9. <リューリアの野> (前編)
私は、その日もリューリアの花と葉を取るために北の草原に出ていました。
リューリアというのはご存知でしたか?
この近くに生える植物で、見た目はただの野草ですが、花には解熱の効果、
葉には消毒の効果があります。
ここハダノでは、麦や煙草と並ぶ特産品なのです。
私はいつものように葉を取っていました。
春の長雨を越えたリューリアは、効果が非常に高いのです。
夢中になってとるうちに、私はいつのまにかあの怪物たちに取り囲まれていました。
必死で逃げましたがね……
逃げるときに腕を折られ、何本も矢を射られました。
数?
無我夢中でしたからね、覚えていませんよ。
ただ……
……遠くで私をにやにやと笑って見ている一匹のゴブリンだけは覚えています。
意外と近くにいたのかもしれませんな。
はっきり顔が見えましたから。
私は、その後は結局気絶して、たまたま通りがかった狩人が連れて帰ってくれたのですよ。
1.
払暁。
ユウは草原にいた。
平坦な大地には、夜露を受けた草がそよそよと揺れている。
時折草原を吹き渡る風は、数時間後の熱暑が嘘のように涼しい。
弓を背負い、腰に刀を吊るしたユウは草原のかなたに目を向けた。
どこから持ち込んだのか、なぎ倒されたように荒く伐採された丸太で組み上げられ
色とりどりの粗布で装飾された異形の城砦。
行商人ケールメルスが襲われた怪物たちのキャンプが、
静かな風景の中のいびつな点景として、そこに屹立していた。
大きい。
ユウは<エルダー・テイル>でゴブリンキャンプを見たときの事を思い出す。
数十匹のゴブリンが集う前線基地であるそれらキャンプは、多くが南国めいた色彩で彩られ
周囲に不気味な威圧感を与えていたが、規模自体は小さなものがほとんどだった。
イベント<ゴブリン王の戴冠>のような特殊な場面をのぞき、数人のパーティどころか
一人でも踏破できるほどの大きさしかなかったはずだ。
だが、目測から感じ取る限りでは、ユウの見るキャンプの規模は遥かに大きい。
もはや急造の宿営地ではなく、野戦築城された砦といっても差し支えないほどだ。
アキバやシブヤの<冒険者>の目と鼻の先といっていいこの地で
そこまでのキャンプが設営されるのを見るのは、ユウにとっても初めてのことだった。
(イベントか?)
真っ先に思い出す言葉。
アップデート、<ノウアスフィアの開墾>が無事実装されたとするならば
それは当然多くの未知のイベントやクエストが同時に実装されたということでもある。
そして、新規アップデートの前後には、アップデートの内容に関わる大規模クエストが
実装されるのも、これまでの通例だった。
もし、そうだとすると。
ユウは腰を深く落とし、匍匐前進のような姿勢で進んだ。
間近までくると、砦と化したゴブリンキャンプの威容は思わず身をすくませるほどだった。
たかがゴブリン、単独で斬り込めば半日で倒せると思っていただけに
ユウは見通しが甘かったことを実感せざるを得なかった。
ゴブリン一人ひとりはそれほど大した敵ではない。
ユウからすれば特技を出す必要性すらないとさえいえる。
しかし、30匹もいれば攻撃のすべてをよけきれないし、下手をすれば囲まれて数で倒されることになりかねない。
アキバへの出入りを禁じられたユウにとり、死ぬことは絶対に避けるべきリスクだった。
そして首尾よくリーダーを倒しても問題が残る。
圧倒的にレベルの違う敵ユウに蹴散らされたゴブリンたちが統制を乱し、ハダノに乱入することがあれば、すべて水の泡だ。
本来そうした事態を避けるべき要素として、戦士職には自分に相手のヘイトを集めるタウンティングの特技がある。
これによって混乱する戦場を単純化し、効率のいい殲滅を可能にしているのだ。
しかし武器攻撃職である<暗殺者>にそうした特技はなく、あったとしても防御力の面で耐え切れない。
(やむを得ない。とりあえず戦力を確認してから、ケールメルスか誰かにアキバの<冒険者>を呼ばせるか)
荒々しく組み上げられ、棘のように馬避けの杭が立ち並ぶ「大手門」を見上げながら
ユウは草いきれに塗れるように息をついた。
見張りらしいゴブリンが眠そうに欠伸をしている。
(ひと押しして当たりを見るか?いや、そのままでは囲まれるだろうな。
じゃあ火をつけるか?…周囲に延焼するな。ハダノの煙草を買いにこられなくなる。
となると)
「おい」
逡巡するユウの肩に、手甲に包まれた無骨な手が置かれたのはその瞬間だった。
2.
「いや、すまん。まさかあんな敵の近くに<守護戦士>が隠れているとは思わなかった」
「気にしないでくれ。確かに<追跡者>持ちの<守護戦士>は珍しいビルドだと自覚がある」
既に日が昇ってしばらくした、草原の一角。
ユウが頭を下げる前で、藍色の鎧を着た青年がははは、と手を振った。
あぐらをかいて座る二人の周りを、青年の仲間らしき男たちがめいめいに座って囲んでいる。
磊落な態度の<守護戦士>の青年と違い、彼らの目は胡散臭そうにユウに向けられていた。
「しかしいきなり毒を入れられた瞬間はどうしようかと思ったよ」
「すまない、習性でね……」
藍色の鎧を<黒剣騎士団>と間違えたとも言えず、ユウは神妙そうに顔を下向かせた。
「まあ、とりあえず誤解が解けてよかったじゃないか」
髪を逆立てた、一昔前のロッカーのような顔のエルフがそういって話に割り込んだ。
顔のあちこちに施された戦化粧が、なおさらその印象を強めている。
「ユウさん、でしたっけね。ステータス画面を見れば一目でわかるけど、
俺たちはギルド<エスピノザ>。こっちの<守護戦士>がギルドマスターのカイです。
俺は一応、サブリーダーをやってるあんにゃまって言います。よろしく」
手を差し出すロッカー風のエルフ-あんにゃまとユウも握手を交わす。
「ネカマでソロのユウだ。あんたらはなんでここに?ハダノで依頼を受けたのか?」
名前を告げても顔色を変えたメンバーが一人もいないことを確認して、
ユウは<エスピノザ>の面々を見渡して聞いた。
首を振って答えたのはカイだった。
「いや、俺たちは<円卓会議>からの依頼で<妖精の輪>の行き先を調べている。
今回もその一環でね。ここの北にある洞窟の<輪>から出てきたのさ。
思ったよりアキバに近いから、周辺を見て回ろうとしていた。
そこであの馬鹿でかいゴブリンキャンプを見つけたので、偵察してたんだ」
カイのさらっとした説明に、ユウはふと違和感を覚える。
「いくら<追跡者>でも<守護戦士>が一人で?
そこの…テングさんだっけか。<暗殺者>がいるだろ」
一同の中でももっとも若そうな―この世界では<冒険者>の外見年齢は実年齢を測る指標にはならないのだが―革鎧の男をユウが示す。
何の気なしの動作だった。
だからこそ、ユウは次の瞬間の彼の反応に再び驚いた。
「……うるせえな!よそ者が!」
テング、と呼ばれた<暗殺者>がいきなり立ち上がって叫ぶ。
「ギルマスが出るんだから、メンバーは従って当然だろ!
そんなこともわからないのか、ネカマ?」
「やめろ、テング」
「カイさんたちも、なんでこいつと話してるんですか?
さっさと帰りましょうよ、アキバへ。キャンプなんて他の連中に任せればいいんですよ。
俺たちの仕事は<輪>の探索でしょうが!
そもそも<円卓会議>のクエストを知らないソロなんて怪しさ満点じゃないですか。
もしかするとススキノの……」
「やめろ!」
カイの怒鳴り声に、テングは一瞬びくりとすると、ふん、と顔を背けて座り込む。
沈黙の後、再び口を開いたのはカイだった。
「すまん、不快にさせたな」
「いや、いい。で、あんたらはどうするつもりなんだ?」
ユウはばっさりと本題に入り込む。
<エスピノザ>のメンバーはリーダーである<守護戦士>のカイ。
サブリーダーの<吟遊詩人>のあんにゃま。
<暗殺者>のテング。
挨拶以外で口を開いていないが、
<施療神官>のニョヒタ、<森呪遣い>のレスパース、
<妖術師>の黒翼天使☆聖という、バランスの取れた構成だ。
そして全員が80レベル後半であった。
この戦力であれば、うまくすればキャンプの殲滅も不可能ではない。
「テングさんの言ってることも正論ではある。
あんな規模のキャンプがこの場所に出ていること自体が異常だ。
何らかのクエストか、あるいはその前兆と思ったほうがいいと思う。
一旦アキバに帰還し、戦力をそろえてくるのもひとつの手だろうよ」
「俺たちは、あのキャンプを叩こうと思う」
カイが静かに言い、テングを除くメンバーが頷いた。
「ハダノには俺たちも行った。あの規模のキャンプを自由にさせておいたら
真っ先に狙われるのはあの村だろう。
勝てない戦いをするつもりはないが、勝てないとは思わないんでね」
不敵に笑うカイも尋ねる。
「ユウさんはどうするんだ?見たところ本当にソロみたいだが、あの砦を一人で落とす気だったのか?」
「依頼を受けたんでね。といっても報酬はないが」
実際は受け取るべき報酬もなかった、と言っていい。
ケールメルスの家は見た目どおり非常に貧しく、報酬どころか、ユウは自分が預かっていた金や作物を、そのまま彼の家に置いてきてしまった。
ハダノは豊かな村だが、自力でモンスターを倒せない<大地人>にとって生は過酷だ。
まして暴利を貪らないケールメルスの商売では、家産が増えないのも道理だろう。
現金を得る機会が多い行商人だが、彼は得た利益のほとんどを村に納めてしまっていた。
「村長の義理の息子である自分が贅沢をしていたら、他の村人の和を乱す」という理由で。
「依頼か。ならしょうがないな。なんなら一緒にやるか?」
そういってウインクするカイに、ユウは「それもそうだな」と頷く。
一人、テングの顔色があからさまに変わったが、今度は何かを言う前にあんにゃまが目で制していた。
ユウをすまなそうに見て、カイは続けた。
「90レベルの<冒険者>が援護についてくれるとは心強い。
とりあえずハダノに行こう。向こうで作戦会議をする」
立ち上がるカイに続いてユウも立ち上がり、
既に視界から外れた砦のある方角を見つめた。
「カイさん。偵察はしてきたのか?」
「ああ。一応な。といっても中に入れなかったから、ある程度だが」
「そうか……まあ、今の時間に入り込むのは自殺行為だな」
ユウはひとつ頷くと、馬を呼ぶメンバーに合わせるように笛を口に当てた。
3.
その日の夜。
カイたちは夕食をぱくつきながら地図を広げていた。
村長の家の広間である。
既に村長一家は寝室に引き取り、広間にいるのは<冒険者>たちだけだった。
村長イットクの家は広さこそあったが、どことなくがらんとして寒々しい。
家具があまりないからだな、とユウは合点した。
素組みの壁の塗りも適当であり、どこかケールメルスの家と似た雰囲気を醸し出していた。
(家風かね)
そう思うユウの周囲では、<エスピノザ>のメンバーがくつろぎながら地図を睨んでいる。
「あの規模だ。チーフが1匹とは思えん。数匹いると考えたほうがいいだろうな」
「祈祷師や猛獣遣いもいると見るべきだ。
魔狂狼の吼え声が聞こえた」
「となると正攻法では攻め切れんかもな。奇襲は前提として、どうやって撃破する?」
「カイが突っ込む」
「馬鹿言え、いくら俺でも死ぬぞ。お前、俺をドラゴンか何かと勘違いしてないか?」
「そもそもまず連中の脅威は数だ。リーダーを殺ったとして、ゴブリンが散り散りになったら被害が広がるだけだ」
「やっぱり火か」
「先に侵入して、普通のゴブリンを殺せるだけ殺すというのは?」
黙って小刀で爪を削っていたあんにゃまが声をかけた。
「先行するのか?しかし危険だぞ。どじを踏んで囲まれたら下手すれば死ぬ」
「武器攻撃職が3人もいるんだ。他のメンバーは門のすぐ外で待っていればいい」
「俺も行ったほうがいいんじゃないか?」
カイの言葉にあんにゃまが首を振る。
ちらりと彼がユウに視線を向けたのを受け、ユウがスープを置いて彼の後を続けた。
「いや、カイは待機したほうがいい。門の外の味方が無防備になるし、移動はともかく音を立てずに殺して回るのは重装備じゃ無理だ。
撤退のときも、門でヘイトを稼いでくれたほうがいいだろうしな」
「そうか、よし」
議論が煮詰まったと感じたのだろう。
「状況は理解できたよな。今回、俺たちは奇襲をかけて連中を殲滅する。
タウントはオレ、攻撃はあんにゃま、テング、それからユウ、あんたも頼む。
魔法で支援が黒翼天使聖、おまえだ。
ニョヒタとレス・パースは回復役で俺のフォロー。
作戦開始は明日の朝、夜明け前。連中が寝ている間には<暗殺者>のテングとユウでやれるだけ殺せ。
とはいえ、相手は<魔狂狼>もいるから、ほとんどできないだろうけどな」
「わかった」
「…わかった」
「腕が鳴るぜ、といいたいけどなあ」
「おい黒翼、そんな弱気でどうするよ」
「いや、なあ……」
「おいあんにゃま、あんまいじめるな。もうこれはゲームじゃないんだから」
わいわいと応答するメンバーたち。
黒翼天使聖、という実に何とも言えない名前の<妖術師>はもともとかなり強気な性格だったらしい。
名前を変えたいよ、と苦笑する彼も、それでも戦いの覚悟だけはしっかりとできているようだった。
「じゃあ明日は夜おきだ。今のうちによく寝ておいてくれ。解散」
パンと手をたたき、カイはそう告げた。
翌日の早朝、ユウたちは再びゴブリンキャンプの近くに身を潜めていた。
黎明にはまだしばらくの間があるその時間。ユウたちの周囲は薄明かりすらない闇に包まれている。
時折身じろぎする<冒険者>たちの息遣いや鎧の擦れる音、それ以外は虫さえも眠りについているようだった。
ユウたちの視線の先、簡易的な野戦築城ともいえるゴブリンキャンプは、夜通し焚かれていたらしい焚き火も消え、魔物たちも眠りの奥底に漂っているようだった。
ユウは片手を上げ、その手を曲げて前を指す。
そのまま進み始めた彼女の後ろを、<吟遊詩人>のあんにゃまと<暗殺者>のテングがそろりと続く。
この三人が先陣となり、手分けしてゴブリンたちの数を減らすのだ。
打ち合わせは村の中で存分にしてきた。
3人は影のように這い、異形の砦へと近づく。
本来であれば、ここまで念には念を入れる必要性はない。
ユウは無論のこと、ギルド<エスピノザ>の面々も80から90レベルのプレイヤーである。
特技を使う必要もなく、殲滅できるだろう。
しかし、一行のリーダーを買って出た<守護戦士>のカイは、その手段をとらなかった。
「ハダノ近くにゴブリンの略奪部族が降りてくるなんて聞いたこともねえ。
ゲーム時代、俺たちはこのあたりもよく狩場にしていたが、流れゴブリン以外は出なかったはずだ。
それにあの砦、やけに強靭に作られているように感じる。
慎重を期すべきだ」
その声を思い出し、ふとユウは後ろを振り返った。
その後ろには、まだ若い―実年齢の若さが顔に出ている―<暗殺者>、テングの引き締まった顔が見える。
暗がりでも、彼の顔が緊張に脂汗をたらしているのが見えた。
ユウは、この作戦に入る前、こっそりとカイに耳打ちされたことを思い出した。
「テングは俺たちの中で一番若い。まだ高校2年生だ。
何しろこんな世界だ、俺たちも生きていくためにはモンスターを狩らなきゃならないんだが
あいつは戦場に人一倍怯えている。
同じ<暗殺者>のあんたにはわかると思う。
今日あったばかりのあんたにこんなことを頼むのは申し訳ないのだが、
あいつをフォローしてやってくれないか?」
言われてみれば、会ってからずっと、パーティの面々の中で最も落ち着きなく視線をさまよわせていたのは、高級そうな装備に身を包んだこの若者だった。
(フォローといわれてもなあ)
ユウはギルドに入った経験がほとんどない。
はるか昔にはあったし、気の合う仲間と一緒に冒険を繰り返した時期もあった。
レディ・イースタルやクニヒコと、そのほかの仲間たちとギルドを組んだこともある。
しかしログイン回数が下がっていくと同時に、ユウはソロプレイヤーの道を歩んできた。
今ではギルドで後輩を指導した経験など、はるか遠い時代のことだ。
現実で会社の後輩や部下を指導するならともかく、この異世界で、戦場に怯える青年に何を言えばいいのか。
正直、ぴんと来なかった。
一方で彼は今、緊張しながらも与えられた任務を完遂しようとしているように見えた。
(まあ、できるだけ同じ場所にいて、助けが要れば手を貸せばいいか)
その程度に思うことにし、前を向く。
既に砦は至近距離にあり、急ごしらえとは思えないほどの威容で攻め手を圧迫していた。
ユウの横をあんにゃまがすり抜ける。
本来武器攻撃職のひとつでありながら、支援職と見なされる<吟遊詩人>は、直接戦闘の火力として数えられることは少ない。
しかし彼は非常に珍しい攻撃特化の<吟遊詩人>だった。
俗にプリマアクター、と呼ばれるビルドの中でも、さらに攻撃を重視した編成だ。
その彼が、メインの楽器ではなく、片手に新月刀を持ち、先行していく。
目指すは眠りこけている門番のゴブリン。
徐々に闇夜が晴れつつあるリューリアの草原の中を影が走る。
その影は居眠りをし続ける二人の門番にそれぞれ近づき、「ウグ」という音とともにその首をはねた。
「よし、行こうか」
片方を倒したあんにゃまが呟き、門のすきまをすり抜ける。
そのまま壁を背に迂回、彼は裏門はじめ、ほかの脱出路を塞ぐ役目だ。
彼の鞄に納められた、巨大な丸太がそのための閂だった。
続いてユウとテングも扉をくぐる。
テングは、先ほど止めを刺したゴブリンの血がまだついているかのように、ひっきりなしに手を粗雑な壁にこすりつけていた。
「行こう、テング。あと、むやみにあちこちを触らないほうがいい。警報があるかもしれん」
「あ、ああ」
ユウとテングの任務は、雑兵ゴブリンの討伐。
ユウは無論のこと、テングもゴブリンは一撃で沈められるために、本隊の突撃までの間にできるだけ数を減らすのが役目だ。
「み、見張り台に誰かいるかも」
「あんにゃまが片付ける。そして<暗殺者>なら目を配ればそうそう見つからない」
それまでと打って変わって弱気な発言が目立つテングに手短に言い捨てると、ユウはひとつのテントに足を向けた。
ゴブリンの居場所を探るのはある意味簡単だ。
不潔な亜人種である彼らは、衛生という概念がない。糞尿も垂れ流すし、その中で寝ても病気にかかることはない。
よって、生臭い悪臭のありかが彼らの住処ということになる。
そのひとつ。粗雑に織られたテントの中には、ゴブリン兵が折り重なるように眠っていた。
音もなく忍び込んだ二人の<暗殺者>に気づいたものは誰もいない。
まごまごしているテングに指で場所を指し示すと、ユウは手近なゴブリンに躊躇いなく剣を振り下ろした。
テングも覚悟が決まったのか、やや顔をしかめながらも同様の行為を繰り返す。
6匹のゴブリンがすべて物言わぬ死骸に変わったのを確認し、ユウはほっと息をついた。
「大丈夫か?」
すさまじい悪臭に嗚咽しそうになっているテングは、その声に口を押さえながらぶるぶると首を振る。
ユウ自身、鼻が曲がりそうな糞便臭に死臭が混じった臭いに、いまさらながらに吐き気を覚えていた。
「次行くぞ」
短く言い捨て、次のテントへと向かう。
作業のように淡々と、二人は次のテントに向かい、同じように塵殺する。
テントを出た瞬間、テングが倒れこんだ。
「?」
ユウが止める間もなく、「オゲロ」という形容しがたい音とともに、朝食の成れの果てがテングの口から溢れ出す。
涙さえ流して吐瀉し続けるテングの背中をさすってやりながら、ユウは周囲を見回した。
あんにゃまはうまくやっているようだ。
周辺の敵が目覚めだした兆候はまだない。
奇襲に唯一気づくであろう魔狂狼もまだ気づいていない。
しかしそれらは、あくまで「まだ」であるということをパーティは知っていた。
「あんにゃま、こっちが見えるか?」
『なんだいユウ。ああ、そっちはよく見えるよ。テングの奴、鼻が曲がったな』
「この状態だと一人にできない。まだこっちは11匹しか殺していない」
『危険だな。こっちも変なのを発見した。最大のテントではないテントにゴブリンチーフが眠っている』
「なんだと!?」
あんにゃまの声は、それまでのどこか余裕のあるものではなく、殺気にあふれたものに変わっている。
『本来この程度の部族、チーフかシャーマンが率いているのが当たり前だ。そのチーフがトップに立っていない。
そうなるとこの部族、俺たちの予測を上回るぞ』
「テングを門外に退避させる。あんにゃまはすぐ後続に連絡を」
『わかった』
短い会話を交わすと、まだ吐き続けるテングの萎えた体を引っ張り上げ、ユウは彼を担ぐようにして入り口へ戻り始めた。
胸に彼の力のない手が当たるが、気にせずにできるだけの速度で駆ける。
入り口に戻り、疲れ果てたテングを座らせた時、それは起こった。
バランスを崩して倒れこむテング。
彼がとっさにつかんだ手は、無数の呼子が連なった粗いロープに繋がっていた。
ガラガラガラガラ
漸く暁が夜を塗り替えようと光を放ち始めたまさにその時。
どんな寝坊でも飛び起きるような音が草原に響き渡った。
3.
「まずい!」
カイは叫び、伏せていた身を上げて砦へと突進した。
先ほどのあんにゃまからの念話で、この砦の危険度に関する認識を新たにしたばかりだ。
『敵情は事前の推測どおりじゃない。チーフ少なくとも3、シャーマンおそらくそれ以上。
率いるのはおそらくゴブリン・ジェネラル』
簡潔な報告がもたらしたものは最悪を通り越した何かだ。
通常、ゴブリンはいくつかの階層を持っている。
通常のゴブリン。偵察兵と呼ばれる、<暗殺者>の特技を一部使いこなせるゴブリン。
そして通常より強いゴブリンの上に、さらにいくつかの階層がある。
はるか北方、オウウの山奥に逼塞するゴブリン王を除いて、最強と言われるのがゴブリン将軍だった。
ゲーム時代、親しみと恐れをこめて「兄貴将軍」などと一部で呼ばれた、パーティレイド並みの強モンスターだ。
彼は通常、数百から数千に及ぶゴブリンの大軍団を率いる。
わずか数十だか百だかのこの集団のトップに立っているのは、<エルダー・テイル>の常識から考えてあまりに異質だ。
(新しいクエストだってのか?これが?『ノウアスフィアの開墾』の一部だってのかよ)
カイの頭の中で警報が次々と鳴り響く。
ジェネラルの恐ろしさは単体の強さばかりではない。
彼は通常、数匹から時に数十ものゴブリン酋長やゴブリン祈祷師を率いている。
それらの数の暴力に耐え抜くには、<冒険者>といえども堅固なパーティを組み、連携して戦うことが絶対条件だ。
相互に孤立し、しかも一人はほぼ戦闘不能になっている<武器攻撃職>3人で手に負える相手ではない。
そして今、砦のすべてのゴブリンをたたき起こしたであろう轟音が響き渡っている。
(早く!早く!)
それでも簡易な強襲用の陣形を組み、その先頭でカイは走る。
ざわつく声、眠りを強制的に中断させられた鳥の叫び、そして湧き上がる殺気にカイの手がじとりと汗ばんだ。
「う、うえっ……おげ」
「早く門から逃げろ!テング!」
そういいながらユウは門の脇で、襲い来るゴブリン兵たちの集団を切り捨てていた。
後ろではいまだ動けないテングが蹲ったまま嗚咽している。
背中に彼を抱えているがゆえに、ユウは足捌きを封じられ、数の勢いに任せたゴブリンの攻撃を徐々に受け始めていた。
レベル差が50以上ある彼らの攻撃は、ひとつひとつは微々たる物だ。
しかし視界一面に広がるゴブリンの軍勢は、瞬く間にユウのHPを削っていた。
向こうでは、揺れる見張り台の上で、あんにゃまが雪崩のようなゴブリンと刃を交えているのが見えた。
数十匹などではない。百匹になろうかというゴブリンの、これはまさに滝だった。
「す、すま、ま」
「いいから!どけっつってんだろ!」
後ろを振り向き、彼方にカイたちが突進してくるのを見て、耐えかねたユウは後ろむきのままでテングを蹴り飛ばした。
そのままその衝撃を跳び箱にして跳躍、粗雑な石斧を叩きつけてくるゴブリンを眼下に見下ろす。
状況は危険どころではなかった。
既にHPを半分近く失ったユウにとり、このまま孤軍奮闘するのは自殺の同義語だ。
しかしユウがいなくなれば、ゴブリンは開かれた門を突破し、またたくまにテングを飲み込むだろう。
広大な草原に散らばったゴブリンの掃討は、たかが7人の<冒険者>に出来るものではない。
振りぬかれた妖刀に首を打たれたゴブリンがまた一匹、血だまりに沈む。
よろよろとテングが走り始めるのを目の端に捉え、ユウは力の限りに叫んだ。
「走れ!仲間を呼べ!カイたちを!」
中年男の姿であれば、たちまち頭蓋骨を粉みじんにされる石斧の乱打の中で、ユウは踊る。
その踊りが突如姿を変えた。
踊り手が変わったのではない。ゴブリンたちの行動が変わったのだ。
怒りに任せたような乱打から、統制の取れた兵士のような行動に。
一跳躍で門の上層部に手をかけたユウが、開いた片手でポーションをラッパ飲みする。
その合間に閃光と轟音を齎す霊薬を降らせる。
一旦統制が取れたゴブリンたちが惑乱した。
ユウの広がった視界に、通常より一回り大きいゴブリンと、その横で呪文を唱える小柄なゴブリンが見えた。
(チーフにシャーマン!)
この醜悪な軍団の、いわば小隊長と小隊参謀にあたる彼らを視認し、ユウの目が細く窄まった。
たった一人で仕掛けられる相手ではあるが、そうなると統制を失ったゴブリンが門に殺到する。
幸いにして、巨大な石剣を振り回すチーフも、何らかの状態異常を掛けようとしているらしいシャーマンも、そして眼下のゴブリン兵たちもすべて憎しみに満ちた目をユウに向けていた。
(クニヒコならどうするかな)
もう二月近くも会っていない友人のまっすぐな目を思い出す。
重厚な<守護戦士>である彼ならば、門の前に仁王像のごとく立ちはだかり、
襲い来る大波を受け止める防波堤の如くゴブリンたちを跳ね返すことだろう。
思索は一瞬。
目の脇にそろりと近づくゴブリン・スカウトを一挙手で切り捨て、ユウは意を決して飛び降りる。
飛び降りた瞬間、目の前のゴブリンに剣を突き刺し、痙攣するそれを<冒険者>の筋力で振り回してユウは周囲を威嚇した。
「あんにゃま!大手門まで撤退しろ!」
『了解っ!』
戦いながら念話を飛ばし、あんにゃまが崩れる見張り台から飛び降りたのを確認して、ユウは改めて剣を構えた。
「よくやったぜ!ユウ!」
後方からの叫びを、ユウは福音を聞いた聖者のような顔で受けた。




