番外7 <狂乱の日> (後編)
この話はまだユウがアキバにいる頃のことです。
1.
「早く、入ってくれよ」
トウヤと名乗った少年<武士>は足取りも軽く歩いていく。
その背中を追う、わくわくした顔のユウ、怪訝そうなレン、そしてテイルザーン。
「どうしたの? テイル」
妙に緊張した顔をしたテイルザーンは、尋ねたレンに振り向いた。
「自分もさっきのガキのギルドタグと、ここのゾーン名称を見てみいや。
<記録の地平線>やで、ここ。」
「<記録の地平線>?」
その名がとっさに思い出せなかったのか、問い返したレンの横を、ユウがすたすたと追い抜いた。
何の躊躇もないその足を羨ましそうに眺めて彼はため息をつく。
「せや。自分も知っとるやろ? <円卓会議>11ギルドのひとつで、<円卓>結成の起爆剤だったとこや」
「ああ……」
言われてレンもはたと気づく。その顔が不安に小さくしかめられた。
「だったら、ユウさん……」
「ああ。今のユウは丸腰や。気をつけえ、中は刺客がうじゃうじゃ、なんてこともありえるで。
いつものユウなら気にもせんが、今のあいつは……まあ、アレやからな」
テイルザーンがそう言って舌打ちをするのには彼自身の地球での体験が基づいていた。
◇
かつて、テイルザーンがまだ地球で<冒険者>ではなく公務員をしていた頃のことだ。
ある時期から、急に暴力団同士の抗争が激化するという状況になった。
それも、稀というわけではない。ひどいときには数日おきに発砲事件が出た。
ある日、テイルザーンとその同僚が捕まえた下っ端の組員がぼろりと漏らした一言、
それが抗争激化の理由だった。
「おどりゃポリ公、わろうとるのも今のうちや。うちの組長は、とんでもねえ親分の後ろ盾があるんだからよ」
捜査の結果、テイルザーンの所属する所轄警察署の地域にあるある小さな暴力団の組長が、汎日本的といえる巨大暴力団の幹部と盟約を結んだ―平たく言えば杯を交わしたということがわかったのだ。
その巨大暴力団は、より巨大な暴力団に対抗するべく、小組織の乱立状態だった地域を治めようとしたのだった。
「本当に怖いのは虎やない。虎の威を借る狐どもや。<記録の地平線>の連中がそうでないことを祈るケドな」
「……テイル」
先ほどの少年も、一見したところ屈託なさげだが、とテイルザーンは内心で思う。
彼のレベルは90レベルに遥かに至っていない。
(あの子も、アキバかどこかで必ず地獄を見てきとるはずや。
その地獄作りに手を貸したユウを見て、どう思うか……まして今は<円卓>11ギルドのひとつ。
高まったプライドと、歪な復讐心が浮かばないとは限らんで)
「おおーい、レン、テイルザーン! 早く来てよ~」
沈思していたテイルザーンは、あっけらかんとしたユウの声に苦笑して、頭を振って思案を放り出した。
(まあ、ええか。身ごなしはいつものままやろうし、死んでもどうせ<大神殿>へ戻るだけやさかいな)
心配そうに自分を見つめるレンに、「心配すなや」と笑いかけ、テイルザーンは率先して薄暗いギルドタワーの中に入ったのだった。
◇
ユウが<黒剣騎士団>や<D.D.D.>といったアキバの大手戦闘ギルドと、本格的な敵対関係に陥ったのは<大災害>直後のことだ。
だが、それは今もまだ敵対していることを意味しない。少なくとも、表向きには。
吹き抜けの1階の床に草鞋がしゃりしゃりと音を立てて当たる。
(せやから、さっきの<毒使い>も追撃せなんだんやろう)
がらんとしたホールは水で洗われたかのようにピカピカだ。
そのあちこち、ちょうど人が入れる隙間に油断なく目を光らせながら、テイルザーンはなおも考えた。
ユウと大手ギルドとの確執はすでに手打ち。
それが、テイルザーンやレンの中での一般的な認識だ。
ユウは結局のところ、<黒剣騎士団>の追撃を受けてアキバを退去しているし、先日アイザック自らユウに秘蔵の<幻想>級の刀を渡したという。
数年ごとに行われるアップデート1回につき、数百個単位でしか出てこないのが<幻想>級だ。
ましてや誰かの所有物でない、いわゆる<誰かが唾をつけていない>幻想級の武器ならば、その資産価値は計り知れない。
かつて敵対した1ソロプレイヤーに過ぎないユウに、<黒剣>のアイザックがぽんと<疾刀・風切丸>を渡したのは、いつしかアキバのちょっとした噂の的になるほどだったのである。
逆を言えば、この一連のやり取りで<黒剣騎士団>とユウは、一応の和解をしたといえよう。
だが、それはあくまで<黒剣騎士団>の、それも最上層部においての話だ。
無数のギルドから選ばれし、アキバを統治する<円卓>11ギルドの構成員ともなれば、
その鼻っ柱とプライドは天に昇るほどに高くてもおかしくはない。
それも、いくら発案者がギルドマスターとはいえ零細ギルドといってもよい<記録の地平線>であり、<大災害>直後で混沌としたアキバにおいて死ぬよりつらい目にあったであろう低レベル<冒険者>ならなおさらのこと。
テイルザーンは理解していた。
弱者が強者を葬る唯一の方法は、人数をそろえ、本拠地に誘い込み、奇襲をかける。
それだけであることに。
だが、そんな緊張にとらわれていたのは、この建物の中では結局のところ、彼一人だった。
◇
「暖かいところね……」
それが、かつての雑居ビルを目にしたレンの第一声だった。
<大災害>以来、家という、単なるアイテム置き場や雑談場所でしかなかった場所の持つ意味は大きく変わった。
それまではゲームの一要素でしかなかったものが、名実ともに住居になったのだ。
といっても、その扱いは人によってさまざまである。
ゲームから現実に移っても、家は寝に帰るだけ、というプレイヤーの住居は、荒涼としている。
それに比べて、この廃ビルに漂う雰囲気は、まったく別物だった。
雑居ビルの中心を大木が貫いている、という外観はそのままに、あちこちにあった瓦礫はきれいに取り除けられ、小さくも手入れされた花壇がそこかしこに置かれている。
このビルに住む住人が、気を配って住んでいる、それは証だ。
テイルザーンもレンも、住む場所は<ホネスティ>のギルドタワーの一室だ。
それはそれで賑やかで楽しくはあるのだが、やはり自分だけのプライベートなゾーンと違って、どこかに遠慮がある。
ユウに至っては月いくらで借りた借家に過ぎない。
どちらにしても、彼らにとって、初めて入るギルドタワーは雰囲気からして暖かく、他人の家のはずなのに妙に居心地がいい。
そんな雰囲気に推されたように足を進めた彼らを、一足先に入っていた、トウヤと名乗った少年<武士>が招いた。
「おおい、早く来てくれよ! 上でみんな待ってるんだからさあ!」
「トウヤち、あまり急かすものではありませんにゃ」
そんな3人を、二階に続く階段の上から顔を出した一人の猫人族が微笑んで出迎えた。
「ようこそ、<記録の地平線>へ」
声をかけてきた猫人族―<記録の地平線>のサブギルドマスター、にゃん太は、見上げるユウをじっと見つめていた。
◇
「すまにゃいが、うちのギルマスは今他行中ですにゃ。申し訳ないにゃあ」
「あ、いえいえ、昼飯時にお邪魔して、えろうすんまへん!」
申し訳なさそうに―猫人族はその特性上、表情が読みにくいのだが―会釈したにゃん太に、テイルザーンはあわてて頭を下げた。
そんな彼の前に、どんどん、と皿が置かれ、暖かいホワイトソースの匂いが周囲に漂い流れる。
「お代わりはありますからね。3人もしっかり食べていってください」
<三日月同盟>のギルドタグを背負った少女が、そういって微笑むと、欠食児童さながらにあちこちから手が伸ばされる。
それほどまでに料理は素晴らしいものだった。
しゃきしゃきと瑞々しい野菜が山盛りになったサラダに、林檎と橙のフルーツは旬を迎えて美しく光り、
その中に大皿に盛られたのはホワイトソースがたっぷりとかけまわされた鹿肉のペンネだ。
焼けた小麦粉の香ばしさ、鹿肉の脂の乗った色といえばこたえられない。
付け合せに出された大豆とジャガイモの煮物も、和風の味付けでありながらほくほくとした湯気を立ち上らせ、周囲の香りと見事に調和している。
「いっただっきまーす!」
ギルドの全員が食事を取れるだけの広々としたダイニングテーブルのそこかしこで、<冒険者>たちが料理にかぶりつく。
「おいしい!」
ペンネを一口味わって、ユウは思わず嘆声を発した。
レンもまったく同感とばかりに食事をかきこむ。
一瞬毒かと警戒したテイルザーンだが、よく考えてみればユウは<毒使い>だ。
その毒物や呪薬に対する耐性や危険察知能力は、並みの<冒険者>を遥かにしのぐ。
その彼女が何のためらいもなく食べているのだ、と思うと、
テイルザーンはあれこれ考えるのが馬鹿らしくなった。
「じゃあ、俺も失礼して……! なんやコレ!!」
おそるおそる口をつけたテイルザーンは、その芳醇な味わいに思わずフォークを落としていた。
味のない料理ばかりだった<大災害>当初から、初めて味のある食事が広まったころ、
<旨味がある>ということだけで、それは天上楽だった。
だが、人間慣れてくると傲慢になるものである。
結局、好き好きで<料理人>などというサブ職業を取っていたプレイヤーの中で、自信を持って自分は料理が得意だ、といえる人間なんてごくごくひと握りだったろう。
必然的に、この世界の味のある料理というのは素人料理がその大半を占めている。
あるいは肉串、野菜炒めといった簡単なものだ。
<大地人>はもっとひどい。 簡単な料理ならまだしも、手間隙を加えた大料理ともなれば、彼らには火の使い方、食材のゆで方、切り方などから伝えねばならなかった。
また、やはり中世風ファンタジー世界ゆえにか、味は大味、もしくは香辛料をこれでもかと利かせたもので、結局それほどおいしくなかったのだ。
それらはそれらで旨かったが、<料理人>ではなく、本物の「料理人」の手で作られただろう、
このギルドの昼食は文字通り桁が違った。
熟練の<料理人>が技を振るった食事の素晴らしさは、筆舌に尽くしがたい。
「こりゃ、こりゃあ……なんちゅうものを食わすんや……なんちゅうもの……」
「だろ? うちの料理はすげえんだぜ! なあ、ルディ兄!」
涙すら流して食べるテイルザーンに、隣に座っていたトウヤという少年が得意げに鼻をうごめかす。
そんな彼をぽん、と叩いて、その隣でサラダをほお張る<妖術師>の青年が諌めた。
「ひょら、ひみが自慢するひょとではない」
「ルディ、喋るなら飲み込んでからにしなさい」
「ミス・五十鈴、君はいつもそうやって……」
わいわいがやがやと騒ぐ彼らの顔は一様に明るかった。
自慢げに胸をそらすトウヤに、ルディ―ルンデルハウスという名の<妖術師>の青年が口をもぐもぐさせながら突っ込むと、隣に座っていた五十鈴という名の<吟遊詩人>の少女にやりこめられる。
言いあいをはじめた二人の横で、「まあまあ」と<神祇官>の少女が困ったように笑う。
「いいところですね」
そんな彼らを横目で見ながら、ユウは向かいに座ったにゃん太に嬉しそうに声をかけた。
「いいギルドだ。みんな明るい……別世界みたい」
「そうですかにゃ」
穏やかににゃん太はスープをすくう手を止めた。
「このギルドは、所属する誰もがこの場所を良くしようと思って作ったギルドですにゃ」
返した答えはそれだけだったが、ユウたちには分かる。
彼ら、<記録の地平線>という小さなギルドが、どれだけ手をかけ、気を配ってこの空間を作り上げたのかを。
それは物理的な行動だけにとどまらない。
ギルドの中の人間関係、ひいては外の人間関係にすら、彼らが注意を払ってきた証だ。
そして、その結果として見ず知らずといってもよい3人はこうして昼食をご馳走になっている。
隣で黙って聞いていたテイルザーンは、思わず恥ずかしさに身がすくんだ。
よく考えれば、人数の少ない零細ギルドは、ギルドマスターとメンバーの距離が非常に近い。
混沌のアキバを憂いて<円卓会議>を結成したような人物に率いられるメンバーが、
ユウをこれ幸いと襲うような、そんな卑劣な手を使うはずもなかったのだ。
黙りこくって食べるスピードを上げるテイルザーンに、にゃん太の隣に座ったセララという<三日月同盟>の少女が嬉しそうに笑う。
自分の作った料理をおいしいといって食べてもらえること、それが心底好きなのだろう。
そのセララは、手元の料理に再び目を落としたにゃん太の代わりに、ユウに目を向けた。
「ユウさん。私を覚えてますか?」
「うん、あのときはお世話になりました」
丁寧に食器を置いて頭を下げたユウに、あわててセララも手を振った。
「あ、そんなことはもういいですよぅ。 気を取り直せたのなら、よかった」
にっこりと笑うセララのほんわかした姿に、この子とはいい出会いがあったのか、と思ったテイルザーンがふと尋ねた。
「なんや知り合いか? どないして会うたねん?」
「うん。ギルド会館前で彼女の頭に吐瀉物吐いたんだ」
「……聞いた俺がアホやった」
にこやかな表情を微塵も変えず言い放つユウに、テイルザーンだけでなく、わいわいと騒いでいた若手<冒険者>たちも思わず黙りこくる。
「な、なあ! そういえばあんた、その言葉、関西弁だよな。
ミナミのほうから来たのか?」
しばらくかすかに食器の音が響いていただけの食卓で、不意にトウヤが大声を上げた。
「あ、ああ。せやけど……自分も西の生まれか?」
「いや、そうじゃねえんだけど…今度旅をするんでさ。西のこと、聞きたいと思ってさ」
答えるトウヤの横で、<神祇官>のミノリ、<吟遊詩人>の五十鈴も興味深げに目を煌かせていた。
五十鈴の横の<妖術師>ルンデルハウスの顔がかすかに曇ったのは、知り合いが<|Planthwyaden>にでもいるのだろうか。
答えようとしたテイルザーンはふと、にゃん太がゆっくりと首を横に振るのを見た。
(確かにナカルナードの燃焼頭やらのことを話す場所でもないわな)
軽く目を伏せてにゃん太に了解の合図を送り、テイルザーンは片頬にペンネを積み込んだまま体ごと少年少女たちに振り向いた。
「せやったら、俺がこのアキバにきたときのことを話したろう。
ええか? 俺は<ズーランドの草原>で恐ろしい怪物に……」
身振り手振りを交え、わいわいと話し出すテイルザーンに、トウヤたちは目を輝かせて聞き入った。
その隣では、レンがにこにこと笑いながら時折鋭い突込みを入れている。
聞くほうはといえば、同じ<武士>だからというのもあって、トウヤはテイルザーンの戦い方に興味があるようだ。
テイルザーンは大規模戦闘専門である。
大規模戦闘における<武士>とは、時に<守護戦士>とスイッチして鉄壁の防御で仲間を守り、
また次の瞬間には高い攻撃能力を生かして戦場を食い破る剣となるのが役目だ。
それに熟練した彼の戦い方を、若い<武士>は少しでも学び取ろうとしていた。
一方で控えめながらも質問を繰り返すのは<神祇官>のミノリだ。
トウヤの双子の姉という彼女は、まるで戦場を検分する軍師さながらに、テイルザーンが歩いたゾーンの情報を集めている。
聞けば地球ではまだ中学生だったというが、とてもそうは見えない。
テイルザーンは質問に答えているうちに、自分たちのギルドマスター、アインスに報告しているような気分にさえなった。
その隣で興味深そうに、だが時折目を沈ませて聞き入るのはルンデルハウス・コードという青年だ。
彼の質問はおおむね<大地人>関連に特化している。
口調といい、気障ったらしい振る舞いといい、
(ロールプレイヤーやな)
とテイルザーンは当たりをつけた。
おそらく、この世界に来てからの自分の使命を、「弱者たる<大地人>を守る」ということだと定義づけているのだろう。
それはそれで高潔な志だ。 彼は話しながらふと、
『<大地人>には敬意をはらわなアカン。せやけど彼らを守るのは<冒険者>や!』
と演説していた、かつての仲間を思い出す。
その志も、何もかもを、薄汚い連中に差し出してひれ伏した、かつての盟友を。
その隣にいる五十鈴という少女は、これは別の意味で非常にわかりやすい。
気分よく―一時を除いて―満腹になるまで食べた人間特有の、ほわんとしたとろけるような目で
小さく首を前後に振っている。
おそらく、テイルザーンの話をもっとも素直に、楽しく聞いているのは彼女だろう。
その目は、揺らめきながらも自分がそこを歩く日を夢見ているようだった。
ちらりと、横のユウを思い出す。
彼女と同じ、旅人の目だ。
その瞳は、まだ見ぬ冒険と脅威、そして新しい何かを求めて絶えずさ迷っているようだった。
(四者四様、やな)
◇
食後。
まだ午後も早い時間ということもあり、ユウたちはにゃん太たちの好意に甘え、少しこのギルドで休ませてもらうことにした。
客用のベッドには、今レンがすうすうと寝入っている。
その隣の部屋では、セララも加わった聴衆を相手に、いよいよテイルザーンが熱弁をふるっているところだった。
彼も疲れているだろうが、結局は話すことが好きなのだろう。
彼は突っ込み役が離れたのをいいことに、英雄説話めいた旅話に余念がない。
そして、ユウは2階に設けられたテラスの椅子に座って、にゃん太と一緒にぼうっと座っていた。
頭に霞がかかったように、いつもの思考ができない。
そう感じていたユウは、にゃん太の声に最初反応ができなかった。
「……ち? ユウち?」
「あ、ごめんなさい……」
「いいですにゃ」
にこりと笑ったにゃん太は、言いかけていた言葉を最後まで口にした。
「あにゃたの道は、見えそうですかにゃ?」
「どうでしょうね……」
敬語だからか、知らずユウの口調もいつものものに近くなる。
「何かをなすべきというのはわかります……ヨコハマで会った人が教えてくれたんです。
それは……多分ヤマトにいることではなくて」
「そうですかにゃ」
うーん、と猫らしく伸びをしたにゃん太の目が気持ちよさそうに細められた。
「アキバの中に一万五千人。ヤマトも、セルデシア全体でも、もっと多くの人がいるにゃ。
ユウちは、それらを見てくるとよいのですにゃ」
「見て、何かが変わりますか?」
「それは見てみて初めてわかることですにゃ」
「にゃん太さんは、まるで預言者のようですね」
「私は私のなすべきことをなすだけなのですにゃ。
あにゃたが歩くうちに、それは道になるのにゃから、歩けばいいのですにゃ」
後ろでは若者たちの騒がしい声が聞こえる。
ユウは、この小さな時間の記憶だけは、どれだけ死んでも持ち続けられたらいい、と小さく思った。
2.
礼を言って<記録の地平線>を辞去し、そこからもあちこちを回って、3人がその店の前にたどり着いたのは、そろそろ夜も更けようかという頃だった。
さすがにレンもユウもくたくただ。
今日は夢も見ずに眠れるだろう。
<万世橋>横の露店街、食い倒れ横丁、そして<変人窟>。
興味と楽しみの赴くままにアキバを駆け回ったユウも、さすがに疲労の色が濃い。
それでも、「あ!」といってその店を指差したのは、彼女自身、こうやって天真爛漫に町を見られるのは今だけだと悟っているからだろうか。
ユウの細い指の先には、<マギカ・ファクトリー>と書かれた看板の下に、ゆるゆるとしたカーテンがゆれていた。
「もう、店じまいしたんじゃない?」
「せやな……」
「行ってみようよ!」
「あ、おいこら、ユウ!」
たたっと店に入っていったユウの後を、慌てて追った二人は、店の中で一人の女性<大地人>がにこやかに微笑んで迎えるのを見た。
「あ……まだやってはりますか?」
「ええ。どうぞ」
落ち着いた声に誘われるように、テイルザーンとレンはおっかなびっくりと店を見渡す。
普通の店舗でありながら、どこか異国風の羅紗のカーテンであちこちを覆われた店内には、壁といわず天井といわず、あちらこちらに呪薬や素材、霊符がかかっている。
その奥で来客を微笑んで迎えるのは、ローブに三角帽という、いかにも魔術師風の女性だった。
「<マギカ・ファクトリー>のミーミアです。ようこそ、<冒険者>どの」
「あ、この<サルマティアの干し首>欲しかったんだよね」
某テーマパークの水上アトラクションに出てきそうな、おどろおどろしい素材を見つめてユウが言う。
<毒使い>である彼女にとって、この店の素材はどれもすばらしいものに見えているのだろう。
げんなりしながらテイルザーンは、どこか誘惑的に首をかしげるミーミアと名乗った<大地人>から目をそらし、あたりの品物にわざとらしく目を向けた。
その光景を見て、ミーミア本人が苦笑する。
「まあ、<武士>さまに私の店はつまらないと思いますわ。
でしたら……そう、暇つぶしに占いはいかが?」
そういう彼女の手には、いつ持ち出されたのか、古びたタロットカードが並べられている。
手品師のごとくカードを操る彼女を見つめていたレンが、「あ」といってテイルザーンに口を近づけた。
「この人、ゲーム時代有料で占いのメッセージを出してくれた人」
「せやったら、本物の占い師やっちゅうわけか。 よし、お願いするで」
どかりと腰を下ろしたテイルザーンを見ながら、ミーミアが言う。
一種のトランス状態なのか、その口調は夢見るようだ。
「あなたが知りたい未来は……どんな未来?」
一瞬「元の世界へ返れるか否か」という質問が脳裏をよぎる。
だが、<大地人>に言っても困るだろうと、テイルザーンは首を振って別のことを口に出した。
「俺は<ホネスティ>の<武士>や。お姉はん、俺のこれからの戦いを占ってくれへんか?」
「そうね……」
相変わらず一般人の感性とは逸脱したアイテムを見て嬌声を上げるユウの声をバックに、
テイルザーンは自分でも変に思うほど真剣にミーミアの手元を見つめた。
やがて、目を閉じたミーミアが静かに言う。
「『あなたは勇名高い<武士>……あなたの行く手には数々の冒険と困難があるわ。
でも、隣の彼女や騎士団の仲間と一緒に行けばそのすべては恐ろしくはない。
たとえかつての仲間と刃を交えることになっても……あなたの心は挫けない。
そしていつか、あなたは願った場所へたどり着く。それがどんな形だったとしても』」
テイルザーンは絶句して、タロットを片付けるミーミアを見ていた。
『かつての仲間』―-<ハウリング>。そしてナカルナード。
今はもうない、かつての彼の居場所。
そして『どんな形でも願った場所にたどり着く』とはどういうことなのか。
そんな彼を見て、いきなりいたずらっぽくミーミアは笑い、しまいかけたタロットを取り出した。
「ここまでは未来のこと。すぐ近くの未来のことをお教えしましょう。
あなたに剣難の相が出ているわ。あなたのすぐ近くで、偽りの仮面に怒りを押し殺している人がいる。
その人の仮面は、明日には剥がれるでしょう。
あなたは、あなたと同じ境遇の仲間とともに、すぐにこの町を離れるべきね」
今度こそ彼はぞっとして、後ろで楽しそうに品物を物色するユウを見た。
レンもまた、青い顔でユウを見る。
まるで洋服をブランドショップで選ぶ女子大生のように、不吉そうな草を品定めしているユウは、不意に集まった視線に不思議そうに首をひねった。
「……どうしたの?」
「ああ、ええ。何も気にせんでもええ。楽しゅう頼んますわ」
「……へんなテイルザーン」
ユウの無関心そうな声を尻目に、彼は向き直るとレンに視線を向けた。
「自分はどないや?」
「……やめとくよ」
「じゃあ私が占ってもらってもいいかな?」
テイルザーンとレンが振り向くと、そこには両手で素材を抱えたユウがにこにこと立っていた。
◇
「おねえさん。これとか全部買える?」
「買占めはだめです。在庫の半分まで」
うずたかく積み上げられた素材の山に、ごくりとレンは息を呑んだ。
よく見ると、そこにあったのは単なる物質ではない。
何かの灰はきらきらと妙に不吉な光を放っているし、山の裾から見える葉は風もないのにうごめいている。
挙句、加工された人の首らしきものが小声で怨嗟の声を上げているのを見て、レンは今度こそ気が遠くなるのを感じた。
「なんや……このけったくそ悪い物は」
「毒の素材だよ」
取引を終え、ひょいひょいとそうした素材を<魔法の鞄>に詰めながら、ユウはなんでもないように言った。
「毒が恐ろしい訳や……」
「そんなことより、占いを頼んでいい?」
妙に浮かぬ顔でユウの手つきを見つめるミーミアが慌てて答えた。
「ああ、はい。いいですよ。何を占いますか?」
「私の道を」
そういうユウの脳裏には、先ほど話したにゃん太の言葉がこびりついている。
『歩いて、そして、見ることですにゃ。あにゃたの歩いたところが道になるのですにゃ』
(なら、私は望むままに歩いてみよう)
たとえそれが、ヤマトや友人との別離であったとしても。
ミーミアは、黙ってタロットを繰っている。
その顔は、先ほどテイルザーンを占ったときとはまったく別の、悲壮ともいえる表情に彩られ、
細く白いおとがいに汗がたらりと落ちていた。
やがて、タロットを静かに場においたミーミアは、ユウを正面から見て一言、聞く。
「聞きますか?」
「聞きたいです」
「あなたの運命はお隣の友達二人とは明らかに違う。聞いて良い気持ちにはならないでしょう。
それでも?」
居住まいを正し、ミーミアはしなっと落ちていた三角帽を立てた。
その瞬間、彼女の雰囲気が変わる。
町に住む一<大地人>から、予言者へと。
「うん」
口調こそそれまでどおりだが、いつものユウそのままの鋭い目が、<大地人>を射抜く。
どれほどそうしていただろうか。
テイルザーンとレンが思わず息をつくほどの時間の間、見詰め合っていた二人の女性は、やがて静かに言った。
「では、話しましょう」
◇
「ユウさん。あなたの道は孤独の冒険の道です。あなたは多くの人と出会い、一緒に肩を並べて戦うでしょうが、その誰一人ともその後の冒険すべてを共にすることはないでしょう」
「……」
「……あなたには友人がいます。少し離れた町に住む、孤独な少女。
彼女のために、あなたは大陸へと渡るでしょう。そしてあなたは彼女のために、決して消えぬ汚名をかぶることになる」
「あなたは大陸の誰からも排斥され、蔑まれ、憎まれる。そしてその友人とも別れる」
「なんや! ユウがそんな分の悪いことするわけないやないか!」
思わず叫んだテイルザーンの袖をレンが引いて、首を振った。
今は聞くべき。これはあくまで占いなのだから。
視線でそう告げるレンに、テイルザーンは憮然と腰を下ろした。
ユウはといえば、動くこともなく黙ってミーミアの声を聞いている。
背中を向けられたテイルザーンに、彼女の表情は見えない。
「あなたは孤独に歩く。頼もしい黒騎士、明るい伯爵、豪放な剣士、頼もしい<吟遊詩人>。
旅を共にした二人の僧侶、かつて対峙した白銀の軍団長、一途な<剣士>と<道士>。
ほかにもいろいろ、あなたを助ける仲間はいる。
でも、その誰一人としてあなたと一緒には歩かない。
あなたの道は、彼らとはあまりに違っているから」
「……その道の果てには何が?」
ユウの静かな問いかけに、ミーミアは目を閉じたまま苦しげに言う。
「広大な砂漠、古の聖山、偽りの悪の聖地、白銀の山嶺、かなたの修道院、混沌の都。
あなたは歩く。いつまでも、ただ一人で。
……それから、それから……っ!」
急に苦しげに呻き始めたミーミアを、慌ててテイルザーンが抱き上げた。
「なんや! 姉ちゃん、しっかりせんかい!」
「あなたは……その果てに望みがかなう。でも、それは……」
「何が見えたの」
ユウの声は、苦しむミーミアを見てなおも冷静だ。
いや、冷静だろうか?
ふとテイルザーンは、彼女に見えているものとは別の、まったく違う感情が入っているように思えた。
それは。
「暗い、暗い闇。どこまでも深くて、果てしがない。
どんな友人もあなたとそこへはたどり着けない。
あなた……だけが、その黒いものの中へ」
「そうか……望むところだな」
ああ。
唐突にテイルザーンは確信した。
ユウは、喜んでいる。
「そんな! 私たち<冒険者>は、死ぬことはないと!」
レンの悲鳴に、ユウはちらりと後ろを振り向いた。
その顔は、それまで二日にかけて見せてきた、天真爛漫な女性<冒険者>の顔ではない。
目標を目指して矢のように進む、<毒使い>の顔だ。
かくも嬉しそうに、ユウは嗤う。
「そうか。<毒使い>の死か。私がこの世界で始めて、本当に死ぬ<冒険者>になるのなら」
「ユウ! アキバに残れ!」
悲鳴のようにテイルザーンも言う。
ミーミアも顔を青白くさせたまま、こくりと頷いた。
「私もその果てになにがあるのかわからない。でも、もし、あなたが今、彼の言葉を受け入れたなら。
あなたの運命は、きっと変わる。
あなたは、この世界の数多くの仲間と共に、巨大な<冒険>に臨む。
その果てに、あなたはみんなと同じ結末を迎えるでしょう」
「そうか……なら、私の答えは決まっているな」
今度こそいつもの口調そのままに、ユウはにやりと笑った。
「私は行く。<毒使い>の死――その黒い何かにたどり着くために」
◇
時刻は深夜を回り、夜明けまであと数時間だった。
<マギカ・ファクトリー>で思ったより時間をつぶしたようだ。
今はテイルザーンは隆々とした体の上に、ユウとレン、眠り込んだ二人の女性を担いで歩いている。
向かう先は<ホネスティ>のギルドタワーにあるレンの部屋、
そして、昨日も寝ていた広場近くの高級宿屋だ。
単に酔っ払った僧侶、バイカルが気前よく金貨をばら撒いたせいで、後数日宿泊ができるからなのだが。
いまさらながらに肩で眠るユウを思う。
元の世界では中年男というが、こうやって抱き上げた<冒険者>の肉体は細くたおやかで、
とてもミーミアに言われた苦痛に満ちた未来を嗤って受け入れた人間と同一人物とは思えない。
「なんでわざわざドえらい道を歩くねん……ほんまはマゾヒストなんとちゃうか」
ユウが熟睡しているのをいいことに、言いたい放題を言いながらテイルザーンは<ホネスティ>に立ち寄り、同僚たちの好奇心に満ちた視線を雄雄しく無視して、宿屋へと引き返した。
手近なベッドにユウを放り込み、寝苦しそうな衣服を脱がせて鞄に突っ込み――テイルザーンの名誉のために言えば、睡眠欲に支配されかけていた彼に醜い欲望など欠片も残っていなかった――布団をかぶせると、小さくささやく。
「せやったら、苦しい目に会う前に、せめて英気を養っていけや」
がちゃり。
扉を閉めて、好色そうな目で自分を伺う<大地人>の宿の主人に、彼は冷たく言った。
「おっさんら、命が惜しかったら明日の、せめて午前中はどこかに逃げときや。
ユウが目覚めたとき、周りに人がおったら巻き添え食って死ぬで」
あわてて主人が立ち去るのを見て、テイルザーンはいまだ眠る友人たちのいる部屋の前で、大きく息を吸った。
眠い。疲れた。
だが、どれほど疲れようと命に勝るものはない。
「バイカル! レオ丸はん!! はよう起きいや!! 今からオウウまで逃げ……いや、クエストにいくで!!」
半裸で目覚めたユウが、せめてもの親切とばかりにこの2日間の行動をこと細かく記したテイルザーンのメモによって、混乱と羞恥心と八つ当たりめいた怒りの鬼と化すまでには、いまだ数時間の余裕がある。
3人の<冒険者>であれば、馬を飛ばして狭山くらいまでは落ち延びられそうだった。
どこかで、時を間違えた雄鶏の声が響いていた。




