊がいたのか、それともテングが討ち漏らしたのか、2匹のゴブリン・チーフがユウを見下ろし、にやにやと笑っていた。


「ユウ!」


破砕音に気づいたテングが振り向く。

それは、目の前に強大な敵を迎えての行動としては、迂闊に過ぎたと言ってよい。


「GYAOOU!」


ゴブリン・ジェネラルは難敵にできた隙を見逃さなかった。

余計なことを考えず、掴みしめたテングの首をへし折れんばかりに握りつつ、

残る腕で動けない彼の腹を杭打ち機のように殴りつける。

巨大な衝撃に、<暗殺者>の体が首を支点とした撥条のように揺れるのを無視し

5発殴った時点で、ついにテングの腹が裂け、内臓がでろりと飛び出した。


「ぐっ、は、が……」


殴打の衝撃で、生きたまま内蔵を破られる経験など想像だにしたことのないだろうテングの顔が

青を通り越して紙のように白くなる。


(なんて……ことに)


ボスとの1対1の決闘のいい流れを断ち切ったことに、ユウはこの世界で何度目かの後悔に胸が裂けそうになった。

悔やんでも悔やみきれないほどの感情が火のようにあふれだす。

HPが真っ赤になり、ボロ布のように投げ捨てられたテングに、それでもユウは必死に這い寄ろうとした。


「テ…ング」

「……ユウ…さん」


テングがかすれた声で喘ぐ。

その体から微細な光がまるで舞い飛ぶように空に溶けていくのを見て、ユウは絶望した。


彼は死ぬ。

手に入れかけた勇気も、仲間との再会も、全てを失いテングは逝く。

アキバに戻れば彼は仲間と再会できるだろう。

しかしそこでは彼は、仲間たちに勝利を誇ることも、勇気を示すこともできないのだ。


そんな絶望に子供のように泣くユウに、テングはしかし、言葉をかけなかった。

二人まとめてとどめを刺そうとするジェネラルに、かろうじて動く右手で何かを放り投げる。

それは、瀕死の男が投げたものとは思えないほどに強く、早く飛び、

テングが切り裂いたゴブリン・ジェネラルの傷口に当たり、爆ぜた。


「UOOOU!?」


ユウは見た。

ジェネラルの、もはや赤色のほうが長いHPバーの青い部分が、一瞬で緑に染まるのを。

そして毒々しい色に染まった血が、ジェネラルの醜い口から吐出されるのを。


「毒!?」


思わず叫ぶユウに、投げた姿のまま、テングは親指を立て、

そしてそのまま消えた。



2.


 ユウはテングが消えた跡を見つめていた。

すでに死体は大神殿に転送され、彼が流した血だけがその痕跡をとどめている。


ジェネラルは毒の激痛にのたうちまわり、自らの主将(ボス)の苦悶に何もできないチーフたちはただおろおろと歩き回っていた。

ユウは再び自分の認識が誤っていたことを悟った。


テングは決して勇気を折られて死んだわけではない。

最後の最後まで勝つために死力を尽くし、その結果力尽きたのだ。

であれば、彼に死を選ばせてしまったユウとしては何をすべきか。

それは決して、惨めに泣きながら殺されることではないはずだ。


ゴブリン・ジェネラルに向け、ユウはくらくらする頭を抑えながら立ち上がった。


何もわからなかった。

自分が何をしたいのか、何をすべきなのか。


先ほどのチーフたちの奇襲によって、100%だったユウのHPも半分を切っている。

ジェネラルの攻撃どころか、チーフの連撃を受けただけでもHPは危険領域に陥る。

すでにテングはいない。

ハダノの村人も、いささかの時間を稼げただろう。

今のジェネラルとチーフたちであれば、村を荒らしての療養を選ぶはず。

最も理性的な案は、この場を脱出してカイたちと合流することだ。

あるいは、回復をしながら連中を足止めし、カイたちの到着を待つか。

どの手であれ、死ぬ訳にはいかないユウとしては、自らの被害を最小限に抑えつつ、ダメージアタッカー賭して以外の<暗殺者(アサシン)>のもう一つの役割、

強行偵察(スカウト)撹乱(ディスターバンス)に徹するべきだ。


しかし、ユウは落ちていた妖刀首担を手に取り、<守護戦士(ガーディアン)>がする<アンカーハウル>のように、吠えた。


「ああああああああああっ!!!!」


間近で挙げられた挑戦の叫びに、毒に悶えるゴブリン・ジェネラルさえ目を見開く。



「行くぞ!」


叫びを上げ、駆ける。

視界にぐんぐんとジェネラルの巨体が広がる。

その拳がぐっと握られたのを見た瞬間、ユウは体を大きく前へ倒した。


ヘッドスライディングの要領で土埃を立てて滑るユウの体が、ジェネラルの股間をすり抜ける瞬間、刀が閃いた。

足の筋を大きく切り裂かれたジェネラルが倒れこむ。

のしかかる壁のようなジェネラルの巨体を蹴り、一呼吸で立ち上がるとその無防備な背にガズリ、という音を立てて刃がつきこまれた。


<アサシネイト>


テングも何度も叩き込んだであろう絶命の一撃を受け、なおもジェネラルは倒れない。

ふらつく足を大地に踏みしめ、振り返りざまの裏拳がユウの黒髪をかする。

その一撃だけでHPが危険域に陥りつつあるのを感じながら、なおもユウは回復をする手間も惜しいとばかりに一撃を加えた。


「GYUOOOOO!」

「GYAOUUO!」


ジェネラルの叫びに応じて、虚脱していたチーフが動く。

怒涛のように突進する二匹を前にしてユウは自らの鎌に持ちかえた。

倒れた他のチーフたちの致命傷を見れば、テングが彼らをどう倒したかは明白だ。


「<エクスターミネーション>!」


叫びとともに振り下ろされた鎌が、駆け寄る一匹の首を無造作に落とす。

僚友の死につんのめった残るチーフを、ユウの刃が抉る。

鎌と刀を自在に持ち替え、ユウは踊る。

その合間に毒を入れ、<パラライズブロウ>で動きを止め、

ダガーでジェネラルを牽制する。

ユウはすでに何も考えていなかった。

ただ、舞うように、<暗殺者(アサシン)>とはこうあるべきだと言わんばかりの動きを体が見せる。

腰のひねり、足の踏み込み、それらから繰り出される腕の一撃が、自動的に<特技>を発動させていく。

相手の筋肉の動き、目の配り、足の踏みを全身で感じているような気さえする。

すべての感覚が研ぎ澄まされていることをユウは疑問に思わなかった。

当たり前のことだ。

テングは、そうやって戦っていたのだから。


ふと気づけば、二匹目のゴブリン・チーフも血溜まりに沈んでいた。

振り向いたユウの目に、まだ抜けない毒に苦しみつつ、目を血走らせて彼女を睨むゴブリン・ジェネラルの姿がある。


「やあ、お待たせ」

「GAUOOOOOOOOOOOAAAAAAAAA!」

「そう言うなよ、お互い仲間をむざむざ殺させたんだ。決着はきっちりつけようじゃないか」

「GUURURUUUUUUUUUUUUUUU」

「そうだ。こんな世界になってお互い苦労していることとは思うが」


親しい友人に話すように、ユウの言葉が風にのる。


「自分のポカミスで仲間が死んだんだから、お互い真っ向勝負をする!」

「GUAAAAAA!!」


同時に叫び、足を踏み込む。

地面すれすれに飛ぶようなユウ、重戦車さながらに突進するゴブリン・ジェネラル。

互いの距離が一瞬で縮まり、互いの武器が振り上げられる。

ユウは、傷んだ妖刀を腰だめにかまえ。

ゴブリン・ジェネラルはその拳を天に向けて振り上げた。

互いにHPは既に赤い。


「<アサシネイト>っ!」

「GYAOUUUUUUUUUUUUU!」


踏み込みは同時。

互いの刃と拳が抜き放たれるのも同時。

そして、互いに防御を捨てた一撃が相手に届くのもまた、同時だった。



3.


 焼け落ちたゴブリン・キャンプから馬を飛ばし、カイたち<エスピノザ>の面々がハダノに帰り着いたのは夕暮れ時だった。

既にゴブリンの脅威が去ったことを確認し、イットクたちハダノの村人は村へ戻り、破壊された箇所の修繕に勤しんでいる。

アキバで目覚めたテングからの念話によって、既にジェネラルが相当な手負いであったこと、ユウがそれを討伐したであろうことはカイたちも知っていた。

だが、その先は知らない。


「どう思う?」


カイの疑問に、すぐ後ろを馬で続くあんにゃまが答えた。


「どう思う、とは?」

「ユウのことだ。念話にも出ない。ゴブリン・ジェネラルのものらしい、秘宝級アイテムや素材が野ざらしになっていたからには、倒せはしたんだろうが」

「テングの話じゃ、ユウも奇襲を受けてダメージを受けていたそうだし、相打ち…じゃないか?」


さらに後ろからレス・パースが答える。

一行は、念を入れて村の周囲を偵察し、ゴブリンが一匹残らずいなくなっているのを確認してから、夕焼けの中をイットク村長の村へと向かっていた。


「しかし、ユウの死体はともかく、アイテムもないんだ。

何より念話に応じないのは変じゃないか?」

「そもそも、ユウは何のためにこの村にいたんだ?」


黒翼天使聖が口を挟んだ。

その言葉に、<エスピノザ>の全員がはっとする。

言われれば、ユウはなぜ、一人でこの村にいて、ゴブリンを倒そうとしたのか。

誰もしらないことに気がついたのだ。


首をひねる一行の先で、イットク村長が手を振るのが見えた。

村のために自分たちの大事なギルドメンバー(テング)を捨て石にした、とも言えるが、

カイたちはそれを責める気は毛頭なかった。

それは村を預かるものとしてのイットクの判断であり、自分たちはクエストと引き換えにそれを請け負った<冒険者>なのだから。


ほんの少しだけの違和感を全員が感じつつ、カイたちはイットクの家に向かう。


「まあ、テングのやつも立ち直ったみたいだし、まあめでたし、というところかね」


あんにゃまの言葉に全員が頷いた。


「それにしてもユウって一体どんなプレイヤーだったのかなあ」


ぽつんとつぶやくニョヒタの言葉に答える声は、どこからも上がらなかった。




村の外れ、ささやかなケールメルスの家では、家族三人が揃って夕食を囲んでいた。

ケールメルスは微熱を発していたが既に床を払い、明日には<冒険者>の一人の治癒が受けられる予定だ。

もともと頑健だったこともあり、ケールメルス一家もようやく一息ついていた。


「父さん。あの変な声の女の人、戻ってこなかったね」

「ああ。イチハラに行ったら礼くらいしないとな」

「でも、結局代金をそのまま支払ってくれたんだから、いい人ね」


息子と妻の声に、ケールメルスは頷く。

ゴブリン討伐に向かう日の前の晩、ユウは「戻ってこれないかもしれないから」といって彼らの家に立ち寄り、イチハラから預かった金をそのまま置いて去っていったのだ。

わざわざ取りに来たのに、と恐縮するケールメルスに、ユウは笑って告げた。

<冒険者>であれば荷馬車も箱も要らないし、ゴブリンを討伐できれば戦利品で黒字になる。

差額は薬代に使ってくれ、と。

受け取った金貨が入ったままの袋をちらりとみやり、ケールメルスは言った。


「まあ、次に会ったら何かの礼をするよ。ともかく、今は喜ぼう」

「ええ」

「そうだね」


元気になったらトールスに手紙を書かないとな。

そう思い、ケールメルスは見知らぬ女<冒険者>が残したささやかな恩恵である、甘みのある小麦粥(ポリッジ)をすすりこんだ。


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