84. <仮想と現実>
総集編をさせたかったのですが、思い切り別方向に飛びました。
以前ある方と飲んでいて、
「なぜユウはもともとしてもなかった殺戮を躊躇なくできるのか?」
という疑問が湧いたもので。
1.
私は、落ち着いた毎日を送っています。
アキバのほうは色々と多事多端のようですけど、遠く離れた北欧サーバでは、まるでそれらは別世界のよう。
時折、<大地人>の方に会いに行く以外は、朝起きたら素材を取りに行き。
昼前に戻ったら今度はひたすらそれらを調合する。
日々をすごしていくうちに、自然と私と私の同居人――<暗殺者>のユウさんとの役割分担は明確になっていきました。
ユウさんが手持ちの素材から新しい毒のレシピを作る。
私は<調合師>として、そのレシピを改良したり、さらに何か効果をつけられないかということを考える。
そして、既存レシピを用いた毒の量産も私の役目です。
私が使役する<巨人>や精霊たちは、倦むことなく作業に没頭してくれていました。
結果として、遅くはありますが確実に、ユウさんの毒は増え続けていきました。
時折、私を早めに寝かせる夜もあります。
そんな時、薄目を開けて彼女を見ると、そこには私といたとき以上に真剣な顔で、調合器具に取り組むユウさんの姿がありました。
あれは調べてはいけないものだ、と私の頭が考えます。
あれが、本当の意味でのユウさんの奥の手、誰にも知られてはいけない、彼女の必殺武器なのでしょうから。
そして、夜になると物語が始まります。
伴奏も詩人の声もないけれど、それはまさしく、一人のプレイヤーがこのセルデシアで為してきた
ひとつの物語でした。
笑いもあり、泣くこともあり、時に理不尽だなと思うこともありましたが、毎夜私はその物語に引き込まれてしまうのです。
ただ、ひとつ。
私が納得できないものを除いて。
だからこの日、私はふと尋ねたのです。
◇
「ユウさんって、一人で戦ってきたわけじゃないですよね」
「え?」
それは、ムナカタからユフ=インを経て、アキバに戻った後のことを話している途中のことでした。
たった一人でヤマトを出ようとしていたときの話をさえぎった私に、ユウさんは虚を衝かれたような顔で口を止めました。
一人で旅に出たい。
アキバにいてはいけない。
仲間のいない自分は外に出なければ。
そう呟くユウさんの顔は、ぞっとするほど虚無的で。
まるで、最初にこの人を見たときに感じた印象、<魔女の亡霊>そのものでした。
それは、話す内容にも現れていました。
ユフ=インで、幻覚をもたらすユニークオブジェクトに立ち向かったときのユウさん。
アキバで、あの有名な<氷の殺人鬼>エンバートと戦ったときのユウさん。
カシガリの洞穴まで遠征して、<鏡像>と戦ったユウさん。
エンバートとの戦いは別として、ほかの二つの戦いには仲間がいたはずです。
ですが、話を聞いているうちに、まるで仲間など最初からいなかったかのような、
そんな印象を持ってしまうのです。
私が、戦った。
私が、倒した。
私が、傷ついた。
まるで世界には自分と敵しかいないかのような、そんな語り口調でした。
だけど、私は知っています。
クニヒコさんとレディ・イースタルさんが、どれほど彼女の帰還を心待ちにしているか。
テイルザーンさんが、一緒に戦った思い出を大事にしているのか。
レンイン教主が、再会の日を楽しみにしているのか。
ティトゥス軍団長が、ヤマトへ渡った時に「あいつのおかげだった」と喜んだのか。
私は記者です。
取材対象に、特定の感情は持たないよう学びましたし、そう心がけています。
だけど、今だけは。
彼女に対する反感を、抑えきれない。
「ユウさんは、一人でずっと戦ってきたんですか?」
「ああ、そうだけど」
それがどうした、という口調が、なおさらに私をいらだたせました。
だから、私は彼女の声を遮ったのです。
「違いますよね? ほかの人もいましたよね」
「そりゃいたけども、私の戦い方は」
「ほかの人がいないと、戦えなかったんじゃないですか?」
「……何が言いたい」
上機嫌だった目が、一瞬ですっと細まりました。
怖い。
人殺しに躊躇いを持たない人の目は、同じ生物とは思えないほどに無機質です。
<調合師>である私を殺すことはない、と頭でわかっていても、それでもと思えてしまう怖さです。
ですが私は声を抑え切れませんでした。
「ユウさん。あなたは間違っていると思います。
行動ではなくて、その行動を自分でどう思っているか、それが間違っていると思います。
あなたの刀は、多々良さんやアイザックさんの贈り物ですよね。
あなたにとっては、正当な代価を支払って、あるいは自分が望まずして得たものかもしれません。
ですが、その刀をあなたに託した意味、あなたに望んでいたことを、考えてないんじゃありませんか?
ほかの人もそうです。
クニヒコさんやレディ・イースタルさんが、どんな思いでフレンドリストのあなたの名前を見ていると思うのですか?
レンインさんたちは、どんな気持ちで処刑されるあなたを見ていたと思っているんですか?
あの人たちにとってあなたは、かけがえのない仲間だったと思います。
あなたにとってあの人たちは何なんですか?
ただすれ違っただけの他人ですか?」
「私に、どんな答えを期待している、新聞記者。
仲間の応援を受けて、見知らぬ土地に出る美談の主人公にでもしたいのか?
それとも、ここで『仲間たちのおかげで私はここに立っている』なんて言わせたいか?
そんな御伽噺が好きなら、好きに作って書くといい」
ぞっとする声でした。
ですが、その声そのものが、彼女の内心をあらわしていると私は感じていました。
「あなたも内心でわかっているはずです、ユウさん。
本当にあなたが一人だったら、この場にいないし、私に協力させようとも思わなかっただろうと。
あなたは、自分の『孤高の毒使い』というイメージを守りたいだけです。
それによって振り回されている人のことも、自分自身のことも、本当はわかっているんじゃないですか?
そうでなければ、ヤマトを出るとき逡巡したりしなかったんじゃないですか?」
人の顔色が変わる、という瞬間を、私は始めてまじまじと見ました。
白いユウさんの顔が一瞬でかあ、っと赤く染まり、続いて一気に青ざめ、
次の瞬間、私の首の皮ぎりぎりに、抜き放たれた短剣がありました。
「よくよく、新聞記者という者は、人の気持ちを好きなように詮索したがるようだな。
人のことを考えろという割りに、気分を土足で踏み荒らされた相手の気持ちを考えたことはあるか?」
「あります。申し訳ないとも思います。
でもあなたのことを各地で話した人たちの気持ちにあなたが気づかない振りをしていることを認めることは、それよりもっと申し訳ないと思っています」
「だからご丁寧に説教を垂れてくれると? アキバの<冒険者>ごときが」
話す中でも、短剣の刃はぴたりと止まって動きません。
そのことに一抹の安堵を覚えながら、私はなおも彼女の顔を見上げました。
怒りに満ちたその瞳の奥で、わずかに何かが揺れていました。
2.
何が偶然に出会った、だ。
私の心は怒りに満ちていた。
目の前の女――ミレルは、私以上に私の旅のことを良く知っていた。
クニヒコ、タル、テイルザーン、ジュラン――ヤマトで会った<冒険者>だけではない。
ユフ=インの領主やセルジアッド伯、イチハラの連中のような<大地人>。
それだけでなく、華国の連中まできちんと話を聞いていた。
私に会う確率なんて、0に近いはずだから、私のことだけでなく、ヤマトの外にいる<冒険者>にかかわった人間のほとんどの情報を得ているのだろう。
おそらく、それらは一人で聞きまわったのではなく、情報を<ロデリック商会>―すなわち<円卓会議>に集め、分析し、統括して各人に配っているはず。
アキバは、ミナミと遠からず対決することになるだろう。
そのとき、在外の日本人プレイヤーをアキバに引き寄せるための策と思えた。
だが、ことその策は、私に限っては失敗だ。
目の前の女を、私は殺したくてたまらない。
「あなたがイチハラに逃れられたこと、その後ザントリーフ戦役に参加したこと、
そしてその刀を得てヤマトの外に出られたこと、華国で大乱を起こしたこと、
それらすべてはあなた一人の力ではなくて、協力してくれた人たちの力でしょうに」
目の前でぺらぺらと回る舌が、容赦なく私の内心を傷つける。
そう、傷ついているのだ。
内心で、彼女の言っていることが正しいと思えるから。
だが、それを認めては私は動けなくなる。
まるで幼児が母親の元へ帰るがごとく、居心地のいい仲間たちの下へ帰りたくなる。
私は、そう思いながら、必死で反論の言葉を探し続けた。
不思議なことだ。
今まで反論に窮した相手には、刃で返してきたというのに。
ふと、声が蘇った。
『八つ当たりって、格好悪いですよね。みっともない』
アキバを率いているであろう、<付与術師>の青年。
『でも、今はもうゲームではないですにゃぁ。考え方は変えていかないといけませんにゃ』
その青年を後ろから支える、ベテラン<盗剣士>の男。
『ユウ!!偽りの現実に逃げるな!!』
目の前の少女と同じ新聞記者だった、長年の友人。
『……俺たちにできることは、もうないか』
白銀の山嶺に共に挑んだ、異邦の騎士。
そして、泣き崩れながら見送った、自分よりはるかに年少の肩に重い十字架を背負った少女の顔。
そうだ。
彼らのかけてきた声、向けてきた顔、それらは誰に向けられてきたのか。
自分だ。
孤高を気取る、ただの人嫌いだったはずの自分への言葉だ。
その声は、何を意図して向けられたのか。
そう思い至ったとき、私は思わず短剣を下ろしていた。
◇
すさまじい重圧が消えたように思えました。
ユウさんが短剣を下ろしたときです。
向けられた、単純明快な殺意のベクトルが揺れて乱れ、彼女の中でぐるぐると回っている。
そう思えました。
「ユウさん?」
俯いていた彼女が、次に顔を上げたとき、その顔にははっきりとした苦笑が浮かんでいました。
「あんた、何歳だい?」
「19……もうすぐ二十歳ですけど」
奇妙な問いに答えた私に、彼女は苦笑をますます深め、短剣をゆっくりと鞘に収めました。
「20か。自分の年の半分しか生きてない子供に教わるとは……まだまだ至らないね」
「ユウさん?」
「ありがとう。あなたの言ったことは正しい。
向き合うことが怖かっただけなんだ。
私は対人家で、仲間と一緒に何かする、といったことはあまりしなかった。
周囲もそういう私を評して『ユウ』というキャラクターだと認識していた。
この<大災害>で、現実と仮想の壁が取っ払われたとき、
私は自分の存在意義を守るために、仮想だったはずの『ユウ』に固執した。
『ユウ』の仮面をつけ続けることで、自分を守ろうとしたんだ。
私――本当の私は、何のとりえもない人間だ。
資格があるわけでも、身体能力に優れているわけでも、手に職があるわけでもない。
仲間と一緒に仕事をしないと、自分の食い扶持すら稼げないような人間だ。
そして、家族がいなければ、絶望で自殺しているような人間だった。
だから、私は私ではない、一人でも強い、一人に慣れた『ユウ』でいたかったんだな」
目が不思議なほどに穏やかな、目の前の<暗殺者>を見て、私は悟りました。
これが彼女の――ユウという鎧を脱いだ本当のこの人の目なのだと。
どこかで、梟の鳴く声がしました。
こんな北の島にもいるんでしょうか。
私は、更けていく夜をどこか別の世界のように感じながら、ユウさんの独白を聞いていました。
彼女の語る『自分を守るための鎧』は、おそらくこの世界のプレイヤーの誰もが持っています。
ある人は、『仲間から頼られるギルドマスター』という鎧。
ある人は、『仲間と一緒にこの世界を生きる』という鎧。
与えられた立場、環境、そうしたもので、<冒険者>たちは、失われた世界に対する自分の立ち位置をはっきりさせてきたと思います――例外なく。
それがこの人の場合、『孤高の<ユウ>』だったのでしょう。
なぜ、彼女が多くの人を手にかけたか。
なぜ、彼女が平気でむごたらしい暴力に手を染められたか。
なぜ、華国で彼女が人類に背いたか。
その答えは、『ユウならそう思うだろうから』というものだ、と彼女は話しました。
自分を守るために分厚く着込んだ鎧に、いつしか操られ、
鎧の命じるままに自分を枉げていく。
誰もが大なり小なりそうしたところがあって、でもユウさんの場合、元の世界の自分とセルデシアの自分ではあまりにギャップがありすぎた。
「私は……元の世界では大学生でした。親とはなれて一人暮らしをしてて、親しい友達も遠距離で、彼氏もいなくって……元の世界にあったのは親とのつながりだけでした」
私の独白に、ユウさんは静かにうなずいて聴いてくれています。
「この世界でも……あんまり自分を取り巻く状況って変わっていなくて。
むしろ、今まで声とゲーム画面のつながりだけだった友達と一緒にすごせるようになって、
たぶん、少しうれしかったんだと思います。
私は、私の<現実>の延長線上にミレルという人を作ることができた」
「廃人、と呼ばれる人もそうだろうね。元の世界でのしがらみが少なく、<エルダー・テイル>でのしがらみが多ければ多いほど、この世界に適応するのは簡単だ」
「あなたは、違ったんですね」
「ああ、違った」
肩をすくめてユウさんは言いました。
「私は、元の世界の鈴木雄一として大事なもの、守るべきもの、救うべきものが多すぎた。
そして、20年やってきたとはいえ、ユウというキャラクターにはしがらみが少なすぎた。
タルのように、まるで衣装を脱げなくなった俳優のように、割り切って素と演技を混ぜて話すほどの勇気もない。
この世界で一から仲間を作るほどに、心が若く冒険的でもなかった。
所詮、私もこの世界を仮初のもの、一時的にすごしてさっさと出て行くだけのもの、位に思っていたんだろう。
だからこの世界で深く人と付き合うのが怖かった。
もし、現実に戻れたとき、この世界は絆を失われる。
その喪失感を、二度も味わいたくなかったから」
◇
寝入ったユウさんの横で、私はじっと考えていました。
この世界から、元の世界に帰還することはできるのか。
そして、そのとき、<ミレル>として培った<冒険者>や<大地人>との絆がなくなって、
私はどう思うのか、と。




