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ある毒使いの死  作者: いちぼなんてもういい。
第五章 <天の峻嶺>
102/245

71. <影の国>

1.


 <最果ての雪原(ウェスタンクーム)>を抜けたユウは、洞窟に入っていた。

結局、周囲の山からの登攀は難しかったのだ。

それはユウがたどり着いた時間による。

ユウが<古代の狂牙虎>と対戦したのは早朝だ。

その後、彼女が散発的に襲い掛かる白虎や雪豹を蹴散らして雪原の果てにたどり着いたのは昼前になるころだった。

この時間は、凍り付いていた山麓も直射日光に照らされ、徐々に氷が緩み溶け始める。

そんな氷壁を登攀するとなれば、いかに<冒険者>とはいえ転落は必至だ。

なのでユウは進路を変更し、途中までは洞窟を通ることにしたのだった。


 洞窟の内部は<サンガニカ・クァラ>の中でももっともダンジョンらしいゾーンということもあり、比較的しっかりとした記憶を持ったレイダーも多かった。

また、ヤマトきってのゾーン情報を持つ<ホネスティ>が<大災害>後にまとめているダンジョン情報の中でも、比較的精度の高い情報が集められていたということもある。

結果として、途中まではユウはダンジョンの内部をある程度把握できていた。


それによると。


洞窟の中は無数に分岐した迷路であり、誰が設置したかわからない罠や無数のモンスターが蔓延る地獄の道だ。

ただし、その途中にいくつか、休憩点のような形で山麓に顔を出す部分がある。

場合によればそこには野外を舞う竜や飛行型モンスターが待っていたりするのだが……

ユウはそこから登攀に移るつもりだった。


暗い洞窟の中をユウは進んでいた。

地上よりまだしも暖かいのか、地面は凍っておらずむしろぬかるんでおり、ぽちゃん、ぽちゃん、とどこかからか水音も聞こえる。


明かりはない。


ユウは<暗殺者>であるからか比較的夜目が利くし、手元に明かりを置いていては遠方が見えないからだ。

誰もいない自然洞窟の中を、ユウは慎重に足元と前後に目を配りながら歩いていた。


「……、っと」


足元に岩に偽装されていたトラップトリガーをあわてて避ける。

みれば、上には無数の氷柱が悪意あるかのように垂れ下がっていた。


(こりゃ、ティトゥスでもいてくれればよかったかな)


彼ら<守護戦士(ガーディアン)>には、一定ダメージと引き換えにトラップを無効化する<ステップオーバー>という特技がある。

乱発すればHPがいくらあっても足りないことからパーティプレイ用の特技ではあったが、無策に罠に引っかかるよりはマシというものだ。


まあ、いない人間を望んでも仕方ない、とばかりにユウが罠を避けてなおもしばらく歩いたとき、不意に明るい広間に出た。


明るい、というのは天井から一筋光が入っているためのようだった。

それが、凍りついた壁面に乱反射し、増幅されて広間自体をまるで宮殿の大広間のごとく輝かせている。


(ここは……?)


手元の地図を見ようとユウが懐に手をやったときだった。


ぞわり。


何度目かわからない悪寒が彼女の全身を襲う。

まるで三面鏡の合わせ鏡のように、無限に続く氷―いや、鏡の壁の向こうで、写りこんだ無数のユウが同じ動きをしていた。

いや、違う。

鏡に映ったユウたちが懐から取り出しているのは地図ではない。


短剣!



ユウは一瞬で腰をかがめると地面を蹴り飛ばした。

同時に、鏡の向こうから投げ放たれた無数の短剣が、狙い過たず彼女のいた場所に突き刺さって山となる。

まったく同じ経験をヤマトで彼女はしていた。

そのときは、一人。

今度は……無数。


「「「「なーんだ、外しちまったか、残念」」」」


聞き覚えのある声が、さながら変な加工を施したように妙に間延びして聞こえた。

何かの魔法の効果ではない。

同じ声を、別の場所から別の人体がまったく同時に同じ調子で放ったがための不気味なオブラートだ。


「また会おうとは言ったが、こんなに数はいらんぞ」

「「「「「気にすんなよ、<冒険者(オリジナル)>」」」」」」


再び聞こえる無数の返事。

同時に、広間の全方位から、果ては遥か彼方の通路まで、ユウとまったく同じ黒装束、腰に二刀を刷き、黒髪に秀麗な顔立ちをした人影が足を踏み出す。


「さすがに、大隊(レギオン)殺しのダンジョンだな。この数はちょっとまずい……だろう」

「「「「「ようこそユウ(おれ)、さあ、殺しあおうぜ」」」」」


無数の鏡像(ドッペルゲンガー)は、ユウそっくりの顔を嬉しげに歪ませ、告げたのだった。



2.


「いよ、っと」


最も近い位置にいた<ユウ>が、気軽なしぐさで足を踏み出す。

次の瞬間、<ユウ>はユウの懐にいた。


「遅いぜ」

「お前さんがな」


嬉しそうに紛い物の<蛇刀・毒薙>を振り上げようとした<ユウ>の顔面に、ユウの貫手が突き刺さる。

爪を立てるように両目に突き刺し、抉りこむように眼球を潰しながら、もう片方の手で引き抜いた<疾刀・風切丸>でがら空きになった首を殺ぎ、びちびちと筋肉を分断して振りぬく。

ばたりと倒れたその<ユウ>の血しぶきが胸に当たるのもかまわず、ユウは目を潰した生首をぽい、と投げ捨てた。


「あれ、俺、これで終わりかよ。まあいいや」


呆気にとられたような声を最後に、にやりと笑ってその<ユウ>は煙へと変わった。

その煙は再び<ユウ>の現れた鏡に吸い込まれ、たゆたったかと思うと消え去った。


「なあんだ。あいつ、雑魚だぜ」

「俺たちと同じだろ、そりゃ」

「ちげえねえや、ははは」


周囲の<ユウ>たちは笑うばかりで、その倒された<ユウ>のことなど気にもしない。

そんな彼らを見て、ふと、ユウは声をかけた。


「なあ、お前さんら」

「「「「「なんだよ」」」」」

「お前さんらの同類に昔会ったことがあるぞ」

「へぇ、そりゃ珍しいね。どこでだい?」


会話に応じた一人の<ユウ>に、ユウは注意深く視線を向けながら答えた。


「ここから離れたヤマトのカシガリというところだ。そこにあった鏡、確か<鏡像の鏡(ミラー・オブ・ドッペルゲンガー)>といったかな。そこから出てきた」

「へぇ。しらねえな。んで、やっぱりお前と戦ったのかい」

「ああ。で、私は負けた」


ユウの言葉に重なるように、あちこちから嘲笑や舌打ちがもれた。


「なんだ、<冒険者(オリジナル)>も雑魚かよ」

「期待して損したぜ」

「だがこいつ、ここまで来たんだろ? 強いんじゃねえのか」

「仲間がかばったんだぜ、きっと」

「つまんねえ」


「で、そいつは言った。もっと強いやつと戦うってな。そいつは竜と戦った」

「ふうん」


気のなさそうな<ユウ>の一人の返事に、なおもユウは続けた。


「お前たちは私なんだろう? なら、多人数で一人を殺すより面白そうなことをしてみないか?」

「っていうと、なんだ?」

「この<サンガニカ・クァラ>の制圧さ」


ユウの言葉に、あちこちの<ユウ>が勝手に話を始める。


「ここの制圧? 面白いのか?」

「だが、確かにここには氷竜王だの<古代の狂牙虎>だの強そうな連中が山ほどいるぜ」

「確かにこんな雑魚を嬲り殺してもつまんねえしなあ」

「だがよ、なんかこいつ逃げたいだけじゃね? どう考えても勝てないだろ、この状況じゃ」

「腰抜けってことか?」

「そうだな。腰抜けだろ」

「それに」


鏡像は元は自分だ。

ただ命じられた敵を倒すことより、その場でもっとも強い敵と戦いたがる。

そう思い、うまく乗せるつもりだったユウは、一瞬で場の雰囲気が変わったことに気がついた。

押し黙る<ユウ>たちの誰かが呪うような声を上げる。


「俺たちはこの鏡に呪縛されている。ここから離れられねえ。

よって、目の前のこの雑魚をぶちのめすのがもっとも、かつ唯一の楽しみってことだろ」

「「「「「ちげえねえな」」」」」


瞬く間に膨れ上がった殺気に、ユウは戦慄しつつ、にやりと笑った。

口先だけで鏡像(こいつら)を露払いにすることはできなかったが、もうひとつの情報を手に入れたからだ。


「「「「「というわけで、死ね、雑魚」」」」」

「いいことを教えてくれてありがとう、雑魚に劣る馬鹿ども」

「「「「「何だと!?」」」」」


ユウは一瞬で飛び出すと、ひしめき合う<ユウ>たちの頭を次々と蹴り飛ばして前に進んだ。


「おいこら、邪魔だ、どけ!」

「俺が先だ、どけ!」


蹴り飛ばすついでに<ユウ>たちの頚椎を次々とへし折りながらも、ユウは広間を駆け抜ける。

追いつこうとした<ユウ>は続いて放たれた煙にあわてて足を止めた。


「<シェイクオフ>!!」

「畜生、あの野郎隠れやがった!探せ!これだけいりゃ誰か当たるだろ!」

「いてえ!! 斬りやがったな、お前が<冒険者(オリジナル)>かよ!」

「違うわ! よっく見てさらせやこのクソボケ!!」


たちまちあたりは怒号と剣戟の音に支配される。

それを眺めながらユウはほくそ笑んでいた。


何人いようが所詮は自分だ。

そうであれば彼らの行動など、手に取るようにわかる。

閉ざされた場所に<自分>が百人あまり。

それだけいて、敵を見失えば怒りのあまり同士討ちを始めるだろうと踏んだのだ。

そもそも、<鏡像(ドッペルゲンガー)>は<冒険者>をそのままコピーする魔物である。

お互いに仲間意識がないことは、カシガリの洞穴で見ていたとおりだ。

ましてや、今のユウは仲間自体がそもそもいない。


ただでさえ目の前の<ユウ>たちは、たった一人の本物(えもの)を誰が殺すか、互いに互いを警戒しあっていた。

ただでさえイライラしていた彼女たちが互いに刃を向けるのは、あたりまえのことだったのだ。


<クリープシェイド>で彼らを無視して動きながら、ユウはゆっくりと前進していた。

変な動きをする影が彼らの目に映らないよう、暗がりを伝うように、慎重に。

その合間にも、広間を出た通路の両側にある壁の鏡に、こっそりと爆薬を置くことも忘れない。

やがて、<ユウ>たちの醜い同士討ちが佳境に入り始めたころ、ユウは暗がりで実体化すると、続けて<ハイディングエントリー>をかけた。

あたりは毒や爆薬が乱れ飛ぶ乱戦だ。

あちこちで<ユウ>たちが手足をもがれて呻き、別の場所ではある<ユウ>が別の<ユウ>の顔を砕かれたスイカのような形に加工している。

その<ユウ>もまた、がら空きだった脳天を別の<ユウ>によって砕かれる。


(まさに修羅場だなあ……)


さすがに加害者も被害者も自分というスプラッタ映像を長々と見るほど、ユウも酔狂ではない。

ユウは必要十分な数の爆薬を撒きおえると、起爆用の爆薬をわざとある<ユウ>の足元に転がした。


「……ん? なんだ? うおっ!!」


その<ユウ>が爆薬を踏み抜いたとき、崩壊が始まった。

連鎖爆発が起き、あちこちで壁の鏡がひび割れ、倒れていく。

その鏡から出てきたと思しき<ユウ>が、驚愕の顔をそのままに煙と化して消えていく。

あちこちで<ユウ>たちが爆薬を放っていたことも事態の悪化に一役買っていた。

たちまちすさまじい煙が立ち上り、それが今度は粉塵爆発となってあたりの酸素を一瞬で奪う。


(やばい、やりすぎた)


まだ鏡は多い。

<ハイディングエントリー>は解けない。

だが、可能な限り早く、ユウは前方を目指した。

その後方でひときわ巨大な轟音が響く。

洞窟が、内部からの無秩序な爆発に耐え切れず崩壊する音だ。

ざわ、というなんともいえない音と共に風が土くれと一緒に吹き付けた。


(あとどれくらいだったっけ)


いつしか左右の鏡はのきなみ粉塵で汚れ、衝撃でひび割れていた。

もはや何も映し出しそうにない。

後方からなおも追ってくる衝撃波に、ユウは<ハイディングエントリー>を解き、今度こそ全力で走り出す。


走りながらも地図を取り出し、時折現れる新しい<ユウ>は何かをさせる前に足を切り飛ばして後ろに置き去りにした。

このまま圧死では死ぬに死ねない。

ユウはすぐ後ろから迫る爆風から逃れるように必死で駆け抜けた。



 ◇


 前方に光が見えた。

ユウはそこに飛び込むと同時に、足をひねって体を<ガストステップ>で上へと投げ上げる。

次の瞬間、彼女の足元から爆風と粉塵、そして<ユウ>だったものの一部が土石流のように吐き出され、小さなテラスを砕いて眼下の谷底へと雪崩落ちていった。

いつしか夕暮れになっていたらしい。

雪と氷のシャーベット上になった山麓に、トカゲよろしく張り付きながら、ユウは眼下の土石流が転がり落ちていくのを眺めていた。


休むはずだった張り出しはすでに影も形もない。

幸いなのは、おそらくこれで<最果ての雪原(ウェスタンクーム)>で出会った<古代の狂牙虎>を巻いたことだったが、その代わりにユウは頭上を見上げた。

遥か彼方に別の張り出しが見える。

こちらはダンジョンの一部ではなく、純粋に岩が張り出しているだけのようだ。


(あそこまで行かないと休めないな、これは)


ユウは、何時間かかるかわからない登攀に、人知れずため息を漏らしたのだった。



3.


 びょうびょうと風が吹く。

尾根を駆け巡る風は、どれほどの力をもってしても弾き飛ばされそうなほどに強い。

さらに風が吹く。

すべてをなぎ払う神々の息吹のごとく、壁面にうごめく虫にも似た一人の<冒険者>を奈落の底へと連れ去ろうといつまでもやむことなく吹きすさぶ。


そんな中、ピッケル代わりにナイフを立て、岩肌の感触から硬さを確認し。

常に三点を岩場に保持するよう注意しつつ、そろそろと足を上へ。

足がナイフに触れると、そこを支点として体を上へとゆっくりと持ち上げる。

両手両足、四点に刻まれたナイフはいずれも柄に何重にも紐が巻かれ、

その紐は両腕の手首へと巻きついている。

それだけでなく、足の裏にもナイフがぐるぐる巻きに縛り付けられており、登攀を助けていた。

動きの邪魔になるものは、刀も含めてすべて指の<暗殺者の石>の中だ。

ユウは現実の地球にいたころの乏しい登山知識を総動員して、そうした仕掛けを作り、ゆっくりと上っていた。

小刻みに休憩を挟みながらも一昼夜、ユウはそうやって<冒険者>のアシスト機能も及ばぬ登攀を続けていた。


体力はもはや、時折かじる味のない保存食と、喫煙用に買い求めていた<発火>の指輪で直接暖めた壁面の氷に頼るのみ。

状態異常(バッドステータス)が無いからこそ食事のみで済んでいるが

そうでなければ早々にユウは脱落していたことだろう。

なぜ、自分が<神峰>を覆う致死の寒さや大気の薄さに影響されていないのか。

それは、おそらくは左手の刀、長年の愛刀にして持ち主、そして作り手も知らない何かの能力を持った<蛇刀・毒薙>によるものなのだろう、と

ユウは推測していたが、それが真実かどうかは分からない。


ただ、状況からしてこの刀がこの<神峰>に蟠踞するレイドボス、氷竜王を『食らった』のは確かだ。

今までこの刀が明確に『食らった』のは氷竜王を入れて2体。

最初の1体、<冒険者>の女性に擬態したモンスターを食らった時には何も起きなかった。

だが、今回、この極寒、かつ空気の薄い高高度に適応した龍王を食らったことで、何かの特性を持ち主に与えたのかもしれない。



手をそろそろと伸ばす。

握り締めていた短剣が岩場に当たる。そこへ一撃。

だが、その力が強すぎたのか、岩がいきなり砕ける。


「!!」


バランスを崩す体をなんとか押さえつけ、両足と片手でしっかりと壁面にへばりつきつつ別の岩を探す。

そしてふたたび一撃。

今度は耐えたようだ。

ユウは胸をなでおろして次の一歩を踏み出した。


すでに洞窟は遥か下だ。

斜面というのもおこがましい、ほとんど垂直の崖は、ようやくその終わりを見せ始めていた。


「……苦難は、っ! ……その9割5分を終えたをもって…! …ようやく道半ばとすべし。

闘志翳り……苦しみを厭い成功を夢見るが……危難の最たるものなればなり」


そう呪文のように唱えながらも、一歩一歩、踏み出す足が重くなっていくのがわかる。

あそこにいけば休息しよう。

いや、あちらの岩場であれば。

あそこならキャンプもできるかもしれない。


そうした思いだけが、言葉とは裏腹にユウの脳裏を満たしていく。



 もともと自分が忍耐強い性格だとは思っていない。

遠い目標に一意専心挑めるような人間ならば、親の言うままに大学を受け、のんべんだらりと学生生活を送り、就活では多少苦労したものの、その後も資格を取ることもなくサラリーマンを続けていたりはしていない。

だが、常日頃であれば、「まあ、しょうがないな」ですむことが、今だけは致命傷になりうる。


そう思いつつも、休もう、少し休憩しようという思いが抑えきれない。


ついにユウは肉体よりも精神的な疲労に負け、わずかに傾斜した岩場に身をもたせ掛けるように止まった。

いつも邪魔だと思っていた豊かな胸が、今日ほどとりわけ邪魔に思えたときもない。

男の姿であれば、全身をしっかりと壁面につけられたであろうに。


すでに古代海生生物のアンデッドが跋扈する<死せる古代生物の壁墓(イエローバンド)>は抜け、今は雪と岩が無秩序に顔を出している<古代人の足跡(ジュネヴァスパー)>まで来ている。

ユウは小さく息をついた。

いつ雪崩がおきるかわからないこんな状況では、大きく息を吐くことすら恐ろしい。


ふと、ユウは自分が馬鹿馬鹿しくなった。


何でこんなことをしているのか。


それはユウが<サンガニカ・クァラ>に挑んでより何度も抱いた疑問ではあったが、

今日ほどそれが迫真性を帯びて思い浮かんだことはない。

かすかに思い出すのはアキバで出会った占い師の言葉だ。


『暗い、暗い闇。どこまでも深くて、果てしがない。 どんな友人もあなたとそこへはたどり着けない。

あなた……だけが、その黒いものの中へ』


いつの間にか、その口調までも思い出せるようになった。

占いというにはあまりに生々しく、重々しい言葉の連なりだ。

自分は結局、あの占い師の言うとおり、華国へと渡り、消えない汚名をかぶり、そして今、孤独にここにいる。

であればその果てに待つものは、きっと、あの女の言うとおりのものなのだろう。


(何を好き好んで死にに行くために苦しい道を歩まなければならないのか)


ヤマトにいる仲間たちを思い出す。

クニヒコやレディ・イースタルたちは無事に暮らしているだろうか。

アキバの<円卓会議>は今も、必死に生きているのだろうか。

ミナミのユーリアスは、今ものんきに絵本を書く余裕はあるのだろうか。

華国のレンインたちはうまく<大地人>と折り合えただろうか。

ティトゥスと彼の軍団はヤマトへたどり着けたのか。

あの、滅んだマヒシャパーラでただ一人、結界を維持するかつての暴君――自分と同じ悪名をかぶった孤独な<侠客>は今もまだあの場所にいるのだろうか。

テイルザーンは。

レンは。

西武蔵坊レオ丸は。

ジュランやゴラン、カイリたちはどこかの土地を旅しているのだろうか。

<エスピノザ>は今も<妖精の輪>を回っているのか。


誰もが皆、懐かしい。

おそらく、マヒシャパーラのヤンガイジを除いて、もう二度と会うこともないだろう人々の顔が、岩に顔を埋めるユウの脳裏を去来する。

彼らだけではない。

自分が殺した人々、助けた人々、傷つけた人々、励ました人々。

この異世界(セルデシア)で、そして地球で。

次々と人の顔が浮かび上がってくる。


(雪山で幻覚とか、私は瀕死なのか)


両手両足が自由なら、肩をすくめていただろう。

だが、その幻覚が今は無性に懐かしい。


『あなた、適当に切り上げて帰ってね』

『お父さん、疲れてるんじゃない?』

『パパ! もっと遊んでよ!』


最後に浮かんだのは、3人の顔だ。

妻。

娘。

息子。


その顔は妙にぼやけている。

まるで思い出そうとすることを、頭脳が拒否しているかのように。

いや、むしろ。

思い出す決定的な何かを失ってしまったように。


突然、激烈な悲しみに襲われ、ユウは壁面に顔を打ち付けた。


これが、死か。


肉体の死が、現実世界の死であるならば。

現実の肉体を失った、今の自分にとっての死とは、魂、すなわち人格の死にほかならない。

人格とは記憶と経験の集合体だという。

生れ落ちてから経験した無数の出来事、それによって得た無数の記憶。

それらが寄り合わされ、束ねられて『鈴木雄一』という一人の人格になる。

死とは、それを投げ捨てることだ。

地球であれば、肉体を捨てることで。

そしてこちらでは、記憶を捨てることで。


唐突に思い出す。

自分が華国で死んだとき、一度だけ見た幻想的なまでに美しい浜辺の記憶。

脳裏にありありと浮かぶその浜辺に寄せて返していたのは、無数の人々の記憶ではなかったか?


あれは<冒険者>が流した記憶の集まりだと思っていた。

だが、もしかするとあれが。

あれこそが。


(この世界で死んだすべてのものが還る、魂の集合体なのかもしれない)


モンスターにせよ<大地人>にせよ、そして<冒険者>にせよ、死ねば肉体は光となって消える。

肉体はそのまま、大地に、あるいは<大神殿>に還るのかもしれない。

だが、魂だけは。

一旦あの海に解けて消え、そして再び生まれるのかもしれない。

モンスターや<大地人>は、その魂のすべてを洗い清められて。

そして異世界の魂である<冒険者>は、薄皮をはがれるように少しずつこの世界の魂に同化しながら。


もしそうであれば、最後の一片まであの浜辺に流しつくした魂とはどうなるのか。


(異世界の魂であることすら失われ、この世界の魂として生まれてくるのか)


今度は<冒険者>ではなく<大地人>、あるいは……モンスターとなって。


それはおぞましい未来だった。

まるで眠っても起きれば朝が来るというような気安さで死を望んだ自分があまりに滑稽なほどに。


(私は……死にたい、でも、そんな死に方はいやだ)


もしこの世界(セルデシア)にも死神、あるいは冥界の神がいるならば、今のユウの慟哭を嘲笑しただろう。

あるいは『私は<毒使い>の死を望む』と大書された紙をひらひらと振るかもしれない。


『既に契約はなされた』

『お前は損益分岐点を過ぎ、戻れない道に踏み込んだのだ』


そう言って。


ユウは慟哭した。

何もかもが手遅れだと。

孤独の旅路の果てに、孤独に死に包まれることがお前の至る未来だと。


(アキバに、戻りたい)


ふと、手を離せば戻れるのではないか? という想念が浮かび上がる。

今、突っ張っているこの両手両足を外せば、ユウは自由落下する。

一晩かけて上がってきた高さも一気に転げ落ち、出てきた洞窟のテラスも跳び越して、

ユウはあちこちの岩でぐしゃぐしゃに潰されながら谷底まで転げ落ちることだろう。

そして待っているのは、マヒシャパーラでの復活だ。

そこから華国に戻れば、あるいは竜国(インド)にいけば、<妖精の輪>を伝ってヤマトに還れる。


(そうだ、そうするか)


ユウは思わず手の力が抜けそうになった。

ぐらりと揺れた体を、容赦なく風が吹き飛ばそうとする。

その衝撃に、ユウは再び全身に力をこめた。込めながら自問する。


なぜためらう?

吹き飛ばしてくれればちょうどいいではないか。

なに、痛いのはわずかな間だ。

嫌なら毒をあおればいい。まさに即死同様にユウは死ぬ。

なぜ、いまさら躊躇する?


『何でお前がためらうんだ』


かつて自分が手にかけたPKの幻影が呟いた。


『あんたに殺された私や家族の痛みを知りもせずに』


華国で自分が率いた賊たちに殺された<大地人>が恨めしそうに続けた。


『いまさら自分だけは死にたくないとでも言う気か?』


自分がその頭を砕いた<腐った水死体(ウォーターゾンビ)>の子供が囁いた。


『だから死ね』

『今度はお前の番だ』

『死ね』

『死ね』

『100回で許してやるから死ね』


無数の幻影がユウの周囲に現れる。

いずれも壁面などないかのように浮かび、あるいは垂直の崖に腰を降ろして、硬く目を閉じたユウの顔を覗き込む。


『お前は犯罪者だ』

『人殺しだ』

『何事もなかったかのように、元の世界へ返すものか』

『この世界で、セルデシアで永遠に苦しめ』

『そして死ね』

『死んでモンスターになれ』

『そしてまた死ね』

『死ね』


「……そうだな。死ぬことしかないか」


『そうだ』


<大地人>の老人の幻影が、空ろな眼窩をまん丸に開けたまま、大きく頷く。


『お前に喜びなどいらない』

『仲間など要らない』

『滅びさえ生ぬるい』

『死んで生きて生まれ変わってまた死んで生きることがすなわち牢獄』

『ここは魂の牢獄』

『お前はそこの栄えある囚人の第一号じゃ』


「さあ、飛び降りろ」


(わかった)

「断る」


もはや幻聴の域を超え、物理的にさえ聞こえ始めた声に、ユウは大きく頷いたが、同時に出てきたのは内心の感情とはまったく逆の言葉だった。


『なぜ』

『なぜ死なない』

『お前も納得したではないか』

『納得して望んだではないか』

『約束をたがえるな』

『契約を裏切るな』

『魂を差し出せ』

『なぜだ』


(わたしは)

「私は、まだやることがあるからだ」


再び答える。

その声を、ユウはまるで他人の声のように聞いていた。


(やるべきこととは?)

『やるべきこととは?』

「帰り道を見つけることだ」


内心の自分と、幻影たちの疑問に、ユウは答える。


「確かに私は死を望んでいる。

家族の元へ還れないのであれば、せめて魂だけでも帰りたいと。

しかし、還っても、既に私の手は血にぬれ、魂はたくさんの怨嗟に覆われている。

そんな私がいけしゃあしゃあと元の世界に戻って再び平和に暮らそうなどとは、たとえ阿弥陀如来だろうがイエスキリストだろうが許すまい」

(ならば)『なぜ』


「この世界にはまだ手を血に濡らしていない人がいる。

仲間のためにあえて両手を血に染めた人もいる。

同じ<冒険者>のために、血を流して泣き叫ぶ人がいる。

知恵を駆使して戦う人がいる。

技を剣に込めて、杖にこめて戦っている人がいる。

還りたいと、戻りたいと心から願う人がいる。

その人たちのために、私は戦う。

どれほど怨嗟にまみれようと、苦しみにもがこうとも、

恐怖と後悔に枕を濡らそうとも。

だから私は帰り道を探す。

彼らが帰れるように。

迷うことなく故郷に戻れるように。

その礎を見つけて、誰かに届けて死ぬために。

そのためにここへ来た。

そしてそのために、ここから行くんだ。

その果てに私の死があったとしても、それはそれでいい」


幻影たちが押し黙った。

やがて一人が声を絞り出す。


『それはお前の望みではないだろう。願う戦いの果てに死ぬのが望みのはず』

『それにそんなことは、お前より頭も力も人望もある人間の役目です。

アキバの軍師、セブンヒルの皇帝、南海の英雄、華国の侠王。彼らの役目のはず』

『そうだ、おまえにそんな大望を抱く権利などない』

『人殺しの癖に』

『人類の敵の癖に』


「それでも、私はやるんだ。たった一人でも。誰もいなくても、この先に何もなくても。

私は歩く。そのために私は生まれ、生きて、ここにいるんだ。

私の道を阻むな!!! 亡霊ども!!!」


最後は怒号だった。


どこかの崖で雪崩の音がする。

その音に呼ばれたように、ユウは目を覚ました。


「……行かなくては」


先ほどの声が夢だったのか、それともこの場にいる何かの声だったのかはわからない。


だが、ユウは自分の身体が少しだけ軽くなったような気がして、ゆっくりと次の岩にナイフをかけたのだった。


最初は格好良く、「お前たちはヤマトで会ったあいつとは違う」とか言いながら無双乱舞とかしようと思ったんです。

でも、ふと冷静になってみると。

ユウという人物が100人いて、洞窟で乱闘とかしたら洞窟やばくね?

と思った次第。

せっかく姿を消す特技が2つもあったので使わせてもらいました。


たぶん、次に来る人のことを何も考えていません。

すみません。


でも、タイマン好きで短気で戦闘狂な人が100人もいて、「じゃあ順番に勝ち抜き戦ね、一本先取で」

とか絶対にならないと思ったんですよ……

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