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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第6章 <傷ある女の修道院>
116/245

83. <毒使いの夜>

めっちゃ長いです。

1.



 カツン、カツン。


石畳に金属が打ち付けられる規則的な音が響く。


カツン、カツン。


それは律動的であったが落ち着いていた。

ほんの数日前まで騒がしく石畳を鳴らしていた、賑やかな喧騒は、最早ない。


人気の消え果てた、この間まで<傷ある女の修道院>と呼ばれた建物は、ほんの刹那の間迎えた住人を喪い、再びかつての姿、訪れる人もない静寂の廃墟へと戻ろうとしていた。

そんな、明かりひとつない荒涼とした回廊を歩く人影がある。


もし、誰かがその光景を見たならば、おそらく悲鳴を上げて逃げ出すか、気絶するかするだろう。

ポウ、と虚ろに浮かび上がるランプに顔の下半分を照らされ、闇から浮き出たような黒い装束をまとい、片手に人の頭蓋骨を抱えた、黒髪の女。

できの悪いホラー映画の悪役でも、もう少し気を使うだろうという光景だ。


ユウである。


ロージナたちと別れ、宿営地を探しに帆を張った、妙によそよそしくなった<大地人>とも別れ、

彼女は一人、宮殿をさ迷い歩く亡霊のような格好で残っていた。

手入れがされなくなった回廊に、巻き上げられた埃が静かに舞う。

回廊から見える中庭は、ミリアムたちの丹精の甲斐あっていまだ目に付く荒廃は見当たらないが

月も隠れた闇夜にあって、異常なほど不気味な陰影を見せていた。

そんな周囲の情景の中、一人<暗殺者>は、かつての修道院長(ロージナ)の私室に向かう。

その唇は、何かを渇望するように半月形に上がっていた。


カツン、カツン、と足音が徐々に遠ざかっていく。

もちろんのこと、神でも悪霊でも<辺境巡視>でもないユウは、中庭に座り込んで飢えを雑草で凌いでいた何者かが、自分を見て気絶したことなど、脳裏を掠めもしなかった。



 ◇


 それから10分後、すでに深夜に近い時刻。

ユウの姿を、かつてのロージナの私室で見出すことができる。


「あれをああやって加工することができるとはね」


ぶつぶつと呟き、薬研で採取した素材を混ぜ合わせる彼女の周囲は、確かに<修道院>だったころ最も広かった、ロージナの部屋で間違いはない。

だが、戦士らしく片付けられていながら、どこかに女性らしさを漂わせたかつての女戦士の部屋の面影は、ユウが使うようになった現在、微塵も残っていなかった。




 まず目に付くのは、壁の一面を埋めるようにうずたかく積み上げられた無数の本だ。

きちんと装丁されたものもあれば、くるくると巻かれた古代紙の巻物(パピルス)、木簡や粘土板(タブレット)、中にはどう見ても生物の皮で装丁されたようにしか見えないものまで、ある物はページを開かれたまま、あるものは栞代わりに小物をページに挟んだままに乱雑に置かれている。

あちこちにはチョークで「ここ重要」とか「配合率計算表」、「調合指針」と書かれており、

乱暴な筆致で計算式やコメントが書かれていた。


さらに別の壁に目を向ければ、そこはさらに奇怪な様相を呈していた。

まるでカーテンのように垂れ下がる、収穫された薬草。

棚に無造作に置かれた薬瓶、骨、それ以上のおぞましいもの。

壁の一面にはミイラ化された狼の部位が打ち付けられ、一角に置かれたポットでは、妙に甘ったるい臭いの液体がぐらぐらと煮立っている。

部屋はそうしたあれやこれやの放つ臭いと、締め切られた窓のせいで空気が澱み、むわっとした曰く言いがたい香気を放っていた。

辛うじて人間が生活していると思われるスペースは、狭いベッドとその周辺だけだ。

部屋全体の大きさからすれば、ごくわずかなその空間には、小さいながらサイドテーブルが置かれ、そこには煙草と思しき干した草が無造作に山を作っていた。


どこからどうみても、まともな人間の部屋ではない。

子供でなくても夜毎悪夢に出てきそうな、そこは紛れもなく『狂った魔術師の部屋』そのものだった。



だが、ユウは特に気にもせず、部屋の一角に置かれたポットを手で触ると、「熱っ」と引っ込めた。

それで大体の温度を測り、今度は別の一角に向かう。

確認した温度を腰に刀の代わりに提げられた大福帳のような分厚いメモに、さらさらと黒鉛で数字を書き付ける。

続いて彼女は懐から小さな黄金色の片眼鏡(モノクル)を取り出して掛けた。

アールジュが餞別代りに置いていった<知識の片眼鏡>だ。


ゲーム時代は『隠された文字を読むことが出来る』という一部クエストのみで使用された安価なアイテムだったそれは、<大災害>を経て、今では知らない文字や言葉の意味が理解できるようになるという、ある意味で非常に便利な変貌を遂げている。

元の仕事が絶え間ない勉強を必要としたせいか、書痴じみたところのあったアールジュが、蔵書と共にユウに贈ったいくつかのアイテムのひとつだった。

慣れない片眼鏡に目を瞬かせながらも、ユウは床の本を手に取り、注釈が一杯に入ったそれをぱらぱらとめくる。

目当てのページを見つけると、早速ユウは実験の結果をページの余白に書き込み始めた。


 ◇



 <傷ある女の修道院>の面々と別れてから、彼女が一心不乱に行っているのは他でもない。

毒の調合だった。


元々、彼女がヤマトから持参した多数の毒は、華国、ついで<サンガニカ・クァラ>に至る旅路で、

ほぼ枯渇していたのだ。

それでも毒自体は特技で生成できるが、それはあくまで代替手段だ。

元来が凝り性である彼女にとっては、修道院に残された素材を使って自力製造を果たしてこそ、

次の旅に出られるというものだった。

もともとがメーカー勤務のサラリーマンである。

調合を行ううちに、『生産管理』やら『レシピの安全性確認』やら『品質管理』やらといったあれやこれやを思い出し、ユウは早速、島を回って資材を運び込むと、ヤマトとは全く異なる収穫物の山を前に、ああでもないこうでもないと試行錯誤に入ったのだった。


こりこりと、薬研を用いて<魔狂狼の骨>を砕く。

それを事前に乳鉢で摩っておいた<水素食い>と混ぜ合わせ、小鉢に入れて静かに火種を近づける。

ぽん、とかわいらしい音と共に、骨と草の混じったそれは、一瞬で鮮やかなレモン色に染まった。

さらにそれを慎重な手つきで寄せ、置いてあったギリシア風の(アンフォラ)から、<吸血狐の唾液>を水で希釈したものを静かに注ぎ始めた。

小鉢に刻まれた刻み目は、入れる水の量をざっくりとあらわすものだ。

それが目盛り3つ分を数えた時、レモン色の粉が溶けた液体が急激にぐつぐつと滾り始めた。

小鉢の中心に向かって、僅かだが澱んだ空気が揺れる。

大気を吸っているのだ。

その瞬間、ユウは小鉢を抱え上げると、一瞬で煮えていたポットの中にそれをぶちまける。

ぼこぼこと泡を吹き出し、不吉なスパークまで生じ始めていた液体は、しかしポットの中の甘い液体と混ざった瞬間、嘘のように静まった。

しばらく、シュンシュンというポットの蒸気の音だけが、人の気配が無い深夜の修道院に響く。


きっかり50秒後、ユウはちらりとポットの中身を見て、それがどす黒い、粘性のある液体に変わっているのを確認して、ほっと息をついた。

しっかりと洗った上に、塵一つなく拭き上げた別の薬瓶に、どろりとしたそれを入れ込むと

ユウは、紙切れに<即時腐敗>と書き、キュッ、と締めた蓋の上に挟み込んだ。


また一本、毒を作ったユウは、これはロージナがいたころから使われていた、部屋の一角に置かれた棚に瓶を置いてため息をついた。


「……作業効率が悪すぎる」


ベッドに身をもたせかけ、ひんやりとした石の床にぺたりと座ったユウの口から、ため息の代わりに言葉が出た。




 ここ最近、ユウは昼間に素材や食料を得るために村を歩き回り、夜は限界まで毒を作る、という生活を過ごしていた。

ロージナたちは別れるにあたり、食事を作れないユウの為にありったけの保存食料―干し肉や燻製の魚、水気を抜いて乾燥させた小麦など―を用意してくれていたが、再び一人旅になった以上、保存の利く食料は出来るだけ確保しておきたいというのが正直な感想だ。


幸いにして、アルヴァ・セルンド島は寒帯域に属しており、そう簡単に食料も腐敗しないこともあって、ユウは、村の留守居の人間に頼み、食料や素材を分けてもらう形で生き延びていた。

だが、一日の少なからぬ時間をそうした素材収集や食糧確保に費やしているということは、逆を言えば毒の調合に向けられる時間はさほど多くないことを意味する。

ましてや、ここアルヴァ・セルンド島の素材はヤマトのそれとは全く異なる。

時にはかつて持っていた毒を再現するために、無数の試作品を作らねばならなかった。

その副産物として無数の新たな毒も開発されており、そちらも量産化の目処をつけたい。


そうした試行錯誤と研究開発、さらに海豹などを用いた実験と検証、書物からの情報収集などを加味すると、とてもではないが時間が足りなかった。


「せめて、レシピと素材が十分なものを自動調合する装置でも作れればいいんだけど」


手に入る当ても無いものへのボヤキが、空気の止まった部屋に篭る。

一人の人間が手作業で作るには、毒製造とはあまりに手がかかりすぎ、生産効率の悪すぎる作業なのだった。


素材を入れれば自動で毒が作成され、ベルトコンベアで持ってこられた瓶に自動的に充填されていく。

そんな妄想を、ユウは数日前現実に行おうとしたことがある。

その結果は、修道院の聖堂と見張り塔、さらにはいくつもの部屋や壁を巻き込んでの大爆発だった。

生産職でもないユウが適当に作った装置がまともに動くはずもなく、それでも無理に動かしたおかげで、いくつかの毒が混合して爆燃現象を起こしたのだった。

爆発と同時に発生した毒の煙がユウの息の根を止めなかったのは、単に彼女が風上にいたからに過ぎない。

結果として、彼女は自分の手でせっせと作るしかなくなったのだった。


さらに4本の毒を作り終え、ユウはしぱしぱする目で棚を見た。

まだ少ない。

ヤマトにいたころはというと、イチハラの村や旅の途中で寸暇を惜しんで作っていた毒だ。

だが、嵐のような大陸での旅の合間には、そんな暇などありはしなかった。

いまさらながらに、『ゲフィオン』だったころに毒の作成を思い出さなかったことが悔やまれる。


(まあいい。過去を悔やんでも始まらん。とりあえず作れるだけ作って寝よう)


そう思い、ユウがのろのろと体を起こしたとき、かすかな音が聞こえた。

動物ではない。風鳴りでもない。

人の声だった。



 ◇


 ミレルは声も出せない恐怖というものを、初めて知った。

<大災害>以降、恐ろしい目には何度も遭っている彼女だ。

剣を振りかざす敵に、必死で呪文で応戦したことも何度もある。

だが、一目見ただけで気絶するほどの恐怖は、この夜が初めてだった。


元の自分の体と比較すれば哀れなほどに小さい、今の手足を見下ろす。

冷え切って、硬く強張ったその四肢は、いまだに回廊を歩く魔女を見た衝撃に震えていた。


(ヤバいヤバいヤバい、ここはアンデッドのゾーンだったんだ!)


脳内で絶え間なく響く警鐘に従い、必死で逃げ道を探すが、空腹で鈍った頭は、正しい道を指し示してはくれなかった。

そもそも、外は曇りの暗夜だ。

いかにも怪物が闊歩しそうな、その暗さに、残り少ない理性ががりごりと削られていく。


(……あ)


そのとき、闇に慣れた目に、ふと明るい光が飛び込んだ。

それは、何があったのか無残に半壊している建物の、窓のひとつから微かに漏れている。


(光だ)


闇、アンデッド、敵。

光、アンデッドは光が苦手、味方。

彼女の仲間がここにいれば全力で突っ込みたくなるような、至極単純な二元論の後、彼女はまさに誘われるようにふらふらと、その光に向かって歩き出した。


一般的に。


廃墟の中にひとつ明かりを放つ建物があった場合、そこに無条件の味方がいる可能性は、ごく低い。




2.


 ユウはゆっくりと刀を腰に提げると、扉を静かに開けた。

目に見える範囲に、動くものの影はない。

ちらりと部屋の中に置かれた毒の瓶を見るが、彼女はそのままゆっくりと廊下に出た。

何が来ているのか分かったものではないが、少なくとも無抵抗のまま殺されるようなつもりはない。

むしろ格下の相手に対し、貴重な毒を使いたくなかったのだ。

部屋に置いてきたランプの代わりに、小さく<疾刀・風切丸>を抜く。

かすかに鞘から漏れた青い光が、人のない修道院を寒々しい光で映し出した。


(何者だ)


可能性として考えられるのは4種類だ。

まずは、野生動物が迷い込んだというもの。彼女自身の自業自得の行動によって、城壁ごと半ば吹き飛んだ修道院は、いまや防壁という概念そのものがない。

だが、人の声に似せた鳴き声を持つ動物など、このアルヴァ・セルンド島にはいない。

二つ目は、村に残った<大地人>の誰かというもの。

だがこれも否定できる。彼らは決して、夜の修道院にやってきたりはしない。

三つ目、叩き出した男<冒険者>たちの復讐というのも考えたが、そもそも彼らがやってくるには早すぎるし、その中に女性はいないはずだ。



問題なのは四つ目だ。

ひとつ、この島にいないモンスターが上陸した。

あるいは。


「元が打ち捨てられた女神の廃神殿だからな。何かのきっかけで、封じられたモンスターが現れて呼び込まれた、というのもあり得るな」


廃神殿に封じられた神、といえば、ユウの腰にさがる<蛇刀・毒薙>、その素材になった<堕ちたる蛇の牙>自体、そうして生まれた神からドロップしたアイテムだ。

信者を喪った女神が敵になって蘇る、というのはありがちなクエストである。

加えて、ユウには『何かのきっかけ』の心当たりもあった。

世の中、神殿のほぼ半分を消し飛ばされて怒らない神はいない。


ユウは慎重に周囲を見回しながら進む。

毒を持ってこなかったことが悔やまれるが、いまさら仕方もない。

激戦を半ば覚悟して、ユウが足を進めたときだった。


「ん? ……うわっ!!」


何かやわらかいものを踏みつけ、ユウは思わず転んだ。

したたかに打ち付けた顔面から火花が飛ぶ。


「な、なんだ!?」

「ぐえええええ」


ありえない感触に、思わずユウは転がって呻いていたその物体を蹴り飛ばした。

ドゴ、と壮絶な音とともに壁にめり込んだそれを、殺意をこめた視線が追う。


「……兎、だと?」


そう。

ユウに踏まれ、あまつさえ問答無用に蹴り飛ばされて、壁で瀕死の痙攣をしていたのは、

妙に薄汚れた、だが元は雪のように白いであろう毛並みの小さな兎だった。



 ◇


 ユウはさきほどとは真逆の気分で、意気揚々と部屋の扉を開けた。

その片手には、無造作に耳を掴まれて吊り下げられた兎が目を回している。


「<刃兎(ブラッドバニー)>か。うまく血抜きをして干せば数日は食えるな。

毛皮や牙は素材になるし、いいものを見つけた」


ユウの手の下でぷらんぷらんと揺れているそれは、<刃兎(ブラッドバニー)>という中レベルモンスターだ。

レベルの割には速度が速く、なかなか捕まえられないが、狩ればそこそこいい素材をドロップする。

外見のかわいらしさと、戦うときの勇猛さでプレイヤーにも人気なモンスターだ。

生息地は世界各地だが、このアルヴァ・セルンド島にもいたとは驚きだった。

実際、<料理人>ではないユウに完璧な調理はできないが、毒調合と同じ工程、つまり解体、血抜き、燻製などは出来る。

モンスターらしく死ねば光になるのだが、そこもユウは解決法をすでに編み出していた。

死ねば光になるなら、死ぬ前に解体するまでだ。


ユウがそんな残酷なことを考えているのに気づいたのか、兎がようやく目を覚ました。

人間のようにきょろきょろと辺りを見回し、誰かの骸骨とその目が合う。

その瞬間。


「きゃああああ! ……きゅう」


まるで人間のような絶叫を上げて、再び兎は気絶した。



 ◇


「ひぃぃぃぃ、殺さないでぇぇ!」

「殺さないよ。 ……まさかこんなところで日本語を聞けるとは思わなかった」

「え…? あれ……? 日本人?」

「そうだよ」


ミレルが再び目を覚ましたとき、まず視界に映ったのは黒髪の女性の見下ろす顔だった。

顔の横にステータス画面が広がる。

そこに見慣れた文字が浮かんでいるのを見て、ミレルは絶叫をようやく止めた。


「え? あれ? ここ、もしかしてヤマトに戻ってます?」

「いや、残念ながら違うよ、<召喚術師(サモナー)>さん」


ミレルの疑問に律儀に答え、黒髪の女――ユウは顔を上げる。

ふぁさ、と流れた髪からは、どこか血のような匂いがした。


「ここは?」

「現実でいえばデンマークにある、名もない神殿ゾーンだよ。ちょっと手を入れて住んでる」


実際に手を加えたのはロージナたちなのだが、そのあたりをおくびにも出さずユウは肩をすくめた。

その雰囲気に恐怖を抜かれたのか、ミレルもようやく辺りを見回す余裕が出来た。


(あ……全部あれ、素材だ……)


はたから見れば殺人現場か何かのような部屋に散らばるアイテムを見て、ミレルも気づく。

そして、目の前の女性が友好的であることにほっとして、彼女は自分を蹴り飛ばしたであろう相手を観察する余裕が出来た。


(あ、あの回廊の魔女だ)


「どうした? というか、いろいろ聞きたいことがあるんだがね」

「あ、はい」


ベッドから離れ、何かの草を乳鉢で摺り始めたユウに、ミレルは思わずたずねた。


「あの。ユウ……さん? 94レベルということは、ヤマトにいた人なんですか」

「ああ。<大災害>からしばらくはヤマトにいたけども」

「どうしてこんな場所へ?」

「まあ、いろいろあって」


その濁すような口調に、彼女の職業(・ ・)からくる本能が思わず刺激された。

空腹も忘れ、兎はがばっと身を起こす。


「もしかして何かの理由で旅を? それとも間違って<妖精の輪>に?

ユウさんって名前、どこかで聞き覚えがあるんですけど、<暗殺者>ですよね?

ギルド所属でもないってことは、何かの理由が?」

「あのさ」


こりこりと相変わらず乳鉢を摺りながら、ユウがのんびりと返す。


「まず、自己紹介から入るものではないかな、こんな場合」

「あ」


ミレルは思わず赤面した。 とはいえ兎の顔が赤くなるも何もないのだが。

改めてしゃべろうとした瞬間、ぐるるるると兎の腹から何かが鳴った。


「……<幻獣憑依(ソウルポゼッション)>してても、腹は減るんだな」


呆れたようなユウの声に、再びミレルは真っ赤になるのを感じていた。


 ◇


 恐るべき勢いで保存食を食べるミレルを、ユウは半分驚愕して眺めていた。

兎の小さい前足を器用に使い、がつがつと肉を食べている。

最初は兎だからと草を適当に渡してみたユウだったが、返ってきたのは憤慨の声だけだった。

やむを得ず、保存食を出してみればこの有様だ。


「……あんまり急に食うと、腹壊すんじゃないか?」

「<刃兎>は胃腸は強いので大丈夫です」

「そういう意味じゃなくってな……」


結局兎が満腹したのは、夜というより黎明に近い時刻だった。

そのまますうすうと眠り始めた兎を見て、仕方なくユウも手を止める。

文字通り毒気を抜かれてしまっては、毒の調合などする気にならなかったのだ。


そして、翌日。


「……うお!?」


床に寝転んで毛布をかぶっていたユウは、自分を見下ろす少女を見て昨夜とまったく逆の立場の声を上げたのだった。



3.



「ミレルです。助けてくださってありがとうございました」


そういって頭を下げたのは、栗色の髪をセミロングにしてひとつ括りにし、動きやすそうな皮の鎧にマントを羽織った、明るそうな少女だった。

活発な性格を現しているのか、表情がくるくると変わっている。

感謝、疑念、不安、安心といった形だ。

その彼女のステータス画面には<召喚術師>、所属ギルドは<ロデリック商会>とあった。

久しぶりに見る懐かしい日本語に、思わずユウの顔もほころぶ。


「そりゃ、よかった。懐かしい日本人に会えてこっちも嬉しいよ。

……で、なんでこんな辺境に<ロデリック商会>の人が?」


尋ねながらも、ユウは半分答えを見つけていた。

<召喚術師>、単独、<幻獣憑依(ソウルポゼッション)>といえば、任務はほぼひとつしかない。

案の定、ミレルはずずっと白湯をすすってのどかに答える。


「もちろん、<妖精の輪>探索隊です。正確にはその先遣隊ですね。私たちが大まかな位置や<輪>の動きを確認して、帰還できそうな場所であればパーティが行く。

そんな感じで仕事してます」


外見は少女ながら、そのプロ意識は高いようだ。

探索隊、という響きには、誇らしげな意思がかすかに入っていた。


「そういう、ユウさんは?」

「こっちも探索、といったところだね。別にアキバに依頼されてのことじゃないけど」

「探索?」


きょとんとした顔が、ユウの目を見返す。

その顔が妙にまぶしく、ユウは思わず目をそらしていた。


「いや、まあ、個人的なことだから」

「そうですか」


なおも聞きたそうなミレルだったが、気を使ったのだろう。

別の話題を持ち出してきた。


「で、ユウさんはここでは何を?」

「ああ」


図書館と大英博物館をごちゃ混ぜにして地震に遭わせたかのような部屋を、気味悪そうに見渡したミレルに、ユウは苦笑する。


「毒を造ってるんだよ。私は<毒使い>だからね」

「へぇ。私も<調合師>なんですよ」


何の気なしに相槌を打ったミレルに、ふんふんとユウが頷き、

そして彼女は唐突にひらめいた。


「ミレルさん!」


いきなり、先ほどまでの穏やかな調子を脱ぎ捨てた目の前の<暗殺者>に、ミレルはびくりとして応じる。

よく考えれば同じ日本人というだけの関係だ。

ミレルはユウという<冒険者>のことをほとんど何も知らないことに、ようやく気づいた。


「な……なんですか?」


若干怯えた調子のミレルに、ユウは満面の笑みを向ける。


(ゴブリンが獲物を見つけたときみたいな目だ)


ミレルが思わずそう思うほどに、その笑みはどぎつい欲望にぎらついていた。



 ◇


 次の日から、ユウの生産効率は劇的に上昇した。

ありがたいことに、78レベルの<召喚術師>であるミレルの召喚獣の中には、何体かのゴーレムがいたのだ。

素材をすりつぶす、危険な薬品を混和するといった単純ながら集中力を要する作業はゴーレムに任せ、

火の番は火蜥蜴(サラマンダー)に任せる。

調合は、専用スキルを持つユウとミレルの出番だった。

<調合師>とは、呪薬(ポーション)を作るのに特化した職業だ。

毒に分類される呪薬しか作れないユウの<毒使い>の、生産職版の上位互換ともいえる。

そして、ミレルは<ロデリック商会>だけあって、新たな薬の開発にも積極的だった。

北欧サーバという、ヤマトとは違う素材であふれている大地は、彼女にとっても魅力的だったのである。


「ごめん、ミレル。こっちのレシピを作ってもらえるか?」

「でも<氷獣の牙>なんてありませんよ」

「代わりにこっちの<毒蛇の牙>を使ってみてくれ」

「配合率変えたほうがいいでしょうか?」

「任せる」


互いに器具に目を向けながら、小さく言い合うさまは、さながら研究所の研究員といったところだ。

毒以外の回復の呪薬も出来るということもあり、ユウはほくほく顔だった。


もちろん、そんなうまい話が簡単に手に入るはずがない。

ユウは、ミレルに探索を中断し、手伝ってもらう代わりにいくつかの代償を用意しなければならなかった。


ひとつは、出来た毒や呪薬を数本ずつ、ミレルが持ち帰ること。

珍しい素材があれば、それも一定数供出すること。

そして――最後までユウは渋ったが――彼女の毒のレシピを一部公開すること。


特に最後の条件は、ユウは出来る限り抵抗した。

もちろん、ユウの毒が世界中で彼女一人しか発見していない、というものではない。

時間が経つごとに、特に大手生産ギルドは似たような毒を造っていることだろう。

だが、ソロプレイヤーであるユウにとって、毒はまさに生死すら分ける奥の手だ。

ミレルに公開するということは、すなわち<ロデリック商会>、つまりアキバの生産者たちの何割かにユウの技が知られることを意味する。

もし――あまり考えたくはないが――アキバと再び戦うことになったとき、それは致命的な意味を持つかもしれない。

だが結局、彼女は渋々ながらもそれを受け入れざるを得なかった。

提供するレシピはユウが決める、という条件をつけてだったが。

ゴーレムを扱える<召喚術師>の<調合師>とは、それだけのリスクを払っても獲得すべき人材だった。


約束を<新規契約書>―<筆写師>が作成するそれほど高レベルではないアイテム―に記し、喜ぶミレルを眺めながらユウはため息をつく。

もうひとつ、彼女には支払うべき対価が課されていた。


 ◇


 その日の夜。

いつもなら夜中まで調合の音が絶えないユウの部屋兼実験室には、奇妙な静寂があった。

聞こえる音は、翌日の調合の下準備をするゴーレムの作業音だけだ。

単調なその音を背景音楽に、ミレルはぺろりと黒鉛を舐め、手元のメモに目を落とす。

やがて視線を上げた彼女は、向かいのベッドに座る諦めたような顔のユウに目だけで促した。


「なあ……本当に全部話すのか?」

「ええ」


<ロデリック商会>の<調合師>、ほかのサーバを探索するための先遣隊。

ミレルにはもうひとつだけ、肩書きがある。

ユウは、サラリーマンの悲しい習性で、思わず最敬礼して両手で受け取った小さな紙片を手でくるくると回してぼやいた。

現実世界では、それはいわゆる<名刺>と呼ばれるものだ。

そこには、名前、所属ギルドのほかにもうひとつの肩書きが誇らしげに書かれている。


「ASJ……<アキバ・ストリートジャーナル>……だっけ? 新聞記者だったのか、あんた」

「ええ。海外特派員です。ほかのサーバの出来事を記録し、アキバに伝えるのが役目です」

「なら私みたいな一ソロプレイヤーの思い出なんてどうでもいいじゃないか」

「いいえ」


名刺入れを仕舞いながらミレルは首を振った。その表情は、固い。


「私たちASJ(アキバストリートジャーナル)の使命はいくつかあります。

一つは先ほど言った様に、海外サーバの状況調査。これは私の場合、<調合師>としての調査を兼ねています」


ミレルは続けた。


「二つ目が海外サーバへのヤマトサーバの情報伝達。このやり方はミナミもしているようですが……<冒険者>と<大地人>は敵同士でも、主人と奴隷でもないこと。秩序は取り戻せないものじゃないこと。それを海外のプレイヤーに伝えること。

そして、三つ目が、同じことを海外で彷徨う日本人プレイヤーにも伝えること、そして海外を旅する日本人について、正確な情報をヤマトに伝えること」

「……三つ目はどういうことだ? どうして在外邦人の情報をヤマトに伝える必要がある?」


あくまで緊張を湛えたミレルに対し、ユウが疑問の矛先を向ける。

ミレルの返事は、ある意味予想のついたものだった。


「殆どの在外邦人は、海外在住だとか、誤って<妖精の輪>に飛び込んだとか、そういう人です。

ですが、今のセルデシアはあまりに広く、正しい情報は伝わりにくい。

だから私たちは、事前に分かる限りの海外にいる人、特にヤマトサーバから出た人の情報を頭に入れておくんです。

居場所をアキバに知らせ、少しでも帰還しやすくするために」

「……」

「その中で、あなたは結構有名な人です。だから特派員たちは事前に、クニヒコさんやレディ・イースタルさん、他の方々からも事情を聞いているんです。彼らが話してくれる限りの」

「……よく、逃げ出さなかったものだ」


ユウがすっと立ち上がる。

丸腰であるはずなのに、その眼光はぞっとするほど冷たい。


「なら、華国のことも知っているな?」

「……念話で聞いて思い出しました。海外サーバにいる、オーバー90レベルの<毒使い>のソロプレイヤーで名前はユウ。<幻想級>持ち。 ……であれば、該当する人は一人だけですから」


かすかに全身を震わせながらも、ミレルの声はあくまで気丈だ。

対するように、ユウの声はどこか粘性で、嗜虐的な響きを帯びていた。


「私は、まあアキバの<冒険者>に悪口のネタを教えるために、取材を受けるつもりはないな」

「いえ……私の目的の一つがユウさん、あなたに会うことだったんですから」


首を振るミレルの顔は、緊張感があってもあくまで真摯だ。

そういえば、仕事の話をするとき、記者だった友人(レディ・イースタル)もこんな顔をしてたな、と思いながら、ユウはゆっくりと口を開いた。


「……じゃあ、話す。<大災害>以降の私の軌跡を。

だが、一度だけだ。話す内容もこっちで決める」

「ええ。私の毒調合の手伝いの報酬の条件はそれですから」


そうして、ユウは話し始めた。



4.


私の名前はユウ。元の名前は鈴木雄一という。そう驚かないでほしいんだけど、男だったんだ。

生まれは1979年、昭和54年かな。

<大災害>の時は39歳になったばかりだった。

家族は同年代の妻と、13の娘、11の息子。 まあ人並みの家庭を築けていただろう。

仕事はどこにでもある中小企業の総務。まあ肩書きはあったが、同期の中じゃ出世が早いほうじゃない。


家は門前仲町で、社宅だった。

それなりにいい福利厚生だったね。

趣味はゴルフとタバコ、それから<エルダー・テイル>。

まあ、もし戻れたとしたら最後だけはもうこりごりかな。


ゲームでは<暗殺者(アサシン)>で<毒使い>、レベルは90だったな、<大災害(あのとき)>では。

所属ギルドはないよ。

プレイスタイルは対人戦オンリー。まあ、特技の秘伝化のために少しは大規模戦闘(レイドバトル)も嗜んだ。


装備?

こっちが私の刀、<蛇刀・毒薙>。以前は<秘宝級>だったんだ、これ。

能力は毒の威力上昇。食らってみる? 天国へ行けるよ、まあ魂だけは。

もうひとつが<風切丸>。こっちは<幻想>級で、いい刀だよ。

武器そのものの性能は<幻想級>の中では中の上というところだが、所有者の敏捷力を5割も底上げしてくれる。

鎧は<上忍の忍び装束>。所有者の敏捷力を3割底上げする。

つまり、フル装備の私は、同レベル同ステータスの<暗殺者>と比べても8割増の速度で動ける。

なかなかいい性能だろう?


あ、うん。大規模戦闘(レイド)にほとんど出ていないにしてはいい装備だと思うよね。

こっち、つまり<風切丸>はもらい物なんだ。

くれたのは<黒剣>のアイザック。

彼とは親しくもないし、あまりいい縁もなかったんだけどね。


こっちのアクセサリは<守り独楽>。特技の再使用時間を5%短縮する。

そりゃ、大規模戦闘で頭を張るような連中の持ち物に比べればささやかなものだが、5%というのは決して甘く見ていい数字じゃない。

人よりほんのわずか、特技を早く出せることで生き延びる確率は大きく上がるしね。


まあ、装備はそんなところだ。


え、ああ。

<大災害>に会ってからの事が聞きたいって?

そういうあんたはどうなのさ。


ふうん。仲間と一緒にアキバで暮らして、戦闘訓練もして……そうしたら<円卓会議>が出来て。

なるほど。

仲間と励ましあって生きてきたと。 強い先輩もいて、導いてくれたと。

へえ。幸せだったんだな。


……何を怒るんだ? 別に馬鹿にしたわけじゃないぞ。

別に苦労した人間が偉くて、楽した人間が偉くないわけじゃないだろう。

あの混沌の中で、あんたはあんたのすべきことをしてきたから、今、ここにいるんだろう?

ならいいじゃないか。胸を張れよ。


私はね。友達はいたんだが、頼ろうとは思わなかった。

最初はまあ、数日で帰れると思ってたさ。

この年で異世界に流されて『勇者になってください!』なんてゴメンだからな。


あ、すまない。 煙草を吸いながら話していいか?


で、どこまで話したっけ。



 ◇


 私が何日か一緒に過ごしたユウという人は、思ったより穏やかな人でした。

『アキバの殺人鬼』『吸血鬼殺し』『殺人狂』『華国最悪の<冒険者>』。

ヤマトや華国で伝え聞いた、この人の血生臭い二つ名とは無縁で、なんていうか、

普通の綺麗な女性でした。

ですが、やはりどこか凄味がある目をしています。

昔の武士がしているような目です。

私は彼女と正対して話すうちに、あることに気づきました。

時折、ちらりと目が顔から外れます。

それは、私の手が大きく動いたとき、足を組み替えたとき。

要するに攻撃の準備動作に移ると、彼女に見えたときなんです。

正直、その時私はユウさんの本当の怖さを少し体感した気になりました。

穏やかに見えるその姿は外見だけで、彼女は常に私の一挙手一投足を見ていたんです。

今までも、私が気づかなかっただけで、ずっとそうだったんでしょう。

たぶん……いつでもわたしを殺せるように。


そして、私たち――私が事前に彼女の情報を知っている、と告げたとき。

一瞬で湧き上がった混じりけの無い、巨大な殺意。

それまでの見つからないように隠れての敵意ではなく、面と向かっての巨大な悪意は、まるで彼女の背後に巣食う怨霊のようでした。


 ◇


 アキバは、あんたも知るとおりあっという間に混沌に沈んだ。

暴力、罵声、PK。法というくびきを離れた瞬間、人が獣に堕ちるさまを私は見た。

悪罵だけならいい。この世界の命はとにかく軽かった。

そりゃそうだ。私たち<冒険者>は死んでもすぐ戻ってこれるし、<大地人>はただのNPCだ。

プレイヤータウンの外にいる自分より弱い相手は獲物、同じレベルの相手は敵。

そういう歪な秩序が私は心底嫌だった。

人間はもっと理性的なものじゃないのか?

『戦争はやめよう』『暴力はよくない』こんな言葉は、人が多くの知識を以て倫理的になったわけじゃなく、単に個人の暴力が容赦なく裁かれる世界だからこそ言っていただけなのか?

私は悩んで、悩んで、悩みぬいて、それから悩むのをやめた。


簡単なことだと思ったんだ。

人を殺す奴は、より残虐に殺してやればいい。

被害にあわないと実感しないなら、存分に被害を食らわせてやればいい。

盗む奴は盗まれる。人を殺せば殺される。

レベルという差があるこの世界で、レベルのせいで復讐できない奴がいるなら代行してやろう。

だから、目に付く相手を片っ端から殺したよ。

自分よりレベルの低い相手に罵声を投げる奴には拳を。

<大地人>を甚振る相手には刀を。

ひたすら殺して、やがて殺すことそのものが快感に変わるほどに殺して。

で、私は追われた。

考えてみれば簡単なことだよね。

弱い奴を殺すことを私が断罪することが正しいのであれば、より強い相手に私が断罪されるのもまた、正しいことなんだから。


私は殺されこそしなかったが、<黒剣騎士団>の大規模戦闘用パーティに追われた。

今でも覚えている。

大規模戦闘をメインにするプレイヤーと1対1で戦って、私が負けるとは思えない。

だが、連中がしっかりとパーティを組み、組織で戦いを挑んできたなら、勝てるわけがない。

なにしろ、連中が普段相手にしているのは、たかが1プレイヤーとは強さの桁が違うレイドボスなんだからね。


私は負けた。

相手の偵察兵(スカウト)を身代わりにして敵の初撃をかわし、<妖術師(ソーサラー)>、そして<盗剣士(スワッシュバックラー)>を沈め、回復職二人を瀕死に追い込むまではよかったが、

その後はタウンティングにひっかかって散々さ。

何とか、向こうのリーダーにお情けをもらって逃げたんだ。


「そのリーダーというのは、ご友人の」


ああ。友人のクニヒコさ。あいつの強さはいい加減わかってるつもりでいたが、さすがに仲間の<黒剣>連中を率いると、あいつの強さは折り紙つきだ。

個人として強いんじゃない。

あいつが盾になって私の攻撃を集中させ、その間に武器攻撃職や魔法職が削ってくる。

<守護戦士>単体では支えきれない<暗殺者>の攻撃も、回復職が支えてくる。

私も20年近く<エルダー・テイル>をしてきて、ようやくレイドボスの気持ちがわかったよ。


まあ、それはおいといて。


私はスミダから東へ逃げ、ザントリーフ半島まで逃げた。

怖かったんだな。

逃げて、逃げ延びた先がイチハラの村だった。

知ってるかい? 千葉県市原市さ。

現実の地球じゃ、コンビナートが立ち並ぶ工業地帯だがね、あそこはいい村だった。


 ◇


 それまで、いつしか口を半月形にして笑うユウさんを、私は内心がたがた震えながら見ていました。

それでもメモを止めなかった自分を正直褒めたいです。

ですが、イチハラの話になると不思議なほどに顔から険が取れました。

周囲の自然のこと、神代の神社の遺跡のこと、<大地人>との日々。

それはよほど楽しかった思い出なのでしょう。

寄宿していたという雑貨屋の老主人が健在なことを伝えると、彼女は心底幸せそうな表情を見せ、

私に深く頭を下げました。

事前に聞いていたメモによれば、彼女がイチハラにいたのは6月から8月、あのザントリーフ戦役の直前までの、わずか数ヶ月だったに過ぎません。

ですが、村の子供たちとの一日や、農作業を手伝っての一日など、彼女の村への想いは尽きることがないようでした。


……ふう。

メモ書きでまで敬語はやめよう。私は記者、特派員なのだ。


 ◇


 どこまで話したっけ。

ハダノにいくまでだったかな。

私は、煙草が切れていたというので、煙草の産地であるハダノまで仕入れに行くことになった。

ついでに村のあれやこれやを買いに行く約束をしてね。

その途中、アサクサで<円卓会議>の設立を知った。

だが、そのときはアキバに戻ろうなんて毛ほども思っちゃいなかった。

私は、あそこまで人間の尊厳を投げ捨てたアキバの<冒険者>が心底嫌いだったし、

そもそも私は都会が嫌いなんだ。

で、わざとアキバを避けて遠回りでハダノまで行ったんだが、そこの村にいたのがゴブリン・ジェネラルだった。

自分の部族から離れて、どういうわけか知らないが斥候に出ていたんだね。

ハダノで行商人の代わりにリューリアという植物を取りに出かけたんだが、

そこでゴブリンのキャンプに出くわした。

どうしてくれようかと思ってたら、アキバからの<冒険者>と会った。

<エスピノザ>と名乗ってたかな。

6人だけの小さなギルドで、<円卓会議>に依頼されてあちこちの<妖精の輪>を回っていたんだそうだ。

そういう意味ではあんたと同じだね。


あ、知ってるのか。

元気でやってる? 彼ら。


連中はおおむねこの世界に慣れてきていたんだが、一人例外がいた。

<暗殺者>のテング、彼は元の世界だと高校生だったらしい。

そりゃ、いきなり戦えといわれても無理だ。

あいつともう一人、パンクロッカーみたいな頭の<吟遊詩人>と一緒にキャンプに潜入したのはいいんだが、あいつ、途中で吐きやがってね。

挙句に警報代わりの呼子を鳴らしてキャンプのゴブリンが全員起きてしまった。

まあ、それはキャンプの外にいた<エスピノザ>の仲間が援軍に来たおかげで何とかなったんだが

そいつはかわいそうに、半分戦力外通告みたいな形でハダノに戻ってしまった。

テングにしてみれば悔しかったと思うよ。

<エスピノザ>のメンバーはパーティを組むことが出来るぎりぎりの人数だ。

誰が欠けても、パーティ全体の戦力はがた落ちする。

だが、どうしても戦場の匂い、音、血を吹いて憎憎しげに自分を見る敵、命を奪うこと。

そうした諸々に彼は耐えられなかったんだ……と、思う。


テングを帰した後、私たちはキャンプを見回った。

そこで、ジェネラルがいないことに気がついた。正確には、ジェネラルが『このキャンプにいたのに今はいない』ということに、ね。

ゴブリンの行動はある意味で単純だ。

単なる朝の散歩で外に出るわけがない。

ハダノがやられる。そう思って、みんなで戻ろうとしたが、私だけが先行した。

私の汗血馬はパーティの中で一番速かったから。


結局、私は襲撃に間に合わなかった。

だが、ハダノの住民はぎりぎりで虐殺を免れた。

それは、その戦場から逃げた<暗殺者>、テングがひとりで戦ったからさ。


彼が誰に、何を言われて一人殿軍に残ることを決めたのかは知らない。

だが、彼はそれまでのそいつとは別人のように、おつきのゴブリンチーフや<魔狂狼(ダイアウルフ)>を倒し、

私が見たときはたった一人でジェネラルと戦っていた。

ジェネラルの恐ろしさは知っているか?

レイドボスの中じゃ弱いほうだと言われるが、普通に1対1でまともに戦って勝てる相手じゃない。

それこそ、<D.D.D.>の総統(クラスティ)や、<黒剣騎士団>の団長(アイザック)じゃないと、楽には勝てない。

だが、彼は互角に戦っていた。優勢だったかもしれない。

このまま行けば、あるいは彼は<ゴブリン将軍殺し>になれていたかもしれない。


だが。

私が。

私が、彼を、殺した。


 ◇


 うつむくユウさんを見ながら、私はここに来る前、<エスピノザ>の人たちから聞いたことを思い返していた。

彼らは今も、<妖精の輪>を巡っては、この世界の遠く離れた地域と地域を結ぶ努力をしている。

凄腕のモンスターハンターとしても有名になりつつある。

そんな彼らに聞いた話はこういうものだ。


テング氏は、たった一人でジェネラルと戦っていた。

なぜ援軍に来たユウさんが戦わないのか、最初疑問に思ったそうだ。

だが、戦っているうちに援護しないことには理由があることに気づいた。

彼女は、おそらく無意識にだろうが、テング氏に身のかわし方、効果的な攻撃の方法、

そうしたものをジェスチャーで示していたらしい。

彼が、一人で戦えるように。

勇気を出せるように。

テング氏も、それを見て気づいたそうだ。

一緒に戦うだけが仲間ではないと。

立ち上がろうとする仲間を見守り、指導し、助けるのもまた、援護だと。

彼のその時の武器はユウさんの<毒薙>の元になったという、<妖刀・首担>。

無我夢中で戦うテング氏には、その刀が元の使い手の技を教えてくれるような気すらしたという。


だが、戦いは唐突に終わった。

ユウさんはテング氏の戦いに見入るあまり、周囲への警戒を怠ってしまっていたのだ。

結果、後ろからのゴブリンチーフの奇襲をまともに受けてしまった。

それを見て思わず攻撃がとまったテング氏を、ゴブリン・ジェネラルは許しはしなかった。

わずか数秒。

劣勢にたったテング氏が命を保てたのは、そんな刹那の時間だった。


その後のことは、<エスピノザ>の誰も知らない。

事実は、一人残ったユウさんが、鬼神のごとく戦ったであろうこと。

そして、ジェネラルとチーフ数匹を相手取って、見事勝利したこと。

戦利品を一切拾うことなく、そのまま去ったことだけだ。


私が追憶から現実に戻ってくると、ユウさんはいつの間にかイチハラに戻った後の話をしていた。




 ◇


 大丈夫か? ぼうっとして。

長話で疲れたなら明日にするといい。

いいって?

まあ、そっちがそういうならいいけど。休憩は適宜してくれよ。


ええと。


イチハラに戻ってまたしばらく経って、やってきたのはクニヒコだった。

もちろん当時の彼の所属はアキバの大手ギルドであり私を追った敵、つまり<黒剣騎士団>だ。

はっきり言って、会いたくなかった。

だが、あいつはろくでもない、だが無視するわけにはいかない情報を持ってきていた。

共通の友人、レディ・イースタルの消息だ。

その時私は初めて、ミナミのおかれた現状を知ったんだ。

正直、アジアやヨーロッパ、いろいろな地域のことを知った今じゃ、そんなひどい体制だったとも思わない。

アキバがはっきり言って異常すぎたんだ。

それに比べりゃ、たかが女二人がでかい面をしたからって、何のことでもない。

奴隷になるか、暴君になるかの二択を迫られた他国の<冒険者>にしてみれば、ちょっとばかし息苦しいからって、まともに人間として暮らせるだけミナミのほうがマシだと言うだろうね。

それでも、当時の私にはミナミはあまりに横暴に見えていた。

友人とその仲間を助けることはいつの間にか私の行動指針になっていた。

で、言いくるめられてアキバに戻ったところで出会ったのが、あのザントリーフ戦役さ。

あれよあれよで先発の大隊(レギオン)に参加させられ、私はクニヒコの指揮の元でザントリーフ戦役に参加した。

正直、あんまり覚えちゃいないんだが、あそこであの<武士>、テイルザーンとも会ったんだな。

その辺のことは、あんたのほうが詳しいんじゃないか?

せっかくだから、教えてくれよ。


 ◇


 私は、彼女の問いかけに頷くと、私の立場から見たあの戦役を思い出すように話し始めました。

あの戦いは、アキバにとってひとつの分岐点(エポックメイキング)ともいえる戦役だったと思います。

それまで、他国同様恐る恐る交わろうとしていた<冒険者>と<大地人>、この世界を構成する両者が初めて手を取り合った戦いです。

あの戦いには、参加した多くのプレイヤーが、それぞれの立場から見た戦いを書き残しています。

私はあの時、<ミドラウント馬術庭園>に展開した本隊、その通信班にいました。

頭ではゴブリンなんて、<冒険者>の敵じゃないとわかっていましたが、それでも怖かったのを覚えています。

あちこちの戦線から飛び込んでくる報告。

「友達が死ぬ!」と悲鳴を上げてきた主戦線の<守護戦士>。

雄叫びを上げて戦いに入る戦士たち。

勝利を掲げたパーティのときの声。

チョウシの浜を守り続ける初心者たちの、必死な声。

私の、あの戦役に対するイメージは、そうした無数の声です。

その声を聞き、重要な情報をくみ上げ、本陣のシロエさんに送る。

シロエさんと参謀さんたちが、一言二言話して出してくる指示を、それぞれの前線に送る。

私たちは普段、何の気なしに念話を使っていましたが、あの時は、そう、まるで、

アキバの全員と心でつながっているようでした。

そんな織り上げられた糸のような、念話で出来たつながりの向こうに、あの時、ユウさんもいたんです。

クラスティ総統率いるアキバの遠征軍の主力の只中、ゴブリンの主力軍と対峙する闇の中に。


私の話を聞き終えると、ユウさんはゆっくりと頷きました。


「私の戦いの向こうに、あなたもいたんだな」


そう、一言だけ告げて。


……いけない、また敬語のままメモしてしまった。


 ◇


 戦役は終わった。

オウウへの遠征はまた別の機会に、まずはイースタル諸領からゴブリンを駆逐することで勝利とする。

そういうことでね。

私はその後、自分を殺しに来るであろう相手を待って一日すごしたあと、さっさとアキバを離れたんだ。

一緒に来てくれたのは<黒剣>を脱退したクニヒコだけ。

こういうと、ずいぶん悲壮な出発に聞こえるが、そんなことはない。

なにしろファンタジー世界の日本だ。

列島各地がどうなっているのか興味もあったし、その時はまだ<大地人>も好きだったからね。

まだそんなに人が多くなかったヨコハマを抜け、箱根を越えるあたりで北に折れ、富士山を見ながら中山道に入った。

後はのんびり物見遊山さ。

タルには悪いが、ずいぶんのんびりした旅だった。

<大地人>貴族に温泉に入ってるときに襲撃されそうになって逃げたこともあったし、

異常繁殖した大鹿(エルク)の群れを罠で捕まえて、三日三晩鹿肉パーティなんてのもあったなあ。

いけにえをよこせなんていう猿人(ハヌマン)を騙して、偽のいけにえで私がもぐったこともあったっけ。

そうそう。この世界と元の世界のつながりを確かめるなんて意気込む考古学者に付き合って、古代の城跡から掘り出されたアルヴ時代の王様のミイラをぶちのめしたりもした。

そうやってるうちにミナミについたもんだが、そこでひと悶着あったよ。

タルの野郎、あっさりミナミに捕まって、無理やり<Plamt hwyaden>に参加させられそうになってた。

事前にあいつとあいつの片腕、ユーリアスに事情を聞いていたもんで、あいつらの仲間が無事にアキバへ脱出できるタイミングで、襲い掛かってやったのさ。

PKなんてアキバでやり慣れてるし、クニヒコも乗り乗りで、気分はまさにお姫様を浚いにきたならず者だったよ。

ま、あのタルがお姫様というところでどう考えてもブラックジョークだけどな。


で、首尾よく連中を叩きのめしたはいいんだが、問題点があった。

アキバに帰れなくなったんだ。

いや、ミナミに入ったわけじゃない。

単純に連中がアキバへの道を塞いでたんだ。

ユーリアスの助言もあって、私たちは西へ向かうことにした。

ま、結局はアキバへ帰りたくなかったんだな。


 ◇


 私は思わず黒鉛の鉛筆をぺろりとなめた。

無作法だといわないでほしい。実は、ユウさんの西への旅については、謎の部分が多いのだ。

その理由は、一緒に旅をしたクニヒコ氏、レディ・イースタル嬢のいずれもが、当初アキバへ帰還しなかったことによる。

唯一帰還したのがユウさんだが、彼女もスノウフェルが終わるころにアキバを離れてしまった。

私の知る限り、残る二人は数ヶ月して帰還したようだけど、旅の話が広まったわけではない。

結局、彼女の旅の多くは謎のままになっているのだ。


私の今回の取材の目的は、ほかのサーバ、特に遠く離れたヨーロッパやアメリカのサーバの現状を見聞きすることだった。

だけど、今だけはちょっと違う。


ユウさんに会って彼女の話を聞くこと。


アキバから出て行った日本人<冒険者>の中でも、とりわけ広い世界を冒険した彼女の話を聞いて、

記事にして、アキバの人々に伝えること。

ネットで世界中の情報を得られた元の世界とは違う。

一人ひとりのささやかな冒険も、ユウさんのように悪名の中に埋もれてしまった知られざる<冒険者>の本当の冒険も、出来るだけ後に残すこと。

だから、私はユウさんに会う前に、いろいろな人に取材をした。

アキバの<御前>、朝霧さん。

クニヒコさんや、レディ・イースタルさん。

ユーリアスさんやジオさん。

イチハラの人たちや、ハダノの人たち、<エスピノザ>の人たち。

考古学者のしっぽく旨太郎さん―あ、彼は長谷川と呼んでくださいって言ってたっけ。

ジュランさんやゴランさん、カイリさん。

セルジアッド伯や、メハベル男爵。

バイカル住職。

西武蔵坊レオ丸法師、伊庭八郎さんやエンクルマさん。

テイルザーンさんに、レンさん。トゥルーデ卿。

忙しい中会ってくださったにゃん太さんや、ヘンリエッタさん。

ヤマトだけでもこれだけいる。他にも、いろいろな場所で彼女を覚えている人がいた。

それだけじゃない。

<日月侠>のレンイン教主や、フーチュン副教主、カシウスさん。

<第二軍団>のティトゥス軍団長や、ヤンガイジさん。

<ヤマト傭兵団>のカークスさんや、ユウさんと一緒に戦った<冒険者>の方々。

なんと<夏>王のベイシアさんやメイファさん、<高昌>の王様まで会ってくれた。

誰もが、それぞれの立場からユウさんを見て、戦ったり、分かり合ったり、対立したり、

色んなことがあって、ユウさんという人の旅を支えてくれていた。

ユウさん自身、たぶん自分は一人で戦ってきたと思っていると思う。

だけど、そうじゃない。

私は一刻も早く記事を書きたくなった。

そして、何よりユウさん自身にそれを読んでもらいたくなった。

でも、今は我慢だ。

今は聞き、そして知るべき時なのだから。


 ◇


 西で、テイルロードという町にいった時だ。

知ってるかい? <死に飲まれた町テイルロード>、<亡霊の町テイルロード>。

今じゃちょっとしたダンジョン扱いみたいだけど、あの町はタルたちが隠れていた町でもあった。

あまり、思い出したい思い出じゃないんだが……あの町が滅びた日、私たちはそこにいた。

いや、滅びた日というのは適切じゃないな。

すでに滅んでいた町に、止めを刺した日と言っていいだろう。

あの日。

私たちは山道をたどるようにテイルロードへたどり着いた。

そのまま西へ向かうか、本四連絡橋のあとを伝ってフォーランドに逃げるか、

そんなことを話しながらね。

でも、着いた町は不気味なものが闊歩する町だった。

異常なほど無表情な住民たち。立ち込める甘く毒々しい香り。

そして食事と称されて出された虫や奇形生物たち。

どう考えても変だった。

その夜。私たちが警戒しているとき、住民たちが一斉に現れた。

そう。彼らはすでに<大地人>ではなかった。<腐った水死体(ウォーターゾンビ)>に成り果てていたんだ。

後はひたすら、殺戮さ。

厳密に言えば連中はもうモンスターなんだから殺戮と言う表現はおかしいが、そういうほかなかった。

子供のゾンビを倒したクニヒコはへたり込むし、タルは、自分たちが<plant hwyaden>に捕まる直前にやってたクエストのせいだと自分を責めて、これも動けない。

おぞましかったのはね。

連中がゾンビとして俺たちを追うのは夜だけだったんだ。

昼間は、何をしていたかと言うと、生前の自分たちの行動をなぞってるのさ。

子供は遊び、主婦は家事をし、男たちは田畑を耕す。

もちろん、みんなゾンビだ。

だが、それを片端から切り捨てると言うのは、辛いよ。

ゾンビだから表情どころか、顔もぶよぶよでとても見られたものじゃないんだが、ふと生前の彼らを思い出したりしてね。

石蹴りで遊ぶゾンビたちは、きっと生前もこうやって大人に見守られながら楽しく遊んでいたんだろうなあ、とか。

ぼろぼろの箒で床をはたくゾンビは、きっと子供や夫のことを思って楽しかったんだろうなあとか。

だけど、ゾンビはゾンビでしかない。

<大地人>は生き返ることはできないんだよ。


結局、丸一日かけて、私たちは彼らを全員、殺した。

そしてそのまま、怒りに任せて連中のボスがいる<向かい合う島>まで行って、ボスを倒した。

ボスは弱かったよ。

10年以上前のレイドエネミーだからね。90レベルオーバーの<冒険者>なら楽勝だった。

だが、死んだテイルロードの人々は戻ってこない。

この世界って何なのか?

<冒険者>と<大地人>はどういう関係なのか?


それを最初に感じたのが、その戦いだった。


それから、私たちはさらに西へ向かった。

どんな小さなクエストでもこなしたよ。

<冒険者(わたしたち)>がクエストを見逃してどうなるか、よくよく骨身にしみたからね。

記者さん。

もし、あなたがこの話を記事にするなら、一緒に書いてほしい。

<冒険者>にとっては簡単な、どんな簡単なクエストでも、<大地人>にとっては死の危険に繋がると。

もちろん<大地人>もいろいろだ。

守るに値しない連中もいる。

華国で何千人もの<大地人>を死に追いやった私が言えることでないのもわかるけどね。


話を戻そうか。


その後、ロカントリという町で私の身に変化が起こった。

あなたは元の世界でも女性だったのか? 記者のお嬢さん。

そうか。なら、気づかなかったかもしれないね。

私のようなネカマや、逆にネナベの人たちに一様におきた事実を。


「声が、変わったんですね」


そうだ。

私が今の声になったのはこの時のことだ。

ショックだったよ。

私は―いささか自信が揺らぐ事もあったが―ネカマではあったがオカマじゃなかったからね。

無論、性同一性障害の人を差別する気はないけど。

ともかく、私と、同時に声が変わったタルは錯乱し、数日をロカントリで過ごすことになった。


「今のヤマトの地図にロカントリという町はありませんね」


どれどれ。見せてみて。あまり大きい町じゃなかったからなあ。

ああ、なるほど。じゃあやっぱり復興はそのままじゃ出来なかったのか。

ロカントリはね。滅んだんだ。

テイルロードみたいにクエストのせいじゃない。

地震さ。

あの日、ロカントリは局地的な大地震に見舞われたんだ。

私も元の世界で何度か地震に遭遇したし、友人や親戚を亡くしたこともある。

災害の中で、気づいたら私の声なんてどうでもよくなったよ。

あの時、必死で私たちは<大地人>を救助した。

たまたま調査に来ていた<plant hwyaden>のパーティ―そのパーティにいた友人のユーリアスはぼかしていたが、私たちの追撃任務だったんだろうな―も手伝って、何とか生き延びた人々を瓦礫から救い出すことが出来た。

その時、ふと思ったんだ。

<冒険者>はこの世界で、<大地人>にはどうしようもできないほどの災厄―モンスターを討伐する存在だと思っていたが、敵はモンスターだけじゃないと。

災害もまた敵なのだとね。

なにしろ<冒険者>は疲れ知らずだし、一人で重機何台分の力を出せる。

魔法で食べ物を作ったり、明かりをつけたりできる。

歌で力づけることもできる。

そうしたために、<冒険者>はいるんじゃないかってね。



 ◇


 話すユウさんを見ながら、私はふと疑問を感じていた。

この時の彼女の行動は真摯で、<大地人>を守ると言う意志をはっきり感じていた。

そんな彼女がなぜ、蛮族を率いて華国の<大地人>を絶望に陥れたのか。

ヤマトのユウさんと華国のユウさん。

彼女の行動の違いが、<大地人>の所属する国への差別意識だとは、思いたくなかった。

私は、息を潜めて彼女の次の言葉を待った。


 ◇


 ロカントリからさらに西へ進むと、フォーリンパインの村に出る。

そこは、<冒険者>の姿をした吸血鬼の下僕に襲われていた。

ゲーム時代もあったクエストだったが、そこの村長の態度に私たちはカチンときていた。

困り果てたところにやってきたのが、<アイガー修道院>というギルドを名乗るエルという女ドワーフだった。

彼女は優秀なレイダーだったよ。

<施療神官>だったから、私たちの即席パーティでは追いつかない回復も彼女がいれば大丈夫だった。

<アイガー修道院>を知ってるかい?

もうかなり古いギルドだし、今はメンバーもいないが、昔は主にミナミやナカスで<冒険者>への辻ヒール、レイドでのヒールなど、その行為で令名を馳せたギルドだ。

そこのメンバーとあって、私たちも喜んで彼女と同行した。

だが、吸血鬼の根城だった廃工場に行ったとき、彼女は正体を見せた。

彼女は確かに<アイガー修道院>に所属していた。

だけど、その時の彼女は<冒険者>の味方じゃなかった。

吸血鬼の頭目、<不死の王>というレイドボスに侍る、彼の愛人で、<大地人>の敵。

それが本当のエルだった。


 ◇


 エル。

それ以降のユウさんの行動を決定付ける、おそらくは決定的なきっかけになったであろう彼女に、私は会うことができなかった。

彼女の消息はユウさんたちとの戦いの後、ふっつりと途切れているのだ。

彼女がどこへ去ったのか、どこにいるのか、誰も知らない。

少なくともヤマトの五大都市のいずれにもいないことだけは分かっている。

彼女の言動は、実際に会ったクニヒコさんやレディ・イースタルさんの聞き書きが元だ。

その二人とも、口をそろえて私に言った。


『きっと、エルに出会わなければ、あいつは華国であんなことはしなかっただろう』


と。

アキバとナカス、場所はぜんぜん違うが、クニヒコさんたちに語ったエルさんの話によれば、彼女もまた、当初は<冒険者>に秩序を取り戻し、悪名高い<EXPポット>売買に代表される低レベルプレイヤーへの暴力を止めようと頑張ったらしい。

もしかすると、早々に<冒険者>に見切りをつけ、無差別殺戮に走ったユウさんよりも、その志は高く、気持ちは優しかったのかもしれない。

だけど、彼女とユウさんとはある一点から決定的に道を違えてしまった。

ユウさんがクニヒコさんやタルさん、イチハラの人々の力で人としての倫理観を取り戻したのと違って、エルという<冒険者>はモンスターに癒しを受けてしまったのだ。

同じ道を歩きながら、戦わざるを得なかった二人。

私は、もしゲームの中で二人が出会っていたなら、互いにいい友人になれたのではないかとすら思う。

ユウさんが、エルさんの行動をいわば拡大して、華国に混乱を巻き起こしたことを考えれば。


エル、という名前を口に出したとき、ユウさんの顔がかすかに歪んだ。

その顔を見ながら私は思った。

たぶん、この人が自分で思っているよりももっと強く、深いところで、ユウさんはどこかで彼女に共感してしまったんじゃないだろうか。

自分と似たところを感じて、それが嫌だったからこそ、彼女と戦って。

でも、どこかで共感したからこそ、ユウさんは華国でああいったことに走ったんじゃないか、と……



 ◇


 鳥の声で、ミレルは目をゆっくりと開けた。


「あれ……わたし?」

「朝食は出来てるよ」


いぶかしむミレルに、のんびりとしたユウの声がかけられる。


「あの」

「吸血鬼の話をしてる最中に寝たんだよ、あんた。まあサービスで聞こえなかったところからまた話すから、今は飯を食って素材を取りに行こう」


取材の最中に眠り込むという、記者として情けなさ過ぎる行動に顔を赤くしたミレルに、ユウはそういってにこやかに笑った。

その顔は、とても<人殺し>の顔には見えない、とミレルはふと、感じていた。

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