番外8 <歌う密偵> (中編)
1.
<九龍廃塞>は、きわめて奇妙な特徴を持つゾーンだ。
華国でもかなり南に寄った海岸沿いに聳えるその古の城塞は、伝承によれば、古アルヴ族が築いた古代の総督府だったという。
その後、アルヴが種族として滅び、亜人が勃興するにつれ、この城は亜人から逃れる<大地人>たちの拠点として機能したという。
そうした城がいつ人々から見捨てられたか、この廃塞に住む古老ですら知るものはいない。
それだけなら、アジア色豊かな一風変わったゾーンというだけのこの場所には、他のゾーンにはない奇妙な特徴があった。
「ねえ、なんでこんな場所に<大地人>は住んでるの?」
近づくのも嫌だとばかりに召喚獣、<白骨羆>に戦わせながら、即席パーティの一人、<召喚士>のイェンイは呟いた。
小声ながら、その声にはうんざりとした調子がたっぷりと込められている。
彼女の目の前で、<巨大蟲>が、ぐちゃ、と嫌な音を立てて潰された。
「知るか。本人たちに聞け」
魔法を使わず、護身用の戒刀をひらめかせてムオチョウが同様の声音で答える。
その向こうではズァン・ロンが剣を振り回して、さらに寄ろうとする蟲たちを牽制していた。
「本当に、よりにもよってダンジョンに住むとは、華国人とは面白い」
ポロン、とリュートを爪弾いて一行の最後の一人、ユーリアスが一人ごちる。
戦っている周囲に比べ、ずいぶんと浮世離れした行動に見えるが、彼の奏でる調べは、一音節ごとに確実に音符をモンスターに叩きつけていた。
吟遊詩人にしかできない、破壊力を持った音による攻撃なのだ。
「ここにいるのは華国人でもかなり特殊な部類に属する人々だ。一括りにしないでくれ」
やがて、何十度目かわからない虫たちの襲撃が終わり、それぞれの武器を腰にしまって4人は再び歩き出す。
疲れを知らない<冒険者>でありながらいささか息が荒いのは、何も苦戦していたからではなかった。
「3人とも、大丈夫か?」
「ああ、なんとか」
一行の中ではもっとも頑強そうなズァン・ロンの心配そうなまなざしに、ムオチョウは残る3人を代表して答えると、この中では唯一華国生まれではない<吟遊詩人>に説明の続きをし始めた。
あちこちにある、ボウフラの湧いた水溜りを避けるように歩きながら、身振り手振りを交えての講義だ。
「この<九龍廃塞>がいつごろ砦としての役割を終えたのかは分からない。
少なくとも、この地域が実装されたときにはすでに今のような状態だった。
ここの特殊なところはな、ユーリアス。
ここはさっきみたいな蟲系、アンデッド系、亜人系のモンスターが出てくるし、奥にはレイドランクのボスである九龍がいるにもかかわらず、同時に<大地人>の居住ゾーンでもあるんだよ。
さすがに<大神殿>はないが、銀行ならあるぞ」
「<大地人>は襲われないのか?」
「よそ者は襲われるさ」
ユーリアスの問いかけにムオチョウの代わりにぼそりと答えたのはズァン・ロンだ。
抜き身の剣を肩に担いだ格好のまま、にこりともせずに続ける。
「どういう理由か知らないが、この<廃塞>に代々住んでる奴らはモンスターに襲われないんだよ。
何らかのアイテムによるんじゃないかと言われていた。
俺たち華国の<冒険者>の中には、ここに住んでみたいという奇特な連中もいてな。
そいつらのために、ここのゾーンを一部購入可能にするんじゃないかっていううわさもあったほどだ」
「なるほど」
屋内だから当たり前だが、昼なお薄暗い街路を歩きながら、そんな言葉を<冒険者>たちが交わす間にも、<廃塞>の街路は、彼らにとっては実に奇妙な光景を周囲に映し出していた。
ジジジ、と芯の焦げる音がする、あちこちに灯されたボロボロのランプ。
チカチカと、まるで蛍光灯のように明滅するのは、どこかの<道士>が点けた<魔法の灯火>だろうか。
あちこちにはボロボロの家具や用途もよく分からない道具がうずたかく積まれ、どこか近代的な風情を持つ建物には、あちこちに中華風の窓が設けられている。
街路には漢文に似た華国<大地人>の言葉で書かれた看板やのぼりが揺れており、縁側でのどかに麻雀らしい卓上遊戯をする老人の足元を、人肉を食べる<巨大蟲>がガサゴソと這っていた。
「実に興味深い場所です」
ものめずらしげに周囲を見るユーリアスに、無感動な視線を向け、ズァン・ロンが嗜める。
「ここの連中は俺たちに敵意を持ってはいないが、友好的でもない。
あまり目立つ行動は控えてくれ」
「確かに、もうここに潜って随分になるのに、ほとんど<大地人>から話しかけられないわね」
イェンイが言うと、ズァン・ロンはむっつりと頷いた。
「ここの連中にとっちゃ、よそ者よりその辺で死肉をあさる蟲のほうがよっぽど気安いのさ。
レンインお嬢さんに命じられたから案内まではするが、俺はここの観光ガイドじゃない。
変な行動を取れば見捨てるからな」
そういってすたすたと歩き出すズァン・ロンに、ムオチョウは軽く肩をすくめてついていく。
それにつられるように、残り二人も無言のまま後に続いた。
◇
<九龍廃塞>は規模で言えばかなり広大なダンジョンだ。
現実世界の香港、その半分におけるほぼ全域と言えば、その広さは想像がつく。
実際、一日歩きとおしてなお、まだ目指すべき場所の半分ほどしかたどりつけていなかった。
胡散臭い老人の経営する宿屋―そんなものがダンジョンの中にあることにムオチョウたちは驚いたのだが――の、饐えた匂いのするベッドの置かれた一室で、4人は今後の打ち合わせをしていた。
「とりあえず、このまま進めば明日の夕方あたりには目的の占い師のいる辺りにつくはずだ。
会えるのはおそらく明後日になるだろう」
そういうズァン・ロンは、宿屋の中であるにもかかわらず鎧を着たままの完全武装だ。
残る3人も、めいめい武装を解かないままで頷きを返す。
「扉には<白骨羆>、窓には<吸血鬼の下僕>を貼り付けておくわ」
「頼む。どうやらここは、<大地人>が住んでいてもやはりダンジョンらしいからな」
イェンイが召喚獣を呼び出す間、ムオチョウは意味ありげにユーリアスを窺った。
その目に、ズァン・ロンが仏頂面のまま問いかける。
「俺は外に出たほうがいいか?」
「……頼む、ズァン・ロン」
「わかった。扉の外にいる。終わったら呼んでくれ」
若干申し訳なさそうなムオチョウに、ズァン・ロンが立ち上がる。
「お前らが何か俺の知らない任務を帯びていることくらい分かる。
俺がお嬢さんからそれを聞いていないということは、俺が知らなくていいことなのだろう。
気にするな」
「すまない、ズァン」
バタン、と扉が閉まり、部屋に3人だけが残される。
あの日、幇主たちと同席して話を聞いていた面々だ。
しばらくすまなそうに、閉じた扉を見ていたムオチョウは、さて、と目をユーリアスに向けた。
その視線に、飄々とした<吟遊詩人>の顔もさすがに固く強張る。
「この場は一応、俺たち3人だけだ。すまないが、聞かせてくれ、ユーリアス。
ヤマトで何があったのか、そして君の告げた事は事実なのか、どうかを」
ぱちぱちと、天井に吊るされたランプが頼りなげに揺れた。
◇
ムオチョウはそもそも疑問に思っていた。
ユーリアスの告げた魂と肉体の連続性に関する問いかけは、確かにムオチョウ自身感じたことがあるものだ。
いや、考えざるを得なかった、と言い換えてもよい。
自分は果たして自分なのか。
過去、肉体を他人と取り替えたという人間が存在しない以上、それは結論の出ない命題だった。
そして、魂だけの亡霊ではなく、現実に<冒険者>という肉体を得ている彼らかつてのプレイヤーにとっては、現実へ帰還するという目的を果たすためには、いつか答えを見つけなければならない命題でもあった。
そのための、ほんのわずかな手がかりが『死ねば地球の記憶の一部を失う』という厳然たる事実だ。
姿も、声も、時には性格そのものすら、<冒険者>としての自分に引っ張られつつある多くのプレイヤーにとって、現実世界の記憶というのは、唯一残された、自分のアイデンティティだ。
ユーリアス――彼が所属しているというヤマトの組織、<望郷派>は、そのわずかな現実とのつながりをすべて捨て去ることで、現実に帰れるという。
きわめて逆説的で、時に荒唐無稽にすら聞こえるが、ムオチョウにはその暴論のような論が、妙に魅力的で説得力のあるもののように聞こえていた。
だからこそ、問いたい。
自分と、おそらくは同程度以上には理知的に見えるこの<吟遊詩人>の、飄々とした風貌の裏に隠された、本当の目的を。
だが、ユーリアスが口を開いたとき、そこから出てきたのは今までもそうだったように、ムオチョウが望む答えではなかった。
「それを聞いて、どうしようというんです?
私が『そのとおりだ』といっても『本当は違うかもしれない』と言っても、あなたの疑問は消えないでしょう。
ヤマトで<冒険者>がそう考えるにいたった経緯を聞いたとしても、あなたにはそれは納得のいくものではないでしょう。
キリスト教徒も言っているではありませんか、『信じるか否か』だと」
「であれば、君はただ自分たちの信条を広めるために来た宣教師だとでも?
それは単なる悪質なデマの流布にしか過ぎないと、君なら分かるだろうに」
苛立たしげに答えるムオチョウに、ユーリアスはあくまで涼やかな表情を崩さない。
後ろでイェンイが心配そうに両者を眺めているのが見えた。
「君の布教が成功した先の地獄が見えないわけじゃないだろう。
<冒険者>の秩序はまさしく崩壊するぞ。誰もが死ぬためだけに死ぬようになる。
危ういところでバランスを保っているこの世界の秩序は壊れ、<大地人>は庇護者を再び失って絶滅への道を歩むだろう。
そんな世界の果てに、元の世界に戻れる道があると言うのか?」
「われわれプレイヤーにとって、この世界はあくまでゲームだった世界。
ゲームが終われば世界は滅ぶ。そうして人は現実への家路につく。
そう考える人も……いないわけではありませんね」
「暴論だ!!」
ついに激したムオチョウは叫んだ。
「それは、目の前にいる人々を見捨てると言うのと同義だ!
君は目の前にいる飢えた子供に、お前は別の世界の住人だから勝手に死ね、と言い切れるのか?
……確かに、俺もこの世界の<大地人>には思うところはある。
もうほうっておこう、と自分の幇主に進言したこともある。
だけど、やはり彼らは人間なんだ。
俺たちも人間である以上、彼らを見捨てることはできない。
もし……見捨ててしまったら、それこそ俺たちはモンスターと何が違うと言うんだ?」
はあはあ、と息を荒げるムオチョウを黙って見つめてから、ユーリアスはついと目をそらした。
「私は、今のギルドに入る前に、別のギルドに所属していましてね」
「はあ?」
いきなり話を変えたユーリアスに、また煙に巻くのかと言った調子でムオチョウが問い返す。
だがそんな彼を知らぬ気に、彼は夜でもランプで薄明るい、窓の外を眺めながら続けた。
「あなたの今の言葉は、当時の私のギルドマスターの声によく似ている。
彼――今は彼女ですが――も、なんのかんのと文句を言いながらも、人のために助力を惜しまない人だった。
もし彼女が、今の私の姿を見たら、きっと苦笑するか激怒するか―激怒するでしょうね、多分。
『何やってんだ、お前、頭は大丈夫か?』などと失礼な心配をするに違いない」
「……それが今の話と何の関係があるんだ」
「……私と彼女は、今はある意味では敵同士に近い間柄ですが、私は今でも彼女の副官、第二席のつもりでいます。
……今、言えるのはここまでです」
「それは」
「もうひとつ。私は今は名目上、<望郷派>に属してはいますが、個人的に彼らの考え方には賛同していません。
その上で、私はここに来た。彼らの主張を、あなた方に伝えるために。
それが、今の目的です」
そういって押し黙ったユーリアスの手が不意に動いた。
重々しい旋律が、手にしたリュートからあふれ出す。
その音を聞きながら、ムオチョウはこれ以上問い詰めても無駄であることを悟っていた。
彼の真の目的は依然として分からないままだが、少なくとも意に沿わぬ役割にしたがってこの華国へわたってきたことだけは分かる。
そもそも、<召喚士>――<召喚術士>ではない彼が、サーバを超えて渡ってくること自体がそもそも異常なのだ。
彼が帰るためには、かのレンインも使ったと言う、細々とした交易船にその身を預けるか、
いちかばちかどこかの<妖精の輪>から飛ぶしかない。
何らかのアイテムによる移動ができるならまだしも、そうでなければヤマトの塩海は、あまりに広い障壁なのだった。
「……分かった。もう遅い。ズァンも待ちくたびれているだろう。明日にしよう」
そういって、憤懣やるかたない気持ちのままに、ムオチョウは扉を開けたのだった。
2.
「ここだ」
そういってズァン・ロンが指し示したのは、もはや帰り道も分からなくなるほどに細く折れ曲がった街路の果て、とある行き止まりの通路の奥だった。
一見すると、それまで歩いてきた道と変わりなく、乱雑な中華風のあれやこれやが道の両端にあふれ出た、<九龍廃塞>のどこにでもあるような、ちょっとした街路だ。
だが、ここが<廃塞>のかなり奥まった場所であることに気づいたムオチョウは、わずかに語尾を震わせてたずねた。
「まさか、<九龍>のいるあたりじゃないよな」
「安心しろ。ヒドラはもっと奥にいる」
そう答えると、ズァンは路地の奥にある小さな看板の前でどかりと座り込んだ。
「俺はここで待っている。後は3人で行け」
「だが、ズァン」
「俺はただの道案内だ。ここの占い師に何を聞くのか、何を答えてもらうのか、それは俺の知ったことではない。早く行け。ほっといたらモンスターが湧くぞ」
「そうか。ズァン、すまない」
頭を下げたムオチョウたちに、ズァンは初めて無骨な顔をほころばせた。
「人にはそれぞれの役割がある。気にするな」
その声を背に受け、3人は歩き出した。
ふと隣を見たムオチョウは、ユーリアスの顔がかつてないほどに緊張に引き締まっているのが見えた。
飄々としたいつもの顔はそこにはない。
まるで、困難な大規模戦闘に挑むかのように、その目は鋭く前方を睨んでいた。
◇
中華風の暖簾をくぐった中は、それまでの薄暮のような光がうそのように真っ暗だった。
あまりの暗さに、廃墟に間違えて入ったのかと一瞬ムオチョウが思ったほどだ。
だが、廃墟でないことの証明のように、闇の奥でぽう、と淡い光がともる。
無機質なそれは、魔術師ならば誰もが使える基礎的な特技である<魔法の灯火>だった。
「<占い師>のリャンユエさんですね?」
「いかにも」
のろのろと姿を現したのは、顔を皺と髭で覆いつくしたような<大地人>の老人だ。
ステータス画面にはリャンユエ、<道士>、45レベル、とある。
その老人はのろのろと手にした<魔法の灯火>の灯る棒を立てかけると、ようやく見えてきた店内の奥、居場所らしい椅子に座った。
身振りで着席を促す彼に、ムオチョウとイェンイが恐る恐る座る。
それを見て、廃墟の亡霊めいた老人の顔がかすかに揺れた。
どうやら笑ったらしい、と気づいたのは、その口から声が漏れてからだ。
「<冒険者>とは随分久々の客じゃな。何の用じゃね?」
「卜占を頼みたい」
「ふむ」
リャンユエは、ムオチョウの言葉に頷くと、いつ手にしたのか、細い木の棒をしゃらしゃらと揺らした。
古代中国以来、この世界にいたるまで華国で用いられている易占のための棒だ。
「何を占うのかの?」
「私たち<冒険者>が元の世界に帰る為の方法を、占ってほしい」
「ふむ」
イェンイの言葉に応答するように、再び棒がしゃらりと鳴る。
「占うのはよいが……占ってどうするのかの。
占いとは予言ではない。易の卦が必ず未来を指し示しているとは限らぬ。
信じるも信じぬも、結局はそなたら次第。
それでもよいのかの」
「かまわない」
ムオチョウがはっきりと頷くと、ややあってリャンユエは目を伏せた。
どこかの神に祈っているのか、何かを口の中でぶつぶつと呟き、手にした棒をちらりちらりと見ては、目の前の机に碁石に似た黒白の石を置いていく。
奇妙に静かな時間がしばらく流れ。
机が石で溢れ返ったころに、リャンユエは伏せていた目を上げた。
奇妙におびえたような、その目にかすかな違和感をムオチョウは感じ、ふと手元の杖を傍らに寄せる。
「卦ではの」
老人が何を言おうとしたか、ムオチョウは永遠に聞くことはできなかった。
リャンユエが何かを語ろうとした、その刹那、その細い老体に無数の音符が叩きつけられたからだ。
「っな!?」
椅子から立ち上がることすら、ムオチョウにはできなかった。
信じがたい思いでムオチョウが振り向いた、その視線の先。
<大地人>の老<道士>をその特技で殺した男は、奇妙に静かな目を死せる老人に向けたまま、微動だにしなかった。




